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2016/08/30

SM は、社交ダンス?

以前、いろいろと、こよなくダンスを愛好している女性が、SM に興じる男女の関係を比喩(ひゆ)した言葉。それが、「SM ってなんか、社交ダンスに似てる・・・」 でした。

 

SM は、セクシャルで甘美な 「オトナの世界」。しかし、していることと言えば、変態性欲が織り成(おりな)すアンダーグラウンドな性的行為に過ぎません。どちらかが結婚していれば当然それは 「不倫」。

しかし、「不倫」 の本来の意味である 「人の道(道徳・倫理)にあらず」 ではありませんが、SM という行為自体がタブー視される行為、すなわち 「不倫」 なので、殊更(ことさら)、不貞行為という不倫関係を取り出してきて、罪悪視あるいは問題視する人は、少ないように思います。

まあ、そもそも SM という行為自体、決して、高尚なものではありませんし、SM をしてること自体、大声で公言することでもなければ、威張れることでもありません。

世間的には、本来であれば、日陰で、忍び慎(つつし)む類(たぐい)のものです。

 

そんな SM が、ある意味、表舞台の 「社交ダンス」 に例えられたのは、意外でした。

 

確かに、SM が醸(かも)し出すエロティシズムにはアート的な要素も、ふんだんに見られます。

SM を基軸として、そこにパートナーという関係が成立し、様式とまではいかないけれども、プレイの趣向があり、エロティシズムの追求みたいなところがあることから、そういうところが、ダンスに似ていると思ったのでしょうか。

 

ダンスも、そもそもは女性が男性に、あるいは、男女が相互に、個々のセックスの魅力をアピールしあう行為です。19世紀のヨーロッパにおける社交界のダンスなども、表面上はクールに平静と品格を保ちつつも、脚を絡ませ、下半身を押し付け合い、耳元で囁(ささや)く求愛行為。

女性にしてみれば、社交界は、男女が集(つど)い、綺麗なドレスを纏(まと)い、大勢の人から見られる場であり、また、心酔いしれる音楽があり、愛の囁(ささや)きや口説き、そして、焦(じ)らしがあり、お酒とおしゃべりが出来る場であったわけです。

そこには当然、同性間の嫉妬や敵対もあれば、異性間でも、求愛もあれば拒絶もある。

 

確かに、社交ダンスのルーツ(源流)を考えると SM と社交ダンスはすごく似ています。

 

口説くのもダンスなら、相手を焦(じ)らすのも、誘惑するのもダンスです。

品位を保ち、平静を装(よそお)いつつも、耳元では低めの声で、甘い言葉や卑猥(ひわい)な言葉を囁(ささや)きながら、合間に 「ふっ」 と耳に息を吹きかけるのもありなら、リードする男性の大きく踏み出すステップで、自分の脚を相手の脚から股に深く食い込ませるのもあり。

女性は、お気に入りの男性であれば、押し付けられた部分に体重を掛け、背後に仰(の)け反(ぞ)るもよし。

呼吸がピッタリと合い、男性のリードに追従して、女性が軽やかに舞っている姿は、ベッドの上の行為をも連想させます。

当然、気持ちが乗らなければ、男性のリードを無視する女性もいるでしょうし、逆に積極的に、男性に対して攻める女性もいるわけです。(笑)

 

現代の社交ダンスは、プロや学生の競技ダンスを除けば、残るは中高年の社交場としての社交ダンス。技術や儀礼そして形式性だけを受け継いだようなものですが、これは、SM で言えば 「縄師の道」 に通じた感覚です。

縄にも、自分達で快楽に浸る 「楽しむ縄」 もあれば、緊縛を芸術の域にまで昇華させようとする、美を追求する「美しい縄」 もある。もちろん、パフォーマンスとしての 「見せる縄」 もあります。

 

確かにダンスと SM。特に緊縛とダンスは似ています。

 

でも、何故、似ているか?

 

多分、それは、どちらも愛情の表現手段だからでしょう。

 

快楽的要素は基本ですが、美的要素もある。また、見られる場というのも、女性にとってはとても重要な要素なわけです。

 

***

 

あともうひとつ。この女性が言った 「社交ダンスに似てる」 という言葉。彼女は、SM に興じる男女の関係についても、「なんか似てる・・・」 と言っていたのですが、それも、大変興味深く感じました。

 

パートナーに何かとダメ出しをしては、相手を取っ替え引っ替えする人もいれば、特定の相手と長くパートナーを組む人もいます。考え方が違ったり、相手の趣向に付いていけなくて、パートナーを解消する場合もあれば、愛憎といった感情が高じ過ぎて、関係がこじれてしまう場合は、社交ダンスでもあるし、SM でもあります。

 

自分は、SM におけるパートナーを愛してます。しかし、その相手を愛しく思う気持ちも、自分では 「主従愛」 などと呼んでいますが、所謂(いわゆる)普通の恋愛感情とは違う感覚であるのは確かです。

ひとりの人間ひとりの女性として相手を見つめ、そして、相手の気持ちを正面から受け止めています。愛奴ではありますが、プレイに没頭していないときは、彼女であり、女友達でもあります。しかし、基本は、やはり SM における信頼が根底に強くあります。

受け手である M が攻め手である S のことを全面的に信用し信頼して、着いて来てくれるからこそ、成り立つ関係と言えるのかも知れません。

 

男性のリードに呼応せず、女性が男性に身体を委(ゆだ)ねられなくなった時点で、ダンスにおけるパートナーとしての関係は事実上破綻している・・・というのと同じ感覚です。

 

***

 

最後に、今まで紹介した女性とは別の女性からのメッセージを紹介します。

この女性は、現在サルサダンス(salsa)を習っているそうです。

サルサダンスは、ニューヨークのプエルトリコ移民が発祥とするペアダンスで、サルサ音楽にあわせてスピード感のあるラテンダンスで、男性が全ての動きを決めてリードするのが特徴とのこと。

 

彼女的には、女性は男性に全てを委(ゆだ)ね、男性のリードに合わせて踊るのが、とても、非日常的で心地良いらしい。

そんな彼女のお気に入りは、キゾンバダンス(kizomba)。女性は目をつむっていても良いくらいに、男性のリードを感じながら踊るダンスだそうで、想像するだけで、ドキドキするんだそうです。(笑)

女性は、男性のリードに100%集中し踊らされる感覚は、まさしく、主の命令は絶対で、命令に一生懸命ついていくことに集中する ドM ちゃんと、重なるところが多いように思うのは、自分だけでしょうか?

 

最後に、彼女から送られてきたつべをご紹介します。

 

2016/08/26

ネットでの口説き方 (2) - 理想的な会話

引き続き、SNS での会議室やチャットルーム等での、お話をします。

前回の記事では、あまりにも異性を露骨に意識した会話は、マイナスであることを説明しました。

 

では、どのような会話が理想なのでしょうか?

 

会議室・チャットルームの特徴

 

見ず知らずの人と、特定の目的やジャンルにおいて話をできるのが、会議室やチャットルームの醍醐味(だいごみ)です。

匿名(とくめい)であれば、むしろ、リアルで面識のある人に対しては、ちょっと相談を躊躇(ちゅうちょ)してしまうような内容であっても、相談できるというメリットもあります。

相手の実際の年齢も素性(すじょう)も解からないというディメリットはありますが、その辺は、解かる人であれば、会話の内容や表現から、ある程度推測できたりします。

 

誰しも同じだと思いますが、こういった会議室やチャットルームでは男女を問わず、そこに加わっている全ての人達と快適に、会話のキャッチボールが出来たときほど、楽しいことはありません。

「楽しい会話のキャッチボール」 とは、ある意味、そこに居る人達の間で 「価値観の共有」 が起こっていることを意味します。

 

特定の異性を口説きたい。もしくは、その距離を縮めたいのであれば、まず第一に、女性であれば、その人の安心、その人との信用と信頼を確立するのと同時に、エキサイティング出来る状況を作り出すこと。

 

女性を口説くプロセス

 

ひとりひとり、女性を口説こうと思ったら、まずは、相手の女性に対して安心感を与えることです。その場合大事なことは、自分の自慢話ではなく、ありのままの自分をさらけ出すこと。

女性は、このひとは、真摯で誠実なひとか? このひとは、私に嘘をついてないか? この人は、嘘をついたり、人を騙(だま)したりしない人か?を、チャットの文脈から確認しようとします。しかし、それだけで終わっては、「無害な人」 あるいは 「安全な人」 で終わってしまいます。

同時に、相手に興味をもって貰わないといけません。そのためには、相手の女性が、どういった人を求めているかを、いろいろと洞察しないといけないわけです。

リスクのある関係であれば、そのリスクを取ったとしても、お釣りが来るくらいの結果が期待できなかったら、臆病な女性は動きませんし、自分の心を平気で傷付けるようなひとには、傍(そば)にさえ居て欲しくないというのが、女心です。

 

女性を口説くことは、一朝一夕(いっちょういっせき)にはできません。

柔道に例えるなら、女性の安心感。一定の信用と信頼を獲得するという 「立ち技」 を決め、女性の興味を惹(ひ)くことで 「寝技」 に持ち込み、そして最後に 「締(し)め技」 を決め、「落(おと)す」 ことが出来ないといけないのです。

 

距離感を短くするマジック

 

共感の重要性

 

このプロセスは、さぼることは出来ません。しかし、ショートカットして女性との距離感を短くすることは出来ます。多くの女性に対して、距離感を短くするために 「共通に使えるマジック」 があるとするならば、それは 「共感」 の獲得です。

集団の中に 「共感」 が芽生えたときは、いつの間にか、その輪の中に居た人達は、その女性が感じている 「わたし達」 のひとりになっているのです。

その女性の一人称複数に数えられることこそ、異性と距離感を縮める上で 「最強」 な手段はありません。

 

会議室やチャットルームで、共通の話題で皆との話を通して、「この人は、こういう考え方をするんだ・・・」 とか、「そうそう」 と自分と同じ考え方であることを確認する。

会話は単なる文字列に過ぎないかも知れませんが、会話を通じて、その人の人間像が相手に伝わるのです。

女性は、人が話す内容にも、興味を持っていますが、それと同じくらい雰囲気を大事にします。

 

そのためには、ダラダラした会話ではなく、ある程度、参加者の関心が集まっていて、緊張感のある会話でないといけませんが、しかし、一方では、参加者全員が発言できるような、自由な空気が醸成されていないといけません。

 

笑いの重要性

 

あともうひとつ。共感と並んで重要なのは、笑いとユーモアです。真面目な話をしていても、ずっと緊張を保つのは意外と大変なもの。

女性をイかせる場合もそうですが、ずっと保った緊張を一気に解(ほぐ)すことで快感が生じます。会話におけるエクスタシーは、ずっと保った緊張を一気に解すことで生じた 「笑い」 です。

会話においては、「笑い」 は大変重要な要素なのです。

 

ネットに限らず、ストリートのナンパでも同じ。口説いてる相手を笑わすことが出来たら、そのナンパは成功します。多分、連絡先を聞いたら、連絡先くらいは教えてくれるでしょう。

というのも、相手に対して警戒がある場合や、好意のない人に対しては、女性は一切 「笑顔」 を見せません。

 

ネットにおいて、思わず、本人がパソコンの前で吹き出してしまうくらい 「笑い」 を勝ち取った人は、多分、その時点で、もう、その人に受け入れられていると思います。

 

ナンパというと軽い感じがしますので、ネットにおける恋愛と呼ぶことにしますが、相手の共感を得て、かつ、相手から 「本音での笑い」 を引き出すことができるようになっていたら、もう、かなり親密な距離にあると考えて問題ありません。

 

もし、女性を本当に寝技に持ち込みたいのであれば、それは、これからあとの話です。

 

***

 

慣れていない人に多いのは、早く自分の土俵(どひょう)に持ち込みたくて、辛抱(しんぼう)出来ない人達です。こういうひとは、一対一の世界に持ち込んだ途端に、我慢できなくなって、 「寝技」 に縺(もつ)れ込むのですが、立ち技での 「効果」 も 「有効」 も取れていないので、大半は、そのまま玉砕して終わりです。(笑)

 

柔道で 「立ち技」 を決めるには、まずは、しっかりとした 「引き付け」 が重要。

恋愛も同じで、しっかりとオープンな場所で自分の社交性をアピールし、しっかりと女性を 「惹きつける」 ことが重要なのです。

2016/08/25

「つまらない男」 は、女が変える

世の中、「つまらない男」 ばかり・・・と嘆(なげ)いている女性も、少なくないようです。

 

外国下着のようなオシャレな下着を身に付けて来ていて、テンションがノリノリになっているにもかかわらず、下着には全く目もくれない男を嘆(なげ)く女性は、この世に少なくありません。

と言うか、妙齢(みょうれい)の女性であれば、誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。

 

出会った男性に、質の高いエスコートを期待すればするほど、「また、ハズレくじ・・・」 みたいな雰囲気になってしまう気持ちも解からなくはありませんが、女性を楽しませることの出きる男性は、やはり、それなりの需要もありますし、そうそう、その辺に転がっているわけではありません。

 

普通の男女の出会いでも、SM でも同じですが、相手にばかり、何かを求めるひとは、いつまでたっても、離合集散(りごうしゅうさん)を繰り返すばかりです。

他人にばかり求めて、自分は何の努力もせず、結果を全て 「他人のせい」 にしているひとには、何の進歩もあり得ません。

大事なのは、自分が変われば、自分の器も広がり、その結果、相手のポジションも自(おの)ずと変わる、ということです。

 

もし、自分の相手が、女性の下着の類には全(まった)く関心を寄せず、ガツガツと盛(さか)るタイプの男性であったなら、それを嘆(なげ)き、交換するという手もありますが、自分で躾けるという選択も残されているということ。

 

こういう男性は、ワンコで言えば、餌を目の前にして 「おあずけっ」 が出来ない馬鹿犬です。

そういうワンコは、徹底的に躾(しつ)けなおすしか、ありません。

 

女性の言うことを聞かず、がっつくワンコであれば、もう縛ってしまうしかありません。

そんな高度な縛りは必要ないので、手を縛りあげるだけでも、十分でしょう。男性の自由を奪って、そこから、女心について講義をしてあげることです。

 

下着の良さ、エロチシズムを理解していない男性に対しては、まず、それを十分と理解させないといけない。チラリとスカートをたくし上げて、見せてあげても良いかも知れません。

男性の多くは、視覚で興奮しますので、たっぷりと観察させてあげて、自分が観て欲しいポイントをしっかりと教え込んで、言って欲しい言葉を相手の口から言わせることです。

 

「なんか下着を履いてると、生身よりエロいと思わない?」

 

「ゆっくりと脱がされると、焦らされてるようで、こんなになっちゃうの!ほらっ、こんなに!見て!」

 

下着のエロチシズムを理解させて、あとは、「きちんと口に出して誉めなさい」 ということを解からせる。

 

***

 

「そんな恥ずかしいこと、できないっ!」

 

多くの女性から、そういう返事が返ってきそうですが、その程度の改善努力も出来ないのであれば、もう、諦(あきら)めるしかありません。

あまりにも男性的な、入れて、腰を振って、出すだけの、即物的なセックスを許容するか、あるいは、ナショナルジオグラフィ のテレビ番組 「ザ・カリスマドッグトレーナー (Dog Whisperer)」 に出てくる 「シーザー・ミラン (Cesar Millan)」 のような調教師に馬鹿犬を預けるか、さもなくば、返品して外食する以外に手はありません。

 

男性の要望を一方的に受け入れるばかりではなく、自分の気持ちを相手に伝えるのも大切です。しかし、それでも解からない場合は、手取り足取り教える。

見本を見せるわけではありませんが、自分が主導権を握って、本人に経験させたりすることで、自分が期待することを旨く相手に伝えるというのも、コミュニケーションをとる上ではとても重要です。

 

女性が、その男性のことを 「つまらない男」 だと思ったら、不満ばかりを溜(た)め込むのではなく、自分が、その男を変えるというアプローチもあるんだよ・・・ってことです。

2016/08/23

ネットでの口説き方 (1) - 自己中がもてない理由

ネットや SNS のチャットルームなどで、異性を口説こうとする人を良く見かけます。

また、口説いたりはしていないものの、明らかに異性としか会話をしようとしない人も見かけますし、異性が居なくなった途端(とたん)、あからさまにチャットルームを抜ける人もいます。

 

SNS の類(たぐい)は、ソーシャルと言っているように、他人と繋(つな)がることを意図したサービスです。ですので、そこで異性であれ、同性であれ、出会いがあり、コミュニケーションが生じることは、至極当然の成り行きなわけです。

なので、そういう行為や行動自体を否定するつもりはありません。

しかし、他人とのコミュニケーションの取り方が解からないのか、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な人達もチラホラ。

 

このため、ここでは、SNS で異性との出会いを求めている方を対象に、幾つかのポイントを整理してみたいと思います。

 

これは、やってはいけない!典型的な例

 

まず、これは 「やってはいけない」 代表的な例について。

それは、異性に会った途端に盛(さか)ること。(笑)

「盛(さか)る」 とは、動物が発情し、誰とでも交尾しようとするさまを言います。

 

良くある典型的な例。その1は、「質問攻め」。

 

まだ何も会話を交わしていない状態なのに、異性を見かけるや否や、

 

「会おうよ!」

「何歳(いくつ)?」

「何処(どこ)に住んでるの?」

「ラインは?」

 

などと矢継ぎ早(やつぎばや)に質問攻めにする連中を見掛けますが、ちょっと待ってください。

果(は)たして、今まで話したこともない、全く知らない人から、いきなり、このような質問をされて、快(こころよ)く返事をくれる人が、いるでしょうか?

 

全くの見ず知らずの人から、このような度重(たびかさ)なる質問攻めに合ったひとが、少なからず感じること。それは、

 

「お前は誰だ!」

 

この一言です。(笑)

 

最悪なのは、このような人に限って、自己紹介もプロフィールもまともに書かれていなかったりすること。

自分の情報を出し惜しみしてるのか、それとも、恥ずかしくて名乗れないのかは知りません。

他人の迷惑を一切(いっさい)顧(かえり)みず、自分の興味や関心を優先させる、「自己中心」 的なひとを、その相手のひとが、気に入るとでも思っているのでしょうか?

 

出会う意思があるのであれば、男女を問わずですが、少なくとも、売り込みたい側の人間であれば、プロフィールくらいはしっかりしたいもの。

履歴書や経歴書もそうですし、出会い系サイトなどでも同じです。丁寧に、誠意を以(も)って書かれたプロフィールは、人に良い印象を与えます。

逆に、そんなことは 「面倒くさい」 と思っているなら、既に失格です。

何故なら、男と女の関係ほど、面倒臭いものはないのですから。(笑)

 

そして、これはやってはいけない典型例、その2。

それは、会ってすぐに、特定の異性に狙(ねら)いをつけて、あからさまに関心を惹(ひ)こうとすること。

別に周囲に、慇懃無礼(いんぎんぶれい)に、回りくどく接する必要はありませんし、下心を持つなと言っているわけでもありません。

ただ、会議室やおしゃべり部屋のようなところに入室して、碌(ろく)に挨拶(あいさつ)もなかったり、挨拶も覚め遣(や)らぬうちに、ガツガツとやられると、正直うんざりします。

 

これは、飲み会などで、目をつけた異性の横に割り込んで、他人の会話を遮(さえぎ)って、いきなり話しかけるようなもの。

余程の真剣さが、そこにない限りは、自分で、自分のことを傍若無人(ぼうじゃくぶじん)でガサツな人間とアピールしているようなものです。(笑)

 

このような人達に共通すること。それは、「自己中心的」 であることです。

子供は自己中心的ですし、誰しも、自己中心的な要素は持っています。しかし、良好なコミュニケーションを図(はか)る上では、相手に対する配慮が大変重要になってきます。これは、大勢の会話でもそうですし、一対一の会話でもそう。

そして、コミュニケーションにおいては、自己主張するばかりではなく、相手の話を聞くことも大切ですし、相手が、自分と異なる価値観であったとしても、それを受け止めるだけの寛容さが求められます。

相手に一切の発言を許さず、相手を威圧(いあつ)もしくは相手の言葉を遮(さえぎ)って、一方的に話してるだけでは、コミュニケーションとは呼びません。

 

恋愛において、コミュニケーションは何故、重要なのか?

 

恋愛において、何故コミュニケーションが重要なのでしょうか?

それは、恋愛も、コミュニケーションのひとつであるからに他(ほか)なりません。

恋愛もコミュニケーションなら、セックスも、コミュニケーションです。

特に女性にとっては男性以上に、コミュニケーションをとても大事にします。

恋愛においては、女性の場合、デート自体がもう、セックスの前戯のようなもの。楽しいデートには、弾(はず)む会話がつきものです。女性にとって、コミュニケーションは、会話であれ、セックスであれ、恋愛には欠かすことのできない、大変重要な要素のひとつなのです。

極論を言えば、男性のセックスは、ベッドに入るところから始まりますが、女性のセックスは、デートのときから始まっていると言っても、過言ではありません。

男性がしてしまいがちな、一方的でかつ自分本位なセックスは、男性にとっては、セックスかも知れませんが、女性にしてみれば、セックスとは名ばかりで、「男のマスタベーション」 としか思っていません。

 

「自己中」 は何故、異性にもてないか?

 

では、自己中心であると、何故、異性にもてないか?

恋愛経験もまだ浅い若い女性を除けば、きっと、多くの女性が一度は自己中心的な男性を経験している筈です。

会話すら、まともに出来ない男性に、それよりも高度なコミュニケーションであるセックス、即(すなわ)ち、女性が求めるセックスを期待できるはずがないと、思ってるのかも知れません。

 

一方的に、自己を押し付ける 「自己中」 の人は、下手をすると、自分の価値観そのものを押し付けてきます。それぞれの人の価値観が異なることを知らないのです。

このような人は、自分が全て正しいと認識しており、自分が良いと考えることは、他の人にも良いと本気で思っています。

人によって、価値観が異なることを理解していないので、このような人は、全くと言っていいほど、相手の人の気持ちや個性を尊重するということが出来ません。

 

そんなひとが、果たして、女性が痒(かゆ)く感じているところに、気を利(き)かせて、手を伸ばしてくれるでしょうか?

多くの女性は経験的に、こういう類(たぐい)の男性は、勝手に興奮して、勝手に突っ込んで、勝手に腰を振って、勝手に果(は)てられるのがオチと読んでいます。

 

世の中の女性は、「押しの強い」 男性を嫌いではありません。

しかし、「自己中」 のひとの中には、ガツガツと女性をあからさまに口説くことを、「押しが強い」 と勘違いしている輩(やから)が少なくありません。

これらの女性は、無理強(むりじ)いされるのが、好きなわけでもないし、しつこいのが好きなわけでもない。自分が好意を寄せる男性から、積極果敢(かかん)に、楽しく攻められたいのです。

真剣に自分のことを見て、自分の個性や価値観を受け止めて欲しい。ひとりの女性として、尊重して貰いたいのです。

笑いのツボもそうですが、興味も楽しさのツボも、人によって、それぞれ異なります。

もっと言えば、セックスの感じ方も、みんな違うのです。

他の人と比べるんてもいい。しかし、それを言葉で相手に言ってしまうのはナンセンス。野暮です。

自己中の人は、基本的には、自分しか見ていません。その人の関心は常に自分。なので、相手がどう感じているか? そういった配慮が一切なかったりするのです。

そして、その辺りが解からないのにもかかわらず、単なる自分の思い込みで行動したりするのです。

自己中のひとの場合、決定的に欠けているのは、デリカシーと相手に対する配慮です。

 

心当たりのある人は、まず、そのことに気が付いて下さい。

2016/08/13

S は「指揮者」の S

ここんとこ、某 SNS 上で話してた内容です。

 

面白いのは、何故か、立て続けに 「同じ種類の話題」 が話題にのぼったりすること。

話題は、SM とは直接関係のない 「女性がイク話」 であったり、二段とか三段とかの多段イキ(多段オーガズム)の話だったり、あるいは、中イキの話だったりと、いろいろでしたが、そこにあるのは、女性がイクことの難しさ。イけない女性の多さについてです。

 

男性の射精と違い、女性のオーガズムは、多様です。

自分は女性ではないので、女性が感じているであろう快感を解かるわけでも、ありませんし、こうすれば、気持ち良くイけるようになるということを断言できるわけでもありませんが、女性を見ていて、言えることは、構造的な違いもそうですが、感じ方のバリエーションが多様であるということ。

タイプが似ているような場合は、それなりにありますが、性感の強さや優先順位は、みんな、違っていたりする。

 

オーガズム時の反応も人によってまちまちです。

身体をピクピクと痙攣(けいれん)させる女性も居れば、汗をびっしょり掻(か)いて跳(は)ねるような動作をする女性も居るし、もう、心拍数は高まり、ハアハアと 100m を全力疾走したかのような女性も居ます。

 

ですので、女性を気持ち良くさせる場合に重要なこと。それは、その女性のことを、しっかりと見つめてあげて、その女性固有のスイッチを探し、特徴を理解するということ。

まずは、指揮者となる以前に、楽器の特性を見抜き、その楽器に併せて、その楽器の良さを引き出すような 「良き奏者」 である必要があります。

マウスピースあるいはリードで音が出せるようになったからと言って、それで 「全ては同じだ!」 ではまだまだ奏者としても初心者です。

 

女性は本来、臆病なので、なかなか集中できない動物なのです。

 

しかし、その理由は、太古の昔の、人の交尾の状況を鑑(かんが)みれば一目瞭然。

交尾の最中は、人に限りませんが、捕食する側から見れば、一番隙だらけな瞬間です。

身を守るのに十分な術(すべ)がない時代、人が種を保存するためには、男性は天敵と戦い、あるいは、自らが捕食されつつも、その合間に女性を逃す以外にはなかった筈です。

当然、女性からしてみれば、男性は優れた種でなければなりませんが、どんなに能力的には優れていたとしても、女性を放って置いて、女性を捕食させ、自分だけが逃げてしまうような男性では意味がありません。

かと言って、天敵に襲われた際に、男性が逃げる時間を作ってくれたからといって、もたついていたら、女性も天敵の餌食になってしまいます。

このような過酷(かこく)な状況下で、女性が生き延(の)び、そして、種を保存するために、最低限必要だったこと。それは、女性を見捨てて逃げない男性を見つけることと、あとは、危険な状況に陥った際に、女性が優先的に生き延びることだった筈です。

 

女性の心の底には、そのような太古の記憶が眠っているからなのか、女性は、自分なりに好意をよせることが出来て、安心できる男性に、自分の身を委ねていたとしても、それでも、常にいろいろな不安が頭の中を支配して、デートであれセックスであれ、なかなか集中することができない生き物なのです。

 

太古の昔であれば、不安の代表格と言えば、人を捕食する天敵に襲われることだったかも知れませんが、現在の不安は、① 妊娠や病気に対する不安であったり、② 自分の心を傷付けられる不安、あるいは、③ 相手に対する不満であったりします。

ですので、人によって、これらの不安や不満の内容は異なりますが、このようなマイナス要因を一通り解消してあげること。女性に対して、安心感を与えてあげることが、女性を気持ち良くさせる上で、とても重要になるのです。

 

女性の性の本質は、自分が愛し信頼を寄せる相手に、自分の身も心も委ね、そして、身も心も、とろけて、我を忘れて、愛する男性と一体になること。

自分のエゴやプライドといった鎧(よろい)は全て脱ぎ去って、頭の思考を全て停止させ、頭の中を真っ白にして、ただただ一心に、心と身体で感じ、交わること。

旧約聖書では、イブ(エバ)は、アダムの肋骨(ろっこつ)から作られたとありますが、男女の和合は、一瞬ではあれ、イブがアダムの肋骨に戻れた瞬間こそが、そこで得られる一体感こそが一番の至福(しふく)なのです。

 

では、そのために、男性に何が求められるか。

 

それは、クールに女性の分まで頭を働かせ、女性を守るべく周囲に気を配り、危機に備えること。 男性は女性とは逆に、自らの逸(はや)る性欲を抑(おさ)えるために冷静になり、女性のことに気を配って、思いやってあげることです。

女性が不安にならないように、雰囲気を盛り上げ、女性の不安要因を全て排除する。

そのためには、相手の女性をしっかりと見つめ、相手の全てを正面から受け止め、自分のことは後回しにするぐらいの度量を見せること。

ここで大事なことは、「自分よりも、相手の女性を優先する」 ということです。

あとは、ただただ女性の脳裏から湧(わ)き出る不安を払拭(ふっしょく)させるために、女性が頭で思考するのを止めさせ、「気持ち良くなること」 に集中させるだけです。

 

***

 

SM をやってて感じること。

 

それは、SM には、心理学的な要素もあれば、暗示的な要素も複雑に絡んでいます。しかし、理屈ではなく、人の感性から生まれたものであるからでしょうか?

「女性のオーガズム」 という観点から見ても、実に理に適っているのです。

 

「女性のオーガズム」 の観点から、SM を紐解(ひもと)くと、S とは、「指揮者」 に例えることができます。

緊縛や拘束具は、漠然とした不安から逃げようとする女性に対して、逃げることを諦(あきら)めさせるための 「おまじない」 のようなもの。

「捕(とら)えられている・・・」 という暗示によって、女性のエゴやプライドといった心の鎧(よろい)も、脱ぎ捨てさせやすくしているわけです。

目隠しによって、女性の視界を遮(さえぎ)ることで、聴覚や身体の触覚は鋭敏にさせ、それ以外の不必要な情報から遮断します。

研ぎ澄まされた耳から入る S の呼吸や命令は、言葉責めであるのと同時に、プレイを支配する空気を醸成します。

 

S は、SM プレイにおける 「指揮者」 です。

女性から 「自由」 を奪い、「光」 を奪い、「思考」 を奪い、S は M を支配します。

M は自らの思考を停止し、S の命令を愚直に実行することで、S に従属します。

女性の 「オーガズム」 の観点から言えば、この状況は、まさしく、女性がオーガズムを得るのに、とても適した環境と言えます。

女性に対する環境は整っているわけですから、そこから、どれだけ、従属する女性の気持ちを高揚させ、オーガズムに持っていくことが出来るかは、ひとえに、S の 「奏者」 としての能力と、「指揮者」 としての能力に掛かっているわけです。

 

言葉によって服従させ、あるいは、羞恥心を高め、焦(じ)らし、気持ちを高揚させ、命令によって、相手の行為や動きをコントロールする。

SM で使う道具の類(たぐい)は、女性の M 性のスイッチを入れ、気持ちを服従(ふくじゅう)させるための 「小道具」 あるいは 「おまじない」 に過ぎません。

緊縛も、いろいろと縛り方には趣向がありますし、楽しみ方もそれぞれですが、プレイにおいては、女性が纏(まと)うストラップでしか、ありません。

 

S が、言葉と自らの五体と、そして、道具を駆使して求めるもの。

それは、通常の性愛行為では、なかなか到達が困難な境地。指揮者である S と、奏者である M が奏(かな)でる、性愛のハーモニーに他なりません。