2ntブログ
2018/02/04

暴力は、SM ではない

暴行を SM と勘違いする人達

 

以前、「グーパンチは、ないでしょ (苦笑)」 の記事にも書きましたが、「SMプレイ」 と称して、叩いたり殴ったり、あるいは、そうした暴力行為も SM に含まれると思っている人達が一部に存在します。また、「暴行プレイ」 なんてメニューを載せていたりする 「SMクラブ」 も存在します。

 

SM プレイは、双方の合意を基本としていますので、青タン(青アザ)が出来るまで殴るような暴力的な行為であっても、双方がそれを望むのであれば、プレイとして成立はしますし、他人がとやかく言えることではありません。

 

暴力的な部分だけを持ち出してきて、そういった ハードなプレイを否定するつもりはありません。「鞭打ち」 でも、打たれた部分が青く腫れあがるまで叩かれることを望む、ハードプレイヤーもおります。

打撃の痛みと衝撃で、アドレナリンを放出しまくった後、プレイの証しとして、そして、その余韻に浸るために、青アザを残すことを望む 「受け手」 の人はいます。

「キスマーク」 と同じですが、「痕」 や 「余韻」 を残すことで、「フラッシュバック」 も含めて、その 「実感」 を長く確認したいのです。

この場合でも、「打ち手」 が、相手の求めの根幹をきちんと理解しており、リスクを認識し、きちんと危険を排除するだけの技術があるのであれば、全く問題はありません。


「暴力」 もしくは 「暴力的シーン」 に SM 的要素が含まれていることも、否定しません。

世の中に一定数、「暴行」 に興奮を覚える人達は存在します。

と言うよりは、みんな 「興奮」 はします。しかし、それは 「性的な興奮」 ではなく、アドレナリンが放出されることによる、闘争的な興奮です。

一昔前であれば、東映の 「ヤクザ映画」 や 「ギャング映画」 あるいは 「時代劇」 などの、身近な 「暴力シーン」 で、多くの人達が 「興奮」 していたわけです。

「任侠(にんきょう)物」 を上映している映画館に、入っていくときは普通なのに、映画を見終わって出て来るときは、何故か、肩を怒らせて歩いて出て来る男性が多いなんて、笑い話もあるくらいです。

 

自分が、「暴力」 あるいは 「暴行」 を SM とすることに対して大変否定的なのは、なかなか上手く表現できないのですが、「暴力」 あるいは 「暴行」 というアプローチが、プレイする人達を大変誤認あるいは混乱させやすいこと。それと、エスカレートしたときの歯止めが大変難しいためです。

 

「SM の責め」 として見て、「素人」 と 「玄人」 の見極めが難しいこともありますし、傍目(はため)から、「DV なのか」 それとも 「プレイなのか」 の見極めも困難です。また、責め手が 「自分を保てている」 のか、「イってしまっているのか」 の区別も難しい点があげられます。

 

簡単に言うと、「鞭」 や 「縄」 と違って、「暴行」 の場合は、素人であろうが何であろうが、誰にでも簡単に出来てしまうという点です。

 

痛い・苦しいを好む人達

 

SM を経験していない人は良く、「SM は、痛いから嫌い」 と言う人がいます。しかし、昔、「SM は必ずしも痛くない」 の記事にも書きましたが、SM は必ずしも 「痛い」 ものではありません。実際に SM に興じている人達の中にも、「痛いのは無理」 という人達は大勢います。

また、SM の道に入って、「痛い系」 も悪くない・・・と思う人もいますが、それは、女性が興奮した場合、快感と痛みの区別が付けづらくなるからであって、始めから、「痛い系」 や 「苦しい系」 を好む人は、居ることは居ますが、そうそう多くはありません。

 

こういった 「痛い系」 や 「苦しい系」 の責めを好む人達は、「自己否定」 的な傾向が強いように思います。

「フィ☆スト」 も、ボディピアスのような 「身体改造」 もそうですし、ネックコルセットやギャグボールなどを装着し、呼吸をしづらくする 「苦しい系」 の責めを好む場合もそうです。


それ以外では、ピンタされたり、殴られたり、あるいは、首を締められたりといった、「暴力的」 な 「脅迫観念」 がないと、極度の 「恥ずかしさ」 などから、十分な自己の 「性の解放」 が出来なかったり、あるいは、これは 「自傷」 と近いかも知れませんが、その位の刺激がないと、自分の、生きているという 「実感」 を確認出来ないなどといった人もいます。

 

怖いのは、「プレイ慣れ」 していない素人

 

こういった 「受け手」 が、暴力的なプレイを望む場合、「責め手」 が、きちんと叩き方・殴り方を知っていて、冷静に対処出来る人であるならば、まだ良いのですが、それでも、「受け手」 の要望がエスカレートしていくような場合は、事故を起こす危険度がどんどん増していきます。

 

「ソフト」 なプレイなら、「責め手」 は 「受け手」 の希望や願望を適(かな)えてさえあげていれば、関係は成り立つかも知れません。
しかし、「ハード」 なプレイにおいては、「責め手」 がきちんと、場を掌握し、「支配」 出来ていないと、大変危ないのです。

どういうことかと言うと、「責め手」 は、頼まれたからやるのではなくて、「受け手」 の状態をきちんと確認しつつ、主体的にプレイ出来ないといけないのです。

 

場合によっては、身体的なインパクトは変えず、心理的なインパクトだけが強くなるように暗示を掛けたりしますし、ポーズだけを取る場合もあります。

例えば、過呼吸状態のときに、口と鼻を押さえたりするのは、一見 「責め」 のように見えているかも知れませんが、これは単に、酸素の摂り過ぎを抑止しているだけです。

 

では、「暴行プレイ」 の何が怖いのか?

 

縄や鞭と言った所謂(いわゆる)典型的な SM であれば、そこには、確実に 「技術」 の壁が存在します。
しかし、「暴力行為」 の場合は、素人であろうと、誰でも出来るだけに、「ソフト」 と 「ハード」 の見極めがきかなくなる場合があるのです。

そして、始めのうちこそ、注意を払うかも知れませんが、慣れてくるに従って、気も緩んできますし、次第にプレイがエスカレートする可能性もあるためです。

 

その典型が、過去の記事 「愛のコリーダ」 や、「愛のコリーダ(2)」 で紹介した、「安倍定(あべさだ)事件」 です。

 

「安倍定」 は 「責め手」、石田吉蔵(よしぞう)は 「受け手」 だったわけですが、しかし、実際に場を取り持っていたのは、吉蔵であり、「定(さだ)」 は、ただ吉蔵の希望や願望を適えていてあげてただけです。
吉蔵も、定に、顔が赤く腫れ上がるまで、首を締め上げて欲しかったわけではありません。定が吉蔵の要望通りにしていたら、そうなってしまっただけの話です。


実例1 いきなり首を絞められた話

これは実際にあった話ですが、とある女性が、そのときお付き合いしていた彼氏に、「首絞め願望」 があることを話したらしいのです。

本人は、自分にそういう願望があることを話しただけのつもりだったのですが、彼氏は、頼まれていると受け取ったのか、あるいは、自分がその願望を適えてあげようと思ったのでしょう。

「セックス」 をしていたときに、どうやら、その彼氏がいきなり、彼女の首を絞めたらしいのです。

 

本人は、咄嗟のことで、いきなり、呼吸が出来なくなり、声も出ない状況で、そのまま死ぬかと思ったと言っていました。多分、気管を絞められたのでしょう。

以前、その彼女から 「首絞め願望」 の話を聞いたときに、「そういう話を、気安く、男に話さない方がいいよ」 と忠告しておいたのですが、どうも、その真意は伝わっていなかったようです。

 

柔道の経験があり、絞め技の出来る人の手に掛かって、数秒で落とされてしまうのも、味気ありませんが、全く首を絞めた経験もない、力のある男性に、いきなり首を絞められることくらい、怖いことはありません。(苦笑)

 

実例2 重度の青アザを残した話

 

これも実際にあった話ですが、以前、とある 「M女さん」 とお会いした際、顎(あご)に打撲痕を、身体にいくつかの歯形を発見したことがあります。DV かと思い、本人に聞いてみると、ピンタをして貰いたくて、そのときにお付き合いのあった男性にお願いしたとのこと。

噛むのも、彼女がお願いしたのかどうかは忘れてしまいましたが、男性に噛み癖でもあったのでしょうか?

この女性の場合は、グーで殴られたわけでもなさそうなので、その男性も意図的に痕を付けたわけではなさそうです。多分、手首の骨が顎の骨にでも当たってしまったのかも知れません。

しかし、その女性は紛いなりにも 「亭主」 のいる身です。痕が残るほど強く叩かれたり、噛まれたりすることを希望されていたのかは微妙です。


ピンタも一歩間違えば、鼓膜(こまく)を破りかねませんし、勢い余った場合は、頚椎(けいつい)を痛める場合もあります。大きな怪我の場合もそうですが、歯形の痕がくっきりと残っている場合も、犬でなく、人に噛まれたことは一目瞭然ですので、言い訳も難しくなります。

 

***

 

上記の2つは、いずれも、こと無きを得たものの、ヒヤリ とするトラブルであることには変わりません。

 

DV?虐待?SM?

 

「暴行プレイ」 をまだ、お店で楽しんでいる場合は、お店にもルールはあるでしょうし、少なくとも、叩いたり叩かれることを前提に、十分リスクを認識し、回避出来るであろう人達が働いているわけですから、あまり心配はしていません。

 

では、何を心配しているのか?

 

やはり、それは、悲惨な事故もありますし、SM と言う名のもとに、DV や虐待が行われることで、社会に、「SM は危険」 という、間違った認識が植え付けられてしまう懸念もありますが、「暴力プレイ」 を SM のひとつのジャンルとして認めたくない一番の理由は、「DV」 あるいは 「虐待」 を含めた 「暴力」 を SM と勘違いしている 「鬼畜野郎」 共が、SM の潜在的な社会的需要を荒らしてしまうことに他なりません。

 

「健全な SM」 というのも、おかしな表現ではありますが、一昔前には、一種の精神的疾患として扱われていた、サディズムやマゾヒズムといったものも、現代では、本人が心理社会的な問題を自覚していたり、あるいは、同意のない相手に対して、性的衝動を行動に移すなど、社会的な問題が引き起こされるような場合を除き、個人の 「性的な嗜好」 として認知されています。

 

「真性ドS」 でも、何でも良いのですが、「SM」 に興じる者は、いわゆる 「びょーき」 の人達とは、一線を画していないといけないのです。

 

***

 

この世の中、怪我を負わせれば 「傷害罪」 ですし、事故であれ、死亡させてしまえば 「障害致死罪」 に問われます。

 

「SM」 とは、何回も書きますが、被虐側の M は、拘束されて自由を奪われたり、自分の身体を相手に委ねる行為です。ですので、そこでは、相手に対する 「信頼」 というものがとても大切になってくるわけですが、もうひとつ大切なのは、委ねる相手の持つ 「技量」 と 「人間性」 です。

どんなに 「人間性」 が良くても、「技量」 が伴わなければ事故を起こしますし、どんなに 「技量」 に優れていても、「人間性」 に乏しければ、相手を食い物にしようとするゲスも居ます。

 

サイコでもない限りは、殴ってボコボコにすることのを想像すると、ワクワクしてきてしまって、後先構わず、誰それ構わず、殴り出すヤツなんて居ません。

何故なら、現実の社会でそんな行動をとっていたら、逆に 「返り討ち」 に合うのがオチですし、凶暴な場合は、檻(おり)に入れられて社会から隔離されるからです。

 

やはり、現実問題として 「怖い」 のは、「プレイ」 において、自ら陶酔してしまい、加減が出来なくなってしまう人と、そもそも加減の仕方すら知らない人達であり、また、弱い立場にあるものに対してのみ、「暴力」 という選択肢が出て来る 「虐待」 気質のある人達です。

 

おわりに

 

ジョルジュ・バタイユや、伊藤晴雨ではありませんが、「SM の根源」 にあるものは、人が心の底に持つ、「死」 に対する畏怖と、「生」 の喜びであり 「愛」 です。

「自☆傷」 が、「生」 の混乱と葛藤しながらも、「生きたい!」 と望む 「心の叫び」 であるように、SM は、愛することの下手な人達が、愛を求め、愛を交歓する世界なのです。

 

自らの快楽だけを求め、自らの快楽に興じるために、相手を暴力によって脅迫し、支配する行為は、「ロールプレイ」 の範囲では許されたとしても、それを越えた場合は、単なる 「虐待」 であり、「SM」 としては認められないというのが、 自分の基本的な認識です。

そして、「真性ドS」 でも何でも構いませんが、そういう人達については、「イクなら他人を巻き込まず、ひとりでイってくれ!」 というのが、自分の率直な意見です。

2017/11/09

グーパンチは、ないでしょ (苦笑)

最近、周囲でちらほら耳にする 「グーパンチ」 話。

 

最初の頃は、単なる勘違いの 「自称ドS」 野郎による事故話かな?と勝手に思っていたのですが、いろいろな方面から、そういう話を聞いたりします。

 

ネットで SM 関連の記事を徘徊していて、たまたま、そういう記事に遭遇してしまっただけなのかは、良く解りませんし、その記事の内容が事実であるとしても、お互いにそのプレイが好きで、双方合意の上で楽しんでいるのであれば、第三者が四の五の言う問題ではないかも知れませんが。

 

同じような話が、最近懇意にして戴いている 「おばばさん」 のブログにもありました。


 

腹パン?

 

調べてみると、こういうプレイは最近のものなのでしょうか?「腹パンチプレイ(腹パン)」 と呼ばれているようです。

しかし、こうなるともう、SM というよりは、「暴力プレイ」。

「SM スナイパー」 には 特集 なんかもありましたが、本気で殴っていないにせよ、こういう記事を読んで勘違いする輩が出てくることが、解らないのでしょうか?

「SM スナイパー」 も地に落ちたもんです。

 

こういった記事や AV ビデオを見て興奮を覚える人もいるようですが、それは、アドレナリンによる興奮とドーパミン系による興奮の区別が出来ていない人。

 

某鬼畜俳優の噂

 

本当か嘘かは解りませんが、以前、有名な男優 N・T が、SM倶楽部に札束を持って現われて、M嬢をボコボコに殴ったり、骨折させてと懇願したりなどと言った噂話を耳にしたことがあります。これは、確かにサディスティックであるかも知れませんが、S を履き違え、かなりエロとグロと暴力とが倒錯(とうさく)した、タチの悪いオラオラ系的なストレスの発散に過ぎません。

 

こういう連中は、もしかしたら、エ☆チを経験する前に、人と喧嘩をしたり、本気で殴りあったりした経験に乏しい人かも知れません。

また、相手が弱い立場であったり、不利な立場にあるなど、自分の優位性を確保しないと、支配欲求や性的欲求が満たされない訳ですから、かなり短絡的であり、元来は、臆病で抑圧されている人のように感じます。

 

問題は、こういう連中が一定数、世の中に存在するということ。

 

お薦めできない理由

 

お腹を殴られたい性向の M男性が、このようなプレイを求めてSM倶楽部等に行くことを否定はしませんし、このようなプレイを商売にしているSM倶楽部などでは、それなりのルールを定めているでしょうから、否定はしません。

嬢が、空手の有段者であれば、相手の体格にもよりますが、素人に軽くお腹を殴られたところで、へっちゃらでしょうし、菊川結衣みたいに、これだけ見事に体重の乗ったパンチを喰らったら、オヤジも一発でぶっ飛びます。(^^;)

 

 

怖いのは、上記のような手加減を知らない鬼畜による事故と、もうひとつは、素人同士でプレイすることによる事故です。

 

ピンタひとつにしても、当てるところを間違えれば鼓膜(こまく)を破りますし、顔は手加減しても、あまり殴れるところはありません。

空手などでは、胸は比較的ドシドシ殴ったりしますが、それでも鳩尾(みぞおち)にキマルと、かなり長いこと痛みが続きますし、わき腹の肋骨(ろっこつ)や鎖骨(さこつ)は折れやすいです。

また、手加減なく、力が抜けている素人(しろうと)の腹部を殴るなんて言うのは、下手をすると内臓損傷に内臓破裂です。

空手やボクシングなどで、トレーニングを積んでいても、腹部への打撃は徐々に効いてくる部分ですので、ヘタった後に何度も殴るなんていうのは、大変に危険な行為です。

 

また、殴る方も、素人がヘタに思いっきり殴ったりすると、指の骨を折ったり、手首を捻挫(ねんざ)したりします。

 

***

 

性癖そのものを否定するつもりはありませんが、いずれにしても、「暴力プレイ」 は、アドレナリンによる緊張と興奮であり、腹部強打による戦意喪失と 「恐怖」 による支配に過ぎません。

「依存体質」 の強い女性の場合は、それを愛あるいはSMであると勘違いしてしまう人もいるかも知れませんが、それは単なる虐待や DV(ドメスティック・バイオレンス) と大差ありません。

 

緊迫した状況下における 「セ☆クス」 は、理性を麻痺させますので、双方がそれなりの快感を得られるかも知れませんが、特に、このようなプレイを拘束されている状況下で行うというのは、あまりにも危険過ぎる行為であることを認識すべきです。

 

いずれにしても、「苦痛」 が 「焦(じ)らし」 に、「痛み」 が 「快感」 と混同される 「SMの世界」 とは、似て非なるものです。

2016/01/02

SM は 「虐待」 ではなく 「愛」

前のコラムに、SM は DV (ドメスティックバイオレンス) とは似て非なるものであると書きました。SM は 「愛」 です。
SM は、「虐待行為」 ではなく 「恋愛行為」 なのです。

もしそこに、病的なほどのサディスト(加虐性欲者)がいたとしたら、その行為は、SM ではなく、DV に過ぎません。
その病気ゆえに、「真性」 と呼ばれようが、「真のサディスト」 を自称しようが、SM のコミュニティでは、受け入れられない存在ですから、本人の 「自制」 なくしては、犯罪行為に走る 「変質者」 か、あるいは、妄想に明け暮れるだけの 「単なるオナニスト」 に過ぎません。
これは、国内であっても海外であっても同様です。

SM では、S は M に気持ち良くなって欲しくて M を苛め(いじめ)ます。
M を憎くて苛めているわけでも、癇癪(かんしゃく)を起こして M を責めているわけでもありません。
SM は、自分の思い通りにいかないからと、当り散らす DV とは全く異なるものです。

DV は暴力的なものであり、自ら進んで DV を受けようなどと思うひとは誰一人いませんが、M は、自ら進んで S にその身を委ね、その責め苦を味わいます。

M が性的な被虐嗜好だからといっても、それは苦痛や精神的な屈辱によって引き起こされる快楽を求めているわけであって、自分が受け入れられない責め苦や、自分の望まない苦痛を求めているわけではありません、ましてや 「恐怖」 や 「絶望」 といった類のものは求めてはいません。


M は S である主に 「犯してください!」 と懇願します。
「わたしの身体を好きにしてください!好きにお使いください!」 と懇願します。
女性には、人によって程度の差はあるかも知れませんが、「めちゃくちゃにされたい!」 という 「レイプ願望」 あるいは 「被虐願望」 みたいなものが少なからずあります。
しかし、相手が誰でもいい訳ではありません。
主であると認めた特定の相手にのみ、屈服したいのです。

これは、もしかしたら、太古の昔の記憶。「より強いものを自分の生殖相手に選び、強いものに屈服することこそが喜びである」 ・・・ みたいな記憶が残っているのかも知れません。
動物の世界では、発情期である限られた期間の間、メスをめぐってオスが取り合いをします。
取り合いは、一方が死ぬか退散するまで続けられます。
メスが生殖を許すのは、その勝ち残ったオスのみです。そのメスにとっては、そのオスが主と認識されてるわけです。

大勢に 「自分の痴態」 を見られたいと思う 「露出願望」 を持つ M もいます。
ただし、このスイッチを入れられるは 「主」 だけです。
自分が信用し、自分が信頼を寄せる 「主」 が見守ってくれており、自分には危険が及ばないという安心があって、そして不安と恐怖心に打ち勝って、M が自らを 「主」 に委ねて、はじめて可能になるものです。
誰でもいいわけではないのです。

「痴漢願望」 も同じことです。
主に対しては、「痴漢されたいです!」 と言っても、それはやはり、誰でもいいわけではありませんし、現実で、全く知らない人からの 「痴漢行為」 を望んでいるわけではありません。
実際に M の女性に、痴漢経験を聞いてみると、性的な欲求を感じてしまった子や、恐怖で動けなくなってしまう子も居なくはありませんが、平然と睨み返したり、声をあげたりしたのが、ハードな ドM の子だったりなど、反応はさまざまです。

ドM の子は、普段のプレイがハードなだけに、M のスイッチが入っていない場合は逆に、肝が据(す)わっているようです (笑)

恐怖感や違和感を感じると女性は拒絶します。受け入れられる者と、受け入れられない者の存在は、M であろうがなかろうが、女性に共通の感覚と言っても良さそうです。


一昔前の緊縛師として有名な 「志摩紫光」 氏も、今でいうところの DV と SM を区別しているところでは、全く同じ考え方と言えます。
SM については多少誤解しているようにも見受けられますが、昭和初期から高度成長期にかけては、躾(しつけ)と称して、縛って木に吊るしたり、あるいは、お尻を露出させて叩いたりする行為が平然と行われてきた時代でもあります。
志摩氏の知る当時の SM の世界は、それこそ戦前派・戦中派と呼ばれる世代も多い時代です。玉石混合ではありませんが、DV という概念すらない時代ですので、SM も現在とはまた違ったニュアンスでとらえらていれたものと思われます。

現在の DV 的な要素も含まれていたであろう 「当時の SM」 とは一線を画した点で、現代の SM に大きな影響を与えた人であると認識しています。
2015/12/30

SM は必ずしも痛くない

SM というと巷(ちまた)では 「にしおかすみこ」 みたいに、黒いエナメルの衣装を着て、バラ鞭(むち)とロウソク・・・みたいな女王様のイメージが定着しているためか、「痛いのが無理!」 という理由で、SM を否定するひとをたまに見かけます。
性的な嗜好ですので、無理に SM を勧めるつもりは全くないのですが、「SM は痛いもの」 という間違ったイメージが定着してしまうのも、SM 愛好者としてはこころよくありません。

SM バーなどに頻繁に出入りしてるわけではないので、あまり偉そうなことは言えませんが、もし仮に、そのような、黒いエナメル衣装に鞭やロウソクといったイメージ通りの女王様がいて、鞭を 「パ~ン!」 とすごい音で鳴らしていたとしても、それは 「営業行為」 だと思ってあげて下さい(笑)

中には、常連と認められるためには、ママ(女王様)の鞭を受けた経験の有無が問われるようなところもあるでしょうが、基本的に SM は、相手が不快に思ったり、嫌うプレイはしないのが原則です。
SM の責めには、「痛い系」 もあれば、「苦しい系(我慢系)」 そして 「恥ずかしい系」 などがありますが、そのスイッチが M の女性に備わっているか。そして、それが快楽にリンクしてるかどうかは、ひとそれぞれです。

そのひとが、快楽に転嫁できる苦痛的な刺激を与えるのが SM であり、単に苦しかったり痛いみたいな苦痛を与えるリンチや拷問とは違います。
SM は洋の東西を問わず、他の人に強要されるものではありません。本人の意志で、本人が希望して行われる行為です。
だから、M の女性でも、叩かれることを好む子もいれば、「痛い系は無理!」 と拒絶する子もいます。

当然ではありますが、DV (ドメスティックバイオレンス) も、相手に暴力を働いて何らかを強要したり、脅迫する行為ですから、SM 行為でないことは明らかです。
2015/12/30

自称ドSくん の間違ったアプローチ

自称ドS のひとに良くある典型的な傾向のひとつに、「強がり」 みたいな示威行為があげられます。
良くある 「オラオラ系」 にも言えることですが、そもそも、自分の弱点なんかを常に晒してでもいない限り、自分を常に強く見せる必要はないんです。
そこには、「他人に舐められたくない」 とか、「実際より強く(大きく)見せたい」 という意識が働いています。

このような自称 ドS のひとは、M の女性を見つけると、思わず 「俺はドSだぞ!」 みたいな勢いで 「求愛」 に走りがちです。
ちょっと前なら、いきなり 「壁ドン!」 みたいな感じです。

でも良く考えてみて下さい。
その相手は、M のスイッチが入ってますか?
自分は既に M の女性を見つけた時点で S のスイッチが入ってしまっているかも知れませんが、それはあなたの勝手。
あなたの S のスイッチが入ってるからといって、必ずしも、相手も同じとは限りません。むしろ、現実はその逆が多いでしょう。

これは、S と M の関係だけでなく、男と女の関係においても同様です。
男は、今すぐにでも、相手の服を脱がして、すでに 「やる気満々」 かも知れませんが、相手の女性はどうですか?
女性は、よほど気分が高まっていない限り、何かにつけ、すぐ行為に移ることを嫌います。
女性の場合は、ムードや雰囲気がとても大事。
こういう場合は、甘い言葉を囁いたりイチャイチャしたりすることで雰囲気を高めて、女性のスイッチを入れてあげる必要があるのですが、きちんと意識していますか?

S と M の関係である以前に、男と女であるわけです。
女だからといって、男なら誰でもいいわけではありません。それと同じように、M だからといって S であるなら誰にでも責められたいわけではないのです。
女であれば、自分が好きな相手に抱いてもらいたいわけです。それと同じで、M の女性は、 「主」 であったり、自分が認めている 「特定の相手」 に責めてもらいたいのです。

SM も特殊ではありますが 「恋愛行為」 なわけです。
しかも、SM の場合は、M の女性は自由を奪われますので、一般のセックスのとき以上に、相手に対する信用と信頼が求められるのです。
M とは言っても、それは特定の刺激が性的な快感に感じるというだけで、それを除けば、ひとりの 「か弱い」 女性です。

路上の下手なナンパよろしく、ガツガツとストレートに 「やらせろ!やらせろ!」 言っても、誰もやらせてくれません(笑)
まずは、相手のことをいろいろと聞きまくる前に、自分を晒すこと。
自分が警戒して、何も自分のことを話さない相手に対しては、当然ですが、女性も警戒します(笑)

ここまで説明すれば、読解力のあるひとは解かってくれると思いますが、M の女性と出会い、そして仲良くなるためには、当たり前なのですが、相手に対する気配りと、最低限のコミュニケーション能力が求められるということです。