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2019/03/31

ニッポンのセ/ックスを読み解く(3)

前回の記事 「ニッポンのセ/ックスを読み解く(2)」 の続きです。

 

相模ゴム工業が日本全国に渡り実施した 「セ/ックス」 に関する大規模調査 「ニッポンのセックス2018年版」 は、「パートナーのいる夫婦やカップルの2組に1組がセ/ックスレス」 であるとか、「パートナーのいる夫婦やカップルの3人に1人が浮気や不倫をしている」 という部分のみがセンセーショナルにうたわれていますが、「同じ不倫であるにもかかわらず、何で男女差があるんだ?」 ということで、前々回の記事 「ニッポンのセ/ックスを読み解く」 では、その原因を考察し、前回の記事 「ニッポンのセ/ックスを読み解く(2)」 では、パートナーのいない人も含めて、「不倫や浮気をしている人の比率」 を推計してみました。

 

***

 

しかし、この情報だけでは、「セ/ックスの満足度」 といった 「セ/ックスの質」 にまで議論を深化させることは出来ません。

 

そこで適当に、セックスの実態的な調査を見つけてきました。(笑)

 

(1) With 

 

   「イマドキ女子のセックスの実態♥人には聞けない…女子の本音が炸裂!【男子も必見!】」

 

しかし、内容を見てみると、「セックスは好きですか?」 の設問に 「はい」 と答えたのは、84.1%。「今までに経験した人数」 の回答に、0と答えたのは1%の人達で、平均値は5人前後。半数の人達は6人以上。また、「パートナーとのセックスに満足している」 のは、60.5%で、定期的にセックスする相手が1人なのは、69.5%で、2人以上は、16.2%。

そして、「イクために努力をしたことがある人」 は、39.9%、セ/ックスで 「イッたことのある人」 は、65.7%であるのに対し、「イッたことのない人」 は、34.3%。

このうち、「毎回イケる人」 は、36.77%で、「外イキ」 は、65.2%、「中イキ」 は、34.8%。

「イッたフリをしたことがある人」 は、60.1% 、「アブノーマルなセックスに興味のある人」 は、52.4% 、「オ/ナニーをする人」 は、68.7% という結果になっています。

 

全体的にセ/ックスに対して積極的で、感覚的には、数値が大きすぎるような気がします。

ちなみに調査は、With 編集部で、調査対象は 300名の OLです。調査としては、あまり母数は多い方ではありません。

自分は、「With」 というファッション雑誌の具体的な内容は知らないのですが、多少は意識高い系であるのか、読者層のバイアスを受けてしまっているような気がします。

 

これと対比するために、相模ゴム工業と同じ 「コ/ンドームメーカー」 である、ジェックス株式会社が実施した 「【ジェクス】ジャパン・セックスサーベイ2017」 を見てみました。

こちらは、相模ゴム工業ほど大規模ではありませんが、20歳から69歳までの男女を対象に、各都道府県毎に107件収集を行った有効回答 5,029人の調査結果です。

 

(2) ジェクス・ジャパン・セックス・サーベイ

 

こちらを見ると、

 

「性欲の高まりを感じたことがない」 のは、30.5%

「マスターベーションの頻度」 では、「まったくしたことがない」 人は27.8%。20代は、34.1%の女性が経験していませんが、年齢が高まるにつれて、「まったくしたことのない」 人は、24%代にまで減少していきます。

「セックスの際の悩み」 では、「快感が得られない」 が13.2%、「オーガズムに達することが出来ない」 が 22.5% となっています。ちなみに、その他の問題では、「挿入時間が短い」 は、9.1%、逆に 「挿入時間が長い」 は、6.1% となっており、47.7%の女性は、特に悩みはないという回答になっています。

実に、セックスで気持ち良くなれない女性の数の平均は実に 35.7%、ちなみに 20代では、46.6%の女性が、快感やオーガズムを経験出来ていないという結果が出ています。


「セックスの回数」 を見ると、月1回未満(セックスレス)は、男性で57.1%、女性で63.3%に達していますので、相模ゴム工業の数値と比べると、かなりアンダーに出ている可能性があると言えます。

 

ちなみに、「日本家族計画協会」 のホームページに掲載されている、「ジェクス・ジャパン・セックス・サーベイ2012 調査結果の概要」 を見ると、次のようにあります。

 

「セックスの際の絶頂感」を「オーガズム」とした上で、「今までのセックスでオーガズムを感じたことがあるか」と尋ねると、「いつも感じる」「だいたい感じる」の割合は、未婚女性では32・0%既婚女性では36・4%と違いが少ないものの、未婚女性では年齢が上がるにつれて高くなり、既婚女性では年齢による違いがさほどないものの、50歳代で43・6%となっている。

 「オーガズムをもっとも得やすい」のは、未婚、既婚とも6割超が「セックスの最中」と回答するも、「自分でマスターべーションをしている時」も2割を超えている。未婚女性は、20歳代では「セックスの最中」48・1%、「自分でマスターべーションをしている時」40・3%のように、若い女性ほど「自分でマスターべーションをしている時」の割合が高くなる傾向がある。「セックスの最中」にオーガズムを得る割合は未既婚ともに50歳代、60歳代が高い

 

 感覚的には、コチラの方が実態に近いように感じます。

 

1980年生まれのポケベル世代は、結構 「性」 に奔放でしたが、現在の若い子達は、その頃よりもずっと保守的になって来ています。

ちなみに、国の出生動向基本調査によると、童/貞・処/女の比率は、それぞれ以下のような感じで推移しています。

 

(1) 男性の童/貞比率の推移

 

男性の場合は、2005年あたりが底となり、そこから上昇に転じています。

2005年に20歳と言えば、1985年生まれくらいの世代です。

 

(2) 女性の処/女比率の推移

 

女性の処/女率も2005年あたりが底を打っていますが、女性の2010年からの、20歳から24歳における処/女の増加が、かなり顕著です。ミレニアム世代。丁度2000年生まれあたりの世代に、何か大きな出来事でもあったのでしょうか?

 

***

 

「With」 と 「ジャクス」 の結果を比較すると、いずれもセックスで 「イケてない女性」 の比率は、35%前後

これには、「そもそもセ/ックスは好きではない」 という人や 「性欲が沸かない」 といった、30%の人達も含まれるでしょう。

 

また、「毎回イケてる」 と回答したのは、どちらも 36.7%前後

「With」 の設問は、「イケてる」 か 「イったことがない」 の二択なので、気持ち良かったことも含めて 「イケた」 と認識している 「微妙な人」 も含まれているように思われます。

 

***


そもそも、「性欲がない」 と言う人達も 30%ほど存在し、その半数である15%の女性は、そもそもセ/ックスが好きではないと思っている人達。残りの15%の女性は、セ/ックスが嫌いとまでは言わないけれども、オーガズムを味わったことがない人達。これが全体の35%。

 

そして、「性欲」 は感じるけれども、気持ち良くなれない女性は、全体の約2割(20%)ほど。

確実にイケてる女性は35%から40%前後。

残りの25~30%の人達は、性欲もあるし、セ/ックスは気持ち良いし、好きだけど、イケそうでいて、なかなかイケない人達と言うことになります。

 

年齢と共に比率は変化しますので、一概に何%とは言えませんが、一度もオーガズムを経験したことのない人が 1/3、いつも確実にイケてる人が1/3、そして、どっちつかずの人達が1/3。

 

「セ/ックスの最中に 「オーガズム」 を得る割合は、50代60代に高い」 のは、その歳になっても諦めない ”気持ち” の問題もあると思いますし、若い頃は、自分でする感覚とセ/ックスで感じる刺激のギャップに混乱しますが、年が経つにつれて、男性から得られる刺激に慣れてきて、それを 「快感」 と感じることが出来るようになってきているのかも知れません。

もしくは、そのときのパートナーは以前のパートナーと異なる人で、セ/ックスが上手な人に当たったのかも知れません。(笑)

 

最終的には、4割ほどの女性が、「外イキ」 または 「中イキ」 もしくは、その両方でイケるようになるということです。

 

***

 

自分の経験でも、いろいろなタイプの女性がいます。

 

「セ/ックスは昔から好きではなかったし、性欲もなかった」 という女性が、40歳になる前に突如、性欲を覚えるようになり、会うようになって2回目で 「中イキ」 した女性もいます。その子はその後、マルチプル・オーガズムで、それこそ1回のセ/ックスで、20回も30回もイケるようになりましたし、やはり、「外」 でも 「中」 でも感じない女性でしたが、その女性の場合は時間は掛かったものの、今では、「中イキ」 も 「脳イキ」 も出来るようになった女性もいます。

 

「性欲」 の 「ある」・「なし」 は、主にホルモンの問題だと思いますが、

 

「不感症」 というものがあるのだとしたら、それは自分的には 「単なる症状」 あるいは 「状態」 に過ぎなくて、その女性の 「心」 の問題であったり、「感じ方」 あるいは 「意識」 の持ち方を変えることで、確実に改善できるものだと思っています。

 

何かのヒントにでもなれば、光栄です。

2019/03/30

ニッポンのセ/ックスを読み解く(2)

前記事 「ニッポンのセ/ックスを読み解く」 の続きです。

 

前の記事では、相模ゴム工業の調査以外にも、国立社会保障・人口問題研究所の 「出生動向基本調査」 などを参考にしましたが、この調査の存在を知ったのは、実は 「荒川和久氏」 の記事を読んででした。

この方は 「独身研究家」 を自称されておりますが、社会学者並みにきちんと統計の数字を掴むなど論理的ですし、「統計」 という掘りの外側からの攻めと、一方で 「独身」 の心理に基づく掘りの内側からの攻めはなかなか見事。

「人の相性」 を ”単なる主観的な思い込み” と言い切るような 「切れ」 は実に圧巻です。(笑)

 

ちなみに、荒川氏のインタビュー記事はコチラ:

 

   「第1回 いつの時代も『恋してる男女』は3割だけ。独身研究家に聞く『私たちの恋愛がうまくいかない理由』」

   「第2回 『理想のタイプ』って言うけれど…私たちがデートでつまずく理由」

   「第3回 『恋愛の先に結婚がある』は幻想です。浮気や不倫が流行る理由」

   「第4回 『恋愛が上手くいかない』と『結婚できない』が別問題である本当の理由」

   「最終回 あなたといる時の私が好き!理想でもスペックでもない『恋愛の指標』って?」

 

恋愛と結婚、浮気、理想と現実。

「人間関係論」 とでも呼びたくなりますが、大変参考になります。

 

***

 

いつの時代も 「恋している男女」 は3割だけ。

前回の記事の結論と繋げると、「その中の1割は不倫や浮気」 と言うことになります。

 

「タイプという幻想に縛られないで」 というアドバイスも秀逸です。

特に若者は 「アイドル」 とか、そういった 「幻想」 からスタートしているはずです。

自分の願望や妄想的イメージを大切にすることも悪くはありませんが、しかし、恋愛にしろ結婚にしろ 「現実」 であり、また、こればかりは一人で出来るものではなく、相手のあることです。

多くの恋愛を経験し、多くの失敗を繰り返し、多くの涙を流して 「現実」 を学び、「現実」 に軌道を修正して行くわけですので、これも当然と言えば当然です。

 

「男性は追っかけたい生き物」「手に入りそうで入らない距離が大事」 という言説を否定するのも、共感出来ます。

自分も、男は、「山の向こうにいるカモシカは追わない」 と思いますし、狩りの上手い男であれば、「手に入らない距離では捕まようとしない」 と思ってます。

 

そんな荒川氏の頭の中にある数字は、

 

   「モテたり恋愛出来たりする男は3割もいない」 

 

んだそうで、その2~3割に該当するのが 「オラオラ系ギラギラ肉食男子」。これに対し、余っている7~8割の独身男子は受け身らしいので 「草食系男子」 ということのようです。

「草食系と肉食系では、攻めるアプローチが違う」 と言っていますが、確かにごもっとも。(^^;

 

「恋愛」 において、「恋」 と 「愛」 を区別するというのも、納得できます。

「理想のパートナーなんてどこにもいない」 のは当然としても、「自分と同等がそもそも厳しい」 というのも、かなり熾烈(しれつ)な表現です。

これは 「マッチング理論」 から来ているようなのですが、この辺りは、異性を条件で振り落としたり、自分の価値観を基準にダメ出ししている人が、いつまでたっても、自分の相手を見つけられないのと、確かに、凄く関連性がありそうです。

 

女性向けのコラムを読むと 「女心」 が基軸にあり、男性向けのコラムを読むと 「男心」 が基軸にあるのが普通なのですが、彼の良いところは、男女どちらかを見て言っているわけではなく、両方を見て 「ニュートラル」 な視点から 「マッチング」 を捉えているところです。

 

彼が 「女子会」 は控えなさいと言っているのも、「いろいろな人と会いなさい」 と言っているのも、ひとつの意見や価値観に囚われず、いろいろと自身を揺さぶる意味で、そして、そこで本人が 「全く異なる価値観」 に出会い、「新たな視点」 や 「新たな視線」 に気付くことを期待してのことだと思ってます。

「機会」 を最大化し、「気付き」 によって目的地を 「最適解」 に収斂させるために、「エントロピー」 を出来るだけ高めて不安定な状況に置こうとしているわけです。

 

背景にある考え方は、かなりロジカルです。

 

婚活している人は勿論、結婚や恋愛に悩んでいたり、結婚や恋愛に 「一家言」 のあるひとは、是非読まれてみることをお薦めします。♪

2019/03/29

オーガズムとは(6)

過去記事 「オーガズムとは(5)」 からの続きです。

 

最近読んだ男性のブログ記事に、彼女が気持ち良くなってイクときに笑ってたので、後で 「何故笑っていたの?」 と聞いたけど 「分からない」 と言われた・・・、みたいなことが書いてありましたので、今回は、その辺の女性の 「セ/ックス」 にまつわる女性の 「感情表現」 について書いてみたいと思います。

 

***

 

快感をその人が、どのような感情あるいは表情で表現するか。

 

AV(ア/ダルトビデオ)などでは、男性の性欲を高めようと、かわいらしさを全面に出して 「イク~~♪」 みたいなスタイルを良く見掛けますが、これらはほぼ全て 「演技」 です。(笑)

「オーガズム」 とは、そもそも ”痙攣を伴う極度の緊張からの弛緩” ですので、痙攣している最中は、首とか表情にもチカラが入ります。

 

セ/ックスに 「共通の様式」 みたいなものはありませんので、感情表現も、人それぞれです。

 

結論を先に言ってしまうと、

 

気持ち良くなってくると、「イヤイヤ」 と顔を背(そむ)ける人もいれば、「ニヤニヤ」 と笑いがこみあげてくる人もいますし、「苦しい表情」 をする人もいれば、気持ち良くなった後に涙が止まらず、ずっと 「わんわん」 泣いている女性もいます。

お酒に酔って、「泣き上戸(じょうご)」 になる人もいれば、「笑い上戸」 になる人もいるのと、何処か似ています。

 

後で、「何で?」 と聞いても、「分からない」 としか答えようがないのは、特に理由があってのことではありません。

何故なら、「オーガズム」 のときは、女性は前頭前野が機能停止していますので、そもそも女性に、はっきりとした記憶は残りません。お酒を飲み過ぎて、翌日にそのときの記憶が全くないのと同じなのです。

 

***

 

「お酒」 も、酔う度合いには 「人間関係」 が絡みます。

 

いつも酔っぱらって、介抱しなければならない相手と飲んでいると、無意識に 「送っていかなくちゃ」 と言う緊張感があるためか、思ったほど自分は酔っていなかったりします。

逆に、先に酔ってしまう人間は、そいつと飲んでいると 「楽しい」 から、大きくなってしまうのでしょう。(笑)

 

なかなか 「イケない」 女性というのも、もしかしたら、見栄を張っていたり、意地を張っていたり、あるいは、恥ずかしさに耐えられないなど、さまざまな理由から自分を解放し切れていないのではないでしょうか。

「前頭前野」 が機能停止した後、最期に登場する 「ラスボス」 は、「扁桃体」 と呼ばれる、恐怖や不安を司る部位です。これを乗り越えて女性は 「オーガズム」 に達します。

最後は、不安や恐怖との闘いなのです。

自分に自信がなかったり、不安に捉われていると、自己の防衛本能からどうしても 「緊張感」 が抜けきらないのでしょう。

 

「セ/ックス」 とは、「雑念」 を捨てて、目の前のパートナーと100%向き合い、自分を相手に委ねる行為であり、自分の良いところばかりではなく、汚いところも醜いところも含めて、自分の全てを相手に晒(さら)す行為なのです。

 

   「今、自分は相手の人に、どう映っているのだろう?」

   「自分の変な顔を、相手に見られたくない・・・」

   「髪の毛が汚れちゃ嫌だっ!」

 

何かを気にしながら、お酒を飲んでいても酔えないのと同じで、こういう細かいことを気にして 「セ/ックス」 しても、気持ち良くはなれないのです。(苦笑)

世間の大切な 「一般常識」 であっても、二人の世界においては、そういった観念に捉われてはいけないのです。

貞淑な妻、恥じらいのある女も、ベッドに入るまでの話なのであって、其処から先は、女性は自身の全てを、男性に委ねなければいけないのです。

 

そして、大事なことは、自分の感情を抑えている人の場合は、自己の 「喜怒哀楽」 を出すようにすること。逆に、感情の起伏が激しい人の場合は、素直になること。自分の気持ちをポジティブな方向に持っていくことが大事です。

 

また、「セ/ックス」 は、「ありのまま」 の自分を出す行為ではありますが、「怒り」 や 「不満」 は抑えないといけません。

「自分!自分!」 と自分が前に出てしまっている状態は、自分を相手に委ねられている状態とは言えないためです。

 

「セ/ックス」 とは、心と身体の究極のコミュニケーションです。

このときばかりは、自分と相手の損得計算を忘れて、男性は 「陽」 になり、女性は 「陰」 に徹する。陽は陰を光で包み込み、陰に対して方向性を示し、そしてサポートする。

 

自分だけが楽しむのではなく、二人の時間を共に 「楽しい時間」 にしようとする思いが大切です。

2019/03/28

ニッポンのセ/ックスを読み解く

過去の記事 「ニッポンのセックス 2018年版 - 埼玉が全国一位!」 で、相模ゴム工業株式会社による大規模調査 「ニッポンのセ/ックス 2018年版」 をご紹介しましたが、この会社は 「相模オリジナル」 などを作っている 「コ/ンドーム」 メーカーです。

 

今回の調査は、2013年に実施した初回調査 「ニッポンのセックス」 に続く、第2弾です。

ちなみに、この報告書によると、日本人の夫婦・カップルの半数以上が 「セックスレス」 だと言われています。

 

夫婦・カップルの半数は、セックスレス

 

「セ/ックスレス」 の定義とは、「病気など特別な事情がないのに、1ヶ月以上性交渉がないカップル」 を言います。ですので、1年に11回ある人達も、1年に1回もない人達も 「セ/ックスレス」 にカウントされている可能性があると言うこと。

しかし、この前ちょっとお話を聞いた主婦さんは、5年も 「レス」 だと言っておりましたし、長い人になると、以前の愛奴ですが、10年以上も 「レス」 と言う女性も居ました。

結果的には、後者の女性は、自分と不倫関係になりましたが、しかし、旦那との 「レス」 は多分記録更新中なのではないでしょうか?

 

それとは逆に、旦那とはセ/ックスはしたくはないが、嫌々応じている女性も少なくありません。

可能な限り思い出してみても、どちらかと言うと、全体的には、コチラのタイプの女性のが多いように思われます。しかし、回数的には、「レス」 に含まれるような場合も散見されますので、やはり、「レス」 であるからと言ってゼロではない家庭も少なくないように思われます。

 

男性は、年を取れば取るほど 「性欲」 は落ちて行きますが、女性の場合は、早いと30代前半から徐々に性欲が強くなって来ますので、女性側が 「性」 をどのように受け止めるかによって、幸せの度合いは変わってきます。

どちらかが夫婦の性交渉を拒否しているのが、セックスレスなわけですから、旦那に執着しているタイプの女性は、なかなか自分の性を探求出来ず、不満を覚えるでしょうし、逆に、もう旦那に愛情を感じていないタイプの女性にとっては、セ/ックスレスは女性の思う壺と言えます。

 

セックスフルやセックスレスは 「幸せ」 のバロメータではなく、単なる人の 「性行動」 のひとつにすきません。セックスレスだからと言って、その現状に、お互い不満を感じているとは限らないわけです。

 

そして、そこに愛やトキメキがなくなったり、セ/ックスがなくなったとき、苦悩する人達の一部は、浮気や不倫をします。

 

しかし、「レス」 だから浮気や不倫をするのか?

 

浮気や不倫など、パートナー以外の人と現在進行形でセ/ックスをしているのは、男性で3割、女性では2割の人達。

しかし、セ/ックスレスだから浮気や不倫に走る人もいれば、セックスレスでなくても、浮気や不倫する人は居ます。

この統計から、その比率までを読み解くのは、どうやら限界のようですが、不倫や浮気に走る女性の場合、「旦那との性交渉が全くない」 人も中にはいますが、それ以外では、「旦那のことが嫌い」 になっていたり、「旦那に触られたくない」 人や 「旦那では満足できない」 人も多いように思います。

 

そうは言っても、誰しもが、不倫や浮気をするわけではありません。

家では 「レス」 で、自身には強い性欲があるのに、不倫や浮気に踏み込めない人もいます。

倫理観が強い人もいれば、リスクを怖れる人もいますし、優柔不断な人もいます。

 

2割の夫婦やカップルが、不倫や浮気中

 

日本の夫婦やカップルの、女性の2割、男性の3割は、リスクを取って自分の生活を充実させることを選択出来た人達と言えそうです。

何故なら、世の中には女性といい関係になりたいのにもかかわらず、彼女の出来ない男が、山のようにいるためです。(笑)

 

男性も女性も、浮気や不倫している人達の場合、特定の一人とセックスをしている人が大部分を占めていますが、しかし、期間は特に定められていませんので、女性の場合は、乗り換えに乗り換えを繰り返す人が多いということなのでしょう。

浮気や不倫は、一人で出来ることではありませんので、男性と女性の人数の格差、1割の男性の差が解消されません。

また、男性の中には、結婚しているのに独身と偽って、パートナーとして数えられているゲスな男性も、若干含まれているのかも知れません。(苦笑)

あるいは、女性はさっさと次に進んでいるのに、その女性のことをまだ 「自分の彼女」 であると思い込んでいる男性もカウントされているからなのでしょうか? 

 

うーん。前回の相模ゴム工業の調査 「ニッポンのセ/ックス」 でもそうだったのですが、この不倫や浮気をしている男女の 「統計差」 が、何故か気になります。(^^;

これは平均値だからなのでしょうか?

ちなみに、①特定1人、②特定複数、③不特定 として、各年代の人数(比)を積算すると、

 

   ①特定一人 ②特定複数 ③不特定  小計

男 85.7     22       27.2    134.9

女 67.9     4.6      3.6     76.1

 

となってしまいます。

これでもいけないのか?

各世代の人口比率で数を推計しないといけないのか?(^^;

 

1割の男性は、風俗を利用してると読むのが妥当?

 

男性の 「不特定」 というのも際立っていますが、これは、ソープとか買/春あるいは援/助交/際とか、そういう類のものなのでしょうか?「特定複数」 の中に、こういった類の回答が、紛れ込んでいる場合もあるでしょうし、それを言ったら、ソープで特定のお姉ちゃんを指名しているようなケースが、「特定一人」 の中に紛れ込んでいる場合もあり得るわけです。

 

この男女差は、風俗のバイアスが働いているから、男性に高く出て来ているのでしょうか?

「その相手と何処で出会いましたか」 の回答に、”風俗店” という回答も見られ、全体では6.9%を、出会い系サイトは、7.7%を占めていますので、男性の比率増加は風俗店その他の利用も含まれていると理解して良さそうです。

 

とするならば、「男性の1割は風俗その他を利用し、世の中の夫婦やカップルの2割は、浮気や不倫をしている」 と理解した方が良さそうです。(笑)

 

母数の極めて多い大規模な調査ではあるのですが、意外と追跡はしづらく感じます。

「もっとセ/ックスをしたいか」 という質問も、ご自身のセ/ックスの頻度が少ないと答えた人に限定され、その集計が100分率で示されてしまっているため、そもそもセ/ックスが好き・嫌いといった、性に対する意識の違いは読むことが出来ません。もったいない、残念。(^^;

 

***

 

いろいろとグダグダ説明致しましたが、以上の解釈が正しいとして、皆さんは、夫婦やカップルの半数が 「セ/ックスレス」 にあり、そのうちの2割が不倫や浮気している現状をどう思われますか?

「セ/ックスレス」 に関して言えば、既婚者やお付き合いしている人がいる人達の2人に1人。不倫や浮気については、既婚者やお付き合いしている人がいる人達の4人に1人と言うことになりますが、これが多いと感じるか妥当な数字と感じるかです。

 

ひとつ注意する点(盲点)があります。

 

この調査は、既婚者やお付き合いしている方(パートナー)が居る人を対象としていることです。

ここが重要なのですが、日本人で既婚者となると、どの程度いるのか?

年齢が下がれば下がるほど少なくなりますし、年齢があがるに従って既婚者の数は増えます。

未だ結婚したことのない人の割合を表す指数として、「生涯未婚率」 というものがありますが、統計上の 「生涯未婚率」 というのは 「調査年に50歳の男女のうち結婚歴がない人の割合」 を示します。

 

「『生涯未婚率』男性が圧倒的に高いワケ」

 

2015年の時点で、男性の23.4%、女性の14.1%は一度も結婚経験がない のです。

では、結婚比率はどのくらいになっているのでしょうか?

 

こちらによると、男性で全体の平均の60.9%、女性で全体の平均の56.3%が、有配偶者となっています。

 


 

また、国立社会保障・人口問題研究所の 「現代日本の結婚と出産:第15回出生動向基本調査(独身者調査ならびに夫婦調査)報告書」 によると、異性の交際相手を持たない未婚者は、男性で69.8%、女性で59.1%となっています。

 

男性全体の39.1%が未婚者で、その中で交際相手がいるのは30.2%であることから、未婚者で交際相手がいるのは、男性全体の11.8%。

女性の場合は、女性全体の43.7%のうちの40.9%なので、女性全体の17.9%となります。

 

つまり、相模ゴム工業の調査対象は、男性の72.7%(60.9+11.8)、女性の74.2%(56.3+17.9)であり、そのうちの2人に1人は 「セ/ックスレス」 であり、4人に1人は不倫や浮気をしているに過ぎないのです。

2018年の国民の平均年齢は、46.7歳。

2017年の国民の平均寿命は、男性が81.09歳で、女性が87.26歳です。

 

相模ゴム工業の調査は、20代から60代の男女14,100名が対象ですので、中央値は40代。その中心値は45歳。

雑に言えば、45歳を超えて日本人は 「セ/ックスレス」 と思えば、「2人に1人がセックスレス」 と言われても、そう不思議ではないのです。

 

***

 

では、浮気や不倫はどうか?

 

男性の場合は、72.7%の26.4%で、全体の19.2%、女性の場合は、74.2%の15.2%で、全体の11.3%となります。

この男女差は、男性の風/俗等の利用によるものと仮定するならば、「不倫や浮気をしている男女は、どちらも国民の11%程度となり、10人に1人」 程度に落ち着くわけです。

 

***

 

今回の調査で、「浮気率全国一位」 に輝いた 「埼玉県」 も、浮気率は31.03%ですから、実質的には、22.8%。ほぼ4人から5人に1人いるかいないかの比率ですので安心して下さい。(笑)

しかし、二つのカップルが居たら、その中の1人は誰かと不倫や浮気をしている可能性があるということです。この数値を高いと読むか、低いと読むかは読者次第です。(笑)

2019/03/27

女性が中でイクために(9)

過去記事 「女性が中でイクために(8)」 の続きです。

 

今回は、過去記事の補足ですが、まず、「女性の中イキ」 について、明らかにしておくことがあります。

 

イってる女性は、記憶がない

 

「オーガズム」 で女性が意識を失うわけではありません。意識はあるのですが、記憶がないのです。また、しばらくたって言葉でやり取りしたことなども、忘れてしまうことがあります。

これは、女性の 「オーガズム」 が持続的な性質を持つためだと思われますが、とにかく、頭の中が朦朧(もうろう)としているような状態なのです。

 

そんな状態にあるわけですので、

 

中イキをしている女性自身は、「自分を観察できない」 ということです。

何故なら、オーガズムを迎える手前になると、女性の 「前頭前野」 は機能停止するのです。

社会的規範を含め、ここは言わば女性の知性を司る部分。

あれは確か何年の何月何日から始まって、かなり昔の会話の内容を覚えているなど、記憶力が大変良い女性も世の中にはたくさん居ますが、その記憶も数を数えるのも、指令は全て前頭前野から発せられます。

しかし、オーガズムを迎える手前になると、女性の 「前頭前野」 は機能停止するため、数も数えられなければ、記憶もまばらなのです。

 

自分は愛奴に 「調教日誌」 を書かせていますが、何回も深く 「オーガズム」 を迎えたときは、女性の記憶は飛び飛びになり、前後関係がまず分からなくなります。

そして、記憶は曖昧であり、肝心の部分は記憶からぽっかりと抜け落ちていたりするのです。

「イきそう・・・」 なところまでは思い出すことが出来ても、そのあとの記憶が抜けているのです。

 

「外イキ(ク/リイキ)」 よりも深い 「エクスタシー」 が何回も訪れる 「中イキ」 の場合は、得にその傾向が強くなります。

何を言いたいかと言うと、それゆえに、女性はそのときの状況を、言葉では表現できないのです。

従って、偉そうに 「中イキ」 談義をしている女性が居たとしたら、まずはニセモノと疑って下さい。(笑)

一人でしているときの話であるなら、まだ信憑性があるかも知れませんが、男女のセ/ックスにおける 「中イキ」 を説く女性は、自分の言葉や感覚で語っているわけではないということ。

誰かの本や記事を読んでリライトしているか、空想で書いているかそんなところです。

 

女性が 「オーガズム」 を迎える手前で、「前頭前野」 が機能停止することは、fMRI という計測法によって立証されています。「前頭前野」 が機能停止するということは、理性も頭も働かない状態なのです。

勿論、1か0ではありませんので、程度によっては、ぼんやりと記憶がある場合もあるかも知れません。しかし、記憶が残っているようだったら、それは、ガッツリとはイっていないという意味なのです。女性の 「オーガズム」 と 「記憶」 は、そもそもが背反しているのです。

 

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いくつか情報をアップデートしておきます。

 

まずは、「都市伝説」という言葉で片づけない(2)- ア/ナルセックス篇」 の記事です。

「ア/ナルセックス」 マニアに聞いてみたところ、当人いわく 「前の穴でも後ろの穴でも、どちらも好き」 とのこと。但し、「後ろの穴」 で何回も何回も狂ったようにイキまくる女性の場合は、断然、後ろの方が好きなんだそうです。

 

確かに、このタイプの女性は存在します。

自分が以前ご紹介した 「自分は気が強くて、自分のことを S だと思っていた女性」。

彼女は、それまではセ/ックスでオーガズムを経験したことがなかったのですが、そのときに新しく付き合いだした彼氏にSM で、ア/ナルを責められて、それから何回も何回もイケるようになったのだそうです。

まさしく、「ア/ナルセックス」 マニアが言っているのと、ぴったり一致。(笑)

 

そして、このタイプの女性の特徴としては、「オーガズムとは(5)」 のところでもご紹介しましたが、膣の裏側、膣壁と腸壁の間に、感じるスポットを持っています。

ここの部分は、膣側からも刺激可能なのですが、アナル側からも刺激可能な場所なのです。

 

自分の愛奴の何人かも、このスポットを持っています。

 

「G スポット」 との違いは、ちょっと鈍い痛みのように感じること。

そして、イったときの感じは、ポルチオでの中イキが、「膣が痙攣する感覚」 だとしたら、この裏のスポットは、「骨盤が締まるような感覚」 で、強い刺激だと言っていました。

そのためか、本人は 「イキそう・・・」 になったところまでは、何とか記憶を辿れたのですが、それから後の記憶がぽっかりと抜け落ちていました。

もしかしたら、ポルチオよりも刺激が強力なのかも知れません。(笑)

 

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女性のカラダ、恐るべしです。(^^;

2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない(7)- オ/ナ見せ篇

前記事 「都市伝説」という言葉で片づけない(6)- 飲尿プレイ篇2」 の続きです。

 

これまで、「都市伝説」 と受け止められ兼ねないさまざまな性的現象のほか、常人には一般に理解を得られないであろう 「ア/ナルセックス」 や 「SM」、「複数プレイ」 や 「飲尿プレイ」 といったさまざまな 「変態行為」 をご紹介してきました。

何故このような行為に至るのかと言えば、それは性向や性癖も関係しているでしょうが、やはり非日常的な世界で、「気持ち良くなりたい」 という 「性の探求」 における強い思いに他なりません。

 

最後にご紹介するのは、「オ/ナ見せ」 です。

 

これでも 「敷居が高い」 と言う方も、少なくないと思われますが、しかし、今までご紹介した中では、目隠しをしたり、手を軽く縛ったりする 「ソフトSM」 と並んでご家庭での夫婦生活などにも導入しやすいのではないでしょうか?

 

「オ/ナ見せ」 とは、自/慰行為をお互いに見せあうというもの。

そもそも、自/慰行為は、一人でこっそりと隠れてするものですので、見せ合うことには抵抗があると思います。

しかし、このような性的行為を相手に見せることによる 「快感」 というものもありますし、また、恥じらいつつも、行為をさせることによって、心理的に SM 的なエロティシズムを醸し出すことが出来ます。そして一番大事なこと。それはお互いに相手を意識出来るということです。

 

「どうしても、恥ずかしくて無理」 という場合には、セ/ックスの最中で、相手にオ/ナをさせるという方法もあります。

女性に、自分のを触らせて、自分で気持ち良くさせるのです。

そして男性は、それを見ながら、男性自身をしごく。

少なくとも、女性の場合、ネットで他の女性を見てしごく旦那よりは、自分を見てしごいてくれる旦那の方が百倍も愛おしく感じてくれる筈です。

 

だんだん、女性が高まってきたら、男性はお手伝いをしてあげても良いでしょうし、

 

   「誰のことを考えて、オ/ナってるんだ?

    この前、家まで送ってくれた、部下の山田か?」

 

みたいに、ちょっと意地悪に言葉で責めてみても良いかも知れません。

 

女性は、イケるようであれば、イカせるようにしますが、男性は自分でしこってイってしまっては、意味がありません。

興奮が高まって来たなら、自分のアソコに、擦り付けさせても良いかも知れません。

通称 「素股(すまた)」 と呼ばれるやつです。(笑)

そして、何かの拍子で中に入ってしまったら、出来るだけ堪えて、女性を気持ち良くしてあげて下さい。

 

前戯(フォアプレイ)として、こんなちょっとした遊びを導入するだけでも、女性はかなり 「気持ち」 が入ってくると思います。

勿論、女性がその気になって来る 「生理前」 が良いのは、言うまでもありません。

 

参考までに、以下の記事をご紹介します。

 

   「『相互マス/タベーション』が男女間のオーガズム格差を解消するという主張」

 

自分で一人、こそこそ隠れてするのが、「マス/タベーション」 ですが、一人で隠れてしているところを覗かれてしまうから 「恥ずかしい」 のです。

しかし、その 「恥ずかしい」 という気持ちは、「エロティシズム」 の源泉ですので、そこで拒絶してはいけません。

恥ずかしい時間を二人で共有することも、「セ/ックスレス」 防止に役立つと思います。

 

二人の間に何も会話もない状態で、黙々とするのが 「セ/ックス」 ではありません。

「オ/ナ」 を見せ合いながら、いろいろと 「性に関する話」 をしても良いのです。

 

そういった会話の中から、パートナーの新しい側面を発見出来るかも知れません。

2019/03/25

価値観を広げるということ

価値観は、人それぞれ異なります。

その人の好みもあるでしょうし、感じ方の違いや考え方の違いもあるでしょう。

それは、その人の自由です。

 

どうしても、その価値観が受け付けられないのであれば、一緒にいることは困難でしょう。

好きな人や尊敬する人からは、その価値観をも学びます。

だからと言って、自分の好きな人や尊敬する人が、自分と全く同じ価値観を持っているわけではありませんし、その価値観が必ずしも完璧というものでもありません。

 

受け容れるのも、受け容れないのも、その人の自由。

 

得てして、器が大きい人 は、そういうものに囚われずに人を見ていて、器の小さな人が、自分の好き嫌いに囚われているに過ぎません。

しかし、人の器も、食器と同じです。大きければ大きいほど良いと言うわけでもありません。

その人その人に与えられたものなわけですから、大きい小さいにこだわる必要はありません。

 

トマトが嫌いなら、無理に食べろとは言いません。

しかし、喰わず嫌いだったり、昔食べたときの嫌な記憶で 「トマト嫌い」 になっている場合も少なくありません。

しかし、食材の場合は、「何が嫌か」 を明らかにしていって、トマト嫌いな人でも、トマトが食べれるようになる調理法が、あったりするのです。

実際に、何人何十人もの 「レバー嫌い」 の人にレバーを食べさせ、「ネギ嫌い」 の人にネギを食べさせてきた経験があります。(笑) 

 

自分の価値観に閉じこもるのは、頑なに 「自分の好き嫌い」 に振り回されているのと一緒です。

自分は、他人に自分の価値観を押し付けるつもりは、毛頭ありません。

受け容れられるなら、受け容れれば良いのです。

 

そして、「何かチャレンジしたい!」 と思っている人には、支援の手を差し出します。

 

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恰好良かろうと恰好悪かろうと、そんなことは自分にとっては価値のあることではありません。

そもそも、五十路を過ぎた 「多頭飼い」 のエロオヤジですから、薄汚くて当たり前。

恰好良く見せて女性を口説いているわけでもありませんし、そんな見栄えで女性を惹いているようでは、その辺のナンパオヤジと同じになってしまいます。(苦笑)

 

ひとりの女性を受け留めるだけでも、泥だらけになります。

泥で汚れることを気にしていては、女性を受け留めることなんか、出来やしません。

どうしても、服が汚れるのが気になってしまう人は、何処か遠くから眺めていれば良いのです。

 

その人の価値観を受け容れられないのであれば、近づかなければ良いだけですし、どうしても顔を合わせる必要があるのであれば、其処は見ないようにすれば良いだけです。

学歴のない人とは、話をするのも嫌いな人なら、学歴の高い人とだけお付き合いすれば良いだけの話。

 

   「学歴や収入や職業などで人を判断するのは、損な人だな・・・」

 

とは思いますし、そういう人とは、自分から仲良くなりたいとは思いませんが、損するにせよ得するにせよ、その人の自由なのです。

 

自分が誰とお付き合いあいしようと、自分の自由です。

 

自分は、ちょうど新井浩文とは対極の存在なので、風/俗嬢に対しても全く偏見はありませんし、まあ、昔の話ではありますが、ソ/ープのお姉ちゃんから、忘年会に誘われちゃったりするタイプです。w

 

しかし、だからと言って、他人に其れを強要しようとは思いませんし、それとはまた異なる価値観があるからと言って、批評はしません。

 

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生き甲斐や人生の価値といった、「人生観」 も人それぞれです。

 

勝ち組だの負け組だの、下ばかりを見て安心している人達も居ますし、ゴーン氏や舛添氏のような 「お金の亡者」 の人も居ますが、そのような人達に対しては、「哀しいな・・・」 とは思いますが、それがその人達の価値観なわけですから、それを否定するつもりも、矯正するつもりも全くありません。

 

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そう言えば、今日は、こんなニュースを読みました。

 

   「山本太郎議員が極右カルト『日本母親連盟』の講演会で主催者をフルボッコにしてしまう」

 

   「山本太郎氏、日本母親連盟を支持者の面前でぶった斬り!」

 

呼ばれた公演の主催者を否定するわけですから、主催者としては、生きた心地がしなかったとは思いますが、言っていることは凄くまとも。

ここでやり玉にあがったのは、「日本母親連盟」 ですが、スピリチュアルだとか、似非科学、ホメオパシーやサイエントロジーといったものについて、信じるのは、個々の人の自由ではあるとしつつも、本人は、そういった組織団体を否定しています。

 

某自民党には、代議士になって、その地位と権力を悪用するの 「魔の三回生」 と呼ばれる政治家もおりますが、山本太郎氏は、俳優あがりとは言え、真っ当な政治家として歩んでいるようです。

2019/03/25

所有しようと思わないこと

何故かは分かりませんが、子供の頃から、「浮気はいけない!」 みたいな不文律がありました。

 

   「他人のモノは、取ってはダメ!」

   「自分がされて嫌なことは、他人にしてはダメ!」 

 

と同じ理屈のようです。(笑)

 

今思えば、これは、”コドモ” という実力社会の中で、トラブルを最小限に抑えるための、ノウハウだったのかも知れませんし、あるいは、リアルな社会に出る前のロールプレイだったのかも知れません。

 

しかし自分の場合、それに反して、「好きな子」 は、学校のクラスの中にも複数人居たりしました。人の良いところが見えると、「好きな人」 でも、それぞれ、見る尺度によって異なるのです。

当時は、身体のラインが、キレイに流れているような、女性が好きでした。

女の子が女性に変わりつつある年代になると、腰からヒップにかけてのラインには、息子は敏感に反応しました。

かと思えば、実にイキイキしていて、目が輝いている子などは、写真をみると全然美人でも何でもないんだけど、すごくキレイに感じた子もいました。

 

相手が変われば、身体の中で反応する場所も異なるし、脳の中で反応する場所も異なるわけです。

 

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現代は、そのときの認識で、そのままオトナになっている人が多いように見受けられます。

 

法律論的に言えば、一夫一婦制の婚姻制度は、貞操義務はあるものの、相手を束縛する権利を与えているわけでも、独占を保障しているわけでもありません。

そもそも、どちらか一方の独占欲を満たすために一夫一婦制があるわけではないのです。

単に、社会を安定にするため。そして、肉体的経済的に弱者となりやすい女性や子供の生活を保障するためなのです。

 

従って、結婚していない状態においては、複数の異性と付き合っても、何も法的には問題となりません。7人の彼氏がいるとして、曜日毎に交代交代して、結果的に 「七股」 を掛けていたとしても、当事者の感情はともかく、法律的には何も問題ないのです。

 

法律では、結婚していようとも、他の異性を好きになることを禁止していませんし、不倫行為も、貞操義務違反であって、禁止はされていません。

あくまでも、バレたときに、離婚や慰謝料の請求対象になる場合があるというだけであって、罰金(正確には反則金)の掛かる、自動車などの安全運転義務違反よりも軽いものなのです。

 

結婚するときは、誰もが勝者。永遠の愛を信じ夢見て結婚しますが、現実は、自分の理想通り、思い通りにはいきません。

結婚は 「恋愛」 のように、頼り頼られる関係ではありません。

民法第752条にもあるように、同居し、互いに協力し扶助する関係にあるのです。

 

結婚しているからと言って、それが永遠ではないのが、現代です。

 

結婚でも、恋愛でも、そして不倫愛でも、大切なこと。長続きするコツは、精神的な意味、良い意味で、お互いが自立しているということです。

それは、不足ばかりを数えるのではなく、相手に対する感謝の気持ちを数えるということ。そして、それが自己肯定感に繋がっていくのです。

 

相手に全てを委ねて良いのは、「ハレの日」 のほんの一瞬。

そのときにこそ、自分の汚いところも、醜いところも、全てをさらけ出して、エゴを超えて一対が一体となり、頭の中がおかしくなってしまうくらいに狂えば良いのです。

 

人は肉体的にも精神的にも、所有できるものではありません。相手を所有出来ないからこそ、相手を留めておくために、相手が楽しくなるように、相手を気持ち良くしようと努力するわけですし、人の命も恋愛関係も、永遠がないからこそ、「今」 を楽しもうとするわけです。

 

「所有欲」 は、其れを持っていることで、自分を誇りに感じ、自分が安心しているだけなのです。

裏返して言えば、其れがないと不安なので、「自己肯定感」 が抜け落ちてしまっている状態にあるということです。

 

過去記事の 「SM と乱暴は違う」 で、俳優の新井浩文の強制性交事件について言及しましたが、その事件に絡めて、精神科医が ”クソ客” の心理を説くこの記事は、なかなか為になります。

 

   「新井浩文被告の「強制性交等罪」は風俗店でも成立する 本番強要をする“クソ客”の心理とは?」

 

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   「このひとは、わたしのモノよ!」

 

ひとは 「モノ」 ではありません。

旦那や彼氏が、奥さんや彼女の所有物でもなければ、奥さんや彼女も、旦那や彼氏の所有物ではないのです。

同じように、子供も親の所有物ではありません。

 

子供だって、自我が目覚めたら、自分とは異なる違う人格なのです。

家には家のルールがあるでしょうし、躾けや叱ることも重要です。

しかし、大きくなるに連れ、自分で出来ることは自分でするようにし、自分で判断すべきことは、自分で判断させる必要があります。

親の存在意義は、ひとりでも、危険を回避し、正しく生きて行けるようにすること。

親が子供を支配して、親の価値観の中で子供を生かすことではありません。

 

自分の腹を痛めた子、自分と血の繋がる子供でさえ、親の思い通りにはいかないわけですから、ましてや、血すら繋がっていない赤の他人が、自分の思い通りにいくはずもありません。

 

違う人格、違う価値観を持つ相手を、自分の思い通りにするということは、相手の人格や価値観を否定し、強要しているということです。

本人に悪意はなく、「相手に良かれと思ってやった・・・」 みたいなことを、言うひともいます。

しかし、そういう人の多くは、人によって人格も価値観も異なるということを理解していなかったり、意識していなかったりします。

家庭内で DV やモラハラを働く人の場合は、家族とは価値観を共有する場であると思い込んでいたり、家族の中では自分の価値観が一番正しいと思い込んでいたり、家族は家長たる夫の言うことを聞いていれば良いと、事細かく指示したりします。

暴力などで、家族を自分の思い通りに、支配しようとするわけです。

 

もしかしたら、家族を支配することで、「自己肯定感」 を感じているひともいるかも知れません。

 

***

 

子供の幼少期に、不必要なまでに自分の価値観を植え付けると、それはその子供が大人になったとき、「インナーマザー」 となって、心の中に葛藤が起きます。

そして、幼少期に抑えられた気持ちは、「インナーチャイルド」 になって心の隅に押し込められます。

 

これは、多かれ少なかれ、誰にでもあるのかも知れません。

 

***

 

SM では、外形上は、肉体的に苛め、貪っているだけ、のように見えるかも知れません。

しかし心理的には、被虐性向者いわゆる M の心の中にあるカサブタを見つけ出しては、自分は ”姫” と呼んでいますが、その中に隠れている 「インナーチャイルド」 を救出していたりするのです。

 

ここで困るのは、「インナーチャイルド」 を解放した途端、自分が変わったように思えて、こちらの言うことも聞かず、「ありがとうございました」 と居なくなってしまう人達。

本当は、「インナーチャイルド」 に対する ”躾け” こそが最も難しいのです。

 

それを知らずに、ただ異性を性的に従属させるために使っている人もいるかも知れませんが、だからこそ、SM の世界では、主の命令は ”絶対” なのです。

 

人の心を所有しようと思っても、いつまでたっても満たされることはありませんし、

隣の芝生以上に青い家は、一生手に入りません。

 

まずは、主の言うことに耳を傾けること。

そして、その命令を忠実にこなすこと。

奴隷が人以下の存在とされているのは、「自分!自分!」 ではなく、まずは、「人の話を聞きなさい!」 という意味でもあるのです。(笑)

 

支離滅裂になってしまいましたが・・・ (^^;

 

 

俺の話を聞け! 5分だけでもいい (笑)

2019/03/25

他人と比べないこと(2)

過去記事 「他人と比べないこと」 の続きです。

 

***

 

では、何故、他人と比べてはいかないのか?

 

小さな子供が、お隣のみっちゃんの家と、自分の家を比べることは、全然構いません。

子供の仕事は、モノの違いを認識して、区別するところから、始まるからです。

 

しかし、得てして多くの 「お母さん」 は、こう言います。

 

   「ウチはウチ、お隣さんはお隣さん・・・」

 

頭では分かっていても、説明できないことは、山のようにあるのです。

 

***

 

自分と他人を比べることで、自分が優越感を感じたり、危機感を感じたり、群れの中での自分の位置を確認できることは、分かります。ルールも何もないような時代から、ヒトはそうやって群れて、外敵から身を守り、生き延びてきました。

他人と自分を比較して、群れの中でも地位を競って、派閥同士で抗争を繰り返してきました。

それは、ある意味 「嫉妬」 と同様、既にヒトの 「遺伝子」 に刻まれている、本能的なものなのかも知れません。

 

しかし、「嫉妬」 を引き起こすものは、ネガティブな気持ちであり、個体としての防衛本能の発露に他なりません。

そして、比較からは、慢心あるいは劣等感といった、負の感情しか生みません。

優れた人の優れた点、良い点を褒め、そしてそれを素直に認めることは、実にポジティブな感情だと思います。

しかし、受け留めきれないと、自分に対する当て付けなんではないかと疑ったり、自分は劣っていると思い込んだりして、拗(す)ねたり、僻(ひが)んだり。

これは、その言葉を受け留める方が、自分とその人を比較しているために、起こります。

 

「比較」 は、知的な活動のひとつです。

「比較」 すること自体は、悪くはないのです。

問題は、その 「比較」 の結果生じる負の感情です。

 

何故問題なのかと言うと、自分と他人を比較し、負の感情ばかりに目を向けてしまうと、自分が幸せになれないばかりか、いつの間にか、その負の感情が、自分の周囲の人を巻き込む可能性があるためです。

 

この記事は、「東洋経済」 にあった記事ですが、読んでみて 「なるほど」 と思ってしまいました。

 

   「他人と『比べる病』が親子にもたらす深刻な影」

 

***

 

旧約聖書の創世記では、人類の祖先は 「アダムとイブ」 から始まります。アダムとイブは、神との約束(契約)を破ったことで、「エデンの園」 を追われ、そして、その二人の子供である 「カインとアベル」 では、神から祝福されるアベルに嫉妬をする兄のカインは弟のアベルを殺してしまう。これが人類初の殺人ということになっています。

 

本来は、主と自分の一対一の関係です。常に、自分が主を意識し、感じていれば良いものを、主の周りにいる人と主の関係を自分と見比べたことによって、嫉妬しまうわけです。

 

むしろ、カインは自分の主を見ずに、弟のアベルの存在ばかりを気にしていたのではないでしょうか?

 

***

 

大事なことは、常に主を身近に感じ、主を見つめることであり、そして、自分が主に、どれだけ愛されているのかを、きちんと理解することだと思います。

他人ばかりが気になる人は、主を見ず、他人ばかりを見ており、そして、他人が主に愛されていることばかりが気になってしまい、自分が主にどれだけ愛されているのかが、わからないのです。

 

   「自分は自分、他人は他人」

 

なのです。

 

しっかりと自分を見つめ、自分が愛されていることが実感出来て、自分に自信が出来た人は、他人のことなど目に入らなくなるはずです。目に入ったとしても、少なくとも、気に障ることはなくなるでしょう。

 

隣の芝生は青いものです。

それは、自分のお隣の家から、自分の家の芝生を見ても、青く見えるのです。

大事なことは、自分の家の庭の青さに気が付くことです。

気持ちひとつ、視点がひとつ、心の持ち方がひとつ変わるだけで、同じ日常の景色でも、色が全然変わって見えます。

 

***

 

   「自分が、主を独占したい!」

 

と思うのではなく、

 

   「幸せになりたい!」

 

と願うことです。

自分も幸せになりたいし、出来れば、他の人にも、幸せになって貰いたい。

 

以前に記事にも書いた 「幸せのお裾分け」 です。

 

***

 

 

2019/03/25

笑いを忘れないこと

今日、久し振りに 「ピグ」 を復活させた子に会いました。

さすがに作り立てだったせいか、何もアクションを持っていなかったのですが、

その子いわく

 

   「大笑いのアクションだけは、早く買いたい!」

 

と言っていました。

 

アバターというのは、自分自身ではないけれども、自分のお気に入りを自分でデザインし、自分が操作し、自分が入力した言葉を発しているせいか、やはり其処に、その空間における 「自分自身」 として認識するのでしょう。

 

大袈裟な大笑いのアクションではありますが、しかし、思いっきり笑っている自分の化身を見ることで、自分本人が笑っている感覚を覚えるのだと思います。

 

***

 

昔、子供のとき、ドリフターズが出ているテレビ番組 「8時だよ、全員集合!」 を見ていて、バカ笑いをしていると、母親にこっぴどく怒られた記憶があります。

 

まあ、当時は、「ハレンチ学園」 にしろ、「8時だよ、全員集合!」 にしろ、巷(ちまた)では、”教育上良ろしくない” テレビ番組の代表格と言われていましたので、まあ、親の気持ちも分からないわけではありませんが・・・

 

しかし、「笑い」 が出るのはリラックスしている証拠なのです。

 

真面目に一生懸命、勉強したり、仕事をすることは大切です。

しかし、一生懸命に集中したら、リラックスすることも重要。

緊張と脱力のメリハリこそが、大切なのです。

 

それは、身体もそうだし、心も同じです。

 

心で突っ張り、身体で突っ張り、其処に幾ら意地と根性を見せても、そこで得るものは、「自分が一生懸命にやってる感」 だけなのです。

 

   「オレは、こんなに仕事をしてるぜ!」

 

まあ、そういうプレゼンテーション能力も世の中、ある程度は必要なのかも知れませんが、本当に大事なのは、きちんと働いたら、きちんと休養もあげること。

ブラック企業に文句を言っておきながら、自分は、自分の心や身体を酷使し続けていては、アナタもブラック企業の管理者に一人に過ぎません。

 

大事なのは、メリハリです。

 

そして、弛緩しているとき、リラックスしているときは、身体のチカラを抜くばかりでなく、心も緩めること。

そこで大事なのが、「笑い」 なのです♪

 

***

 

当然、「笑い」 には、いろいろな笑いがあります。

 

ブラックユーモアによる 「苦笑」 的な笑いもあれば、漫談ではありませんが、ウィットに富んでいる上品な 「笑い」 もありますし、ドタバタで下品な 「笑い」 もあります。

 

「笑い」 はやはり、人の感情としては、「ハレ」 です。

しかし、「芸人」 にとっては、それが日常ですから、「ケ」 なのです。

 

縁日で働く人達もそう。縁日は、訪れる人にとっては 「ハレ」 ですが、神事に携わる人も、舞台に立つ人も、縁日の屋台で働く人にとっても、縁日は 「ケ」 なのです。

 

サービスをする側と、される側。

そこをきちんと区別できないと、おかしくなってしまいます。


音楽で歌声で、踊りで魅了するのも大事なら、語りで人の笑いを誘うこともとても重要なのです。

飲食店も飲み屋も、そうなら、風俗もそう。

テレビも映画も、娯楽たるものはみんなそうです。

 

***

 

自分が何故、対等な 「恋愛」 ではなく、「主従」 を好むか。

それは 「主従」 のメリハリを付ければ、自分は 「責め手」 として、「受け手」 である相手に対し、「快楽」 を与えるという構図が実にはっきりとしているからです。

 

ダウンタウンの松ちゃんが、「SM の S はサービスの 『S』 で、SM の M はマグロの 『M』」 みたいに変なこと言うので、またワケが解らなくなってしまいましたが、S は、「ケ」 なのでサービス対価を求めるのです。

そして本来は、その対価が隷属なのです。

 

   「礼と忠誠を尽くし、心も身体も対価としても捧げる」 

 

代わりに、そのサービスと快楽を享受するのです。

 

***

 

「笑う」 ためには、リラックスしている必要があります。

 

そして、心の余裕が必要なのです。

 

では、笑えないのだとしたら、何がいけないのか?

 

自分が自分にプレッシャーを与え続けている人もいます。

それは、良い意味においては、「早く上手くなりたい」 という向上心からなのかも知れませんし、上にあがるためには、頑張りも必要。

しかし、それで自分の便が排出できなくなっては、元も子もないのです。

 

まあ、どうしても便が出せないようなら、自分がほじくってあげますがwww

 

そういう人には、「笑い」 を取り戻すことを、意識してもらいたいと思います。

そして出来れば、アナタが現場では 「鬼監督」 であったとしても、それ以外のところで、アナタが他の人の 「笑い」 も誘えるようなら、それはそれ以上に素晴らしいことはありません。

 

***

 

「笑い」 や 「微笑み」 は、とても大切な感情です。

しかし、「笑う」 ためには、自分自身がリラックスしている必要があるということ。

 

「どうしても、笑えない」 と言う方は、メッセージを下さい。(笑)

くすぐっても、笑わせてあげますwwww

 

***

 

自分も笑い、家族も笑う・・・

そういう家庭にもっていけると、いいと思います。(笑)

 

【例1】