とある出会いと別れ - A子の場合
※ 「奴隷ちゃん」 へのラブレター)であり、実在する個人・会社・組織団体とは、
※ 一切関係ありません。
【本文】
その女性とは、実際に会うことなく別れることになった。
仮にその子の名前を 「A子」 としておく。
A子は、上品な話しっぷりで、常に人に対して配慮のできる女性だった。
しかし、これはネット上での話。彼女とは、とあるソーシャルの広場で出会った。
出会いも、はじまりは単なる 「普通の会話」。
ガツガツと 「やらせろ~!」 とばかりに、ぶっきらぼうに口説く、その辺の直球系のナンパ野郎とは訳が違う。
チャットで、いろいろと話をしたものの、しばらくは、普通のお友達。
他の仲の良い友達を交えて話をしているうちに、だんだんと次第に仲良くなった。
とあるラジオイベントに一緒に出掛けて、聴いたりしているうちに、次第にお互いのテンションは高まり、心も繋がってくる。
しかし、ある日の朝、予想だにしない連絡を目にする。
「旦那に見つかってしまい、これ以上ソーシャルを続けることができなくなりました。申し訳ございません。短い間でしたけど、ありがとうございました。」
ほんのつかの間の 「恋愛」 だった。
旦那が勝手にスマホをチェックするということは、事前に聞いていた。彼女も、それを前提でスマホを使用していた筈である。
そのときは、短絡的に 「ひどい旦那だ!」 と感じた。
しかし、今思い起こせば、もしかしたら、彼女に前科があったのかも知れない。
そもそも、旦那は被害者なのである。「大人の恋愛」 に家族を巻き込んではいけないし、巻き込んだ時点で、その恋愛はもう 「終わり」 なのである。
***
その日の前の晩、彼女から、スマホ経由で連絡が届いた。
自分: 「こんばんは。」
A子: 「こんばんは~♪ 今、湯船から打ってます♪」
そのシチュエーションに驚いて、思わず戯(たわむ)れてしまった。
もしかしたら、普段になく長湯をし、ちょっとテンションの高い 「妻」 に対して、旦那が 「ちょっとした異変」 を感じてもおかしくない状況である。
そしてその後、家族が寝静まった後に、彼女と再びソーシャルで密会した。
彼女は淡々と、そのときの自身の肉体的そして精神的な状況を説明する。
A子 は、盛んに 「鳥肌がたった!」 と連発する。
何処に鳥肌がたったのかも説明してくる。
彼女自身は無意識だろうけど、自分の S のスイッチを容赦なくガンガン入れてくる。
自分の S 性が抑(おさ)えられなくなってくる。
SM の経験はあるものの、緊縛経験のない彼女。
彼女が鳥肌を立てたところを聞けば、大筋で、どの辺が感じやすい子なのか想像に難くない。
頭の中に、A子 をガッツリと高手小手の後ろ手で縛り、目隠しをし、彼女をいたぶっている自分のイメージが思い浮かぶ。
そのイメージを彼女に伝えると、彼女はまた反応する。
A子: 「なんで、わたしがそうすると感じるって知ってるの?」
文字だけではあるけれども、そんな会話を通して、お互いのイメージが交換され、イメージプレイはエスカレート。
そして、最後に彼女が屈服(くっぷく)する。
A 子: 「どうか、わたしの身体を好きなようにお使いください!」
自分からは言わせた覚えは全くないのに、女性の口から自然に漏れ出る言葉。
S にとっては最高に 「心地よい言葉」 を耳にして、思わず、自分の S 性が心の中で雄叫(おたけ)びをあげる。
自分: 「A子、おめでとう! たった今から A子 は 正式な奴隷ちゃんだよ。」
彼女は、その場に平伏(ひれふ)した。新しい奴隷ちゃんの誕生である。
・・・はずだった。
翌朝、起床したときには既に、彼女のソーシャルのアカウントは、友達も含めて全て整理されていた。自分宛には、冒頭のメッセージが送られて来ている。
自分の心に残ってるのは 「傷心感」 であり 「無力感」。
彼女と肉体的に交わる機会が失われたことなんかは、自分にとっては、はっきり言ってどうでもいい。彼女を実際に自分の手で縛って、自分の腕で抱きしめることが出来なかった残念感も、S のスイッチが入っていない今は、少ししか感じられない。
一瞬ではあっても、そこに、自分に身と心を委ね、屈服した 「ひとりの女性」 が居て、しかし、状況的にその彼女を受け止めてあげれなかったこと。「無力感」。ただその一言である。
***
「部屋に来る人達が楽しめれば・・・」
そう言って、”部屋” にお土産(みやげ)を置いてく彼女に感謝し、
「この ”部屋” をずっとみんなに使ってもらって、そして、彼女にとってもずっと楽しめる場にしよう!」
そう自分の心の中で決意したのは、つい先日のことである。
今も ”部屋” に残る A子の置き土産。
「こけし」 や 「手錠」 そして 「撮影器材用カメラ」 を見る度に、自分の無力感がこみあげてくる。
雪が溶け、田畑に土筆が顔を出し、スギナが色付く春。その頃には、また戻ってきてくれるだろうか?思いは尽きない。
【あとがき】
こういう機会にしか、自分の心を振り返れない自分がいる。
自分自身、何が S 性なのか良く判っていない。
SM のプレイで M 女を縛っているとき、ふと我に返って自分の心の中で、
「いったいどっちが、奉仕してるんだ?」
と複雑な気分になるときがある。相手の M のスイッチは入っているのに、自分の S のスイッチの入りが悪いような場合は特にである。
逆に、相手が心地よく自分の S 性をくすぐってくれるときは、予想だにしない相手の反応に、思わず、遅漏中の遅漏である筈の自分が、発射してしまいそうになるときもある。
A子 は、そんな自分の S 性をくすぐるのが上手いタイプの女性だった。
今の気持ちを振り返ってみると、例えば昔、エッチを期待して、女性と待ち合わせをし、デートをすっぽかされたり、あるいは、エッチできなかった 「期待はずれ感」 みたいな感覚とはまったく違う。
「大人の恋愛」 であるから、当然、気分も高まればエッチもする。しかし、今回の件で自分を振り返ってみると、その機会を失った・・・という悔しさや残念な気持ちというのは、これっぽっちも残ってない。
S のスイッチを入れれば、鳥肌を立てて、悶(もだ)え狂う A子 のイメージが頭をよぎる。
しかし、冷静な自分の中に残ってるのは、彼女に対しての 「情」 である。
実を言うと、お互いの心が通じたことで、自分の心の中に 「情」 が生まれている・・・と気付いたのは、今回が初めてである。
実際の 「奴隷ちゃん」 と心が繋がっているのは感じている。たまらなく愛(いと)おしい。それは分かっている。自分が驚いたのは、こんなに早く 「情」 が芽生えていたことである。
今までの現実の世界では、出会いから別れまで、こんなに急な展開を経験したことがない。だから、そのように感じるのか、それとも、ソーシャルというネット空間の話で、まだ現実化していない 「ソーシャルな恋愛」 だから、このように感じるのか。その辺はまだ良くわからない。
自分自身の新たな発見もあり、ちょうど今、SM ネタでブログも書いているので、今の自分の気持ちを整理する意味も含めて丁度いいと思い、「気付き」 をしたためてみた。
SM である以上 「性的」 な行為に関わるのは、至極当然なことである。
しかし、そこには 「心」 や 「情」 が介在し、直接的な性欲よりも、なにかもっと違う何か。情動みたいなものに、動かされている自分を見たのは、ある意味、意外な発見だった。
A子 を失って、A子 を受け止めることが出来なかった自分に無力感を感じている。しかし、これだけ A子に心が入ったからと言って、他の奴隷ちゃんに対する 「愛」 や 「情」 が薄れたかと言うと、決してそんなことはない。
自分は全員を愛している。その中から誰か一人を選べという問いは、家族で 「父親」 か 「母親」 のどちらか一方を選べ・・・と問われているのと同じようなもの。
自分が最後まで愛する子。それは自分では決めないし、決めれない。何故なら、自分が最後まで愛するのは、自分の元を去らなかった子だから。
A子 の件を通して今回、自分が他の 「奴隷ちゃん」 を思う気持ちの 「片鱗」 を垣間見ることも出来た。
ありがとう。自分の心を振り返るキッカケを与えてくれた A子、そして、自分の傍(そば)に留まってくれている奴隷ちゃんに感謝したい。