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2016/09/26

「奴隷」の心得

SM におけるサディスト(S)とマゾヒスト(M)の関係は、「主従関係」 であり、所謂(いわゆる)通常の 「恋愛関係」 とは違うものであることは、以前にも何度か説明しました。

では、SM における、この 「主従関係」 をどのように説明したら良いのか。実は今までも、何回か説明をしているつもりなのですが、しかし、十分に説明仕切れていません。

今回は、奴隷の心得。M の行動や振る舞いといった視点から説明してみたいと思います。

 

まず、SM における 「主従関係」 の行動的な側面について、出来るだけ自分の中にあるイメージを言葉にしてみたいと思います。主従関係をきちんと理解出来れば、自ずと、奴隷があるべき姿を理解できるはずだからです。

この 「主従関係」 を直観的に例えるとしたら、今現在一番しっくりときている表現は、ダンスの 「パートナー」 みたいな感覚でしょうか。

 

SM と 「ダンス」 は似ている

 

社交ダンスなら社交ダンス、サルサならサルサという 「ダンスの道」 があります。SM の場合は、SM 自体が高尚なものではありませんし、「こうあらねばならない」 という規範的なものがあるわけでもないので、「道」 と呼ぶには、少しおこがましい感があります。

しかし、SM とダンスとは、実に似通っています。どちらも、男女がペアを組み、男女間の愛や喜びそして美を表現することに、何か関わりがあるからでしょうか?

どちらも同じ 「にほひ」 がするのです。(笑)

 

男女関係

ダンスにおける男性パートと女性パートの男女関係も、実に SM と似通っています。

 

踊りにおける男女のペア。もう、踊りにおいては、もう、何年も連れ添ってきており、踊りであれば、これ以上、お互いの呼吸が合う相手はいない申し分のないパートナーである。相手の癖も、手に取るように解かる。

男性も女性も、一緒に踊っている時間が楽しく、踊りそのものを楽しんでいる。

女性のパートナーも、男性パートナーの考え方を十分に尊重している。

男性は、女性のパートナーの呼吸を読み、音楽と踊りの流れを読み、そして、女性パートナーが最高に映えるように踊りをリードする。

女性は、男性のパートナーを十分に信頼しており、身体を預けるときは、躊躇なく身体を相手に預ける。

そして、どちらも、ダンスにおいては、常に前進するための努力は惜しまない。常に新しいことにチャレンジしており、常に張り詰めた緊張感みたいなものを持っている。

勿論、その陰では、人知れぬパートナー同士の苦悩も涙もある。

 

ダンスを SM に言い換えてみても、そのまま当てはまりそうなほど、酷似しています。

 

視線

また、ダンスの最中に意識する 「視線」 というのも、実に似通っています。

例えば、観客が居て、観客に対して 「見せるダンス」 に興じる人達は、「他人からどのように見えるか」 というように 「他人の視線」 を意識します。当然ですが、「見せる」 ために効果的な動き、言わば 「魅せる」 動きを取り入れたりもします。

しかし、基本的な関心や視線は、純粋にパートナーとのダンスを楽しむ人達と同様、お互いのパートナーそして自分達にあります。

 

そして、ダンスにおいては、進む方向を決めたり、進行を決定するのは、リードする男性の役目です。

女性は、男性のリードを信用して、心配したり不安な素振りを一切見せることなく、ただ自身の身をパートナーに委ね、伸び伸びと演技をするわけです。

そういう意味では、女性のパートは、見られている自分を意識することはあっても、自身の関心と視点は、常にダンスをリードする男性にあるのが基本です。

 

ダンスにおいては、「レディーファースト」 であることを理由に、女性が 「メイン」 と思われる方も多いかも知れません。しかし、レディーファーストは、女性が男性のエスコートに委ねるということです。

ダンスにおいても、女性パートは、男性のリードに 「従属」 するのが基本なのです。

 

リードとフォロー

では、「奴隷の心得」 と題しているのに何故、ここまで、SM とダンスとの類似性を説明してきたのかと言うと、ダンスのスピリットとも言える 「リードとフォロー」 を説明したかったからです。

 

ダンスの 「リードとフォロー」 は、「ダンスの感性」 程度にしか理解されなかったりしますが、それでは、踊りを綺麗に誤魔化しているだけ。単に、上辺(うわべ)を取り繕(つくろ)っているに過ぎません。

ダンスにおける 「リードとフォロー」 は、ダンスの技術ひとつひとつを、ひとつにまとめ上げる真髄であり、ペアが一体となるための、エネルギーの根源のようなものです。

スピードが乗り、パワフルでいて、しかし、しっかりとバランスもとれていて 「躍動感(やくどうかん)」 があふれるような踊りは、寸分違わずピタリと呼吸の合った男女の、絶妙な 「リードとフォロー」 があってこそ、生まれます。

 

女性に至っては、そこにはもう、思考はありません。「無心」 です。あるのは音楽と目の前のパートナーだけです。

「リードとフォロー」 は、SM の基本でもありますが、セックスにおいて、頭の中が既に真っ白になっており、何も考えられず、ただ男性のリードに心身を委ねている女性と状況的には全く同じなのです。この情景も、SM と驚くほど一致します。

 

奴隷の意味

 

SM プレイでは一般に、受け手側のことを、「奴隷」、「性奴隷」 や 「愛奴(あいど)」、あるいは、人ではなく、家畜やペット等の動物その他に例えて、「雌豚(めすぶた)」 や 「肉便器」 といった蔑称(べっしょう)で呼んだりするのが慣例ですが、これらは、SM プレイにおいて、「加虐性嗜好者」 側を 「支配者」 に、「被虐性嗜好者」 側を 「奴隷」 に見立てていることに由来します。

当然ながら、「支配者」 と 「奴隷」 との間には、固有の 「主従関係」 が成立しています。

 

奴隷とは

「支配者」 すなわち 「主(ぬし)」 と 「奴隷」 間の実質的な形態は、人それぞれ様々ですが、形式的には、「人格」 や 「人権」 を有しない者(自らの意思で放棄した者)として扱われ、支配者に対する 「絶対服従」 および 「性的な奉仕」 が義務付けられています。

また、支配者には、奴隷に対して懲罰や責め苦を与える 「懲戒権」 あるいは 「懲罰権」 と、奴隷を一方的に解除解約する 「解除権」 が与えられているのが一般的です。

 

「奴隷制時代」 のリアルな 「奴隷」 とは、形態的にも、かなり類似しているように見えるのですが、やはり、一番大きく異なる点としては、奴隷制時代の奴隷は、強制的に使役労働に就(つ)かされているのに対して、SM の奴隷の場合は、「自らの自由意思に基づいて(SM というロールプレイ上の)奴隷を選択している」 ことであり、本人の意に反して拉致監禁されているわけでもなければ、暴行や陵辱を受けているわけではありません。

 

被虐性嗜好者が、自分の意思に基づいて、特定の加虐性嗜好者の支配を受けたい。即ち、その支配者の奴隷となり、支配者の命令には絶対的な服従を誓い、性的な奉仕は勿論、精神的肉体的な責めを与えられても、文句は言いませんと言っているわけです。

もっと砕けた表現で言うとするならば、「わたしを主さまの(愛の)奴隷です。何でも言うことを聞きますので、わたしのことを好きにして下さい!」 と言っているに過ぎません。(笑)

 

しかし、現実としては、何をされても良いというのは稀です。「痛いのは無理!」 という M女 も少なからず居ますし、ガッツリと縄目を付けられては困る M女 も居ます。

M女 に、いくら被虐性向があると言っても、それぞれ、好みの趣向があったりしますし、自分が受け入れられない責めというのもあります。また、家庭生活あるいは社会生活を続けていく上で、特に留意して欲しい事項などもあったりします。

主たる S も、M女に恐怖感を感じさせてしまったり、実生活で問題を引き起こしてしまって、後が続かなくては、元も子もありませんので、SM プレイに際しては、現実的には、こういった事前確認をするのが通例です。

 

SM プレイに際しては、S は、M にとことん配慮します。これは、SM プレイで事故を防止するための鉄則みたいなものです。

吊りを伴わない緊縛であっても、縛る場所と締め付けを間違えると、うっ血したり、神経を痛めたりする場合がありますし、アナル調教にしても、後ろに使ったものを、うっかり前に使った時点で、女性は膀胱炎を起こします。

安全には当然、出来る限りの配慮はします。それは、主の役割でもあります。

 

しかし、たまに勘違いする人がいます。S は、M を甘やかしているわけではありません。

また、「S は、M女 を気持ち良くさせているのだから、M女に奉仕しているわけで、とどのつまり、S は M だ!」 みたいな、訳の分らない論理を平然と口にして、「ドヤ顔」 したりする人も、たまに見かけますが、こういう人は、SM を全く良く理解出来ていません。(笑)

「奉仕」 とは、他の人に自ら尽くし、自らを捧げることです。S は、M女 が良く出来た場合に、ご褒美をあげる以外は、基本は、手の平の上で、M女を転がして楽しんでいるのです。(笑)

 

奴隷に求められる姿勢

では、M 女はこうあるべき、みたいなものはあるのでしょうか。

 

M 女に最低限求められること。それは、SM プレイにおいては、主のことだけを見つめ、主の命令には逆らわないことです。奴隷にとって、主は絶対的な存在であり、主の命令には絶対服従が原則です。

人としての権利も人格をも捨て去っているのですから、プライドを持つことなど、到底許されるものではありません。

そして、主の言い付けを守り、主の命令に従うことでのみ、褒美(ほうび)が与えられる、すなわち、認められる存在なのです。

 

しかし、M 女とは言え、被虐性嗜好があるだけで、それ以外は、何の変哲もない普通の女子です。それぞれ個性もあります。素直な子もいれば、そうではない子も居ますし、控(ひか)えめで遠慮(えんりょ)がちな子も居れば、ワガママな子も居ます。

主と奴隷の関係になったからと言って、いきなり自分の人格を変えれるはずもありませんし、そもそも、SM プレイでは、自分の素(す)が出ますので、演技なんかしている余裕はありません。

出来るとすれば、普段の家庭生活や社会生活の中では押し殺されている、自分の欲求や願望を出せる 「別人格」 みたいなものを作り上げることくらいでしょうか。

 

そういう意味では、最初から、完成された M女、完成された奴隷というものは存在しません。誰もに 「始めて」 があるように、皆、調教を通じて自分の M 性を理解し、調教を受けて一歩一歩、求められる姿に近づいていくのです。

ですので、始めから出来なくても当たり前。しかし、それで開き直っていては 「M女の端(はし)くれ」 としても既に失格。出来ないながらも、自ら目指そうとする意識を持ち、努力することが重要なのです。

 

奴隷のイメージの一例

言葉で説明されても、奴隷のあるべき姿のイメージが良く掴めないという読者の方は、ペットを想像すると良いかも知れません。

 

ペットで、わんこを飼っている人であれば、わんこを見れば、解かるはずです。

ちなみに、躾け(しつけ)に失敗し、我儘(わがまま)で何でもやりたい放題。飼い主の言うことすら聞かず、手の付けようのないわんこや、自分を人間と思い込んでいる面倒なわんこは、失敗例です。(苦笑)

 

わんこは、飼い主が誰であるかを認識しています。そして、常に飼い主に注意を払っています。そして、自分の飼い主のことを常に気に留めています。

動物にもプライドがあるのかどうかは解かりませんが、自分を最下位の序列に置いているわんこであれば、家族に対して問題行動を取ることもなく、適切に振る舞います。

飼い主の命令に忠実かどうかは、調教の進捗の程度によりますが、上手く行けばご褒美がもらえますし、してはいけないことをしたら、叱(しか)られます。

 

ドッグランで、飼い主の指示に忠実に駆け抜けるわんこは誉められます。また、飼い主が忙しいときに、大人しく自分でひとり遊びをしてるわんこも、誉められますが、自分遊びに夢中になる余りに、飼い主の声にも気付かず、糸の切れた凧(たこ)状態になって走り回るわんこは叱られます。

 

奴隷に求められる用件

奴隷に求められている用件は、前述したとおりですが、再度整理してみると次のようになります:

① 主を絶対的な存在として認識し、主の命令に対して絶対的に服従すること

② 自らの人権や人格を自らの意思により放棄し、人としての尊厳のない奴隷、家畜、もしくは、これ等と同等の存在として、主に(性的に)奉仕すること

③ 主の命令に反したとき、ならびに、主が望む場合、いつでも、主による処罰を許容すること

④ 自らの意思では、主の元を離れ(られ)ないこと

 

こうやって、改めて眺めてみても、やはり 「性奴隷」 以外のナニモノでもなく、思わず 「鬼畜」 的な印象を受けてしまいます。(笑)

本来は、ここに前提条件として、「主と奴隷の双方が、良質かつ濃厚な SM プレイを希望しており、その目的を実現するために、奴隷は・・・」 という言葉が隠されています。

英文契約であれば、whereas で続く前提条件です。「海外の SM」 と 「日本の SM」 の差異については、機会があれば、また別途ご紹介したいと思いますが、では、何故隠しているのか?

 

ひとつは、「建前と本音」 ではありませんが、全てを書いてしまうと、SM の鬼畜感というか、オドロオドロしさが途端に薄れてしまい、健全になってしまうからでしょう。

SM は、加虐性嗜好者と被虐性嗜好者という、ある意味、変態同士の特殊な性的交遊ですので、健全化されてしまうと、SM そのものが持つ 「禁断の雰囲気」 が壊されてしまうこと。

しかし、一番の理由としては、やはり、M女には、「コスプレ」 のようなロールプレイ的な 「遊び」 としてではなく、切実なものとして受け止め、真剣に取り組んで貰いたいという思いが隠されているように思います。

 

SM が志向するもの

 

「高尚な心理学者」 からすれば、「SM」 とは、単なる 「加虐性嗜好者たる S と、被虐性嗜好者たる M によるロールプレイ」 と理解しているのかも知れません。

しかし、SM を愛好する者達は、SM を 「コスプレ」 のような 「単なるロールプレイ」 とは認識しておらず、常軌を逸しない範囲で、真剣に 「切った張った」 の 「心理戦」 を繰り広げているのです。

「表と裏」 に 「善と悪」 そして 「天使と悪魔」 の間で人の気持ちが揺らぎあい、そんな中、お互いが無意識の中で目指しているもの。それは、M の場合は、支配者に対する 「絶対的な信頼と服従」 によって導かれる 「自らのエゴからの解放」 と、それゆえに得られる、強烈なほどの 「性的快感」 と 「満足感」 と言ったところでしょうか。

S の場合は、奴隷を支配することによる 「自らのエゴの実現」 です。奴隷の支配自体は、目的でもあり手段でもありますが、最終的には、支配欲求と加虐性欲を満たしつつ、得られる 「性的快感」 と 「満足感」 ですが、これらはいずれも、個人レベルでのお話です。

 

では、これら S と M の異常な番い(つがい)同士は、何を求めているのか。

結局のところは、個々の個人を超えたところにある 「一体感」 であるように思っています。

ダンスで言うところの、絶妙なリードとフォローで、呼吸がピッタリと合い、スピードに乗り、パワフルでいて、安定感のある躍動感(やくどうかん)溢(あふ)れる踊りです。

 

ダンスの真髄であり精神性が、「リードとフォロー」 にあるのだとしたら、SM の真髄であり精神性も、リード役である S とフォロー役である M の 「責めと受け」 にあると言えましょう。

人権や人格といった社会通念や、自分を守るための権利意識やプライドといったものから、エゴや嫉妬といった感情的なものまで、何もかもを捨て去って、主に自身の身も心も全てを委ねる。緊張を以って、無心で主の責めの全てを受け止めるわけです。

女性のオーガズムは、緊張と弛緩(しかん)の繰り返し動作です。ドキドキから始まって身体が緊張し、緊張がピークを迎えイクと、女性は緊張から解放されて弛緩した状態となります。

 

「責めと受け」 は、主と奴隷の二人の 「掛け合い」 です。

M は、単に S の責めに身を委ねていれば良いわけではありません。責めを受け止める、つまり、何らかのリアクションを返す必要があるのです。

そして、「ボケ」 と 「ツッコミ」 ではありませんが、お互いが相手を理解し、S は M が持つスイッチを入れ、M は S が持つスイッチを入れ合うことが出来て初めて、ラリーとなるのです。

 

そして、このような状況下において、果たして M 女に、頭で考えている余裕はあるでしょうか?(笑)

そんな余裕はある筈がないからこそ、奴隷に求められる用件は、本人も意識する必要がありますし、普段から調教を通して、繰り返し仕込んで行く必要があるのです。

2016/09/16

ネットでの口説き方 (3) - 社交場での心得

 

社交場での心得

 

前回は、SNS の会議室あるいはチャットルームなど、複数の人と会話をする場における 「振る舞い方」 について説明してきました。

SNS ではあるとは言え、複数の人が相対(あいたい)して会話する場な訳ですから、曲がりなりにも 「社交場」 であることに相違はありません。

今回は、リアルでもネットでも、どちらでも通用する 「社交場」 での 「会話の基本」 について説明したいと思います。

 

ちなみに 「社交場」 とは、人が社会的な交流を目的に集まる場、あるいは、人が定常的に集まり、日常的に人の交流が行われている場のことを言います。

会員制クラブやパーティーも社交場なら、常連さんがたむろする居酒屋やスナック・バーなどの飲み屋の一角も社交場、主婦の井戸端会議も社交場です。

 

社交場における会話の基本

 

社交場における 「会話の基本」 は、大勢で話せる 「会話の輪」 を作ること。みんなで 「楽しく気持ちの良い会話」 が出来るように心掛けるのはもちろんのこと、出来るだけ多くの人が会話に参加できるよう、 「オープンな雰囲気」 を醸(かも)し出せるかが重要となってきます。

 

(1) 挨拶・声掛け

 

まず、社交場である無しに拘(かか)わらず、挨拶(あいさつ)や声掛けは、欠かすことの出来ない基本中の基本です。

ネットでもリアルでも、挨拶が、人と話をするキッカケを作ります。

挨拶と同時に笑顔が出ている場合は、警戒が解かれているサインです。笑顔だからと言って、必ずしも、「特別な好意」 を持たれているわけではありません。(苦笑)

しかし、笑顔が見られるというのは、「好意的」 である証拠でもあります。

 

人のコミュニケーションは全て、挨拶から始まります。

挨拶の基本は、自分がその人と話をしたいという意思を伝えるのと同時に、話の内容や話の意図あるいは話者のポジションやスタンスなどを、簡潔に伝えることにあります。

 

(2) デリカシー

 

最低限の礼儀や節度をわきまえることも重要です。

特に、リアルの 「オトナの社交場」 においては、デリカシーは大変重要です。

女性に対して年齢を聞くのは失礼ですし、初対面あるいは知り合って間もないのに、プライベートな部分を細かく詮索(せんさく)したり、馴(な)れ馴(な)れしくしたりするのは、不愉快なものです。ましてや、無粋(ぶすい)な質問をして、女性を辱(はずかし)めるなんてのは、野暮中の野暮。

 

しかし、女性に年齢を聞くのが失礼だからと言って、年齢に一切触れないというのも、優等生過ぎると言うか、真面目過ぎて面白くも何ともありません。

 

女性に年齢を聞くのが、何故(なぜ)タブーかと言えば、もしかしたら、長い男尊女卑(だんそんじょひ)の歴史において、女性の年齢は、女性を 「値踏(ねぶ)み」 する要素であったことなどに関係しているかも知れませんが、いずれにせよ、洋の東西を問わず、女性にとって 「年齢」 は、デリケートなものだからです。

 

男性で言えば、名刺には書かれていない 「年収」 や 「資産」 みたいなもの。

いろいろと会話を重ねて 「年収話」 になるならまだしも、いきなり面と向かって 「年収はいくらですか?」 と聞かれたら、男でも 「ドン引き」 するでしょう。(笑)

正直に答えた瞬間、その女性の顔から 「笑(え)み」 が消えて、自分と話を交(かわ)さなくなったとしたら、その男性の心境は、如何(いか)ほどのものか、想像に難(かた)くありません。それと同じです。

女性に対する 「年齢」 であれ、男性に対する 「年収」 であれ、ストレートに、そういうデリケートなことを聞くこと自体が 「野暮」 なわけです。

 

女性が答えづらい内容であっても、女性を不快にさせることなく、聞き出す分には、何も問題ありません。

むしろ、こういうデリケートな内容を、如何(いか)にイヤミなく、サラリと聞きだすか。それこそが、「オトナの社交場」 での 「オトナの会話」 の醍醐味(だいごみ)であり、そのために、いろいろと趣向を捻(ひね)るからこそ、「乙(おつ)な会話」 と言えるのです。

 

(3) みんなで会話を楽しむ

 

社交場の醍醐味(だいごみ)は、やはり、「出会い」 と 「オトナの会話」 にあります。

一対一で楽しむ会話もあれば、大勢で楽しむ会話もある。しかしそれは、自分の意図や都合というよりは、むしろ、その場の状況によります。

知った顔同士で、旧知の仲を温める会話も、実に楽しいものですが、新しい人が加わって、新鮮な空気が入り込むことで、それがまた新たな刺激となり、雰囲気や趣向が変わるというのも、これはこれでまた、なかなか乙なものです。

 

そんな社交場での 「会話」 は、言わば、「言葉のキャッチボール」。一人で一方的に話してばかりいるのは、野球で言えばピッチング。「会話」 とは言いません。

キャッチボールでは、リラックスして、一定の心地好(ここちよ)いリズムで、一方が球を投げ、もう片方がその球をキャッチします。

当然、投げる方は、相手の受けやすいところを狙ってボールを投げます。思いっきり暴投(ぼうとう)したり、相手の技量を超えたボールを投げたところで、取れるわけありませんし、それ以上、ラリーは続けられません。

当然ではありますが、気持ちの良いラリーを続けるためには、それなりに、相手に対する配慮が求められるわけです。「会話」 も、まさしくこれと一緒です。

「社交場における会話」 も、リラックスして、余裕を以(も)って、楽しむものです。「遊び心」 があってナンボ。みんなで 「言葉のラリー」 を楽しんでナンボです。

 

また、社交場では、どれだけオープンに会話出来るかも、とても重要です。

大勢で話をする場であるにもかかわらず、目当ての異性以外は自分の視覚に入らなくなってしまう 「ナンパ厨」 も野暮なら、大勢のひとがいるのに、是(これ)見よがしに、二人でイチャイチャと会話を楽しんでる 「勘違いカップル」 も野暮。仲の良い人達だけで固まって、周囲との間に 「壁」 を作ってしまう 「お上(のぼ)りさん」 も、野暮と言うものです。

 

(4) 自慢話や悪口は避ける

 

社交場において、単に自分の優位性をアピールしたいがための 「自慢話」 や他人の 「悪口」 は最悪です。その場に居る人に何のメリットもない 「他人の自慢話」 は、聞いてても、気に障(さわ)るだけ。はっきり言って、犬も喰いません。

「自分は、こんなにスゴイんだぜ!」 と、いくらアピールされたところで、聞かされているほうは、「ふうん」 としか、答えようがありません。

 

本来、「成功体験」 や 「自慢話」 それから 「手柄話」 といった類(たぐい)の話は、自分からするものではなく、聞かれて答えるものです。

しかし、披露(ひろう)したくても機会がなく、どうしても、「自慢話」 をしたいのであれば、必ず 「オチ」 を用意すること。

最後に、失敗談の暴露(ばくろ)があるとか、裏話があるとか、内ネタ話として 「種明かし」 みたいな 「オチ」 がないと、聞いてる方は、腑(ふ)に落ちない。スッキリしないのです。

 

ちょっとした普通の小噺(こばなし)であれば、オチがなかったり、オチの切れが悪いのは単なる 「無粋(ぶすい)」 で済みますが、犬も喰わない自慢話や手柄話で、オチがないのは、無粋を通り越して野暮。

何も 「オチ」 がないのであれば、最後は自分で突っ込むか、あるいは、リアルな社交場であれば、周りの人に一杯ずつ、飲み物をご馳走するくらいの度量を見せて、しかるべきです。(笑)

 

(5) 勝ち負けを競(きそ)わない

 

では何故、自慢話や悪口は避けるべきなのか。

それは、社交場などで良く起こる、同性同士の 「見栄の張り合い」 を極力防ぐ意味があります。

 

特に男性の場合は、女性を目の前にすると、女性の気を惹(ひ)こうとして、直接間接を問わず、「自分が如何に優れているか」 をアピールし出したりします。

これらの行動自体は、雄の孔雀(くじゃく)が、羽を目一杯広げて、雌(めす)にアピールする 「求愛行動」 とさほど変わらないのですが、「本能だから仕方ないじゃん!」 と言ったらそれまでです。

こういった 「見栄の張り合い」 が高じてくると、本能に基づく行動であるだけに 「意地の張り合い」 になってきたり、本人にその気がなくても、周囲の男性の 「闘争本能」 を焚(た)き付けてしまったりする可能性があるわけです。

トラブルになった後で、「まあまあ、落ち着いて。理性的に話し合いを!」 と言ったみたところで、そもそも、理知的でない行動が発端(ほったん)となって、「本能」 に火が付いてしまっているだけに、相手にしてみれば、「この期(ご)に及んで何を今更(いまさら)」 感がぷんぷんですので、理性の名のもとに、矛先(ほこさき)を収(おさ)めようなんて、度台無理と言うもの。逆に、火に油を注(そそ)ぐ結果となりかねません。(苦笑)

 

まあ、男同士が張り合い、ガツガツと競り合ったところで、女性の知ったことではありません。

女性は、競り合いに勝った人と付き合うなんてことは、一言も言っていないどころか、大半の女性は、男性の子供っぽい 「競り合い」 を冷めた目で見ているはずです。

 

「社交場における会話」 は、「ディベート」 ではありませんので、相手を遣(や)り込めて、「勝ち負け」 を競(きそ)ったところで、何の意味はありません。

本来であれば、「オトナの社交場」 において、不必要に知識をひけらかしたりするのも野暮なら、そんな論争を巻き起こしたりすること自体が野暮と言うものです。

 

これと同様に、人前を憚(はばか)らず、ガツガツとナンパしたり、口説いたりするのも野暮。(笑)

小粋(こいき)に口説くなら、まだ乙(おつ)ですが、下心見え見えで余裕がなくなっている人は、もう自分が目を付けた女性以外、何も見えなくなっているだろうことは分かりますが、周囲の人には、その 「切迫感」 が、手に取るように、嫌というほど伝わってくるだけに、本当に見苦しいものです。(苦笑)

 

相手に告白できずに悩んでいるような、真剣に恋をしている若者であれば、応援のし甲斐(がい)もあると言うものですが、いずれにしても、女性も馬鹿ではありませんので、下心に振り回されてしまっていて、余裕のない 「幼稚な男性」 は、まず、女性の恋愛対象として見られることはありませんので、心当たりのある人は気をつけてみて下さい。

 

(6) ユーモアとウィットを効かせる

 

和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気になってくれば、皆、自ずと話したくなるものです。

雰囲気を盛り上げるだけでなく、周りの人に、きちんと機転を利(き)かせるくらいの配慮なり気配りが出来るようになれば一人前。

それに加えて、ユーモアを織り交ぜて、ウィットに富んだ会話が出来るようになれば、もうそれに勝るものはありません。

落語風の 「オチ」 でも構いませんし、関西風の 「ボケとツッコミ」 でも構いません。「駄洒落(だじゃれ)」 や 「オヤジギャグ」 であっても、無いよりはマシと言うもの。

 

話に一生懸命になること自体は、悪くありません。しかし、話に夢中になってしまうあまり、余裕がなくなってしまうようでは、いけません。

砕けた場で、真面目な話ばかりしてしまう人も、自分の思い通りにならないと、目から火柱を出して激高してしまう人も、女性が視界に入った途端、周囲が見えなくなってしまう人も、要は、余裕がなさすぎなのです。

こういうひとは、まず 「人の話をじっくりと聞く」 訓練を積んだ方が良いと思います。人の話をじっくりと聞くことによって、余裕も生まれます。

 

「話を聞かない男、地図が読めない女」 みたいな本が以前、ベストセラーになりましたが、男性は、「話を聞くのが苦手な人種」 であるがゆえに、自分の話を真剣に聞いてくれる男性に親近感を覚えるのです。

女性に対する質問は、本来は、彼女達の話を引き出すためのものでなければなりませんし、大勢で話をしている場合は、自分の関心事項ばかりに捉われず、他の人のことも考慮して聞くことが重要です。

女性に対して矢継ぎ早(やつぎばや)に、住んでる場所や年齢、既婚未婚の別や、彼氏の有無ばかりを聞いている人は、「目当ての女性」 を質問責めにするのではなく、自分の情報も小出しにしたり、他の人にも聞いたりすることで、みんなで会話できるようになると、自分自身にも余裕も出てきますし、女性にも安心感を与えることが出来ますので、また違った展開が期待できると思います。

 

参考にしてみて下さい。

 

 

2016/09/05

レディーファースト・女性優先の考え方(3)

 

いよいよ、レディーファーストの記事も大詰めです。

 

レディーファーストとは、一見女性を持ち上げているかのようにも見て取れますし、表面上は 「マナーの一種」 というのが建前になっていますが、その実は、男女のセックスに至るまでの前戯の基本であることを、前回の記事で説明しました。

今回は、いよいよ、レディーファーストの応用編 「ベッドにおけるレディーファースト」 についてです。

 

レディーファーストとセックス

 

レディーファーストとは、ある意味、女心をなかなか理解出来ない男性に宛(あ)てた、男女間の関係を巧(うま)く取り持つための指南(しなん)あるいは TPO のようなものであり、また、女性にとっては、男性を評価する標準的な物差し(ものさし)になっているのです。

 

ですので、そのような女性は、その男性のレディーファーストの熟練度を、その男性とのセックスに結びつけて考えています。

 

しっかりと女性を尊重してくれない男性は、女性の気分や気持ちを無視して、セックスしようとしてくるかも知れませんし、自分が気持ち良くなれば、さっさと女性のことを放っておいて、自分で勝手にイってしまうかも知れません。

女性を守ろうとか、大事にしようという意識が弱いひとは、セックスは粗雑(そざつ)で乱暴かも知れませんし、妊娠させても平気でいるかも知れません。

習慣としてのレディーファーストが出来ているからと言って、これらのことが保証されるわけではありません。しかし、女性からすると期待はできるわけです。

 

女性の隠された期待

 

では、レディーファーストがきちんと身に付いている男性に対して、女性は何を連想するでしょうか?

 

  • 「身なりや服装には気を使ってるだろうから、清潔だろう。」
  • 「女性の意思を尊重してくれるだろうから、自分の調子が悪いときや、気分が優れないときに、無理強い(むりじい)したりはしないだろう。」
  • 「女性の身体に気遣(きづ)ってくれるだろうから、粗雑(そざつ)な扱いはせずに、優しくしてくれるだろう。妊娠しないようにも、気遣ってくれるだろう。」
  • 「女性に対して気配りができるから、自分が傷付くようなことを言ったり、自分が寂しく感じるようなことはしないだろう。」
  • 「女性を楽しませてくれるから、良い雰囲気を作ってくれるだろう。」

 

そして、何よりも、

 

  • 「女性を大事にしてくれるから、自分のことをいっぱい気持ち良くしてくれるだろう。」

 

と期待を寄せるかも知れません。

 

女性にも、テンネンな女性も居れば、妄想好きな女性も居ますので、さまざまです。しかし、これらは、「理屈」 ではなく 「肌合い」 のような 「お肌の感覚」 です。

ある人は、ただ漠然(ばくぜん)と、「清潔」 「大切」 「丁寧(ていねい)」 「優しい」 「楽しい」 といったキーワードやイメージが頭に浮かぶかも知れませんし、また、ある人は、ほんわかとしたイメージに包まれたり、ウキウキした気分になるかも知れません。

 

少なくとも、いきなり二人っきりになったからといって、いきなり盛(さかり)の付いた犬みたいに、豹変(ひょうへん)して襲ったり、ガツガツがっついたり、碌(ろく)に前戯もなく、入れてきてみたり。あるいは、乱暴に触ったり、冷めちゃうようなことを言ったり、自分だけ、さっさとイって終わりみたいな 「ハズレくじ」 ではないだろうと期待している筈(はず)です。

また終わった後も、急に態度を変えて、そそくさとせず、髪を撫(な)でてくれたり、キスをしたり、甘い言葉を囁(ささや)いてくれたりするだけのデリカシーはあるだろうと期待するでしょう。

 

当然、それはあくまでも女性の側の勝手な期待であって、レディーファーストが出来ているからといって、必ずしも、その男性とのセックスが良いとは限りません。

その男性の肉体的な特性もありますし、テクニックにも上手い下手があります。

若い男性であれば、どうしても、余裕がないので、自分中心のセックスになりがちです。

 

女性は感情の生き物

 

女性は、ホルモンに支配された 「感性」 と 「感情」 の動物です。ゆえに、常に 「不安」 を抱えています。

女性が、レディーファーストに期待するのは、自分が心の底で感じる 「一抹(いちまつ)の不安」 を払拭(ふっしょく)したいのかも知れません。

 

先に例として、あげたような、「がさつ」 で、自分のことを 「大事」 に扱ってくれない男性はイヤなのです。

自分のことを済ましたら、女性に一切の関心を寄せず、女性を 「ほったらかし」 にして、さっさと何処(どこ)かへ行ってしまうような男性もイヤなのです。

 

女性は、「悲しい思い」 や 「寂しい思い」 はしたくないのです。

なので、男性にずっと見守られていたいし、男性に構(かま)って欲しかったり、イチャイチャしたいのです。普通に抱きしめられてるだけでも、安心するのです。

 

レディーファーストは必要条件

 

女性は、その男性の容姿は勿論、その人の背格好や身嗜(みだしな)み、それに加えて、その人との会話や、その人の表情あるいは立ち居振る舞い(たちいふるまい)を通しても、その人の人柄(ひとがら)をチェックしてます。

 

あくまでも、レディーファーストは、女性が楽しい気分になるための、そして、女性が 「ハズレくじ」 の男性を掴(つか)まないための 「必要条件」。

しかし、男性がレディーファーストを身に付けることで、女性の方は、「楽しさ」 も 「安心」 も倍増するのです。当然、男性の方も、その分、垢抜け(あかぬけ)しますので、対戦成績があがることは請け合い(うけあい)です。

 

レディーファーストに求められている核心。それは、日本風に言えば、女性を守ろうとする 「男気(おとこぎ)」 であり、「男伊達(おとこだて)」、そして、粋(すい)に他なりません。

しかし、「野暮(やぼ)も揉(も)まれて粋(いき)になる」 ではありませんが、始めっから、粋な人なんて居やしません。

 

レディーファーストには、オンナ心を理解するためのヒントが隠されています。

まずは、「野暮ったい男」 から脱却する意味でも、レディーファーストを実践してみて下さい。最初のうちは、形だけでも構いません。そのようにして、レディーファーストを自分の身にしていくうちに、きっと、オンナ心を扱うヒントみたいなものに気が付くでしょう。

 

レディーファーストの行き着くところ

 

そして、最終的に行き着くところ。それは当然ではありますが、その女性の 「密(ひそ)かな期待」 に応(こた)えてあげることに他なりません。

レディーファーストで二人の雰囲気を高め、そして、女性最優先で、その女性をたくさん気持ち良くしてあげること。

オンナ心を理解し、精神的にも肉体的にも、女性を満足させてあげること。「ベッドにおけるレディーファースト」 こそ、「レディーファースト」 に隠された真髄(しんずい)であり確信部分と言っても過言ではありません。

それは、男性の、排出ベースで独(ひと)りよがりな 「男性的なセックス」 からの脱却を意味します。

 

お互いの心がしっかりと繋がり合って、お互いが向き合い、見つめあい、相手を尊重しあう。

男性は、女性の気持ちをどんどん高ぶらせ、女性がイクことに集中させてあげる。

イクのは、女性が最初です。男性は自(おの)ずと女性をいかせるまでは、辛抱(しんぼう)しなければなりません。しかし、辛抱してひたすら耐えるようでは、まだまだ初心者です。

辛抱しつつも、時には優しく、時には大胆に、しかしあくまでも自然体で、男性が女性をリードし、導いてあげれるようになって一人前です。

 

勘違いしてはいけないのは、これらの一連の行為は、女性に対して男性が奉仕しているわけではありません。エスコートしているのです。

エスコートとは、本来は 「護衛」 の意味です。女性を大切に扱いながら、女性をリードするのがエスコート。男性のエスコートによって女性は安心できる。ゆえに、自身の身をエスコートする男性に委(ゆだ)ねるわけです。

 

レディーファーストとは、男性が女性をエスコートする際のテクニックなのです。

2016/09/03

レディーファースト・女性優先の考え方(2)

 

レディーファーストの意義

 

前回の記事では、レディーファーストのポイントを整理してみました。

 

これを読んで、もしかしたら、「そこまでして、女性に媚(こび)は売りたくないっ」 と思う男性もいるかも知れません。「男女平等じゃね?」 とのたまう輩(やから)も居るでしょう。

男女平等なのは、あくまでも、選挙権とか雇用上の扱いであるとか、そういった社会上の話。

ここで説明している内容は、社交上の話であり、男女の性差に関わる話。男心と女心に関わる部分です。

 

そもそも、なんでレディーファーストみたいな 「まどろっこしいこと」 をしてまで、女性を楽しませないといけないのか?

 

それは簡単に言ってしまうと、男女の性差にあります。

 

男女が意識するセックスの違い

 

極論を言えば、男性のセックスは、ベッドの中だけですが、女性のセックスは、デートのときから始まっているのです。

女性にとって 「デート」 とは、男性の愛情を確認し、萌え上がろうとする、心の 「前戯(ぜんぎ)」 のようなものなのです。ベッドの上での行為が、肉体的な性欲を満たす行為だとしたら、女性にとって 「デート」 とは、心を満たし、自分の性欲に火を付ける行為なのです。

 

男性のセックスは、興奮して勃(た)ちさえすれば、後は、入れて腰を振り、我慢が出来なくなったら出して終わりです。言わば、溜(た)めておいたガスに火をつけるようなもの。最後はポンッと爆発して終わりです。

これに対して、女性のセックスは、木炭や石炭のようなもの。女性の場合、なかなか火が付きませんが、一度火が付くと、その火は種火(たねび)のように残り続けます。

 

女性がオーガズムを感じ、満足のいくセックスにするためには、肉体的には、十分な愛撫(あいぶ)が前戯(ぜんぎ)として必要不可欠ですが、それだけではなく、心のときめきを感じたり、イチャイチャして、次第にドキドキするといったような 「心の前戯」 も大切なのです。

女性の場合、男性的な交尾行動はそれからなわけです。

 

レディーファーストは、心の前戯

 

ここまで説明すれば、勘(かん)の良いひとには説明不要だと思います。要は、レディーファーストとは、心の前戯を施(ほどこ)す上での基本的な心得(こころえ)なわけです。

女性は、潜在的(せんざいてき)に臆病(おくびょう)なのです。

大事にしてもらいたい。そして守ってもらいたいのです。大事にされ、守られてることで、不安を払拭(ふっしょく)し、安心し、そして、楽しくしてくれることで、ようやく、快楽の方向に足が向くのです。

 

前回の記事で、レディーファーストのポイントは、① 男性が女性を守る、② 女性を楽しませる、③ 女性に恥ずかしさを感じさせないことだと説明しましたが、① と ③ で既に女性は、安心感を感じており、② で楽しさを感じているのです。

レディーファーストを心がけていれば、それだけで女性は、自分が 「特別」 に扱われていると感じるはずです。

そして、きちんとレディーファーストに則(のっと)ったデートが出来ていれば、その気のある女性は口説けるということです。

 

例え、デートで立ち寄った先が、自分ひとりでは立ち寄らないような薄汚い居酒屋であったとしても、そこで店のひとや常連の人情に触れ、美味しい肴(さかな)を味わい、女性に新たな発見があったのだとしたら、それは、それで楽しい時間です。

女性にとっては、高級レストランであろうと、薄汚い居酒屋であろうと、二人で楽しい時間を過ごせる場所なら、何処でも良かったりします。

その女性が嫌いなところや、受け付けないところに連れて行くのは勿論(もちろん)、綺麗に着飾っているのに、洋服を汚してしまうような場所に連れて行ったり、その後の予定があるのに時間待ちしたりするのもナンセンス。

女性の気持ちが冷(さ)めるだけです。

 

場所も重要でないとは言いません。しかし、女性が一番に求めていることは第一に、① 二人の楽しい時間。そして第二に、② そこでの男性の 「男らしさ」 であり、③ 男性の女性に対する 「心配(こころくば)り」 や 「心遣(こころづか)い」、そして、「思い遣(おもいや)り」 なのです。

 

これが、レディーファーストのエッセンスです。

それを理解せずに、ただ、レディーファーストとして定番となっている代表的な行動様式を真似(まね)ても意味ありませんが、しかし、それでも、レディーファーストさえ出来ないよりは、出来た方が全然良いです。(笑)

あとは、男性の中身です。

 

良かったら参考にしてみて下さい。

2016/09/02

レディーファースト・女性優先の考え方(1)

 

レディーファーストは社交マナーの基本

 

レディーファーストは、欧米社会における社交マナーのひとつ。

 

女性をまともにエスコートすら出来ないのに、女性を口説くなんざ野暮と言うものです。

デートなどで、女性に楽しく心地よい時間を楽しんでもらうためにも、レディーファーストなど、「マナーの基本」 くらいは身に付けておきたいものです。

当然ではありますが、社会人としては、しっかりとしたテーブルマナーも、身に付けるに越したことはありません。

 

しかし、マナーだとか、レディーファーストと言われて、そんなに畏(かしこ)まる必要もありません。

むしろ、ただ形式的に出来ることよりも、自然とそのような行動が出てくることの方が大事。

 

このシリーズでは、テーブルマナーに始まりベッドマナーに至るまでに潜(ひそ)むレディーファーストの真理。その意味や考え方について、掘り下げてみたいと思います。

 

レディーファーストの具体例

 

現実で求められているレディーファーストは、そんなに高尚なレベルのものではありません。求められているのは、女性に対する何気ない気遣いであり配慮。

 

当たり前の人に取っては、ごく当たり前のこと。例えば、道を歩くときに、女性に車道側を歩かせたり、ドアを開けさせたりするようでは失格です。ましてや、女性にドアを開けさせて、男がズカズカと先に入っていくようでは、もう落第です。(笑)

レディーファーストとは、女性を尊重し、女性に対する、ちょっとした心配りであり、配慮に過ぎません。しかし、女性にとっては、そのちょっとした心遣い(こころづかい)が嬉しいのです。

 

ちょっと小洒落(こじゃれ)たレストランやバーのような、女性の気分が高揚しそうな場所では、女性を優先して、女性を大切に扱ってあげる。

お店に入るのは男性からですが、フレンチやイタリアンなどの高級店では、かならず案内がいますので、お店に入ってから、席に付くまでは、女性優先です。

寿司や割烹などの和食店や旅館などでは、女性に気遣いをしつつ、男性がリードしてあげると良いでしょう。

しかし、薄汚いオヤジがたむろしているような居酒屋な大衆酒場など、女性がちょっと引いてしまいそうなところでは、男性がリーダーシップをとって、男気(おとこぎ)を見せてあげる。

エスカレータや階段も男性が先です。

 

女性は、普段よりちょっと 「特別」 に、「大切」 に扱ってもらえることで、ドキドキ感も変わってくるのです。

普段よりも、ちょっとお洒落をしてきているのなら、それを誉(ほ)めて欲しいのです。

また、荷物も女性に持たせるのも、落第です。

 

二人の時間を楽しもうとしているときに、お金の話をしたり、ケチったりするのも野暮。

デートは、女性にとっては 「特別な日」 なのです。というよりは、「特別な日」 になることを願っているのです。なので、贅沢とは言わなくても、普段よりはちょっと 「特別」 に扱ってほしい。

貧乏臭い呟(つぶや)きひとつで、せっかくの 「ときめき」 も、一瞬で冷めてしまいます。

それなら、デートしないほうが、まだマシというもの。

高級店の敷居が高いようなら、はじめっから行くべきではありません。

 

レディーファーストは古今東西普遍

 

とまあ、ここまでは一般論ですが、これらを意識することなく自然に出来るようになって、女性と楽しい時間を過ごせるようになって、まずは一人前。

しかし、このような話をすると、未(いま)だに、「俺は日本男児だ!女性は3歩下がって付いてくればいい!」 みたいに片意地を張る古いタイプの男性も一人や二人居たりするもの。

 

でも、それは間違いです。

 

男尊女卑の色濃い江戸時代であっても、男性は女性の気を引くためにいろいろとプレゼントしたりとか、誉めたりとかは日常的にしています。当時、女性を口説くのに最も効果があったとされるのが、「鰹(かつお)喰わねぇか」 というお誘い。

ちなみにプレゼントで、簪(かんざし)は、今で言うと結婚指輪に相当するそうで、「この簪(かんざし)はおめぇのもんだ」 というのは即(すなわ)ち、求婚の意味だったらしいです。

 

女性が男性より3歩下がるの意味は、何時(いつ)なんどき、自分の命が狙われるかも知れない、修羅場(しゅらば)を潜(くぐ)っている傾奇者(かぶきもの)が、同伴(どうはん)する女性に対し、トラブルに巻き込まれないよう配慮して言う台詞(せりふ)。

女性を大事にする男性の男気と、慎(つつ)ましやかな女性を愛(め)でている表現なので、女性に配慮も出来ず男気(おとこぎ)もない輩(やから)が言う台詞ではありません。

 

要は、洋の東西や時代を問わず、男性は女性を大切に扱い、女性を楽しませ、女性を乗り気にさせることで、女性を口説いてきたということです。

そもそも、男心や女心は、時代や人種を超えた男女の本質ですから、当たり前と言えば当たり前なわけです。

 

まずはマナーを身に付ける

 

そもそも、レディーファーストの基本となるポイントは、① 男性が女性を守る、② 女性を楽しませる、③ 女性に恥ずかしさを感じさせないの3点です。

そもそも、女性を守る気概(きがい)もなく、女性に楽しんでもらいたいと思う余裕すらない男性が、女性のことを口説こうと思っていること自体、おこがましいというもの。

 

どんなに高級な衣服を纏(まと)ったところで、マナーすら、なっていないようでは野暮と言うもの。マトモな躾(しつ)けも出来ていない、そういう家庭に育ったと思われてしまいます。

まあ家柄は替えれるものでもないので、どうでもいいにしろ、分不相応(ぶんふそうおう)と思われては、身(み)も蓋(ふた)もありません。

 

ではどうするか?

 

レディーファーストやマナーに自信がない男性は、ますは形式的でも構いませんので、まずは、テーブルマナーとレディーファーストのふたつは最低限身に付けること。

和食における箸(はし)の上げ下ろしと、洋食のテーブルマナーぐらい覚えておいて損はありません。下手な婚活や、訳の分からないセミナーに行くぐらいなら、まずは基礎から自分を磨くこと。

 

デートなどでは、女性は、男性のスマートで軽(かろ)やかなリードを待っています。

女性が期待しているのは、綿密にたてられた計画でもなければ、高価なご馳走でも、高価なプレゼントでもありません。女性がときめきを感じるような振る舞いを期待しているのです。

気持ちがこもっていれば、女性は花だけでも大層喜びますが、気持ちがこもってなければ、どんなに高価なプレゼントでも喜びません。

 

恋愛に関して言えば、それが彼氏彼女の関係であれ、夫婦であれ、不倫であれ、男性はきちんと、女性をエスコートして女性を楽しませることが出来なければいけません。

そして、男性に求められるのは、女性が楽しんでるか、楽しめていないか。その違いを観察するだけの冷静さと余裕。男性が、いっぱいいっぱいになってしまって、女性との時間を楽しめないようでは、全く意味がありません。

 

良かったら参考にしてみて下さい。