2ntブログ
2018/04/02

「くすぐり責め」 の話 (2)

前記事 「『くすぐり責め』 の話」 の続きです。

 


くすぐったい場所と性感帯の類似性

 

くすぐったい所は 「性感帯」

 

ちなみに、「エロ師」 の間では良く、「くすぐったい」 場所と、女性の 「性感帯」 の類似が話題になりますが、これは自分も実感していること。

 

「M男」 に足の指を舐められて感じる 「S女」 も居りますし、自分の愛奴の何人かは、指の股の部分や手の甲に触れるだけで 「イク」 場合もあるほどです。

但し、敏感なところだけに、「刺激」 が強すぎると嫌がられますので、一般には、十分に認識されていないのだと思います。

「性感帯」 として刺激を与える場合には、「足の裏」 や 「耳」 そして 「腋の下」 などの 「超敏感」 なポイントと、「うなじ」・「背中」・「腰」・「お尻」 などの 「背面」、そして、「膝(ひざ)」・「太もも」 は、それぞれ反応が異なるため、刺激の仕方も異なってきます。

 

「くすぐったい」 場所の傍(そば)には、動脈が皮膚の近くを通っており、「急所」 であることから、自律神経も集まっていて、外部の刺激には敏感に反応するそうですし、性感を感じる特別な受容体があるわけでもありません。一説によると、「性感」 も、「痒(かゆ)み」 や 「くすぐったさ」 と同様 「痛覚」 で感じると言われていますので、これの感覚が、「性行為」 時に 「性感センサー」 として働いたとしても、何も不思議はないわけです。

 

当初は、「鞭打ち」 や 「スパンキング」 などの 「痛い系」 のSM を否定していたはずの 「M女」 も、慣れるに従って、お尻を叩いて貰いたがる人も少なくありません。彼女曰(いわ)く、「興奮していると、痛いのも快感に感じてしまう」 とのこと。

「唐辛子」 のカプサイシンの 「辛味」 も、味覚よりも 「痛覚」 を刺激するそうです。唐辛子も、慣れていない人には、とても辛く感じますが、慣れてくると 「耐性」 が出来て来て、食べれるようになるのと、似ています。

 

極度に 「くすぐったがり」 の女性の話

 

この記事を書いていて、ふと、「かなり昔の女性」 のことを思い出しました。

 

若い頃の話ですので、もうその女性の顔も名前も忘れてしまいましたが、なんとか口説いて、ラブホにしけこむことには成功したものの、その女性は、極度の 「くすぐったがり」。ほんの少し身体に触れるだけでも、半端なく笑いだしてしまう始末。


「笑い」 が出ると言うことは、女性が自ら、緊張を緩和しているか、もしくは、性的な 「緊張」 が働かず、「くすぐったい」 という感覚に繋がってしまっているということになります。

こういう場合は、今思えば、「笑い」 が出ない程度に、もっと 「サディスティック」 な雰囲気を醸成するなど、もっと本格的に、女性を 「緊張状態」 に陥らせた方が良かったように思いますが、自分もまだ若く、女性経験も浅かったこともあり、確か最終的には行為は諦めたように記憶しています。

 

もしかしたら、若い人の方が、「くすぐったがり」 は多いのかも知れません。

 

愛撫のしかた

「くすぐったい」 部位に対する愛撫は、その女性が感じやすいタイプであればあるほど、また、センシティブなところであればあるほど、女性は反射的に、逃げようとしたり、避けようとします。

「防衛本能」 をくすぐるだけに、上手に使い分け出来るようになると、女性の本能に訴えることが出来る 「性感ポイント」 となりますが、しかし、「中途半端」 に手を出すのは禁物です。

 

動物の 「マウンティング」 ではありませんが、相手が自分に対して 「ひれ伏している」 ときや、愛情を十分に受け容れているときは 「効果」 があるのですが、相手の 「対等意識」 が強かったり、受け容れが不十分である場合は、相手を冷ましてしまう場合もありますので、事前に、十分に相手の反応を観察する必要があります。

 

まず、エロ目的であり、笑わすことが目的ではないので、刺激は 「弱めが基本」 です。

時間を掛ける場合は、触れるか触れないかぐらいの 「フェザータッチ」。また、指を押し込むような感じで、圧力強めで、「ピンポイント」 で触る場合もあります。

「撫(な)で上げ」 の場合は、触れる程度で、素早く指を動かし離します。

「触れる場所」 は勿論ですが、「触れる度合い」 と 「指を動かす速度」、そして、「タッチの時間」 を常に意識するようにします。

 

これは、「ク☆リ」 の愛撫でも同じことが言えます。男だって、いきなり息子を握られて、高速でしかも 「力任(ちからまか)せ」 に刺激されたら、痛いだけでしょう?(苦笑)

 

スローな 「フェザータッチ」 から始めて行き、全体の流れとしては、次第に頻度を増やし、刺激を強めにして行き、そして、「強い刺激」 を与えるのは最後の最後。「ラストスパート」 のときだけだと認識してくれれば、間違いありません。


女性が逃げられないように、押さえつけるよりは、女性にまずは観念させて、逃げれる状態であっても、逃げないくらいに調教しておくのが、ベストではありますが、そのような状態で、あちこちを愛撫してあげるのです。

 

やはり、女性は、優しく大事に、手玉に取ることが重要です。(笑)
 

そして、もうひとつ大事なことは、愛撫を休まないこと。

愛撫に使用するのは、「指先」、「手のひら」、「舌」 や 「唇」 を使いますが、これ以外にも、「言葉」 や 「息」 を使います。

「言葉責め」 は、「言葉」 による愛撫。「息」 を耳にワザと吹きつけながら、囁(ささや)いてみるのも悪くありませんし、ワザと低い声で喘(あえ)いでみるのも悪くありません。(^^;)


言葉で責められているときは、女性は無意識であれ、言葉を聞こうとしますし、身体に触れられると、一瞬、女性の意識は、その触れられたところに集中します。
女性を 「セ☆クス」 に集中させるためには、女性に余計なことを考える暇を与えないこと。すなわち、常に女性の意や予想に反して、刺激を与え続けることなのです。

 


くすぐったくて、お腹がムズムズするのは、一種のオーガズム?

そもそも、今回の 「くすぐり」 記事を書こうと思ったのは、「くすぐられた」 ときのお腹のムズムズと、女性が 「オーガズム」 のときに示す 「痙攣(けいれん)」 が似てると思ったから。

 

正確に時間を測ったわけではありませんが、とある愛奴の場合は、5秒間に2~3回の深い 「収斂(しゅうれん)」 を繰り返した後、その4倍律くらい。だいたい1秒間に4回くらいの感覚で、ピクピクピクと 「痙攣(けいれん)」 し出します。

 

笑ってるときの、お腹はどんな感じなのでしょう。(苦笑)

「笑う」 ときは、横隔膜が痙攣を起こしますが、笑いの場合も、だいたい1秒間に4~5回のようです。

「筋活動の計測を用いた笑いの増幅」 福島政期ほか

「笑いの波形の解析アルゴリズム」

 

「オーガズム」 とは、極度の性的緊張から解放されて起こる痙攣を伴う弛緩です。

くすぐられて、くすぐったく感じて 「笑う」 行為の場合は、「性的刺激による緊張」 ではないものの、極度の緊張から解放されて起こる痙攣を伴う筋肉(横隔膜)の弛緩ですので、「オーガズム」 と極めて似通っています。

 

オーガズムは、迷走神経を介して横隔膜を通る

 

「オーガズム」 も、最近の研究では、「ク☆リト☆リス」、「膣」、「子宮頸部」 および 「子宮」 から走る 「迷走神経」 が横隔膜を経由して胸腔を通り、脊髄の外側を介して、脳に伝わっていることが確認されています。

「笑い」 との関連性は、不明ですが、「迷走神経」 は、横隔膜にも関連しているということ。

 

女性が、「オーガズム」 の前段で、「水面が徐々に波打って来て、大波になる感じ」 とか、「腰の辺りに熱いものが集まってきて、それが込み上げて来る感じ」 とか、「波」 に例える女性が多いように思いますが、それが徐々に高じて行くと、女性は、「もう、これ以上は無理!嫌っ嫌っ!」 と言って、首を横に振ったり、顔を両手で覆(おお)ったり、泣いたりします。

これを乗り越えると、「オーガズム」 を経験できるのですが、その 「波」 の恐怖に捉われてしまうと、なかなかその最後の壁を越えることが出来ません。

 

このとき、「オーガズム」 を経験する女性は、理性の大部分は停止していますし、理性が残っている女性は、身体の痙攣は自覚出来ても、エクスタシーを感じません。

では男性は・・・と言うと、男性はこの感覚を自ら体験することが出来ませんので(ドライオーガズムを除く)、ある意味 「未知の領域」 なのですが、もし、くすぐられたときの、お腹の 「ムズムズ感」 の強いのが来るのだとすると、確かに、女性が 「嫌がる」 気持ちは、分からなくもありません。(^^;)

 

その後、大量のワサビを食べたときみたいに、頭に 「ツーン」 とした刺激が立ち昇るのでしょうか?(苦笑)

 

とある別の愛奴の子は、「中イキ」 の気持ち良さを 「ク☆リの気持ち良さなんか比べ物にならない」 と言っていました。

「オーガズム」 のときは、「ドーパミン」 やら 「エンドルフィン」 に、「オキシトシン」 やら 「プロラクチン」 など、「脳内麻薬」 がダダ漏れ状態になるそうですから、きっと 「ワサビ」 の比ではないでしょう。(笑)

 

「くすぐり笑い」 では、さすがに 「脳内麻薬」 のカクテルは、味わえないでしょうけど。(^^;)

何故か、現象の類似性がとても気になります。

2018/04/01

「くすぐり責め」 の話

前記事の 「『食』 と 『セ☆クス』 の話(4)」 では、最後に 「痒み」 の話をしました。

 

「痒み」 は、イライラする原因を排除したいのに、排除出来なくて、「焦(じ)らされている」 ような 「不快」 な感覚です。そして、これと似てはいるものの、ちょっと異なる感覚に、「くすぐったい」 という感覚があります。

「くすぐったさ」 は、心地良い感覚ではない筈なのに、何故か 「笑み」 や 「笑い」 がこぼれます。

「心地良く」 はないのですが、「不快」 というネガティブな感情ではない、不思議な感覚です。

 

 

痒(かゆ)み

 

ところが、人の皮膚自体には、触覚や圧覚、痛覚そして温覚や冷覚といった感覚の受容器は存在しますが、痒みや、くすぐったい感覚を感じ取る受容器があるわけではありません。

 

「痒(かゆ)み」 ひとつを取っても、いろいろな原因があり、一様ではありません。

アレルギーで蕁麻疹などが出ることによる 「痒み」 もありますし、空気が乾燥することによる 「痒み」 もあります。また、急に血行が良くなることで 「痒み」 を感じることもありますし、虫に刺されて 「痒く」 感じる場合もあります。

 

多くの場合、「痒み」 とは、「痛覚」 と他の感覚が混じった 「微弱」 な刺激であり、人は 「不快」 と認識しているということです。そして、その 「不快」 を感じる原因を無意識に取り除こうとする 「行為」 が、「掻(か)く」 という行動です。

 

 

「くすぐったい」 という感覚

 

では、これに対して、「くすぐったい」 という感覚は、何物なんでしょうか?

人には、特に 「くすぐったい」 と感じる場所が存在します。「くすぐったがる」 度合いは、人によって差がありますが、「わき腹」 や 「腋(わき)の下」、「顎(あご)の下側」 もそうですし、「膝(ひざ)」 や「足の裏」、「大腿骨周辺」 に、「お腹」 などもそうです。

人によっては、特に女性の場合は、「耳の周辺」 も 「くすぐったがる」 部分です。

あとは、「胸」 や 「首すじ」 もそうですし、「背中」 や 「腰」 もそうです。

 

このような場所は、動脈が皮膚の近くを通っており怪我をすると命を落としかねない 「危険部位」 であったりすることから、この 「くすぐったい」 という感覚は、医学的には、「身の危険を感じて、抵抗したり、逃げたりするために備わっている防衛反応のひとつ」 と考えられているようです。


 

この森田医師の記事によりますと、上記に加えて 「手のひら」 なども加わっています。

 

脳科学的には、「くすぐったい」 と感じ、笑ったり、笑みがこぼれる反応は、脳がその錯覚を認識して混乱している結果、と考えられているそうです。

「交感神経」 が優位に働いている場合は、緊張し、戦闘モード・臨戦態勢にあるときですから、笑いは出ません。「笑い」 が出る場合は、「副交感神経」 が優位に働いている状態です。

 

人が、リラックスしているときに、「アラーム警報」 を受け取って、一瞬は本能的に緊張するものの、それが 「誤報」 や誰かの 「いたずら」 だと知って、緊張が緩和したときに出る 「笑み」 のようなものなのでしょう。

「ドッキリTV」 などで、嵌(は)められた人が見せる 「笑い」 と同種のもので、可笑しくて笑っているわけではなく、身体の緊張を緩和させるために 「反射」 として出てしまう 「笑い」 のように思います。

ちなみに、「くすぐられると笑ってしまうのは何故? ムズムズする感覚の正体」 によると、霊長類は、ヒトと同じ所を 「くすぐったい」 と感じるそうで、チンパンジーをくすぐると、声は出さずに 「喘(あえぐ)」 ようです。
「【特別寄稿】 なぜくすぐられると笑うのか?脳内にくすぐったい場所を発見」 によると、ねずみも、くすぐられると、ヒトに聞こえない50kHz の高い周波数の声を出して、笑うのだそうです。

 

 

くすぐり責め

 

「SM」 の 「責め」 のひとつに、「くすぐり責め(Tickle Torture)」 というのがあります。

 

        「昔、”くすぐり責め” の刑なんかがあった・・・」

 

などと偉そうに言う人もいますが、調べてみると、確かに 「スペイン式くすぐり器(Spanish Tickler)」 と呼ばれる拷問器具が存在します。これは別名、「猫の肉球」 とも呼ばれるそうですが、しかし、ブツを見てみると、何とも痛そうな巨大な 「熊手」 ではないですか。(苦笑)

 

 

「くすぐり」 は、やはり、子供などが 「いたずら」 をした際に、懲らしめるための 「刑罰」。

この器具が、「くすぐり器」 という名前で呼ばれたのも、親が子に、「悪いことばかりしていると、大人になったら、あの怖い ”くすぐり器” で拷問されちゃうよ?」 みたいな感じで、お灸を据えられて、その直後に、親に腋をくすぐられていたのかも知れません。(笑)

 

 

最近の若い子の中には、「くすぐり願望」 から 「緊縛願望」 が芽生えてくる子も居たりします。その 「原体験」 的なイメージを作り上げているのが、「ルパン三世」 でも有名な、この拘束シーン。

 

 

こういう願望のある人の場合は、深層心理的には、自分では発露出来ない、自分の中にある何者かを、表に出して貰いたい・・・という欲求が隠れているように思います。

そういう意味では、「くすぐり責め」 は、SM 的には、「緊縛」 や 「拘束」 の初級篇とでも、言ったら良いでしょうか。(笑)

2018/03/30

「食」 と 「セ☆クス」 の話 (4)

ひとつ前の記事 「『食』 と 『セ☆クス』 の話(3)」 の続きです。

 

「食」 と 「セ☆クス」 の共通点。

それは、どちらも、人の 内側の 「粘膜」 に関わる感覚であり、

その粘膜が奏(かな)でる、「快楽」 であることです。

 

子は、母胎(ぼたい)という 「粘膜」 の中で命を宿し、内で育ち、

そして、子は 内側の 「粘膜」 から外界に、産み出されます。

産み出された子は、モノを口に入れ、不要なモノを外に出し、大きくなり

やがて、「粘膜」 同士を、擦(こす)り合わせるに、至るわけです。

 

粘膜と粘液に塗(まみ)れ、粘膜で外界を感じるのが、

「官能」 として 「エロ」 の原点に思えてなりません。

外皮で保護されていない粘膜ゆえに、脆弱(ぜいじゃく)だけど

刺激に敏感で繊細。

保護されていない刺激であるゆえに、「生」 と 「性」 に肉体は

歓喜に咽(むせ)び、打ち震え、痺れ、戦慄(わなな)くわけです。

 

 

鼻糞を、ほじくるのも、快感なら、

耳垢を掻(か)くのも 糞を垂れるのも 快感ですし、

鼻がむずむずして、くしゃみが出るのも快感です。

 

粘膜から出すことや、粘膜に入れることは、多くの場合、快感なのです。

陣痛など、多大な痛みを伴う出産であれ、もしかしたら、快感なのです。

何故なら、快感もしくはそれを超越した喜びなしに、

自分の身を危険に晒してまで、何故女性は子供を産むのでしょうか?

 

 

痒(かゆ)いところを、掻(か)くのは快感です。

喉が渇(かわ)けば、喉が潤(うるお)されれば快感。

お腹を空かしていれば、お腹が満たされれば快感。

無性に食べたいものがあるときには、

その食べたいものを、食べれたときに、快感を感じるのです。

 

誰しも、「理性」 など、かなぐり捨てて、

貪(むさぼ)り食いたいときもあります。

 

どうしても自分では、痒いところに、手が届かないときは

「ネコの手」 ならぬ 「孫の手」 でも借りたくなるのが、人心というもの。

 

痒(かゆ)いからこそ、掻きたいのです。

 

ちなみに、痒いところを掻く 「孫の手」 は、

仏教用語では 「如意(にょい)」 と言い

西遊記の孫悟空やドラゴンボールでお馴染みの 「如意棒」 は、

 

「痒いところに手が届く」 存在。

 

「孫の手」 という説も、「持ち主の意によりサイズも自由自在」 ということで

「男性器」 を表す、という説もあるようです。(笑)

 

 

 

痒いのに掻けない人は、

案外と、皆で、美味しい物でも持ち寄って、

痒いところを、お互いに、掻きあってみるというのも

また、「乙(おつ)」 かも知れません。(笑)

2018/03/29

「食」 と 「セ☆クス」 の話 (3)

前回の記事 「『食』 と 『セ☆クス』 の話(2)」 の続き。

 

***

 

「食」 と 「セ☆クス」 の官能

 

「食」 と 「セ☆クス」 の 「官能」 を、どうやって表現すれば良いのでしょうか?(笑)

 

本当に美味しいものを食べたとき、身体全体が痺れるような 「快感」 を感じます。

確かに 「見た目」 でも、「食欲」 はそそられますが、やはり、そこは、「見た目」 だけではなく、

 

「鼻」 で感じる、「匂い」 と 「香り」。

これらが、口の中に広がる 「味」 と合わさり、

そこに、噛んでいるときの 「歯応(はごた)え」 や 「歯触(はざわ)り」、

そして、「喉(のど)」 を通過していくときの 「喉越(のどご)し」 と呼ばれる感覚が

集まった、ひとつの 「ハーモニー」。

 

「味」 ひとつを取ってみても、「甘味」、「辛味」、「酸味」、「塩味(えんみ)」、「苦味」 と多様ですが、これにいろいろな 「蛋白質(アミノ酸)」 などの 「旨味」 や 「脂質(脂肪酸)」 のコクなどが加わります。

 

これを噛んで、消化しつつ、その 「振動」 と 「音 」 を味わい、「鼻」 で、「匂い」 や 「香り」 を味わい、そして 「舌」 と 「口」 そして 「喉」 で味わうのが 「食事」 です。

 

美味しい 「食」 は、まさしく、「快感」 であり、「官能」 です。

 

***

 

そして、「セ☆クス」 もそう・・・。

 

食事を作るのが面倒で、在り合わせで済ませるのは、「セ☆クス」 するのが面倒だからと、自分で 「チャチャッ」 とする、「オ☆ナ」 と一緒。

「空腹感」 を満たすためだけの 「行為」 と言えます。

 

「美味い」 食事もありますが、世の中には 「不味い」 食事もあるように、上手い 「セ☆クス」 もあれば、下手な 「セ☆クス」 もあります。

「味」 に 「五月蝿い」 ヤツも居れば、「味」 には全く固執しない人も居ます。

 

そして、常に、「贅沢三昧」 している人は、「美味しい」 食事であっても、その 「感動」 や 「有り難味」 は薄れます。

どんなに美味しいものでも、連続すれば、「飽(あ)き」 が来ます。

むしろ、なかなか食べれないからこそ、「食べれた」 ことに対して 「感謝」 の気持ちと 「歓喜」 の気持ちが湧(わ)いたりするのです。

 

「上品」 なものばかりでは、人は満たされません。

 

たまには、「ジャンク」 も食べたくなりますし、「ノスタルジー」 をそそる食べ物も必要です。

 

そして、「もう、食べれない!」 と思うと無性に食べたくなるのが、人間です。

 

***

 

昔、公園に自転車で来る 「紙芝居屋」 のおっちゃんから買っていた、あの懐かしい フワフワの 「煎餅」 に付ける、あの 「梅ジャム」 も、高齢化で、「製造元」 が仕事をたたんでしまったようです。

 

***

 

10代の若い子も、良ければ、20代の子の良さもあります。

三十路、四十路、五十路の良さも当然あります。

それぞれに良さがあるのです。

 

美味しい 「懐石料理」や 「フレンチ」 に、「舌鼓(したつづみ)」 を打ちつつも、

下町の情緒溢れるところで、「大衆料理」 を皆で喰らうのも楽しいし、

「ジャンク」 な食べ物や、「駄菓子」 を食べたくなるのが 「人間」 なのです。

 

***

 

自分は、お客さんに 「『毎日』 食べに来て下さい・・・」 とは、決して言いません。

 

一週間に何度も、足しげく通ってくれる 「お客さん」 も居れば、月に1回でも、通ってくれるお客さんも居ます。

自分の店を、愛しているお客さんに、感謝において、隔たりはありません。

何故なら、そうやって、足しげく通ってくれるお客さんの 「存在そのもの」 が、嬉しいのです。

 

人の関係も 「一期一会」 なら、「レストラン」 や 「飲み屋」 といった、

「店」 と 「客」 の関係も、「一期一会」 なのです。

 

***

 

「お店」 と言うものは、「朴訥(ぼくとつ)」 かも知れませんが、常に 「ベスト」 を尽くして、「お客」 を受け入れ、そして、「お客」 に ”美味しいもの” を味わって戴きたい。

 

「お店」 も、「ビジネス」 や 「生活の糧」 としての側面もある以上、「経営の連続性」 は重要です。

しかし、その 「味」 を提供することが、その 「お店」 の 「価値」 であり、そして 「存在意義」 であったりするわけです。

 

「飲食店」 は、「商品」 の対価として、「おじぇじぇ」 だの 「銭っこ」 を戴き、そして、

「サービス」 の対価として、「美味しかったよ♪」、「ご馳走さま♪」 という、お客さんの 「言葉」 と、満足気な 「笑顔」 を戴いて、なりわっているのです。

 

***

 

どうしても、「職人」 としての、「プライド」 が邪魔してしまって、いけませんが・・・ (^^;)

 

「カウンター」 を隔(へだ)てた、「店」 と 「客」。

お互いに仲は良くでも、しかし、お互いに分かり合っているようで、分かり合えていない 「存在」 なのかも知れません。(苦笑)

 

 

「S」 と 「M」、「男」 と 「女」 も、そんなもんかも知れません。wwww

2018/03/27

「複数プレイ」 の真骨頂

前記事 「『複数プレイ』 ふたたび」 の続きです。

 

運営さんっ、見て見てっ! 許して貰えるように、こんなに頑張りまスタ!笑

 

「複数プレイ」 とは?

 

「複数プレイ」 は、純粋な 「SM」 と言うよりは、「変態的行為」 の一種。

ですので、「ス☆ワッピング」 だとか、「乱☆交」 だとか、あるいは、「相互鑑賞」 だったり、「温泉の混浴」 だったり、それだけの 「マニア」 の人達がたくさんいる世界です。

 

これらは、両者が 「立ち会う」 場合ですが、「立ち会わない」 場合も入れると、古くからある、愛奴の 「貸し出し」 や、最近流行り?の 「NTR」 と略される、「寝取り」、「寝取られ」 あるいは 「寝取らせ」 系も、この派生形と言えます。

 

(1) ワイワイガヤガヤ - 喜びと性的嗜好の共有

 

これらの基本にあるのは、対外的には、友人や仲間などと 「性的嗜好」 を共有する、「ワイワイガヤガヤ」 的な交流です。

これは、ある意味、飲み屋で美味しい 「つまみ」 や 「酒」 を、仲の良い知り合いと共有する感覚です。「喜び」 や 「感覚」 の共有という感じでしょうか?

 

ただ、これだけでは、ありません。

 

(2) 愛と興味と嫉妬の増幅

 

もうひとつは、カップルで参加したり、あるいは、自分の相方を提供する、もしくは、提供される側の間の、「ふたりの世界」 の話です。

 

まず、「カップル」 に取っては、二人でお互いに愛することは 「日常」 であるのに対して、「複数プレイ」 は 「非日常」 であるということ。

 

そして、普段の 「セ☆クス」 は 「当事者のみ」 の関係にありますが、「複数プレイ」 の場合は、「第三者の視点」 が生じる点が、一番大きいように思われます。

 

ビジュアル的に 「見える」・「見えない」 は、「遊び方」 にもよりますが、第一人称としての 「自分」 が見る相方と、第三人称としての 「自分」 から見る相方は、当然、その見え方が異なります。

 

        「自分とのときは、いつもこうなのに、

         他の人とは、こんなことしてる・・・」

 

二人でしているときは、特に女性は、行為をビデオで録画でもしない限りは、自分のことを観察できません

自分の相方としている他の女性を見ることで、自分をイメージすることが出来るようになります。

また、第三者目線から見ることで、今まで気が付かなかった 「新たな相方の姿」 に気が付くこともあったりします。

そして、一番大きいポイントは、男性の視点であろうが、女性の視点であろうが、自分の相方の 「行為」「反応」 に対して、否応(いやおう)なく、注意が注(そそ)がれる、ということです。

そして、そこに生まれる感情は、人によって異なりはしますが、相方に対する 「新たな興味」 であったり、「嫉妬」 であったりします。

 

 

SM の観点からみた 「複数プレイ」

 

SM の場合は、この 「嫉妬心」 を調教するために、愛奴と同性の人を招いて 「複数プレイ」 を用いる場合もありますし、異性を招く場合は、「恐怖心」 を克服させるためであったり、あるいは、主に対する 「忠誠心」 を深める意味があったりします。

女性が 「M」 の場合、男性二人女性一人の 「複数プレイ」 である 「MMF(Male Male Female)」 と、男性一人女性二人の 「複数プレイ」 である 「FFM(Female Female Male)」 とでは、「精神的な意味合い」 が異なってくるということです。

 

 

性的願望としての 「複数プレイ」

 

(1) 女性に隠された願望

 

女性は、「相方の男性には、まず絶対に言ったりはしない」 ものの、一生のうち一度くらいは 「二人(複数)の男性にされてみたい・・・」 という 「性的な願望(ファンタジー)」 を持っていたりするものです。

ただし、女性は 「怖がる動物」 ですので、怖い思いは絶対にしたくありませんし、キライな男には触れられるのも、絶対に嫌な動物なので、実際は、「複数の男性」 とは言っても、自分が惚れていたり、あるいは、自分が認めた男性に限定されるところが、現実問題として、難しいところです。

 

(2) 男性の願望

 

そして、男性の願望と言えば、やはり、複数の女性による奉仕ではないでしょうか?

「男性自身」 は、基本1本しかありませんので、どのように複数人で絡んでも、女性のアソコに挿れる場合は、同時に複数の女性に挿れることは出来ませんので、他の女性は待つ以外にありません。

しかし唯一、複数の女性同士が対等になるのが、この奉仕のときな訳です。

男性が 「S」 の場合は、「支配欲」 が満足されますし、男性が 「M」 の場合は、「被虐意識」 が満足されるフォーメーションと言えます。

 

但し、この場合、前者の場合の女性、そして、後者の場合の男性は、「他者目線」 は味わうことが出来ません。

両方味わうことが出来るのは、4名以上の 「乱☆交」 のみと言うことになります。

 

 

「ス☆ワッピング(夫婦交換)」 にみる 「複数プレイ」

 

「嫉妬心」 から、「自分の相方が、他の異性としてるのを見るなんて、無理!」 という人は多いと思います。

正直な人は、自分が 「浮気」 するのは ”許される” けど、自分の相方、もしくは、自分の好きな人が 「浮気」 するのは ”許せない” と言ったりしますが、人間はそもそも、そういう 「自分勝手」 な存在なのです。

 

しかし、「嫉妬心」 に駆られてしまう人は、「プロバイダ(提供者)」 として 「複数プレイ」 に参加することは出来ません。


SM に興じている 「S」 であっても、「嫉妬深い人」 は居ますので、「複数プレイ」 が出来る、出来ないは、基本、「嫉妬心」 をコントロール出来るかどうか。そして、「嫉妬」 をしてでも、「複数プレイ」 をしてみたいと思うかどうかにポイントになって来ます。

 

では、「ス☆ワッピング」 に参加している 「カップル」 や 「ご夫婦」 は、どのような意識でいるのでしょうか?

それは、「複数プレイ」 に参加する同性を、単なる 「道具」 として見れるかどうかに掛かっています。
「複数プレイ」 の 「参加者」 に対しては、かなり失礼な 「表現」 ではあるのですが、「ス☆ワッピング」 に参加する 「ご夫婦」 であれば、中心は、あくまでも 「自分達」 であり、そこに如何なる人が入り込んで来たとしても、「自分達の関係は一切揺(ゆ)るがない」 と確信しているのです。
むしろ、その確信を得るための 「余興」 もしくは 「プロセス」 として、「複数プレイ」 を認識している方達もいらっしゃるかも知れません。

あくまでも、「自分達二人が、燃え上がるための ”スパイス”」 として、「複数プレイ」 を利用されているのです。
ですので、パートナーを交換したとしても、自分の相方のお相手は、「肉体としての ”おもちゃ”」 くらいにしか認識していないのです。
そして、二人の間に芽生えた 「嫉妬心」 は逆に、お互いの関心を高めると同時に、肉体的な関係にも、常に 「新しい刺激」 を与えているのです。
「ス☆ワッピング」 の真骨頂は、むしろ、「複数プレイ」 にあるのではなく、「複数プレイ」 で得られた刺激を、二人の世界で利用することにあるわけです。
 

 

「複数プレイ」 の心理学

 

こういう学問があるわけではありません。自分で勝手に付けた名前ですが、「複数プレイ」 には大きく二つの法則があります。ひとつ目は、「吊り橋(つりばし)効果」。これは実際にありそうな名前ですが(笑)、ふたつ目は、「青い芝生(しばふ)効果」 です。

 

(1) 吊り橋効果

 

これは、二人で 「吊り橋を渡る」 という体験を共有することによって、吊り橋を渡るときの 「ドキドキ感」 を、二人が 「恋愛」 しているときの 「ドキドキ感」 と、錯覚してしまう、という 「現象」 ですが、「複数プレイ」 における 「ドキドキ感」 も、これと近いものがあります。

 

夫婦で参加される場合、特に大事な原則は、二人の間で 「隠し事」 をせず、常に二人で参加されるということです。

そして、自分のパートナーが気持ち良くなることは、伴侶たる自分としても望ましいと思えるようになること。

とは言え、皆さん人間ですから、「嫉妬」 がなくなるわけではありません。

しかし、その 「嫉妬心」 とは、自分の パートナーに対する 「愛情」 の裏返しであり、「執着」 なのです。そして、その 「嫉妬心」 を 「二人の関係」 にプラスに活用していくのが、「ス☆ワッピング」 なのです。

 

旦那や奥さんの 「浮気」 などの場合、浮気相手の名前を聞けば、相方の人は、「嫉妬心」 から 「不愉快」 な感情しか出てこなくて当たり前です。

しかし、「ス☆ワッピング」 の場合は、双方とも、参加した当事者であり、そして、相方は、お互いに 「第三者」 に位置付けられるわけです。

当然、「ス☆ワッピング」 の後は、多くの場合、二人の中に芽生えた 「嫉妬心」 から、「痴話喧嘩」 に発展するわけですが、「ス☆ワッピング」 という 「吊り橋」 的な 「臨場感」 も相(あい)まって、

 

        「アナタったら・・・

        あのときは、アソコをあんなに大きくしちゃって、

         そんなにあの奥さんの ○○ が、○○ だったの?」

 

        「そういうお前こそ、『あんっ、あんっ』 あんなに声を出しまくって、

        あんなにイヤらしく、腰を振っていたじゃないか?

         そんなに、あのくそ旦那の ○○ が良かったのか?」

 

ではありませんが、第三者目線での相方に対する 「挑発」 が 「スパイス」 となって、お互いの 「性欲」 を、刺激し合うことになるわけです。(笑)

 

(2) 青い芝生効果

 

人は兎角、他人の芝生は、青く見えるものです。

 

確かに、常に四六時中、生活を共にしているわけでもないので、実際に、隣の家の芝生は、余程のことがない限りは、青かったりします。余所の家の 「良い所」 しか見えなくて当たり前なのです。
 

理性では、自分の相方こそが 「ベスト」 と思って皆、結婚するわけですが、しかし、自分の欲しいものが全て、手に入るわけではありません。

世の中に 「完璧」 な人はいません。自分のパートナーが、結婚するのには 「ベスト」 であったかも知れませんが、全てにおいて 「ベスト」 ではありません。

 

「性欲」 も、「食欲」 や 「睡眠欲」 と同じく、人の基本的な生理的欲求です。

「性」 に飢えていたら、満たしたいのが人間です。

他人の意思に反して、無理強いしたり、相手の自由を奪ったりすることはいけませんが、誰にだって、”気持ち良くなる” 「権利」 はあるわけです。

 

理性では、自分の庭こそ、一番青いと思っていても、人は弱い存在なので、それを確信したくなるのです。

「青い芝生」 は、お腹が空いてるときの、鰻(うなぎ)屋や焼き鳥屋から立ち上る煙のようなもの。あるいは、中華料理屋に漂うスープの匂いだったり、蕎麦屋に漂う出汁の香りのようなものです。

 

人は弱い存在であるから、男であれ、女であれ、「浮気心」 は必ずあるのです。

どんなに聖人ぶっても、理性があっても、人の恋心は、止められないものです。

人間に最も近いと言われる、類人猿の 「ボノボ」 は、「ゴリラ」 みたいに一夫多妻制でもなく、「チンパンジー」 のように一夫一婦制でもなく、「乱婚」 と言われています。

 

ある意味、二人の関係を 「毀損(きそん)」 することなく、それぞれの 「浮気心」 を満たすのが、「ス☆ワッピング」 とも言えるのです。

その証拠に、「ス☆ワッピング」 に参加される 「ご夫婦」 は、いつもラブラブ です。(笑)

お互いに隠すことなく、「青い芝生」 かどうかを確認することによって、「ス☆ワッピング」 に参加される 「ご夫婦」 は、常に二人の間に 「オープンな関係」 を築き、悪魔の囁(ささや)きとも言える 「浮気心」 を封じ込めているわけです。

 

 

「複数プレイ」 のススメ

 

未経験の人から見ると、「変態の極地」 とも思える 「複数プレイ」 ではありますが、実際にやってみると、単に 「裸の関係者」 が増えるだけで、それこそ、「混浴の温泉」 の延長線上にあるような感覚。実に何てことない感覚を覚えるはずです。

 

ご夫婦で、興味がある方達の場合は、「ス☆ワッピング」 であれ、「乱☆交」 であれ、まずは、「相互鑑賞」 から入られるのが、良いように思いますし、一般的です。

「ス☆ワッピング」 マニアの人に言わせると、「相互鑑賞」 なんて、交換してないんだから、

 

        「そんなの、ス☆ワッピングじゃねーっ!」

 

とか言う人もいますが、誰にでも 「はじめて」 はあるものです。

心細さや心配は、誰にでもあるというもの。女性の、そういう気持ちに寄り添ってあげるのも、男性の努めです。

自分達の秘め事に、他人という第三者の視点が入るだけで、「非日常」 を味わうことが出来ますし、まずは、「混浴の温泉」 の延長線上にある 「何てことない感覚」 を理解して貰えると思います。
 

未経験者の方にとっては、かなりの 「変態行為」 に映るかも知れませんが、「複数プレイ」 は、「夫婦仲」 を保ち、「セ☆クスレス」 に陥(おちい)らないための、「エッセンス」 とも言えます。

 

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ハプバーなど不特定多数の場に出入りされている方は、ご遠慮願いますが、男女を問わず、「複数プレイ」 に興味のある単独さんやカップルさんが居たら、仲良くなりたいもんです。♪