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2017/12/14

「出戻り」 はアリか?

SM を興じている方から、自分は 「出戻り」 を許容しているか否かを、聞かれたことがあります。

「出戻り」 とは言っても、「離婚」 や 「家出」 の出戻りではなく、あくまでも、SM の 「主従関係」 における 「出戻り」 の話です。(^^;)

 

「出戻り」はアリ?

 

答えとしては、「出戻りはアリ」 だけれども、「出戻った人はかなり少ない」 というものです。

今までの経験において、ほんとに数人居たか居ないかみたいな感覚です。結果としては、「出戻ったものの、また出ていった・・・」 みたいな感覚でしょうか。(苦笑)

 

まあ、何かのトラブルが原因で、衝動的に離れたのであれば、出戻りも意味があるかも知れません。しかし、それでも、また同様のトラブルが発生しないとは、誰にも言えません。

出る前は、序列上位にあっても、出戻ったら、一からのやり直しになります。

 

しかし、それでも、自分の行動を反省し、本気でやる気があるのであれば、自分は 「出戻り」 は否定しません。むしろ、

 

        「奴隷は、自分からは抜けられないって言ったでしょ?」

 

と言って、受け容れることでしょう。

 

幸せな 「出戻り」 と 不幸せな 「出戻り」

 

しかし、出戻ってみて、そこが 「過去」 と同じと思ったら、きっとまた失敗するでしょう。

「過去」 を振り返ってみて、「良き日々」 だったとしても、それはもう 「過去」 なのです。人の心も身体も、「現在」 を生きているのです。

戻ったところで、そこに過去の 「良き日々」 はないのです。

そして、そこで落胆し、また、「出戻り」 した人は、出ていったりします。

 

そういう人は、自分が過去に 「現実から逃げたこと」 を、分かっていないのです。

そして、そういう人はまた、同じ過(あやま)ちを繰り返します。

 

しかし、自分は、「セカンドチャンス」 を与えると思いますし、何回も去られて、正直自分も凹みますがそれでも、それ以降も門戸は開いていると思います。

 

自分を捨てることが出来るか?

 

大切なことは、自分を捨てるということです。

 

「自暴自棄になれ」 と言っているわけではありません。自分を大切にし、自分を労(いた)わり、そして、それにも増して、自分よりも他人を優先する。「他人を愛せ」 ということです。

 

自己や自分。我に捉われている限りにおいては、幸せもありませんし、M の喜びもありません。

日常の生活では、自分のことに精一杯かも知れません。

しかし、だからこそ、非日常である SM においては、自分を捨てないといけないのです。

 

「SM」 は、「ハレ」 の行事であり、「お祭り」 なのです。

 

だからこそ、八百万(やおよろず)の神とか、全知全能の神とか、まあ、ユング的には、深層心理に横たわる 「集合的無意識」 みたいな存在を意識して 「トランス状態」 になって、楽しむのです。

 

縄でイクのもよし。

「セ☆クス」 でイクのもよし。

 

といったところです。

 

自分の我、自分のイメージ、自分の欲に捉われている限りにおいては、「M女」 の場合は、何処に行っても 「コレジャナイ!」 となります。

そして、「野良」 も板に付くようになってくると、これこそ所謂(いわゆる) 「無限地獄」。どんどん、再現なく、エンドレスに 「ホップ」 しだします。

 

***

 

しかし、まあ若い独身者であれば、きっと誰か 「伴侶(はんりょ)」 となるべき人が、「野良」 を止めてくれるでしょう。(笑)

 

***

 

「自分の過(あやま)ち」 に気が付いたのであれば、早いうちに戻るべきですし、現実を受け容れることが出来ず、それが単なる 「過去の幻影」 なのであれば、「現実」 に戻るべきでしょう。

2017/12/13

多頭問題

多頭問題

 

「多頭飼い問題」 は、SM においても、なかなか意見の分かれるトピックです。

「モテナイ単頭飼いよりも、モテル多頭飼いの方が全然イイ・・・」 みたいなレトリックは可能ですが、そもそも、女性に限らず、「単頭飼い」 よりも 「多頭飼い」 の方が良いなんて言う人は、この世に居ないはずです。(苦笑)

 

多頭飼いに隠れている問題点

 

「多頭飼い問題」 の背後に隠れているのは、ひとつは 「女性の独占欲」 の問題。そしてもうひとつは、「男性の虚言」 問題があります。

 

(1) 女性の独占欲

 

まずは、「単頭飼い」 だとした場合、女性の独占欲は満たされ、安心できるのは理解出来ます。

しかし、「奴隷」 が独身者であり、「主」 も独身者であるなら、まだ理解できますが、「主」 が既婚者などの場合、それ自体は気にならないのか? ということです。

婚姻の部分については、既にその 「主」 が 「不倫」 をしているという時点において、配偶者の負けは確定しており、婚姻関係は全く無視をして、「不倫」 というフィールドにおいて独占したい・・・と言うのであれば、その意味は、「自分が勝ちたい!」 あるいは 「一番になりたい!」 という 「敵対心」 に他なりません。

 

しかし、いろいろな人が言うように、そもそも、配偶者が居(お)りながら 「不倫」 をしているという 「時点」 において、既にその人は 「ゲス」 なわけです。 そんな 「ゲス野郎」 が、「不倫」 というフィールドにおいて 「純真」 になれるのでしょうか?

「ゲス」 であるのに、「センテンススプリング」 にさえ相手にされない 「オヤジ」 的には、「ゲス」 は 「ゲス」 でしょ!? ということです。(苦笑)

 

(2) 男性の虚言

 

しかし、もうひとつの虚言問題があります。それは、果たして、その男性が 「単頭飼い」 だと言ったことは、嘘ではないのか、ということです。

 

正直者の 「単頭飼い」 も居るでしょうが、確認出来ないのだとすれば、正直者の 「多頭飼い」 と虚言癖のある 「単頭飼い」 のどちらを選ぶかという問題です。

 

偽装問題

 

「和牛」 を 「和牛」 として売っている肉は別として、「アメリカ産の牛肉」 を 「アメリカ産の牛肉」 として売っているものと、「アメリカ産の牛肉」 を 「和牛」 として売っているものの、どちらを選ぶのか。

「肉」 の目利きが出来、きちんと肉の質をみて選べる人なら、問題ありません。

 

この世の中、「食品偽装」 と同じく、人も結構 「偽装」 されていたりするものです。(笑)

 

「多頭飼いである」 と宣言した場合、当然、多頭飼いを好まない女性からは排除される可能性が高くなります。しかし、敢えてそれを宣言している意味は何か。

それは、相手の女性を騙(だま)してまで、手に入れようとは思っていない、ということです。

これをその人間の示す 「誠意」 として受け取るのか否か。その辺は、受け取り方次第だと思います。

 

現実は?

 

初心者に、いきなり 「多頭飼い」 など出来るはずもなく、また、ひとりもお相手がいないようであれば、「まあ、いいや」 みたいな感覚で、とりあえず、「単頭飼い」 は名乗れます。(笑)

しかし、「単頭飼い」 であると信じて、付き合ってみたところ、実は他にも手を出していた、あるいは、出そうとしていたみたいなことが、現実にないわけではありません。(苦笑)

 

実際にお付き合いしている人がいて、ある程度の期間、お付き合いがあるということは、少なくとも、その相手の女性は、お付き合いするお相手として受け容れているわけです。

少なくとも、出会ってみて、「1回会えば十分」 とか 「もう、これっきりで」 という状況にはないわけです。

 

***

 

もし、「結婚」 を意識してアプローチしているのであれば、「多頭飼い」 は問題が多いかも知れません。(苦笑)

しかし、そうでなければ、「独占できる可能性」 というのが必要とされるのは、あくまでも、相手が自分のお相手として満足できる場合に限定されるわけです。

「可もなく不可もなし」 みたいなお相手であったなら、そもそも、そういうお相手を独占したいと思うのでしょうか?

 

SM における多頭飼い環境は、大勢を相手に立ち回って相手を蹴落とすのではなく、ただ傍を離れたくないがゆえに忍ぶものであり、そして、いつの間にか、自分が筆頭となったときには、自分の立ち位置を理解し、振舞うものです。

そして、何よりも大切なことは、SM とは、自分の理想やイメージを追い求める道ではなく、むしろ、自分の我を捨て、耐え忍び、涙を流し、悲鳴をあげ、笑い喜び合う。そして、それを通じて人間の喜怒哀楽や愛、人の儚(はかな)さを理解し、人生を学ぶ道であるということです。

2017/12/12

いつかはセ☆クスでイケるようになる?(9)

前記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(8)」 の続きです。

 

messy というサイトは、雑誌社のサイゾーが運営しているから、というわけでもないのでしょうが、女性誌のように、ただ雰囲気で流そうという風潮もなく、また、男性誌のように男性のエロ目線やハウツーで手仕舞いするのでもなく、女性目線から結構ディープに食い込んでいたり、なかなか、読み応(ごた)えのある記事の多いサイトです。

 

今回、ここで自分のお気に入りのライターである 「大根 蘭」 さんが、こんな記事をアップしていました。

 

「女性の中イキ、『したことがない』 のではなく、『気付いていない』 だけの可能性?」

 

***

 

女性は、女性を観察出来ない

 

「中イキ」 の厄介なところは、女性本人の記憶が飛ぶところです。

 

この 「大根 蘭」 さんは、既に 「中イキ」 を経験出来ているようですが、自分で 「中イキ」 の良さを実感するところまでは悪くないものの、当事者であるがゆえの壁にぶち当たっているようです。

一つ目の壁は、自分がイってしまっており、自分の記憶が飛んでしまっているので、ビデオ録画でもしない限りは、自分を観察することが出来ないというのがひとつ。そして、二つ目の壁は、女性だと立場上、多くの女性の 「オーガズム」 を観察することが出来ない・・・というものです。

これは、男性にしても言えること。男性は、銭湯などで、他の男性の 「男性自身」 を見ることはあっても、それらは当然 「勃☆起」 していません。「勃☆起」 した 「男性自身」 に詳しいのは、やはり 「嬢」 の方々なのです。(苦笑)

 

とは言え、この 「大根 蘭」 さんの探究心は、なかなか素晴らしく、あと好感が持てるのは、他人の似非情報に振り回されることなく、自分の言葉で書かれているところです。

 

「外イキ」 と 「中イキ」 は、似て非なるもの

 

今回の記事には、

 

クリ☆イキの延長線上・・・だと思っている女性多し

 

なんて小見出しなどもあったりしますが、これは、自分の前記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(8)」 で書いた 「外イキの延長に中イキがあるのではない」 のパクリか?なんちゃって。(苦笑)

まあ、自分の記事は、医学的な仮説と考察を述べたに過ぎませんし、彼女は、リサーチで彼女が感じたことを彼女の言葉で語っているわけで、これも 「似て非なる」 偶然に過ぎません。(笑)

 

しかし、本人の記憶の空白は、その辺の記事で穴埋めしているようですが、この辺も、本人には全く記憶がなかったり、時系列的な前後関係が、分からなくなっていたりしますので、致し方ありません。(苦笑)

 

イクときは(意識しないと)声が出ない

 

イク直前の女性は、本当に力んでいますので、息を止めて、堪(こら)えるように踏ん張ります。ですので基本、声は出ないのです。出るとしたら、吸った空気が漏れ出るような 「くっくっく~っ」 みたいな声くらいのもの。

これにしても、自分が 「イクときは勝手にイカないで、きちんと 『イク!』 と言いなさい!」 と厳しく躾けているから、短く 「イクッ」 と言った後に 「くっくっく~っ」 となるだけの話です。(笑)

 

波が何回も打ち寄せては、イキまくってるときは、こんな感じです。

 

「アンアン」 みたいな声は、むしろ、もうひとつ前段で男に突かれて、揺さぶられてるときの女性の 「鳴き声」 です。(笑)

しかし、それが高じてくると、もう記憶は朦朧(もうろう)とし、朧(おぼろ)げになります。波が高波になったり、苦しくなったりして、イヤイヤし出すのは、この段階です。

この段階では、まだ、言葉は出ます。「うめき声」 もあれば、「叫び声」 もあります。
 

苦しくなってもやめない

 

この異様な恐怖感あるいは不快感に耐えられず、女性は首を横に振りイヤイヤしたり、泣き出したりする女性もいますが、これを乗り越えると、「中イキ」 での 「オーガズム」 が待っているので、男性はそこで止めてはいけませんし、女性はそこで耐えないといけません。

 

その折角のピークで、自ら 「セ☆クス」 を離脱してしまう女性もたまに見掛けます。

 

自分からすると、「あと一歩だったのに・・・」 と残念に思いますし、まだ努力した分の快感があれば良いのですが、その女性からしてみたら、「薔薇色」 の頂上どころか、得体の知れない 「高まる恐怖感」 しか感じていないわけですから、ある意味、それまでの努力も 「水の泡(あわ)」。可哀相なものです。

 

もし、読者の中に、「あっ、それわたしだっ・・・」 と思った方がいたなら、その方は、あともう少しだと思って下さい。

 

一方の男性は、あと一歩だからと言って、ここで力を抜かないで下さい。
男性にとっては、この状態は全体からすれば、まだ八分目に過ぎません。
特に女性を 「中イキ」 させた経験のない男性の場合は、「ここで彼女と一緒にイこう!」 みたいな 「欲」 は出さないようにすること。

一度、女性が 「中イキ」 を経験しさえすれば、二度目以降は、女性がコツを掴(つか)むためか、イカせやすくなります。

まだ 「中イキ」 を経験していない女性の場合、ここでの余力を十分に確保し、「中イキ」 させることこそが重要なのです。

 

「中イキ」は実感が伴うもの

 

「大根 蘭」 さんも書いていますが、少なくとも、自分で 「イケた」 感覚がなくても、子宮口が降りてきて、膣が痙攣(けいれん)を起こし、そして、汗をたくさん掻(か)いたり、呼吸や鼓動が急に高くなったりする女性は、既に膣では身体では、イケているのです。

そこまでであれば、既に多くの人が到達出来ているはずです。

「膣」 や 「身体」 はイケてるのに、「イッた」 あるいは 「イケた」 という実感が伴わない・・・というのも、「中イキ」 開発で良く見られる光景です。
 

「イケた」 実感が湧いていないのは、まだ神経の回路が接続しきれていないのか、それとも、オーガズムで分泌されるオキシトシンやドーパミンといったホルモン分泌が必要量に達していないのか。この辺はなんとも言えません。

 

自分も一時期は、「身体はイってるのに、なんで本人にその実感がないんだろう・・・」 と不思議に思っていました。「大根 蘭」 さんも、同様の疑問を持ち始めているのでしょう。

彼女は、むしろ強制的にでも 「自覚しろ・・・」 みたいに書いています。

「中イキ」 するためには、自分から 「気持ち良くなりたい・・・」 という意識も必要ですし、努力も必要となります。そういう意味では、「自覚しよう・・・」 あるいは 「感じよう・・・」 という意識は必要かも知れません。

しかし、やはり、本人の視点からしたら、実感として感じられないのは、まだ何かが不足しているのだと思います。

 

繰り返しになるかも知れませんが、いくつか思い当たるポイントを以下に整理してみます。

 

(1) 「外イキ」 と同じ感覚ではない

 

ここで大事になるのが、「外イキ」 あるいは 「クリイキ」 と同質の快感や兆候を探しても見つからないということです。そのタイミングで、盛り上がってきているもの。その感覚の中に 「中イキ」 でしか経験出来ない 「宝の箱」 が隠されていると思って下さい。

自分の 「外イキ」 での先入観が、「中イキ」 を邪魔している可能性は高いと思います。

 

(2) 自分で意識的に集中し、無の境地になること

 

1回でも 「中イキ」 を経験出来れば、それ以降は多少気が散ってもイケるようになりますが、初回だけは何故か、気が散った途端に波が逃げてしまいます。

多くの女性が経験するのは、波がザワザワとさざめいてきて、「あっ、もしかしたらイケるかも!?」 と思った途端に、波が消沈する現象です。

集中出来ているならば、集中しているポイントがずれているのかも知れません。

自転車も、乗れるようになると、無意識に運転していますが、最初は、なかなか上手く行かないものです。

 

(3) 自分の心と身体を相手に委ねる

 

「オーガズム」 は、医学的には、究極の緊張からの弛緩にあると言われています。それは、肉体的にも、ですが、脳神経科学的にも、脳の中の前頭前野と扁桃体が機能停止することから、心理的にも、緊張とリラックスに十分な格差が求められている可能性があります。

心理的には、無意識であれ 「頑(かたく)なに」 頑張ってしまっていたり、また、肉体的には、十分な脱力が出来ておらず、緊張が残っていたり、自分の心と身体を相手に委(ゆだ)ねきれていない可能性があります。

 

***

 

自分が 「中イキ」 を経験させた女性の中でも、「オーガズム」 の深さはマチマチです。どの女性も、言葉での表現は違うものの、同じと言えば同じですし、違うと言えば、みんなそれぞれ細かい点では異なります。

回数を経験しているうちに、イヤイヤしたり、泣かないで、イクことも出来るようになりますし、しかし、焦(じ)らして我慢させていると、イヤイヤをしたり、泣いたりしますが、その分、「オーガズム」 における反応は強く出て来るようになります。

 

「オーガズム」 に至る寸前に、イヤイヤしたり、泣いたり、女性は何を見て、何を体験しているのか。それは、誰も分かりません。

男性は、そもそも体験できませんし、そのときの女性は、前頭前野を休止させてしまっているので、記憶できないのです。

2017/12/11

8の字巻き

 

今日、6チャンネルの TBS でやっている 「林先生が驚く初耳学」 という番組を見ていたという 「某奴隷ちゃん」 から、夜分にメッセージが入りました。

「絶対に絡まないイヤホンの巻き方」 というのをやっていて、本人はその答えが、全然分からなかったそうですが、正解は 「8の字巻き」 というものだったとのこと。

 

そうは言われても、「自分は番組を見ていたわけでもないし、聞かれてもな~」 と思っていたところ、本人は、

 

        「あ!!!これなら、見たことあるw」

 

と思ったそうなのです。そして、それをみて、

 

        「私もやったことあるじゃん♪」

 

みたいに思ったらしいのです。

 

彼女が、見よう見真似で、やってたのは、麻縄を仕舞うために束ねる作業。

親指に引っ掛け、あとは、肘(ひじ)と親指に交互に掛けていき、最後にぐるぐるっと巻きつける、まあ、緊縛をやる人であれば、誰しもがやる基本中の基本の作業。

 

ちなみに、イヤホンの場合は、指にコードを8の字に絡ませるらしいのですが、番組では、スルスル~って解けて、スタジオのみんなから歓声があがっていたそうですが、本人は、別の意味で、

 

        「おおーっ」

 

と思ったらしく、慌ててメッセージを送ってきてくれたようなのです。(笑)

 

さすがに 「ママ、これ知ってるよ!」 と思わず子供に言いそうになったらしいのですが、それは何とか堪(こら)えたとか。(苦笑)

 

番組自体は、動画配信などにはあがっていないようですが、元ネタはこの辺りでしょうか?

 

 

厳密に言うと、最後の纏め方の部分が違うと言えば違いますが、しかし、纏め方自体は同じです。
 

***

 

さっそく、緊縛関連であるかないか調べてみましたが、こちらの 「裸心縛(らしんばく)」 さんホームページの 「扱い方」 で、2番目に紹介されている纏め方です。

 

しかし、「8の字巻き」 と言うんですねw

自分もさすがに 「8の字巻き」 という巻き方の呼称までは、知りませんでした。(^^)/

2017/12/09

「嫉妬心」 を制する (4)

前回まで、しばらく 「嫉妬の話」 を続けてきましたが、今回は最終回。

 

「『嫉妬心』 を制する」

「『嫉妬心』 を制する (2)」

 

「『嫉妬心』 を制する (3)」

 

「嫉妬心」 については 「一家言(いっかげん)」 ある読者の方が、ブログに次のように書かれておりました。

 

この嫉妬の底にあるのは『不安』と言う感情。
醜かろうが悪かろうがその不安を拭い去るためなら
真正面から受け入れますよ(*´∇`*)
嫉妬の根、不安の安子は愛で包めば良いのです!
(持論、炸裂っ( •̀ᄇ• ́)ﻭ✧)
愛があれば嫉妬何てっ

 

なるほど・・・。大変 「深いぃ~」 です♪

しかし、これは愛情や嫉妬を受け容れる側の気持ち。書かれた方の、「おおらかな母性」 を感じます。

 

「盗られる女」 と、「裏切られる女」

 

ところが、いざ、旦那や彼氏の浮気や不倫といった 「色恋沙汰」 となると、女性は二つのタイプに分かれるようです。ひとつは、旦那もしくは彼氏に 『裏切られた』 と感じるタイプと、もうひとつは、相手の女性に 『盗られた』 と感じるタイプ。

 

「恨む相手は夫じゃない? 不倫された女性のプライドに SHELLY 『冷静に考えると』 」

【番組視聴はコチラから】

 

実際は、当然、どちらか一方という単純な話ではなく、この二つの気持ちが織り合っているのだと思います。

しかし、この番組に登場している安富さん曰く、相手の女性に対する恨みの方が強いとのこと。

 

これは 「感情的」 と言うことも出来ますが、浮気や不倫をした旦那や彼氏は、自分が愛情を注ぐ対象であることから、その対象を 「盗られた」 という感覚が強いのだと思います。

そして、一方の 「裏切られた」 という感覚は、自分と相手の関係性において、相互の信頼で成り立っていた関係の片方が切れた・・・という喪失的な感覚で、「論理的」 でもあります。

前者は女性的、後者は男性的な感じがします。

 

実際、男性が社会において感じる同性間の 「嫉妬」 の場合は、信頼による繋がりが基本となっているので後者に近い感覚ですが、前者の感覚がないかと言えばそうでもなく、前者の感覚は、男性の場合は同性であれ異性であれ、「縄張りを荒らされた」 という感覚に近くなります。

そのように観ると、女性の場合、前者はグループを守る感覚が強く、母性愛的であるのに対して、後者は二者的でオンナ的であります。
 

詰まるところ、「盗られた」 と感じるのは、二者間の愛情と言うよりは、「自分のものである」 という既得権益を侵害された感覚の方が強く、また、「裏切られた」 と感じるのは、二者間の愛情を重視している人達の感覚であるような気がします。

 

奴隷もワンコも嫉妬する

 

しかし、これらの話は、一般の 「人」 のお話。 「奴隷」 の身ともなると、事情は大きく異なります。

そもそも、「奴隷」 は 「主」 の所有物であり、「主」 の財産でありますが、「主」 は 「奴隷」 ではありませんので、「奴隷」 が 「主」 を所有するのは勿論のこと、何人(なんぴと)も 「主」 を所有することは出来ません。

 

「主」 が 「奴隷」 に愛情を覚え、また、「奴隷」 も 「主」 に愛情を感じることは当然あります。

しかし、「主」 が 「奴隷」 を抱えるのは、ひとりでなければならない・・・という制約は、何処にもありません。

 

とは言え、「奴隷」 も人権はないにせよ 「ヒト」 である以上は、他の 「奴隷」 が自分よりも良く扱って貰っているのを見たら、「嫉妬」 を感じます。

イヌでさえも、「主」 の関心が他に移ると 「嫉妬」 を感じ、吠え続けたり、主の関心を取ろうとするそうですから、「奴隷」 であっても 「ヒト」 である以上は当然です。


「嫉妬」 は、最初にご紹介した読者の方も言っておりましたが、愛情がなくなることに対する 「不安」 の表れです。
躾けの出来ていないワンコは、不安になって、吠えたり噛み付きますし、自信を喪失したワンコは、塞(ふさぎ)ぎこみます。

 

「奴隷」 としての愛され方


こういう場合、奴隷は、どうしたら良いのか?

ワンコと同様、「主」 の関心を引き、興味を惹きつければ良いのです。
但し、吠えたり噛んだりするのは、勘弁して下さい。(苦笑)
要は、適切な時と場所で、最大限甘えれば良いのです。(笑)

 

「主」 が居なくなった途端に 「く~んく~ん」 と泣くイヌは、単なる 「甘ったれ」。「主」 にとっては 「困り者」 でしかありません。
きちんと、ワンコはワンコで堪(こら)えて、「主」 が帰ってきて

        「よしっ!」

となったら、主の傍(そば)に走り寄って、思いっきりじゃれ付くのが 「良いイヌ」 です。そして、そのときに、「主」 に思いっきり甘えて、思いっきり全力を出して楽しめば良いわけです。

 

奴隷としての株を上げる

 

「言いつけ」 をしっかりと守るワンコが可愛いように、「奴隷」 はまず何をおいても、きちんと 「主」 の言葉に耳を傾けて、きちんと意味を理解して、その 「言いつけ」 を守るべく行動すること。それが一番の基本です。

そして、普段の日の生活は、踏ん張って耐えて、「主」 に会えたときは、「主」 の前で、思いっきり壊れればいいんです。

「奴隷」 としての 「株」 が高まれば、「奴隷」 は 「主」 の資産ですから、当然 「主」 も喜びます。そうなれば、「主」 も、より、その 「奴隷」 に 「愛」 を注ぐでしょう。

ニャンコとワンコを比べれば、ニャンコの方が 「甘え上手」 かも知れません。しかし、どう足掻いたところで、ニャンコはワンコにはなれませんし、ワンコはニャンコにはなれません。
ニャンコにはニャンコの、ワンコにはワンコの 「甘え方」 があるということです。

 

夫婦や恋人同士といった男女関係では、「プライド」 が邪魔をしたりする場合がありますが、「奴隷」 には、「プライド」 は不要です。「プライド」 も何もかも、かなぐり捨てて、「主」 との楽しい 「ハレ」 の時間を過ごすのが SM です。

2017/12/07

「嫉妬心」 を制する (3)

前記事 「『嫉妬心』 を制する (2)」 の続きです。

 

 

何故、SMでは、それだけ鋭く感じるのか?

 

現在に至るまで、SM の経験がない読者の方で、今までの記事を読まれた方の中には、「何故、SM では、皆が気持ち良くなり、歓喜の声をあげるのか?」 と疑問を感じている方も少なくないようです。

 

        「そんな都市伝説みたいなことは、あるわけがない・・・」

 

と決めて掛かっている読者の方もいるかも知れませんし、SM は、サディスト(加虐的性向者) や マゾヒスト(被虐的性向者) といった、どこか神経の接続を間違った異常な人達の世界と思って読んでいる読者の方も、居るかも知れません。

 

SM に興じるのは、普通のひとたち

 

まあ、人は誰しも自分で実体験しないことには、分かる筈もありませんが、今まで、自分が従えてきた女性達は、普通の人達です。それこそ、最初に経験した男性が今の旦那で、結婚生活で浮気した経験はゼロという、普通の主婦さんであったり、普通の学生さんであったり、OLさんであったりします。

自分が今まで従えて来た M女達も、旦那や彼氏の前では、何の変哲もない、普通のノーマルな女性である筈ですし、表面的、対面的には、そんな素振りも見せない筈です。

「違いは何か・・・」 と聞かれれば、それは、自分はその女性ひとりひとりを 「清濁併せ呑んでいる」 ということです。だからこそ、その女性は、自分に対してだけ 「M性」 を見せるのです。

 

そもそも、「M女」 という特殊性癖の女性がこの世に存在するのではなく、女性の心の中に眠る 「M性」 を引き出すのが、S の真骨頂なのです。

ですので、既に M を自認している人であっても、自分の好きな人であったり尊敬できる人、あるいは、自分が 「主」 と認める相手に対してのみ M なのであって、誰に対しても M なのではないのです。

 

愛が飴なら、嫉妬は鞭

 

SM における快感が、通常の快感よりも何倍も強く感じるのは、そこに、「キレイな自分」 も 「汚い自分」 も、「良い自分」 も 「悪い自分」 も、全てを相手が受け止め、受け容れてくれているという 「安心感」 と 「開放感」 があるからです。

そして、責められることで 「受け手」 は追い詰められ、身体的には、物理的肉体的な刺激に敏感になるばかりでなく、心理的には、否応(いやおう)なく、行為に集中せざるを得ない状態に追い込まれます。

「愛と憎」 のように、最大限の振れ幅を以って、思いっきり揺(ゆ)さぶられる訳ですから、心や身体で感じる度合いが強くなって当たり前なのです。

 

「受け手」 が示す 「愛」 や 「嫉妬」 は、主の 「責め」 に対する 「受け手」 の反応のひとつなのです。「愛」 が、「飴」 なら、「嫉妬」 は 「鞭(むち)」 なのです。

 

***

 

今回は、そんな SM における 「飴と鞭」 である 「嫉妬心」 の使い方。

 

 

SM における嫉妬心の使い方

 

(1) 「嫉妬心」 は 「愛」 の裏返し

 

まず、押さえておくべき一番の基本は、愛されていなければ、あるいは、「求めるもの」 がそこになければ 「嫉妬心」 は湧(わ)かない・・・と言うことです。(笑)

 

「嫉妬心」 も 「性欲」 も、日常生活で 「あからさま」 に見せることは、社会的に 「恥ずかしい」 あるいは 「みっともない」 行為と見なされます。

しかし、「性欲」 も、「嫉妬」 も、原始的社会であれば、前者は、種としての 「生存欲求」、後者は 個体としての 「生存欲求」 の表れであり、悪いことではありません。

現代社会においては、どちらの場合も、節度ある行動が求められているということ。

「嫉妬心」 は、「愛」 や 「依存心」 の裏返しです。

これは突き詰めると、「性欲」 も去ることながら、SM においては 「嫉妬心」 も、思う存分解放されるべき存在であることを示している、と考えています。

 

(2) 嫉妬の辛さを軽減する

 

SM における 「嫉妬」 を使った調教の基本は、「嫉妬心」 の裏にある 「不安」 を払拭してあげること、そして、節度ある正しい 「嫉妬心」 に矯正してあげることです。

そのためには、その子の 「嫉妬」 の特性をきちんと見てあげないといけません。

 

感情的になり、攻撃的になる子もいれば、耐え切れず、その場から逃げようとする子もいますし、不貞腐れる子もいます。またこれとは逆に、嫉妬心の 「嫉(そね)み」 意識が強く、自分に自信がなくなり、自ら引いてしまう子もいます。

矯正と言うと、違和感を感じる方もいるかも知れませんが、「嫉(そね)み」 が強い人には、自信を持たせるようにし、「妬(ねた)み」 が強い人には、感情の出し方や抑え方を教え込むわけです。

 

日本ではあまりポピュラーではありませんが、欧米では、「アンガーコントロール」 あるいは 「アンガーマネジメント」 と呼ばれるセラピーがあります。これは、自分の 「怒り」 や 「憤(いきどお)り」 を抑えられない人が、その感情の自制を目的としたものですが、それは、「嫉妬」 もある意味同じなのです。

自分の愛情を上手く相手に表現出来なかったり、逆に相手の言動に不安を覚えたりする。自分の思いが相手に通じない苛立(いらだ)ちに対する 「怒り」 や 「哀しみ」 が 「嫉妬」 なのです。

 

感情的になり、攻撃的になったり、自己嫌悪や自己否定的になるような子の場合は、どちらも、きちんと叱り、責めると同時に愛情も与えます。これは、その子の好みよりは、強い責めを与えた後に、好む責めを与えるという意味です。

 

「嫉妬」 は、愛情が続く限りは、そのまま放置しておいても、無くならない感情です。

「嫉妬」 が、募(つの)れば募るほど、敵対者に対する怒り、もしくは、自分に対する無力感や自己嫌悪が増幅し、愛情の炎が消えるまで、その人を追い詰めます。

本来は、自分よりも大事であった人の存在が、その苦しみゆえに、自分を一番大切にせざるを得ない状況に陥(おちい)ってしまうのです。

 

誰しも一番の思いは、「好きな人の傍(そば)に居たい、離れたくない」 と思っている筈です。

「嫉妬」 を感じること自体は、悪いことではありません。しかし、「嫉妬」 に捉われてしまうと、その先は破滅しかありません。

 

(3) 嫉妬をスパイスとして使う

 

女性に取っては、弊害しかないように見える 「嫉妬」 ですが、しかし、適度な 「嫉妬」 は、女性の集中力を高めますし、「マンネリ」 を防ぐ特効薬にもなります。

女性にとっては、安心できますので、独占出来るに越したことはありません。

中には、疑い深く、相手を事実上独占していても、浮気のチェックを欠かさないひとも居たりします。

独占している相手に対して努力を怠らず、「嫉妬心」 を灯(とも)しているのであれば、まだ良いのですが、

 

「愛」 とは、糸のようなものです。強く引くと切れてしまいますし、緊張がなくなると、弛(たる)んでしまいます。

二人が 「赤い糸」 で結ばれているかどうかは分かりません。しかし、二人の間に結ばれている糸を弛ませることなく、そして、強く引き過ぎて切ることなく、付かず離れずの関係を如何に長く続けることが出来るかが、男女の恋愛を長く続けるための秘訣なのです。

 

「独占状態」 を獲得したからと言って、「永遠の愛」 が成就するわけではありません。

まだ、結婚経験のない若い娘なら、いざ知らず、既に結婚して、結婚の現実を知っている人であれば、その意味は理解できる筈です。

 

(4) 「愛」 と 「嫉妬」 を織り交ぜる

 

「マンネリ」 に陥(おちい)らないコツ。趣向を変えたり、一箇所にひとつのスタイルに偏(かたよ)らないこと。適度に 「愛」 と 「嫉妬」 を織り交ぜることも、そのひとつです。

相手の 「嫉妬」 の度合いを高めた状態の放置は、通常の 「焦(じ)らし」 よりも強い 「焦らし効果」 を生みます。

 

複数の奴隷を従えた複数プレイも、ある意味、この効果を最大限、利用するわけですが、複数を一緒に 「共飼い(ともがい)」 する場合は、序列をきちんと設定することと、それを全員が納得していることが絶対条件となります。

複数プレイの場合は、ただでさえ、奴隷にとってはストレスが強く、また、気が散りやすく、集中しづらい環境にありますので、きちんと、個別にその人に合わせたアフターケアが出来ないと、なかなか難しいと言うこともあって、自分の場合は、「多頭飼い」 でも、それぞれを別々に飼う 「別飼い(べつがい)」 を基本としています。

 

 

嫉妬を制する

 

「モテナイ男よりも、モテル男の方がいいでしょ?」 みたいな屁理屈はありますが、「『多頭飼い』 の男が好き!」 なんて女性は、ひとりもいませんし、いるわけもありません。

女性であれば、「自分ひとりの相手であって欲しい・・・」 と願うことは、とても自然で当たり前なことです。

 

しかし、現代の 「婚姻制度」 ですら、「一夫一婦制」 は、女性の出産や育児などの家庭の安定と、持つものと持たざるものの格差による、社会的な安定を目的としたものであって、女性あるいは一部男性の 「独占欲」 を満たすための制度ではありません。

ましてや、不倫や SM といった不条理な世界において、女性にとっての 「理想的な環境」 を与えなければいけない理由など何処にもないのです。

 

***

 

何故、嫉妬心を制する必要があるのか。
それは、自分の人生を、幸せなものにするためです。
本来は、自分が得られたものに感謝できることが一番重要なのです。

 

「妬(ねた)み」 や 「嫉(そね)み」 は、必ず、他人との比較から始まります。

不倫も、「隣の芝生が青く見える」 ところから始まります。


人の感情は一定ではありません。常に揺れ動くものです。

 

「嫉妬心」 が 「依存心」 から出ている場合は、必ずその 「人」 に幻滅するときが来ます。何故なら、誰でも、不足もあれば、至らないところもあるからです。この世に 「完璧な人」 は存在しないのです。


とは言え、人間は、自分を含めて誰かを愛し、愛されたいと願う限りは、この 「嫉妬心」 と付き合わざるを得ません。なので、出来るだけ、上手く付き合わなければならないのです。

2017/12/05

「嫉妬心」 を制する (2)

前記事 「『嫉妬心』 を制する」 の続きです。

 

「嫉妬心」 は、自分の身を守るための 「防御本能」 や、個体の 「生存本能」、そして、「独占欲求」 や 「依存欲求」 などが、複雑に絡み合った 「負の感情」 です。

人としては、一番醜(みにく)い 「グロな感情」 と言えるかも知れません。

そして、人の 「色恋」 や 「性愛」 には、必ず付き纏(まと)う感情が、この 「嫉妬」 です。

 

SM における嫉妬

 

SM では、このドロドロとした、決して美しくはない感情。怒りと悲しみ、攻撃本能と被虐、そして、愛と情欲が渦巻く 「嫉妬」 という感情をプレイで使用することがあります。

「性欲」 も 「嫉妬心」 も、どちらも、誰もが、自分の中に抱えているものであるにも拘わらず、日常社会においては忌み嫌われる存在です。

 

SM とは、ジョルジュ・バタイユ風に言えば、日常的な 「ケ」 の社会から隔絶された

「ハレ」 の儀式のようなものです。

 

ドロドロとしたもの、モヤモヤとしたものが、溜まりに溜まり、「妬(ねた)み」 ではありませんが 「怒り」 や 「憎しみ」 といった感情から、攻撃性を発露するのが、S であり、そして、その逆に 「嫉(そね)み」 ではありませんが、「失望」 や 「悲しみ」 といった感情から、被虐性を発露するのが、M なのかも知れません。

 

動物の世界には、SM という行為は存在しません。本能だけの世界です。

人が集まり、法が出来て、社会が出来あがり、そして、いろいろな制約が生まれることで、人の中に 「光と闇」、「裏と表」 が生じたに過ぎません。

旧約聖書の創世記の冒頭ではありませんが、神が 「光よあれ」 と言って、「光」 が生じたからこそ 「闇」 が出来、「法」 が出来て 「善と悪」 が生まれ、「社会規範」 により、「建前と本音」 もそうですし、「キレイな自分」 と 「汚い自分」 が生まれたわけです。

 

「SM の世界」 に集約されているものは、本来は、他人には見せられない 「愛憎」 であり、そこから派生する 「嫉妬」 に纏(まつ)わる、「性欲」 や 「支配欲求」 あるいは 「依存欲求」 なのです。

美しく切り出された刹那は、写真であれ、ペインティングであれ、小説であれ、パフォーマンスであれ、「裸婦」 であろうが 「性交描写」 であろうが 「緊縛」 であろうが、「芸術(アート)」 となり得ますが、それらは、「SM の世界」 の一片を昇華したものに過ぎません。

 

SM の世界とは、本来は 「清濁併せ呑む」 世界。そして、「心と身体」、「愛と憎しみ」、「美と醜」、「生と死」 が融合し、またあるときは対峙している 「エロとグロ」 の世界なわけです。

 

***

 

今回は、SMプレイにおける 「嫉妬心」 の使い方について、説明してみたいと思いますが、その前に、SMで良く見掛ける 「修復」 の心理について説明したいと思います。

 

SM における 「修復」 の心理

 

「修復の心理」 と言っているのは、SMプレイにおいて、「責め手」 なり 「縛り手」 が、「受け手」 に 「壊れた場所」 を発見すると、何故か、治そうとしてしまう 「心理」 のことです。

 

あるとき、自分の愛奴の 「調教日誌」 を読んだ 「M女さん」 が、自分のことを 「カウンセラーみたいだね」 と言ったのを記憶していますが、あの行動は、自分でも認識はしているものの、しかし、特別な意識を以って、行動しているわけではありません。

SM を嗜(たしな)む人の全員が、そのように行動するわけではありませんが、しかし、同じようなことをしている 「縄師」 の方は結構たくさんいます。

 

「春兜京(はるときょう)」 氏は、縄は勿論ですが、一人でつぶやくスタイルの数々の詩は、本当にに味わいがあり、実に深くて秀逸ですし、ネット上ではありますが、懇意にして戴いている 「喜多征一」 氏も、縄だけではなく、SMに対する姿勢と理解には、共感するところが多々あります。

 

では、そもそも、どういう心理で、そういう行動をとってしまうのか?

 

普段は、そんなことは、全くと言っていいほど考えたりはしないのですが、今ふと、思ったのは、自分の中には、自分が今までの経験で培(つちか)ったイメージのようなものがあって、「ここで、こういうことをすると、ここは、こう反応する・・・」 みたいなパターンがいろいろと記憶されているわけです。

しかし、反応しない 「受け手」 がいると、「あれっ?!」 と思うわけです。

 

そして、いつの間にか、頭の中でいろいろと勝手に考えて、別のことを試してみたりするわけです。この辺は、系統だった 「教科書」 があるわけでもなく、全ては自分の 「経験則」 だったりするわけですが、その結果、何かを発見したり、有力な仮説に行き着くわけです。そして、気が付くと、いつの間にか、「修復」 していたりする。

 

        「なんで自分は、こんなことをしているんだろう?」

 

今、思ったのは、多分、自分のイメージ通りに 「受け手」 を操(あやつ)りたい。なので、自分のイメージ通りにいかなかった場合には、自分のイメージを修復するか、あるいは、「受け手」 に壊れているところを見つけたら、それを 「修復」 するか。そのいずれかになるわけです。

 

「奴隷」 を自分の支配下に置き、自分の思うように弄(いじ)り、そして、「奴隷」 を思いっきり壊しているくせに、何かを見つけると、まずはそれを治した上で、また、思いっきり壊したくなる。

 

おかしな性分です。(苦笑)

2017/12/04

「嫉妬心」 を制する

嫉妬とは?

 

「嫉妬心」 とは何でしょう?

 

「嫉妬心」 は、女性ばかりでなく、男性にもあります。

「嫉妬心」 とは、自分が愛情を掛ける対象を失いたくないが故に、自分に敵対する相手を妬(ねた)み、あるいは、嫉(そね)む気持ちです。

 

「妬(ねた)み」 とは、自他を比較し、自分が持っていない物事に対して、羨ましく思うと同時に、その相手に対して覚える 「怒り」 や 「憎しみ」 のことです。

「嫉(そね)み」 とは、自他を比較し、自分が持っていない物事に対して、羨ましく思うと同時に、自分に対して 「失望」 や 「悲しみ」 などの負の感情を持つことです。

 

 

嫉妬と羨望の違い

 

「嫉妬心」 は、三者関係によって生じる怒りや悲しみなどの負の感情です。

二者の場合は、「羨望(せんぼう)」 と言います。

 

「羨望の眼差(まなざ)し」 と言う言葉がありますが、「羨望」 は、「憧憬(どうけい)」 とは異なります。英語で言うと、嫉妬心は 「ジェラシー(jealousy)」、羨望は 「エンヴィー(envy)」。

 

 

この挿絵なんかは、「羨望」 ではなく、「憧(あこが)れ」 ・・・。「憧憬」 です。

「羨望」 の方は、相手を羨(うらや)む気持ちから、自分に対する失望感や劣等感、あるいは、怒りや憎しみなどが混じって、ネガティブで強張(こわば)った表情になります。

下の写真の左側の女性のイメージです。

 

 

 

嫉妬は集団欲に付随した本能

 

本来、「嫉妬」 とは、長い人間の群れにおける集団生活においては、弱者が集団生活の中で、自分が依存する強者との関係を確立し、より有利な 「立ち位置」・「テリトリー」・「縄張り」 を確保するために、必要不可欠な感情でした。

特に女性は、出産・子育てにおいては、多くの支援を必要とします。

集団においては、ボスに近い存在であればあるほど、良質で豊かな食事にありつけることが出来ます。

「嫉妬」 とは、「既得権益」 を守ろうとする 「独占欲」 から来る 「防衛反応」 であり、そして、自分が所有していないものを所有する者に対する 「不快感」 に他なりません。

 

「嫉妬」 は、ヒトだけが保有する感情ではありません。ヒトと同様、集団生活を重視するイヌにも、同様の感情があることが報告されています。

「イヌは飼い主を取られると嫉妬する」 Natinal Geographic

「”Jealousy in Dogs (Chiristine R. Harris, Caroline Prouvost)」, July 23, 2014, PLOS ONE

 

 

嫉妬は、現代の日常社会には馴染まない

 

ヒトが、安全を求めて、集団で生活するようになり、「集団欲求」 そして 「安全欲求」 が満たされるようになると、「独占欲求(依存欲求)」 もそうですし、「承認欲求」 といった 「社会的欲求」 といった、集団社会におけるいろいろな欲求が出てくるようになります。

 

「嫉妬」 とは、「安全欲求」 そして 「社会的欲求」 が絡んだ 「不快な感情」 ですが、この 「嫉妬」 で生まれた感情は、自分に自信がない女性の場合は、「嫉(そね)み」 となって 「自己否定」 的な感情が強く表れ、逆に、自信過剰、あるいは、自己中心的な性格が強い女性の場合は、「妬(ねた)み」 となって、「怒り」 の感情や 「攻撃的な性格」 が強く表れてきます。

 

いずれにしても、原始的な社会においては、「嫉妬心」 は、個体の生存本能に近い 「防衛反応」 的性格を持つ感情ではありますが、現代のようにある程度成熟した 「社会システム」 においては、「怒り」 と言った 「負の感情」 と同様、度を越えた感情は、社会的には受け入れられづらくなってきています。

 

「嫉妬」 という感情が、この世から消えて無くなるものではありません。しかし、社会的にも、表に出す感情ではなく、社会の裏で燻(くすぶ)る 「負の感情」 と言えるでしょう。

人前で 「セ☆クス」 しないのと同様、羞恥心で隠されるべき感情が、「嫉妬心」 であると言えます。

2017/12/03

出会いと別れ (2)

前記事 「出会いと別れ」 の続き。

 

縁と愛と生と死と

 

出会いがあれば、別れがあります。

人が生まれるのが出会いなら、死はお別れです。

こればかりは、いくらお金持ちだからと言って、どうなるものでもありません。
才能と機会に恵まれ、そして巨万の富を築いたハリウッドスターであろうと、愛と生死だけは、自分の思うようには出来ません。


「出会い」 もそうなら、「別れ」 もそうですが、「縁」 が取り持つ 「関係」 というのは不思議なものです。
そして、「出会い」 もそうなら、「別れ」 もそう。
何だか訳の分からない 「流れのようなもの」 に、浚(さら)われて、急に発展する場合もあれば、何だか訳の分からない 「流れのようなもの」 に巻き込まれて、そして、急に壊れる場合もあります。

 

 

愛は辛抱(しんぼう)です。

お互いが維持しようと、踏ん張っている限りにおいては、繋がり続けることが出来ます。
しかし、人と人の関係は、自分の思うようにはなりません。
親子関係もそう。自分の血を引く子供でさえ、自分の意のままにはならないのです。ましてや、血の繋がらない夫婦関係なら、尚更です。

SM における、主と奴隷の出会いと別れ

そして、それは、SM においても同じです。

 

SM において、「奴隷」 とは、主の命令が絶対の存在であり、人権のない存在であり、そして、自分の意思では主の下を去ることが出来ない存在です。

ここだけ見る分においては、ローマ帝国時代あるいは南北戦争前のアメリカの 「奴隷制」 と何ら変わりません。

SM における 「奴隷」 と、「奴隷制」 の 「奴隷」 の大きな違いは、奴隷が自らの 「意思」 で奴隷となっているのか、それとも 「強制」 されているのかの違いです。

 

そして、お互いの 「意思」 で繋がっている以上、SM の 「奴隷」 の場合であれ、どちらか一方の心が離れたときには、関係を強要することは出来ません。

一見矛盾するように聞こえるかも知れませんが、自分は奴隷に対して、

        「来る者は拒まず、去る者は追わず」

と言っています。
これは、「奴隷」 という 「特別な存在」 で在り続けたいのであれば、主の命令は絶対であり、奴隷は人権のない存在であり、そして、自分の意思では主の下を去ることが出来ないという、「奴隷の原則」 を守りなさいということです。
つまり、奴隷が主のもとを 「去りたい」 と思った時点で、既に 「主の奴隷」 ではなくなっているという意味に他なりません。

とある別れ

「多頭飼いなんだから、ひとりくらい減っても、問題ないでしょ?」

そう言われると、かなり凹みます。
代わりの人がいないから辛い。代わりの人がいるから問題ないというものではありません。
自分は一人一人、その人自身を見ています。
奴隷ひとりを受け止めるにも、それなりのエネルギーが必要です。
そして、奴隷に対する 「リスペクト」 というのは、ちょっとおかしな表現かも知れませんが、自分は、どの奴隷に対しても、その奴隷の人格を尊重し、きちんと誠心誠意、対峙しているつもりです。

とは言え、主と言えども人間ですから、「完全」 ではありません。

そもそも、不倫をしても、何も罪の意識さえも感じない上に、長年 「SM」 に興じているような 「ゲス」 な人間ですから、偉そうなことを言えたものではありませんが、言うなれば、「一寸の虫にも五分の魂」 みたいなもんです。
「ゲス」 は 「ゲス」 なりに、ゲスの良識を意識しているということ。

***

今回の別れの発端は、とある 「M女さん」 との出会いから始まりました。
この 「M女さん」 は、既に 「主」 がいる方。 しかも、もう結構、「主の方」 とは長いようで、SM プレイから複数プレイに至るまで、いろいろとお話を伺っておりました。
SM であれ、結局のところ突き詰めれば、「マンネリ」 と 「女性の嫉妬」 を如何にして克服するか、の世界です。

 

経験者としての 「M女さん」 とそんな話をしたあと、彼女は、自分の 「主」 に対する思いをブログにアップしたのですが、それがどうやら、自分の愛奴の気に障(さわ)ったようなのです。

もしかしたら、書き手からして見ると、多少の皮肉に受け取れるような記述があったのかも知れませんが、特に、自分の愛奴に対するあからさまな 「誹謗中傷」 があったわけでもありません。しかし、そこから 「愛奴との関係」 は拗(こじ)れに拗れてしまいました。

 

ここまで来ると、「誰が悪い」 という話ではありません。

彼女が悪いわけでも、愛奴が悪いわけでもなければ、自分が悪いわけでもない。

いや、自分を正当化したところで意味ありません。結局のところは、愛奴の言い分をきちんと聞いて、受け止めてあげれなかった自分に幻滅したのでしょう。

既に自分から気持ちが離れていたのであれば別ですが、まさか、こんな些細(ささい)なことで破局を迎えるとは、思ってもいませんでした。

愛奴は、ここのところ、いろいろなことが重なっていましたし、「普段は、しっかりしないと・・・」 みたいに甘えたい気持ちを抑えようとするところもありました。
幼馴染との忘年会でも、いろいろと 「多頭飼いなんか、やめときな・・・」 みたいなネガティブな忠告があったのかも知れません。
気持ち的に 「いっぱいいっぱい」 なところで、自分がドジを踏んでしまったのかも知れません。

***

しばらく間を置いて、戻ってきて欲しい期待はありますが、もう、難しいかも知れません。

若い時分で常に右肩上がりに成長するのであれば、過去を振り返らず、「コレジャナイ!」 と思ったら、終わりにして 「次!」 でもいいと思います。
しかし、人は齢(よわい)を重ねていくに連れて、坂も次第に下りに入ってくると、人との 「縁」 を大事にすることの大切さも、学びます。

人もいつか壊れる存在であるからこそ、いつか壊れる 「縁」 であっても、それを出来るだけ大事にする必要があるわけです。

とは言っても、未練タラタラですが、愛奴を責めるつもりは毛頭ありません。

愛奴が自分から離れていったのは、自分の至らなさであり、愛奴を飼いきれていなかった証拠なのですから、全ては自分のミスなのです。

「縁」 とは?

「縁」 とは不思議なものです。

「縁」 には、自分が相手に何かしらの影響を与える 「触媒(しょくばい)」 あるいは 「伝播係」 のような役割を担う場合と、自分が相手から何かしらの影響を受ける 「主体」 あるいは 「末端」 としての役割を担う場合があります。

愛奴との関係も、「縁」 によって始まり、そして、「縁」 によって終わりを迎えました。

今はまだ分かりませんが、しかし、この出会いにも何か意味があるとすれば、形はどうであれ、いずれ同じ状態になっているはずです。

 

答えは誰にも分かりませんが、しかし、「縁」 で生じた 「出会いと別れ」 の先に、自分に約束されていた何か大切なものを見つけたとき、人はそれを 「運命」 と呼び、そして、自分の 「縁」 を繋いでくれた人達に感謝します。

自分は、愛奴と会うべくして会い、そして、別れるべくして別れた・・・と思いたい。


自分は 「多頭飼い」 だからと言って、それぞれの人を比較したりはしませんし、自分に着いて来てくれている以上は、みんな自分の大事な 「奴隷」 です。
そして、自分の予想に反して、別れが早かったから、あるいは、「愛奴との関係」 が、自分の思い通りに行かなかったからと言って、相手に対して怒りを覚えたりはしません。

 

 

愛奴には、自分のような人間と時間を共有してくれたことに感謝しています。


***

「来る者は拒まず、去る者は追わず」 などと格好付けている 「多頭飼い」 ではありますが、愛奴に去られたときは結構、こんな調子で凹んでいるのが実情です。(苦笑)

2017/12/01

「性交時頭痛」 って、知ってました?

ことの起こり

 

もう夏場あたりから一緒にプレイに参加している 「単独女子」 さんがいます。

その子は、今までに何度か 「外イキ」 は経験しているのものの、「セ☆クス」 での 「中イキ」 は未だに未経験なので、ここのところ、その子を集中的に責め立てているのですが、前回は首を振って 「イヤイヤ」 をするところまで来たものの、出口を見つけられず、イケず仕舞い。

 

今回は、「イヤイヤ」 するほどの大波にまでは、至っていなかったようですが、しかし、執拗な二人の責めに、身体を一度仰(の)け反(ぞ)らせた後、何回も身体を痙攣(けいれん)させています。

波は前回ほど強くはないものの、ここまで反応があれば、「中イキ」 を体感出来たものと思っていたのですが、本人に確認してみたところ、

 

なんだか夢中になってしまって、あんまり細かく覚えてないのですが、太ももから腰に掛けて、ゾワゾワ~ってくすぐったい感じになりました。♪

よく見かける頭が真っ白と言う感じではなく、何かが全身に徐々に広がっていく感じ。w

もっと何かが弾ける感じをイメージしていたんですけど、私の場合はそういうのではなくて、フワッと力が抜けたみたいな感覚。

イケたのかイケてないのか、ハッキリ自覚出来るほどわかりやすいものではなくて、身体が敏感になって持続するような感じでした。♪

 

とのことでした。「エクス☆タシー」 的な状態にはありますが、まだ、「オーガ☆ズム」 には至っておりません。心理的なものが阻害しているのか、それでも 「何が原因なんだろう・・・」 と、いろいろと考えあぐねておりましたが、しかし、このあとに聞いたのが 「頭痛」 の話でした。

 

「イキそうになったときも、頭が痛くなった・・・」

 

しかも、その 「頭痛」 は今回が初めてではなくて、前回も頭痛があったとのこと。そして、

 

「全身に力が入ると、頭全体が割れるほど痛くなって血管が切れるんじゃないかと思うくらい頭痛が酷くなる・・・」

 

とのことでした。頭痛も、こめかみよりも少し上のところが特に痛く、ときどきは、前が痛くなったそうですが、その痛みがその後、8日も続いたようで、頭が重いのは、まだ改善されないとのこと。

 

確かに 「オーガ☆ズム」 に至るまでは、身体も極度に緊張しますし、高まりと共に、脳内麻☆薬と呼ばれるエンドルフィンやプロラクチンといった幸せホルモンが大量に分泌され、神経系も興奮しており、血流も早くなりますので、血圧は高くなると思います。

 

最初にその話を聞いたときは、病院に行って測定して貰ったときの血圧や、高血圧症状のある家族歴の有無、検査内容などを聞いただけですが、もともとは低血圧気味で、家族にも高血圧症状の人はおらず、また、頭痛については、肩が凝りやすいせいもあって、若い頃から頭痛持ちではあったものの、出産を経験して以来、ここ10数年は、特になにもなかったとのこと。

やはり、きちんと血圧の上昇や頭痛といった症状が、何から来ているのかを、きちんと調べて貰ったほうがいいという話をしたのですが。

 

いろいろと、調べていくと、「性交時頭痛」 という症状があるらしいことを見つけました。

 

 

「性交時頭痛」 とは

 

性交時頭痛とは、

① 性行為中にのみ誘発される頭痛であって、
② 性的興奮の増強に伴って、痛みの強さが増強する、もしくは、オルガスム直前あるいはオルガスムに伴い突発性で爆発性の強い痛みがあり、
③ 重度の痛みが、1分~24時間持続、または、経度の痛みが72時間持続する頭痛で、他の頭痛に分類されないものを言います。

 

女性よりも、男性の方に多く見られるようです(海外では、男女の性差による違いはないとされているようです)。

 

詳しい情報は、下手な健康医療系サイトの情報などよりも、アメブロの 「たくさん」 の記事がとても専門的で参考になります。

 

 

頭痛の場所については、後頭部であったり、こめかみであったり、人によって大きく異なるようですが、いずれにしても、かなり激しい痛みであるようです。

 

また、すぐに治まる場合は、良性とされているようですが、頭痛が長く続く場合は、悪性と診断されるようです。

 

「【女性】 性行為中に激しい頭痛に見舞われる」

 

こちらの記事によりますと、症状は一見偏頭痛とそっくりだったとのことですが、性行為で血圧があがったときに小さなくも膜下出血を繰り返した患者さんを診察した例などについても書かれています。

 

***

 

「たくさん」 の記事にもありますが、症例的には少ないことから、診察においては、偏頭痛として扱われ、見落とされることも多いと考えられますし、いろいろと鑑別診断しなければならないこともあるようです。

また、高血圧症状についても、いつからかは特定できないものの、いろいろな要因があり得ることから、気になりますので、「性交時頭痛」 については 「神経内科」、「高血圧」 については、きちんと 「内分泌系」 の 「内科」 の専門医に診て貰うことをお薦めします。