前記事 「『男性自身』 の話 (2) - 大きければ良いものでもない」 の続きです。
近代の性愛文化
日本の 「性」 も、昭和の時分から考えると少しずつ 「オープン」 とはなってきていますが、しかし、相変わらず、「性」 が何かと 「悪者扱い」 される風潮は変わりません。
そして、その結果、多くの人々の、「セ☆クス」 の正しい知識の習得を阻害したり、間違った 「セ☆クス」 の知識を根付かせたり、などの弊害を招いています。
そもそもは、日本の 「性教育」 が、最低限の 「交尾」 レベルで終わってしまっているのが、問題の本質です。本来は、ティーンエイジャーも大人も、結婚してからも、「心」 を含めて 「性教育」 を学ばないといけないのです。
そもそも、「性」 を 「腫れ物扱い」 するのは、元来の 「日本文化」 ではありません。
「性」 の 「悪者扱い」 が始まったのは、明治時代に入り、明治政府が、欧米の文化や価値観の影響を強く受けるようになってからです。
ちなみに、婚姻制度として、「一夫一婦制」 が制定されたのも、明治以降です。
良いか悪いかは別として、江戸時代までの日本では、「セ☆クス」 の文化は、今よりも 「オープン」 で、進んでいましたし、明治以降も、地方などでは、昭和になり、終戦から高度成長期を迎える辺りまでは、その地方に纏(まつ)わる 「古いしきたり」 や 「風習」 が守られてきたところなどもありました。
江戸時代の性愛文化
では、江戸時代の 「セ☆クス」 は、どれだけ進んでいたのか?
現在の 「BL(ボーイズ・ラブ)」 ではありませんが、江戸時代には、男性同士の性愛は 「男色」 と呼ばれていました。また、武士や僧侶同士などの階級では 「衆道」 と呼ばれ、師弟関係など、男性社会において、男性同士の絆(きずな)を深める手段として、性交渉は当たり前だったようです。
思うに、欧米からの 「性」 に関する強い圧力というのは、それまでの日本の男性社会においては当然とされていた 「男色」 が強く影響しているのではないでしょうか?
何故ならば、キリスト教において 「男色」 は、旧約聖書の創世記の 「ソドムとゴモラ」 の逸話にもあるように、「男色」 は 「不浄」 とされているためです。「男色」 の習慣がないどころか、「男色」 は不浄とされている 「宣教師」 などが、武士に迫られたとしたら、今風に言えば 「きもっ!きもっ!」 となっても、何ら不思議ではないからです。
もう、「オープン」 と言うよりは、「やりたい放題」 の感がありますが、江戸時代の 「セ☆クス」 は、「男色」 も有りなら、「おもちゃ」 も有り。何でもアリの時代でした。
男色以外にも、「春画」 と呼ばれる当時の男女の性交渉を描いた浮世絵を見れば、男性一人に女性二人の 「3P」 もあれば、男性の自慰を覗いて笑みを浮かべる女性もあったりします。
相撲の「決まり手」 である 「四十八手」 に準(なぞら)えて、「江戸四十八手」 のような体位集を考案したのも、この頃です。
しかも、まだ、写真技術や活字などのない時代。
瓦版から当時の 「エロ本」 とも言える 「春画」 に至るまで、下絵を描き、木版を彫り、そして、それを多色刷(たしょくず)りで擦(す)るという 「浮世絵」 の技術が用いられ、これらを通して江戸の 「大衆文化」 が培(つちか)われてきました。
現存する、そんな古い書籍の紐を解くと、「男性自身の番付」 みたいなものまで出てきます。
科学や医学のレベルは、まだ発展途上にあるため、現代と比較にならないかも知れませんが、しかし、だからと言って、人の感性や文化といったものまでが、貧しいわけではありません。
江戸時代の人達は、どんな 「男性自身」 を 「名器」 として珍重していたのでしょう?(笑)
今回は、フランスの国立図書館(Bibliothèque nationale de France) が所蔵している、「閨中紀聞/枕文庫(けいちゅうきぶん/まくらぶんこ)」 文政5年(1822)年、および、立命館大学のアート・リサーチセンターが所蔵している、月岡雪鼎(1726~1786)の 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 の中から、いくつかをご紹介したいと思います。
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1.最上(極上)級の男性自身
(1) 「閨中紀聞/枕文庫(けいちゅうきぶん/まくらぶんこ)」
「閨中紀聞/枕文庫(けいちゅうきぶん/まくらぶんこ)」 文政5年(1822)年 には、図解入りで、「男根(へのこ)の最上、紫衣(しい)上性(じょうせい)之図」 という記述があります。
「男根(へのこ)の最上、紫衣(しい)上性(じょうせい)之図」
○ 鼻梁(はなすじ)をもって根のたけ(丈)をはかり、腮(ほう)ほ子にて陰頭(へのこあたま)のたかさをしると云々。
○ 世に大まらと小まらを論ず。何れがよきと。婦人こたへて曰く。うまきもの大口に食してこうみ(香味)有るや。小口に食してうまきをしるべし、と。この説も可なり。
現代語訳
男のブツは、大きい方が良いのか、小さい方が良いのか議論になるが、婦人が答えて言うには、「どんなに美味しいものであっても、大きく口一杯に頬張っては、食べてるものの味も、解からないでしょ。小分けにして食べているから、美味しいのよ」 とのこと。
「大きいのが良いのか、小さいのが良いのか・・・」 (笑)
もう、平成時代も終わりに差し掛かっているのにも拘わらず、議論のネタは、200年前とほとんど変わらないというところが笑えますが、この見開きの説明はなかなか 「粋」 な表現であります。(笑)
しかし、この21頁のの挿絵に続き、後ほど紹介する22頁の上品・中品・下品に分類する格付けの図、そして、23頁にある図の解説を読むとかなり辛口です。
また、内容は、現代にも通じるところがあり、驚かされます。
図の解説(P23)
凡(およそ)玉茎(まら)に品類多し。大男根(おおまら)、小男根(こまら)、黒、白、上反(うわぞり)、下反(したぞり)、長陽根(ながまら)、かわかぶり、傘まら、うつぼ玉茎(まら)なり。
黒の上反をもって上品となす。白下反は下品なり。
長きは肝の臓にあたる故(ゆえ)、婦人是を嫌う。
皮かぶりは中品(ちゅうひん)なり。情(せい)をいだして、玉門(ぼぼ)を出入(だしいれ)はこぶといえども、我皮(わがかわ)のうちにて、婦(おんな)の肌につかず、女悦びうす(薄)し。
傘とは雁高の甚(はなはだ)しきを言う。茸(きのこ)の開きたるが如く宜しからず。
女に害あり。上品とはせず。うつぼは皮かむりの甚しきなり。
きざすといえども皮を脱がず、指にて脱がすれども出入往来(でいりおうらい)のうちに再び皮をかぶる故に下品とすと云々。
(2) 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」
こちらは、月岡雪鼎(1726~1786)の 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 の 「陰茎(しぢ)は極上品(ごくじやうぼん)の図(づ)」 です。こちらには、男性自身の 「極上品」 の図解入りで、次のような記述があります。
陰茎(しぢ)は極上品(ごくじやうぼん)の図(づ)、是也。
陰茎(しぢ)の上ぽん(品)といふは、第一ふ(麩)のごとくやはら(柔)かにして、かり(雁)高く惣(そふ)さほ(棹)にふし(節)有りて、上へそ(反)りて三角(かく)なり。
寸は四寸五六ぶ(分)より七八ぶ(分)迄。ふと(太)みも是に同じ。
色(いろ)はくろ(黒)きがあたゝかなるゆへ(ゑ)よしとする也。すなはち右に図をしる(記)せ共まれ(稀)の一物也。
是にて行ふ時は婦人(ふしん)惣身をうるほし、血気(けつき)をよくめぐらし、其あぢ(味)はひいふもさらなり。
現代語訳
極上の男根というのは、まず第一に、麩のように柔らかく、雁が高く、また竿には節があって、上に反って三角形になるものを言う。
長さは、四寸五六分(13.64~13.94 cm)から、四寸七八分(14.24~14.55 cm)くらいまで。一番太い部分の口径もこれと同じ。色は、黒いほうが温かくて良い。
一応図示はしているのもの、希少な一物である。
この男根を味わうと、女性は全身を潤わせて、血気をめぐらせ、その味は、良いどころではないという。
30.303mm × 4.5 4.6 → 13.636 13.94
30.303mm × 4,7 4.8 → 14.24 14,55
2.男性自身の分類
月岡雪鼎(1726~1786)の 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 には、男性自身について、次のような記述があります。
(1) 九道具之註(きゅうどうぐのちゅう)
九道具之註(きゅうどうぐのちゅう)
長(ちょう)ハ-長くして竿のごとし。思いの儘(まま)に行えば、玉門を貫ぬき病を求む。
麩(ふ)ハ-柔らかにして開中のあたりよし。いかようの玉門に合せてもよき也。
小(小まら)ハ-短く小さきゆえ、女堪能少なけれども毒にも薬にもならず。
下反(したぞり)ハ-開中の構えと食い違うたるゆえ、出入りの具合い悪しく下まら也。
上反(うわぞり)ハ-玉門に入て構えに応じ、開の上面(うわつら)をこするゆえ具合よし。
太(ふと)ハ-開中に入りなかばになりて甚(はなは)だ締まりよく、新(あら)開は叶はず。
雁(かり)ハ-雁高なり。是も開中の上面(うわつら)を鋭(するど)くしごきてよし。
被(すぼけ)ハ-玉門にいりて出入に術(じゅつ)をつくすといへども互いに味わいなし。
大(どうがえし)ハ-稀の道具にして名作なれ共、玉門を選らみ並の女はうけがたし。
現代語訳
「長まら」 すなわち 「長尺」 は、長くて竿に似ており、男性が加減をせず好き勝手にすると、膣を損傷するとされています。
「麩」 とは、お味噌汁に入れる 「お麩」 の麩と同じですが、柔らかく膣内の当たりが良く、どんな女性器にも合うので良い道具であるとされています。
「小まら」 は、短くて小さくて、女性はあまり堪能出来なくて、毒にも薬にもならないというのも、何だかとても悲しいところがあります。(苦笑)
「下反り」 は、膣内の構造と食い違うので、出入りの具合いが悪く 「下まら」 であるそうです。
「上反り」 は、膣内で、相手の膣内の構造に応じて、膣の上壁を擦るので具合が良いとされています。
「太まら」 は、膣内に半分入れた状態で、一番きつくなるので、処女は無理とあります。
「雁高」 は、膣内の上壁を鋭くしごくので、良い道具とされています。
「被(すぼけ)」 とは、「皮かむり」 すなわち 「包茎(ほうけい)」 のことですが、膣内の挿入が容易ではあるものの、男女どちらも味わいが感じられないとのこと。
「大(どうがえし)」 は、「胴返し」 とも書きますが、稀(まれ)の名器ではあるけれども、一般の女性は受けられないことも多く、相手を選ぶとされています。
太過ぎても、長過ぎても、大き過ぎても駄目という結果になっています。
良い道具は、上反りの雁高で、柔らかめとのことです。
下反りは、後背位(バック)では、しっくりと来そうなものですが、しかし、それでも亀頭が上壁を擦る感覚は味わえませんし、女性も男性と相対していませんので、気持ちの持って行き場に困る、ということなのでしょうか。
日本の男性は、欧米人の道具と比べると、「アソコが硬い」 ことを誇(ほこ)りがちですが、江戸時代の文献を見ると、むしろ、柔らかいタイプの方が名器とされているのは、目から鱗(うろこ)と言えます。
3.男性自身の評価
(1) 「九道具之芟(きゅうどうぐのこと)善悪記」
「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 の中の、「九道具之芟(きゅうどうぐのこと)善悪記」 には、男性器の良し悪しを、上中下に格付けして説明しています。
九道具之芟(きゅうどうぐのこと) 善悪記
上 麩(ふ) ・中 太(ふと) ・下 反下(したぞり)
上 上反(うはぞり) ・中 小(小まら) ・下 長(ながまら)
上 鴈(かりだか) ・中 大(どふがへし) ・下 被(すぼけ)
上品(じょうぼん)とされる道具は、なんと、筆頭が 「麩(ふ)」、次が 「上反(うわぞ)り」、そして、「雁高(かりだか)」 となっています。
中品(ちゅうぼん)すなわち中級品の道具の筆頭は、「太(ふと)まら」、続いてなんと 「小まら」 が登場します。太くて長く名品たる 「大まら」 は、その後です。
下品(げぼん)は、粗悪品といった感じでしょうか。筆頭が 「下反り」、次が 「長まら」 そして最後が 「被(すぼけ)」 ということで包茎になっています。
(2) 「閨中紀聞/枕文庫(けいちゅうきぶん/まくらぶんこ)」
「閨中紀聞/枕文庫(けいちゅうきぶん/まくらぶんこ)」 文政5年(1822)年 によると、凡(おおよ)そのこの辺りの大きさの目安となる寸法が書き記されています。(笑)
上品(じょうぼん)
長さ 14.5cm(四寸八分) 雁周り 14.5cm(四寸八分) 雁首 14.2cm(四寸七分) 竿中周り 12.7cm(四寸二分) 根元 12.1cm(四寸)
中品(ちゅうぼん)
長さ 12.1cm(四寸) 雁周り 12.1cm(四寸) 雁首 11.8cm(三寸九分) 竿中周り 11.8cm(三寸九分) 根元 11.5cm(三寸八分)
下品(げぼん)
長さ 11.5cm(三寸八分) 雁周り 8.1cm(二寸七分) 雁首 11.2cm(三寸七分) 竿中周り 11.8cm(三寸九分) 根元 12.1cm(四寸)
胴返(どうがえし)
長さ 18.1cm(六寸) 雁周り 13.6cm(四寸五分) 雁首 13cm(四寸三分) 竿中周り 12.4cm(四寸一分) 根元 12.4cm(四寸一分)
ちなみに、これを長さと直径に換算すると、以下のようになります。
| 長さ | カリ直径 | 竿直径 |
上品 | 14.5 cm | 4.62 cm | 4.04 cm |
中品 | 12.1 cm | 3.85 cm | 3.76 cm |
下品 | 11.5 cm | 3.57 cm | 3.76 cm |
胴返 | 18.1 cm | 4.33 cm | 3.96 cm |
上品 中品
下品 胴返