2ntブログ
2016/03/06

中折れくんをどう扱うか?

知っているひとは知っている、通称 「中折れ」。

勃起はするのですが、男性器の硬さを維持できず、膣(ちつ)への挿入が困難になったり、あるいは、射精がないにもかかわらず、性交の途中で、膣内で十分な勃起状態の維持が困難になることを言います。

 

中折れは、勃起不全なのか?

それとも、インポテンツ?

用語の違いから、原因やメカニズムに至るまで、その辺は全く詳しくないので、ネットで調べてみましたが、中途半端なコラムよりは、Wikipedia の 「勃起不全」 の説明が包括的に書かれていたような感を受けます。

 

自分の場合は幸いにも、未(いま)だに現役。スギちゃん並みにワイルドに活動してはいますが、しかし、齢(よわい)も五十路(いそじ)。当然ではありますけれども、流石(さすが)に三十路(みそじ)の時分と比べれば、勢いも硬さも衰えてきています。(苦笑)

当時は、それこそオールナイトで 「抜かず3~4発」 なんてことも出来ましたけど、さすがに今は無理。

未だに、一回に平均3時間くらいの時間はかけますが、6時間程度のフリータイムで、2発が体力的にも限界です。しかも、当日よりは翌日の方が、体力的な消耗がきつい。(苦笑)

飲みすぎたりしない限りは、未(いま)だに、実用には十分耐えられる状態にはあるものの、しかし自分も、そういう意味では、いつ 「中折れ」 を経験してもおかしくない年齢にあります。

 

 

某 SNS で相談に乗った範囲では、「中折れ」 相談で一番若かったのは 30代後半。相談者は、その人の彼女だったと思いますが、その男性は、「ストレス」 や 「心意性」 によるものだとして、”青い薬” の摂取は拒んでいるとのこと。

 

自分が知っているもうひとりの男性は、某 SNS で仲良くしている主婦(ここでは仮に Y子としておきます)の彼氏(注: 旦那ではない)。齢は四十路(よそじ)半ばか、もうちょっと上。

その彼氏も既婚者らしいのですが、既にその家庭の夫婦生活は破綻しており、愛は全くないという状況。二人はネットで知り合って、付き合い始めて、もう長いらしいのですが、その主婦Y子曰(いわ)く、

 

「あいつは、もう弱くなってダメだわっ。薬飲まないんなら 『別れる』 って言っといた。」

 

(えっ?それだけの理由で切られちゃうんだ・・・)

女性おそるべし・・・

 

しかし、その彼氏は、その彼女と別れたくない一心で、薬を入手し、薬を飲んでチャレンジしてみたところ、「問題ない状態」 以上に回復したらしい。(笑)

その後、また話をする機会があったので聞いてみたところ、

 

「あいつ、あれから自信持ち始めちゃってっ。(苦笑) どうだと言わんばかりに、調子に乗ってばかりだから、やっぱり、あいつは切るわっ!」

 

(~_~;)

 

まあ、もう何年来の腐れ縁。

結局 Y子は、今でも、その彼氏とも付き合っているようではあります・・・。(苦笑)

 

 

男の扱いもなかなか難しいもの。

 

自己中心的な男は、何を言ったところで、”自分” にしか興味がなく、他人の話は聞いていないので何も通じません。話すだけ時間の無駄。(苦笑)

まあ、これは自己中に見られる固有の現象で、特に男性に限った話というものでもないのですが、女ごころを理解していない男性の無神経さと、デリカシーの無さも兼ね備えていたるすると、「男はなんでいつもこうなの?」 となる。(苦笑)

 

しかし元来、男はナイーブなもの。

 

話を聞くと、結構多くのひとが、自分の 「中折れ」 を疲労や精神的な要因と断定し、その後セックスレスに突入している感じがしています。

男の 「つまらないプライド」 による副作用は、数えるとキリがないかも知れませんが、但し、動物の牙や角、タテガミではありませんが、「アソコの大きさ」 をコンプレックスに感じている人も世の中には少なくありません。

無意識ではあっても、そのような人にとっては、「男が勃たない!」 というのは、男の孤剣(こけん)にも関わる一大事であるわけです。

 

だから、女性が気を使えば使うほど、男性は 「うしろめたく」、逆に 「プレッシャー」 を感じる可能性は大いにあります。

それに、男性は、追われると逃げ、逃げるものは追いたくなる習性があります。

男性を傷つけないように、気を使っているつもりが、逆に男性には 「性的交渉の要求」 というプレッシャーを与えてしまう。

 

 

相手を傷つけないようにすることも大事ですが、そこを意識するあまりに、腫れ物(はれもの)扱いをするのは逆効果です。

 先ほどの Y子の例ではありませんが、ドライでなければいけません。

そして、もうひとつは、その本人のショックを打ち消すほどのモチベーションを与えること。

 

お疲れ気味。中折れ気味で、なんとなく釈然としない男。

 

Y子は、単刀直入に、彼氏に対して ”青い錠剤” の摂取を要求しています。そればかりでなく、間髪入れずに、相手の退路を塞いでいます。”飲まないなら別れる宣言” です。(笑)

彼氏は、そこで明らかに意思表示をしないと彼女を失う状況に置かれてしまっているのです。

 

「薬を飲まないと、Y子が逃げちゃう!」

 

彼氏がそのように思ったかどうかは、本人に確認してみたわけでもないので、解かりません。しかし、その彼氏の場合は、咄嗟(とっさ)に 「逃がしてはいかん!」 みたいな感じで 「狩猟モード」 のスイッチが作動したのでしょう。

結果、その彼氏は、Y子の ”飲まないなら別れる宣言” に対して、飲むことをその場で約束し、みごと 「お付き合い」 の回復に成功してるわけです。

 

”飲まないなら別れる” という結論の前に、「中折れは誰にでもあるのよ」、「きっと疲れてるのよ」、「今は良い薬があるの」 などなど、いろいろと棘(トゲ)のない言葉を山のように並べられたところで、そこに 「論理的な説得性」 があるわけでもないので、男にとっては 「ネチネチと説教する上司」 とあまり変わりません。

むしろ、その間、頭(こうべ)を垂れていなければならない分、精神的には苦痛でしょうし、気遣いが感じられれば感じられるほど、本人には 「無言のプレッシャー」 になってしまう可能性もあるわけです。また、防衛本能の強い男性に対しては、自分を弁護するのに都合のいい理由を与えてしまうキッカケともなりかねません。

 

 

そう考えると、Y子のアプローチは、皆さんも最初読まれたときには 「なんだ?この女性?」 と思われたかもしれませんが、彼女は実際に、彼氏に ”青い薬” を飲ませることにも成功してるし、なかなか、アプローチも理に適っている訳です。笑

誰にでも、とれるアプローチではないかも知れません。少なくとも Y子の場合は、彼氏は 「Y子と別れたくない」 という強い意志があったのは事実です。笑

 

実際に夫婦関係であれば、「今更・・・」 みたいな感もあるかも知れません。「わざわざお金をだしてまでしたくない・・・」 みたいな状態にまで、関係が冷え込んでいたら、困難かも知れません。

 

しかし、それでも女性側が不満なら、「じゃあ、回復しなかったときは、外に彼氏を作るけどいい?」 と家庭外セックスの公認を求めてもいいかも知れません。

そういう提案をするだけで、逃げる獲物を追いかける 「狩猟モード」 に突入する男性も、中にはいると思います。笑

 

 

あと、この記事を見ている中折れ気味の男性諸君へ。

 

まず、いくら悩んでも、いくら凹んでも、治るもんじゃないんじゃないの?

「心頭滅却すれば火もまた涼し」 と言えるくらいの精神力があるならまだしも、「気合い」 で治せる自信がないなら、悩まずにさっさと病院に行けば?

神経細胞の破壊が原因だと思うなら、ミチコバールでも処方してもらえばいいけど、あんなの中身は単なるビタミン剤だから、プラシーボ効果以上はあまり期待できないぞ?笑

病院に行ったところで、どうせ、血液マーカーが出るわけでも、超音波エコーなんかで原因が確認できるわけでもない。投薬に問題がないかどうかを確認するだけ。

昔の人であれば、中折れするようになったら、いくら性欲があってもすることができない以上、耐えるしかなかったわけだけど、今は、良い薬があるんだから、処方してもらえるなら、さっさと試してみたら?・・・と言いたい。

薬を使わないのに越したことはないけどさ、薬使わずにヘタレてるのと、薬使ってでも硬くなってるのなら、硬いほうが使い甲斐あるだろ?

糖尿とか高血圧とかで、処方すらしてもらえなくなった後にね、「使いたいっ」 って言ってもさ、「後の祭り」 なんだし。それに

 

その薬を誰に使うのかは、本人の自由なんだから www 笑

 

2016/03/05

S は何故 「調教日誌」 を書かせるのか?

SM では良く、自分の愛奴に、「調教日誌」 あるいは 「調教日記」 といったものを書かせたりします。それが一般的かと問われると微妙ではありますが、昔からある、ひとつの楽しみ方。

ただ、昔は、主たる媒体(メディア)と言えば新聞か雑誌くらいしかありませんので、雑誌への手記の投稿という形で行われていました。当時の雑誌投稿は、それこそ、便箋(びんせん)に手書きでしたため、写真などを同封して編集部宛に送付するわけです。

今よりも、何倍も時間も手間が掛かりましたので、大変敷居(しきい)が高かった。
それゆえに、その書き手の思いは、さぞかし複雑であったろうと推測します。書いているときの書き手に圧(の)し掛かる重圧もかなりのもの。しかし、原稿を完成させて投稿し、採用されたときの喜びは、一入(ひとしお)でしょう。今とは比べ物にならない筈です。(笑)

最近でこそ、ブログという形で、個人単位での情報発信も簡単になり、大変便利になってきてますが、「調教日誌」 自体は特に、ネットが発達したがゆえの 「最近の風潮」 というものではありません。しかし、ネットの発達によって、「調教日誌」 の敷居が低くなり、大変身近な存在になったのは事実でしょう。


では、今も昔も、S は何故、愛奴に 「調教日誌」 を書かせたがるのか?

「調教日誌」 には、いろいろな思いが錯綜(さくそう)しています。笑

ひとつには、日記を付けさせる行為自体が、愛奴に常にプレイを想い起こさせるキッカケとなり得ること。
彼氏にキスマークを付けてもらいたい女性や、緊縛で敢えて肌に縄目を残してもらいたい女性と一緒です。
彼女たちが何故 「痕(あと)」 の残して貰いたいのか?それは、後日にその余韻を楽しむためです。彼女等は、次の日に、キスマークを見たり、縄目の痕(あと)を見ては、その日のプレイを思い起こしているのです。

日記も、その日の出来事をそうそう簡単に記述できるものではありません。結果、愛奴は、調教日誌を執筆するために、1日何時間も、その日の調教を思い起こし、それをしたためます。
日誌とは言え、どんな行為をしたかが重要なのではありません。
相方の言動を、どのように解釈し、そして自分がどう反応したか。身体はもちろんのこと、心の叫びもきちんと思い起こさなければならないわけです。

感じまくっていれば、それこそ前後関係すら、記憶は 「おぼろげ」 だったりするもの。しかし、「やりっぱなし」 ではなく、その時間を相方に思い返させることも重要なのです。
後日、愛奴にプレイの内容を何度も思い起こさせる。そのひとつのやりかたが 「調教日誌」 を書かせること・・・であるわけです。
翌日とかに、それを眺(なが)めては、思いに浸(ひた)る感覚。「調教日誌」 を書かせることで、それを強制的に味あわせている訳です。


では、それでおわりか? とんでもありません。(苦笑)

次は、「調教日誌」 の公開です。笑

M 女に 「露出願望」 があるかないかによっても、アプローチは微妙に変わってきます。
交換日記のように、主に見せることを前提に、一種のラブレターのような感じで作成させる場合もありますし、「調教日誌」 の公開を前提として作成させる場合もあります。
いずれにしても、実際には公開にまでは至らなかったにせよ、その 「体験」 を告白させたり、あるいは、投稿用の 「写真」 を用意させたりする行為自体が、ある意味、羞恥をくすぐる 「責め」 や 「焦(じ)らし」 と言った 「プレイ」 となるわけです。(笑)

SM は貪欲です。

ドS は何も、普通のエッチができないから、あるいは、エッチに自信がないから、道具を多用しているわけではありません。苦笑
電動おもちゃも、縄もロウソクも、使えるものなら何でも使う。
九尾のバラ鞭(むち)も麻縄も必須ではありません。バラ鞭がなければ、その辺の靴べらで十分。
道具が主役なのではなく、主役はあくまでも 「俺様」 であり、可愛い愛奴なわけです。笑
そういう意味では、「調教日誌」 も、二人の SM プレイのための 「ひとつの道具」 に過ぎません。

愛奴に 「調教日誌」 を書かせ、主はそれを査読し、朱(しゅ)を入れます。
「調教日誌」 を仕上げるという行為が、二人が戯(たわむ)れる遊び場となり、二人の作品となっていくわけです。笑
「調教日誌」 の完成のみが目的なのではなく、そのプロセス自体を 「SM プレイ」 として楽しんでいる訳です。笑


しかし、SM 的には、これでもまだ十分な解答とは言えません。

自分が、愛奴に 「調教日誌」 を書かせる意味。

それは、まず、自分とのプレイにおいて、受け手が自分の責めをどのように認識し、どのように感じていたのか、それを知りたい。
プレイでは、常に愛奴の声を聴き、表情も観察はしています。
背後から、硬くなった 「いちもつ」 を蜜壺の奥まで差込み、言葉で責め、触れるか触れないかぐらいの感覚で、背中に舌を這わせては、そのときに発する声を聴き、蜜壺の収縮具合も含めて、愛奴の反応を確認してはいます。

しかし、実際に感じている感覚には、「相違」 があって当たり前。
M のスイッチが人によって異なるように、本人が何に反応しているかは、人それぞれな訳です。
自分の認識とは異なり、自分が無意識に発している 「女性をおもちゃ」 にしてる感覚や、ちょっとした 「薄ら笑い」 に対して、強く反応していたりする場合も多々あります。(苦笑)

個としての相手を知る。知りたい。だから、調教日誌を書かせるわけです。

他の人達が、自分と同じかどうかは解かりません。しかし自分の場合は、出来るだけ 「受け手」 からのフィードバックを得ることで、PDCA サイクルではありませんが、相方と同期を取ろうとしている。
そのための 「手段」 が、自分にとっては 「調教日誌」 な訳です。


S は、SM プレイにおいては、愛奴を護る 「ボディガード役」 でもあり、そして、SM の世界における 「ガイド役」 でもあります。
肉体的な快楽に終始するか、それとも、その快楽を、精神的なレベルにまで昇華(しょうか)するか。それは全て S の手に委(ゆだ)ねられているものです。
そして二人の快感を高めるためには、当然ではあるけれども、相手をより深く知る必要がある。
SM では、そうやってお互いのコミュニケーションを高め、深い精神性な繋がりを築いていく訳です。言わば 「心理戦」。

しかし、SM を愛好している人であっても、自分の嗜好趣向を求めてばかりいて、「飢えた狼」、あるいは、「お腹を空かせた豚」 の如(ごと)く、彷徨(さまよ)っている人も少なくありません。
多くの場合、そういう人達は、道具や責めを真似てるに過ぎません。自分も振り返ってみれば、そういう時期はありました。
かなり昔の話ではありますが、「わかってないなっ」 と言われて、困惑した記憶もなくはありません。苦笑

縄で綺麗に縛れると、確かに格好良い。笑
緊縛は芸術性があるし、吊りは職人技とも言える技術です。しかし、縄で身体は縛れますが、心を縛るのは、実は縄ではなく言葉であり心。
縄に限りませんが、SM の道具は、催眠術師の使う懐中時計とか穴に糸を通した5円玉みたいなもの。
縄がなくても、縛れるようになりますが、それは、ソロバンの有段者がソロバンなしに暗算できたり、あるいは、剣道の有段者が竹刀なしに立ち回りができるのと同じこと。
いきなりやろうとしても、出来るものではありません。

「調教日誌」 なんて・・・とお思いの人もいるかも知れませんが、お互いに快楽を貪(むさぼ)りつつも、愛奴の心を理解し、愛奴の心をほじくって、悪い病巣を取り除き、より良い人生に導いてあげること。綺麗事かもしれませんが、これこそが ドS の醍醐味(だいごみ)。
多分、「エゴマゾ」 や 「なんちゃってドS」 にはわからないかとは思いますが、主従愛によらず、対等な感覚で単に肉体を貪りあっているにすぎない SM や、心が通いあっていない SM は、愛のないセックスとあまり変わりません。