2ntブログ
2018/09/18

【引用】 シングルマザー支援をうたう悪質セミナー商法の手口

「引用」 と言いつつ、ほぼ 「無断転載」 w

 

垢を消されていながらも、肩を持つわけではありませんが、アメーバのピグは、「出会い系」 ではありません。ピグに、「出会いたい利用者」 がいるのは事実ですが、業者が狩りをするには、あまりにも非効率過ぎるのです。

 

ですので、出会いたい人を探す業者は、「出会い系」 に行きます。

 

ピグには、現役の風俗の人もいます。

しかし、ピグに来る目的は、お客探しみたいな営業目的ではなくて、息を抜くため。

営利狙いの人、あるいは、営利狙いのセミナーみたいのに上手く乗せられている人は、とりあえずブログをやります。(笑)

 

オレは、ワタシは・・・・

こんなにポンコツだったけど、こんなになったのーーーーー

今は、すごいのーーーーー

 

ふうん。

 

アメーバのビジネス系だと、関西の弁護士さんとか、あと、ダンスヘアさんとは、結構長いこと繋がっていますが、地道に頑張ってますね。

こういう人たちが、マトモなひと。

 

スピリチュアルやら、わざわざ毒をすんごく薄めて飲む人たちの生き方を、否定するわけではありません。何故なら、これらも、量子力学で言う 「シュレディンガーの猫」 だからです。

 

閑話休題。

 

えっと、引用と言いつつ、ほぼ無断転載の 「女性セブン」 の記事です。

最近の記事に書いた高校教師もそうですが、オレオレ・・・を含めて、こういう 「鬼畜」 には、ご注意ください。

 

シングルマザー支援をうたう悪徳セミナー商法の手口

 

「素晴らしい人生を送るために!」といった呼びかけに応じてイベントスペースなどの指定の場所を訪れると、愛想のよい講師が登場して、セミナーが始まる。こういったセミナー商法のいかがわしさについて、その危うさを知らせる情報が様々に発信されてきたが、主催者たちは扱う品目やターゲットを変えながら、いまも商売繁盛らしい。ライターの森鷹久氏が、危ういビジネスに巻き込まれてゆくシングルマザーたちについてレポートする。

 * * *
 都内某所にある貸会議室の入った雑居ビル。吸い込まれるように入っていくのは20代から50代と思しき女性、総勢十数人だ。それぞれが美しく着飾り、メイクやヘアスタイルもいかにも「よそ行き」の雰囲気で、首都圏から来た人もいれば、奈良や兵庫、四国から駆け付けたという女性もいるようだ。二時間が経過した午後6時ごろ、件のビルからまた女性たちがぞろぞろと出てきたかと思うと、一部の集団が近くのダイニングバーに入る。

「今日はね…勉強会だったの。これから打ち上げで、いろいろな情報交換をするの」

 参加者の一人30代のAさんは、この会合のためにはるばる新潟からやってきた。「お金がないので高速バスで来た」という割には、10万円はくだらない流行のハンドバッグにドレッシーなブルーのノースリーブワンピース、足元はピンクベージュのパンプスといういで立ちで、どう見てもゆとりたっぷりのオシャレな奥様だが…。

「実は私、シングル(マザー)なんです。地元(新潟)にいてもお金は稼げないし、東京に来て同じような境遇の人たちと"先生"からいろんなことを学んで、いい生き方をしないとと感じてね」

 漠然としていてよくわからないが、要はシングルマザーという境遇の女性たちが、一人でも子育てをし、豊かな生活をするためのセミナーに参加している、ということらしいのだ。すると、冒頭のよそ行き姿の女性たちも全員がシングルマザーで、ひよりさんと同じ志を持った人々ということだろう。

 一体全体、どのような講義が行われており、女性たちは何を学んでいるのか。

「シングルマザーが輝けるライフスタイルのご提案です。シングルマザーがメインのファッションショーの開催や、ビジネスマッチング、資産形成のご案内なんかもやっております」

 こう話すのは、セミナー運営側の女性だ。連絡先の電話番号に筆者が問い合わせると、質問に淀みなく答えてくれたのだが、やはり今一つ“何が行われているのか”見当がつかない。打ち上げを終え、居酒屋から出てきた女性二人組に話を聞くと、意外なセミナーの“実態”が浮かび上がってきた。 

 

「Facebookでメッセージが来て、それで参加したんですが…。なんというか、株の投資をしないかという怪しい勧誘でした。シングルマザーで稼いでいるという女性講師が出てきて、いろいろお話を伺ったんですがよくわからなくて…」(セミナー参加者Bさん)

 もうひとりの女性も憤りを隠さない。

「私もSNSがきっかけできたのですが…。最初は運気とかスピリチュアルとか、私が興味のある話をしてきて、そういう仲間が集まる会合、ということでしたが、来てみると全然違っていました。というか、有名な占い師さんとかアーティストが集って、シングルマザーのファッションショー出演者の顔合わせもやる、と言われていたんですよ。

 そしたら仮想通貨とか株との話になって…もう、わけが分からないので二人で出ようかといって…」(セミナー参加者Cさん)

 二人とも首都圏在住の女性で、いずれもシングルマザーだった。面識はなかったものの、会合に違和感を感じたもの同士でこっそり出てきたというのだ。

 後日、上京してセミナーに参加した前出のAさんに話を聞くと、このセミナーが「シングルマザー」を狙ったプロジェクトである実態が浮かび上がってきた。

「セミナーの後、四次会くらいまであったのかな? 三次会は株や投資に興味のあると答えた女性だけが呼ばれて、運営者の一人の自宅という南麻布のマンションでお酒を飲むの。そこには経営者の中年男性なんかも来てて、投資するお金がないなら“お金を貸してあげる”もしくは“水(商売)でもなんでも稼ごうと思えば仕事はある”などと誘ってくるのね。四次会はその男性たちと女性がカップルになって部屋を出てく。

 実は…そこには懇意の男性がいて、その方は会うたびに援助してくれるのね。私は投資とかヤだし、割り切った関係作りに来ているだけ。中には投資にハマって風俗してるママもいる。SNS経由で知り合った新規のママ友が風俗や水商売で働いてくれたら、紹介者にお金が入ってくることもあるから、結構ギスギスしてるんだけど、最初はそういうの気が付かないからね…」(Aさん) 

 

彼女たちが出演するという「ファッションショー」もこれまでに実際に数回は行われたことがあるというが、ショーでカメラマンとして動いた経験がある男性(四十代)もまた「シングルマザーにつけ込んだひどいイベント」と切り捨てる。

「シングルマザーが輝ける、などと言って、女性たちからウォーキング代とか衣装代、ヘアメイク代と金を徴収し、どうしようもないショーをしているだけです。中小企業の男性社長なんかがたくさんやってきて、女性の品定めみたいなこともしており、バックヤードでは"あれは俺のオンナ"などといって酒を飲み盛り上がっています。

 容姿に自信がない女性でもショーに出られるのは、言われるがままに風俗で働きながらセミナーが勧める投資案件に金を預けているから。この投資では多くの女性が損をしたとかなりのクレームが出ているのに放置されています。みんな借金抱えて風俗で働く羽目になり、余裕もないからか訴え出ることもできないと。僕のギャラだってほとんど踏み倒されたようなもので、文句を言うと着信拒否され、まともに取り合ってくれない。ひどい連中です」(カメラマンの男性)

 筆者も以前、ファッションショーと銘打ち、出演者の若い女性達からカネを集めるだけのグループについて取材し、取り上げてきた。社会について無知な若い女性、ようするに"弱者"を狙い撃ちにした許されざる所業だったが、今回のターゲットは「シングルマザー」。

 どちらが「かわいそう」などと比較はできないが、事情がありシングルになり、一人で頑張って子育てそしている女性につけ入って騙し、カネだけでなく性まで搾取しようとする卑劣さには、言葉も出ない。同様の事件を取材する週刊誌記者が解説する。

「SNSが使いやすくなって普及したことで、こうした形で犯罪に巻き込まれてしまう、被害を受けてしまう人々が増えました。そういった人たちの多くが、若者やシングルマザー、お年寄りといった弱者です。SNSはプロフィールや生活ぶりが見えるので、ターゲットが弱者であるかどうかの判別がしやすい。つらい立場に置かれた人にアプローチして、幸せとかカネとか聞こえのいいことを言って誘い出すんです。

 ここで先行投資して仲間に広めれば、あなたは利益を得られると言って誘う仕組みはマルチまがい商法そのものです。扱うのが商品なのかインチキなファッションショーなのか、あるいは投資商品なのか性なのか、とい違いしかありません。被害者が被害者を呼ぶ仕組みもそのままです。手を変え品を変え、よくやるもんだと思いますよ」

 類似の事案はほかにも数ある(週刊誌記者)というが、いずれも被害者たちの多くが泣き寝入りしている。というのも、彼女たちには対抗できる「知識」が無く、日々を生きるのに精いっぱいで、自分たちから搾取するグループを相手に戦ったり、訴訟に費やすパワーも残っていないからだという。 

 

そして「騙された自分が悪い」と逆にふさぎ込んでしまい、その事実を記憶から消し去ろうとする。最悪なのは、そうやって追い込まれた女性をターゲットにする詐欺師も存在し、彼女たちはさらにボロボロになるまで「利用」されるのだ。

 騙される方が悪い──本稿を読んでそう感じる方も少なからずいるだろうが、決してそうではない。それは、DV被害者に対して「加害者は一見まじめに生活を送っているようだから、殴られる側にも理由があるのでは?」と邪推するのと同じだ。自分からは見えていなかった一面を否定したいために加害者の過失を認めず、起きた出来事をどうとらえるかという事実の認知をゆがませ、被害者に過ちがあるとしてしまう。

 おかしいのはどちらなのか、落ち着いて考えればわかることだ。常識がどうあれ、暴力を振るったり、金銭やひいては人生を搾取する側に過失があることは明らかであるし、それらは決して正当化されるべきものではない。

 計画性がないからシングルマザーになった、彼女たちは精神的に不安定な人が多いから仕方ないという無意識の思いこみをもとにした、被害者に過失があるという考え方もまた危険であると指摘したい。それは、裏返せば加害者に対する責任追及の声が弱まることを示しており、悪がのさばっても世間は知らん顔、見て見ぬふりをする。その結果、卑劣な連中が開き直る。そうして開き直っている人たちが、本稿で取り上げた、シングルマザーを狙う狡猾な者たちだ。

 このまま同じような感覚が蔓延し続ければ、誰であっても、卑怯者の餌食になったとき「騙された方も悪い」と言われる日が来る。自分たちはそんな目に遭わないと油断してはならない。彼らは、人の弱みにつけ込んで搾取するという点において、非凡な能力と努力をするからだ。騙されて追い込まれないよう常に緊張する、そんな殺伐とした社会で生きていくことを望んでいる人は、いないのが普通だと信じたい。 

 

2018.09.17 16:00 

ニュースポストセブン より

 

2018/09/15

本家の話(最終回)

「本家の話(3)」 のつづきです。

 

昨日を以って、本家の 「ちょびワルおや路」 が、とうとう運営に垢ごと抹消されました。

後継として、先代のご冥福をお祈りすると共に、今まで可愛がって下さった皆様方(衝突を繰り返した人たちも含む)には、厚く御礼申し上げます。

 

今回は何故、一時的にせよ、垢が復活したのか。ことの顛末を書いておきたいと思います。

 

発端は、ポイント換金

 

実は、偶然なのですが、ちょうど垢がBANを喰らう少し前に、アメーバのドットマネーをアマゾンのポイント換金を依頼しておりました。しかしその通知が、垢がBANを喰らう前も後も、いつまでたっても来ない。

 

ドットマネーの事務局に連絡してみると、ドットマネーの通知で行っているとのこと。交換に際してはメアドまで連絡してあるのに・・・ と思いましたが、まあ、その辺は外部のメールでは、セキュリティの問題などもあるという運営側の考えもあるのでしょう。

 

しかし、その通知を開けぬままに、アメーバの全ての垢が、抹消される事態に。

その問題を、ドットマネー事務局に問合せたところ、期間限定で垢を復活してくれたのですが、ブログについては完全抹消状態。

 

しかし復旧後も、おかしなことに、ドットマネー口座の垢は復活したのですが、ログインしてみたところ、通知が参照できない状態で、結局は、受け取れないままに。

多分、ドットマネー口座も復活させたのであれば、さっさと参照させれば、良さそうなものですが、見せれない何かがあったのでしょう。

その番号を使っても、既に振り出し済みであるなら、社内の不正以外にはあり得ませんから、当然、そんな証拠を部外者に見せるはずもありません。

 

後付けのドットマネー規約承諾の取得

 

その後、しばらくして、何があったかというと、ドットマネー口座にログインすると、ドットマネーの利用規約と承諾を求めるダイアログが表示されました。

多分社内で、明示的に利用者の承諾をもらった記録がないことが、問題となったのでしょう。

 

ドットマネーの利用許諾は、ほとんどがアメーバの運用ポリシーのようなもので、違反行為をすると、「アカウントを削除するぞー」 というものです。(苦笑)

まあ、アメーバとしては、ゆえに 「ちょびワルおや路」 のアカウント停止により、ドットマネーも使えなくなったとしても正当である、と言いたいのでしょう。

 

争点

 

ここでの争点は、三つあります。

 

① 運用の適法性

 

ひとつは、約款に瑕疵がないとして、その適用は、自分のケースに対して適切か否か。もちろん、裁判になれば、判断するのは、アメーバではなくて、裁判官になります。(笑)

そして、約款にあることは良いとして、実際の運用が、慣行的にどのように行われていたかも、裁判においては重要な論点となります。

要は、第三者の視点からして、実際の運用が適切であると認められるか否か。

 

② 残存ポイントの措置

 

もうひとつは、アメーバのブログやピグは、それでも良いのですが、ポイントや換金が絡むということで、ドットマネーの場合は、他にも法律の制約を受けるということです。

具体的に言うと、「資金決済法」 です。これに基づいて、管轄の財務局長への届け出や登録を伴う業務であるということ。

そして、発行に際しては、発行保証金の供託を伴う金融行政管轄の業務であるということです。

 

そもそも、「資金決済法」 とは、消費者保護を目的としているものです。

これ以外にも、換金可能なポイント制度については、「景品表示法」 や、「消費者契約法」 による縛りを受けます。

管轄的には、「財務省」 だけではなく、「消費者庁」 も関係してくるということ。

 

少なくとも、残存ポイントは、見逃すとしても、手続き的には、資産としての換金は終わっているわけですから、アマゾンギフト券の債権は自分にあります。

但し、手続き的には、自分はまだ受け取っていない状態にあるわけです。

 

まあ、これからの展開は・・・、将来の楽しみとして、とっておくことにします。(笑)

 

③ システムの合理性

 

そして、最後の争点は、アカウントを削除される直接的な原因です。

 

アメーバのブログにあるアフィリエイト検索機能を使用して、出てきた商品を貼り付けただけの行為が、アメーバの利用規約に違反すると判断されたわけです。

しかし、アメーバの記事の方は、機械による自動チェックと人手によるチェックで、フィルタリングをしているのに、アフィリエイト検索では何もないというのは、「片手落ち(今は障碍者に配慮し、禁止ワードとなっていますが)」 ではないかということ。

 

そもそも、「バイブ」 も 「ローター」 も、「電マ」 も、禁止ワードではないのなら、何でそれを掲載した記事が、アメーバの利用規約違反に問われなければいけないのでしょうか?

大きな疑問は、ここにあります。

システムの実装上、大きな課題があるのであれば、事前に利用に際して注意喚起が求められることは言うまでもありません。それが、善管注意義務というもの。

 

またまた、法律用語で申し訳ありません。(^^;)

 

問題なら、キーワード検索のところに、いつもの禁止ワードフィルターを掛ければ良いわけです。まあ、そんな実装をすると、高額でコミッションの高い 「フェ☆ラーリ」 なんかは、売れないことになりますが。(^^;)

 

***

 

まあ、そんなかんなで、一時的であるとは言え、結果的には、「ちょびワルおや路」 を復活させることが出来ました。

 

久々に、アラフォー広場を、例の如く周回していたところ、

 

   「最近、あのひと見なかったね~」

   「久々に見た~」

 

みたいな会話を聞くことが出来ました。

 

皆様の記憶に残る 「変態おやじ」 でありましたが、どうも長らくお世話になりました。

これからは、「チョビワルおや路・リターンズ」 として、復活しますので、どうぞ皆様、よろしくお願い致します。m(_ _)m

2018/09/15

心の中の深い傷

前回の記事 「20年前に“女子生徒と性的関係” 都立高教諭を懲戒免職」 のところで、懇意にしてもらっている姫さまから、考えさせられるコメントをもらいました。

 

姫のお友達の場合は、トラウマ状態と言ってもいいでしょう。

 

男性は、好奇心からだったり、いたずら半分だったり。未遂に終わったから、もう本人も忘れているだろうと思えるようなことも、女性の心の中では、醜いカサブタになって、心の奥の隅の方に放置されていたりするのです。


イメージで言うと、そこだけ雑然と、何も掃除されていない薄暗いところがあって、枯れ葉やいろんなもので覆われていて、積もっているものをどけると、そこから、真ん中が盛り上がった、分厚いカサブタが出て来る・・・

 

そんなイメージです。

 

トラウマは、女性だけではありません。男性にだってあります。

しかし、性的な行為では、圧倒的に、女性が受け手の場合が多いはずです。

 

若い時分に、実のお兄さんから、いろいろと触られたり、襲われたりする恐怖を味わった子もそうですし、学生時代に、レ☆プにあった子もいます。相手がひとりの子もいれば、複数の子もいます。目つきが明らかに異常な男性に、追いかけ回された経験のある子もいます。

 

今まで、飼って来た愛奴は、そういう過去の記憶が絡んでいる人もいれば、インナーマザー的なものが、絡んでいる場合もあります。

拒食などの摂食障害や潔癖症もそうなら、ブランドものに走る心理もそう。

自分を飾る心理の裏に、自分を守る心理が隠れていたりするのです。

そして、そういうひとは、自分に拘っていたりします。

 

SMとは、単なる「酒池肉林の宴」ではありません。中にはそういう人もいるでしょうが、自分の場合は、裏では相手の心を探り、そして、どうやって相手を壊し、どうやって相手を組み立て直すかを考えているのです。

美しく縛ることを、追求しているひともいるでしょう。

自分の場合は、如何に心を縛るかが、いつも課題なのです。

 

そのような女性とずっと接してきて、男性ながらに、男性は女性の気持ちを分からないと思うことがあります。

そのひとつが、今回 「姫のコメント」 に描かれていたこと。

 

多分、男性にとって、このような女性と同じレベルの経験といったら、男に無理矢理、カマを掘られることぐらいでしょうか?

 

男性は男性で、好きな女性に振り回され、ポイと捨てられ、傷付くひとも多いでしょう。

どんなに自分が相手のことが好きでも、女性は 「これじゃなーい」 と思うと、ポイと捨てますし、男性が傷付くことも平気で、機関銃のように吐き捨てます。(苦笑)

中には、母性が豊かで、可哀想な男性に尽くす女性もいたりしますが、それはそれ。

 

最近の肉食系女子と草食系男子の場合は、どうなのか良くわかりませんが、女性は、常に自分を委ねられる、安住できる相手を求めており、それが出来ないと却下。(苦笑)

男性は、どんなに真剣に、相手のことを思っていたとしても、拒絶されたら、大泣きでもして、やけ酒をあおって、次なのです。(笑)

 

これは、男女の肉体的な性差というよりは、心が男性寄りか、女性寄りかによります。

男心、女心というのは、メンタルな世界の話です。

 

閑話休題。

 

男女の恋愛は、本当にいろいろです。

「教師と生徒の恋愛」も、そう。

 

女子生徒の親から 「淫行条例」 に問われて、職を失いながらも、本人同士は性的関係にはなく、愛し合っている先生と生徒もいれば、そうではなく、体育会系のノリで、セクハラにパワハラ三昧の先生もいるでしょう。

セクハラにパワハラに抗することが出来ず、媚びを売る子がいたとしても、何も不思議ではありません。

先生に思わず惚れてしまう 「おじさま好き」 の女子がいるのも、事実です。

 

そして、大事なことは、姫も言っていたように、合意を得たとは言っても、それをきちんと、ひとりの人格として判断できる精神年齢ではないこと。それが一番重要なことでしょう。

 

三船美佳が16歳で結婚した、高橋ジョージと三船美佳のケースも、それに近いのかも。

 

高橋ジョージにしてみれば、16歳の美佳も、今の美佳も、同じように頼りなく思うのでしょう。

しかし、美佳にしてみれば、全然違う。

結局、自分の価値観を押し付けてくるジョージに対して、自分の人格を認めないモラハラ的な嫌悪感を感じたわけです。

 

同じようなことを、一般の人は、子育てで経験します。

子供がどんどん成長するにつれて、徐々に相手に任せていく。

 

ジョージの場合は、美佳の独立を後押しする立場にないゆえの、悲劇でしょう。

 

この先生は、最後にこの女性の全てを受け容れたんだと思います。

それで、女性の気持ちが収まるわけでも、ありません。

ここまで後を引いているというのは、かなり、お友達のケースに近いのでしょう。

 

まだ、カサブタが、「じゅくじゅく」していそうです。

 

どんなことがあったのかは、わかりませんが、しかし、ここまで教師生活を続けており、そして、最終的に自分に対する処分を受け容れたということは、良識があり、そして、女性の気持ちを尊重できる先生であると、推測します。

 

ならば、女性もこれをキッカケとして、立ち直って貰いたい。

そして、「先生に悪いことをした」 と思うときがあるのなら、それを無駄にしないためにも、立ち直って貰いたいと思います。

もちろん、そんな後ろめたさを一切感じないほど、鬼畜だったのなら、「ざまあみろ」 と思って、一区切りを付けて、あとは自分の人生を歩んでいって貰いたい。

 

ただ思うのは、年齢的に、今のこの女性の年齢が 「16(伊代の年齢)+20」 とすると、30代半ば。

この時期は、体内に分泌する女性ホルモン量が減少しはじめ、相対的に男性ホルモン量が増えることによって、女性が 「したくなる」 時期なのです。

この時期の女性は、例えば、結婚する前も、してからも、「セックスは好きではなかった」 と言う女性でさえ、性に目覚める女性がいる時期なのです。

 

この女性にとって大事なことは、過去の記憶を精算し、自分を取り戻し、そして、逃げることなく、「自分にとっての性は何なのか」 を考えることなわけです。

2018/09/13

20年前に“女子生徒と性的関係” 都立高教諭を懲戒免職

20年前に“女子生徒と性的関係” 都立高教諭を懲戒免職

東京都教育委員会は、20年ほど前に勤務していた高校の女子生徒と性的な関係を持ったとして、59歳の男性教諭を懲戒免職処分にしました。

 都教委によりますと、多摩地域の都立高校に勤務する59歳の男性教諭は、1999年11月から2001年3月まで、当時勤務していた高校で担任をしていた女子生徒と合意の上、複数回にわたって性行為を行いました。今年2月になって、女子生徒側から男性教諭に当時を振り返る電話があったことを受けて、教諭が現在勤めている高校の校長に打ち明け、問題が発覚したということです。都教委は9月12日付でこの男性教諭を懲戒免職処分にしました。男性教諭は「教師として取り返しのつかないことをしてしまった。反省し、後悔している」と話しているということです。

 

実につれない話です。

 

20年ほど前に女子高生なら、今は、36歳前後ですか。

この女性にとっては、やはり合意があったとは言え、そこまで残るものだったのでしょうか。

 

女性からの連絡を受けて、取り返しのないことをしたと思った59歳。

 

59-20 = 39

 

20年前と言えば、ルーズソックス時代でしょうか?

東京での 「淫行禁止条例」 が、平成17年の6月施行ですから、えーと・・・・

今年が平成30年ですから、今から、13年前。

 

当時は、なんでもアリアリの時代でした。

 

法的には、刑事罰は喰らわないはずですが、職務規定とか教員としての倫理違反に問われたのでしょうか。

 

若い時分の、若い同士の恋愛は、恋愛の練習試合のようなもの。

やはり、「教師と生徒」 の恋愛は、生徒が教師を神聖化するだけに、あとあといろいろと心の葛藤があるのかも知れません。

 

それに気付いた上での判断であれば、マトモ・・・

 

そうではなくて、学校の看板を守るための懐柔だったのなら、最低www

 

59歳で、懲戒解雇なら、退職金も出ません。

 

それなら、退職金をもらって、せめて、その女の子にもお金を渡して、話をすれば良かったのに。

 

・・・と言うか、その子は、そんなつもりはなかったのではないかな?

 

既婚未婚、既婚でも子供がある・なしで、女性の人生は多様。

その子の本心は、ただ、先生と話をしたかっただけではないのかな?

 

なんか、かなしくなるニュースでした・・・

2018/09/07

本家の話(1)

今日、本家の 「ちょびわるオヤ路」 と会えたので、

 

イメージをたくさん、キャプチャーしてきました、のだい好き姫さまドキドキ

 

期間限定の復活です。叫び

 

その理由は・・・・

 

また今度。ウインク

 

 

2018/09/02

努めよ常に (3)

「努めよ常に (2)」 の記事の続き。いよいよ最終回です…

 

 

4.奴に力と書いて努 - SM奴隷編

 

(1) 家では、とことん踏ん張る

 

「踏ん張る」 とは、股とかお腹とか、下半身に力を入れて、「ふんっ!」 と力を込めること。要は、踏ん張って壊れるなということ。

「壊れるな・・・」 と言う意味は、「気を抜くな・・・」 という意味でもあり、また、「役割を果たせ・・・」 と言う意味でもありますが、そればかりではありません。

家では、(主たる)自分とのことで 「うろたえるな・・・」 と言う意味でもあります。

 

男と女が離れてるとき。昔であれば手紙や電話、現在は、それに加えてメールやSNSのチャットと言ったところでしょうか。しかし今も昔も、会えないときの揉め事ほど、収集がつかないものは、ありません。

 

「妻」、「母」 または 「嫁」 であるときに、家の外のことで壊れてしまって、泣いたり、物思いに耽ったり、落ち込んだり、あるいは、うつつを抜かしたりするのも、いけませんが、苛々したり、怒ったりも禁物なのです。家では100%、「家内」 でなければいけないのです。

 

家にいるときは、常に、踏ん張って堪(こら)えてナンボ。

 

だから、「努めよ常に」 なわけです。

 

ドーーーーーン !! (←姫、コレ借りたよ?苦笑)

 

(2) 会ったときに壊れる

 

そして、もっと言えば、壊れるのは、会っているときだけ。

壊れるの意味は、相手に委ねる の意味もありますし、相手に感情を発露する という意味合いもあります。

全ての思いや、気持ちを吐き出すのは、会っているときだけで良い のです。

そうでないときは、せいぜいガス抜き程度にとどめておく。

 

(3) 旦那はその逆

 

ちなみに、常に相対している、自分の伴侶(パートナー)に対しては、この逆です。

顔を合わせているとき、あなたが壊れてはいけません。壊れないように、股に力を入れて踏ん張らないといけません。これが 妻の努め。

そして、その代わりに、「夜の営み」 を求められた際には、演技の方に力を入れて、思いっきり脱力すれば良いのです。こちらの方は、妻の務め。

 

もちろん、ラブラブな夫婦ラブラブ の場合は、その限りではありません。

営みの方でも、いっぱい気持ち良くなって、踏ん張って下さい。(笑)

 

余談.緊張と弛緩、メリとハリの話

 

(1) ウンコの話

 

子供が好きな ウンコ に例えると、人前で ウンコ をしたくなっても、人前で ウンコ が洩れそうな素振りは見せず、(洩らさないように)踏ん張りなさいと言うこと。そして、脂汗を垂らしながらも、何とかトイレに駆け込み、ドアの鍵をきちんと閉めて、ズボンやパンツを脱ぎ、そして、トイレットペーパーの有無も確認して、準備万端整ったと思ったら、人知れず壊れる場所と、壊れてもいい状態が整ったわけですから、思いっきり股に力を入れて、便器に全てを委ねなさい、と言っているわけです。

 

男女の逢瀬も、セックスも、そして家庭の生活も全て同じ。大事なのは、オンとオフ、メリとハリを付けることなのです。

 

(2) 自分に対する甘えをなくす

 

家庭では、常に顔を合わせている気安さからか、それとも、身近な存在という甘えからか、つい相手に頼りたくなってしまいます。本来大変なときに、家族の助けを求めること自体は、決して悪いことではありません。良くないのは、相手に対する気安さから、自分の中に生じる 「甘えの気持ち」 です。

 

不倫にしろ、婚外恋愛にしろ、多少とも 「疚(やま)しさ」 があるのであれば、その気持ちを払拭するために、「頑張ろう」 と股に力を入れて、家族に努めることが出来るはずです。

罪の意識があるのであれば、それをプラスに活用する。そして、家庭の生活で、多少辛いことがあっても、それを吐き出すのは、家の中ではなく、逢瀬のときに吐き出すのです。

 

大事なのは、自分に対する甘えを断ち切るときと、甘えて良いときを、明確に白黒区別すること。

 

(3) 家庭の位置付け

 

家は、安全で安心な食と睡眠を提供し、家族で共有する場所です。しかし、「性」 は本来 「秘め事」 であり、家の中で共有するというよりは、男女の間の特殊な二者関係なのです。

なので、性教育などは別ですが、家には基本、「性」 は持ち込まない。

 

恋愛対象がご主人であれ彼氏であれ、男と女の感情は本来は、家では大っぴらには、出してはいけないのです。

「痴話喧嘩を子供の前でするな」 と言うのも、ある意味そういうわけですから、ましてや、不倫や婚外恋愛における色恋の感情などは、絶対に家に持ち帰ってはいけないわけです。

不倫や婚外恋愛なんてのは、人目を忍んでナンボなのです。

家に帰って思い出したとしても、のろける気持ちであろうと、苛立つ思いであろうと、ぐっと忍び、股に力を入れて、堪(こら)えるわけです。

 

(4) お母さんは家の中の太陽

 

大黒柱は、お父さんかも知れませんが、お母さんは、家の中心にある太陽なのです。

お母さんが元気で、ニコニコと笑顔を絶やさなければ、ご主人も子供も家族は皆元気良く、出掛けて行きます。家を実質回しているのは、お母さんなのです。

お母さんは、家族が安心して食べ、安心して寝れる環境を維持しているのです。

 

しかし、家事は毎日の仕事。そして、家事に見返りは求められません。このために、多くの主婦が自己犠牲のように感じ、悩み苦しむのです。

不倫や婚外恋愛が、もし、あなたの生活の活力になるのであれば、自分ばかりが美味しい思いをするのではなく、あなたは、あなたが得たその恩恵を、少しでも多く、家族に還元するべきなのです。

その活力を家の中で、太陽を燃やすエネルギーとして使うべきなのです。

 

5.思いっきり壊れるということ

 

「思いっきり壊れる」 とは、自分の感情を発露し、欲望を剥き出しにし、プライドも何もかも捨てて、自分を相手に委ねることです。

そして、相手に甘えるのです。甘えるという行為は、自分に甘え、自分のプライドを守るために、相手を攻撃するのと正反対の行為で、相手に降伏し、白旗を揚げ、相手に対して敵意がないことを示し、相手に服従を誓う行為です。

 

動物であれば、お腹を見せる行為です。

 

これは、ある意味、相手が自分を受け容れてくれなかった場合は、殺されたとしても致し方のない状態なのです。

くすぐったくて笑いが洩れるという生理現象も、相手が自分に触れる刺激による緊張と、脳が相手を受け容れていることに伴う弛緩。そのの差異によって生じる、脳の混乱だと言われています。

 

そして、女性のオーガズムと言うのも、極度の緊張状態からの弛緩により生じる痙攣(けいれん)であると言われています。

 

無意識ではあるものの、くすぐったくて漏れる笑いも、甘えるという行為も、そして、オーガズムにしても、どれも、相手を必要とする行為です。そして、意識は相手を許容していても、身体の細胞レベルでは、刺激は危険の兆候として認識され、オーガズムに至っては、自分の死さえも許容しているのです。

 

壊れた自分を見せれる相手に対しては、自分が壊れても支障を来たさない場所で、自分が壊れても問題が起きない状態・条件下で、思いっきり壊れる。

まさしく、ジョルジュ・バタイユが説いたハレの日であり、浪費であり、蕩尽であり祝祭。「日常」 とは正反対にある 「非日常」 の行為に当たるわけです。
  

***

 

女性は日常においては、踏ん張るために股に力を込め、非日常においては、壊れるために、股に力を入れるわけです。

 

「努めよ常に」

2018/09/01

努めよ常に (2)

「努めよ常に (1)」 の記事の続きです…

 

「女のマタに力と書いて努」の話。

今回は、前回の学校編と社会編に続き、自分が愛奴に説明している会話「(愛奴との)オトナ編」のご紹介です。

 

ドーーーーン !!

 

 

3.女のに力と書いて努 - (愛奴との)オトナの会話編

 

自分は自分の愛奴たちに、

 

   「家では、妻や母そして嫁として踏ん張りなさい・・・」 

 

と言っています。 しかし、一生懸命踏ん張って、でも、それ以上もう、どうしようもなくなったら、

 

   (主である)自分の(目の)前で、思いっきり壊れなさい・・・」

 

と言っています。

 

日常生活で、「踏ん張り」 は大事ですが、それで、いっぱいいっぱいになってしまったら、どうしましょう?

 

奴隷の場合、ガス抜きは、主の前で行うのが基本になります。

では、主がいない人の場合や、主がいない場合は、どうしたら良いのでしょうか?

その場合、自分で少し壊して、ガス抜きをする以外にはありません。

但し、日常生活の中で、壊れて(脆くも壊れ落ちて)しまっては駄目。そうならないように、あくまでも、人の見ていないところで、こっそりとガスを抜くしかありません。

 

(1) ガス抜きの基本は二人

 

ガス抜きは、あくまでも、① 信頼できる人の立会いのもと、② 問題の起こらない場所で、③ 問題が起こらない状態で、が基本です。

SMの場合、そのような空間と時間を、主が愛奴のために用意しているのに、他なりません。


SMでの羞恥プレイには、例えば、野外露出などの屋外プレイがあります。ノーパンプレイも、初心者向けの羞恥プレイのひとつです。

こういったプレイでは、主の役割として、愛奴を責めること以上に大事なことがあります。

それは、愛奴をトラブルから守るということです。どんな手段を使ってでも、守り抜く気概が求められるのです。

何故なら、最悪の場合、桜田門が登場する可能性も排除出来ないためです。

他人を参加させる場合なども、同じです。

 

愛奴は、(主が用意した)非日常的なシチュエーションの中、(主を信頼し、守りを全て主に)委ねることで安心しながらも、自分は非日常的なプレイに集中し、そして、自分の心の不安や恐怖と戦いながら、エロティシズムと性的な興奮と刺激にまみれ、最後の最後に、自分が壊れるまで、そのプレイを楽しむわけです。

 

信頼を寄せることの出来る、主がいるからこそ、そこまでプレイに集中できるわけですし、ある意味、何かあったら、主が私を助けてくれるという信念のもと、不安や恐怖心と戦いながらも、プレイに自分を委ねることが出来るわけです。

 

SMにおいては、かなり以前に、Sは先生のS、Mは・・・みたいな記事を書いたことがありますが、まさしくその通りなのです。

自分では、ウンコを出せない患者に対して、ウンコを掻き出し、踏ん張らせてウンコを出させる行為が、自分では、泣けない患者を泣かす行為が、イケない患者をイカす行為が、まさしく、これらの全てが、SMなのです。

 

だから、どうしても、もう一人が、必要なのです。

M女には、自分の苦しい状況を熟知しており、そして、治療出来る能力があり、自分が信頼を寄せることが出来る主が必要なのです。

 

では、主がいない人の場合は、どうしたら良いのでしょう?

相手(パートナー)がいないわけですから、お金を払ってでも、相手を探してくるか、あるいは、当然、一人でするしかありません。

 

(2) 一人でガス抜きをする場合

 

一人でする場合は、当然、主が担っていた役割を、自分が果たす必要が出て来るのです。

主の代わりに、自分自身が注意を払って、問題の起こらない場所で、問題が起こらない範囲でするしかないわけです。

これは、簡単なように思うかも知れませんが、自分で自分を手術するようなもので、なかなか難しいのです。

自分が主の役割も果たさなければいけないとなると、まず、気が散って集中できなくなりますし、頭が真っ白になって、そのときの周囲の状況が何も見えないみたいな状態には、怖くてなれないのです。

 

なので、行動自体は、似たことが出来るかも知れませんが、心理的な状況は、二人の場合と一人の場合では、全く違うのです。

期待できるのは、そのような類似行為をすることにより、そのときの状況を鮮明に思い出すことと、自分がそういう行為をしたという事実から、自分は大丈夫なんだと思い込む、一種のプラシーボ効果ぐらいなのです。

 

しかし、本人にしてみれば、ないのとあるのでは、やはり違いはあるのでしょう。

 

一人で出来ることと言えば、まずは、自分が壊れないように踏ん張ること。出来れば、「いつ迄」 みたいにゴールが見えていた方が、挫けないで済みそうです。(苦笑)

壊れそうになったら、踏ん張りつつも、そこから自分の関心を逸らすことも重要です。

しかし、どうしても壊れそうになったら、自分でガス抜きをする以外、ありません。

 

その場合は、今まで主がしているように、壊れても安全な状態を自分で作り出して、勢いで破裂しないように、ゆっくりと・・・、様子を確認しながら・・・、する以外にありません。

 

言いたいこと。それは主が目の前に居ないときは、奴隷であってもなくても、踏ん張る以外ないということなのです。

 

(つづく)