2ntブログ
2016/03/29

「今年はもう桜は見た?」

【ピグ限定】今年もう桜は見た? ブログネタ:【ピグ限定】今年もう桜は見た? 参加中

 

 

寅次郎: 「さくらっ!」

 

 

さくら: 「おにいちゃん・・・・・」

 

 

ピグ友の 桜ちゃん

 

 

今年も満開です!”ピグ名物の桜”

 

 

 

ピグの中には、

 

ピグの中では、ローラースケートとかスケボーでスイスイ移動してるけど、

リアルでは、入院していたり、お家のベッドから出られなかったり・・・

 

そんな人も少なくありません。

 

今いる場所から桜が見れないそんな人にとって、

そして、咲き誇っている桜を見忘れちゃった人や、今、桜が見れない場所にいる人にとっても、

この 「ピグの桜」 は心温まる、心の和む ”出し物” だと思います。

 

 

 

 

追伸

アメブロ運営さま

これだけ胡麻を摺っておいたので、もう、ブログ記事を勝手に削除するの、やめて貰えますか? 差し戻しでお願いします。 m(_ _)m

2016/03/28

ゲス不倫。乙武の場合(追記あり)

【追記】

※ ”乙武つぶし” の真相は、どうやら 「選挙絡み」 のようです。

詳細は、こちらの記事を参照ください。

「政治資金ごまかした松田公太さん、逆恨みで乙武洋匡さんの不倫旅行を暴露」

 

 

今回の不倫の露見は、「五体不満足」 の乙武洋匡(おとたけひろただ)氏。

 

”「不倫」 乙武氏に 「立派なコメントしてたくせに…」 「不満足」 な声、ネットに相次ぐ”

 

何回も言いますが、”不倫” は、個人の権利の侵害になりますので、しないに越したことはありません。しかし、犯罪ではありませんので、基本的には、他人に兎や角言われる筋合いのものではありません。

 

しかし、乙武氏の場合は、マスコミに露出してるばかりでなく、教育委員を務(つと)めていたり、参院選出馬なんかも取り沙汰されている以上、ニュースで騒がれることは致し方ありません。

 

とは言え、今回の乙武氏のケース。「障碍者(しょうがいしゃ)の性」 も絡むだけに、かなりセンシティブな問題も孕(はら)んでいます。対応も迅速でしたし、事態を上手く収束させれるかと固唾(かたず)を呑(の)んで見守ってはいましたが、結果は玉砕。(><)

 

形式的には謝罪の体裁も整っていたように見受けられましたが、選挙も絡んでいたし、周囲に 「情状の酌量はなし」 と受け止められたということなのでしょうか?

やはり、一番の被害者であるはずの奥さんをも持ち出し一緒に謝罪というところが、多くの人達に、何か 「選挙運動」 のような違和感を匂わせてしまったような気がします。

 

 

乙武氏のデビュー

 

乙武氏のデビューは、確かにショッキングでした。

 

生まれ付き身体の障碍で手足がないにもかかわらず 「五体不満足」 という本を自ら執筆し、それ以降、報道番組のキャスター的な仕事をしたりして、度々メディアにも露出するようになってきました。

この乙武氏に対しては、自分に限らず多くの人が、「これだけの困難な状況に直面しながらも、自分の人生を悲観せず、どうしたら、彼のように明るく生きていけるだろう?」 ということに驚きを隠せませんでした。

これだけのハンディキャップを抱えれば、「なんで自分に限って・・・」 と落ち込むのが普通です。それゆえに、ハンディキャップを抱える他の多くの人にも、希望や望みを与えられる。そういった ”模範” となることを彼に ”期待” していた人も少なくなかったでしょう。

 

しかし個人的な乙武氏に対する印象は、”スゴイ!” とは感じるものの、”尊敬” でもなければ、”同情” でもない。自分の一番 ”イタイ” 部分を晒しておきながら、ニコニコしている乙武氏の心情も全く理解出来ませんでしたので、それこそ ”共感” もない。

 

そういう意味では、乙武氏は自分にとっては長らくの間、知る必要もなかったし、単なる 「得体の知れない理解できない人」 に過ぎませんでした。

 

飲食店入店拒否事件

 

むしろ、自分が親近感を覚えるようになったのは、今から3年ほど前に、飲食店の入店でトラブルを起こしたぐらいのときから。

 

《ことの仔細(しさい)について興味のある方は、下記まとめ記事を参照ください。》

乙武洋匡さん憤慨 銀座レストランに入店拒否される - NAVER まとめ

【新展開】 乙武氏の入店拒否騒動、「当日現場にいた人」 が登場し 『証言』 もはやミステリー

 

簡単に説明すると、乙武氏の関係者が、レストランを予約したらしいのですが、事前に車椅子の人がいることをお店に伝えておかなかったというもの。お店は、2F らしいのですが、階段を登るしか入店手段のないお店。このため、お店の従業員に手助けをお願いしたらしいのですが、しかし、それは週末金曜日のディナータイム。一番の搔き入れ時で、飲食店は何処も ”てんてこ舞い”。猫の手も借りたいほど忙しい時間帯です。

「車椅子であれば、お店の従業員は手助けをして当たり前」 みたいな横柄な態度だったのか、それとも、著名で名前が売れてるからみたいな ”奢(おご)り” があったのかは解かりません。

本来であれば、予約も入れてくれて、来店してくれている以上は、出来るだけ協力したいと思うのが人情です。ましてや、それが著名人ともなれば尚更のこと。

 

その辺を考慮すると、店内での車椅子の移動が極めて困難な状況にあったか、あるいは、乙武氏側に、高圧的あるいは横柄な態度があったんだろうなと推測できます。

乙武氏側にも悪意があったとは思いませんし、関係者の予約手続きに至らないところがあったとは言え、その関係者を責めるのではなく、入店できるように ”ごねる” ところなどは、今改めて考えれば、”ゴール志向” である乙武氏らしいところと言えます。

 

この一件で、乙武氏を ”高慢なやつ” と感じた人達もいたかも知れませんが、自分はむしろ、「こいつ(乙武氏)も、普通の人間じゃん」 みたいに感じました。

 

不倫の露呈

 

そして今回の不倫の露呈です。

 

巷(ちまた)の人達は、まるで大罪を犯した極悪人の如(ごと)く、ここぞとばかりに、罵(ののし)っていますが、自分の場合は逆に、乙武氏の凡(おおよ)その人間像なり行動原理が解かって、むしろスッキリしています。(笑)

いやいや、こいつは、”宮崎元衆議院議員” や ”ゲスの極み乙女” なんかは全然足元にも及ばない、かなりの 「ちょびわる」 です。(笑)

 

最低の批判記事

 

ちなみに、今回の記事を書くにあたっての直接的なキッカケは、昨日見つけたメディアの記事です。しかし、この内容があまりにも酷い。

「乙武氏 「自己肯定感物語」 破綻と障碍者の性」

 

これを果たしてメディアと呼んでいいのかもわかりませんが、この記事の記者である 岩田太郎 氏の文章構成力はもう最悪。

但し、経歴に嘘は無いように見受けられます。知られたくない大学名は書かれていませんし、経歴に列挙されている出版社に、記者として勤務したとも書かれていません。修士課程を修了としてますので、大学院を卒業したとも謳っていません。

従って、”自称” 「在米ジャーナリスト」 となっているわけですが、しかし記者の勝手な思い込みでここまで断定的に書かれてしまっては、「ペンによる暴力」 以外のナニモノでもありません。

こんな記事を書いているようでは、修士課程を修了したところで、いつまでたっても卒業論文は通る筈もありません。

少なくとも、今回の記事に書かれている内容も、乙武氏の価値感ではなく、岩田氏の価値感だけで書いている。他人も自分と同じ価値感を持っていると考えている以上、岩田氏の論説は客観性を確保できないので、もう卒業は無理っす。(苦笑)

 

プロファイリング

 

乙武氏の著作物の内容まで持ち出して、明確な理由もないまま否定して、これだけ人格を否定し攻撃する権利は誰にもありません。

今ある情報を元にプロファイリングすると、乙武氏の人物像はどうなるか?こうです。

 

乙武氏は、「自己肯定感」 に溢れている (溢れ過ぎw)

 

彼は、「自己肯定感」 を持っています。自分と他人を比較して自分が劣っているからといって、「自分は駄目なんだ」 と自己を否定することはありません。ある意味、自分は自分、他人は他人です。

ですので、彼は 「今そこにある自分」 は否定していません(良くも悪くもです)。

そして、「今そこにある自分」 を最大限活かそうとしているし、また、活かせることが出来る道を模索しています。「プラス」 のものばかりでなく、普通の人であれば 「マイナス」 と認識するものも全て利用できるものは利用します。

それが乙武氏の原動力となっています。

 

乙武氏の ”五体不満足” は、成り上がるための 「餌」

 

彼の処女作である 「五体不満足」 も、そうです。彼は、普通の一般的な障碍者であれば、自ら引け目を感じ、他人の目に触れないようにする筈の 「障碍(しょうがい)」。彼はまずそれを武器として使いました。

そして彼は、彼の著書 「五体不満足」 を書くことによって、自分自身を障碍者として ”世間の好奇の目” に晒し、そして同時に、興行主として自身で利益を収めることに成功したのです。

彼にとっては、「五体不満足」 である彼の身体は、この書籍を出版した当時から既に、彼が伸し上がるための 「餌」、「お金や名声を得るための道具」 に過ぎません。

要は、自分が見世物小屋の ”見世物” になりつつも、同時に ”見世物小屋” も経営することで、自分を ”商品化” することに成功したというわけです。

まんまと 「目論見(もくろみ)」 が成功したんですから、それは誰しも嬉しいわけです。

あの 「にやけ顔」 は好きではありませんが、上手くいったわけですから、当然、誰でもニコニコします。(苦笑)

 

乙武氏の ”下自慢” は、不倫相手の女性を釣る 「餌」

 

では、乙武氏の 「下の自慢話」 はどうなんでしょう?

彼が、どのように ”自分の一物の大きさ” や ”絶倫機能” をひけらかしていたか詳細は解かりませんが、まあ、彼の ”鼻” を観察する限りにおいては、普通の人よりは大きい感があります。(笑)

では、どうして、わざわざ、ひけらかすのでしょう?

それも同じ理由です。乙武氏にとっては、下の自慢話も、自分に興味をもたせるための、言わば 「女性を釣るための餌」 なのです。

 

コンプレックスを乗り越えて、今ある自分を肯定できるからこそ、今持てるものは何でも使い、全てを武器にしてガツガツやる。それが、乙武氏なわけです。

事実、彼は自分の ”五体不満足な身体” を晒すことで、仕事・金・名誉を掴んで来ました。これと全く同じアナロジーで、”3本目の足” を餌に、喰いつく女性を探しては、楽しんでいただけのことです。

 

彼は、手も足も使えなければ、それこそ服を脱ぐことさえ、他人の介添えなしには出来ない。

女性にひとつでも不審感を抱かせたり、不安を感じさせたり、躊躇させたら、もう、終わりなのです。

女性の方から、自発的に 「したい!」 と強く思わせない限りは、彼の場合 ”不倫” は実現しないのです。彼自身もそうですが、お相手の女性の方も、普通の健常者同士の不倫よりは、何倍も何十倍もハードルが高いわけです。

 

乙武氏には、性的な ”羞恥心” はない

 

下の世話すら、誰かの助けを借りないと出来ない乙武氏にとっては、もう、”羞恥の感覚” は、健常者のものとは、全く異なっていると言っても過言ではありません。

彼にとって、排尿排便の度に他人にいじられ、後始末されることは、屈辱でも羞恥でも何でもない日常的な行為であるということ。

 

むしろ、自らの障碍を受け入れ、自分を肯定してる彼にとっては、普通の人であれば ”屈辱的” にすら感じる 「下の世話」 ですら、自分を利するための武器とし、その機会を 「相手を落す絶交のチャンス」 として積極的に利用しているに違いありません。

 

乙武氏は、”言葉責め” の得意な 「ドS」 ?

 

そして乙武氏は、自分が見る限り、かなりの 「ドS」 です。もしかしたら、「ドM」 も入っているかも知れませんが、その辺は分かりません。

日常の生活すら、他人の介在や介添なくしては出来ませんので、精神的には 「S」 側に傾倒していると考えた方が自然です。

 

加虐で一番重要なのは、相手を圧倒する相手を包み込んで呑み込もうとする気持ちであり、気迫です。これは、乙武氏の場合かなり強い。

他人から見放されたとしても、健常者であれば、自分ですればいい。しかし、彼の場合は、介添してくれる人から見放された時点で、下手をすると生命の危機に陥(おちい)りかねないわけです。

なので、最後の押しは強いし、手段を選ばない。そして、決して諦(あきら)めない粘り強さがあると思います(諦めの悪さもあります)。

 

あとは、コミュニケーション能力の高さです。乙武氏の場合は、根は真面目で、論理的です。一方で ”ひょうきん” にもなれるし、”バカ” にもなれる。人を飽(あ)きさせず、楽しませる能力にも、優れていそうです。

人の痛みを、どこまで理解しているか。それについては、彼自身の生活に大きな制約がある以上、どこまでを理解しているかは実際のところ微妙です。

彼のコミュニケーション能力が ”極めて” 高いことは、流出している写真に現れている表情を見てもわかります。

 

手も足もない彼にとって ”言葉” は彼の唯一の 「武器」 です。”五体不満足な身体” も、”3本目の足” も彼にとっては 「餌」 に過ぎません。

手足に障碍のある彼にとって、本当の武器は ”言葉” です。言葉を武器に目の前のひとに訴え、自分に関心を寄せることこそ一番のライフラインだからです。

何故なら、それは自分の目の前にいるひとの関心が、自分からなくなった途端に、乙武氏は生命の危機に直面するからに他なりません。

 

乙武氏の不倫相手の女性は 「欠損フェチ」 か?

 

乙武氏と不倫関係にあった女性達は、「欠損フェチ」 か?

彼女達の名誉のために言及しておきますが、「変態は多し」 と言えども、「欠損フェチ」 なるものは、マイノリティー中のマイノリティーです。

そもそも、「江戸川乱歩」 の 「芋虫」 を読んで ”衝撃” を受けた経験があったとしても、それで 「欠損フェチ」 と言える域にまで昇華される確率は極めて低いと言わざるを得ません。

 

最近は 「欠損フェチ」 や 「障害者萌え」 なる言葉もあるようですが、ほとんどは二次元の世界。実際に 「欠損女子」 が接客する 「欠損BAR」 でさえ、期間限定開催する程度のものに過ぎません。

当人の乙武氏が、「障害者萌え」 について、いろいろとツイートしたまとめはこちら。

「乙武氏の 「障害者萌え」 についてのツイート - Togetter まとめ」

 

しかし 「乙武氏」 であれば、”自分の身体” を 「餌」 にして、”非日常的な倒錯した性の世界” に、献身的なヘルパーを誘い込むことは、やろうと思えば出来なくはありません。

 

ヘルパーは、下も世話もしなければならない以上、二人だけになる機会は、一日のうちにも、かなりの回数にのぼるわけです。

しかも、乙武氏は、手も足も出ません。従って、突然、強制的にお尻を触られるといった、女性が 「ドキッ」 と身構えてしまうような ”嫌がらせ” も出来ません。

女性は、いつでも自分の意志のみで中断することが可能なわけですから、女性にとってこれ以上、安全な存在はありません。

環境的な要因は、全て整っていると言えます。

 

SM の 「言葉責め」 ではありませんが、乙武氏がもし、狙いをつけてる女性に、”江戸川乱歩” の 「芋虫」 を読ませることに成功したとしたら、どうなるか?

「芋虫」 にあるのは、「欠損フェチ」 ではありませんが、そこにあるのは、非日常的かつ妖艶な ”禁断と倒錯の世界”。当然、その女性は、「芋虫」 を読みながら、乙武氏のことを想像するでしょう。

そして、それを実現できるのは 「乙武氏」 に限定はされているわけではありませんが、しかし、実現可能な人がそこにいて、その機会が、その女性の目の前に存在しているわけです。

これも、考えようによっては、まさしく、乙武氏だからこそ出来る ”世界” であるわけです。

 

では、実際にどうだったか?

それは、これらの内容は、あくまでも、「プロファイリング」 によって推測されるものなので、実際のところは解かりません。

しかし、このような状況下で、実際に足を踏み入れてしまう一般女性が居たとしても、何も不思議ではないということです。

 

「芋虫(江戸川乱歩)」 のススメ

 

まだ、江戸川乱歩の 「芋虫」 を読んでいないのであれば、是非この機会に読まれてみることをお薦めします。

そして、もし自分が 「乙武氏」 のヘルパーとして働いていて、日常的に下ネタ話をするような仲の良い関係にあり、口説かれもしている。そういう状況下でもし、「この本」 を読んだとき、自分なら、どういう行動を取りますか?

 

宜(よろ)しかったら、何かの機会にでも、聞かせて下さい。(笑)

 

    《 ↓をクリック! 》

 

 

 

 

乙武氏は政治家として適確か?

 

不倫は、良くないことであるのは確かです。今回の不倫の露呈によって、彼の ”参院選出馬” がいろいろと取り沙汰されています。

政治家として国会議員という公職に就く以上は、品位も重要であることに反論はしません。

乙武氏は、ゲスです。

ゲスはゲスですが、宮崎元衆議院議員や、ゲスの極みの何とかとは 「格」 が違います。

「五体不満足」 を自分で一文字追加して、「五体不(倫)満足」 とかやってるくらいの、ある意味 「確信犯」 ですから、もっとゲスです。(笑)

 

しかし、考えてみて下さい。

 

前科のつく犯罪者であっても、国会議員としての立候補は可能なのです。

もし、彼が乙武氏が、今回の不倫露呈によって、自分の私生活を本気で改め、そして、障碍者としての立場から、社会に資することを本気で考えていたのだとすると、この不倫露呈によって、国政における彼の活躍の機会が失われることは、身から出た錆ではあるのですが、彼の能力や可能性から言っても、大変残念と言わざるを得ない。

 

バリアフリー問題に限らず、これからますます高齢化が加速する中での医療・介護問題、少子化対策から保育・貧困・年金・生活保護そして社会保険に至るまで、社会福祉の早急な建て直しが必要とされている中で、論理的な思考能力を有する彼の存在は、この前議員辞職をした宮崎元衆議院議員なんかとは、全然、比較にならないポテンシャルを秘めているわけです。

 

不倫もしない代わりに、国会でスマホを弄って、あくびをしている議員の方がいいと言うなら、それでも構いません。

宮崎県知事だった 「そのまんま東」 こと東国原だって、目立った実績と言えば、県の特産品のプロモーション程度で、今は偉そうにしていますが、彼にしても、淫行で警察の捜査を受け、当時妻であった 「加藤かずこ」 に離縁された 「ゲス男」 です。

 

公人としての品位や品格というものもありますから、「不倫をしたから駄目!」 と言いたくなる気持ちは解からなくもありません。また、有権者個人の判断は尊重されるべきものでありますので、「あの人嫌いだから嫌!」 みたいなの直感も否定はしません。

しかし、乙武氏の考える理念を聞き、彼の考える政策・アプローチを聞いてから判断しても遅くはありません。

 

少なくとも、2015年4月から彼は、政策研究大学院大学 に通ってます。

学校に通ったから、良い政治家になれるわけではありません。政治は利権の綱引きですから、政局もあれば、役人に騙される場合もある。

当然、党内でも反対勢力はあったりするわけです。一筋縄ではいかないのが政治の世界。

そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした世界でもあるからこそ、彼ならば、少しでも、自分の理想・社会福祉に近づけるべく、ゲスな能力を発揮してくれるのではないか。自分はそういう期待をもっています。

 

彼自身も、晴天の霹靂。上手く収拾できると踏んで、ほくそ笑んでいただけに、今はかなり堪(こた)えていることでしょう。

もし彼がホンモノであれば、「君子豹変」 せざるを得ない状況にありますし、これで、良い方に化けるならば、これに優るものはありません。

 

ワイドショーに芸能誌のゴシップ、そして、直情的市民の罵詈雑言(ばりぞうごん)に必要以上に引きずられないように皆さんに期待しています。

2016/03/26

麻縄のなめし

 

麻縄は、自作するにも手間が掛かるのと、「縄屋」 みたいな既製品は、かなりお値段が張るので、自分が 「緊縛」 で使っているのは、もっぱら、刺繍店なんかで売っている綿ロープ。

しかし、今日は朝から、家族が留守だったので、久々に麻縄をなめしてみました。

 

自作はもう何十年ぶり。

 

しかし 「自作」 と言っても、知り合いを通して同好の人が集まって、みんなで集まって作ってたりしてた時代です。

自分らの時代、そういう情報は全て、三和出版かなんかの SM 雑誌。

あとは、知り合いの伝(つて)みたいな感じでした。

 

しかし、そういう書籍の類(たぐい)も、結婚する時に全て処分してしまったので、断片的な記憶は残っているものの、それ以降は、手も足も出なかった・・・というのが正直なところです。

 

 

最近は、ネットなどにも、「麻縄のなめし方」 みたいな記事が載っているようで、自分も最初は、「便利な時代になったもんだ・・・」 などと眺(なが)めていただけなのですが、読み進めていくうちに、どうも違和感を感じる。(苦笑)

 

自分が一番最初に教わったのは、某和食店の親方でした。

和食の世界には、結構 「縛り」 の好きな人が多い。(笑)

しかし、そのときに、「縄のなめし」 をお手伝いしながら 「教わった内容」 とは、なんか全然違う。

 

自分の空白の時間が長かったのか?

まあ、細かいことは解かりませんが、その辺の記憶が完全に失われてしまわないうちに 「文字」 にしておくことにします。

 

ちなみに、使用するのは、ジュート(黄麻)の麻縄。園芸用として一般に売られているものです。

 

 

煮なめし

 

まず、麻縄をお湯で煮て、タールみたいな石油成分を落す作業。これは確かにやりました。

でも、ネットにあるように、30分も1時間も煮ません。なんか、酷い人ともなると、圧力鍋なんかで縄を煮てる記事なんかもありましたが、全く以って意味不明。

皆さん、まるで豚骨でもカチ割って、ラーメンスープでも作ってるみたい。ある人などは、お玉で灰汁(あく)をすくう感じで、ゴミ取りとかしてます。おいおいっ、違うだろ?(笑)

クリアに澄んだスープ(清湯)を作るなら、確かに煮立たせないように火加減を調整して煮込みます。

でも、そもそも 出汁(だし)を取りたくて、縄を煮ているわけじゃありません。(苦笑)

 

自分が教わったのは、沸き立ったお湯に両端を結んだ麻縄をぶちこんで、棒ッ切れでしごく。

要は、洗濯で言う 「揉(も)み洗い」 です。

毛糸などの繊維に染み込んだ汚れを取り除くのに揉(も)む。お湯を繊維の奥まで通して、タール成分を揮発させるだけです。麻の繊維に付着してる汚れも、ここで取り除きます。

米研ぎではありませんが、だらだらやってると、汚れた水が逆に繊維に染み込んでしまう。

当然、繊維を痛めないように、棒を動かします。

動かしてると、あっと言う間に、水が褐色になってくるので、お湯を捨てて、そこにまたお湯を加えて。これを何回か繰り返すだけ。

 

確かに、あの石油臭さはクセモノですが、「煮なめし」 と言う以上は、柔らかさの調整がメインです。あとは 「殺菌」 と言ってる人も多いのですが、カビ菌は死滅するでしょうけど、納豆菌は、100 ℃では死滅しません。

 

絞り (脱水)

 

煮なめしした縄を絞るのに、今度は皆さん、これを洗濯機の脱水機にかけています。

ホルモン屋なんかでも、腸の掃除には、洗濯機を多用したりしますんで、まあ、家業として、お家で緊縛用の麻縄を製造販売している方であれば、それも有りです。

でも、たかが数本の麻縄に洗濯機は、ちょっと疑問を感じます。

 

自分が教わったのは、新聞紙にくるんで、ねじるように絞っておわり。

石油製品の石油臭さには、新聞紙はとても、相性が良いんです。洗濯機の脱水槽を使って脱水するにしても、新聞紙で煮た麻縄をくるんで、それを脱水しても、良いかと思われます。

そうすると、新聞紙のインクに、石油成分が馴染みやすいせいか、新聞紙に石油成分を吸着できます。

 

油馴らし

 

麻縄を煮て、絞った状態だと、麻縄はかなり毛羽立ってます。縄目も緩(ゆる)くなっているので、熱いうちに油を馴染ませます。

自分が教わったとき、作業は確か、和食店の厨房の裏手だったと思います。

なので、油は 「白さめ油」 でも使うのかって聞いたら、これは食べ物じゃなくて、人様の肌に触れるもんだから、そういう油をつかうんでぃ・・・みたいな会話をしたのを覚えてます。

なので、そんときに使ったのは、確か 「椿油(つばきあぶら)」 だったと思います。

最近のこういった記事を読むと、「馬油(ばーゆ)」 だとか 「蜜蝋(みつろう)」 だとか。

表面の処理ならまだしも、固形の油を使って、内部に浸透するんでしょうか?

まるで女性が信奉する 「コラーゲン伝説」 と同じ。はなはだ疑問です。(苦笑)

[補足] 「麻縄なめし講座&雑学(一幸商会)」 にある ”オイルを霧吹きか何かで吹きかける” というのは、中々良いやり方だと思います。

 

そのときに立会いで教わったのは、ここまで。そのまま縄を干して帰ったか、休日の店舗内で軽い宴会になったのかは、もう記憶は定かではありません。

あとは、毛羽焼きをした記憶もあります。

 

毛羽焼き

 

ネットなどを見ると、皆さんカセットコンロなどを用いてやっているようです。まあ、自分が教わった頃は、まだカセットコンロがなかったか出始めの時代。毛羽焼きは、確か、縄を乾かすために外に吊るしていて、そこに火をつけたように記憶しています。

新聞紙を丸めて、そこに火を付けて、吊るした縄の下のほうの部分の毛羽に近づける。そうすると、火が毛羽に燃え移って、燃え移った火がまた、別の毛羽に燃え移る。

そんな感じで、縄の下から、縄を吊るしてる上の方まで、火が 「ぱ~っ」 と走ります。

そこで、歓声が湧いたのを記憶しています。

 

昔教わった記憶があるのは以上。

 

これ以外に 「麻縄作り」 のプロセスには、次のようなものがあります。一応、覚書程度に書いておきます。

 

擦(す)りなめし

 

ネットによると、軍手に油をつけて、キュッキュッとなめす以外にも、カラピナみたいなのを通したり、あるいは、木の棒の角を利用してこすってなめす・・・なんて方法もあるようです。

ここの部分は、教わったのかも知れませんが、完全に忘れてしまっているようです。

後者は、縄は締まるのかも知れませんが、縄の毛羽が立って縄が痩せるのと、後は、兎に角泣きたくなるほどに毛羽が出ます。

 

ゴミ取り

 

麻縄には、麻の外皮のような黒い繊維とか、あとはたまに藁(わら)のような硬い繊維が巻き込まれている場合があります。縄の縒(よ)りを緩(ゆる)めて、これを取り除きます。

自分の場合、最初に麻縄を煮る前に、おおまかに取って置きますが、あとは煮た後に、繊維が弛(ゆる)むので、このときに奥に巻き込まれていて、浮き出ているようなものを取り除いています。

 

染め

 

まだ一度もやったことがありません。素朴で金色に輝く麻縄も好きですし、油が染みて銀色の光沢のある麻縄も好きですが、一度は ”染め” もやってみたいと思っています。

ユザワヤなんかには、綿や麻にも使える染料があるところまでは確認していますが、染料以外にも定着液とかいろいろあるのと、染色液に染色するする際にも過熱が必要らしく、実現は当分先になりそう。

日本の伝統的な染物なんかは、染色したものを川で、川の水に晒(さら)して、色落ちしないようにしたものですが、今では環境問題なんかで、そういうのは禁止されているのでしょうか?

 

 

写真家などが撮った 「緊縛写真」 を見ると、やはり、麻縄独特の光沢は ”深み” があっていいな~と純粋に思います。

しかし、自分自身 ”縛り” は好きではありますが、「麻縄使い」 ではありませんので、出来た縄の 「腰がどうのこうの」 とか、「鳴(な)りがどうのこうの」 みたいのは正直解かりません。

 

道具に凝るのは構いません。

しかし、緊縛の世界だけでなく、楽器にしても、ゴルフにしても、車にしても、サーフボードにしてもそうなのですが、良いものは確かに良い。だけど、道具の薀蓄(うんちく)はもうどうでもいいよ・・・というのも正直な気持ちです。

初心者や下手な人に限って、道具の薀蓄話が五月蠅(うるさ)いもの。

まともに板の上にも立てない連中の、道具の薀蓄話には、なんの説得力もないし、疲れるだけ。(~_~;)

 

自分が昔、教わったことを思い出して、書いてみました。

「麻縄作り」 にはまってる方の、ちょっとした 「参考」 にでもなれば、幸いです。

2016/03/22

言葉責め(2)

「言葉責め」 で書き始めて、随分と前置きが長くなってしまいました。苦笑

SM における 「言葉責め」。しかし、イザこうやって記事にしようとすると、自分の中で ”体系化” されたノウハウがあるわけでもないので、なかなか難しいものです。苦笑

 

「言葉責め」 で、まず言えること。それは、「言葉責め」 とは、”言葉” を介した 「心理戦」 であるということ。

言葉による応報は何も 「SM が御本家」 というわけではありません。口喧嘩しかり。ヤクザやチンピラなんかの脅迫(きょうはく)・脅し・恫喝(どうかつ)しかり。学校での言葉による ”イジメ” も本質は同じです。

 

言葉でまず優位性を確保し、続いて言葉で攻撃します。

 

しかし、どんなに ”汚い言葉” で相手を罵(ののし)って、自分が ”スッキリ” したところで、相手に十分な ”インパクト” を与えられなければ、”責め” としては意味ありません。

 

オラオラ系の人は、兎角そのような妄想に取り憑かれやすいのですが、責めるからと言って、大声を張り上げれば良いという訳でもありません。また、相手を罵倒したり、卑下するばかりが 「言葉責め」 ではありません。

自分の感情を言葉に出し切って ”スッキリ” するのかも知れませんが、SM でそれをやってしまっては、あまりにも ”独(ひと)り善(よ)がり”。そこまでくるともう、単なる欲求不満の極み。”マスターベーション” 以外のナニモノでもありません。(苦笑)

 

せめて、「責め手」 を謳う以上は、”責め方” をある程度は熟知し、言葉を発するのは沈着冷静に。責めたときの ”責めの効果” や ”相手の反応” を想定しつつ発しないと、様(さま)になりません。

ペテン師が、自ら用意した架空の世界に ”鴨” をうまく乗せるように、まずは、”受け手” を旨く、”自分の世界” に誘い込む。そして、受け手から想定通り、もしくは、想定以上の反応が返ってきたときに、はじめて、ほくそ笑むわけです。

そして、「言葉」 で相手の 「心」 を縛り、「言葉」 を手綱(たづな)のように扱い、相手をコントロールする ことこそが、「言葉責め」 の醍醐味であり、真骨頂なのです。

 

 

「言葉責め」 は、「言葉」 を使う以上、”責め手” と ”受け手” の間で ”言葉” が通じないと始まりません。ですので、人の話を聞いてない人、聞けない人は、”言葉責め” はあまり向いていません。また、自分のことにしか関心がなく、相手の状況を慮(おもんぱか)ったり、相手の反応を観察出来ない ”自己中” の人には、”言葉責め” は出来ません。

 

SM における 「言葉責め」 は、お互いの雰囲気を高めるための ”相互のコミュニケーション” であり、”言葉のキャッチボール” であるということ。

 

 

では、「言葉責め」 では、どんな言葉を用いられるのか?

 

「言葉責め」 の基本は、「毀誉褒貶(きよほうへん)」。誉(ほ)めて貶(けな)す。そして批評批判が基本となります。

「言葉を発する」 という意味を表わす ”表現” も、その人の持つ感情や、その言葉の持つ性格、あるいは、言葉の作用や、受け手の捉え方などニュアンスの違いによって、様々な呼び名があります。ちょっと分類しただけでも、これだけある。

 

1. ネガティブに作用する言葉 (ダウナー)

      叱(しか)る・貶(けな)す・罵(ののし)る・謗(そし)る・嘲(あざわら)う・

      論(あげつら)う・冷(ひ)やかす・見下(みくだ)す・茶化(ちゃか)す

2. ポジティブに作用する言葉 (アッパー)

      誉(ほ)める・労(ねぎら)う・宥(なだ)める・賺(すか)す

3. 相手の心理的状況を表わす、あるいは、相手の心理に影響を与える言葉 (トランス)

      辱(はずかし)める・唆(そそのか)す・弄(もてあそ)ぶ・揶揄(からか)う・

      誑(たぶら)かす・脅(おど)す・欺(あざむ)く

 

「言葉責め」 では、言葉のニュアンスだけでも、少なくとも、これに 「無言」 を加えた分の 「バリエーション」 が存在することになります。

重要なのは、「言葉責め」 に使われる言葉は、「貶(けな)し言葉」 ばかりではないということ。

「言葉責め」 のポイントは、「揺さぶり」 です。”飴” と ”鞭” ではありませんが、「誉め言葉」 と 「貶し言葉」 その他を上手に使い分けて、相手の心を 「揺さぶる」 ところにあります。

 

そして、「言葉責め」 のゴール。ここをしっかり認識されていない方が意外と多いのですが、ただ単に優位性を確保しただけでは駄目。「言葉責め」 のゴールは、相手の理性を全部言葉で封じ込める。そして、「言葉」 で相手を制圧し、最終的に相手を完全に承伏し、掌握すること です。

理性を麻痺させて、快感に集中させることこそが目的 なのです。

 

 

では、どの 「言葉」 が、その子に一番影響を与える言葉か?

それは、相手の M 性にもよります。羞恥に敏感な女性であれば、羞恥心を責めるのが定石です。羞恥に悶(もだ)えつつも、命令を優先させることで追い詰める。被虐志向の高い子の場合は、罵声によって、惨(みじ)めで絶望的な状況あるいは精神状態に追い詰める。

言ってしまえば、どちらもその M 性が、性的に高ぶる方向への 「追い込み」 なのです。

なので、言葉そのものも重要ですが、それ以上に大切なのは雰囲気づくりです。言葉の抑揚や、声の質もあります。話す速度もある。

確かに、女性が惹かれやすい 「声の質」 というものもあります。しかし、自分が ”天性の声色” でなかったとしても、諦める必要はありません。

 

「受け手」 からして見れば、「言葉」 の内容もさることながら、”その人” が発しているからこそ良い訳です。

M 女は、誰に対しても M ではないということ。信用と信頼が確立しており、自分が 「主」 と認めたひとに対してだけ M 性を発揮するものです。

「言葉責め」 は、ある意味、そんな M 女に 「主」 を ”再確認” させ、そして、「性の高まり」 に追い込んで行く作業です。

 

「言葉責め」 で一番大事なのは、相手をしっかり見つめて、二人だけの世界を確立してあげること。そしてその世界で、”愛” を込めて、自分の ”言葉” で追い込んであげることです。

2016/03/19

言葉責め(1)

身体は 「縄」 で縛れますが、心を縛るのは 「縄」 ではなく 「言葉」。

特に、SM において、「言葉」 は大変重要な道具です。

 

SM で使われる一般的な道具の類(たぐい)。

赤いロウソクもそうだし、バラ鞭なんかもそうですけど、言わば、催眠術で使われる ”糸で吊り下げられたコイン” のようなもの。キッカケを与えるためには重要かも知れませんが、一番大事なのは、責めと同時に発せられる ”言葉” なのです。

 

SM の真骨頂は 「心理戦」。 心に揺さぶりを掛けるのは、すべて 「言葉」 です。

 

 

諺(ことわざ)では、「苦言(くげん)は薬なり、甘言(かんげん)は疾(やまい)なり。」 なんて言葉があります。苦言とは、忠言(ちゅうげん)を意味します。忠言とは、真心の込もった忠告や諌(いさ)める言葉のこと。

 

「良薬は口に苦けれど病に利あり。忠言は耳に逆らえど行いに利あり。」

 

先の諺は、「苦言」 を聞くのは確かに耳の痛いもの。しかしそれは良薬と同じで、確かに 「苦い」 けれども、しかし 「薬」 のような効果があるのに対して、「甘言」 は、耳には大変心地良いけれども、しかし、それは病気のように身体を蝕(むしば)んでいく・・・という意味です。

 

 

「言葉は諸刃(もろば)の剣(つるぎ)」

 

という諺もあります。キリスト教の新約聖書にもある言葉。

人の口(舌)は、きれいなもの・・・神を ”讃(たた)える” 言葉も出てくれば、汚いもの・・・人を罵(ののし)り、貶(おとし)め、傷つける ”汚い言葉” も出てくる特殊なところ。

言葉は、人を生かし癒(いや)す道具にもなれば、人を殺し傷付ける道具にもなる。そして、それは自分の身にも、跳ね返ってくる。

だから、「使い方には、気を付けなさい」 という意味です。

 

刃物は肉を切りますが、言葉は人の心を切ります。

 

 

「言葉責め」 などと言うと、何か ”軟弱” な響きがあるように受け取る方もいるかも知れません。しかし、例えば、スパイに対する拷問や尋問、二重スパイへの懐柔。そして、ヤクザやチンピラの ”脅し文句” の類(たぐい)もそう。

これらの最後は、全て ”言葉” で締め括るもの。”鶏の水炊き” のあとの〆。雑炊のようなものです。そこできちんと〆られるかどうかがポイント。

 

言葉が通じる相手にしか ”効力” はありませんが、最終的に、相手の心に揺さぶりをかけれるのは全て ”言葉” なのです。

なので、言葉が通じない相手はマジで厄介。”力(ちから)” が関与する世界では、実力行使や抗争に突入しちゃうわけです。

 

ですので、言葉の威力は絶大。

 

 

”暴力” で引っ叩(ぱた)かれて出来た ”傷” は、くっつきますし、時間が経てば、その傷の色も褪(あ)せます。一番長引くのは、むしろ、それによって受けた ”心の傷” の方でしょう。

しかし厄介なのは、”心の傷” は、暴力によらず ”言葉” だけでも、相手に傷を負わせることが出来る点です。

 

夫婦仲が険悪な家庭では、言葉による応報は日常茶飯事(にちじょうさはんじ)です。

暴力を振るう夫に対しては、鋭い ”言葉” で対抗している主婦の方も少なくないかも知れません。

暴力はいかん。それは 100% 正しい。

しかし、心の傷のレベルでは、もしかしたら相手も ”ボロボロ” になるほど傷付いてるのかも知れないし、もしかしたら、あなた自身、言葉で相手を挑発しているかも知れない。

 

言葉だから、何を言ってもいい・・・とは思わないようにして下さい。

 

「言論の自由」 の意味を理解していない人も大勢います。「言論の自由」 とは、「言葉でならば、誰に何を言っても構わない」 という意味ではありません。

「言論の自由」 の対極には、そのような批評や批判を弾圧し、封じ込めようとする 「国家権力」 その他の既得権者を意識した上での、”自由に発言する権利” を言っているのです。

 

お互いに極限まで疲弊し、もしくは疲弊させたいのであれば別ですが、それは、そのまま ”家庭の崩壊” を意味します。

そのような家庭は、まず、冷静にお互いの話し合いができる環境づくり。そして、「言いたいことを言う」 場合にも、お互いの思いやりを醸成することが重要です。

 

「口喧嘩」 が耐えない ”仲の悪い夫婦” にお薦めなのは、プロレス風の ”マイクパフォーマンス”。笑

”プロレス” では一時期流行りましたが、そもそも、プロレスは ”ショー” 的な要素満載。観客に訴えるという ”他人の視線” を意識した会話のリズムを、二人の会話に導入することをお勧めします。笑

このマイクパフォーマンスの ”味噌” は、一方の話す時間に一定の時間制限を設けることと、もうひとつは、片方が話をしているときは、もう一方は聞き役に徹すると言うことです。

 

やる場合は、二人で 防音設備の整った ”カラオケ” にでも行って、自分のお気に入りの曲を 「リングへの入場曲」 にして、マイクは二人で ”1本” で。(笑)

 

でも、目的はその ”滑稽(こっけい)さ” を自分達で認識して、「楽しい時間」 を共有するためです。

なので、本気でマイクを壊して、お店から損害分を賠償請求されたからと言って、こちらに請求を廻すのは辞めて下さい。笑

あと、マイクのコードで女房(もしくは旦那)の首を締めるのは ”反則” ですので、絶対に辞めて下さい。正直笑えませんで。苦笑

 

SM の ”言葉責め” については、次回のコラムにて、いろいろ説明したいと思います。

 

(つづく)

2016/03/15

ネットでの「出会い」のススメ

ネットで人と知り合ったことある?【投稿でドットマネーがもらえる!】 ブログネタ:ネットで人と知り合ったことある?【投稿でドットマネーがもらえる!】 参加中

 

今週のブログネタは・・・『ネットで人と知り合ったことある?』

友人に彼氏ができたんだけど、
職業のジャンルとか全く違って、
普段なら出会えないような人だったの。

どうやって知り合ったの~はてなマーク
って聞いたら、
ネットで趣味のコミュニティに参加していて、
そのオフ会で知り合ったのだとか叫び

今は、ネットで知り合うというのも、
普通のことなのかもしれないねチョキ

ジェニーもネットで友達作りたいなアップ

みんなはネットで人と知り合ったことあるはてなマーク

 

[引用] ブログネタ詳細 アメーバブログスタッフ

 

まさか、ピグの利用者と 「リアルで会ったことがある!」 と告白させて、その投稿者を BAN する腹ではないですよね?苦笑

ドットマネーを餌に、そんな姑息な真似をしたら、炎上必至ですので、まさかそういう利用はされないものと思っていますが。(~_~;)

 

 

さて、自分の場合は、ネットで知り合った人と 「会った」 ことは何度もあります。ですので、もちろん、他の方達が、ネットで知り合った人と実際に 「会う」 ことも否定したりはしません 。

人間である以上、お互いに惹かれ合うこともあれば、意気投合することもあるでしょう。

特に異性においては、現実で対面していない分、外見などによる先入観に捉われず、話ができる・・・というメリットもあります。

 

欧米では、友人の紹介などで、お互いに顔を知らない状態で、いきなりデートする 「ブラインド・デート」 というのが以前から存在しました。日本のお見合いに近いものではありますが、事前に写真などを交換するわけではありません。

デート自体は二人だけの、リアルな対面形式。日本のように紹介者が介在して、一緒に立会いをして・・・なんてまどろっこしいことも一切ありません。

どちらも、好みはあるでしょう。出会うまでは、取り持つけれども、それ以降は完全に二人の話・・・というのが欧米流。

これは、”自分は自分”、”他人は他人” の色彩が色濃く、「アイデンティティ」 が確立されている 「欧米人」 にとっては至極 ”健全” な 「出会い」 の部類なのですが、日本人の場合はどうも消極的。

 

不要に貸し借りも作りたくないし、相手の顔を立てて、嫌々付き合うなんてこともしたくない。ましてや、リアルな友人知人であるだけに、下手に噂話なんかを立てられたくない・・・みたいな気持ちもわからないでもありません。

 

そうなると、今の日本で、「出会いが少ない」 という現状にある人の場合、もっと ”出会い” にネットを活用してみても良いのではないか・・・というのが正直な感想です。

だいたい ネットで ”出会う” こと自体は、後ろめたい行為でもなんでもない。

 

本来、ピグのようにコミュニティを形成したり、人と人との接触の多い SNS の場合は、頭ごなしに、出会うための連絡先交換などを禁止するのではなく、きちんとした ”出会いのためのマナー” のような 「ガイドライン」 を作ればいい。

 

 

ピグを 「出会い系」 などと誹謗するひともいますが、ピグは、ゲームや遊びといった要素の中に 「出会い」 があるだけの話。

コミュニティ空間である以上、他の人との出会いがあって当たり前です。

それを 「出会い」 が目的の 「出会い系」 と呼ぶのは如何なものか?

むしろ、ピグの良さは、非効率的な 「出会い」 にあります。「出会う」 ことを目的とするには、あまりにも非効率的なのです。

なので、ピグの場合、悪事?を働こうとする 「業者」 などの存在をまず見掛けたことがありません。また、ピグで実際に活動している人達の中で、「客探し」 のような 「営業目的」 で利用している人にも、お会いしたことは一度もありません。

理由は単純。それは彼等にとっても、ピグは 「鴨」 をみつけるためには、あまりにも 「非効率」 な場であるからです。

 

出会い系の SNS と呼ばれる類(たぐい)のサービスやアプリには全く詳しくありませんが、自分的には、それこそ 「出会い」 の効率性こそが売り。そもそも、出会うためのツールであり、出会った以降は使わないツールと認識しています。

 

ピグの場合、事実上禁止されるべきは、出会いを目的とした 「ナンパ」 とも言える、一方的に個人情報を尋ねたり、連絡先をしつこく聞き出そうとする迷惑行為でしょう。

 

 

とは言え、あまりにも、露骨なお誘いを容認してしまっては、ピグの品位を問われるかも知れませんし、またピグが、”狩場” のようになっては、ピグというコミュニティ自体が、荒れ果ててしまう怖れもあります。

確かに、ゆるく多用なコミュニティ作りに成功しているからこそ、その辺の 「運営の難しさ」 は理解しますし、理解できます。

 

 

しかし、ある一定以上の大人であれば、「出会う」・「出会わない」 は、本来は、本人達の自由。

そう思い、あらためて 「Ameba 利用規約」 を読んでみました。

 

 

ピグも、出会いを希望もしくは誘導を目的とした内容や、異性との交際や性交渉を目的とした内容、直接会うことを目的とした内容は禁止しています。

また、個人情報(フルネーム、電話番号、メールアドレス、住所、本人の顔写真等)を聞き出すことは禁止しています。しかし、禁止されているのは、”健全な目的以外で個人情報を掲載・発信する行為” ですので、健全な目的であれば、個人情報の掲載や発信は元より、個人情報の送信も、構わないことになっています。(また、この記述だと、”健全な目的以外での個人情報の送信” も問題ないことになっています。サイバーエージェントの法務部門は大丈夫でしょうか?苦笑)

 

直接会うことを目的とした内容の送信・・・というのが、具体的に何を意味するかは、良くわかりません。実際に利用者同士が会うことを前提とした会話その他を抑制したいことは、解かりますが、しかし、「健全化に資する運用指針」 を見ると、趣味や教養の交流の場であったり、オフ会の開催は禁止されていないように見受けられます。

一方で、直接会うことを目的とした内容は禁止されている。この場合、趣味のコミュニティのオフ会を実施するにあたって、オフ会の開催通知を作ったとします。

この場合、オフ会の開催通知は、”直接会うことを目的としていない” と解釈されているのでしょうか?それとも、オフ会の開催通知は、ピグの外でやれと言っているのでしょうか?

自分は、企業法務経験者ではありますが、はっきり言って Ameba がここで事実上何を規制したいのか、良く解からない。(苦笑)

 

異性との交際あるいは性交渉を前提に、連絡先などの個人情報を相手に伝えることは、文脈から規約に違反すると考えられますが、”健全な目的” であれば、連絡先などの個人情報を相手に伝えること自体は、禁止されていません。また、”出会い” も禁止されていません。

禁止されているのは、”出会い” そのものではなく、あくまでも、”出会いを希望” する内容や、”出会いへ誘導することを目的” とした内容を送信することです。

 

異性との交際(性交渉を含む)することを目的に、Ameba のサービスの利用することは、ピグに限らず全てのサービスにおいて禁止されています。しかし、異性との交際や性交渉を目的としていないにもかかわらず、結果として、異性との交際や性交渉に発展してしまうことは、当然ではありますが、禁止されていません。

 

 

いずれにしても、ピグのサービスを楽しみ、ピグの中で仲良くなり、交際(性交渉)や直接会うことを目的とせず、単純に ”ピグ以外で連絡を取り合う補助手段” として、自分から相手に連絡先を伝え、ピグの外でも連絡を取り合うこと自体は、オフ会同様、規約上は何も問題ない・・・ということになります。

 

とは言え、ここの運営は規約を、結構主観的あるいは恣意的に解釈をしている可能性もあります。したがって、”法的な解釈” としては、この記事の解説が正しかったとしても、それがそのまま、運営が警告を送付せず、かつ、BAN しないことを保証するものではありませんので、あしからず。(苦笑)


ブログでドットマネーを稼ぐ

2016/03/15

運営からのイヤミか?苦笑

2016年 3ヶ月連続で更新中�N���b�J�[


 

記事を勝手に削除しといて。良く言うわっ。

 

使用許諾において、削除規定に 「Ameba が判断した場合」 とある以上、組織的に ”内規” とかをきちんと作成して、判断しているんですよね?苦笑

それとも、運営担当者もしく担当部署の主観によるものですか?

 

使用許諾に基づいて、アメブロのシステムを使用させてもらっている以上、使用許諾については尊重します。しかし契約に基づいて、こちらの権利(著作権)を制限する以上は、御社の契約に基づく執行行為の正当性が、きちんと客観的に担保されていることが前提ですよ?

 

さすがに、「クレームがあがったから・・・」 みたいな、運営主体の判断根拠を ”他人のせい” にするような 「子供騙し」 みたいな言い訳は出て来ないとは思いますが。(苦笑)

 

約款における削除条項は、あくまでも、執行可能な行為の最大の範囲を担保するために規定しているものであって、それ以下であるから、ameba が使用許諾に自ら反しているというものではありません。

せめて、明らかな ”違反行為” は別として、そうでないグレーなものについては、記事を削除するのではなく、下書きに戻すなり、やりかたを変えられないものですか?

削除が可能なら、ブログ記事の先頭に 「運営よりの警告文」 を挿入し、下書きに戻すことくらいは可能ですよね?

 

この辺は、法務部門に確認してみて下さい。

技術屋は得てして、この辺を曲解したりするものです。

問答無用の事例もあるかとは存じますが、もうちょっと 「利用者にやさしい」 サービスにされていくことを期待しています。

2016/03/12

M 女の作法(2) - 「イク禁」 と 「ほう・れん・そう」[再]

前回投稿した記事は、”卑猥、猥褻な表現を投稿、送信している” と Ameba に判断され、削除されました。

 

内容は、自分的にはさほどの猥雑性もない程度の猥談。苦笑

自分自身全く、”そんな内容” とは認識していなかっただけに、「泣きっ面に蜂・・・」 ではなくて、「晴天の霹靂」

特に冒頭の、「ほう・れん・そう」 の部分は、解かりやすいように、噛み砕いて説明しようとしてたので、結構時間をかけただけに、大変残念。

確信犯であるなら、原稿のバックアップもとっておくでしょうけど、とっていませんし、ましてや、アメブロの場合は、意図的にかどうかは知りませんが、バックアップ機能がない。

 

せめて、悪質でない場合には、警告を出すのは良いとしても、記事については、下書きに戻すとか、出来ないもんですかね?

別に使用許諾契約で 「削除できる」 ことを担保しているからといって、何もそれをそのまま愚直に実行しなければならない・・・というわけでもないのですから。(苦笑)

 

まあ、今回は、かなり凹んだので、真面目に 「他のブログ」 へ引越しすることも、考えています。

 

でも、何が、原因だったのでしょう?

 

「イク禁」 の 説明文ですかね?

 

欲しくなったら、「(入れて)ください!」 と言いなさい。

気持ちよかったら、「気持ちいい!」 と言いなさい。

だんだん高まってきて、そろそろいきそうになったら、「いきそう!」 と言いなさい。

しかし、主の許しなく、勝手にいってはいけません。

そして、イクときは、「いく~!」 といいなさい。

 

これですかね?

 

また、削除されたら、これが 「卑猥」 だということになるのですが。

 

上記は、2016-03-12 18:49:44 に投稿したものです。

上記以外に思い当たるとすれば、あるのは、「イク禁」 に関連した会話例くらいのもの。

 

「あっ、あっ、いきそう!」

 

「いっちゃダメだよ!イクときは、ちゃんと許可を得ないとっ!」

 

みたいな程度のものです。

 

記事では、最初にビジネスにおける 「ほう・れん・そう」 について説明し、その後、SM における 「ほう・れん・そう」 も大事であると説明しています。何故ならこれが 「言葉責め」 の核心部分だから。

ビジュアルであれば、鏡に写った自分であったり、自分が映った映像みたいな感覚。言葉は受け手と責め手のキャッチボールが可能な、数少ない代表的なコミュニケーション手段だからです。

そして、代表例として、イクときの許可制である 「イク禁」 と報告義務 「ほう・れん・そう」 について説明する。それが、上記の記述です。

 

そして、これが実は、受け手の羞恥をあおりつつ、焦らす上で大変効果的であること。

書いた内容と言えば、そんな感じだったと思うんですけどね。

もし、運営の記録(エビデンス) として、記事の写しがあるのであれば、せめて、それをメッセージで送ってもらいたいくらいです。

 

って言うか、削除されてしまうと、以前の内容が確認できないので、いつまでたっても 「いたちごっこ」 です。

運営の業務を妨害するために、明らかに ”卑猥な言葉” をブログ中に書き殴っているわけでもありませんし。

 

2016/03/08

M 女の作法(1) - あいさつ [改]

とある SNS で、仲間と話をしていて、「あいさつ」 の話になりました。

 

ご主人様に対する 「ご挨拶」 から始まって・・・と言うのが、SM 調教の一般的なアプローチ。

 

しかし、自分の場合は、「挨拶」 の時間を確保するのは仕上げの段階を意味します。

挨拶のしかたは、当然ながら、初期の段階に教えます。しかし、それ以降は、特別に挨拶の時間は確保しません。それは、本人の自発的な言葉を待っているからです。

そもそも、挨拶は、奴隷以前?に社会人としての基本。本当に感謝の心、従属の気持ちがあるのであれば、本人の口から自然と出るものです。言われてすることではありません。

 

多分、責め手と受け手の出会い方によっても、その辺りの進行は変わってくると思います。

プライベートである場合、やはり、その辺は相手の素養や経験の度合いにもよりますし、どこまで二人の ”関係” が醸成されているかによっても大きく変わります。

 

一方、自分はあまり詳しくはありませんが、SM 倶楽部的なものとなると、多分事情は若干異なってくるでしょう。

 

SM 倶楽部のような場合は、下手をすると、お互いは全く知らない者同士。店と客の距離があるところに、S と M の距離が重なるわけですから、なおさら 「あいさつ」 は重要でしょう。

何回も通っていて、顔見知りになったからと言って、タメ口ついたり、あいさつ抜きでいい筈もありません。(苦笑)

自分は、SM 倶楽部に出入りしているわけではありませんので、実態を良く知っている訳ではありません。しかし、

 

「仕事としてやってるから。」

「客として来てやってるんだ。」

 

そんな雰囲気がちょっとでも出ようものなら、自分なら、塩を撒かないまでも、小手先の仕事だけして、追い返すかも知れません。(苦笑)

まあ、商売として看板を背負っている以上は、店の信用もありますから、実際には、店の看板を汚すような真似は一切しないでしょう。しかし、そういう客は、お客としては最低。同じ料金を払うにしても、もう、その時点で終わっています。(苦笑)

 

「親しき仲にも礼儀あり」

 

ってやつです。

 

お店に可愛がられる客 「上客」 は、店に対して敬意を払います。だから丁寧語で話す。

店側は、その敬意を感じとれるからこそ、「本当に楽しんでいって貰おう!」 と本気で誠意を見せる。

 

自分は料理人なので、どうしても、カウンター越しの 「お店視線」 的になってしまいますが、客商売に限らず人間関係の基本はみんな一緒だと思います。

 

 

SM 調教においても、基本は 「躾(しつ)け」 から始まります。

今日から 「奴隷ちゃん」 として接するというときには、まず、挨拶のしかたを教えます。

作法やルールもきちんと教える。

挨拶のしかたは、主によってそれぞれ異なります。自分の場合は、脚をキスで濡らし、それを自分の髪で拭(ぬぐ)わせるのが基本です。 【ルカ7 36-50】

主従の違いをはっきりと認識させるために、床に這(は)い蹲(つくば)らせ、足蹴(あしげ)にもします。

しかし、そこに本人の 「気持ち」 がどれだけ入るかは、本人の問題。

 

SM プレイだから、”ご挨拶” するわけじゃないんです。笑

調教やプレイで、その機会が与えられなかったとしても、あいさつの機会はたくさんあります。

「待ち合わせ」 のときの 「出会いの挨拶」 もそうなら、帰る前の 「お別れの挨拶」 もそう。

 

形式的なことは、覚えさえすれば 「振舞う」 ことはできます。

しかし、それを調教で教え込んだところで、今はもう暖簾(のれん)を下ろしてしまった 「日光猿軍団」 とさほど変わりはありません。

気持ちから湧(わ)き出てくるものでなければ、カタチだけの挨拶が出来ても、全く意味がありません。

なので、「こいつは、いつ気がつくかな?」 と思いつつ、いつも自分的には 「模範」 を見せてるつもりでいます。

 

そして、醸成されていくのを、ただひたすら待ちます。

木が熟したときに、心からきちんとした挨拶ができるかどうか。

心のないものは、ここで篩(ふるい)に落とされます。 【ルカ12 35-48】

 

儀礼ではあっても、一番重要なのはハートです。本当の愛奴となり得るか否か・・・。自分の場合は、その見極めを、挨拶でしているのかも知れません。

 

感情表現が上手くないひとは確かにいます。しかし、ある程度の期間、調教していても、主に対して、感謝の気持ちや愛情を表現できない子に、礼節を教え込んであげるほどのボランティア精神は、自分は持ち合わせていません。

なので、足蹴(あしげ)にして、狂(くる)おしい状態にまで、のた打ち廻らせてあげるのは、本当に心が通じた相手だけ。

 

何故ならば、主にいつでも挨拶できるポジションが、まず、その人にとって一番心地よい場所でなければ、全く意味がないからです。

 

そんな感じなので、必然的に、一番最後になっちゃうわけです。苦笑