2ntブログ
2019/02/28

所有しようと思わないこと

何故かは分かりませんが、子供の頃から、「浮気はいけない!」 みたいな不文律がありました。

 

   「他人のモノは、取ってはダメ!」

   「自分がされて嫌なことは、他人にしてはダメ!」 

 

と同じ理屈のようです。(笑)

 

今思えば、これは、”コドモ” という実力社会の中で、トラブルを最小限に抑えるための、ノウハウだったのかも知れませんし、あるいは、リアルな社会に出る前のロールプレイだったのかも知れません。

 

しかし自分の場合、それに反して、「好きな子」 は、学校のクラスの中にも複数人居たりしました。人の良いところが見えると、「好きな人」 でも、それぞれ、見る尺度によって異なるのです。

当時は、身体のラインが、キレイに流れているような、女性が好きでした。

女の子が女性に変わりつつある年代になると、腰からヒップにかけてのラインには、息子は敏感に反応しました。

かと思えば、実にイキイキしていて、目が輝いている子などは、写真をみると全然美人でも何でもないんだけど、すごくキレイに感じた子もいました。

 

相手が変われば、身体の中で反応する場所も異なるし、脳の中で反応する場所も異なるわけです。

 

***

 

現代は、そのときの認識で、そのままオトナになっている人が多いように見受けられます。

 

法律論的に言えば、一夫一婦制の婚姻制度は、貞操義務はあるものの、相手を束縛する権利を与えているわけでも、独占を保障しているわけでもありません。

そもそも、どちらか一方の独占欲を満たすために一夫一婦制があるわけではないのです。

単に、社会を安定にするため。そして、肉体的経済的に弱者となりやすい女性や子供の生活を保障するためなのです。

 

従って、結婚していない状態においては、複数の異性と付き合っても、何も法的には問題となりません。7人の彼氏がいるとして、曜日毎に交代交代して、結果的に 「七股」 を掛けていたとしても、当事者の感情はともかく、法律的には何も問題ないのです。

 

法律では、結婚していようとも、他の異性を好きになることを禁止していませんし、不倫行為も、貞操義務違反であって、禁止はされていません。

あくまでも、バレたときに、離婚や慰謝料の請求対象になる場合があるというだけであって、罰金(正確には反則金)の掛かる、自動車などの安全運転義務違反よりも軽いものなのです。

 

結婚するときは、誰もが勝者。永遠の愛を信じ夢見て結婚しますが、現実は、自分の理想通り、思い通りにはいきません。

結婚は 「恋愛」 のように、頼り頼られる関係ではありません。

民法第752条にもあるように、同居し、互いに協力し扶助する関係にあるのです。

 

結婚しているからと言って、それが永遠ではないのが、現代です。

 

結婚でも、恋愛でも、そして不倫愛でも、大切なこと。長続きするコツは、精神的な意味、良い意味で、お互いが自立しているということです。

それは、不足ばかりを数えるのではなく、相手に対する感謝の気持ちを数えるということ。そして、それが自己肯定感に繋がっていくのです。

 

相手に全てを委ねて良いのは、「ハレの日」 のほんの一瞬。

そのときにこそ、自分の汚いところも、醜いところも、全てをさらけ出して、エゴを超えて一対が一体となり、頭の中がおかしくなってしまうくらいに狂えば良いのです。

 

人は肉体的にも精神的にも、所有できるものではありません。相手を所有出来ないからこそ、相手を留めておくために、相手が楽しくなるように、相手を気持ち良くしようと努力するわけですし、人の命も恋愛関係も、永遠がないからこそ、「今」 を楽しもうとするわけです。

 

「所有欲」 は、其れを持っていることで、自分を誇りに感じ、自分が安心しているだけなのです。

裏返して言えば、其れがないと不安なので、「自己肯定感」 が抜け落ちてしまっている状態にあるということです。

 

過去記事の 「SM と乱暴は違う」 で、俳優の新井浩文の強制性交事件について言及しましたが、その事件に絡めて、精神科医が ”クソ客” の心理を説くこの記事は、なかなか為になります。

 

   「新井浩文被告の「強制性交等罪」は風俗店でも成立する 本番強要をする“クソ客”の心理とは?」

 

***

 

   「このひとは、わたしのモノよ!」

 

ひとは 「モノ」 ではありません。

旦那や彼氏が、奥さんや彼女の所有物でもなければ、奥さんや彼女も、旦那や彼氏の所有物ではないのです。

同じように、子供も親の所有物ではありません。

 

子供だって、自我が目覚めたら、自分とは異なる違う人格なのです。

家には家のルールがあるでしょうし、躾けや叱ることも重要です。

しかし、大きくなるに連れ、自分で出来ることは自分でするようにし、自分で判断すべきことは、自分で判断させる必要があります。

親の存在意義は、ひとりでも、危険を回避し、正しく生きて行けるようにすること。

親が子供を支配して、親の価値観の中で子供を生かすことではありません。

 

自分の腹を痛めた子、自分と血の繋がる子供でさえ、親の思い通りにはいかないわけですから、ましてや、血すら繋がっていない赤の他人が、自分の思い通りにいくはずもありません。

 

違う人格、違う価値観を持つ相手を、自分の思い通りにするということは、相手の人格や価値観を否定し、強要しているということです。

本人に悪意はなく、「相手に良かれと思ってやった・・・」 みたいなことを、言うひともいます。

しかし、そういう人の多くは、人によって人格も価値観も異なるということを理解していなかったり、意識していなかったりします。

家庭内で DV やモラハラを働く人の場合は、家族とは価値観を共有する場であると思い込んでいたり、家族の中では自分の価値観が一番正しいと思い込んでいたり、家族は家長たる夫の言うことを聞いていれば良いと、事細かく指示したりします。

暴力などで、家族を自分の思い通りに、支配しようとするわけです。

 

もしかしたら、家族を支配することで、「自己肯定感」 を感じているひともいるかも知れません。

 

***

 

子供の幼少期に、不必要なまでに自分の価値観を植え付けると、それはその子供が大人になったとき、「インナーマザー」 となって、心の中に葛藤が起きます。

そして、幼少期に抑えられた気持ちは、「インナーチャイルド」 になって心の隅に押し込められます。

 

これは、多かれ少なかれ、誰にでもあるのかも知れません。

 

***

 

SM では、外形上は、肉体的に苛め、貪っているだけ、のように見えるかも知れません。

しかし心理的には、被虐性向者いわゆる M の心の中にあるカサブタを見つけ出しては、自分は ”姫” と呼んでいますが、その中に隠れている 「インナーチャイルド」 を救出していたりするのです。

 

ここで困るのは、「インナーチャイルド」 を解放した途端、自分が変わったように思えて、こちらの言うことも聞かず、「ありがとうございました」 と居なくなってしまう人達。

本当は、「インナーチャイルド」 に対する ”躾け” こそが最も難しいのです。

 

それを知らずに、ただ異性を性的に従属させるために使っている人もいるかも知れませんが、だからこそ、SM の世界では、主の命令は ”絶対” なのです。

 

人の心を所有しようと思っても、いつまでたっても満たされることはありませんし、

隣の芝生以上に青い家は、一生手に入りません。

 

まずは、主の言うことに耳を傾けること。

そして、その命令を忠実にこなすこと。

奴隷が人以下の存在とされているのは、「自分!自分!」 ではなく、まずは、「人の話を聞きなさい!」 という意味でもあるのです。(笑)

 

支離滅裂になってしまいましたが・・・ (^^;

 

 

俺の話を聞け! 5分だけでもいい (笑)

2019/02/27

他人と比べないこと(2)

過去記事 「他人と比べないこと」 の続きです。

 

***

 

では、何故、他人と比べてはいかないのか?

 

小さな子供が、お隣のみっちゃんの家と、自分の家を比べることは、全然構いません。

子供の仕事は、モノの違いを認識して、区別するところから、始まるからです。

 

しかし、得てして多くの 「お母さん」 は、こう言います。

 

   「ウチはウチ、お隣さんはお隣さん・・・」

 

頭では分かっていても、説明できないことは、山のようにあるのです。

 

***

 

自分と他人を比べることで、自分が優越感を感じたり、危機感を感じたり、群れの中での自分の位置を確認できることは、分かります。ルールも何もないような時代から、ヒトはそうやって群れて、外敵から身を守り、生き延びてきました。

他人と自分を比較して、群れの中でも地位を競って、派閥同士で抗争を繰り返してきました。

それは、ある意味 「嫉妬」 と同様、既にヒトの 「遺伝子」 に刻まれている、本能的なものなのかも知れません。

 

しかし、「嫉妬」 を引き起こすものは、ネガティブな気持ちであり、個体としての防衛本能の発露に他なりません。

そして、比較からは、慢心あるいは劣等感といった、負の感情しか生みません。

優れた人の優れた点、良い点を褒め、そしてそれを素直に認めることは、実にポジティブな感情だと思います。

しかし、受け留めきれないと、自分に対する当て付けなんではないかと疑ったり、自分は劣っていると思い込んだりして、拗(す)ねたり、僻(ひが)んだり。

これは、その言葉を受け留める方が、自分とその人を比較しているために、起こります。

 

「比較」 は、知的な活動のひとつです。

「比較」 すること自体は、悪くはないのです。

問題は、その 「比較」 の結果生じる負の感情です。

 

何故問題なのかと言うと、自分と他人を比較し、負の感情ばかりに目を向けてしまうと、自分が幸せになれないばかりか、いつの間にか、その負の感情が、自分の周囲の人を巻き込む可能性があるためです。

 

この記事は、「東洋経済」 にあった記事ですが、読んでみて 「なるほど」 と思ってしまいました。

 

   「他人と『比べる病』が親子にもたらす深刻な影」

 

***

 

旧約聖書の創世記では、人類の祖先は 「アダムとイブ」 から始まります。アダムとイブは、神との約束(契約)を破ったことで、「エデンの園」 を追われ、そして、その二人の子供である 「カインとアベル」 では、神から祝福されるアベルに嫉妬をする兄のカインは弟のアベルを殺してしまう。これが人類初の殺人ということになっています。

 

本来は、主と自分の一対一の関係です。常に、自分が主を意識し、感じていれば良いものを、主の周りにいる人と主の関係を自分と見比べたことによって、嫉妬しまうわけです。

 

むしろ、カインは自分の主を見ずに、弟のアベルの存在ばかりを気にしていたのではないでしょうか?

 

***

 

大事なことは、常に主を身近に感じ、主を見つめることであり、そして、自分が主に、どれだけ愛されているのかを、きちんと理解することだと思います。

他人ばかりが気になる人は、主を見ず、他人ばかりを見ており、そして、他人が主に愛されていることばかりが気になってしまい、自分が主にどれだけ愛されているのかが、わからないのです。

 

   「自分は自分、他人は他人」

 

なのです。

 

しっかりと自分を見つめ、自分が愛されていることが実感出来て、自分に自信が出来た人は、他人のことなど目に入らなくなるはずです。目に入ったとしても、少なくとも、気に障ることはなくなるでしょう。

 

隣の芝生は青いものです。

それは、自分のお隣の家から、自分の家の芝生を見ても、青く見えるのです。

大事なことは、自分の家の庭の青さに気が付くことです。

気持ちひとつ、視点がひとつ、心の持ち方がひとつ変わるだけで、同じ日常の景色でも、色が全然変わって見えます。

 

***

 

   「自分が、主を独占したい!」

 

と思うのではなく、

 

   「幸せになりたい!」

 

と願うことです。

自分も幸せになりたいし、出来れば、他の人にも、幸せになって貰いたい。

 

以前に記事にも書いた 「幸せのお裾分け」 です。

 

***

 

 

2019/02/24

笑いを忘れないこと

今日、久し振りに 「ピグ」 を復活させた子に会いました。

さすがに作り立てだったせいか、何もアクションを持っていなかったのですが、

その子いわく

 

   「大笑いのアクションだけは、早く買いたい!」

 

と言っていました。

 

アバターというのは、自分自身ではないけれども、自分のお気に入りを自分でデザインし、自分が操作し、自分が入力した言葉を発しているせいか、やはり其処に、その空間における 「自分自身」 として認識するのでしょう。

 

大袈裟な大笑いのアクションではありますが、しかし、思いっきり笑っている自分の化身を見ることで、自分本人が笑っている感覚を覚えるのだと思います。

 

***

 

昔、子供のとき、ドリフターズが出ているテレビ番組 「8時だよ、全員集合!」 を見ていて、バカ笑いをしていると、母親にこっぴどく怒られた記憶があります。

 

まあ、当時は、「ハレンチ学園」 にしろ、「8時だよ、全員集合!」 にしろ、巷(ちまた)では、”教育上良ろしくない” テレビ番組の代表格と言われていましたので、まあ、親の気持ちも分からないわけではありませんが・・・

 

しかし、「笑い」 が出るのはリラックスしている証拠なのです。

 

真面目に一生懸命、勉強したり、仕事をすることは大切です。

しかし、一生懸命に集中したら、リラックスすることも重要。

緊張と脱力のメリハリこそが、大切なのです。

 

それは、身体もそうだし、心も同じです。

 

心で突っ張り、身体で突っ張り、其処に幾ら意地と根性を見せても、そこで得るものは、「自分が一生懸命にやってる感」 だけなのです。

 

   「オレは、こんなに仕事をしてるぜ!」

 

まあ、そういうプレゼンテーション能力も世の中、ある程度は必要なのかも知れませんが、本当に大事なのは、きちんと働いたら、きちんと休養もあげること。

ブラック企業に文句を言っておきながら、自分は、自分の心や身体を酷使し続けていては、アナタもブラック企業の管理者に一人に過ぎません。

 

大事なのは、メリハリです。

 

そして、弛緩しているとき、リラックスしているときは、身体のチカラを抜くばかりでなく、心も緩めること。

そこで大事なのが、「笑い」 なのです♪

 

***

 

当然、「笑い」 には、いろいろな笑いがあります。

 

ブラックユーモアによる 「苦笑」 的な笑いもあれば、漫談ではありませんが、ウィットに富んでいる上品な 「笑い」 もありますし、ドタバタで下品な 「笑い」 もあります。

 

「笑い」 はやはり、人の感情としては、「ハレ」 です。

しかし、「芸人」 にとっては、それが日常ですから、「ケ」 なのです。

 

縁日で働く人達もそう。縁日は、訪れる人にとっては 「ハレ」 ですが、神事に携わる人も、舞台に立つ人も、縁日の屋台で働く人にとっても、縁日は 「ケ」 なのです。

 

サービスをする側と、される側。

そこをきちんと区別できないと、おかしくなってしまいます。


音楽で歌声で、踊りで魅了するのも大事なら、語りで人の笑いを誘うこともとても重要なのです。

飲食店も飲み屋も、そうなら、風俗もそう。

テレビも映画も、娯楽たるものはみんなそうです。

 

***

 

自分が何故、対等な 「恋愛」 ではなく、「主従」 を好むか。

それは 「主従」 のメリハリを付ければ、自分は 「責め手」 として、「受け手」 である相手に対し、「快楽」 を与えるという構図が実にはっきりとしているからです。

 

ダウンタウンの松ちゃんが、「SM の S はサービスの 『S』 で、SM の M はマグロの 『M』」 みたいに変なこと言うので、またワケが解らなくなってしまいましたが、S は、「ケ」 なのでサービス対価を求めるのです。

そして本来は、その対価が隷属なのです。

 

   「礼と忠誠を尽くし、心も身体も対価としても捧げる」 

 

代わりに、そのサービスと快楽を享受するのです。

 

***

 

「笑う」 ためには、リラックスしている必要があります。

 

そして、心の余裕が必要なのです。

 

では、笑えないのだとしたら、何がいけないのか?

 

自分が自分にプレッシャーを与え続けている人もいます。

それは、良い意味においては、「早く上手くなりたい」 という向上心からなのかも知れませんし、上にあがるためには、頑張りも必要。

しかし、それで自分の便が排出できなくなっては、元も子もないのです。

 

まあ、どうしても便が出せないようなら、自分がほじくってあげますがwww

 

そういう人には、「笑い」 を取り戻すことを、意識してもらいたいと思います。

そして出来れば、アナタが現場では 「鬼監督」 であったとしても、それ以外のところで、アナタが他の人の 「笑い」 も誘えるようなら、それはそれ以上に素晴らしいことはありません。

 

***

 

「笑い」 や 「微笑み」 は、とても大切な感情です。

しかし、「笑う」 ためには、自分自身がリラックスしている必要があるということ。

 

「どうしても、笑えない」 と言う方は、メッセージを下さい。(笑)

くすぐっても、笑わせてあげますwwww

 

***

 

自分も笑い、家族も笑う・・・

そういう家庭にもっていけると、いいと思います。(笑)

 

【例1】 

 

2019/02/23

オーガズムとは(5)

過去記事 「オーガズムとは(4)」 の続きです。

 

前回の記事では、女性をオーガズムに導く秘訣の3番目として、正しい性感ポイントを正確かつ的確に刺激する 必要があると書きました。

 

女性が感じるポイントは、ク/リトリス ばかりではありません。

 

耳たぶも感じますし、うなじも感じます。背中も舌を這わせれば感じますし、乳首はほとんど性器と同じようなものです。

指を脚の脛(すね)や太腿に這わせるだけでも感じますし、手の甲や手のひら、指の付け根なども感じます。お尻にも感じる部分はたくさんあります。

こういった身体全体の性感帯は、普段は眠っているので、弱い刺激でゆっくりと刺激して、徐々に起こしてあげる必要があります。

 

女性器のポイントも、ク/リトリスばかりではありません。

 

自分が経験している部分だけでも、膣の中には、手前上側にある 「G スポット」 以外にも、「ポルチオ(cervix)」 と呼ばれる子宮口の上部、そして、下側の 「直腸膣中隔(rectovaginal septum)」 部分にポイントがある人をたまに見掛けます。

 

 

この図の指先部分にあるのが、「G スポット」 で、一番奥にあるのが、「ポルチオ(子宮口)」 です。

下の方にある部分が、何と言うのかは分かりませんが、直腸と膣の中隔部分です。

(右の黄色い〇部分と、下側の黄色い〇は、自分が付け加えたものです)

 

「ポルチオ(子宮口)」 は、男性の亀の部分が、一番奥に当たって気持ち良く感じる部分ですが、通常は、膣口から子宮口までは、8~10cm と言われていますので、なかなか指ではちょっと刺激しづらいポイントです。

 

そして直腸側(下側)にあるポイントがある場合、こちらは大抵、指が届きます。

自分が思うに、「バック(後背位)」 が好きな女性は、この第三のポイントが存在する可能性大だと思っています。

そして、そういう女性は、アナルでも感じる可能性が高い。

何故なら、膣と直腸の間の壁なんて、ほんとに皮一枚なんじゃないかと思うくらいに薄いのです。

 

***

 

「G スポット」 も、「ア/ナル」 側もどちらもそうですが、最初から、感じるわけではありません。

「G スポット」 も、膣の入口部分から、中央上部に掛けて、真ん中部分唐辛子のようにぷっくりと膨れた部分があり、奥の方に指を進めていくと、ザラザラした部分がありますが、これにしても始めから膨らんでいるわけではありません。

 

ですので、自分も愛奴と初めてするときは、一通りは性感帯を確認するのですが、しかし、早過ぎたためか、初診のときに見逃してしまったことが何回かあります。

 

***

 

以上の3点で中イキは可能ですが、「Gスポット」 の場合は、指を左右に動かしたり、そのポイントを押すように刺激します。「ア/ナル」 側も同様です。

奥の 「ポルチオ」 も基本は、男の道具を使って押す感覚です。

特に奥については、竿が長く亀が細身の男性の場合は、調子に乗って勢いを付けたりすると、女性が痛がって逆効果になります。

 

では、男性自身が短いとダメか?

 

そんなことはありません。いきなりポルチオを狙っても、確かに物理的に届かないかも知れません。しかし、そういう場合は、体位を工夫して、「G スポット」 や 「ア/ナル」 側に当たるようにすれば良いのです。

そして、イク寸前まで持ち込むことが出来れば、女性の子宮口は降りてきますので、最後に奥を狙えば良いわけです。

 

***

 

気をつけるポイントとしては、

 

① きちんと指のツメを切り、しっかりと手を洗い、清潔な状態にしてから行う。

② 膣壁を傷つけないように気をつける。

③ 指もそうですし、男性自身もそうですが、AV のように、早く出したり入れたりしない。

   しっかりと濡れていて、膣壁も馴染んでなければ痛いだけです。

 

そして

 

④ 常に女性の反応を観察しながら、押す場所を探し、押す強さや動かす幅を調整すること。

⑤ 女性の心を開かせること。

 

女性は、自分自身を常に大事に優しく扱って貰いたいと思っています。

自分の思い込みで、手加減しない人に対しては、ある意味、委ねられなくて当たり前なわけです。

口では過激なことを言い、「言葉」 で責めようとも、「扱いは丁寧に」 が基本です。

 

***

 

お尻などもそうですが、性感帯を活性化させるためには、それなりの準備が必要だと言うことです。

硬くなったら準備OK的な 男性とは異なり、女性の性はホルモンにコントロールされていますので、それなりの準備が必要だということを覚えておくと良いと思います。

 

***

 

messy の昔の記事に 「膣は鈍感な場所である。Gスポット・ポルチオで最初から「イク~」とならない理由」 というのがありましたので、参考にしてみて下さい。

2019/02/23

死の意味(2)

過去に書いた記事 「死の意味」 の続きです。

 

SM を考える上で、避けられないのは 「死」 に対する認識です。

これは、愛奴を危険な目に合わせるとか、あるいは、そうさせたいと思う 「サディスティック」 な心理とか、そういうことではなくて、SM が併せ持つ、ある意味 「純粋」 な 「エロ」 を探求する上で、どうしても、密接に関連してくるのです。

 

やはり、それを考える上で、一番参考になるのが、「ジョルジュ・バタイユ」 の作品です。

 

 

生殖は死に緊密に結びついている。いずれも魅惑的なものであり、その魅惑によってエロティシズムを支配しているところの、存在の連続性と死とが同じものであると言うことを示すには、存在の生殖と死について語るべきであろう。

 

 

我々は、死と性的興奮との間の関係の原因は病気にあるなどといって済ましているわけにはいかない。サドの逆説の中には或る真理が露われている。この真理は悪徳の範囲に局限されるものではない。私はこの真理は我々の生と死との表象の基礎であるとさえ考える。

 

人でも動物でも良いのですが、生き物の死を考えることは、「生」 に対する理解を深めます。

連続性に対する不連続性というのも、実に面白いものです。

人の心や身体は連続であるようでいて、実は、それを構成している物質は、常に新陳代謝を繰り返して、入れ替わっているのです。

生き物を物質から見れば、生きている状態は不連続であり、死んで物体となっている状態が連続なのです。

 

***

 

人の身体は、生命というエネルギーを帯びており、心はそこで波打つ波動のようなもの。

そして、人と人でも、人と動物でも良いのですが、これらが出会い、一緒に暮らしたりすることは、そこに何らかの 「縁」 があるということです。

 

縁とは、目に見えない細い糸のようなもの。

強く引っ張り過ぎれば、切れてしまいますし、だからと言って、弛(たる)ませておくと、糸が絡んでしまいます。

絡んだ糸は無理やり解こうとすると、玉のような結び目が出来て、余計に解けなくなってしまいます。絡んでしまった以上は、根気よく、ひとつひとつ解していく以外ありません。

 

人と人、人と動物も同じです。

 

***

 

生きし、生かされるものは全て、いつか死を迎えます。

 

世の中には、「別れられてせいせいした・・・」 という 「別れ」 もありますが、基本、「別れ」 は悲しいものです。

違う価値観をもった生き物が、一緒に暮らしているわけですから、全てが自分の思い通りに行くはずもありません。

「縁」 とは、異なる生き物同士がエネルギーと波動を交換する 「繋がり」 のようなもの。

しかし、全ての波動が和音を構成するのであれば誰も苦労しません。

不協和音は、相手が出すのを止めようとするのではなく、自分が音を上手く合わせれば良いだけの話。

「もう、心の繋がりはない」 みたいな冷めた関係であっても、しかし、それでもまだ 「縁」 は続いているのです。

 

であるからには、せめて深い 「縁」 のある人同士は、最終的には、全ての執着を捨て、「感謝」 の気持ちに、それが出来ない場合でも、せめて 「許容」 の気持ちに還元したいもの。

 

***

 

クリスチャンの世界では、

 

「人が生まれてくるときは、周りの人は笑顔なのに、本人は一人泣いていて、

 人が死/ぬときは、逆に、周りの人は泣いているのに、本人は笑顔でいる」

 

みたいな話があります。

 

フランス語では、オーガズムのことを 「la petite mort(小さな死)」 と呼ぶそうですが、これは、「ジョルジュ・バタイユ」 が起源のようです。

 

自我(エゴ)を超越し、恐怖を乗り越えて到達する状態が、「オーガズム」 であることは、オーガズム状態にある女性の脳内の血液流量を MRI で画像解析する 「fMRI」 という分析手法により、実証されています。


そして、思い出してくれる人や動物がいる限りは、その 「縁」 という名の 「チャネル」 は、良くも悪くも、多分、切れることはないのだと思ってます。

 

***

 

亡くなられたお母さんも、亡くなったワンコも、生きている時間を競っていたわけではありません。

痛かったり、苦しかったりしたかも知れませんが、やはり 愛する者と ”一緒にいる時間” こそが大事だったはずです。

 

パートナーを失った悲しみや、「もっと出来ることがあったはずなのに・・・」 と自分を責める気持ちは、相手に対するハナムケの気持ちです。

その方が悲しんだ分、相方には、それは喜びとなって伝えられているはずです。

 

大事なことは、ポジティブな関係性においては、全てを感謝の気持ちに昇華すること。

 

人と比べるとワンコの寿命は短いですが、短いなりにも濃厚に、人生?を享受しています。

 

ワンコから学べることは、今を大切にして、そして今を楽しく過ごすこと。

「今」 を楽しめない人は、「明日」 も楽しめません。

他人のネガティブなところをいくら粗探しして、噂話でもして、憂さを晴らしたところで、そんなのは全然楽しくありません。

楽しい 「今」 を過ごすためには、自分が好もうと好まざるとも、「今」 を精一杯楽しみながら、「明日」 に繋げること。

 

***

 

ワンコのクロちゃんの冥福を、お祈りいたします。

2019/02/22

愛する者のために、踏ん張るということ

「お母さんは、家の中の太陽。」

だから、お母さんの笑い声や、お母さんの元気は、家族にとって大きな励みになるのです。

 

学校でイジメや多少のツライことがあっても、仕事で失敗したり嫌なことがあっても、今日一日を 「頑張ろう!」 と思うのは、お母さんのチカラです。

 

しかし、そんなお母さんも、実は常に踏ん張っているのです。

それは、お母さんにも、「愛する者」 が居るからです。

 

それは、子供だったり、贔屓にしている芸能人だったり、あるいは、まだ見ぬカレシであったり。

 

「子供の笑顔」 から、頑張りを貰っているお母さんは、子供の笑顔を消さないように、子供に自分の辛さは見せません。

何故なら、「子供の笑顔」 は、お母さんの生き甲斐だから。

 

***

 

誰でも、自分は可愛いものです。

しかし、今の自分にとって、何が大切なのか。

 

自分のエゴが大事なのか、自分の承認欲求が大事なのか。

それとも単に、ぽっかり空いている心の隙間にはまるものならば、何でも良いのか。

 

それを考えてみてください。

 

若い頃、恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、「自分は愛する者のためには死ねる・・・」。

そして、目の前で息を引き取る自分が愛した人。そんな定番のシーンに誰しも、涙を流した記憶はあるでしょう。

 

しかし 「現実は・・・」 と言えば、私のエゴは大事!私の承認欲求は満たして!

そして、私を好きなら、アナタは私のために死んで!(苦笑)

ガハハハハ―(笑)

 

それでは、あきまへんww

 

そして恋愛に、「保証」 を求めるのも野暮と言うもの。

 

***

 

自分は、自分の奴隷を愛しています。

しかし自分は、「恋愛」 を享受するつもりは、毛頭ありません。

関係性は、あくまでも 「主従」 が基本です。

なので、主を否定する奴隷は、鞭を打たれるだけ。

褒美が欲しかったら、主を理解して、主のために働くことです。

 

「恋愛」 であれば、自分が相手を愛し、そして、相手が自分を愛せば、それで対等な関係が成立します。今風に言えば、ですが。(^^;

しかし、「主従」 における 「恋愛」 は、主に対する 「忠誠」 と 「尊敬」 もしくは 「畏怖」 がなければ、始まりません。その関係性は、そもそもが 「対等」 ではないのです。

 

***

 

口が悪いひとは、まず、自分の口に気を付け、自分の感情に翻弄されてしまう人は、自分の感情の出し方に気を付ける。

もちろん、感情的になって、すぐ手が出る 「DV男」 も、すぐに悪態をつく 「モラハラ男」 も、そして、すぐにヨダレが出る 「セクハラ男」 も同じです。(笑)

 

感情をすぐに口に出すひとも、実に素直な言葉が出る人は、常に周囲に 「幸せ」 を配りますし、繊細な感情も、プラス方向に働くのなら、それは多くのひとに 「滋養」 を与えます。

 

***

 

とあるひとには、「サイテー!」 と叫ばれましたが (苦笑)

 

まあ、自分は SM やってるくらいなので、「ゲス」 であることは自認しておりますし、ベッキーやゲスの極みの川谷みたいに策略は練らないものの、あんなのはカワイイもの。

 

そういう意味では、とりあえずゴールインした 「ベッキー」 には、祝福を気持ちしかありませんし、「結婚生活」 はいろいろあるかも知れませんが、しかし、それをうまい方向に乗り越えていって貰いたいと思っています。

 

とある 「縁」 があって結び付いた関係の場合、結婚であれ不倫であれ、大事なことは、「麻縄」 と同じように、「縁」 と言うものも 「糸」 の親戚であり、弱ければ縒(よ)って大事にするものであって、「絡んだ」 から、自分の思い通りにならないからと言って、切ってしまってばかりいては、いつまでたっても、弱い糸に過ぎないということ。心の隙間は埋まりません。

 

***

 

すみません・・・・

 

こんな話をする筈ではなかったのですが。

 

最後に、この記事をご紹介します。

 

「殺してほしい」 笑顔で逝った母が遺した30年分の日記

 
***
 
自分の愛する者の死。
 
それにはペットも奴隷も、そして勿論 「主」 もその中に含まれます。
 
愛する者に対しては、尊厳を見せます。
 
ワンコであっても、ワンコは最後の 「生きざま」 を見せているのです。
 
大事なのは、「動物病院」 に連れていくことではなく、
ただ単に、時間を延ばすことではなく、大事なのは密度。
 
最期のときをアナタが選んで、そして、そこにアナタが一緒に寄り添うことです。
2019/02/22

オーガズムとは(4)

前記事 「オーガズムとは(3)」 の続きです。

 

女性をオーガズムに導く秘訣。

 

一つ目は、女性をその気にさせること

デートを楽しんでも良いのですが、きちんと褒めるところは褒めて、承認欲求を満たしてあげることや、女性の話をウンウンと、とにかく聞いてあげることも大事です。そして最後にエ/ッチな雰囲気に持っていくことと、ベッドの中でも外でも良いのですが、前戯を楽しむことです。

硬くなったアソコを当てがって、腰を振って出して終わりというのは、男のセ/ックスです。

 

会話でも、男性の会話は結論が大事で、女性の会話はプロセスが大事だとか言われていますが、女性にとってのセ/ックスは、会話と同様、プロセスがとても大事なのです。

 

いつくしむように、一枚一枚脱がせても構いません。

そして下着を褒めて、いやらしい恰好をさせるのも、前戯です。

言葉で相手の羞恥心を高める 「言葉責め」 も、前戯のうちです。

乳/首を摘み、うなじに舌を這わせ、腰から背中を舐め上げるのも前戯なら、まるで痴/漢が触るように、脚に太ももに股にお尻を触りまくるのも前戯です。

そうやって、徐々に囲いを狭めるようにして、女性を追い込むようにします。

 

そして二つ目は、セックスでは、女性を セックスに集中させ、集中を途切れないようにすること

まず女性にあまり考えないようにするようにしてあげること。

 

「此処が気持ち良いでしょ?」 という言葉も、確信がない限りは、女性には言わない方がベターです。何故なら、さほど気持ち良くもない場合、女性は 「どう答えようか悩む」 からです。

「何処が気持ち良いの?」 というのも、考えものです。

あえて 「おま〇こ」 と言わせる意味での問いなら、まだ良いのですが、「どこを触って欲しい?」 みたいな質問は、やはり女性は答えるのに戸惑ってしまうからです。

 

二人が黙って黙々と、ただ腰を振るだけのセ/ックスなんて実に味気ありません。

セ/ックスの最中だからといって、会話すること事態は何も問題ないのです。

問題があるとしたら、出来るだけ相手が肯定的に答えられるような質問に留めることです。

 

「此処がこんなになってるよ?」 と言われれば、女性は其処に神経を集中させます。

「いやらしいね!」 などと言われれば、羞恥心も否応に高まります。

そして背筋を撫でてあげれば、背中に神経を集中します。

 

言葉で羞恥をあおり、女性の身体にいろいろ触れては、女性に神経を集中させるのです。

要は、女性に 「あっ、今晩の晩御飯のおかず、何にしよう?」 みたいな、余計なことを考える暇を与えないのです。

 

そして、本日は、三つ目の最後の肝です。

 

それは、正しいポイントを正確に、かつ、的確に刺激するということ です。

 

その女性が何処を刺激されるのを好むか、あるいは、どの程度感じているかは、初回でおおよその検討をつける必要があります。

それには、知識と経験あるいは慣れも必要ですが、最初は弱めに刺激するということです。指が触れるか触れないかみたいな感じでも構いません。

そして、感じているなと思ったら、他に移動させずに、ある程度其処を刺激し続けることが重要です。そして、時間を掛けて、次第に刺激を強くしていきます。

 

体位によって、動ける自由度は変わってきますが、騎乗位であれば、自分の腰と足、そして両手が使えます。女性が倒れ込みそうな場合は、手で補助してあげる必要がありますが、それでも手を組ませて、片手でホールドすることも可能ですし、女性の手のひらや指の付け根等を刺激することも可能です。

 

入れてすぐに、いきなりピッチを早めてスパートを掛けるなんてのは、女性にとっては痛いだけ。

 

挿入したてのときは、静止した状態で十秒くらい待っているくらいで丁度良いのです。そのまま止めた状態でいると、女性のアソコがまるで生き物のように、自分のブツに絡みついてくるのが分かります。(笑)

 

そういう反応を確かめながら、少しずつ少しずつ、焦らしていきます。w

2019/02/21

オーガズムとは(3)

ひとつ前の記事 「オーガズムとは(2)」 の続きです。

 

ちなみに、この記事は一般の人向けに書いています。

SM とか縄とか、そこから得た知見はありますが、しかし、そういうことは関係なく、皆さんひとりひとりが、気持ち良くなって貰いたい。

 

オーガズムは、多分 「死」 と、凄く関係性が深い行為なんだと思います。

だから、鮭は、オーガズムと共に死するわけです。

それは、ゴールであり、あらたな始まりです。

本能にそそられて、故郷に帰る道のりで、多くの同僚が力尽きて倒れ、最後の最期に与えられた報酬なのです。

 

「創世記」 にあるアダムとイブは、蛇に騙された女(イブ)が、神さまとの約束を破り、禁断の実を食し、そして、それをアダムにも食べさせます。

そして、ヒトは知力を獲得し、羞恥を覚えるようになりました。

それは、「SM」 の起源とも言えるのです。

 

エゴが生まれ自意識が生まれる根源であり、それゆえに苦しんでいる人も、世の中には大勢います。

 

「セ/ックス」 は、子孫を残すための行為かも知れません。

しかし、それと同時に得られる 「快楽」 は、生き物を象った神さまからの 「報酬」 なのです。

家畜が 「衣食住」。 自分の生活の糧を、全て飼い主に与えられ、その対価として、自分の命を人類に供するように。

 

ゆえにそれを知ってる、怖がりの女性は貪欲です。(苦笑)

 

***

 

とある女性が、言っていました。(笑)

 

その女性は、外イキは結構簡単にイクのですが、なかなか、中イキには到達出来ていないとのこと。

しかし、あるとき

 

   「頭の中は、真っ白になるよ?」

 

と言っていました。

 

そして、自分でしていて、中イキを経験したことも過去にあると、言っていました。

 

***

 

その女性のことは、何を求めているのかも解らないので、どうでもいいのですが、

身体でそれなりに、たくさんイってはいても、脳に刺激が伝達されない女性も、結構いるのです。

 

女性は、社会では 「損な役割」 かも知れませんが、

 

しかし、女性が何故 「悪いオトコ」 を求めるのか?

それは、「オトコ」 という性に支配され、征服されたい願望があるからなのです。

そして、自分を奴属化できる男に仕えることが、女性性なのです。

 

こればかりは、生物学的な違いですので、社会の扱いがどうのこうのとは、全く違う次元の話です。

 

***

 

それゆえに、せめて、普通サイズで普通の男であっても、自分の快楽ばかりを追求して、自分ばかりが気持ち良くなるのではなく、彼女を気持ち良く出来る男に、増えてもらいたい。

 

「セ/ックス」 は、身体と心の両方で、同時に女性を抱かないといけないのです。

 

そして、今回は、女性をオーガズムに導く秘訣の第二弾。

 

***

 

女性をオーガズムに導く秘訣の二つ目は、「② セックスに集中させ、集中を途切れないようにすること」 です。

 

気分を持続させるためにも、白けないようにするのは勿論のこと、女性の集中を削ぐようなことは慎む必要があります。そして一番重要なのは、あまり考えごとをさせたり、頭を使わせないようにすることです。

2019/02/19

オーガズムとは(2)

過去記事 「オーガズムとは(1)」 の続きです。

 

女性をオーガズムに導く秘訣は、三つあります。

まず大事なことは、「① 女性をその気にさせること」 です。

雰囲気づくりもありますが、女性にセックスを意識させることです。

 

例えば朝、仕事に出掛ける前に、お尻や乳首を少し強めに掴みながら、一言耳元で

 

   「今晩は久しぶりに襲っちゃおうかな?

    今夜は寝かさないよ・・・(笑)」

 

みたいなこと言っても良いですし、着るものを指定するのも悪くありません。

あらかじめ、買っておいた穴あきパンツや、セクシーなランジェリーを手渡しするのも、効果てき面だと思います。

 

大事なことは、女性の心を向けさせるために、少し時間を開けることです。

そして、可能なら、セックスに絡めて、何か相手に課題を与えることです。

女性はその間に、期待感を膨らませます。

 

「前戯」 は大事ではありますが、それはまず最初にキスをして、次に胸やお尻を触って、最後にアソコをクン/ニして・・・みたいな、お決まりのコースが、求められているわけではありません。

 

前戯で一番大事なことは、エロさを盛り上げること。

女性を焦らすことなのです。

そして、非日常の演出です。

 

薔薇を一本買ってくるだけでも、良いのです。

女性に期待感を持たせて、プレゼントなどで喜ばせることです。

そして、ベッドに入るまでにすべきことは、ボディタッチを増やすことです。

通りすがりにお尻を触っても良いですし、背後から首筋に舌を這わせても良いのです。(笑)

 

もちろん、巨乳好きなら、背後から胸を掴んでも構いません。

 

要は、怒られない範囲で、トラブルにならない程度に、エロいちょっかいを繰り出すのです。

会社で女性従業員にそんなことをしたら、セクハラになってしまうようなことでも、奥さんや彼女相手であれば、問題ありません。(笑)

 

(つづく)

2019/02/19

ニッポンのセックス 2018年版 - 埼玉が全国一位!

厚生労働省の 「統計問題」 で政府官僚は何をしてるのか? - と思う今日この頃ですが、各県毎にきちんとした大量のサンプリングを行い、統計学的にも、きちんと補正をした上で公表していることで定評のある、「日本の夜の営み、セックスの統計」 が、コンドームでお馴染み 「相模ゴム工業株式会社」 が出している 「ニッポンのセックス」。

 

 

今回この、「ニッポンのセックス」 が改訂され、「ニッポンのセックス 2018年版」 が、発行されました。

前回の調査は、2013年ですから、5年の月日が経っております。

2013年の 「ニッポンのセックス」 は、コチラ

 

そして、なんと今回、「浮気率が最も高い都道府県ランキング」 で堂々の一位を獲得したのは、日本の中心として名高い、あの 「埼玉県」 でした。(笑)

 

ちなみに、2013年のときの調査結果では、上位3県は、

 

① 島根 26.5%

② 富山 26.2%

③ 三重 25.6%

 

でした。今回の上位3県は、

 

① 埼玉 31.03%

② 京都 25.63%

③ 和歌山 24.27%

 

ちなみに、2013年のときの調査の上位3県は、今回の調査では富山を除き激減。


(25) 富山 20.16%

(45) 三重 16.94%

(46) 島根 16.74%

 

 以前の上位3県は、4人に1人が浮気している状況でしたが、今回の調査では、5人~6人に1人に激減しています。

ほぼ3組のうちの1組は、何等かの理由で壊滅している計算になります。

まあ、浮気で日本全国ランキングに乗ってしまったら、うちの旦那は?うちの嫁は?大丈夫か?となるでしょうから、話題作りとは言え、「相模ゴム工業」 も罪なランキングを発表したものです。(苦笑)

 

そして、今回の調査では、埼玉県は、なんと 「3人に1人」 が浮気をしている計算になります。

 

これは凄い!

確かに、自分のお相手も、埼玉県の人が多いかも。(^^;

しかし、この調査が公表されたことで、埼玉県人の人は、動き辛くなるのも確かです。

バレないように、きちんと脇はしめましょう!(笑)

 

神奈川、東京、千葉も、埼玉に負けずに頑張りましょう!