個人の好みと偏見ではありますが、緊縛で一番オーソドックスであり、ポピュラーなのが、この 「後手縛り(ごてしばり)」 です。「後ろ手縛り(うしろでしばり)」 もしくは 「高手小手(たかてこて)縛り」 とも言います。
手首を身体の前方で縛る 「前手縛り」 に対し狭義の意味で、腕を身体の背後に廻し、背中側で、手首を縛ることを 「後手縛り」 と呼ぶ場合もありますが、「後手縛り」 と言えば通常はこの 「高手小手縛り」 のことを言います。
高手(たかて)とは、腕の肘から肩までの部分を、小手(こて)は、剣道などで有名な呼び名ですが、手首から肘までの部分をさします。
料理人風に説明すれば、手羽先の部分が 「小手」 で、手羽元の部分が 「高手」 ということになります(笑)
「後ろ手縛り」 も、いろいろな縛り方がありますし、ひとによってもさまざまです。
後ろ手で手首(小手)を縛ると同時に、腕の部分(高手)の自由が利かないように身体に固定しているものは基本全て、高手小手。
「高手小手」 というと、「高手小手に縛り上げる」 みたいな表現は古くからありますが、SM の縛りはそもそもそんな由緒を求めるような 「高尚なもの」 ではありません。
縛り方自体は、捕縄術(とりなわじゅつ) 的な要素も多く取り入れられてはいますが、人の捕獲を目的とした早縄や、護送時の拘束や監禁等を目的とした本縄などとは、そもそも目的からして違います。
とは言え、皆さんそれぞれが 「こだわり」 をお持ちです。
縄師に師事して教えを乞い、そして、自ら盗んだものを大切にするような方もいれば、受け手の感覚や安全性など実践的なものを重視する方もいます。また、緊縛写真など緊縛の芸術性を追求されている方など、さまざまです。
緊縛は、和彫りの刺青(いれずみ)同様、奥行きと深みそしてエロティシズム漂う、日本の代表的なサブカルチャーのひとつ。
この 「後手縛り」 は、その代表と言えるものです。
時代モノの番組で、刑罰に処せられる罪人が、市中引き廻しにあったり、処刑されたり、あるいは、盗賊に捕らえられてみたいなシーンでは、お馴染みの縛りでもあります。
縛り方はいろいろですが、まずは後ろ手にして小手(手首)を縛り、残りを胸縄にして、胸と高手(腕)を一緒に巻きます。
胸縄は、胸を挟(はさ)み込むように、乳房の上と下に巻き、下の胸縄の部分は、縄が抜けないように、腕と胸の間に 「閂(かんぬき)」 を通すのが一般的ですが、下の胸縄ではあえて腕を縛らないひともいます。
自分の場合は、雰囲気を高めながら、縛っていく場合は、小手から順に縛っていきますが、手っ取り早く巻きたいときや、途中で休憩をはさんで、長い時間楽しみたい場合には、途中で手首の部分を解(ほど)いてあげれるように、胸縄から巻いたりしています。
首縄もバリエーションのひとつ。背後から、首の付け根を介して、胸縄の下縄に通し、V字に折り返して、逆の首から戻すようにして、乳房の挟み具合を調整し、胸縄を固定します。
これも、乳房を挟み込むことによる刺激を重視する場合と、乳房がきれいに見えるようにする場合とで変わって来ますが、そもそも、乳房の大きさや質感はひとそれぞれ違います。
この辺の縛り方は本人の趣向にもよりますが、胸がひしゃげるほど挟みたいひともいれば、ブラではありませんが、それこそ一番見栄えのする状態にキープできるように、いろいろと縛り方をアレンジするひとなどさまざま。
この縛りは、一番の負荷は手首に、続いて、胸縄に掛かります。手首の痺(しび)れやうっ血には注意する必要があります。
ホムンクルスのマップ は有名ですが、手や指の神経は、特に繊細です。後ろ手に縛って、仰向(あおむ)けにするような場合には、手首に負担がかからないように、座布団や枕などで、腕に負荷が掛かりすぎたりしないような配慮も必要です。
高手をかける場合も、腕の外側や裏側には、神経が集中しているので、強く縛り過ぎないこと。
そもそも、胸部は、呼吸で伸縮する部分なので、きちんとした姿勢で縛らない限り、いくら力任せに縛ったところで所詮(しょせん)ゆるみます。
今でこそ、ロープの織り込み自体に伸縮性を持たせた 「綿ロープ」 などもありますが、そもそもは、伸縮がほとんどない麻縄中心の世界です。
そんな 「緊縛」 の真骨頂は、縛る際に縄を編(あ)み込むようにすることで、全体の縛りに伸縮性を持たせ、結果として、部分的に弛(ゆる)みが生じないようにすること。
力任せに縛って、縛るほうは、それで満足できるのかも知れませんが、折角(せっかく)自分に信頼を寄せてくれているパートナーを傷付けた上に、恐怖感を植えつけるようでは、本末転倒。どんなに強がってみたところで、未熟以外のナニモノでもありません。
「後ろ手縛り」 の良さは何か?
何で自分がこれが好きなのか・・・ 実は、まだ良く解かってません (苦笑)
でも、自分の心を問えば、やっぱり 「たまらない」 のは、縛られたときに受け手がそれなりに、その人なりに 「観念する表情」 を見せること。それに尽きます(笑)
観念すること。
それは、ある意味、その受け手が、この世のしがらみや、社会的な常識そして倫理や道徳と言った 「社会的束縛」 から逃れる瞬間であります。
以前紹介した、海老縛り(胡坐縛り)や蟹縛りが、受け手の羞恥心を煽(あお)る縛りであるとするならば、高手小手縛りは、受け手に従属と服従を求める縛りと言えます。
そして、自分が愛し、そして尊敬する者として許容している 「主」 に対する 「従属」 そして 「服従」 の瞬間こそ、本来は、受け手である M にとっては至極の時間である筈です。
だからこそ、縛り手にとっても、受け手にとっても価値のある 「縛り」 として、多くのひとに認識されているのでしょう。
そういう意味では、やはり、SM そして 「緊縛」 を代表する 「縛り」 と言っても、過言ではありません。