愛する者のために、踏ん張るということ
「お母さんは、家の中の太陽。」
だから、お母さんの笑い声や、お母さんの元気は、家族にとって大きな励みになるのです。
学校でイジメや多少のツライことがあっても、仕事で失敗したり嫌なことがあっても、今日一日を 「頑張ろう!」 と思うのは、お母さんのチカラです。
しかし、そんなお母さんも、実は常に踏ん張っているのです。
それは、お母さんにも、「愛する者」 が居るからです。
それは、子供だったり、贔屓にしている芸能人だったり、あるいは、まだ見ぬカレシであったり。
「子供の笑顔」 から、頑張りを貰っているお母さんは、子供の笑顔を消さないように、子供に自分の辛さは見せません。
何故なら、「子供の笑顔」 は、お母さんの生き甲斐だから。
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誰でも、自分は可愛いものです。
しかし、今の自分にとって、何が大切なのか。
自分のエゴが大事なのか、自分の承認欲求が大事なのか。
それとも単に、ぽっかり空いている心の隙間にはまるものならば、何でも良いのか。
それを考えてみてください。
若い頃、恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、「自分は愛する者のためには死ねる・・・」。
そして、目の前で息を引き取る自分が愛した人。そんな定番のシーンに誰しも、涙を流した記憶はあるでしょう。
しかし 「現実は・・・」 と言えば、私のエゴは大事!私の承認欲求は満たして!
そして、私を好きなら、アナタは私のために死んで!(苦笑)
ガハハハハ―(笑)
それでは、あきまへんww
そして恋愛に、「保証」 を求めるのも野暮と言うもの。
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自分は、自分の奴隷を愛しています。
しかし自分は、「恋愛」 を享受するつもりは、毛頭ありません。
関係性は、あくまでも 「主従」 が基本です。
なので、主を否定する奴隷は、鞭を打たれるだけ。
褒美が欲しかったら、主を理解して、主のために働くことです。
「恋愛」 であれば、自分が相手を愛し、そして、相手が自分を愛せば、それで対等な関係が成立します。今風に言えば、ですが。(^^;
しかし、「主従」 における 「恋愛」 は、主に対する 「忠誠」 と 「尊敬」 もしくは 「畏怖」 がなければ、始まりません。その関係性は、そもそもが 「対等」 ではないのです。
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口が悪いひとは、まず、自分の口に気を付け、自分の感情に翻弄されてしまう人は、自分の感情の出し方に気を付ける。
もちろん、感情的になって、すぐ手が出る 「DV男」 も、すぐに悪態をつく 「モラハラ男」 も、そして、すぐにヨダレが出る 「セクハラ男」 も同じです。(笑)
感情をすぐに口に出すひとも、実に素直な言葉が出る人は、常に周囲に 「幸せ」 を配りますし、繊細な感情も、プラス方向に働くのなら、それは多くのひとに 「滋養」 を与えます。
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とあるひとには、「サイテー!」 と叫ばれましたが (苦笑)
まあ、自分は SM やってるくらいなので、「ゲス」 であることは自認しておりますし、ベッキーやゲスの極みの川谷みたいに策略は練らないものの、あんなのはカワイイもの。
そういう意味では、とりあえずゴールインした 「ベッキー」 には、祝福を気持ちしかありませんし、「結婚生活」 はいろいろあるかも知れませんが、しかし、それをうまい方向に乗り越えていって貰いたいと思っています。
とある 「縁」 があって結び付いた関係の場合、結婚であれ不倫であれ、大事なことは、「麻縄」 と同じように、「縁」 と言うものも 「糸」 の親戚であり、弱ければ縒(よ)って大事にするものであって、「絡んだ」 から、自分の思い通りにならないからと言って、切ってしまってばかりいては、いつまでたっても、弱い糸に過ぎないということ。心の隙間は埋まりません。
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すみません・・・・
こんな話をする筈ではなかったのですが。
最後に、この記事をご紹介します。
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