【追記】
※ ”乙武つぶし” の真相は、どうやら 「選挙絡み」 のようです。
詳細は、こちらの記事を参照ください。
「政治資金ごまかした松田公太さん、逆恨みで乙武洋匡さんの不倫旅行を暴露」
今回の不倫の露見は、「五体不満足」 の乙武洋匡(おとたけひろただ)氏。
”「不倫」 乙武氏に 「立派なコメントしてたくせに…」 「不満足」 な声、ネットに相次ぐ”
何回も言いますが、”不倫” は、個人の権利の侵害になりますので、しないに越したことはありません。しかし、犯罪ではありませんので、基本的には、他人に兎や角言われる筋合いのものではありません。
しかし、乙武氏の場合は、マスコミに露出してるばかりでなく、教育委員を務(つと)めていたり、参院選出馬なんかも取り沙汰されている以上、ニュースで騒がれることは致し方ありません。
とは言え、今回の乙武氏のケース。「障碍者(しょうがいしゃ)の性」 も絡むだけに、かなりセンシティブな問題も孕(はら)んでいます。対応も迅速でしたし、事態を上手く収束させれるかと固唾(かたず)を呑(の)んで見守ってはいましたが、結果は玉砕。(><)
形式的には謝罪の体裁も整っていたように見受けられましたが、選挙も絡んでいたし、周囲に 「情状の酌量はなし」 と受け止められたということなのでしょうか?
やはり、一番の被害者であるはずの奥さんをも持ち出し一緒に謝罪というところが、多くの人達に、何か 「選挙運動」 のような違和感を匂わせてしまったような気がします。
乙武氏のデビュー
乙武氏のデビューは、確かにショッキングでした。
生まれ付き身体の障碍で手足がないにもかかわらず 「五体不満足」 という本を自ら執筆し、それ以降、報道番組のキャスター的な仕事をしたりして、度々メディアにも露出するようになってきました。
この乙武氏に対しては、自分に限らず多くの人が、「これだけの困難な状況に直面しながらも、自分の人生を悲観せず、どうしたら、彼のように明るく生きていけるだろう?」 ということに驚きを隠せませんでした。
これだけのハンディキャップを抱えれば、「なんで自分に限って・・・」 と落ち込むのが普通です。それゆえに、ハンディキャップを抱える他の多くの人にも、希望や望みを与えられる。そういった ”模範” となることを彼に ”期待” していた人も少なくなかったでしょう。
しかし個人的な乙武氏に対する印象は、”スゴイ!” とは感じるものの、”尊敬” でもなければ、”同情” でもない。自分の一番 ”イタイ” 部分を晒しておきながら、ニコニコしている乙武氏の心情も全く理解出来ませんでしたので、それこそ ”共感” もない。
そういう意味では、乙武氏は自分にとっては長らくの間、知る必要もなかったし、単なる 「得体の知れない理解できない人」 に過ぎませんでした。
飲食店入店拒否事件
むしろ、自分が親近感を覚えるようになったのは、今から3年ほど前に、飲食店の入店でトラブルを起こしたぐらいのときから。
《ことの仔細(しさい)について興味のある方は、下記まとめ記事を参照ください。》
乙武洋匡さん憤慨 銀座レストランに入店拒否される - NAVER まとめ
【新展開】 乙武氏の入店拒否騒動、「当日現場にいた人」 が登場し 『証言』 もはやミステリー
簡単に説明すると、乙武氏の関係者が、レストランを予約したらしいのですが、事前に車椅子の人がいることをお店に伝えておかなかったというもの。お店は、2F らしいのですが、階段を登るしか入店手段のないお店。このため、お店の従業員に手助けをお願いしたらしいのですが、しかし、それは週末金曜日のディナータイム。一番の搔き入れ時で、飲食店は何処も ”てんてこ舞い”。猫の手も借りたいほど忙しい時間帯です。
「車椅子であれば、お店の従業員は手助けをして当たり前」 みたいな横柄な態度だったのか、それとも、著名で名前が売れてるからみたいな ”奢(おご)り” があったのかは解かりません。
本来であれば、予約も入れてくれて、来店してくれている以上は、出来るだけ協力したいと思うのが人情です。ましてや、それが著名人ともなれば尚更のこと。
その辺を考慮すると、店内での車椅子の移動が極めて困難な状況にあったか、あるいは、乙武氏側に、高圧的あるいは横柄な態度があったんだろうなと推測できます。
乙武氏側にも悪意があったとは思いませんし、関係者の予約手続きに至らないところがあったとは言え、その関係者を責めるのではなく、入店できるように ”ごねる” ところなどは、今改めて考えれば、”ゴール志向” である乙武氏らしいところと言えます。
この一件で、乙武氏を ”高慢なやつ” と感じた人達もいたかも知れませんが、自分はむしろ、「こいつ(乙武氏)も、普通の人間じゃん」 みたいに感じました。
不倫の露呈
そして今回の不倫の露呈です。
巷(ちまた)の人達は、まるで大罪を犯した極悪人の如(ごと)く、ここぞとばかりに、罵(ののし)っていますが、自分の場合は逆に、乙武氏の凡(おおよ)その人間像なり行動原理が解かって、むしろスッキリしています。(笑)
いやいや、こいつは、”宮崎元衆議院議員” や ”ゲスの極み乙女” なんかは全然足元にも及ばない、かなりの 「ちょびわる」 です。(笑)
最低の批判記事
ちなみに、今回の記事を書くにあたっての直接的なキッカケは、昨日見つけたメディアの記事です。しかし、この内容があまりにも酷い。
「乙武氏 「自己肯定感物語」 破綻と障碍者の性」
これを果たしてメディアと呼んでいいのかもわかりませんが、この記事の記者である 岩田太郎 氏の文章構成力はもう最悪。
但し、経歴に嘘は無いように見受けられます。知られたくない大学名は書かれていませんし、経歴に列挙されている出版社に、記者として勤務したとも書かれていません。修士課程を修了としてますので、大学院を卒業したとも謳っていません。
従って、”自称” 「在米ジャーナリスト」 となっているわけですが、しかし記者の勝手な思い込みでここまで断定的に書かれてしまっては、「ペンによる暴力」 以外のナニモノでもありません。
こんな記事を書いているようでは、修士課程を修了したところで、いつまでたっても卒業論文は通る筈もありません。
少なくとも、今回の記事に書かれている内容も、乙武氏の価値感ではなく、岩田氏の価値感だけで書いている。他人も自分と同じ価値感を持っていると考えている以上、岩田氏の論説は客観性を確保できないので、もう卒業は無理っす。(苦笑)
プロファイリング
乙武氏の著作物の内容まで持ち出して、明確な理由もないまま否定して、これだけ人格を否定し攻撃する権利は誰にもありません。
今ある情報を元にプロファイリングすると、乙武氏の人物像はどうなるか?こうです。
乙武氏は、「自己肯定感」 に溢れている (溢れ過ぎw)
彼は、「自己肯定感」 を持っています。自分と他人を比較して自分が劣っているからといって、「自分は駄目なんだ」 と自己を否定することはありません。ある意味、自分は自分、他人は他人です。
ですので、彼は 「今そこにある自分」 は否定していません(良くも悪くもです)。
そして、「今そこにある自分」 を最大限活かそうとしているし、また、活かせることが出来る道を模索しています。「プラス」 のものばかりでなく、普通の人であれば 「マイナス」 と認識するものも全て利用できるものは利用します。
それが乙武氏の原動力となっています。
乙武氏の ”五体不満足” は、成り上がるための 「餌」
彼の処女作である 「五体不満足」 も、そうです。彼は、普通の一般的な障碍者であれば、自ら引け目を感じ、他人の目に触れないようにする筈の 「障碍(しょうがい)」。彼はまずそれを武器として使いました。
そして彼は、彼の著書 「五体不満足」 を書くことによって、自分自身を障碍者として ”世間の好奇の目” に晒し、そして同時に、興行主として自身で利益を収めることに成功したのです。
彼にとっては、「五体不満足」 である彼の身体は、この書籍を出版した当時から既に、彼が伸し上がるための 「餌」、「お金や名声を得るための道具」 に過ぎません。
要は、自分が見世物小屋の ”見世物” になりつつも、同時に ”見世物小屋” も経営することで、自分を ”商品化” することに成功したというわけです。
まんまと 「目論見(もくろみ)」 が成功したんですから、それは誰しも嬉しいわけです。
あの 「にやけ顔」 は好きではありませんが、上手くいったわけですから、当然、誰でもニコニコします。(苦笑)
乙武氏の ”下自慢” は、不倫相手の女性を釣る 「餌」
では、乙武氏の 「下の自慢話」 はどうなんでしょう?
彼が、どのように ”自分の一物の大きさ” や ”絶倫機能” をひけらかしていたか詳細は解かりませんが、まあ、彼の ”鼻” を観察する限りにおいては、普通の人よりは大きい感があります。(笑)
では、どうして、わざわざ、ひけらかすのでしょう?
それも同じ理由です。乙武氏にとっては、下の自慢話も、自分に興味をもたせるための、言わば 「女性を釣るための餌」 なのです。
コンプレックスを乗り越えて、今ある自分を肯定できるからこそ、今持てるものは何でも使い、全てを武器にしてガツガツやる。それが、乙武氏なわけです。
事実、彼は自分の ”五体不満足な身体” を晒すことで、仕事・金・名誉を掴んで来ました。これと全く同じアナロジーで、”3本目の足” を餌に、喰いつく女性を探しては、楽しんでいただけのことです。
彼は、手も足も使えなければ、それこそ服を脱ぐことさえ、他人の介添えなしには出来ない。
女性にひとつでも不審感を抱かせたり、不安を感じさせたり、躊躇させたら、もう、終わりなのです。
女性の方から、自発的に 「したい!」 と強く思わせない限りは、彼の場合 ”不倫” は実現しないのです。彼自身もそうですが、お相手の女性の方も、普通の健常者同士の不倫よりは、何倍も何十倍もハードルが高いわけです。
乙武氏には、性的な ”羞恥心” はない
下の世話すら、誰かの助けを借りないと出来ない乙武氏にとっては、もう、”羞恥の感覚” は、健常者のものとは、全く異なっていると言っても過言ではありません。
彼にとって、排尿排便の度に他人にいじられ、後始末されることは、屈辱でも羞恥でも何でもない日常的な行為であるということ。
むしろ、自らの障碍を受け入れ、自分を肯定してる彼にとっては、普通の人であれば ”屈辱的” にすら感じる 「下の世話」 ですら、自分を利するための武器とし、その機会を 「相手を落す絶交のチャンス」 として積極的に利用しているに違いありません。
乙武氏は、”言葉責め” の得意な 「ドS」 ?
そして乙武氏は、自分が見る限り、かなりの 「ドS」 です。もしかしたら、「ドM」 も入っているかも知れませんが、その辺は分かりません。
日常の生活すら、他人の介在や介添なくしては出来ませんので、精神的には 「S」 側に傾倒していると考えた方が自然です。
加虐で一番重要なのは、相手を圧倒する相手を包み込んで呑み込もうとする気持ちであり、気迫です。これは、乙武氏の場合かなり強い。
他人から見放されたとしても、健常者であれば、自分ですればいい。しかし、彼の場合は、介添してくれる人から見放された時点で、下手をすると生命の危機に陥(おちい)りかねないわけです。
なので、最後の押しは強いし、手段を選ばない。そして、決して諦(あきら)めない粘り強さがあると思います(諦めの悪さもあります)。
あとは、コミュニケーション能力の高さです。乙武氏の場合は、根は真面目で、論理的です。一方で ”ひょうきん” にもなれるし、”バカ” にもなれる。人を飽(あ)きさせず、楽しませる能力にも、優れていそうです。
人の痛みを、どこまで理解しているか。それについては、彼自身の生活に大きな制約がある以上、どこまでを理解しているかは実際のところ微妙です。
彼のコミュニケーション能力が ”極めて” 高いことは、流出している写真に現れている表情を見てもわかります。
手も足もない彼にとって ”言葉” は彼の唯一の 「武器」 です。”五体不満足な身体” も、”3本目の足” も彼にとっては 「餌」 に過ぎません。
手足に障碍のある彼にとって、本当の武器は ”言葉” です。言葉を武器に目の前のひとに訴え、自分に関心を寄せることこそ一番のライフラインだからです。
何故なら、それは自分の目の前にいるひとの関心が、自分からなくなった途端に、乙武氏は生命の危機に直面するからに他なりません。
乙武氏の不倫相手の女性は 「欠損フェチ」 か?
乙武氏と不倫関係にあった女性達は、「欠損フェチ」 か?
彼女達の名誉のために言及しておきますが、「変態は多し」 と言えども、「欠損フェチ」 なるものは、マイノリティー中のマイノリティーです。
そもそも、「江戸川乱歩」 の 「芋虫」 を読んで ”衝撃” を受けた経験があったとしても、それで 「欠損フェチ」 と言える域にまで昇華される確率は極めて低いと言わざるを得ません。
最近は 「欠損フェチ」 や 「障害者萌え」 なる言葉もあるようですが、ほとんどは二次元の世界。実際に 「欠損女子」 が接客する 「欠損BAR」 でさえ、期間限定開催する程度のものに過ぎません。
当人の乙武氏が、「障害者萌え」 について、いろいろとツイートしたまとめはこちら。
「乙武氏の 「障害者萌え」 についてのツイート - Togetter まとめ」
しかし 「乙武氏」 であれば、”自分の身体” を 「餌」 にして、”非日常的な倒錯した性の世界” に、献身的なヘルパーを誘い込むことは、やろうと思えば出来なくはありません。
ヘルパーは、下も世話もしなければならない以上、二人だけになる機会は、一日のうちにも、かなりの回数にのぼるわけです。
しかも、乙武氏は、手も足も出ません。従って、突然、強制的にお尻を触られるといった、女性が 「ドキッ」 と身構えてしまうような ”嫌がらせ” も出来ません。
女性は、いつでも自分の意志のみで中断することが可能なわけですから、女性にとってこれ以上、安全な存在はありません。
環境的な要因は、全て整っていると言えます。
SM の 「言葉責め」 ではありませんが、乙武氏がもし、狙いをつけてる女性に、”江戸川乱歩” の 「芋虫」 を読ませることに成功したとしたら、どうなるか?
「芋虫」 にあるのは、「欠損フェチ」 ではありませんが、そこにあるのは、非日常的かつ妖艶な ”禁断と倒錯の世界”。当然、その女性は、「芋虫」 を読みながら、乙武氏のことを想像するでしょう。
そして、それを実現できるのは 「乙武氏」 に限定はされているわけではありませんが、しかし、実現可能な人がそこにいて、その機会が、その女性の目の前に存在しているわけです。
これも、考えようによっては、まさしく、乙武氏だからこそ出来る ”世界” であるわけです。
では、実際にどうだったか?
それは、これらの内容は、あくまでも、「プロファイリング」 によって推測されるものなので、実際のところは解かりません。
しかし、このような状況下で、実際に足を踏み入れてしまう一般女性が居たとしても、何も不思議ではないということです。
「芋虫(江戸川乱歩)」 のススメ
まだ、江戸川乱歩の 「芋虫」 を読んでいないのであれば、是非この機会に読まれてみることをお薦めします。
そして、もし自分が 「乙武氏」 のヘルパーとして働いていて、日常的に下ネタ話をするような仲の良い関係にあり、口説かれもしている。そういう状況下でもし、「この本」 を読んだとき、自分なら、どういう行動を取りますか?
宜(よろ)しかったら、何かの機会にでも、聞かせて下さい。(笑)
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乙武氏は政治家として適確か?
不倫は、良くないことであるのは確かです。今回の不倫の露呈によって、彼の ”参院選出馬” がいろいろと取り沙汰されています。
政治家として国会議員という公職に就く以上は、品位も重要であることに反論はしません。
乙武氏は、ゲスです。
ゲスはゲスですが、宮崎元衆議院議員や、ゲスの極みの何とかとは 「格」 が違います。
「五体不満足」 を自分で一文字追加して、「五体不(倫)満足」 とかやってるくらいの、ある意味 「確信犯」 ですから、もっとゲスです。(笑)
しかし、考えてみて下さい。
前科のつく犯罪者であっても、国会議員としての立候補は可能なのです。
もし、彼が乙武氏が、今回の不倫露呈によって、自分の私生活を本気で改め、そして、障碍者としての立場から、社会に資することを本気で考えていたのだとすると、この不倫露呈によって、国政における彼の活躍の機会が失われることは、身から出た錆ではあるのですが、彼の能力や可能性から言っても、大変残念と言わざるを得ない。
バリアフリー問題に限らず、これからますます高齢化が加速する中での医療・介護問題、少子化対策から保育・貧困・年金・生活保護そして社会保険に至るまで、社会福祉の早急な建て直しが必要とされている中で、論理的な思考能力を有する彼の存在は、この前議員辞職をした宮崎元衆議院議員なんかとは、全然、比較にならないポテンシャルを秘めているわけです。
不倫もしない代わりに、国会でスマホを弄って、あくびをしている議員の方がいいと言うなら、それでも構いません。
宮崎県知事だった 「そのまんま東」 こと東国原だって、目立った実績と言えば、県の特産品のプロモーション程度で、今は偉そうにしていますが、彼にしても、淫行で警察の捜査を受け、当時妻であった 「加藤かずこ」 に離縁された 「ゲス男」 です。
公人としての品位や品格というものもありますから、「不倫をしたから駄目!」 と言いたくなる気持ちは解からなくもありません。また、有権者個人の判断は尊重されるべきものでありますので、「あの人嫌いだから嫌!」 みたいなの直感も否定はしません。
しかし、乙武氏の考える理念を聞き、彼の考える政策・アプローチを聞いてから判断しても遅くはありません。
少なくとも、2015年4月から彼は、政策研究大学院大学 に通ってます。
学校に通ったから、良い政治家になれるわけではありません。政治は利権の綱引きですから、政局もあれば、役人に騙される場合もある。
当然、党内でも反対勢力はあったりするわけです。一筋縄ではいかないのが政治の世界。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした世界でもあるからこそ、彼ならば、少しでも、自分の理想・社会福祉に近づけるべく、ゲスな能力を発揮してくれるのではないか。自分はそういう期待をもっています。
彼自身も、晴天の霹靂。上手く収拾できると踏んで、ほくそ笑んでいただけに、今はかなり堪(こた)えていることでしょう。
もし彼がホンモノであれば、「君子豹変」 せざるを得ない状況にありますし、これで、良い方に化けるならば、これに優るものはありません。
ワイドショーに芸能誌のゴシップ、そして、直情的市民の罵詈雑言(ばりぞうごん)に必要以上に引きずられないように皆さんに期待しています。