2ntブログ
2015/12/31

男と女、欲情のスイッチの入り方の違い

男は良く、視覚で欲情すると言われます。

巷(ちまた)に溢れる(あふれる)エロ本にアダルトビデオも、その多くは男性向けですし、彼女のデートしているときでも、目は無意識のうちに他の女性を追いかけていたりします。

「今、わたしとデートしてるのに!!」

自分と比べてさほどでもない女性に視線を向ける 「男性」 に不愉快な経験をした女性も、少なくないかも知れません。

溜まってたりすると、視覚で認識し、多少 「好み」 であったりすると、もうそれだけで、相手かまわず、ところ構わず、スイッチが入ってしまい、「臨戦モード」 に突入してしまうのも、男性の悲しい性(さが)ですし、エレベータや階段その他で女性のスカートの中を盗撮して、「画像」 を残そうとするのも、決まって男性です。

視覚で認識し、即行動に起こそうとするのは、太古の昔の 「狩猟本能」 の名残(なごり)かも知れません。
盗撮をして捕まってる男性も、もしかしたら、その女性を 「獲物」 と認識して、行動していたに相違ありません。

視覚に続いて多いのが嗅覚。味覚が鋭敏なひとに多く見られますが、香水で 「女性」 を強く意識してしまう男性も少なくありません。
視覚・嗅覚のいずれの場合であっても、フェチが入ってる男性の場合は、そこの部分を強調するのがポイントです。


これに対して、女性の場合は、自分が惹かれる相手とイチャイチャすることで、欲情します。
女性は、良くセックスの相手として
 
「好きなひと以外無理~!」

みたいな発言をしますが、この 「好きなひと」 とは、”心を許したひと” の意味。
寝ても冷めても、胸がときめくような熱愛みたいに、「心がガッツリ」 入ってしまっている場合は、女性であっても、スイッチはオンの状態で 「臨戦モード」 に突入してしまったりしますが、そういう場合ばかりでなく、好意がある場合や好感を持っている場合も、この 「好きなひと」 に含まれてしまうのが面白いところです。

では、好意や好感をもっただけで欲情するかというと、そうではないのが 「女ごころ」。
自分からベッドインを望んでる場合であっても、不安や恐怖を感じると ”心を許したひと” から除外されてしまうのです。
それは結婚してるはずの 「旦那さん」 であっても同じ。

女性のスイッチを入れるためには、相手の不安を払拭し、楽しい雰囲気やエロティックな雰囲気、あるいは、ロマンティックな雰囲気に持って行く必要があるんです。
それに一番手っ取り早いのが 「イチャイチャ」 すること。

心さえ通っていれば 「何気のない会話」 でも、他愛のない 「触れ合い」 でもいいんです。
そして、相手を焦らすくらい執拗に 「前戯」 をしてあげること。
女性でも、もう抱かれることを待ち焦がれるほどに意識している場合は、イチャイチャも前戯も不要なほどになっています。


始めて女性をエスコートするような場合は、女性も期待半分、不安半分です。
女性の緊張を緩めて、二人の時間を楽しく有意義にするためにも、男女の欲情スイッチの入り方に違いを十分意識する必要があります。
男の方は、もうすでに 「やりたいモード」 の絶頂にあるのかも知れませんが、それは男の勝手。女性の方は、まだ不安に感じてる場合も少なくありません。
「密室に入ったとたん豹変して女性を襲ってしまう・・・」 みたいな行為は、女性の不安を払拭するどころか、女性の恐怖心を引き起こす可能性があるので、はっきり言ってタブーです。

ベッドインして、ちょこちょこっと申し訳なさそうに前戯して、すぐ挿入も失格。
耐久時間やそれ以降の展開にも寄りますが、下手をすると二度目はありません(苦笑)

せっかくの前戯も、おざなりだったり、まるで理科の実験みたいなやりとりは、女性の高まった気持ちを萎えさせます(笑)
警戒心を持ってる男性には、女性も警戒心を解きません。
女性のエロを引き出すには、まず自分がエロくなること(笑)

女性は、多くの男性の中から 「自分の一番」 を見つけて、独占したがる生き物です。
これは、太古の昔から、出産は女性の身体に多大な負荷が掛かり、危険度も高く、また出産後の子育ても手間が掛かることなどから、無意識のうちに男性に対する 「独占欲求」 が育まれてきたのかもしれません。
だからこそ、その女性と特別に楽しい時間を過ごしたい場合には、他の女性のことには一切言及せず、その女性だけを見つめて、特別扱いをしてあげること。

男性は、「自分もそうだから、相手もそうだろう・・・」 みたいに考えがちですが、男と女の性は全く違うことを意識してください。
ちょっとしたレディファースト的な 「さりげない配慮」 も、女性の好感を高めます。
2015/12/31

S と M は 医者と患者の関係

S は、SM のことを熟知しており、M を快楽の道に導くところから、S と M の関係は、医者と患者の関係に近いと感じてます。しかし、外形以外にも実に面白い類似点があります。

医者は、基本、患者の痛みを知りません。
教科書で学び訓練を通して、その痛みを理解してはいますが、その病気になって、実際にその症状を経験しているわけではありません。

これと同じことが、SM にも言えます。
S は、M の反応や M から発せられた言葉によって、M が感じてる苦痛と快感を理解はしますが、S 自体はその快感を経験してるわけではないのです。

医者は、患者の話を聞いたり身体を診たりして、その苦痛の程度を知り、原因を考え、そして治療を施しますが、SM もこれとまったく同じです。
はじめての相手の場合は、相手に不安や恐怖心を与えないように注意しながら、何処にそのひとの M のスイッチがあるかを丹念に調べます。
スイッチの入り方や感じ方も快感の度合いも、人によってさまざまなので、この辺は、もう経験則としか言いようがありませんが、そこから、責める順序や責め方を組み立てていきます。
相手の熟練度や期待度によっても責め方は変わりますし、M の裏に隠れているものが何かや、SM に求めているものが何かによっても異なってきます。

M には、「痛い系」 や 「苦しい系(我慢系)」 そして 「恥ずかしい系」 がありますが、それに加えて、スイッチのある・なしもありますし、スイッチがあっても壊れてて、上手く作動しないみたいなものもあります。
こういう部分は通常は、実際に刺激を与えてみて、本人の反応を診たりしますが、その場でプレイの最中に本人に確認したりする場合もありますし、一服して普通の会話をしているときに、話を聞き出したりする場合もあります。
また、プレイの内容を 「調教日誌」 みたいな形で、調教相手に書かせたりするのも、ひとつには、本人が受けたインパクトや感じ方といった感覚を知りたい・・・という理由があるためです。

M の内容や程度は、人によってさまざまです。
しかし、スイッチのある・なしは、本人には如何ともし難いもの。それに対して、個人的な 「好み」 はそれぞれですが、S の場合は経験によって、扱えるキャパや範囲を広げることは十分可能です。
大事なのは、「患者を治してあげたい」 という医者の気持ちと同じように、「M をとことん気持ち良くさせたい」 という気持ち。

世の中には、いろいろな医者がいますが、「良い医者」 と呼ばれるためには、適切かつ的確に病気を治す実績もさることながら、適切かつ良好な患者との接し方が求められます。
口数は少ないものの、ちょっとした兆候を見落とさない医者もいますし、患者との会話の中で信頼感を醸成していく医者もいます。
かと思えば、患者を人とも思ってないような医者や高慢なだけの医者、手抜きで誤魔化してしまうような医者などもいます。

SM と 「医者と患者の関係」。
やっぱり似ています。

2015/12/30

信用と信頼

SM では M は拘束など自由を奪われますので、S に対しては、通常の恋愛行為におけるプレイ以上に 「信用」 と 「信頼」 が求められます。

「信用」 とは、そのひとの社会的信用というよりは、人間性。

プレイの間は、かなりの時間拘束されたりしていますし、ハードなプレイとなると、ちょっとしたアクシデントなどは生じる可能性もあるわけですから、そういったトラブルの際に、女性を放置して、さっさとひとりで逃げてしまうようなヘタレでは困るわけです。
M からすれば S に対しては、精神的にも、M をしっかり、正面から受け止めるだけの度量を求めるでしょうが、そればかりではなく、二人の関係から派生するさまざまな問題に対しても、逃げないで対応することが求められるわけです。

お互いに関係が良好な場合は良いのですが、SM に限らず、男女関係は必ずしも全てにおいて順風満帆というわけにはいきません。
関係が悪化したり、拗(こじ)れたからと言って、あるいは、自分の思うとおりにいかないからと言って、相手を脅迫したり、リベンジポルノあるいは性癖を言いふらすなどの仕返しをしたりするような、幼稚な人間でも困るわけです。

平気で嘘をつける人間の場合は、その嘘に翻弄されることになります。心を弄(もてあそ)ばれてしまっても溜まりませんし、場合によっては利用される危険性も生じます。
どちらか一方が既婚者の場合は、やはり 「大人の恋愛」 として、どちらも、「家庭を巻き込まないこと」 が鉄則ですが、心を弄ばれた結果、家族に関係が露見したり、家庭に悪い影響がでるような関係は、けっして良い関係とは言えません。

そういった懸念や不安を払拭できるかどうか。それが 「信用」 です。

もうひとつの 「信頼」 とは、技術の習熟度や経験に対する信頼です。
まずは、行為の危険性をきちんと熟知しているか。また何らかのリスクがある場合は、事故を未然に防ぐために何らかの予防措置を講じたり、実際に何らかのアクシデントに直面したときには、適切な対処が取れるかどうか。

ソフト SM の場合は、そんなに危険ではありませんが、緊縛では、うっ血しないよう気をつける必要がありますし、M の女性がジタバタと暴れる傾向にある場合は、縛る部位や位置を間違えると、筋を違えたりします。
また吊り(つり)などは、支えるバランスの取り方と体重の移動がなかなか難しい上に、身体のバランスを崩しただけで、簡単に脱臼や骨折を引き起こしたりするので、初心者に限らず、自己流で簡単に手をだすべきではありません。

自分のかわいい愛奴に怪我をさせてしまっては、元も子もありません。
愛奴が許容できる範囲を的確に見極めると共に、危険性を十分認識し、出来ないことを出来ると言わず、中途半端に試みようとしない謙虚な姿勢も、事故を防ぐ上で大変重要です。

SM の場合は、「信用」 と 「信頼」 のどちらかが欠けても、問題です。

2015/12/30

SM は必ずしも痛くない

SM というと巷(ちまた)では 「にしおかすみこ」 みたいに、黒いエナメルの衣装を着て、バラ鞭(むち)とロウソク・・・みたいな女王様のイメージが定着しているためか、「痛いのが無理!」 という理由で、SM を否定するひとをたまに見かけます。
性的な嗜好ですので、無理に SM を勧めるつもりは全くないのですが、「SM は痛いもの」 という間違ったイメージが定着してしまうのも、SM 愛好者としてはこころよくありません。

SM バーなどに頻繁に出入りしてるわけではないので、あまり偉そうなことは言えませんが、もし仮に、そのような、黒いエナメル衣装に鞭やロウソクといったイメージ通りの女王様がいて、鞭を 「パ~ン!」 とすごい音で鳴らしていたとしても、それは 「営業行為」 だと思ってあげて下さい(笑)

中には、常連と認められるためには、ママ(女王様)の鞭を受けた経験の有無が問われるようなところもあるでしょうが、基本的に SM は、相手が不快に思ったり、嫌うプレイはしないのが原則です。
SM の責めには、「痛い系」 もあれば、「苦しい系(我慢系)」 そして 「恥ずかしい系」 などがありますが、そのスイッチが M の女性に備わっているか。そして、それが快楽にリンクしてるかどうかは、ひとそれぞれです。

そのひとが、快楽に転嫁できる苦痛的な刺激を与えるのが SM であり、単に苦しかったり痛いみたいな苦痛を与えるリンチや拷問とは違います。
SM は洋の東西を問わず、他の人に強要されるものではありません。本人の意志で、本人が希望して行われる行為です。
だから、M の女性でも、叩かれることを好む子もいれば、「痛い系は無理!」 と拒絶する子もいます。

当然ではありますが、DV (ドメスティックバイオレンス) も、相手に暴力を働いて何らかを強要したり、脅迫する行為ですから、SM 行為でないことは明らかです。
2015/12/30

自称ドSくん の間違ったアプローチ

自称ドS のひとに良くある典型的な傾向のひとつに、「強がり」 みたいな示威行為があげられます。
良くある 「オラオラ系」 にも言えることですが、そもそも、自分の弱点なんかを常に晒してでもいない限り、自分を常に強く見せる必要はないんです。
そこには、「他人に舐められたくない」 とか、「実際より強く(大きく)見せたい」 という意識が働いています。

このような自称 ドS のひとは、M の女性を見つけると、思わず 「俺はドSだぞ!」 みたいな勢いで 「求愛」 に走りがちです。
ちょっと前なら、いきなり 「壁ドン!」 みたいな感じです。

でも良く考えてみて下さい。
その相手は、M のスイッチが入ってますか?
自分は既に M の女性を見つけた時点で S のスイッチが入ってしまっているかも知れませんが、それはあなたの勝手。
あなたの S のスイッチが入ってるからといって、必ずしも、相手も同じとは限りません。むしろ、現実はその逆が多いでしょう。

これは、S と M の関係だけでなく、男と女の関係においても同様です。
男は、今すぐにでも、相手の服を脱がして、すでに 「やる気満々」 かも知れませんが、相手の女性はどうですか?
女性は、よほど気分が高まっていない限り、何かにつけ、すぐ行為に移ることを嫌います。
女性の場合は、ムードや雰囲気がとても大事。
こういう場合は、甘い言葉を囁いたりイチャイチャしたりすることで雰囲気を高めて、女性のスイッチを入れてあげる必要があるのですが、きちんと意識していますか?

S と M の関係である以前に、男と女であるわけです。
女だからといって、男なら誰でもいいわけではありません。それと同じように、M だからといって S であるなら誰にでも責められたいわけではないのです。
女であれば、自分が好きな相手に抱いてもらいたいわけです。それと同じで、M の女性は、 「主」 であったり、自分が認めている 「特定の相手」 に責めてもらいたいのです。

SM も特殊ではありますが 「恋愛行為」 なわけです。
しかも、SM の場合は、M の女性は自由を奪われますので、一般のセックスのとき以上に、相手に対する信用と信頼が求められるのです。
M とは言っても、それは特定の刺激が性的な快感に感じるというだけで、それを除けば、ひとりの 「か弱い」 女性です。

路上の下手なナンパよろしく、ガツガツとストレートに 「やらせろ!やらせろ!」 言っても、誰もやらせてくれません(笑)
まずは、相手のことをいろいろと聞きまくる前に、自分を晒すこと。
自分が警戒して、何も自分のことを話さない相手に対しては、当然ですが、女性も警戒します(笑)

ここまで説明すれば、読解力のあるひとは解かってくれると思いますが、M の女性と出会い、そして仲良くなるためには、当たり前なのですが、相手に対する気配りと、最低限のコミュニケーション能力が求められるということです。

2015/12/26

氾濫する自称ドSくん

SM がアングラであることは、今も昔も同じですが、昔から SM を愛好する者として一言。

最近は、「自分は S である」 とか 「自分は M である」 などと、自己評価したり、あるいは、他の人にそう言われるからと鵜呑みにしてる人が結構います。
これは、日本語のボキャブラリが少ないからかも知れませんが、英語では、支配的な意識や欲求を持つ連中は、ドミナント(dominant)、これに対して従順で従属的な人は、サブミッシブ(submissive) と呼んで、加虐嗜好の性愛者であるサディスト(sadist)や、被虐性愛者であるマゾヒスト(masochist)とは区別します。
そのような意味合いが、全て S とか M に吸収されてしまうのは、日本語もしくは日本特有のあいまい性の所以(ゆえん)かも知れません。

以前飲食店を経営していたときに、当時24歳の常連さんが、しきりに 「マスター!俺は ドS です!」 って強調するので、意味がわからず、あるときに、「店を閉めた後なら、店で ドM ちゃん吊るしていいよ」 って言ったことがあります。
実際に吊るしたことは、とうとう一度もなかったのですが、店はモダンな和装で、天井から井桁(いげた)に組んだ丈夫な太い梁(はり)を打ち込んでいたので、女性2人でも十分に吊るせるだけの強度はあります。

自分: 「縛れるの?縛れるなら、お店終わった後なら、ドM ちゃん吊るしていいよ」
常連: 「え”っ!」
自分: 「吊ったことないなら、縛り方から教えてあげるよ」
常連: 「え”っ!」

話はかみあわず、まるでピグの 「がびーん」 みたいに青い顔して、開いた口が塞がりませんでした。
「自分は ドS」 だからと強調するので、何かを察して貰いたいのかと思って気を回した挙句(あげく)に、会話を読み間違えた自分が一番アホなのですが(苦笑)
要は、一筋縄ではいかない、好き嫌いの多いワガママな性格と、若干強気な気質であることを協調したかったみたいで(笑)

まあ、それと同じ論理で、自分のことを ドS と認識してる女性も少なくないので、言っておきますが、それは単に 「攻撃的で ”面倒な性格”」 というだけで、あなたは ドS ではありません!笑
また、鬱憤(うっぷん)や欲求(よっきゅう)が溜まり、女性の自由を奪ってでも、したくてしたくてたまらない方も同じく、ドS ではありません(笑)

攻撃的になることで、アドレナリンが放出されて、一時的に興奮していたとしても、それは性的な興奮とは違いますし、後者の場合の自由を奪う行為は、単に 「女性といたすための手段」 に過ぎません。

***

このアメーバのプロフィール作成時に出てくる「定型の質問」にもありますが、「あなたは、S ですか? M ですか?」 みたいな質問は、良識で考えれば、本来はとても失礼で稚拙な質問なのですが、アメーバブログも、またアメーバプログの多くの利用者の方も、その程度の 「大人の話」 は許容したうえで、運用もしくは利用されているものと認識しています。

若干性的な内容は含みますが、このような内容が許容されるのであれば、今後、掘り下げて書いていきたいと思っています。