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2019/05/04

セックスレスの話(3)

昨日の記事 「セックスレスの話(2)」 の続きです。


そもそも、「セックスレス」 という用語は、用語の定義として、単に 「一ヶ月以上セックスしていない状態」 を指すだけですので、「セックス」 の質や喜びといった満足度も考慮されている指標ではありません。

ですから、夫婦の間に 「愛」 がなくても、妻が仕方なく、 「イヤイヤ」 夫を受け容れている状況であっても、「セックス」 している以上、「セックスレス」 ではなくなりますし、逆に夫婦仲が良く、お互いの心は十分満たされていたとしても、相手に性欲を感じず 「セックス」 がなければ、それは 「セックスレス」 として評価されてしまうのです。

 

しかし現実の生活において、「うちの家はレスなの・・・」 と言った場合、他の家と 「セックス」 の 「質」 を比較しているわけではなく、実際の性交渉の機会や頻度と期待を相対的に評価しているわけです。

ここが難しい点なのですが、「セックスレス」 を意味的に捉える上では、やはり、質と回数だけでなく、回数の増減に関わる心理的な要因や環境的な要因を見て行かないと、具体的な実像が見えてきません。

 

「セックスレスの話(1)」 では、一緒に住むことにより、「日常生活」 と 「二人の時間」 の切り分けが難しくなることを、そして、「セックスレスの話(2)」 では、「性」 を支配する 「ホルモン」 の違いにより起こる、男女の性差を説明しました。

 

これらの要因を考えると、ある意味、「夫婦」 はすれ違って当たり前。

 

では、具体的には、どのような要因が 「セックスレス」 を引き起こしてくるのでしょうか。

 


「セックスレス」 になる要因

 

「セックスレス」 の中には、「産後レス」 のように 「ホルモン」 に乗っ取られたような状態でなってしまう 「レス」 もありますが、多くは、「日常生活」 による圧迫と、「エロティシズム」 の欠如、そして、「コミュニケーション不足」 に原因があると思われます。

 

(1) 「エロティシズム」 の欠如

 

「セックスレスの話(1)」 では、「ハレとケ」 の話を持ち出し、「ハレの日」 が 「日常生活」 である 「ケ」 に駆逐された結果が 「セックスレス」 であると説明しました。

 「セックス」 に必要なものは、「エロティシズム」 です。それが欠如しているからこそ、夫は妻に勃たなくなり、また、妻は夫に、ときめかなくなるのです。

 

多くの 「不倫」 実践者が、「家庭を壊してまで不倫するつもりはない」 と言っているのは、家庭は家庭で大事であるけれども、これ以上 「愛やトキメキのない生活、セックスのない生活は耐えられない」 と言っているように、「セックス」 の発動は、「エロティシズム」 によるのです。

 

睡眠不足で時間的余裕のない人でも、「性欲」 が刺激されれば、男はどんな手段を取ってでも、女性と会おうとしますし、セックス出来る機会があれば、どんなに体力的にきつくても、寝ようとします。

「セックス」 を含め、「日常生活」 の 「マンネリ」 が、「エロティシズム」 の欠如を招いているわけです。

 

では、どういう部分に気を付けたら良いのでしょうか。

 

男性に限らず女性にもあると思うのですが、相手が自分を気に入ってくれている 「ポイント」 があると思います。誰にでも、多かれ少なかれ、「フェティシズム」 的な要素を持っています。

男性であれば、「巨乳好き」 とか、胸は普通でも良いんだけど、「脚フェチ」 だとか、形の良い 「大きなお尻」 が好きとか、逆に 「太った女性」 が好きであるとか、幼い雰囲気が好きだとか、性的にグッと来るポイントは、人によってさまざまです。

そして、少なくとも、相手が自分を好いていてくれる 「急所」 となるポイントは、出来るだけ、相手の好みに合わせるように、努力する必要があると思っています。

 

自分の価値観で何かをするのは、単なる 「自己満足」 に過ぎません。相手の価値観を通して、自分を見る必要があると思っています。

 

(2) 「日常生活」 の圧迫

 

仕事や育児、家事が忙しかったり、健康上の問題や家庭内の問題などが起こると、「日常生活」 に必要な時間が圧迫され、その結果、寝不足になったり、疲労が抜けない状態になります。

これが一過性の場合はまだ良いのですが、これが長期に渡って続くと、寝不足も重なって、疲労も蓄積されるため、睡眠時間を確保したり、体力を温存するために、「セックス」 を遠ざけたりするほか、相手を気遣ったり、思い遣ったり、相手のことを構うだけの時間的精神的な余裕も、なくなってきたりします。

 

それでも、「夫は一人でやって、出している」 と言う奥さんも居るかも知れません。

 

しかし、「マスタベーション」 は、「セックス」 と比べると、使うエネルギーの消費量が少なくて済むのです。また、神経が高ぶらないので、すぐに寝ることも出来ます。

時間を節約するために、ササっとして、ササっと寝る。男は 「性欲処理」 と言ったりしますが、丁度、授乳時の女性の乳房が張るのと一緒で、男は出さないと不快な状態が続くためです。

夫が AV などを見ていてたとしても、その AV 女優が好みなのかも知れませんが、時間短縮が目的であって、サッサと興奮して、サッサと抜くための道具に過ぎないのです。

 

そんな変なところで、ヤキモチを焼くぐらいなら、下手なプライドは捨て、「お手伝い」 を申し出て、手とかお口で、してあげれば良いのです。

そうやって相手を思い遣って、二人の間で 「性」 の機会を継続的に持つことこそが、「セックスレス」 にならずに、関係を長続きさせる秘訣なんだろうと思います。

 

(3) コミュニケーション不足

 

そして最後の関連要因が、「コミュニケーション不足」 です。時間的な余裕がなくなることで、「コミュニケーション不足」 が引き起こされる場合もありますし、そもそも 「コミュニケーション」 は得意でないという人もいるでしょう。

そうでなくても、男女間の会話は難しいものです。女性の会話、女性の気持ちを理解出来ない男性も悪ければ、男性に女性の会話への理解を求める女性も悪いのです。「コミュニケーション」 とは、お互いが歩み合うものです。

 

女性は、男女の会話は、女同士の会話と同じようには行かないことを認識するべきですし、自分の話をただ聞いて貰いたいときと、共感を示して貰いたいとき、そして、家庭内もしくは家族に関わる問題が起きて、きちんとした対応が求められるときを区別して話さないと、男性には分かりませんし、あまりに主語を省略し過ぎた状態で、いろいろと話が飛ぶと、何のことを話しているのか、混乱して、話に付いていくことすら出来ません。

また、睡眠時間もまともに取れない状況で、終わりの見えない話を聞くのは、苦痛以外の何者でもありません。

 

男性は男性で、女性的会話の心理くらいは知っておくべきでしょう。

女性が、その日あったことを夫などに話す感覚は、昔、その女性がまだ小さかった頃、父親にその日あったことを話しているのに近い感覚があると思います。

娘がひとつひとつ思い返して父親に報告する様子を、愛しそうに眺めながら、聞いてくれている父親に、その小さな娘は、お父さんに見守られているような、そんな安心感を感じていたはずです。

女性はそうやって、自分の話を聞いて貰えることで安心し、心が満たされ、自分に対する愛を確認するのです。

ですので、時間的に毎日は厳しくても、女房の話をただ聞いてあげる時間を作ることは、愛を育んでいく上では、とても大切なことなのです。

また、女性は話をすることで、ストレスを発散している部分もありますので、身近に話相手がいないような環境では、ストレスをため込み易くなりますし、女性は、こういった 「コミュニケーション」 が不足してくると、「寂しい」 気分になり、その心を何処かで満たしたくなりますので、やはり定期的に話を聞いてあげる機会を作るのは、とても重要だと思います。

 

(つづく)

 

―――

 

ご夫婦やカップルでのセ/ックスの向上、セ/ックスレス対策、性教育等の参考として、ご利用ください。

但し、個人的な利用に限定されます。

一緒でも別々でも構いませんが、お二人が同じ記事を読まれることをお薦めします。それにより、お二人が 「性について」 話す時間も生まれますし、お互いの 「性」 に対する考え方や理解、性癖や価値観を話すキッカケにもなります。多くの方が、幸せで気持ちの良いセ/ックスを経験し、有意義な時間をおくれるようになると良いなと思っています。老若男女を問わず、質問や相談も受け付けています。アメーバーのメッセージもしくは コチラ からお問い合わせ下さい。イイね や コメント は大変励みになりますので、どうぞお気軽に。

 

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体位の話(1)

オーガズムとは(1)

自分のカラダは、自分でケアする(1)

女性が中でイクために(1)

「都市伝説」という言葉で片づけない(1)

ニッポンのセ/ックスを読み解く(1)

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2019/05/04

セックスレスの話(2)

昨日の 「セックスレスの話(1)」 の続きです。

 

前回の記事では、「同棲カップルに起こるレス現象」 を題材に、「セックスレス」 が起こる心理的なメカニズムについて考えてみました。

しかし、「セックスレス」 が比較的単純な心理的現象ならば、まだ、何等かの対策も取れそうなものなのですが、男女の問題において難しいのは、男性と女性は、男心女心だとか、価値観や物事の考え方が異なるだけでなく、身体のメカニズムからして大きく異なっているところです。

 

特にホルモン分泌を含めた、男女の 「生理的な違い」 は、男女の 「すれ違い」 を起こさせる大きな要因となっています。

生理的な違いによって起こる 「男の常識」 や 「女の常識」 といったものも、同性であれば人種の枠を超えて共通ですが、異性だと通じませんし、なかなか理解されません。

遺伝子的には、人種の違いよりも遠いのが、「性」 の違い。

 

まあ、それもそうです。女性は、XX ですが、男性は、XY。そこからの違いは、やはり大きいのです。

 

今回は、この 男女の 「生理的な違い」 の側面から、「セックスレス」 を考えてみたいと思います。

 

***

 

 

「クーリッジ効果」

 

「セックスレス」 は、そもそも、ヒト以外にも、哺乳類などでも見られる現象であり、「クーリッジ効果」 と呼ばれています。

これは、性的なパートナーがずっと同じである場合、月日が経つに連れて性交渉の回数が次第に減っていくものの、新しいパートナーと出会うと性的欲求が回復するというもの。

哺乳類のオスに顕著に見られる現象らしいのですが、オスほどではないものの、メスにもやはり、「クーリッジ効果」 は確認されているそうです。

 

大事なのは、「セックスレス」 と 「浮気や不倫」 は表裏一体で、微妙に関連しているいうこと。

 

これは、ウィキベディアからの引用ですが、動物を用いた実験の概要が書かれています。

 

ラットを用いた最初の実験内容は次のようなものである[7]。閉じた大きな箱の中に、一匹のオスが4-5匹の発情中のメスと共に置かれる。オスは直ちに全てのメスと繰り返しつがって、疲れ果てるまで続ける。そうなるとメスたちがオスを小突いたり舐めたりしても、オスは反応しなくなる。ここで別の新しいメスを箱の中に入れると、オスは我に返り、その新しいメスと今一度つがい始める。この現象はドブネズミに限ったものではない[8]。クーリッジ効果は、ドーパミンの分泌増加が動物の大脳辺縁系に作用することで引き起こされる[9]

クーリッジ効果は通常、オスに見られる。要するに、オスは新しいメスに対して興奮の回復を示す。レスターとゴルザルカは、メスにもクーリッジ効果が起こるのか否かを見極めるため新しい実験モデルを考案した。ラットの代わりにハムスターを使った彼らの実験によると、オスほどではないもののメスにもクーリッジ効果が見られることが分かった[3][4]

 

この実験は、倫理もへったくれもない 「ネズミ」 の世界の話ではありますが、ヒトと同様のことが起きているということ。そしてこの現象には、神経伝達物質のひとつで 「脳内麻/薬」 とも言われる快楽物質 「ドーパミン」 が関与しているということです。

 

こうなると、男的には、「セックスレス」 にならないように振る舞えるなら、男のする 「浮気や不倫」 は、「オトコの甲斐性」 のようなもの。

「身体がそのように出来ているのだから、仕方がない」 と言われてしまいそうです。(苦笑)

 

こんなことを書くと、「サレ妻」 から猛攻撃を喰らってしまいそうですが、言いたかったことは、男の 「浮気や不倫」 は、女性の 「嫉妬」 と同じ次元、同じレベルの話であると言いたいのです。 

 

「嫉妬」 も、本来は、弱者が自分の身を守るための 「防衛本能」 の発露による 「感情表現」 なわけですが、だからと言って 「出せば良い」 と思って開き直ってしまったら、男の 「浮気や不倫」 と同一レベルの話、「鶏と卵」 になってしまうわけです。

 

社会的には、「不貞行為」 となる分、若干 「浮気や不倫」 の方が不利ではありますが、しかし、どちらも 「本能に逆らって自制する」 必要があるという意味においては同じ。

男性の 「浮気や不倫」 も、女性の 「嫉妬」 も、社会的には、どちらも抑えるところは抑えないといけない代物というわけです。(苦笑)

 

しかし、女の 「嫉妬」 は、あくまでも男の 「浮気や不倫」 の結果であって、同じレベルのものではない、と言われる方もいらっしゃるかも知れません。

それならば、出産経験のある女性の場合は、出産後に性欲が全くなくなったときのことを思い出してみて下さい。

 

 

「オキシトシン」 と 「プロラクチン」

 

女性は妊娠以降、乳腺の分化や発達を促すために、「プロラクチン」 の分泌が盛んになりますが、出産によって、それまでは、母乳を作ることを抑制していた 「プロゲステロン」 というホルモン分泌が低下することにより、母乳が作られるようになります。

 

「プロラクチン」 は、子供を守ったり授乳させたりなど、女性の 「母性本能」 を呼び起こすホルモンで、「性欲」 を減退させるのも、「プロラクチン」 の作用だと言われています。

男性も、微量ではあるものの、射/精直後にこの 「プロラクチン」 が分泌すると言われています。

 

 

 

そして、授乳時に、乳/児が乳腺を刺激することで 「オキシトシン」 が分泌され、この作用により母乳が出されると同時に、子宮収縮が起こり、子宮からも 「オキシトシン」 が分泌されるそうなのですが、この 「オキシトシン」 は、別名 「幸せホルモン」 とも呼ばれ、女性はこの 「オキシトシン」 の分泌により、 「多幸感」 を感じると言われています。

 

女性の産後の 「セックスレス」 は、女性から 「性欲がまったくなくなる」 ためであり、この 「プロラクチン」 と 「オキシトシン」 の分泌による 「相乗効果」 によるものなのです。

 

***


「男女同権」 や 「男女平等」 といったものも、あくまでも、「社会的扱い」 を言っているだけであって、「レディーファースト」 といった 「社交マナー」 や、「席を譲る」 といった 「思い遣り」 とは全く違う次元の話なのですが、最近は誰も若者に、こういうことを教えないようです。

 

男と女と言うものは、考え方も価値観も、そして、生物学的機能から、こういった身体のメカニズムに至るまで、大きく異なる同士であるということ。

男の 「浮気や不倫」 も、女の 「産後レス」 も、その根源は、「ホルモン分泌」 にあるということで、ヒトの 「遺伝子」 に組む込まれた、ヒトの行動原理の根幹とも言える部分。

そこで働く 「ホルモン」 のメカニズムからして、男女は大きく異なるのです。

 

そもそも、ヒトがまだ植物だった頃から、オスは花粉をばら撒き、メスは種を作り続けてきたわけです。ばら撒くのが、男の性(さが)なら、子を宿し育てる喜びこそが、女の性。

 

「セックスレス」 の問題も、まずは、こういった相手の 「性」 の本質をしっかりと理解して、読み解くことも大切なように思います。

 


ニオイの問題?

 

そして、最後にご紹介するのが、これも 「ホルモン」 が関与していそうなんですが、まだ全体像は解明されていない、女性の 「嗅覚問題」 です。

 

「女性は遺伝子の近い遠いをニオイで嗅ぎ分ける」 という 「都市伝説」 があります。

確かに女性の嗅覚は、男性と比べると鋭いようですが、この 「都市伝説」 も半分は正しくて、半分は誤り。そもそも、遺伝子の違いと臭いの間にどのような相関関係があるのかすら、明らかになっていません。

 

しかし、この 「都市伝説」 が、わざわざ 「遺伝子」 という言葉を持ち出してきているのには、実は訳があります。それは何かと言うと、年頃の娘が、お父さんの下着や靴下などを異様に臭がり嫌悪する現象です。

 

女性の嗅覚とニオイとの関係については、以前にも旧ブログの方に書いた記憶があります。

 

「旦那:を 『気持ち悪い」 と思う感覚の謎」

「旦那:を 『気持ち悪い』 と思う感覚の謎(2)」

 

女性には、生理周期で感じ方に違いの出るニオイがあることが報告されています。

これは、ヒトに限らず、また男女を問わず、汗などに含まれる 「アンデロステロン」 と呼ばれる揮発性の 「ステロイド」 なのだそうです。

 

また、株式会社ライオンが調査した 「夫に対する意識と洗濯物のニオイに関する意識調査」 によると、

夫の洗濯物のニオイを ”不快” に感じる」 妻の割合は、夫とのコミュニケーションが良好な場合は、5.6% であるのに対し、夫婦間のコミュニケーションが取れておらず、夫に魅力を感じなくなり、夫との会話や一緒の外出も疲れると感じる 「結婚生活ネガティブ型」 の妻の場合は、60.6%と6割にも達している。

 

のだそうです。

 

少なくとも、これらの報告により、遺伝的な繋がりのないはずの 「妻」 までもが、「夫」 のニオイに反応していることから、先ほどの 「都市伝説」 にある 「遺伝子の違いを嗅ぎ分ける」 という表現は(感覚的に言いたくなる気持ちは分からなくもないけど)、適切でないことがわかります。

 

しかし、同じ家に暮らす 「妻」 が、「夫」 のニオイに敏感に反応するのは、これは事実であり、そして、株式会社ライオンの調査によると、夫に対する好感度によって、洗濯物のニオイを 「不快」 と感じる割合が顕著に表れていること。

また、株式会社ライオンは、これとは異なる調査で、「揮発性ステロイド」 の中で、「アンドロステロン」 に対してのみ、女性は 「明らかに不快」 という反応を示すことを確認しているのだそうです。

 

これらの結果から言えることは、女性は、生理周期によって感じ方は変わるものの、明らかに、「アンドロステロン」 に反応を示しており、好感度の度合いによっても、感じ方にも変化が見られる。

つまりは、「アンドロステロン」 に対する感受性は、さまざまなホルモンの影響を受けている可能性が高いということになります。

 

ちなみに、この 「アンデロステロン」 というのは、豚の 「性ホルモン(フェロモン)」 です。

 

単体では、「明らかに不快」 な臭いと感じる 「アンドロステロン」。しかし、夫婦のコミュニケーションが出来ていて、夫に対する好感度が高いと、「娘」 は不快に感じても、「妻」 は、不快には感じていないということになります。

明らかに、その臭いの 「持ち主」 を意識しているように思われます。

 

単体で、「明らかに不快」 なのは、その 「持ち主」 が匿名だからでしょう。

「アンデロステロン」 が、女性に対して無意識のうちに 「セ/ックス」 を臭わせているとするならば、単体の 「アンデロステロン」 が、誰だか分からない発情した男を連想させるからではないでしょうか。

好感度の高い 「夫」 の 「アンデロステロン」 を、妻が 「不快」 に感じないのは、無意識のうちに、自分に対する 「セックスアピール」 と認識しているためかも知れませんし、「娘」 が 「お父さん」 の 「アンデロステロン」 に対して、異様なほど 「不快感」 を示すのは、お父さんの自分に対する 「セックスアピール」、すなわち 「近親相/姦」 的な印象を受けるためかも知れません。

 

臭いは、鼻で嗅ぎ分けますので、直接、その人の臭いを嗅ぐのであれば、それが誰かは視認出来ているはず。

つまり、視認であったり認識が最初にあって、感覚的には、そこで特定された人の臭いとして認識されているのではないでしょうか。そして 「ヤコブソン器官」 を通して、思わず身体が勝手に反応してしまうわけです。

 

ヒトに、「性フェロモン」 の分泌があるのかどうかは、未だに証明されておりません。

しかし、株式会社ライオンの実験では、夫に対する好感度によって、「アンドロステロン」 の臭いの感じ方が異なることが、明らかになっています。

 

もし、この仮説が正しいとすると、夫婦仲の変遷は、はじめは、夫婦間の諍(いさか)いや、蟠(わだかま)りといったものに過ぎないのかも知れませんが 【Ⅰ】、お互いのコミュニケーションがうまく取れずにいると、次第に旦那に対する魅力を感じなくなり 【Ⅱ】、女性の気持ちが旦那から離れた結果、女性は、旦那の臭いを不快に感じるようになる 【Ⅲ】 のかも知れません。

 

【Ⅰ】 や 【Ⅱ】 といった状態であれば、まだ回復の見込みもあるかも知れませんが、【Ⅲ】 の状態ともなると、日々の暮らしでは平静を保ち、一緒には暮らしてはいるけど、「セ/ックスは無理」 と言われ兼ねない状態にあるのかも知れません

 

肥溜(こえだ)めの臭いがするところで、食事を取るようなものですから、臭くて食欲が失せてしまったとしても、何も不思議ではありません。

 

旦那がお年頃の自分の娘に 「クサイ!」 と言われるのは、ある意味致し方ないのかも知れませんし、自分も 「クサイ」 と思うなら、誰しもが 「クサイ!」 と感じて当たり前。

しかし、そうでもないのに、女房から 「クサイ」 と思われているようなら、かなりの 赤信号 と思われます。

 

***

 

「ホルモンの世界」 から 男女の性差を眺めてみると、男性と女性は、全く違う生き物ではないかと思いたくなるほど、メカニズムが大きく異なるのです。

性的な特徴である 「性徴」 を形作るのも 「ホルモン」 なら、「性」 の衝動や快楽をコントロールしているのも 「ホルモン」 ですし、女性の妊娠・出産・育児に大きく関わっているのも、この 「ホルモン」 です。

 

特に、女性の場合は、初潮から閉経まで常にホルモンのシャワーを浴びて、ホルモンに翻弄され続けているのです。

個人差はありますが、女性は30代の半ばから、女性ホルモンの分泌量が徐々に減り、相対的に男性ホルモンの比率が高まることで、それまで感じたことのない 「強い性欲」 を覚えるようになりますが、これも 「ホルモン」 の作用。

 

「男は頭でモノを考え、女は子宮で考える」 みたいな言葉がありますが、この言葉の意味は、男と女の本質を比べてみたときに、女性は、長きに渡って余りにも多くの 「ホルモン」 の影響を受けており、先ほど話をした 「ニオイの話」 ではありませんが、不可思議な能力を持っている、その例えのような気がしてなりません。

「子宮」 は、「安心ホルモン」 と呼ばれる 「オキシトシン」 を分泌し、子を宿し子を産み、「母性本能」 を司(つかさど)る 「シンボル」 的器官。

 

「無理なものは無理」 ですし、「ダメなものはダメ」。

 

女性の言う 「生理的に無理」 という言葉の裏には、女性にしか分からない、言葉では表現出来ない奥深い感覚が隠れていそうです。

 

(つづく)

 

―――

 

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但し、個人的な利用に限定されます。

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2019/05/04

セックスレスの話(1)

当ブログ(旧ブログも含む)では、今までにも 「セ/ックスレス」 の問題について、いろいろと考えて来ました。

 

「セ/ックスレスを考える」

「セ/ックスレスと不倫の実態」

「セ/ックスレスを考える(2)」

「とあるセ/ックスレス相談」

「セ/ックスレスの対処法」

「『ス/ワッピング』 の遊び方」

「セ/ックスレスの対処法(2)」

「とあるセ/ックスレス相談 (2)」

「とあるセ/ックスレス相談 (3)」

「とあるセ/ックスレス相談 (4)」

「とあるセ/ックスレス相談 (5)」

 

しかし、なかなかコレと言った、効果的な 「解決策」 が見当たりません。

個々の家庭の数だけ、個々の問題があるのかも知れません。

しかし、本質的には同じ問題です。

そもそも、「セ/ックスレス」 とはいったい何なのか。

そこからもう一度考えてみる必要がありそうです。

 

 

セ/ックスレスを考える

 

 

「セックスレス」 は、「マンネリ」 か

 

「セ/ックスレス」 の原因は、良く 「マンネリ」 だと言われます。

しかし果たして、本当にそうなのでしょうか。

 

巷(ちまた)には、「付き合ってるカップルが、同棲を始めると、セ/ックスの回数が減る」 という、それらしい 「噂」 があります。某記事によると、「同棲」 を始めてから 「セ/ックス」 が減ったと回答したカップルは 40% にものぼるとのこと。

しかし、いったいこのうちのどれだけのカップルが、「マンネリ」 になるほど、「セ/ックス」 をしてるというのでしょう。

 

確かに 「同棲」 することにより、いつでもセ/ックス出来る状況になりますので、「別に今日でなくてもいいか」 という気持ちになることは否定しません。

毎日顔を合わせることによって、トキメキが少なくなることも否定しませんし、一緒に暮らすことによって、今までは目につかなかった相手の粗(あら)に気が付くことも否定しません。また、距離感が近づくことで、当然言葉や気持ちの行き違いが生じる可能性も否定はしません。

 

ここで言えるひとつのこと。それは、「セ/ックス」 の 「マンネリ化」 によって、「セ/ックス」 の回数が減っているわけではないということです。

 

 

同棲により起こる二人の意識の変化

 

「同棲」 する前は、二人はいつもお互いの予定を確認しあい、次のデートの予定を決めていたはずです。恋人同士の場合、「デートの日」 は、まさしく 「ハレの日」 であり、「ジョルジュ・バタイユ」 が言うところの、「祝祭」 であり、「蕩尽(とうじん)」 があり、そして 「セ/ックスの日」 であったわけです。

 

しかし、二人が 「同棲」 を始めると、二人は毎日顔を合わせるようになります。好きあっている同士が、毎日顔を合わすのですから、これ自体が 「セ/ックスレス」 の直接的な原因とはなり得ません。

 

「同棲」 を始めたことにより、二人の関係に、意識的にも、何かの変化が起きたはずなのです。

 

「同棲」 する前のカップルは、二人が会えるときは決まって 「ハレの日」 でした。しかし、「同棲」 した後のカップルは、顔を合わすことが 「日常」 となるのです。

「同棲」 により、「生活」 を共にし始めたことで、今までは、「ハレの日」 一色だった関係に、「日常生活」 が入り込んできたわけです。

 

今まで 「デート」 中心すなわち 「ハレの日」 ばかりだった二人の世界に、「日常生活」 という新しい要素が入り込んだ結果、「日常生活」 という 「ケ」 と、「セ/ックス」 という 「ハレ」 の間で何等かの ”折り合いを付ける必要” が生じ始めた、のではないかと思うのです。

 

それでも、自分たちで 「セ/ックス」 をする 「ハレの日」 を決めて、オンとオフ、メリとハリを区別出来れるようになれれば、まだ良かったのかも知れません。しかし、「同棲」 とは、いつでも 「セ/ックス」 をしようと思えば出来る環境であるだけに、お互いの気分次第と 「成り行き」 に任せてしまうわけです。

 

始めの頃は、「同棲」 のメリットを享受しようと、毎日するかも知れません。多少体力的にキツくても、相手の要望に応じるべく努力もするでしょう。
しかし、それでは体力が持ちませんし、「生活」 も疎(おろそ)かに成りがち。

無理を重ねていれば、当然そこには、睡眠不足であるとか、明日の仕事であるとか、体調不良など無理が祟ってくるわけで、いずれは、どちらかが誘いを断わざるを得なくなるわけです。

 

「同棲」 することによって、カップルは全てが 「ハレの日」 の感覚では 「生活出来ない」 ことを学ぶのですが、そうやって二人の 「ハレの日」 は、次第に 「日常生活」 に浸食されていくわけです。

 

 

「セ/ックス」 をする上で大切なこと

 

「セ/ックス」 で大事なことは、二人が同じときに 「その気」 になることです。

 

「セ/ックスレス」 とは、体調を含め、生活上のさまざまな問題やトラブルによって、そのタイミングが合わなくなったり、お互いの気持ちにブレが生じて来たり、あるいは、相手に対する 「愛情」、「敬意」 あるいは 「性欲」 といったものが失われてくること、だと思っています。

 

一緒に住んでいることで、相手に対する 「敬意」 を忘れてしまったり、相手のことを考えずに、自分の願望や欲求を押し付けたり、つい 「日常生活」 においても、相手の存在に甘えてしまう。

日常生活の 「マンネリ」 が引き起こしたもの。それが、「セ/ックスレス」 なのではないでしょうか。

 

 

「セックスレス」 の裏にあるもの

 

そのように考えてみると、「セ/ックスレス」 とは、二人にとっての 「ハレの日」 が、「日常生活」 という 「ケ」 の浸食をうけて、まさしく、二人の恋愛が崩壊寸前の状況と言えるのではないでしょうか。

むしろ、「ハレの日」 の行事である 「セ/ックス」 がなくなったわけですから、「ケ」 によって 「ハレ」 が完全に駆逐された状態こそが、「セ/ックスレス」 です。

同棲もしくは同居前に二人で会ってラブラブしていた頃、二人で会うときはいつもが 「ハレの日」 だったあの頃とは、まったく正反対の、対局にある状況にあると言えます。

 

「同棲」 もそうですし、結婚もそうですが、生活を共にすることで、「ハレの日」 一辺倒の世界に、「日常生活」 という 「ケ」 が入り込み、そして次第に 「ハレ」 が 「ケ」 に飲み込まれ、「ケ」 に溺れている世界。その世界に見られるひとつの症状が 「セ/ックスレス」 なわけです。

ここで、言っている 「世界」 とは、「関係」 や 「家庭」 など、他の言葉でも置き換え可能です。

 

結婚し子供が出来ると出産があり、そして出産のあとは育児があります。 

仕事が忙しくなってくると仕事に追われ、一方の家庭では、家事に追われ、育児に追われる毎日。子供が少し大きくなっても、教育だ何だと悩みは尽きません。

「日常生活」 で手一杯の状況にあるわけです。

 

***

 

「セ/ックスレス」「ハレ」「ケ」 のような 「聖俗二元論」 で考察している人は、全くと言って良いほど見掛けません。

しかし、「セ/ックスレス」 に陥(おちい)るということは、その関係に 「エロティシズム」 を見出(みいだ)せないからなのです。だから、「セ/ックスレス」 の家庭の夫婦であっても、パートナーさえ交代すれば、夫婦のどちらも 「セックス」 するようになります。(笑)

 

では何故、「セ/ックスレス」 の家庭からは、「エロティシズム」 が消失してしまったのか。

そこを考える上では、どうしても 「ジョルジュ・バタイユ」 的な思考で、問題を 「心理的」 に紐解いていかないと、分からないのです。

 

「セ/ックスレス」 問題は、「愛情」 や 「愛欲」 といった 「エロティシズム」 の問題です。

そのような機微(きび)な問題を、「資本主義」 的な観念や価値観、あるいは、「社会システム」 的な視点から、いくら問題を探ったところで、何も問題の本質を理解できません。

何故なら、その問題の本質こそ、「ジョルジュ・バタイユ」 の言う 「呪われた部分」 に隠されているからです。

   

しかし、「セ/ックスレス」 問題の難しさはこれ以外にもあります。

それは、男女の 「性欲」 もそうですし、「性的行動」 から、性的な 「満足」 を得られるに至るまでのプロセスまで、全て異なることです。

「ジョルジュ・バタイユ」 の世界が、「心理的な世界」 であるとするならば、こちらの方は、全てが 「ホルモン」 の分泌に支配される 「生理的な世界」 なのです。

 

 

うまいこと話がまとまるかどうか、今の時点では分かりませんが、ここしばらくは、「セ/ックスレス」 問題について、考えてみたいと思います。

 

(つづく)

 

―――

 

ご夫婦やカップルでのセ/ックスの向上、セ/ックスレス対策、性教育等の参考として、ご利用ください。

但し、個人的な利用に限定されます。

一緒でも別々でも構いませんが、お二人が同じ記事を読まれることをお薦めします。それにより、お二人が 「性について」 話す時間も生まれますし、お互いの 「性」 に対する考え方や理解、性癖や価値観を話すキッカケにもなります。多くの方が、幸せで気持ちの良いセ/ックスを経験し、有意義な時間をおくれるようになると良いなと思っています。老若男女を問わず、質問や相談も受け付けています。アメーバーのメッセージもしくは コチラ からお問い合わせ下さい。イイね や コメント は大変励みになりますので、どうぞお気軽に。

 

過去の記事

 

体位の話(1)

オーガズムとは(1)

自分のカラダは、自分でケアする(1)

女性が中でイクために(1)

「都市伝説」という言葉で片づけない(1)

ニッポンのセ/ックスを読み解く(1)

オ/ナニーは悪いことか?(1)

新・フェ/ラの話(1)

 

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2019/04/27

体位の話(番外)- 江戸の性事情2

昨日の記事 「体位の話(番外)- 江戸の性事情1」 の続きです。

 

挿絵の図画は、前記事と同じく、文部科学省所管の 「国際日本文化研究センター」 が所蔵公開する春画の中から使用しています。

 

この画は、月岡雪鼎画 「女貞訓下所文庫おんなていきんげしょぶんこ (明和5(1768)年頃刊)の巻頭画の中の一枚です。

一見何か、とても 「クソ真面目」 な絵のように見えますが、拡大して良く見てみると、まるで 「ウォーリーを探せ」 みたいに、街中で 「セ/ックスをしているカップル」 がいたり、「竿を露出して歩いている男」 がいたり、笑えます。(笑)

 

良くみると、橋の上では、お姫様抱っこをして立位の状態で入れようとしているカップルがいますし、橋の欄干では、女性の片足を背後から取る 【後ろ矢筈】 の体位で、しているカップルもいます。橋の手前には、アソコを開帳する女性に、竿を勃てた男性が走って行くの図。(笑)

橋の左側にある茶屋では、女性が 【網代本手】 で男の脚を絡めとり、橋の手前の十字路では、アソコを勃てて放心するガキに、女性に自分の道具を見せてるおやじ。女性も覗き込んでいて、満更ではないご様子。(笑)

街道筋なのか、店が並ぶ入口には、キスをしあうカップルがいて、左隅には、女性の片足をすくい、【立ち鼎】 をするカップルが、右手に折れれば、なにやらこれから挿入しそうなカップルがいます。また、右手の茶屋で、膝を立てている女性も怪しいですし、もうひとつ右の島に行くと、今度は座敷に手をついて 【碁盤攻め】 で立ちバ/ックしているカップルがいます。

一方、河も上では、舟に乗った二人の男が射/精をしており、その右手には、女性を連れて舟に乗っている上級役人風の侍が、女性と 【鏡茶臼】 で交わっています。(笑)

 

前回の記事では簡単に、「奔放な江戸の性事情」 について説明しました。

 

これ以外にも、江戸時代、武士や僧侶の世界では、男同士の絆を深めるためと称して、「衆道(しゅどう)」 と呼ばれる 「男色」 行為、今の言葉で言うと、男同士が絡む 「BL(Boys' Love)」 も行われていましたし、

 

 

「乱/交」 もありました。

 

また、他人のセ/ックスを覗いたり覗かれたり、あるいは、それを見ながら自分でしてしまったり。

そんなのは何処にでもある、極めて 「日常的な光景」 だった時代と言えそうです。

 

 

 

当然、それだけ 「性」 に開放的なわけですから、男女どちらも、「浮気や不倫」 に走ったところで、良くある話。なんの不思議もありません。

 

下の2つの挿絵なんかは、巻頭画よろしく、半分は 「ジョーク」 なのかも知れませんが、部屋の壁にぽっかりと開いてる穴から、女性のアソコや、男性のアソコが顔を出しています。(笑)

 

女房には黙ってこっそりと、隣の奥さんのアソコに入れようとする旦那も旦那なら、

 

とぼけた顔をして、壁に開いた大きな穴に、自分のアソコを押し付けている隣の奥さんも奥さん。(笑)

 

「着物」 は、大変便利なもので、前を開(はだ)ければ、昔は着物の下に下着は着けておりませんので、簡単に交わることが出来そうですし、下の挿絵は 【立ち鼎(たちかなえ)】 ですが、【立ちどり】 のような体位で、女性が脚を男性の脚に絡みつけてしまえば、他からは見えません。

 

 

 

江戸時代の性具

 

では、当時 「オトナのおもちゃ」 には、どんなものがあったのでしょうか。

 

有名どころでは、今も熊本では販売されていますが、「肥後ずいき」 と呼ばれる、ずいき芋の弦(つる)を干して作った 「芋がら」 を編んだ 「張形(はりがた)」、今の時代で言う 「デ/ィルド―」 と呼ばれるものがあります。

「肥後ずいき」 は、熊本城を築城した 「加藤清正」 が徳川家に献上していたと言われる代物で、特に大奥では、大ヒット商品になったと言われています。(笑)

 

実際に使ったことはないのですが、これをしばらくお湯に漬け、戻してから使用すると、芋特有のネバネバが出るのだそうです。また、芋がらを使っているだけに、何処か痒(かゆ)みを覚えるという噂も聞いたことがあります。

 

 

こちらは普通に 「張形(はりがた)」 と呼ばれているもの。

一般に普及したものは、木製や陶器製だったようですが、大奥で使われたとされる、この張形は、色艶や透明度から 「べっ甲製」 のようです。

使うときは、これをお湯で温め、中に綿などを詰めて使用したようです。『

【出典】 ウィキペディア - 張形

 

 

「なあんだっ、その程度か・・・」 などと侮(あなど)ってはいけません。(苦笑)

勿論、当時は、電池もモーターもありませんので、今のように 「バ/イブ」 も 「ロ/ーター」 もなければ、「電/マ」 なんかもありませんが。

 

 

この挿絵にも、「肥後ずいき」 が出て来ますが、これは、多分 「中折れ」 状態にでもあるのでしょう。芋がらをそのまま男性自身に巻き付けて使う使い方。

そして左側にあるのは、どのように装着するのかは分かりませんが、「鎧形(よろいがた)」 と呼ばれる、やはり中折れの補強を目的とした性具。

これらは、水牛の角や、ウミガメのべっ甲などが原材料として使用されたそうです。

 

 

そして、こちらはと言うと、男性の雁首が小さかったりする場合に、雁を雁太に補強したり、雁の効果を高める性具で、それぞれ 「兜形(かぶとがた)」「琳(りん)の輪」「ナマコの輪」 と呼ばれる性具。

 

 

こちらの図左側は、「久志理(くじり)」 と呼ばれる、指にはめて使うタイプの小型の 「張形」 で、紐で指に指に縛りつけれるようになっています。

 

 

この挿絵の右側は、「琳の玉(りんのたま)」 で、大きさの異なる金属製の玉で、女性のアソコに入れて使用する性具。性/交中、膣の中でふれあって妙音を発し、喜悦がますらしい。また、取り出すときは、女性がうつむき姿勢になり、尻をたたくと簡単に飛び出るとのこと。

そして図の左側は、女性同士が重なるときに使われる、「互い形(たがいかた)」 と呼ばれる性具で、今でいう 「双頭デ/ィルド」 です。

 

 

また、それ以外にも、この挿絵にある 「吾妻形(あずまがた)」 と呼ばれるのは、今で言う 「゙テンガ(TENGA)」 のことです。

 

 

江戸の性の文化

 

「江戸時代」 は、今の時代と比べれば、人の平均寿命も短かったですし、理不尽なことも多かったと思います。

江戸時代から明治あたりに掛けては、やはり医療の事情もあり、成人するまでに亡くなる子供も多かったこともあり、子供は10人近く産むのが当たり前。

人が 「生と死」 を常に意識していた時代です。

しかし、そんな中でも、「江戸の庶民」 は、「刹那的」 と言われようとも、男女で楽しむことを忘れず、「性」 を楽しむことで、「生」 を楽しんでいました。

 

江戸時代、「小股の切れ上がったイイ女」 とは、「小粋な女」 の代名詞でもありますが、江戸時代の 「粋な女」 とは、現代のように自分を高く見せようと、もったいぶって、お高く留まる女性ではなく、むしろ、誘いがあったら、

 

   「アンタ、なかなか男前だね~」 

 

と、直ぐに呼応する女性だったと言われています。 

 

損得で考えるのが関西人なら、粋(イキ)か野暮(ヤボ)で考えるのが江戸っ子。

しかし関西人だって、「粋(スイ)」 と 「無粋(ブスイ)」 は区別します。

 

これらも元々は、人の情(じょう)の機微(きび)に触れ、それを思い遣る際の自己の判断基準のようなもの。そのまま、人の情を 「感情的」 に受け留めるのではなく、「損得」 であったり、「粋無粋」 といった価値観で篩(ふるい)に掛けて、自分にあった施(ほどこ)しをしたのが 「情け」 と言うもの。 

 

人の情に触れ、人の身体に触れ、そして、身体を交わらせるのが 「セ/ックス」 です。

「好いた」、「惚れた」 でするのは、「野暮」 にでも出来る。「粋」 なところを惚れられて、「粋」 な女が、「野暮」 な男に掛けるのが 「情け」 というもの。

 

今の日本と比べると、江戸時代の庶民は、実におおらかで情緒豊かな 「セ/ックス」 を楽しんでいたように思います。

 

「セ/ックス」 は単なる排泄行為ではなく、心と身体による 究極の 「コミュニケーション」。

だからこそ当然、相手を 「思い遣る」 ことが大事になります。

 

(おわり)

 

―――

 

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一緒でも別々でも構いませんが、お二人が同じ記事を読まれることをお薦めします。それにより、お二人が 「性について」 話す時間も生まれますし、お互いの 「性」 に対する考え方や理解、性癖や価値観を話すキッカケにもなります。多くの方が、幸せで気持ちの良いセ/ックスを経験し、有意義な時間をおくれるようになると良いなと思っています。老若男女を問わず、質問や相談も受け付けています。アメーバーのメッセージもしくは コチラ からお問い合わせ下さい。イイね や コメント は大変励みになりますので、どうぞお気軽に。

 

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2019/04/26

体位の話(番外)- 江戸の性事情1

昨日の 「体位の話(15)」 の続き、番外編その1です。

 

前回の記事は、自分の 「覚書き」 の意味もあって、「百手秘戯図」 など 「紅白譜」 の系統を紹介させて頂きました。

かなりボリュームがあったせいか、読者の方から、

 

   「こんなに体位ってあるんですね! 

   知らない体位ばかりです!」

 

みたいな 「メッセージ」 を頂きましたが、混乱させてしまい、申し訳ございません。(苦笑)

 

ここでひとつ、確認させていただきたいことがあるのですが、

 

まず、これ等の 「体位」 というのは、必ずしも、女性なり男性が 「気持ち良くなるもの」 ばかりではないということです。

英語でいうと、「ポジション(position)」 とか 「ポーズ(pose)」 の意味合いが強く、一連の流れにおける 「シーン」 もしくは、そのときの 「恰好」 のように理解する方が、解りやすいかも知れません。 

 

ですので、これらの 「体位」 は、全体の 「流れ」 の中の一部として捉える必要があるということ。

 

一番良い例が、次の体位です。(笑)

 

押し車

 

この 「押し車」 という体位の場合、

 

これは、わざわざこの 「体位」 で交わって 「気持ち良さ」 を味わうためのものではなく、他の体位で既に挿入している状態から、男性が一度はめた イチモツ を抜くことなく、何処か別の場所に移動するための体位(体勢) なのです。(笑)

 

***

 

また、読者の方から、

 

   「江戸時代は、性に自由奔放だったのですね。」

 

というメッセージも頂きました。これは、まさしく 「その通り」 だと思います。

 

ということで、今回は 「江戸四十八手」 にちなみ、「体位の話」 の番外篇として、春画と呼ばれる浮世絵を通して 「江戸の性」 をご紹介したいと思います。

 

 

 江戸の性事情

 

江戸時代に花開いた 「江戸」 の文化ですが、幕府は、儒教(朱子学)の影響もあるのでしょう。衣食住にわたり 「倹約質素」 な生活を是としますが、「宵越(よいご)しの金は持たない」 のを意気とする江戸の文化。

江戸時代の首都である 「江戸」、その江戸市中には 「八百八町(はっぴゃくやちょう)」 の町があったと言われていますが、多くは地方から出稼ぎに来た男ばかり。

18世紀初頭で、ロンドンの人口が86万人であるのに対して、江戸は推計ではあるものの、100万人 を超えており、男女の比率は、女3人に対して男5人。男女比は、ほぼ 1:2 の比率だったと言われています。

 

そして、その経済の発達を支える基礎、社会基盤となったのが、「水路」 です。

 

千葉県の野田は醤油で有名ですが、江戸時代は水路を活用したため、川沿いに産業が発展します。千葉の野田で作られた醤油は、「利根川」 を通り、江戸の町に運ばれ、そして 「小江戸」 と呼ばれる埼玉県の川越あたりまでも 「水路」 を利用して運ばれていました。

 

そんな多くの人が住む 「江戸」 の町ではありますが、夜の明かりは、ロウソクや油を灯した 「行灯(あんどん)」 程度ですし、スルことと言えば、男女の色事ぐらいしかありません。

「町屋(まちや)」 などの商家に住み込みで働くことを、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」 [*1] と言いますが、地方からの出稼ぎ者の多くは、「女中(じょちゅう)」 や 「丁稚(でっち)」 として、住み込みで働きました。

[*1] 丁稚として奉公することから 「丁稚奉公」 と呼ばれたりもするが、正しくは 「年季奉公」 という。

 

女中や丁稚は皆若く独身ですから、男性の多い江戸の町。

今の男が 「エ/ロ本」 や 「エ/ロ画像」 を 「おかず」 に抜くように、当時は、「春画」 を 「おかず」 に自分で性/欲処理してました。

 

 

しかし、夜は長いうえに、そんな男女がひとつ屋根の下で寝置きしているわけですから、何もおきないはずがありません。「旦那(だんな)」 が若い女中に手を出したかと思えば、「女将(おかみ)」 は女将で、自分の気に入った若い丁稚に手を出したり、未経験者なら性の手ほどきをしたり。

 

女性にし/こられている若い男性は、恥ずかしいのか身体をよじり顔を伏せています。(笑)

 

当時の家は、木と紙と土で出来ているわけですから、「レオパレス21」 よろしく、隣近所の物音は筒抜けですし、覗き覗かれは当たり前。

 

 

まさに 「壁に耳あり障子(しょうじ)に目あり」 です。(笑)

 

こちらは、襖(ふすま)を少し開けての覗き見で、

 

こちらは、露骨にも障子(しょうじ)に穴を開けての覗き見です。(笑)

 

封建制で、目上の人の判断や指示は 「絶対」 でありますので、人目は気にしたでしょうが、女中や丁稚同士が好きあったとしても、別に不思議なことではありません。(笑)

 

聞き耳をたてながら、女性が自分のアソコをいじってます。女性の場合はまだ恥じらいがあり、慎ましやかな感じがしますが、

 

自分でし/こりながら、物欲しい顔で覗くとなると、結構露骨です。(苦笑)

 

丁稚奉公も終わって結婚したり、一人前になると、「長屋(ながや)」 に住むことも出来ますが、「長屋暮らし」 になっても、「向こう三軒両隣(りょうどなり)」 声は筒抜けですから、漏れ出る 「睦/言(むつごと)」 は他のひとに聞かれて当たり前、覗き覗かれの世界です。(笑)

当然、子供に見られることを気にしていては、セ/ックス出来ませんし、

 

 

子供にしてみれば、親はセックスしていて当たり前。

 

乳飲み子がいれば、母親は人前であろうが、乳/房を出して飲ませるのが当たり前の世界です。

そのためか当時は、女性の 「乳/房」 は子供のものという意識が強く、男は女の 「お/っぱい」 を見ても欲/情しなかったようです。(苦笑)

 

昭和の高度成長期でも、銀座のド真ん中でお乳をあげる女性は居ましたし、周囲のひとも、それに気遣ってか、ジロジロと見るようなことはしませんでした。

 

陰/茎極上品の図 ↓ 是也

 

 

乱/交もアリ。

 

昭和の初期まで、盆踊りなどの祭りの夜などに、既婚未婚を問わず村の男女が集まり 「乱/交」 する風習が残っていたところもあるそうですが、江戸時代もまさしく、そんな感じだったのでしょうか。

俗学の学生が激白 「僕は乱交祭りで童貞を喪失した!」

「奇習! 群馬に実在した「乱交祭り」の実態 ― 笛と太鼓と交わりの声」

 

日本人は風呂好きで、当時から大衆向けの 「公衆浴場」 文化もありました。

 

  

 

まだまだ続きます。

 

***

 

参考資料等

 

本記事では、文部科学省所管の 「国際日本文化研究センター」 が所蔵する蔵書で、「立命館大学アート・リサーチセンター」 が、文部科学省の共同利用・共同研究拠点「日本文化資源デジタル・アーカイブ研究拠点」 における活動の一環として、一般に公開している春画資料を参照しており、今回使用した図画は、月岡雪鼎(つきおか・せってい)作画で、明和1(1764)年頃刊行された 「艶道日夜女宝記(びどうにちやじょほうき)」 のものを使用しています。 

 

(つづく)

 

―――

 

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