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2017/12/11

8の字巻き

 

今日、6チャンネルの TBS でやっている 「林先生が驚く初耳学」 という番組を見ていたという 「某奴隷ちゃん」 から、夜分にメッセージが入りました。

「絶対に絡まないイヤホンの巻き方」 というのをやっていて、本人はその答えが、全然分からなかったそうですが、正解は 「8の字巻き」 というものだったとのこと。

 

そうは言われても、「自分は番組を見ていたわけでもないし、聞かれてもな~」 と思っていたところ、本人は、

 

        「あ!!!これなら、見たことあるw」

 

と思ったそうなのです。そして、それをみて、

 

        「私もやったことあるじゃん♪」

 

みたいに思ったらしいのです。

 

彼女が、見よう見真似で、やってたのは、麻縄を仕舞うために束ねる作業。

親指に引っ掛け、あとは、肘(ひじ)と親指に交互に掛けていき、最後にぐるぐるっと巻きつける、まあ、緊縛をやる人であれば、誰しもがやる基本中の基本の作業。

 

ちなみに、イヤホンの場合は、指にコードを8の字に絡ませるらしいのですが、番組では、スルスル~って解けて、スタジオのみんなから歓声があがっていたそうですが、本人は、別の意味で、

 

        「おおーっ」

 

と思ったらしく、慌ててメッセージを送ってきてくれたようなのです。(笑)

 

さすがに 「ママ、これ知ってるよ!」 と思わず子供に言いそうになったらしいのですが、それは何とか堪(こら)えたとか。(苦笑)

 

番組自体は、動画配信などにはあがっていないようですが、元ネタはこの辺りでしょうか?

 

 

厳密に言うと、最後の纏め方の部分が違うと言えば違いますが、しかし、纏め方自体は同じです。
 

***

 

さっそく、緊縛関連であるかないか調べてみましたが、こちらの 「裸心縛(らしんばく)」 さんホームページの 「扱い方」 で、2番目に紹介されている纏め方です。

 

しかし、「8の字巻き」 と言うんですねw

自分もさすがに 「8の字巻き」 という巻き方の呼称までは、知りませんでした。(^^)/

2017/07/10

SM におけるリスク回避について(2)

 

前回の記事 「SM におけるリスク回避について」 では、緊縛事故の回避を中心に説明しましたが、SM におけるリスク回避は、こればかりでは足りません。

SM においては、責める技術もさることながら、イザと言うときの対応こそが大切なのです。

プレイで、どんなに強がり、吠えていたとしても、いざアクシデントに直面したときに、他人のせいにして、自分はさっさと尻尾を巻いて逃げてしまうようなヘタレ男には、女性は怖くて自分の身を委ねられません。

 

緊縛に限らず、特に気をつける必要があるのが、「呼吸」 です。

かなり古いツイートではありますが、やはり、これが一番 「言(い)いえて妙(みょう)」 でしょう。

 

 

1.過呼吸

 

過呼吸を起こすのは、もともと 「パニック障害」 などを起こしやすい人である場合もありますが、そうでなくても、極度の緊張や興奮といったストレスで引き起こされる場合があります。

では、放っておくとどうなるか?自分は放置した経験はありませんが、まあ、失神するのがオチです。

「受け手」 が過呼吸になった経験は何度かあります。

過呼吸の 「ハッハッ」 を興奮の 「ハアハア」 と勘違いし、放っておいたあげく、女を失神させたと喜んでいる男がいたとしたら、あまりにも痛くて、苦笑せざるを得ません。(笑)

「縛り手」 であれ 「責め手」 であれ、相手の自由を奪い、「受け手」 は全てを委ねているわけですから、夏樹嬢の言うとおり、「縛り手」 や 「責め手」 が戻してあげなければいけません。

彼女の言っていることは正論です。

 

過呼吸で怖いのは、それに気付かないまま、「受け手」 が 「失神」 したり 「卒倒」 してしまうことです。 

立っている状態であれば、全く受身が効かないまま、倒れることになりますので、頭部や顔面その他に大きな怪我を負いかねないということ。

また、失神すると、自分で意識的に体勢を維持出来ませんので、気が付かないまま、首を圧迫していたり、呼吸が困難な状況におかれたりする場合があり得るということです。

 

ちなみに、「受け手」 が過呼吸を起こし始めた場合。自分で抑えられるか、しばらくは様子を見ていますが、呼吸がエスカレートしていく場合は、しっかりと 「受け手」 の身体を支えるか、あるいは、安全な体勢にして、相手の口と鼻を片手で同時に覆(おお)います。

傍(はた)から見ると、縛られた女性の背後から、片手で喉(のど)を掴み、もう一方の手で、口と鼻を押さえてるように見えるので、「なんて、サディスティックなやつだ!」 と思われるかも知れませんが、口と鼻に関しては、手を被(かぶ)せている程度で、そんなに呼吸できないほど、強く押さえているわけではありません。

背後に立つのは、女性を完全に受けれるのと、女性が安心するためですが、吐瀉物(としゃぶつ)があったり、むせたりする場合は、前傾姿勢を取らせる必要があります。

 

2.失神

 

これも何度か経験していますが、失神の場合は、過呼吸のような前段の症状が見られないので、厄介です。大切なことは、まず転倒による怪我を防ぐこと。続いて、縄や手枷・足枷(あしかせ)・口枷の類は全て外(はず)すと同時に、気道を確保し、脈と呼吸の有無を確認します。口の中に異物がある場合には、それを取り除きます。口から泡(あぶく)を吹いている場合は、唾液(だえき)ですので、全部垂(た)らし流して、気道を確保します。

ほとんどの場合は、普通の 「失神」 ですので、脈も呼吸もあります。その場合は、「受け手」 を座らせて、背中に自分の膝(ひざ)を当てて、両肩を手前に引くようにして 「活」 を入れると、大抵の場合は、回復します。

しかし、活を入れても意識が戻らない場合や、それ以前に身体に硬直等が見られるときは、頭部の打撲や持病の可能性があるので、脈や呼吸がない場合も同様ですが、即、救急車を呼びます。

 

本来であれば、無呼吸時の人工呼吸、呼吸・脈拍がない場合の心肺蘇生も身に付けたいところですが、そこまででなくても、「やりすぎでは?」 と考える人は、いざそのような場面に出くわしたときに、どのような行動に出るかを想像してみて下さい。

 

「受け手」 の方は、次第に気が薄れて行き、気が付いたら 「ここは何処?」 の世界ですが、実は大切なのは、本人が気を失っていた間に、相方がどういう行動を取っていたのか・・・なのです。

 

***

 

また、SM におけるリスクを回避するためには、個々の 「責め」 自体や、あるいは、その責めで使用する 「道具」 や 「責め具」 に内在するリスクをきちんと認識することも大事です。

 

3.火事

 

ロウソクを扱う場合、まず、このリスクを忘れ去ってはいけません。多くの事故は、ロウを垂らした後、火をつけた状態で立たせていたはずのロウソクが、何かの弾(はず)みで倒れたり、あるいは、ちょっと横に置いたまま忘れてしまったり、と言うもの。ロウソクを手放した途端、ロウソクのことが、もう頭の片隅から消えてしまっていることで起こっているものです。

あとは多いのが、一人 SM での事故です。拘束された状態でロウソクを垂らされる状況を、自分で作っているときに、何かの拍子(ひょうし)にロウソクが倒れたりして、火災になり、焼死するケースです。

1年ほど前にも、ニュースで、こんなのがありました。

 

「どこどこで何時頃、火事が発生し全焼。火元と見られる部屋からは拘束された状態の焼死体が発見されました。○○署は、その場の状況から事故の線で捜査中・・・」

 

みたいな内容です。この手のニュースは、聞いていて違和感を覚えるのですが、通常であれば、「事故と事件の両面から・・・」 あるいは 「事故と自殺の両面から・・・」 となるはずのところが、「事故の線で・・・」 と特定されてしまっているあたり。

被害者の名誉を考えての表現なのでしょうが、拘束された状態での焼死を事故と断定できるだけの材料が見つかっており、被害者には被虐性向があり、その状況から、変態的な自慰であることが明らかな場合に限定されることでしょう。

もしかしたら本人は、期待している以上の快感を得ることが出来たかも知れませんが、しかし、残された家族は、居(い)た堪(たま)れたもんじゃありません。

ロウソクなどの火を使う 「熱い系」 や、呼吸を制限する 「苦しい系」 が好きな ドM くんは、お金をケチろうなんて思わず、迷わず、SM クラブなり SM サロンに駆け込んで下さい。

 

自分も、ロウソクを使うときは、常にロウソクを手から離す場合は火を消す習慣をつけている他、自分の注意力が散漫になるような状況下では、ロウソクはやらないようにしています。

 

4.感染症

 

アナ☆調教の場合は、浣腸を施した後、洗浄するほか、器具や指を使う場合は、自分の 「利(き)き手(て)」 とは逆の手指を使ったりして、後ろをいじった手で、絶対に前に触れないようにします。

これは、女性の身体の構造上、尿道から膀胱(ぼうこう)までの距離が短く、大腸菌等が膀胱に侵入して膀胱炎を起こしやすいためです。

また、汚れた指で膣をいじれば、通常の膣内は粘液や膣内に常在している乳酸菌によって酸性が保たれていますが、排卵周期などでアルカリ性に偏(かたよ)ると、それだけ雑菌が繁殖しやすくなり、膣炎を起こしやすくなります。

アナ☆プレイに慣れている人達であっても、完全に防ぐことは難しく、このため、アナ☆プレイの好きな人は、処方薬の抗菌剤を常に準備している人もいたりするほどです。

 

ちなみに、アナ☆調教やアナ☆プレイに絡む事故は、感染症などは序の口で、アナ☆プレイの知識や経験のない人に無理やりされたことによって、裂傷を負ったり、腸管を傷付けてしまったりするトラブルもあります。腸は温度にも刺激にも大変敏感な器官であるだけでなく、腸壁から吸収やアレルギー等も考慮する必要がありますので、無知なプレイは命取りになります。

アルコールを浣腸し、急性アルコール中毒を起こして中毒死させてしまった事件などもあります。

「21歳の体内に液体注入して急性中毒死、男に懲役16年 『人としての尊厳を軽視』」
 

5.電動系おもちゃ使用による神経障害

 

これもあまり多くの人は知りませんが、モーターに鉛の錘(おもり)が付いただけの、昔ながらのローターくらいの緩(ゆる)い刺激ならともかく、最近の強い刺激の 「ローター」 や 「電マ」 は、どんどん女性の身体の感度を鈍(にぶ)くするということです。

イキづらい女性にとっては、これらのおもちゃは、手っ取り早く気持ちよくなる手段でもあります。しかし、使いすぎると、普通の刺激ではどんどん、イキづらくしているようなものです。

では、どういう理由でイキづらくなるのか? スッキリと答えている人を見かけないのですが、これは、抹消循環障害や抹消神経障害といった 「振動障害」 です。振動障害とは、チェーンソーやハンドハンマーなど、常時強い振動を受ける工具を使用する職種の人に見られる職業病の一種ですが、これと同じことが、おもちゃの使用部分で起きるわけです。
ですので、強い刺激に慣れていない人に対して用いた場合は、触覚などの知覚の麻痺を起こしたりすることがあります。

男性の中にも、「電マ神話」 的な思い込みのある人を結構見つけますが、刺激が強ければ強いほど良いというものではありません。女性に言わせれば 「電マ」 で得られる快感は、人で得られる快感とは異質だと言います。
それもそうでしょう。男性だって風俗では、女性との触れ合いが多い行為の方に、多額のお金を支払っているのです。刺激が強いだけで 「満足」 するのであれば、とっくに男性用の 「電マヘルス」 みたいのが林立しているはずです。(苦笑)

軽度な症状であれば、一定期間その刺激を断つことで回復しますが、何度も繰り返しているうちに、人間の身体には耐性が出来てきます。
ちなみに、自分もローターや電マは持ってはいますが、自分が使うのは、おもちゃを使った経験のない人に対しては、背徳的な雰囲気を高める意味で使用したり、あとは、言うことを聞かないワガママな奴隷に対して、「お前みたいなのは、オモチャでイってろ」 的に 「罰」 として使用するのが大半ですが、多様はしません。

女性の身体とは不思議なもんで、一旦スイッチが入ってしまえば、指一本、あるいは、喰い込んだ股縄の擦(こす)れだけでも、イってしまうのです。

 

***

 

SM に対して憧憬(どうけい)の念を抱いている読者には、「興醒(きょうざ)め」 する内容ばかりですが、「縛り手」 「責め手」 と称される S は、常に加虐性欲に突き動かされて、M を貪(むさぼ)っているのではなく、常にこういったリスクを念頭に、冷静に対応しているということ。

逆に言うと、これらのリスクが全く頭の中にない人は、知識も経験もない、自分の 「願望」 を達成したいだけ、もっと簡単に言うと 「やりたい」 だけの 「自称ドS」 に過ぎないということです。

鬼畜あるいはオラオラ的なシチュエーションに萌える ドM 女性もたまに居りますが、それは単なるプレイの趣向に過ぎません。表面的な趣向で相手選びをしていると、痛い思いをしかねません。

 

初心者のみなさんの参考にでもなれば、光栄です。

2017/07/09

SM におけるリスク回避について

縛りで自分が気をつけている部位としては、まずは、①首の骨や②鎖骨(さこつ)、それから③わき腹や④肋骨(ろっこつ)に掛かる負荷。あとは、⑤二の腕部分と⑥手首⑦足首や関節部分、それから、⑧手足の裏側や内側、⑨鼠径部に縄が掛かったり、締まり過ぎないこと。

 

この辺はかなり昔に先輩に習ったり、あとは、経験的に注意している部分ですが、しかし、系統立てて教わったわけではないと言うことと、業者内での反響もあることから、遅ればせながら、アメブロにもブログを書かれていますが、主に 「ツイッター」 で繋がらせて戴いてる 「 ゴールデンリターンズ 氏」 が監修したムック本 「いますぐデキる!縛り方マニュアル【リスク回避編】 @三和出版」 を購入致しました。

 

 

SM 関係の書籍や道具類は、結婚と同時に全て処分してしまいました。

そのとき勤めていた 「会社の独身寮」 の 「新聞雑誌置き場」 にこれらの書籍を置いといたところ、いつの間にか書籍は自然消滅。(苦笑)

今となっては、自称ドSを増殖させるキッカケを作ってしまったかなと、反省したりしております。(笑)

 

中身を読んでみると、結びや留めの名前なんかもきちんと解説されています。

結びは、この本にある 「巴結び」 しか知りませんでしたし、留めについては、名前を知りませんでしたし、「乳房吊り」 は趣味ではありませんので関係ないものの、乳房の危険性については認識できていませんでした。

最近では、もう 「吊り」 はほとんど機会がありませんが、最近?の四点吊りとか、逆さ吊りなんかは、詳しくないので、その辺は大変勉強になりましたし、それ以外の部分も、きちんと注意すべき点とか、配慮することなどが懇切丁寧に書かれているので、緊縛を始めて間もない方だけでなく、ある程度熟練されている方であっても、再点検する意味で読まれても損はないと思っています。

 

あとは、受け手の方にお薦めなのが、ストレッチ系の記述でしょうか。

縛られるときの姿勢なども、初めて縛られる女性の場合は、猫背になって、自分の身を庇(かば)おうとしますので、随時躾けはするものの、準備運動については、自分でするわけでも、相手にわざわざさせるわけでもありませんので、たいへん参考になりました。

 

最近、縄を新調し、運良く 「梁(はり)」 もあって、何年か振りに吊りました。(笑)

但し、「吊り」 に関しては、吊る順序と体重移動、そして最終的には、縄にかかる力の分散とバランスが重要ですし、あとは 「吊り方」 により 「受け手」 が感じる恐怖心は大きく異なりますので、「受け手」 に吊りを慣らしていく順番というものもあります。

ですので、この本に書かれた内容で即、吊れるようになるわけではありません。あくまでも注意点が整理されているものと思って下さい。

 

やはり、一番参考になる部分は、処置方法の部分です。

何か事故が起きたときには、この本に書かれていますが、整形外科の受診が必要です。これは、何のためかと言うと、自分が考えている以上に、ダメージが深刻である場合があるためです。

また、その際には、これは別の症状だろうと勝手に自己判断して、症状を医師に伝えなかったり、嘘を言うのも、いけません。

整形外科であっても、患部をメスで開いて目視するわけでもありませんし、骨に深刻な状態にないかレントゲンや MRI を撮る程度。撮像で異常所見が見られないというのは、それ以下であるという確認・確定をしているに過ぎませんが、これは万が一のリスクを考えてのこと。

実際の治療は、それ以降の身体の稼動範囲などを加味した、医師の鑑別診断によります。

適切な治療を受けるためにも、きちんと信頼のおける医師に、全ての事情や状況を話すことが重要になります。

 

偏見かも知れませんが、一昔前、医大の医局が医学生の進路を采配(さいはい)していた時代は、優秀な生徒は、脳外科や循環器。整形外科や皮膚科は、成績の悪い生徒の行くところでした。

とは言え、しっかりとした医大であれば、やはり、整形外科の先生であろうとも、重篤なものも含め、的確な判断をする医師も多い。

しかし、リハビリともなると、電気をビリビリして、神経の回復と称して 「メチコバール」 を処方されたところで、中身は単なるビタミン剤。それで、筋肉や筋の部分の癒着が回復し、神経麻痺も回復するのであれば苦労しません。

こういった治療には、柔道整復や鍼灸、按摩といった治療が効果を示す場合も少なくありません。

 

ちなみに、緊縛事故の多くは、「吊(つ)り縄」 で起こるそうです。それは、やはり最低でも40kgの体重が、全て縄目に掛かるわけです。一番怖いのは、やはり縄が切れることによる落下や、バランスが崩れた結果、縄に絡んでの締め付け事故なんかです。

では、吊らなければ安心か?と言うと、まあ、亀甲くらいでは問題ありませんが、後ろ手にすると、やはり手首と二の腕は気にしますし、襷(たすき)にする場合などは、鎖骨(さこつ)や首は気にします。

「床縄(とこなわ)」 と言えども、やはり、注意は必要です。

 

過去に、知り合いの女性が、彼氏に 「海老縛り」 をされて首筋を痛めたと言うので、詳しく状況を聞いたことがありましたが、どうやら、胡坐(あぐら)で縛られて、そこから、縄が首に結ばれてたというのです。

「海老縛り」 は、ビジュアル効果を狙って、首に繋がれているように見せたりしますが、胡坐の縄は、実際には、首の脇を通って、胸縄の背中側に繋げます。

首の骨は、横の力に弱いだけでなく、それこそ人の急所中の急所なので、きちんと縛れる人であれば、当然避ける部位です。それだけで、その彼氏が見よう見真似(みまね)で縛っていたということが解ってしまうわけですが、縛った時点では、それなりにテンションを弱めていたとしても、「海老縛り」 のような、不自然な体制で固定する縛りでは、ただでさえ、「受け手」 にも力が入りますし、縛って責めたりする場合は、それ以上の負荷が掛かるわけですが、今回、その彼女は、そうしたストレスの全てを、首の後の部分一点で受けていたことになります。

 

そのカップルは、その後、別れたようです。事前にこの本を読んでいれば、この事故が防げたかどうかは疑問ですが、しかし少しでも、トラブルを未然に防ぐために、この本に書かれていることは、きちんと理解しておくに越したことはないと思います。

 

今まで、こういった切り口の SM 本というのは、ありませんでしたので、縄を志している方は、是非、(以下のリンクから)ご購入されることをお薦めします。(笑)

 

2016/09/26

「奴隷」の心得

SM におけるサディスト(S)とマゾヒスト(M)の関係は、「主従関係」 であり、所謂(いわゆる)通常の 「恋愛関係」 とは違うものであることは、以前にも何度か説明しました。

では、SM における、この 「主従関係」 をどのように説明したら良いのか。実は今までも、何回か説明をしているつもりなのですが、しかし、十分に説明仕切れていません。

今回は、奴隷の心得。M の行動や振る舞いといった視点から説明してみたいと思います。

 

まず、SM における 「主従関係」 の行動的な側面について、出来るだけ自分の中にあるイメージを言葉にしてみたいと思います。主従関係をきちんと理解出来れば、自ずと、奴隷があるべき姿を理解できるはずだからです。

この 「主従関係」 を直観的に例えるとしたら、今現在一番しっくりときている表現は、ダンスの 「パートナー」 みたいな感覚でしょうか。

 

SM と 「ダンス」 は似ている

 

社交ダンスなら社交ダンス、サルサならサルサという 「ダンスの道」 があります。SM の場合は、SM 自体が高尚なものではありませんし、「こうあらねばならない」 という規範的なものがあるわけでもないので、「道」 と呼ぶには、少しおこがましい感があります。

しかし、SM とダンスとは、実に似通っています。どちらも、男女がペアを組み、男女間の愛や喜びそして美を表現することに、何か関わりがあるからでしょうか?

どちらも同じ 「にほひ」 がするのです。(笑)

 

男女関係

ダンスにおける男性パートと女性パートの男女関係も、実に SM と似通っています。

 

踊りにおける男女のペア。もう、踊りにおいては、もう、何年も連れ添ってきており、踊りであれば、これ以上、お互いの呼吸が合う相手はいない申し分のないパートナーである。相手の癖も、手に取るように解かる。

男性も女性も、一緒に踊っている時間が楽しく、踊りそのものを楽しんでいる。

女性のパートナーも、男性パートナーの考え方を十分に尊重している。

男性は、女性のパートナーの呼吸を読み、音楽と踊りの流れを読み、そして、女性パートナーが最高に映えるように踊りをリードする。

女性は、男性のパートナーを十分に信頼しており、身体を預けるときは、躊躇なく身体を相手に預ける。

そして、どちらも、ダンスにおいては、常に前進するための努力は惜しまない。常に新しいことにチャレンジしており、常に張り詰めた緊張感みたいなものを持っている。

勿論、その陰では、人知れぬパートナー同士の苦悩も涙もある。

 

ダンスを SM に言い換えてみても、そのまま当てはまりそうなほど、酷似しています。

 

視線

また、ダンスの最中に意識する 「視線」 というのも、実に似通っています。

例えば、観客が居て、観客に対して 「見せるダンス」 に興じる人達は、「他人からどのように見えるか」 というように 「他人の視線」 を意識します。当然ですが、「見せる」 ために効果的な動き、言わば 「魅せる」 動きを取り入れたりもします。

しかし、基本的な関心や視線は、純粋にパートナーとのダンスを楽しむ人達と同様、お互いのパートナーそして自分達にあります。

 

そして、ダンスにおいては、進む方向を決めたり、進行を決定するのは、リードする男性の役目です。

女性は、男性のリードを信用して、心配したり不安な素振りを一切見せることなく、ただ自身の身をパートナーに委ね、伸び伸びと演技をするわけです。

そういう意味では、女性のパートは、見られている自分を意識することはあっても、自身の関心と視点は、常にダンスをリードする男性にあるのが基本です。

 

ダンスにおいては、「レディーファースト」 であることを理由に、女性が 「メイン」 と思われる方も多いかも知れません。しかし、レディーファーストは、女性が男性のエスコートに委ねるということです。

ダンスにおいても、女性パートは、男性のリードに 「従属」 するのが基本なのです。

 

リードとフォロー

では、「奴隷の心得」 と題しているのに何故、ここまで、SM とダンスとの類似性を説明してきたのかと言うと、ダンスのスピリットとも言える 「リードとフォロー」 を説明したかったからです。

 

ダンスの 「リードとフォロー」 は、「ダンスの感性」 程度にしか理解されなかったりしますが、それでは、踊りを綺麗に誤魔化しているだけ。単に、上辺(うわべ)を取り繕(つくろ)っているに過ぎません。

ダンスにおける 「リードとフォロー」 は、ダンスの技術ひとつひとつを、ひとつにまとめ上げる真髄であり、ペアが一体となるための、エネルギーの根源のようなものです。

スピードが乗り、パワフルでいて、しかし、しっかりとバランスもとれていて 「躍動感(やくどうかん)」 があふれるような踊りは、寸分違わずピタリと呼吸の合った男女の、絶妙な 「リードとフォロー」 があってこそ、生まれます。

 

女性に至っては、そこにはもう、思考はありません。「無心」 です。あるのは音楽と目の前のパートナーだけです。

「リードとフォロー」 は、SM の基本でもありますが、セックスにおいて、頭の中が既に真っ白になっており、何も考えられず、ただ男性のリードに心身を委ねている女性と状況的には全く同じなのです。この情景も、SM と驚くほど一致します。

 

奴隷の意味

 

SM プレイでは一般に、受け手側のことを、「奴隷」、「性奴隷」 や 「愛奴(あいど)」、あるいは、人ではなく、家畜やペット等の動物その他に例えて、「雌豚(めすぶた)」 や 「肉便器」 といった蔑称(べっしょう)で呼んだりするのが慣例ですが、これらは、SM プレイにおいて、「加虐性嗜好者」 側を 「支配者」 に、「被虐性嗜好者」 側を 「奴隷」 に見立てていることに由来します。

当然ながら、「支配者」 と 「奴隷」 との間には、固有の 「主従関係」 が成立しています。

 

奴隷とは

「支配者」 すなわち 「主(ぬし)」 と 「奴隷」 間の実質的な形態は、人それぞれ様々ですが、形式的には、「人格」 や 「人権」 を有しない者(自らの意思で放棄した者)として扱われ、支配者に対する 「絶対服従」 および 「性的な奉仕」 が義務付けられています。

また、支配者には、奴隷に対して懲罰や責め苦を与える 「懲戒権」 あるいは 「懲罰権」 と、奴隷を一方的に解除解約する 「解除権」 が与えられているのが一般的です。

 

「奴隷制時代」 のリアルな 「奴隷」 とは、形態的にも、かなり類似しているように見えるのですが、やはり、一番大きく異なる点としては、奴隷制時代の奴隷は、強制的に使役労働に就(つ)かされているのに対して、SM の奴隷の場合は、「自らの自由意思に基づいて(SM というロールプレイ上の)奴隷を選択している」 ことであり、本人の意に反して拉致監禁されているわけでもなければ、暴行や陵辱を受けているわけではありません。

 

被虐性嗜好者が、自分の意思に基づいて、特定の加虐性嗜好者の支配を受けたい。即ち、その支配者の奴隷となり、支配者の命令には絶対的な服従を誓い、性的な奉仕は勿論、精神的肉体的な責めを与えられても、文句は言いませんと言っているわけです。

もっと砕けた表現で言うとするならば、「わたしを主さまの(愛の)奴隷です。何でも言うことを聞きますので、わたしのことを好きにして下さい!」 と言っているに過ぎません。(笑)

 

しかし、現実としては、何をされても良いというのは稀です。「痛いのは無理!」 という M女 も少なからず居ますし、ガッツリと縄目を付けられては困る M女 も居ます。

M女 に、いくら被虐性向があると言っても、それぞれ、好みの趣向があったりしますし、自分が受け入れられない責めというのもあります。また、家庭生活あるいは社会生活を続けていく上で、特に留意して欲しい事項などもあったりします。

主たる S も、M女に恐怖感を感じさせてしまったり、実生活で問題を引き起こしてしまって、後が続かなくては、元も子もありませんので、SM プレイに際しては、現実的には、こういった事前確認をするのが通例です。

 

SM プレイに際しては、S は、M にとことん配慮します。これは、SM プレイで事故を防止するための鉄則みたいなものです。

吊りを伴わない緊縛であっても、縛る場所と締め付けを間違えると、うっ血したり、神経を痛めたりする場合がありますし、アナル調教にしても、後ろに使ったものを、うっかり前に使った時点で、女性は膀胱炎を起こします。

安全には当然、出来る限りの配慮はします。それは、主の役割でもあります。

 

しかし、たまに勘違いする人がいます。S は、M を甘やかしているわけではありません。

また、「S は、M女 を気持ち良くさせているのだから、M女に奉仕しているわけで、とどのつまり、S は M だ!」 みたいな、訳の分らない論理を平然と口にして、「ドヤ顔」 したりする人も、たまに見かけますが、こういう人は、SM を全く良く理解出来ていません。(笑)

「奉仕」 とは、他の人に自ら尽くし、自らを捧げることです。S は、M女 が良く出来た場合に、ご褒美をあげる以外は、基本は、手の平の上で、M女を転がして楽しんでいるのです。(笑)

 

奴隷に求められる姿勢

では、M 女はこうあるべき、みたいなものはあるのでしょうか。

 

M 女に最低限求められること。それは、SM プレイにおいては、主のことだけを見つめ、主の命令には逆らわないことです。奴隷にとって、主は絶対的な存在であり、主の命令には絶対服従が原則です。

人としての権利も人格をも捨て去っているのですから、プライドを持つことなど、到底許されるものではありません。

そして、主の言い付けを守り、主の命令に従うことでのみ、褒美(ほうび)が与えられる、すなわち、認められる存在なのです。

 

しかし、M 女とは言え、被虐性嗜好があるだけで、それ以外は、何の変哲もない普通の女子です。それぞれ個性もあります。素直な子もいれば、そうではない子も居ますし、控(ひか)えめで遠慮(えんりょ)がちな子も居れば、ワガママな子も居ます。

主と奴隷の関係になったからと言って、いきなり自分の人格を変えれるはずもありませんし、そもそも、SM プレイでは、自分の素(す)が出ますので、演技なんかしている余裕はありません。

出来るとすれば、普段の家庭生活や社会生活の中では押し殺されている、自分の欲求や願望を出せる 「別人格」 みたいなものを作り上げることくらいでしょうか。

 

そういう意味では、最初から、完成された M女、完成された奴隷というものは存在しません。誰もに 「始めて」 があるように、皆、調教を通じて自分の M 性を理解し、調教を受けて一歩一歩、求められる姿に近づいていくのです。

ですので、始めから出来なくても当たり前。しかし、それで開き直っていては 「M女の端(はし)くれ」 としても既に失格。出来ないながらも、自ら目指そうとする意識を持ち、努力することが重要なのです。

 

奴隷のイメージの一例

言葉で説明されても、奴隷のあるべき姿のイメージが良く掴めないという読者の方は、ペットを想像すると良いかも知れません。

 

ペットで、わんこを飼っている人であれば、わんこを見れば、解かるはずです。

ちなみに、躾け(しつけ)に失敗し、我儘(わがまま)で何でもやりたい放題。飼い主の言うことすら聞かず、手の付けようのないわんこや、自分を人間と思い込んでいる面倒なわんこは、失敗例です。(苦笑)

 

わんこは、飼い主が誰であるかを認識しています。そして、常に飼い主に注意を払っています。そして、自分の飼い主のことを常に気に留めています。

動物にもプライドがあるのかどうかは解かりませんが、自分を最下位の序列に置いているわんこであれば、家族に対して問題行動を取ることもなく、適切に振る舞います。

飼い主の命令に忠実かどうかは、調教の進捗の程度によりますが、上手く行けばご褒美がもらえますし、してはいけないことをしたら、叱(しか)られます。

 

ドッグランで、飼い主の指示に忠実に駆け抜けるわんこは誉められます。また、飼い主が忙しいときに、大人しく自分でひとり遊びをしてるわんこも、誉められますが、自分遊びに夢中になる余りに、飼い主の声にも気付かず、糸の切れた凧(たこ)状態になって走り回るわんこは叱られます。

 

奴隷に求められる用件

奴隷に求められている用件は、前述したとおりですが、再度整理してみると次のようになります:

① 主を絶対的な存在として認識し、主の命令に対して絶対的に服従すること

② 自らの人権や人格を自らの意思により放棄し、人としての尊厳のない奴隷、家畜、もしくは、これ等と同等の存在として、主に(性的に)奉仕すること

③ 主の命令に反したとき、ならびに、主が望む場合、いつでも、主による処罰を許容すること

④ 自らの意思では、主の元を離れ(られ)ないこと

 

こうやって、改めて眺めてみても、やはり 「性奴隷」 以外のナニモノでもなく、思わず 「鬼畜」 的な印象を受けてしまいます。(笑)

本来は、ここに前提条件として、「主と奴隷の双方が、良質かつ濃厚な SM プレイを希望しており、その目的を実現するために、奴隷は・・・」 という言葉が隠されています。

英文契約であれば、whereas で続く前提条件です。「海外の SM」 と 「日本の SM」 の差異については、機会があれば、また別途ご紹介したいと思いますが、では、何故隠しているのか?

 

ひとつは、「建前と本音」 ではありませんが、全てを書いてしまうと、SM の鬼畜感というか、オドロオドロしさが途端に薄れてしまい、健全になってしまうからでしょう。

SM は、加虐性嗜好者と被虐性嗜好者という、ある意味、変態同士の特殊な性的交遊ですので、健全化されてしまうと、SM そのものが持つ 「禁断の雰囲気」 が壊されてしまうこと。

しかし、一番の理由としては、やはり、M女には、「コスプレ」 のようなロールプレイ的な 「遊び」 としてではなく、切実なものとして受け止め、真剣に取り組んで貰いたいという思いが隠されているように思います。

 

SM が志向するもの

 

「高尚な心理学者」 からすれば、「SM」 とは、単なる 「加虐性嗜好者たる S と、被虐性嗜好者たる M によるロールプレイ」 と理解しているのかも知れません。

しかし、SM を愛好する者達は、SM を 「コスプレ」 のような 「単なるロールプレイ」 とは認識しておらず、常軌を逸しない範囲で、真剣に 「切った張った」 の 「心理戦」 を繰り広げているのです。

「表と裏」 に 「善と悪」 そして 「天使と悪魔」 の間で人の気持ちが揺らぎあい、そんな中、お互いが無意識の中で目指しているもの。それは、M の場合は、支配者に対する 「絶対的な信頼と服従」 によって導かれる 「自らのエゴからの解放」 と、それゆえに得られる、強烈なほどの 「性的快感」 と 「満足感」 と言ったところでしょうか。

S の場合は、奴隷を支配することによる 「自らのエゴの実現」 です。奴隷の支配自体は、目的でもあり手段でもありますが、最終的には、支配欲求と加虐性欲を満たしつつ、得られる 「性的快感」 と 「満足感」 ですが、これらはいずれも、個人レベルでのお話です。

 

では、これら S と M の異常な番い(つがい)同士は、何を求めているのか。

結局のところは、個々の個人を超えたところにある 「一体感」 であるように思っています。

ダンスで言うところの、絶妙なリードとフォローで、呼吸がピッタリと合い、スピードに乗り、パワフルでいて、安定感のある躍動感(やくどうかん)溢(あふ)れる踊りです。

 

ダンスの真髄であり精神性が、「リードとフォロー」 にあるのだとしたら、SM の真髄であり精神性も、リード役である S とフォロー役である M の 「責めと受け」 にあると言えましょう。

人権や人格といった社会通念や、自分を守るための権利意識やプライドといったものから、エゴや嫉妬といった感情的なものまで、何もかもを捨て去って、主に自身の身も心も全てを委ねる。緊張を以って、無心で主の責めの全てを受け止めるわけです。

女性のオーガズムは、緊張と弛緩(しかん)の繰り返し動作です。ドキドキから始まって身体が緊張し、緊張がピークを迎えイクと、女性は緊張から解放されて弛緩した状態となります。

 

「責めと受け」 は、主と奴隷の二人の 「掛け合い」 です。

M は、単に S の責めに身を委ねていれば良いわけではありません。責めを受け止める、つまり、何らかのリアクションを返す必要があるのです。

そして、「ボケ」 と 「ツッコミ」 ではありませんが、お互いが相手を理解し、S は M が持つスイッチを入れ、M は S が持つスイッチを入れ合うことが出来て初めて、ラリーとなるのです。

 

そして、このような状況下において、果たして M 女に、頭で考えている余裕はあるでしょうか?(笑)

そんな余裕はある筈がないからこそ、奴隷に求められる用件は、本人も意識する必要がありますし、普段から調教を通して、繰り返し仕込んで行く必要があるのです。

2016/04/07

言葉責め(3)

では、「言葉責め」 は具体的に、どうやるのか。

 

良くある例としては、オラオラ系の有名な台詞。「おらおらぁ、この牝豚がぁ~」 みたいなのがあることはありますが、これは、どうなんでしょう?

まあ、「オラオラ系」 大好きっ子なんかだと、”陵辱” でもされている気分にでも、なっちゃうのかも知れませんが、まあ、こういうのが好きな人達は、それはそれで構いません。苦笑

 

しかし、SM を実践している人達から見ると、どうしても違和感を覚えずにはいられません。

どうして、違和感を感じるのか? 何が問題なのか?

実を言うと今迄、そんな理由を考えてみたことは、一度もなかったのですが、自分なりに至った結論としては、オラオラ系は、そのスタイルが 「威圧系」 に限定されてしまってるということ。要は、「押し」 のスタイル以外にしっくりとくるものが見当たらないのです。

これでは、単調になり、飽きられやすいばかりでなく、「揺さぶり」 すらかけづらい。

 

「言葉責め」 は、何も ”威圧的” なものばかりではありません。

「言葉責め」 で大事なのは、「飴」 と 「鞭」 の使い分けによる 「ギャップ」 と、「揺さぶり」 です。

 

囲い込んで、逃げ場を無くして、追い詰めて 「おらおらっ」 も ”悪い” とは言いませんが、しかし、そればっかりでは、あまりにも芸がありません。(苦笑)

 

「言葉責め」 は、SM プレイにおける 「二人の世界」 の BGM のようなもの。

 

「責め手」 のキャラクタは、当然 「言葉」 にも表れます。と言うよりは、言葉にこそ、最も色濃く表れると言っても過言ではありません。

 

では、実際のところ、「言葉」 でどうやって責めるのか?

今回のコラムでは、その辺を説明していきたいと思います。

 

 

言葉での責め方

 

(1) 「受け手」 の感情に直接働きかける

 

「言葉責め」 では、人間の五感である 視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚、そのうちのひとつである聴覚を介して、耳から 「受け手」 の感情に訴えかけます。感情とは、喜怒哀楽の類のもの。

あくまでも感情や情動に訴えかける。理性を眠らせるのも言葉。

SM に使われる道具の類に、視覚的な効果もあるのだとしたら、バラ鞭の 「パシ~ン」 って音もそうかも知れないけど、「言葉責め」 は SM には不可欠な BGM 。

 

「言葉責め」 は、”言葉” とは言うものの、言葉にならない類のもの。例えば、嘲笑の笑い声や、息遣いなどから、声の高さや声の質、抑揚など、言葉ではないノンバーバル(非言語的)な要素も多々入ってきます。

言葉も大事ですが、それ以上に大事なのは 「気迫」 とか 「雰囲気」 です。

 

(2) 「責め」 の方向性を意識する

 

SM における主従関係もそうですが、一般の恋愛関係でもある意味同じ。

主従愛であれ、一般の恋愛であれ、「愛」 を育(はぐく)むためには、まずは最低限、以下の条件が満たされてなければなりません。

 

① 相手が、自分を 「信用」 し、「信頼」 ていること。

② 自分に対して、何らかの 「敬意」 を持っている、あるいは、自分を 「尊重」 してくれていること。

③ そして、自分に対して、相手が 「好意」 を持っていること。

 

これが双方向で成立して、始めて 「恋愛」 となるわけです。

程度問題はありますが、多分、どれが欠落していても、十分な 「満足」 とは程遠い。

もし、そこに不足が見られるのであれば、それを補わせるのは 「言葉」 。

そして相手に 「感謝」 の気持ちを伝えるのも 「言葉」 です。

 

① の 「信用」 や 「信頼」 も ② の 「敬意」 や 「尊重」 も、そして ③ の 「好意」 も、どれも一方的なものです。

しかし、① や ② は、「愛」 を支える基本的な構成要素であるのに対して、③ の 「好意」 は、その裏に 「期待」 や 「欲」 を孕(はら)んでる場合もあるので要注意。場合によっては、かなり ”扱い” が 「厄介」 な代物(しろもの)です。

 

「期待」 にも 「良い期待」 と 「悪い期待」 があります。「期待はゼロ」 でもいけませんが、「過剰な期待」 もいけません。

それは、一般の恋愛や結婚生活に限らず、”通常の人間関係” においてもそう。

トラブルを引き起こすのは、必ずと言っていいほど、この 「好意」 の陰に隠れた 「期待」 の部分です。

 

これは SM においても当て嵌(は)まります。SM では基本、① と ② は不足しないように補いつつ、③ については、責め手である 「S」 が 受け手である 「M」 をコントロールします。

それは 「言葉責め」 でも同じ。

この 「方向性」 を間違えると、「頓珍漢(とんちんかん)」 なプレイになってしまいます。白けてしまう程度なら良いのですが、しかし、あまり度を重なると、お互いの関係を壊してしまい兼ねませんので注意が必要です。

 

(3) 「受け手」 の 「性向」 を意識する

 

「言葉責め」 で相手を責めるとは言っても、ただ 「やみ雲」 に暴言を吐いて、罵(ののし)れば良いというわけではありません。

まずは、本人の特性を意識する必要があります。特に SM においては、「相手の性向を意識する」 ことは大変重要です。

相手がマゾヒスト(被虐的性向者)であるならば、「どのような責めにに反応するのか?」 もっと言えば、「どのような責めに対して、性的な興奮を覚えるのか?」 ということです。

屈辱に耐える状態、あるいは、羞恥をくすぐられる状況が居た堪れない(いたたまれない)のか。

「言葉責め」 も、その後、”スパンキング” や ”鞭打ち”、”ロウソク責め” といったプレイに繋げるためのものなのか、それとも 「躾け」 の一環なのか、あるいは、単に焦らしているのか、によっても変わって来ます。

痛い責めの好きな ドM にとっては、「スパンキング」 は ”ご褒美(飴)” ですが、そうでない ドM にとっては、「スパンキング」 は ”お仕置き(鞭)” なわけです。

 

”羞恥心” の塊みたいな子であるからと言って、”屈辱” のスイッチも耐性もない子に対して、そこを直球で責めたりしたら、性的に高まるどころか、逆効果以外のナニモノでもありません。

そういう場合は、例えば、その女性の ”見栄っぱり” なところを叩きたいみたいな 「躾けの一環」 なのか、むしろ、コンプレックスの核心部分を直接弄(いじ)ることによって、自分の優位性を確保し、相手の信用なり敬意を得ようとしたり、あるいは、コンプレックスを解消する方向に誘導しようとしているのか、何かしらの 「思惑」 が必要となります。

そういう場合は、必ず、「鞭」 の後の 「飴」 を用意しなければならない。

 

罵るからには、それを相手にきちんと理解させることも重要です。

子供ではありませんが、今どういう状況にあるかを本人にきちんと認識させ、本人にそれを自覚させ、納得させる。

 

自分の場合は、

 

「この、メス豚がぁぁ~」

 

みたいに相手を罵(ののし)ったりはしませんが(笑)、しかし、そう罵る以上は、相手の容姿を責めている(問題視している)のか、食欲を責めているのか、はたまた貪欲なところを責めているのか。要は、「何故、メス豚なのか」 を、相手に解かりやすい形で、説明出来ないといけません。

 

相手の持つ 「知性」 に対してではなくて、「感情」 にアプローチする以上、理屈っぽすぎてもいけません。

しかし、敬意を払うに足る最低限の 「論理性」 や 「説得性」 は必要ですし、「詭弁(きべん)」、あるいは、「レトリック」 といった 「論理の飛躍」 が必要になる場合があります。

 

責めるだけ、責めてあとどうするのか?

やりっぱなしではダメなわけです。

必要とされているのは、「話術」 であり、「コミュニケーション能力」 。

 

言葉責めが 「馬鹿では出来ない」 と言われる所以(ゆえん)は、相手によって反応が違うということもありますが、少なくとも、相手の反論や反応に対して、適格に答えを返すことも重要です。

 

「言葉責め」 で重要なのは、相手を 「尊重」 し 「期待」 こ答えること。最低でも相手の自分に対する 「信用」 や 「期待」 は裏切らないようにすること。

「言葉責め」 をする前と後で、自分に対する 「信用」・「信頼」 や 「敬意」 は高まり、「好意」 については自分が望んでいる方向に誘導出来ていなければ、意味がありません。

 

(4) 「受け手」 の五感に訴え、相手の五感を制する

 

言葉は、「受け手」 の耳から入って、相手の 「脳」 に直接訴えかけます。以前のコラムにも書きましたが、口は 「諸刃の剣」 であり、「両刃の刃」。人を活かしも殺しもします。

しかし、そればかりではありません。SM のように相手の自由を束縛し、「受け手」 の自由が 「責め手」 によって完全に掌握されている状況下においては、相手の五感に訴えかけることも可能です。

五感のスイッチ。これも、オン・オフの切り替えは、言葉です。

 

① 聴覚に集中させる

 

「何、この音?すごいね。もう、こんなにいやらしい音をたてちゃって・・・」

 

そう囁(ささや)くだけで、神経は聴覚に集中します。

特に、アイマスクを付けて、視覚が遮(さえぎ)られていたりすると、「触覚」 もそうですが、「聴覚」 などは逆に、鋭敏に研ぎ澄まされるもの。

耳元で、耳にわざと吐息をあてながら、「ぼそっ」 と囁(ささや)く言葉も、効果は絶大です。

 

「ほらっ、聞こえる? この音。ほらっ!」

 

独り言を言っているような呟(つぶや)きでもいい。嘲笑でもいい。相手の反応を引き出すような会話を投げかけて、追い込んでみるのも楽しいものです。

 

② 視覚に集中させる

 

アイマスクを付けておらず、視覚が遮られていなかったとしても、「見えてる」 のと、「見る」 のは違います。

 

「うわぁ~、こんなになってる。ほらっ、見てごらん!」

 

この一言で、「見えてる」 という状態から、「見る」 という行為に変わります。こんな具合に言葉を使って、相手の視覚スイッチを操作することも出来るのです。

 

 

大切なこと

 

ここまで書いて多分、十分に納得してくれている人と、全然理解してくれていない人がいると思います。

SM を経験していない人にとっては、実感できない世界。「心理学」 が解からなければ、一般の人には納得できない世界かも知れません。

 

SM は 「催眠術」 ではありません。しかし、女性が気持ち良くなるための 「技術」 や 「仕掛け」 そして、心理学的要素が満載の世界です。

それゆえに、本来は、それを悪用してはいけない世界。

 

そもそも、SM なんて、「真っ当な人」 のやることではありません。

「緊縛師(縄師)」 にしても、「彫師」 にしても、アンダーグラウンドなもの。

サブカルチャーの世界では、名が馳せていようと、世間的には、所詮 「日陰者」 に過ぎません。

しかし、そういう 「酸(す)いも甘い」 も解かってる人だからこそ、心の底には、「人の移(うつ)ろいやすさ」 や 「人の弱さ」 を包み込む 「愛」 がある。 はず・・・。

 

自分は、そう認識しています。

 

とは言うものの、いろいろな人が、それぞれの認識で、SM に関わっているのも事実。

 

大切なのは、SM の 「技術」 でも、そこに隠れる 「心理学」 でもなく、ハートです。

SM は 「愛の表現」 であるということ。

そこがあっての 「方法論」 です。

「相手の気持ち」 を察する能力がない人には、”無理な世界” です。

 

つい最近、朝霞市在住の少女が、2年間もの間、千葉大生に拉致監禁されていた事件。

今の時点では容疑者ですが、しかし自白内容その他を鑑(かんが)みて、この犯人が責められるのは至極当然の成り行きです。

しかし、その裏に居る ”予備軍の多さ” には辟易(へきえい)するところがあります。

ひとつを ”例” にとるならば、「少女は何故逃げなかったか?」 という ”某マスコミの問い” に「違和感」 を全く感じていない人達。

 

某 SNS でも 「残念な人達」 は山のように居ますが、その 「鈍(にぶ)さ」 には呆(あき)れるばかり。(><)

 

そういう人には、「受け手」 の 「責め手」 に対する 「信用」 と 「信頼」。そして、「受け手」 の 「責め手」 に対する 「敬意」 の必要性がわからない筈です。

口では、

 

「お前に人格はない!」

 

と言いつつ、「受け手」 の 「人となり」 を十分と意識し、「尊重」 しているのが SM なのです。