SM は、社交ダンス?
以前、いろいろと、こよなくダンスを愛好している女性が、SM に興じる男女の関係を比喩(ひゆ)した言葉。それが、「SM ってなんか、社交ダンスに似てる・・・」 でした。
SM は、セクシャルで甘美な 「オトナの世界」。しかし、していることと言えば、変態性欲が織り成(おりな)すアンダーグラウンドな性的行為に過ぎません。どちらかが結婚していれば当然それは 「不倫」。
しかし、「不倫」 の本来の意味である 「人の道(道徳・倫理)にあらず」 ではありませんが、SM という行為自体がタブー視される行為、すなわち 「不倫」 なので、殊更(ことさら)、不貞行為という不倫関係を取り出してきて、罪悪視あるいは問題視する人は、少ないように思います。
まあ、そもそも SM という行為自体、決して、高尚なものではありませんし、SM をしてること自体、大声で公言することでもなければ、威張れることでもありません。
世間的には、本来であれば、日陰で、忍び慎(つつし)む類(たぐい)のものです。
そんな SM が、ある意味、表舞台の 「社交ダンス」 に例えられたのは、意外でした。
確かに、SM が醸(かも)し出すエロティシズムにはアート的な要素も、ふんだんに見られます。
SM を基軸として、そこにパートナーという関係が成立し、様式とまではいかないけれども、プレイの趣向があり、エロティシズムの追求みたいなところがあることから、そういうところが、ダンスに似ていると思ったのでしょうか。
ダンスも、そもそもは女性が男性に、あるいは、男女が相互に、個々のセックスの魅力をアピールしあう行為です。19世紀のヨーロッパにおける社交界のダンスなども、表面上はクールに平静と品格を保ちつつも、脚を絡ませ、下半身を押し付け合い、耳元で囁(ささや)く求愛行為。
女性にしてみれば、社交界は、男女が集(つど)い、綺麗なドレスを纏(まと)い、大勢の人から見られる場であり、また、心酔いしれる音楽があり、愛の囁(ささや)きや口説き、そして、焦(じ)らしがあり、お酒とおしゃべりが出来る場であったわけです。
そこには当然、同性間の嫉妬や敵対もあれば、異性間でも、求愛もあれば拒絶もある。
確かに、社交ダンスのルーツ(源流)を考えると SM と社交ダンスはすごく似ています。
口説くのもダンスなら、相手を焦(じ)らすのも、誘惑するのもダンスです。
品位を保ち、平静を装(よそお)いつつも、耳元では低めの声で、甘い言葉や卑猥(ひわい)な言葉を囁(ささや)きながら、合間に 「ふっ」 と耳に息を吹きかけるのもありなら、リードする男性の大きく踏み出すステップで、自分の脚を相手の脚から股に深く食い込ませるのもあり。
女性は、お気に入りの男性であれば、押し付けられた部分に体重を掛け、背後に仰(の)け反(ぞ)るもよし。
呼吸がピッタリと合い、男性のリードに追従して、女性が軽やかに舞っている姿は、ベッドの上の行為をも連想させます。
当然、気持ちが乗らなければ、男性のリードを無視する女性もいるでしょうし、逆に積極的に、男性に対して攻める女性もいるわけです。(笑)
現代の社交ダンスは、プロや学生の競技ダンスを除けば、残るは中高年の社交場としての社交ダンス。技術や儀礼そして形式性だけを受け継いだようなものですが、これは、SM で言えば 「縄師の道」 に通じた感覚です。
縄にも、自分達で快楽に浸る 「楽しむ縄」 もあれば、緊縛を芸術の域にまで昇華させようとする、美を追求する「美しい縄」 もある。もちろん、パフォーマンスとしての 「見せる縄」 もあります。
確かにダンスと SM。特に緊縛とダンスは似ています。
でも、何故、似ているか?
多分、それは、どちらも愛情の表現手段だからでしょう。
快楽的要素は基本ですが、美的要素もある。また、見られる場というのも、女性にとってはとても重要な要素なわけです。
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あともうひとつ。この女性が言った 「社交ダンスに似てる」 という言葉。彼女は、SM に興じる男女の関係についても、「なんか似てる・・・」 と言っていたのですが、それも、大変興味深く感じました。
パートナーに何かとダメ出しをしては、相手を取っ替え引っ替えする人もいれば、特定の相手と長くパートナーを組む人もいます。考え方が違ったり、相手の趣向に付いていけなくて、パートナーを解消する場合もあれば、愛憎といった感情が高じ過ぎて、関係がこじれてしまう場合は、社交ダンスでもあるし、SM でもあります。
自分は、SM におけるパートナーを愛してます。しかし、その相手を愛しく思う気持ちも、自分では 「主従愛」 などと呼んでいますが、所謂(いわゆる)普通の恋愛感情とは違う感覚であるのは確かです。
ひとりの人間ひとりの女性として相手を見つめ、そして、相手の気持ちを正面から受け止めています。愛奴ではありますが、プレイに没頭していないときは、彼女であり、女友達でもあります。しかし、基本は、やはり SM における信頼が根底に強くあります。
受け手である M が攻め手である S のことを全面的に信用し信頼して、着いて来てくれるからこそ、成り立つ関係と言えるのかも知れません。
男性のリードに呼応せず、女性が男性に身体を委(ゆだ)ねられなくなった時点で、ダンスにおけるパートナーとしての関係は事実上破綻している・・・というのと同じ感覚です。
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最後に、今まで紹介した女性とは別の女性からのメッセージを紹介します。
この女性は、現在サルサダンス(salsa)を習っているそうです。
サルサダンスは、ニューヨークのプエルトリコ移民が発祥とするペアダンスで、サルサ音楽にあわせてスピード感のあるラテンダンスで、男性が全ての動きを決めてリードするのが特徴とのこと。
彼女的には、女性は男性に全てを委(ゆだ)ね、男性のリードに合わせて踊るのが、とても、非日常的で心地良いらしい。
そんな彼女のお気に入りは、キゾンバダンス(kizomba)。女性は目をつむっていても良いくらいに、男性のリードを感じながら踊るダンスだそうで、想像するだけで、ドキドキするんだそうです。(笑)
女性は、男性のリードに100%集中し踊らされる感覚は、まさしく、主の命令は絶対で、命令に一生懸命ついていくことに集中する ドM ちゃんと、重なるところが多いように思うのは、自分だけでしょうか?
最後に、彼女から送られてきたつべをご紹介します。