2ntブログ
2019/02/23

死の意味(2)

過去に書いた記事 「死の意味」 の続きです。

 

SM を考える上で、避けられないのは 「死」 に対する認識です。

これは、愛奴を危険な目に合わせるとか、あるいは、そうさせたいと思う 「サディスティック」 な心理とか、そういうことではなくて、SM が併せ持つ、ある意味 「純粋」 な 「エロ」 を探求する上で、どうしても、密接に関連してくるのです。

 

やはり、それを考える上で、一番参考になるのが、「ジョルジュ・バタイユ」 の作品です。

 

 

生殖は死に緊密に結びついている。いずれも魅惑的なものであり、その魅惑によってエロティシズムを支配しているところの、存在の連続性と死とが同じものであると言うことを示すには、存在の生殖と死について語るべきであろう。

 

 

我々は、死と性的興奮との間の関係の原因は病気にあるなどといって済ましているわけにはいかない。サドの逆説の中には或る真理が露われている。この真理は悪徳の範囲に局限されるものではない。私はこの真理は我々の生と死との表象の基礎であるとさえ考える。

 

人でも動物でも良いのですが、生き物の死を考えることは、「生」 に対する理解を深めます。

連続性に対する不連続性というのも、実に面白いものです。

人の心や身体は連続であるようでいて、実は、それを構成している物質は、常に新陳代謝を繰り返して、入れ替わっているのです。

生き物を物質から見れば、生きている状態は不連続であり、死んで物体となっている状態が連続なのです。

 

***

 

人の身体は、生命というエネルギーを帯びており、心はそこで波打つ波動のようなもの。

そして、人と人でも、人と動物でも良いのですが、これらが出会い、一緒に暮らしたりすることは、そこに何らかの 「縁」 があるということです。

 

縁とは、目に見えない細い糸のようなもの。

強く引っ張り過ぎれば、切れてしまいますし、だからと言って、弛(たる)ませておくと、糸が絡んでしまいます。

絡んだ糸は無理やり解こうとすると、玉のような結び目が出来て、余計に解けなくなってしまいます。絡んでしまった以上は、根気よく、ひとつひとつ解していく以外ありません。

 

人と人、人と動物も同じです。

 

***

 

生きし、生かされるものは全て、いつか死を迎えます。

 

世の中には、「別れられてせいせいした・・・」 という 「別れ」 もありますが、基本、「別れ」 は悲しいものです。

違う価値観をもった生き物が、一緒に暮らしているわけですから、全てが自分の思い通りに行くはずもありません。

「縁」 とは、異なる生き物同士がエネルギーと波動を交換する 「繋がり」 のようなもの。

しかし、全ての波動が和音を構成するのであれば誰も苦労しません。

不協和音は、相手が出すのを止めようとするのではなく、自分が音を上手く合わせれば良いだけの話。

「もう、心の繋がりはない」 みたいな冷めた関係であっても、しかし、それでもまだ 「縁」 は続いているのです。

 

であるからには、せめて深い 「縁」 のある人同士は、最終的には、全ての執着を捨て、「感謝」 の気持ちに、それが出来ない場合でも、せめて 「許容」 の気持ちに還元したいもの。

 

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クリスチャンの世界では、

 

「人が生まれてくるときは、周りの人は笑顔なのに、本人は一人泣いていて、

 人が死/ぬときは、逆に、周りの人は泣いているのに、本人は笑顔でいる」

 

みたいな話があります。

 

フランス語では、オーガズムのことを 「la petite mort(小さな死)」 と呼ぶそうですが、これは、「ジョルジュ・バタイユ」 が起源のようです。

 

自我(エゴ)を超越し、恐怖を乗り越えて到達する状態が、「オーガズム」 であることは、オーガズム状態にある女性の脳内の血液流量を MRI で画像解析する 「fMRI」 という分析手法により、実証されています。


そして、思い出してくれる人や動物がいる限りは、その 「縁」 という名の 「チャネル」 は、良くも悪くも、多分、切れることはないのだと思ってます。

 

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亡くなられたお母さんも、亡くなったワンコも、生きている時間を競っていたわけではありません。

痛かったり、苦しかったりしたかも知れませんが、やはり 愛する者と ”一緒にいる時間” こそが大事だったはずです。

 

パートナーを失った悲しみや、「もっと出来ることがあったはずなのに・・・」 と自分を責める気持ちは、相手に対するハナムケの気持ちです。

その方が悲しんだ分、相方には、それは喜びとなって伝えられているはずです。

 

大事なことは、ポジティブな関係性においては、全てを感謝の気持ちに昇華すること。

 

人と比べるとワンコの寿命は短いですが、短いなりにも濃厚に、人生?を享受しています。

 

ワンコから学べることは、今を大切にして、そして今を楽しく過ごすこと。

「今」 を楽しめない人は、「明日」 も楽しめません。

他人のネガティブなところをいくら粗探しして、噂話でもして、憂さを晴らしたところで、そんなのは全然楽しくありません。

楽しい 「今」 を過ごすためには、自分が好もうと好まざるとも、「今」 を精一杯楽しみながら、「明日」 に繋げること。

 

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ワンコのクロちゃんの冥福を、お祈りいたします。

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