2ntブログ
2016/02/28

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ

最近、ちょくちょく、この映画のタイトルが話題にのぼる。
以前、ブログを介して興味をもったという女性と話をしたときも、「B 子」 の話に絡め、この 「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」 の話になったりした。

日本では、2015年2月13日公開。今からちょうど一年位前の映画。
その女性も、この映画を見たらしく、自分がブログに書いてあるような内容が事前に解かっていたら、もう少し楽しめた・・・みたいなことを言ってくれた。
ある意味、最大級の賛辞であるのだけれども、残念なことにそのときまで、自分はこの映画のことを全く知らなかった。(苦笑)


昨日、ふとそんなことを思い出しながら、この映画のことを調べてみた。

この映画の原作は、同名の小説。原作の累計部数は1億部とのこと。かなりのボリュームである。
この映画の原作者である EL ジェームズはイギリス生まれの主婦。この作品はネットでの投稿がベースになっているらしい。それまでの本を書いたり、ライターの仕事をしていた訳ではないというのがすごい。
イギリスというと 「ハリーポッター」 を思い浮かべてしまうが、SM モノとなると思わず 「スパンキング」 というキーワードも連想してしまう。(笑)

「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Grey)」 は、直訳すると 「グレイ氏の 50 のかげ」 みたいな感じか。既に早川文庫から、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」 というタイトルで邦訳版が出ているためか、映画の邦題は書籍と同じ名称となっている。

これに続いて、「フィフティ・シェイズ・オブ・ダーカー(Fifty Shades of Darker)」、そして、「フィフティ・シェイズ・オブ・フリード(Fifty Shades of Freed)」 が、フィフティシェイズシリーズの第2弾・第3弾として続くらしい。

グレイ氏という名前に 「灰色」 を掛けているのが、アリアリしてしまっている。その後に、Darker とか Freed とか続くと、「闇」 とか 「解放」 とかを連想してしまう。(笑)

まだ昨日の今日なので、当然ではあるが、映画も原作も見ていない(苦笑)
一通り、映画や小説の記事を覗き見しただけ。
もしかしたら今後、映画を見たり、あるいは、原作を読む機会もあるかも知れないが、今回はこのまま、映画も小説のさわりも読まないまま、思いついたことを書いていくことにする。


「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」。ストーリー的には、完全な SM ネタ。
奴隷契約書も、プレイの内容もプレイ中の心理描写も全て、SM ネタである。

いろいろな人の書評なり、映画の感想を読んでみたものの、皆さん、自分なりに受けたインパクトを解釈し、一生懸命表現しようとしてはいるものの、SM に対する知見に乏しいせいか、迷走しまくってる感の強い書評が多い。(笑)

映画のプロモーションのコピーは、ビジュアルにかもし出す 「雰囲気」 が売りなので、富豪とまだ性的経験のない女子学生の非日常的なロマンス・・・みたいな感じで売り出したい感じである。(笑)

一方の原作(小説)の方は・・・と言うと、キスするまでに 100ページもかかる・・・みたいな、女性の触感や心のドキドキ感を煽(あお)る 「焦(じ)らし」 満載の官能小説っぽい(笑)

ダブルのベッドで隣でアイマスクをして寝てる、あるいは、イビキを搔(か)いて寝てる旦那を尻目に、脚をもじもじとよじらせながら、あそこを濡らして、ページをめくる主婦にとっては、イケメンで金持ちの男と、処女で奥手な女子学生というのも、非日常的な組み合わせであり、小説の世界に移入しやすい人物設定だったのかも知れない (笑)

やっぱりミリオンセラーになるだけあって、本質はここにありそう。笑

あとから知ったのだけど、この小説。この映画の原作となる作品を書くキッカケは、バンパイヤの青年と人間の女性の間の恋愛を描いた 「トワイライト」 の二次創作から始まっているとのこと。
イケメンの青年と処女の女性というキャラクター設定は、狙ったものではなく、「トワイライト」 から映画のイメージがそのまま引き継がれている・・・ということらしい。
そうなると、イギリスの作風で、上流階級の環境で育った青年実業家が S という、多少違和感を覚えるような設定になってしまっていることも、理解できなくもない。

女性を惹きつけるファンタジーの要素はそのままに、それをよりリアルでエロチシズム満載の SM の世界にマッピングしているのであるから、まあ、女性が喰い付くのも無理はない。笑


この作品。原作者がイギリス出身と聞いて、真っ先に思い浮かべてしまうのは、やはり、「スパンキング」 である。(笑)
特にイギリスの上流階級の躾けは厳しいので、実際には、そこで自分の M 性に目覚めてしまうひとが出ても、全然不思議でも何でもない。

イギリスと日本の類似性。それは 「お尻叩き」 である。

今でこそ、虐待あるいは性的虐待的な性向ともとらえられないことから、教育現場からは姿を消していると思うが、教壇の前でパンツをズリ落とされ、人前でお尻を叩くみたいなことは、かつての昭和の時代の日本の教育にはあったし、それで ”恥ずかしい” という感覚を 「パブロフの犬」 的に植え付けられていた側面もあった。

日本の場合、躾けに厳しい家庭では、箸の使い方がまずいだけで、竹の物差しで 「ペシッ!」

まあ、時代に対するノスタルジー的なものも多少はあるものの、イギリスの場合も、日本に近い 「躾け」 や 「羞恥」 みたいな伝統が残っている。
イギリスの場合は、アッパークラスやアッパーミドルと呼ばれる人達や、寄宿舎などがある私立学校に入れている家庭などは、ナニー(nanny)と呼ばれる家庭教師にマナーなども厳しく躾けられる。

イギリスの場合、スープを音をたててすするようなことがあったら  「ペシッ!」

ちなみに、スパンキングは上流階級に限らず、イギリスの家庭では一般的である。

この辺りをイギリスの 「騎士道精神」 と、日本の 「武士道精神」 を対比して説明するひともいる。これは、どちらも島国であり、その土地からは簡単に逃げることが出来ないという状況下で、それが、そのような精神文化を作り上げる大きな要因になっているという考え方である。
騎士道精神であれ、武士道精神であれ、その精神を教え込むためには当然、子供の時分に躾けが大事。日本でもイギリスでも、これは武家や名家の慣わしであったというもの。

そういう要素が全くなかった・・・と否定や反証するのは、なかなか困難であるが、少なくとも、今の日本の 「尻叩き」 はイギリス由来のものと考えるほうが自然。

明治政府は、大日本帝国海軍を開設するにあたり、兵式をイギリス式に定めてダグラス教官団を招聘(しょうへい)している。
九尾の猫鞭(Cat O' Nine Tails)も、そもそもは、イギリス海軍における少年兵の懲罰用の鞭。
元は大英帝国領であったマレーシアやシンガポールには、今でも、英国統治時代の鞭打ち刑が残っている。
日露戦争における日本の勝利で、極東の小さな島国に過ぎなかった日本という国が世界で大きな脚光を浴びることになる。
家庭でお尻をむき出しにしての 「スパンキング」 も、海軍様式であるイギリス様式が日本の明治の文化に溶け込んだものと理解するほうが、より自然である。

バブルが弾ける前くらいまでは、「両親にさえ、手をあげられたことなんて、今まで一度もないっ!」 なんて台詞が 「お嬢様?」 の口をついたりしたものであるが、これは自ら、自分の家庭が ”成金” あるいは ”成り上がり” であると言っているようなもの (苦笑)

時代は絶えず変わっているし、DV が良くないことであるのは当然のこと。しかし、DV と躾けの区別がつかずに、暴力を振るうのも良くないのと同様、躾けもせずに放任というのも考え物。
宿題をやらず、学校で恥をかくのは自分の勝手だけど、「自己中」 は、社会性欠如の原因ともなり、大人になってからでは手遅れで、なかなか治らない。


この作品に、スパンキング的要素がどれだけあるのかは解からないが、バンパイヤと人間の女性の間の愛を描いた 「トワイライト」 の二次創作から始まったという点は面白いし、大変興味深い。

そもそも、バンパイヤは 「捕食者」。女性は 「被食者」 すなわち 「食べられる側」 であって 「捕食者の獲物」 に過ぎない。
しかし、そこに愛が目覚めたことによって生まれた新たな関係が 「トワイライト」 なわけであるが、それを現代の 「SM の世界」 に結びつけるところが実に適切というか、的を射ている。(笑)

加虐の究極は、被虐者の死を意味する。従来のバンパイヤを、精神学的に言われている病的な 「加虐性淫乱症」 患者とするならば、ある意味 「トワイライト」 におけるバンパイヤは、人間の血をすすらず、動物の血で生き延びているという点で、被食者側である女性にとっては、自分に危害を加えない捕食者。
現代の SM における S (加虐性愛者)に極めて近いわけである。

理屈で説明すると頭では納得するものの、身体ではなかなか理解できなかったのが、この SM のパラドックスである。
被虐性向者は、自分の安全が確保されていることを実感しないと、なかなか相手に自分を委ねられない。そこには信用と信頼だけでなく、「相手を大事にする気持ち」 がないと、「主(ぬし)」 としては受け入れて貰えないのである。

ある意味 SM を実際に経験している人であっても、解かってやってる人と、そうでない人がいるくらいなので、作者本人が、それを知っていて書いたのか、それとも 「トワイライト」 からインスパイアされての「偶然の産物」 だったかは分からない。
しかし、その部分が、ある意味 SM のエッセンスであるだけに、それに反応した女性が、これだけ世界中に多く存在することは、ある意味驚きである。

バンパイヤを 「性的加虐者」 である S (ドミナント)に、内気で風変わりな女子高生を 「性的被虐者」 である M (サブミッシブ) に見立ててるあたりは、ある意味、折角の 「トワイライト」 の ”お伽話的要素” を剥(は)ぎ取ってしまってる・・・みたいな残念感はあるものの、しかし、むしろ純化させたとも言えないわけではない。


この映画に魅了されたという女性は、どのくらいいるのだろうか?

まだ、映画も原作も読んでいないが、話を聞いてみたいものである。笑
2016/02/25

【縄05】 逆海老縛り

両腕を縛り、これを脚を縛ったものと、身体の背中側でまとめた縛り方全般を、海老とは逆の方向に反っているように見えることから、「逆海老縛り」 と言います。

後ろ手縛りの胸縄に、足首を縛った縄を接続するのが一般的ですが、腕を後ろ手の直伸縛り(後ろ手一本)にしたり、前手に縛った手を頭の上から背中方向に落すような感じで 「諸手(もろて)上げ」 にして足縄に繋げたり、脚も直伸(脚一本)に縛ったり、胡坐(あぐら)に縛ったり、いろんなバリエーションのある縛り方です。

一説によると、アメリカのホッグタイ(Hogtie)と呼ばれる縛り方の影響を受けているという説もあります。
ホッグタイは、四本足の動物を捕獲したときに、手と足をそれぞれ結び、それを前方で、手と足をくくりつけることを言います。ホッグ(Hog)とは英語で 「丸々太った食べ頃の豚」 のこと。
日本語に直訳すると 「豚縛り」 みたいな感じになります。(笑)
豚や四足動物の場合は前で縛られるのに対して、人間の場合は、背面で縛られます。
ホッグタイの場合は、腕は後ろ手一本に縛られて、足首に縛り付けられるのが一般的です。
背面で肘(ひじ)が伸びきった状態で縛られ、この腕(うで)が、膝(ひざ)を折り曲げた形で、足と一緒に縛りあげられるので、確かになかなか、縄をゆるめづらい縛り方と言えます。

この縛り方は、逆海老状態になり、股間が全面に押し出される形になることから、女性は、股間に力を入れることが出来ず無防備になります。
SM における逆海老の効果は、その辺にあると思っています。

上級者が手際よく、M 女を逆海老の状態で吊(つ)ったりするのは、見ていても圧巻です。
無作為にやっているように見えますが、必ず支点を作っては、体重を移動させるような感じで吊っていきます。しかし、縄にはかなりの重量が掛かりますので、勢いをつけるところは勢いをつけて、思いっきりやらないと、持ち上がるものも持ち上がりません。

吊りは、縄が切れたり、落下したりみたいな危険もありますが、バランスを崩したり、縄が滑(すべ)って、すっぽ抜けたりして、身体を捻(ねじ)っただけでも、脱臼や筋を違えたりする危険があります。
ですので、知識や経験もなく、面白半分で、ふざけては決してやらないこと。
自分ももうかなり忘れています。今となっては、吊りが出来る場所や機会が少ないこともありますが、そもそも、そこまで高度な吊りに熟練しているわけではありません。
今は、吊りを教えてくれるスタジオや講習なんかも、いろいろとあるようなので、興味のある方は、そういったサービスを利用するのも、ひとつの手だと思っています。


ちなみに、以下の写真は、這い這いのカタチをしたミニキューピを、逆海老に縛ったもの。
手も脚も可動しないタイプなので、けっこうガッツリ後ろ手に縛りあげてあります。
「縄」 ならぬ 「紐」 は、麻紐です。(笑)


 



 



 

2016/02/24

ストラップにしてみる

緊縛キューピーもいよいよ 「仕上げ」 の段階です。
ミニキューピーを縛るだけでも、十分楽しめますが、やはり、ここは携帯用のストラップくらいには、仕上げたいところ。

ストラップにミニキューピーをどう接続するか?

実はいろいろと悩んでいたのですが、市販のミニキューピーで、チェーン付きで販売されているものを入手して調べてみたところ、単に 「ネジヒートン」 と呼ばれる木ねじ式のものが、頭に刺さってるだけ。
キーホルダーやストラップと、どんなに強く接着したところで、首は可動するので、強い力が掛かれば、首から胴体ははずれてしまいますので、そこまでの耐久性は 「想定外」 と言ったところでしょうか?

これ以外にも、つぶし玉とか、ネジ式で両側からはさみ込むタイプのカツラ(ネジ式カツラ)、それから、ピン型のものや紐留めなど、いろいろ用意はしてみましたが、結局、この 「ネジヒートン」 と、フックの付いたストラップ用の紐の組み合わせが一番シンプルで実用的。

と言うのも、5 cm のミニキューピーの場合は、ストラップや根付紐の輪の部分にミニキューピーを通すことができないためです。
携帯やスマホにストラップを通そうとすると、どうしても一度、ミニキューピーをストラップから外すしかない。その場合は、丸カンだと、なかなか手間が掛かりますが、可動フック式のものなら比較的簡単なためです。

今までに縛った 「奴隷ちゃん」 も .....

 

こうしてストラップにしてみると、なかなか壮観です!笑


 
2016/02/23

7 周年限定エリアで、ドエムちゃんを探す

【ピグ限定】7周年限定エリアもういった? ブログネタ:【ピグ限定】7周年限定エリアもういった? 参加中

ピグ 7 周年おめでとうございます ♪
7 周年記念エリアもそうですし、雪山や魔女そして廃病院なんかもそうですけど、大勢が参加して出来るゲームというのは面白いですね。
ピグの良さは、たまに 「ドキッ!」 とするようなキレイな光景を目にすること。
アイランドなんかは、もう、イベントもなくなって久しいですけど、あそこはかなりそういうところに凝っていたように思います。
7 周年記念エリアの場合は、やっぱりココ。

 

Somewhere over the rainbow ♪♪♪

ではありませんが、思わず SHOUT したくなっちゃいます (笑)
2016/02/20

やっぱり麻縄? [追記]

昨日、出かけた序(つい)でにユザワヤで、キューピーとストラップ用の根付紐を買い込みました。

3.5cm のミニキューピーは、ユザワヤも在庫があるので、確認してみましたが、やはり胴体の部分は 1cm あるかないか。(> <)
手も足も動きませんし、緊縛キューピーには、かなりキツイ感があるのですが、しかしサイズ的には、ストラップにはちょうどいいのも確かなので、挑戦用に 3.5 cm も買い物カゴに放り込みました。

あとは、まだ試してみていない数種類の糸。

ひとつは、ポリエステル製の 「ライフコード」 というちょっと上品な紐。あとは刺し子糸と、麻紐もあったので、これも試しに購入してみることに。
クロススティッチなどに良く用いられる DMC の刺繍糸は、寄りがあまく、解(ほつ)れが出て、縛り辛そうなのであきらめました。

今日、空き時間に使ってみたのは勿論、最後に見つけた麻紐。(笑)

糸なので、そんなに 「ごわつき感」 はありませんが、ちょっと毛羽立っていたので、「馬油」 ではなく、NIVEA のスキンミルクを使って、麻縄よろしく鞣(なめ)します。(笑)

亀甲は、前回で疲弊(ひへい)したせいか、かなり 「やる気」 が失せているので、今回は、菱縄に留(とど)めることに。
菱 2個と股縄の部分を吊り上げた部分で、菱が 3個あるように見えますが、実質は 2.5 個。(笑)

 
  
実際に、麻紐で縛ってみると、麻縄に近い縄目と、麻縄に近い鈍い光沢が、なんともたまりません。(笑)
緊縛のがっつり感をだすために、そのまま脚も縛っちゃいました。(笑)

背後から見ると、こんな感じです。

 

キューピーのケツが、結構いやらしい (笑)
股縄の部分に通した横縄は、ビートたけしの 「コマネチ!」 ではありませんが、鼠径部を通して、V 字に上げると美しく見えるのですが、ウエストのないキューピーは、引っ掛かりがないので、首縄に通して固定しています。

脚の部分は、多段に折り返してあります。
これを前方から、輪に通すような感じで、数珠(じゅず)風に編(あ)んで、「梯子(はしご)縛り」 風の飾り縄に仕上げてみたかったのですが、前方から見ると、もう、こんなに 「ぐるぐる巻き状態」 だったので、今回はこれで良しとすることに。

 

しかし、麻縄ならぬ麻紐も、なかなか味わいがあります。(笑)

折角ユザワヤに行ったのだから、序でに、写真撮影用の背景に使えるような小洒落た色画用紙なんかも一緒に買ってくれば良かった。(> <)


さて、緊縛キューピーが続いていますが、そろそろ、飽きてきました。(苦笑)
やっぱり縛るのは、生身の人の方がいいです。(笑)
と言うわけで、

「実際に縛られてみたい!」 という ”読者モデル” の方を募集しております ♪

しかし、アメブロでは今のところ、どこまで掲載可能なのか、さっぱり見当がつきません。
とりあえずは、着衣の状態と、「腕だけ」 とか 「脚だけ」 を部分的に縛るところから、始めてみたいと思っていはいますが、掲載不可になる場合もありますので、その場合はご容赦願います。

その場合は、彼氏や旦那さんに見つからないよう、自分の思い出として大切に、とっておいて下さい。(笑)


追記

「ミニキューピーの緊縛は飽きた!」 と言った舌の先も乾かないうちに、その後、3.5cm のミニキューピーにも、麻紐で菱縄縛りに挑戦。(^O^)/
結果は、菱1.5 でした。
まあ、この紐ではこれが精一杯です。(ToT;)

 

 

今回の 3.5 cm のミニキューピーには、根付紐も一緒に取り付けてみました。
ちなみに、良くある 「このサイズ」 の根付紐だと 5cm のミニキューピーは、ストラップを通りません。

 

ここまでやると、ストラップ代わりの根付紐も、同じ麻紐で 「組紐(くみひも)」 したくなってきてしまいます。(苦笑)
2016/02/17

「ツンデレ」 は、どうして 男性 にモテルのか? 2

では、どうして 「ツンデレ」 は、男性にモテルのか?

それは、狩猟時代の男性にまで遡ります。
獲物を掴まえるとき、石でも槍(やり)でもいいのですが、自分の力が及ばない遠方に、むやみやたらに投げるでしょうか?そんなことをしても、疲れるだけ。
獲物にもよるでしょうが、確実に獲物を仕留められる方を選びます。
どんなに 「欲しい獲物」 であったとしても、始めから当たらないのが解かっていたら、無駄な努力はしません。当然、次の獲物に有り付けるまでの間、出来るだけ体力を温存しようとします。

「ツンデレ」 は、そういう男性の 「太古の記憶」 を呼び覚ますのです。(笑)

「ツンツン」 と用心深い獲物は、男にとっては、遥か向こうの山の斜面に見える鹿のようなもの。追いかけてみたところで、追いつくものでもなければ、石を投げてみても、当たるはずもありません。
射程圏内にいる、まだこちらの存在には気がついていない 「鹿」 には狙いを定めても、向こうの山の斜面にいる鹿なんかには、誰も目もくれません。(苦笑)

一方の 「デレデレ」 は、もう庭で飼ってる鶏みたいなもの。

放っておいても、ずっとそこに居ますので、逃げ出したりすれば追いかけますが、「デレデレ」 と居続ける限りは、男は獲物としては認識しません。

「ツンデレ」 の場合は、「ツンツン」 の後、ふとした拍子に、「デレデレ」 と射程圏内に近づいてくる。本能をくすぐられて、それを 「獲物」 と誤認してしまった男性は、思わず後を追いかけたくなるわけです。(笑)
しかし、「デレデレ」 としてるからといっても、油断できないのが、この 「ツンデレ」。 ちょっと目を離している隙に、もう 「ツンツン」 と逃げ出します。
逃げようとするから、男はまた、本能的に追いかける。(笑)
下手をすると、それを見ている別の男も、自分の 「獲物」 と認識して追いかけたりしますから、もう大変。(笑)
男は気が休まる暇もなく、振り回されてるだけなのですが、傍からみると、男性にちやほやされていて、如何にもモテてるように見えてしまうのは、そういう訳です。(笑)


しかも、”天然” が入ってる 「真性ツンデレ」 の場合は、その 「ツンデレ」 を無意識にやってますし、そもそも、その子の関心がない男性が、どれだけたくさん群がろうと、本人は面倒なだけです。(苦笑)
自分の趣味でなければ、どんなに 「イケメン」 だろうが無関心。当然 「ツンツン」 しますので、そんな場面を同性に見られちゃったりすると、

「ねぇねぇ、今の○○子の態度見たぁ?何様のつもり?」

みたいな展開になっちゃったり、するわけです。(苦笑)

こういう子は、他人事には極めてクール。本来は、他人に気に入られようと、胡麻をするのが大変下手なのですが、しかし、自分の関心事になると、勝手にスイッチが入って 「デレデレ」 してしまうので、同性からは、どうしても媚(こび)を売っているように見えてしまう。

基本 「自分が楽しいこと」 は好きですが、「相手を楽しませてあげよう」 なんてサービス精神は全くありません。ましてや、自分の気持ちに反して、共感を示すなんて器用な真似はできません。なので、半ば強制的に、お互いの共感を重んじる ”つるむのが好きな女性” 連中からは、特に、疎(うと)んじられやすい存在となります。
しかしそれでも、「人は人、私は私」 で、そんなことは一切お構いなしなのが 「真性ツンデレ」 です。(笑)

なので、自身は、傍(はた)から見るほど、自分はもてているとも感じてはいません。(笑)


「ツンツン」 も、「デレデレ」 も、「ツンデレ」 も、それぞれの人の個性なので、如何ともしがたいもの。 しかし、男と女の問題を考える上で参考になるのは、その距離感です。

「デレデレ」 は、好きな人の一番身近に居る存在かも知れません。人には、情や理性がありますし、一番近くにいるということによる 「安心感」 もあるでしょう。
しかし、距離が近いゆえに、相手に重く感じられたり、あるいは、もう本能レベルでは、「釣った魚」。”獲物” とは思って貰えていない可能性もあるわけです。
釣りあげるまでが、「釣り」 の真骨頂。お互いに付き合うようになって、安心感で緊張が緩(ゆる)むこともあります。
そんなときに 「以前ほどの愛が感じられないっ」 とすねてみたところで、どうしようもありません。「もう、私のこと愛してないのね?」 と聞かれても、「そんなことないよ」 としか答えられません。(苦笑)
しかし、「デレデレ」 ちゃんの場合は、そこで寂しさを感じるのは毎度のことでしょう。
常に相手からのアプローチを待つのではなく、自分からアプローチして、一緒に楽しむ。そこからが、二人の世界の始まりなのです。
あまり追いすぎると、今度は、男は逃げてしまいます。追えば追うほど、逃げます。(笑)

逆に、そこで女性が別れようとしたり、あるいは、他の男性に気を寄せたりすると、男性にまだ心がある場合は、逃げないように必死で掴(つか)まえようとします。それが男心です。

そして、男性が本能的に 「狩猟モード」 に入るのは、その男性の射程圏内に捕獲可能な獲物が入ったときと、もうひとつは、その男性が捕獲した獲物が逃げたときや逃げそうなときです。
逃げても追いかけてこない場合は、よほど逃げ足が早くて、もう追いつかないと観念しているか、あるいは、逃げられても全然支障をきたさない場合のいずれかです。


「ツンツン」 の場合は、まあ、まだ人の噂に上っているうちが花。人一倍臆病(おくびょう)で、自分の身を守ることに長(た)けているのかも知れませんが、完璧な守りに打ち勝つだけの攻撃力を持ち合わせているひとは、そうそういません。(苦笑)
まあ、そういう 「ツンツン」 ちゃんを攻略できる人は、年齢差があって気持ちに余裕があったり、あるいは、意外と機転の利く人だったりしますが、兎に角、自尊心が人一倍強かったり、臆病だったりするので、余程、その鎧(よろい)の中身が美味しいものではない限りは、次第に、それを口説こうとする男性自体も減ってきます。
それでも、鎧の中の果実が、甘く熟していればいいのですが、猜疑心(さいぎしん)や虚栄心(きょえいしん)、あるいは、妬み(ねたみ)みたいな、「苦味」 や 「渋み」 が強くなってくると、薬効でもない限りは、誰も、もう手を触れようともしません。
孤高の存在になりたいのであれば、それでもいいのですが、高嶺の花も、咲いていてナンボ、見るひとあってナンボのものです。


「ツンデレ」 は、そういう意味においては、「ツンツン」 でも 「デレデレ」 でもなく、絶妙の距離感と言えます。でも、それはあくまでも、男と女の間で新鮮味が保たれる 「距離感」 というだけの話。(笑)
真性の 「ツンデレ」 は、自分の興味や関心がなくなると、いとも簡単に居なくなるので、まあ、お相手は、余程のひとでないと務(つと)まりません。

そういえば、浅野温子も、会ったことはありませんが、雰囲気的には、天然の 「ツンデレ」 系です。(笑)
魚住勉。好きじゃないけど、まあ、大したものです。
2016/02/16

「ツンデレ」 は、どうして 男性 にモテルのか?

最近は、「ツンデレ」 という言葉を聞かなくなって久しくなりましたが、今日は久し振りに 「私、ツンデレ って良く言われる~」 って方とお話しましたので、「ツンデレ」 をテーマに男ゴコロの話をしておきたいと思います(笑)

まず 「ツンデレ」 という言葉を知らないひとのために、意味を説明しておきます。
そもそも、この言葉が最初に用いられたのは、昭和が高度成長期に入る以前のこと。
この言葉を使っていたのは、団塊の世代の前半、それよりも上の年齢の人達。

今の 「角ハイ」 ではありませんが、ウイスキーのハイボールなんかが流行った頃の言葉です。
当時の青春メディアの代表格は映画。そして、何と言っても石原裕次郎。
東映・大映・日活といった邦画が全盛の時代に良くあった女性のひとつのパターンが、ツンツンしてたかと思ったら、デレデレしたりを繰り返すパターン。
この、「ツンツンデレデレ」 が短縮されて 「ツンデレ」 と呼ばれるようになったものです。
 
最近若い人達の間で使われている 「ツンデレ」 という言葉は、単にこの言葉がリバイバルされたもの。
若干意味合いは違うようで、「人前ではツンツンしているけれども、二人っきりになるとデレデレ」 みたいな定義になっているようですが、そんなの、こっそりと付き合ってるようなカップルだったら、当然、人目を気にしているので、みんなそうなっちゃいそうです。 (苦笑)

そもそも女心は、男性にとっては今も昔も、難解以外のナニモノでもありません。(笑)
そういう意味においては、当初の 「ツンデレ」 は、女心が態度や表情に強く出してしまうひとのこと。
異性を強く意識しつつも、異性を意識することに強い抵抗感を覚えるあまり、揺れ動く女心と、その行動や言動とのギャップ。
人前であろうが、二人で会っていようが一切お構いありません。(苦笑)
しかし、男はそんなこと、解かっていませんから、男性から見て、異性に対して ”ツンツン” していたかと思えば、急に ”デレデレ” しだす 「不思議ちゃん」 。(笑)
そんな女性のこと指して、あるいは、そういった進行パターンのことを当時は 「ツンデレ」 と言っていました。

昔は、待ち合わせするにしても、携帯電話なんかない時代です。
待ち合わせのときに、お互いに連絡を取り合うことなど、まず出来ませんから、待ち合わせの約束は勿論のこと、待ち合わせの場所や時間を間違えただけでも、大変なこと。

男: 「悪い悪い!ちょっと会議が長引いちゃって、待たせてごめんねっ!」
女: 「もぉ~、わたしと仕事とどっちが大事なのっ!」 (ツン)
男: 「いやぁ、本社のお偉いさんも来てる会議だったから、なかなか抜け出せなくて・・・」
女: 「そんなの前から分かってるんでしょ?そしたら、今日にしなくても良かったんじゃない!」 (ツン)
男: 「でもさぁ、今日は特別な日だろ?俺達付き合いだして、ちょうど1年ぢゃん!」
女: 「えっ、覚えてくれてたの?」 (驚き、顔色がかわる)
男: 「当たり前だよっ!忘れるわけないじゃん!」
女: 「何よぉ~。そんなキザなセリフで、女性を丸め込もうだなんて、女性を何だと思ってるの?最低ねっ!」 (ツン)
男: 「ほらっ、前から、これ欲しがってただろ?そらっ、プレゼント!笑」
女: 「えっ?本当に覚えていてくれたの?」 (戸惑い)
女: 「ん~~、それだったら、もぉ~、許してあげるっ!」 (デレ)
女: 「ねぇねぇ、何処いこっか?何食べたい?」 (デレ)
男: 「あっ、さっき来る途中で、蕎麦をかきこんで来ちゃった。実は今日の昼、忙しくて何も食べれなくてさぁ。」
女: 「何よっ、それ?もう知らないっ!」 (ツン)

まあ、こんな感じで、好きな男性には首ったけだけど、本音を言えず、素直になれない女性が、当初の 「ツンデレ」 パターン。
基本お嬢様タイプ。気位(きぐらい)と恥じらいの双方が強いゆえに、態度がコロコロ変わる 「不思議ちゃん」 が、当時の初期の 「ツンデレ」 でした。
しかし、「ツンデレ」 的には、犬系のツンデレ。このくらいは、まだタチの良いツンデレ初級 (笑)

松雪 (松雪泰子) の、「白鳥麗子でございます!」 も、男性優位から女性優位に変わってはいますが、基本は、同じ流れです。(笑)
話は変わりますが、これなんかは、今見ると 「彦麻呂」 のイケメンぶりが最高です (笑)

「白鳥麗子でございます! 1-1」


このあと、しばらくすると、ネコ系の 「ツンデレ」 が出現します。

こうなると、男心と女心を知っていても解からない 「気分屋的」 な要素が多分に入ってきます。これは、ある意味、”天然” の 「ツンデレ」。
自分が好きなものには、興味を示すものの、自分が興味のないものに対しては、一切関心を示しません。もう、まさしく 「猫」 です。
ここまで来ると元が ”天然” ですから、基準は、同性には分かる 「女心」 でも 「男心」 でもありません。基準はあくまでも 「自分」 です。

特徴は、やはり 「猫」 と一緒。 自分の興味を引くことには、纏わり付きますが、自分の興味のないことには、一切 「興味」 を示さず、「クール」 な反応を示します。
このタイプは、異性であれ同性であれ、基本、あまり他人にふりまわされるタイプではありません。

その典型例が 「ふ~ん」 です。そもそも、関心がない。(苦笑)
関心がないから、そっけないし、特に怒りや感情をむき出しにするわけでもない。
でも、構ってほしいみたいなときは、もうひとりで勝手に 「ニマニマ」 してます。自分で勝手にスイッチを入れちゃってる・・・みたいな感覚。
こういうひとの場合、周囲の目を意識して、特に愛想を振り撒いてるわけでもないんです。

「あいつは、マジで ”ツンデレ” だよな~っ」 みたいなのは、例えば女優で言うと、桃井かおりとか、大竹しのぶ。
このクラスになると、もう、同性の人が見ていても、どうしてなのか、そのひとの感情の起伏や行動を理解することができません。(苦笑)

しかも、この 「猫系」 の天然の 「ツンデレ」 の場合、何故か、そのような女性に翻弄されている男性が少なくなかったりする。(苦笑)
さほど美人でもなかったりする場合、同性の女性から見ても、「何でこんな女に、これだけの男がチヤホヤするんだろう?」  と悩む・・・みたいなのが、ホンモノの 「ツンデレ」 です。(笑)


今、この歳になって言えることは、この 「ツンデレ」 は、ある意味 「天賦の才」。”天然” の猫です。
男の場合、「紐(ひも)」 というのは ”甲斐性なし” と見られがちですが、しかし、これはやろうと思って、そうそう簡単に出来るものでもありません。(苦笑)
「女の紐」 みたいにも言われたりもしますが、要は、自分では働かず、女性に養って貰ってたり、囲われている状態にある遊び人的男性のこと。
ただでさえ、男にとっては難解な女心。その女心を射止めて余りあるわけですから、これもある意味 「天賦の才」。 男性版の 「ツンデレ」 のようなもの。


次回は、その 「ツンデレ」 に振り回される男心・・・というよりは、男性の本能について、説明したいと思います。
2016/02/15

女性の 「艶やかさ」 とは?

ブログを読まれている女性の方から、女性の 「艶(つや)やかさ」 について質問されました。(^^;)

ん~っ、難問です(苦笑)

一言で言ってしまえば 「エロさ」 なんですが、ある種独特のエロさなんです。 (笑)

グラビア写真とか化粧品、あるいは、AV などでは、平気で 「艶やか」 という言葉を多用しますが、これは、あくまでも、イメージを作り上げるための ”飾り言葉” 。
実際のところは、こういったものは 「艶やか」 でも何でもありません。(苦笑)

「艶やか」 という字面(じづら)から 「艶(つや)」 や 「しっとり感」 を連想させて、それを化粧品に結びつけようなんて、これがもし、コピーライターの仕事なのだとしたら、かなり稚拙。(笑)

グラビアなんかでは、恥ずかし気もなく全身をおっ広げておきながら、「艶やか」 と言われても、肌の瑞々(みずみず)しさを言っているのか、妖艶さを言っているのか解からないので、全然しっくりときません。


辞書などを見ると、「艶(あで)やか」 と 「艶(つや)やか」 を区別しているものが多いように見受けられます。

【艶やか(あでやか)】
女性の、上品な美しさの中に、性的な魅力が感じられるさま。艶(つや)があり美しいさま。美しくて華やかなさま
女性の容姿がなまめかしいさま。美しくて華やかなさま
(女性が)はなやかで美しいさま。なまめかしいさま。

【艶やか(つややか)】
つやがあり美しいさま。

まあ、間違いではないんでしょうけど、艶話(つやばなし)や艶事(つやごと)・艶歌(つやうた)なんて古い表現があるくらいですから、「つややか」 が全くエロに無関係というのも、なんか恣意(しい)的な感じがします。
そもそも 「豊かな色」 と書いて 「艶」。
色は、カラーの意味もありますが、そもそもは、色魔・色情・色気・好色なんて言葉に使われるように 「情欲」 などを表す言葉。豊かな色である 「艶」 は、”エロリッチ(ero-rich)” 的な意味合いがあるわけです。
逆に 「あでやか」 は、「貴やか(あてやか)」 の音が変化したもの。そもそも、貴やかとは、優雅で美しいさまや気品のある さまのことなので、濁音にして濁らせて、”好色” を示す皮肉り言葉が語源かも知れません。(苦笑)

まあ、古典には造詣(ぞうけい)が深くないので、この辺は定かではありませんが、自分達が使う場合は、「あでやかさ」 というと 「派手さ」 や 「きらびやか」 な印象を受けます。
「あでやかさ」 が花魁(おいらん)なら、「つややかさ」 は ”小股の切れ上がった” オンナ。(笑)
そうすると、やっぱり、控えめで上品な場合は 「つややかさ」 という言葉の方が 「しっくり」 くる ・・・そんな感じです。


で・・・、この 「艶(つや)やかさ」 とは何か?

女性の ”誉め言葉” として使うときの 「艶(つや)やかさ」。この意味は、国語辞典を引いても、あまりしっくりといく説明はありません。(苦笑)
別に肌が瑞々しいわけでも、美貌を褒めているわけでもなければ、エロ全開というわけでもありません。

女性は、30代始めから半ば辺り。そのくらいの時期から 「艶(つや)やかさ」 が出てきます。
「艶やかさ」 は、肌を露出するとか、そういうエロさではありません。「品」 のある 「色気」 です。
その色気が、仕草であったり、表情であったり、立ち居振る舞いだったり、いろいろですが、自分の中に抑え込もうとしてるものが、何かの弾(はず)みで、浸み出てきちゃう。(笑)

10代から20代にかけての子娘のエロさが、「走(はし)り」 のエロさだとしたら、30前後からのエロさは、熟したエロ。
アラサーからアラフォーのそれはまさしく 「旬(しゅん)」 と言えるし、40代後半から50代にかけて、アラフィフの女性のエロさは、「名残(なご)り」 のエロさと言えます。


「艶(つや)やかさ」 とは、そんな、品のある女性がかもしだす、熟した色気であり、漏(も)れ出る 「蜜」 のような感覚のもの。(笑)

既に、酸(す)いも甘(あま)いも知っている。人間が如何に弱い存在かというものも知っている。ありのままの自分を受け入れ、自然体で自身の人生を謳歌(おうか)している。
いろいろな色恋沙汰も経験してきて、傍(はた)から見ると、迷いがなくなっているように見えるけれども、それでも、フツフツと湧(わ)き出るような 「オンナ」 を抑えこんでいるものが、何かの拍子にポロッと出たり、あるいは、人間が好きだし色事も好き。そういう 「広い愛」 みたいな優しさを感じる人から、漏れ出てくるもの。

なので、性的なものを否定したり、了見が狭いひとには、「艶やかさ」 は感じられませんし、他人の悪口や陰口ばかりで、不満の塊みたいないひとからも、「艶やかさ」 は感じられません。
当然ですが、自分本位で、貪欲な人にも 「艶やかさ」 は感じられません。
ある意味、「品」 と 「エロ」 がセットになった絶妙なハーモニー。それが 「フェロモン」 のように匂いたってくる。それが 「艶やかさ」 です。(笑)

女性の外見の美しさやエロさとは異なる、女性の内面の美しさでありエロさです。


この歳になって思うこと。それは人間に限らず、この世界で生きし生かされているものは、全て老化からは逃げられないということ。
しかし、だからと言って、「昔は良かった」 などと懐古に走ったところで、後の祭り。(苦笑)
そんなことは、老い先も短く、完全に未来がなくなった時点ですればいいことです。”老い先の楽しみ” を今からしていてどうするの?・・・ということ。
今できること。今楽しめることを今、楽しむ。
人生、楽しんでいいんです。(笑)

老化を怖れるのだとしたら、一番怖いのは、皺(しわ)や弛(たる)みではありません。
一番怖いのは、「その人の性格」 そして 「その人の心」  が顔に出てくることです。


自分の与えられた境遇や、過去の出来事を、いつまでもくよくよしたところで過去は変わりません。社会を変えたいのであれば、そういう挑戦をすればいい。
でも、過去は過去で受け止め、今を生きる気持ちを忘れてはいけません。
全てを 「他人のせい」 にしたところで、勘違いも甚(はなは)だしいし、その逆に、全てを 「自分のせい」 にするのも誤りです。

若い時分の 「背伸び」 や 「強がり」 は、まだ ”当人の努力” や ”未来への活力” にも繋がりますが、イイ歳した大人のそれは、単なる ”虚栄心”。(苦笑)
日本の伝統的アイドルは、それが ”お仕事” ですが、一般人がやってたら 「阿呆」 以外のナニモノでもありません。だって、コンプレックスありありなのが、見え見えですから。www

まあ、成金(なりきん)の人は兎も角、「品」 のある人は、まず、そういうことはしません。(笑)


「艶(つや)やかさ」、それは、女性の内面の輝きです。

「自分に自信がない!」 という女性は、少なくありません。根拠もなく自分に自信を持つ必要は全然ありません。”ありのままの自分” でいいんです。(笑)
女性は、共感を好む動物ですが、それに固執するあまりに、共感に振り回されてはいけません。自分は自分。
それは、家族の中でも同様です。
女性は、ずっと生涯を 「性ホルモン」 に支配されます。月経もしかり、閉経もしかり。そして母性本能もしかり。そして、女性ホルモン 「エストロゲン」 の減少に伴い、男性ホルモンである 「テストステロン」 の相対的ない比率が高まり、その影響も受けます。

生理や悪阻(つわり)そして倦怠期(けんたいき)の症状に個人差があるように、性差に個人差があって当たり前。自分は自分なんです。
まずは、自分というものを確立し、そして、社会というものも、男と女の ”酸いも甘い” も解かった上で、他人をも受け入れる許容度。それが、その人の 「余裕」 そして最終的には 「品格」 に繋がるわけです。


昔、とある居酒屋で、生牡蠣を頼んだところ、ひとつだけ、異様に殻の幅が狭く、身の細い牡蠣が混じっていました。
岩牡蠣(天然の牡蠣)ではないので、養殖牡蠣です。殻付きなので、広島産ではなく、多分、宮城産。どんな状況で、そういう牡蠣に育ったかは解かりませんが、殻の厚さ(高さ)は、3cm はありました。(笑)
身のぷっくりしたデブが持て囃(はや)される 「生牡蠣」 ですが、女房と一緒だったので、大きい方は女房に譲って、その痩せ細った牡蠣に手を付けてみたところ・・・・

「まいう~~~~~~ ♪  笑」

芳醇なクリーミー感はないのですが、「旨味」 が本当に桁違いと言うほどに違ったんです !!
多分、周囲の牡蠣に居場所を占領されて、わずかなスペースで必死に生きてきたのでしょう。
その牡蠣本人は、苦しい人生?だったに相違ありません。
でも、その違いは、確実に現れていた。(笑)


その牡蠣と人とを一緒にするわけではありませんが、「艶(つや)やかさ」 も、本人の苦悩や涙。そういったものが凝縮されているのかも知れません。
そういった内面から、醸(かも)し出されるものなのですから、そのへんの10代20代の小娘になくて、当たり前。

福笑(ふくわらい)ではありませんが、人の良し悪しを、顔のパーツの配置のみで判断している人達もそうですし、本人に自覚がないと思いますが、ガチガチの社会通念に縛られている人達には、この辺のことは全然理解出来ないでしょう。(笑)


「艶(つや)やかさ」。 それは、女性の旨味です。(笑)


追伸

今回の記事の執筆に際し、いろいろとネットは調べましたが、9割9部は屑(くず)。
だけど、ひとつだけ、大変妙味をかもし出している記事を見つけましたので、ご紹介しておきます。

「男を虜にする色気とは?色気のある女性になる方法 10選」 (panpan)
2016/02/13

下衆がゲスを笑う

ここんとこ、ワイドショーは、ことネタについては困っていない様子。

ベッキーがいみじくも言ったように、「ありがとう文春!」
ワイドショー関係者は、当分は 「センテンススプリング」 に足を向けては眠れない状況が続いております。(苦笑)

まあ、ベッキーと 「ゲスの極み」 の不倫もそうですが、甘利問題といい、宮崎議員問題といい、スクープにスクープを繰り広げる 「文春」 の ”機動力” には目を見張るばかり。
数学の統計論を知る人間なら、思わず、”火事見たさに自ら放火する放火魔” を連想してしまいますが、まさか、マスメディアの一翼を担う企業の雑誌記者が、スクープ欲しさに個人に対して 「ハニートラップ」 を仕掛けるなんてことは、ある筈もありませんし、あってはならない行為。

「事実は小説よりも奇なり」 なんて言葉もありますが・・・ ^^;

いくら 「世の中ゲスだらけ」 だからと言っても、まさか、そこまで社会が腐敗しているなんてことは、いくらなんでも有り得ないでしょ !! っと、信じてるフリをしておくことにします。(苦笑)


ここのところの不倫報道ラッシュ。

下衆の自分が言うのもなんですが(苦笑)、不倫は犯罪行為ではありませんが、やはり、他人の権利を侵害する行為ではあります。
なので、不倫にしろ浮気にしろ、しないに越したことはありません。(笑)

ベッキーの場合は、あまり恋愛経験がなく、「恋は盲目」 的に突っ走ってしまったのかも知れません。まあ、ベッキーとて、ひとりの人間です。完璧な人なんてこの世にはいません。
しかし、「略奪」 を企(くわだ)てていたとは、おそるべしです。(苦笑)
まあ、自分も下衆ですので、他人のことをとやかく言える立場にはありませんが、才にしろ財にしろ、恵まれたひとは、もうちょっと謙虚なほうがいい。
恵まれた才や財あるいは特権を利用して蹴散らされては、たまったもんじゃない。普通の人間がされたら、立つ瀬もありません。

あとは、もし結婚が 「神聖」 なものであるとするならば、そういう汚い手段を使って得たものは、必ずと言っていいほど、同じようなことが原因となって、覆(くつがえ)るということ。
結婚は、経験していない人にとって 「神聖」 なだけですが・・・苦笑
まあ、心のないところに無理矢理ひとを押さえるこむのも、土台無理な話なんで、もし、二人の恋愛がホンモノであったならば、ゲスの方が自らの責任を明らかにして、現在の結婚を精算する以外には道はなかったわけです。

結局は、名前からして 「ゲスの極み」 である癖(くせ)に、「これだけの騒動」 になっても、男のほうからは何の弁明もベッキーを擁護する姿勢も見られません。
事務所の意向なんかも、当然あるんでしょうけど、あれだけの良い音楽を作る感性があるのであれば、そこまで破天荒(はてんこう)でも良かったように思います。
それとも、結局のところ 「男性側」 は、そこまで本気ではなかったということなんでしょうか?

ゲスならば、悪役に徹して、自分は野垂れ死にしようが、捨て身で女性を守らなくちゃ・・・とも思いますが、しかし、自分に思いを寄せ、お互いに結婚を意識してる女性でさえも、状況が変われば、ゴミ同然に扱う・・・。

もしかしたら、これこそ 「ゲスの極み」 なのかも知れません。(笑)


さて、ベッキーが自爆して、次に現れたのが、自民党の宮崎議員。

彼は、国会議員にも 「育児休暇」 を適用することを目標に議員活動に勤(いそ)しんでいたらしいですが、う~ん悩む。(苦笑)
野々村議員と同じく、意味が解からないのですが、野々村議員の場合、彼の号泣は、世界に流れるほどあって、かなりのインパクトがありました。(笑)
マスメディアにおける 「経済効果」 を考えれば、彼がくすねた 「政務調査費の額」 などは微々たるもの。どうせ他の議員の多くだって形式的。まともなことには使っていません。
その野々村議員が、「大人になりきれない自己中」 なのだとしたら、この宮崎議員は、「ナルシストな自己中」 といったところでしょうか?笑

自分を実際より大きく見せることにかけては、かなり能力がありそうです。まだ駆け出しでハートが入っていないので、簡単に見破れますが、これで演技力も巧妙になってくると 「ペテン師」 になれるくらいの才覚があります。

まあ、しかし、代議士たるもの。しかも国会議員という公職です。
マスコミの追求から、「走って逃げた」 時点で失格です。走って逃げたい気持ちは解かりますが、何の解決にもなりませんし、それでは、自ら罪を認めたようなものです。(苦笑)
昨日の昼間、議員辞職に伴う釈明会見がありましたが、なんとなくそれっぽい 「キレイ事」 をちりばめてはいますが、ハートも中身も何もない。

そもそもの、「育児休暇」 の主張にしても、本来は、日常の社会を意識しなければ何の意味もない政策。公務員・上場企業だけにしか適用できない制度なら、事実上の 「社会的特権」 を与えているようなものです。

ましてや議員は、国民や市民を代表する 「代議士」 ですので、任期のある 「職」 ではありますが、「生業(なりわい)」 ではありません。
代議士として選挙民の代弁が継続できなくなった時点で、健康問題であれ育児問題であれ、政務に支障をきたすのであれば、道義的には辞任すべきもの。
ハローワークに求人が出ているものでもないし、指揮命令を受けて任務につく訳でもありませんので、本来ならば、「育児休暇」 自体馴染みません。

政策理念も稚拙(ちせつ)なら、家族や家庭・結婚は元より 「お父さんになること」 に対する理解も稚拙。
女房が今、産もうとしてるのは 「自分の子供」 なわけです。女房の出産間際に女性を連れ込むなんて、女性の出産のつらさも、出産リスクも何も分かっていない証拠。まるで他人事のようです。

お相手の、女性タレントとやらに舞い上がっていたのかも知れません。
女性の方も、まあ、そんな著名なタレントではないようですが、しかし実力勝負の世界なので、こういう人は、実際にお会いしてみると、やはりそれなりに 「花」 があるのは事実。もしかしたら、文春さんが、カメラマン込みで、紹介してくれたのかも知れませんが、女性の方も使い捨て。
今後は表舞台は ”絶対” に有り得ないので、ヌードモデルにでもなって文春のグラビアを飾り、その後は AV にでもデビューするつもりなんでしょうか? (苦笑)
どうでもいいですけど。(笑)

まあ、宮崎議員の場合、すっぱぬかれた女性との間には愛があるわけもなく、単に ”やりたかった” だけの ”浮気” でしょう。

本来は、代議士たるもの。当選した以上は、自分に投票してくれた有権者の票を無駄にすることが、一番いけない行為。きちんとした政治理念と信念があるのであれば、本来ならば、周囲から、どれだけ批判を浴びようと、党から除名され無所属になっても、議員辞職すべきではありません。

釈明会見も、下手に自分を飾らず、自分の女房や生まれてくる子供に対する思いと反省。そして政治家としての自分の不徳と、有権者そして自分の支援者に対する謝罪。そして最後に党。
これがきちんと出来ていれば、議員辞職は不要だったでしょう。

逆に言うと、政治家として、それだけの認識も覚悟も出来ていなかったチャラ男。「ヘタレ」 に過ぎなかったということです。


浮気にしろ不倫にしろ、女性をしっかり受け止めて、何かあったら、修羅場では、男性が矢面(やおもて)に立って。そして最後にケジメを付けるのは、「男の役目」 でしょ?ってこと。
そうならないための、普段の配慮も含めて、それが出来ないひとは、軽々しくやっちゃいけません。(笑)

あとは、「自己中」 にはくれぐれもご用心を。(笑)
2016/02/09

セックスレスを考える

SNS などでいろいろな人と話をしていると、意外と深刻に感じるのが 「セックスレス問題」。
「子供を出産して以来、夜の営みがない」 みたいな ”酷いケース” もちらほら見かけます。
出産授乳時は、女性も母性本能が強くなるので、全く性欲を感じなくなる・・・というのが通説。
なので、その時期に断られたことを誤解されたとか、あるいは、それが後を引いてレスになったのかみたいな話と思いきや、出産を機会に女性の体形が変わったことを理由に、旦那が興味を示さなくなった・・・みたいな話だったり、キッカケはさまざま。

そういう自分は・・・というと確かに、「隣のにこやかな奥さんには欲情しますが、自分の女房には全く欲情しません」(苦笑)


自分の場合、愛も冷めてしまえば、女房が何処の誰と恋愛しようが浮気をしようが、ぜんぜん気になりません。むしろ、何処の馬の骨とやろうと構わないので、自分にすることには干渉せず、家の仕事など、やるべきことはきちんとやって、家の雰囲気を楽しくしてもらいたい。

口も一切利かない。そんな冷戦のような 「家庭内別居」 は精神衛生上も良くありませんし、そもそも、同居が苦痛なら、結婚を続ける意味もありません。
ここまでくるともう、感情がこじれてしまっていて、セックスどころか、もう相手に触れたくもない。(苦笑)
破綻あるいは破局間近といったところでしょうか?
結婚であれば終末期。天体であれば、白色矮星みたいな状況です。(苦笑)

旦那には感謝してはいるし、家族としての愛情はある。そこまで関係は悪化していないけれども、もう、旦那のことを恋愛やセックスの対象として見ることは出来ない。母であり妻としては、今後も尽くすけれども、女としては無理。そういう女性も少なからずいます。

この場合、結婚や家庭生活は維持されます。
家族愛、家族としての情はあるけれども、男女に芽生える恋愛のドキドキ感は、もうない。
でも、夫婦間で冷戦を繰り広げる訳でもなく、お互いに同居が苦にならないのであれば、良性の腫瘍みたいなもの。腫瘍がないに越したことはありませんが、ある意味、これは及第点と言えます。

セックスレスも、もうこのレベルまで来ていたら、救いようはありません。放っておくしかない。(苦笑)
「性の問題」 も、性欲が既に枯れているひとは、そのまま家庭内で 「出家」 すればいいし、自分で気持ち良くなって、それで十分なひとは、それでいい。
しかし、まだ愛や性で満足したい。ドキドキ感が欲しいという人達はどうしたらいいのでしょうか?
セックスレスが1年以上続けば、それは離婚における正等な事由として認められます。しかし、新婚でもない限り、セックスレスの問題だけで離婚を選ぶひとは、まずいないでしょう。そうなると、残るは家庭の外で自由に恋愛する以外に手段はありません。
ここで、不倫や浮気に罪悪感を覚える人は、無理して不倫や浮気に興じる必要はありません。
しかし、だからと言って、その状況を作り出していることを他人(ひと)のせいにするのもお門違い。他人の権利を侵害する行為は、良いことではありません。しかし、犯罪行為ではないのです。
自分自身の人生を充実を考える上で、浮気や不倫を、選択肢のひとつとして考えるか否かは、どちらも 「個人の自由」。(笑)
最終的に決断しているのは、そのひと自身なのです。
「自由」 には常に 「責任」 が伴います。ただそれだけのことです。(笑)


では、そこまで至ってない場合。そういう場合は、所謂(いわゆる) 「マンネリ」 と言われる状況かも知れません。
自分の同棲や新婚時代を振り返ってみても、やはり、確かにセックスの関係は、時間と共に減っていたように思います。
「釣った魚に餌はやらない」 的な思いは自分には全くないものの、「いつでもできる」 という安心感は確かにありました。同棲のときよりも、むしろ、結婚してその傾向は顕著だったような気がします。
一緒に休みの日に買い物に行ったりしても、ついつい、自分の好みの人や、スタイルの良い人を見かけたりすると、目は無意識にそっちのほうにいってしまいます。(苦笑)
あと、自分の反省点としては、一緒に暮らしていることで起こる 「感情的なすれちがい」 みたいなものが意外と多かったかも知れないということ。

生物学的には、「クーリッジ効果」 と呼ばれるものがあるそうです。これは、性的なパートナーがずっと同じである場合、月日が経つに連れて性交渉の回数が次第に減っていくものの、新しいパートナーと出会うと性的欲求が回復するというもの。
これは、哺乳類のオスに顕著に見られる現象らしいのですが、オスほどではないものの、メスにもやはり、クーリッジ効果は確認されているそうです。(笑) [*1]

あとは心理学要因として、「希少性の原理」 というものの関わりもあるそうです。これは、人は、いつでも手に入るものには価値を感じなくなるというもの。
付き合いが長くなったり、同棲していたりして、「やろうと思えば、いつでも出来る」 状態に安心してしまう結果、無意識に価値を感じなくなってしまっているというものです。 [*2]

「クーリッジ効果」 なんてのは、つい最近まで全く知りませんでしたが、哺乳類でそのような傾向が観察されるのであれば、人間に同じ傾向が見られても、ある意味当たり前のことなのかも知れません。

しかし、このレベルの人達は、まだ救済可能なひとたち。

この場合は、やはり如何にして 「マンネリ」 を乗り越えるか?
そのためには、お互いが如何にして、相手に対する理解を深めていくか、そして、如何に二人だけの 「楽しい時間」 を演出するか・・・が大切になってきます。
一番重要なのは、二人にとって 「楽しい時間」 でなければならないということ。

男: 「また会いたいね!」
女: 「うん!」

でなければ、いけない訳です(笑)
そうなれば自然と、「次はいつにしようか?」 という話になるはず。
同棲や結婚していても、それは一緒。「いつでもできる」 と思ってるから、マンネリ化もすれば、相手の状況や事情も考えず、無理強(むりじ)いをしたり、あるいは、空振りに終わったりするわけです。(> <)


男性目線で言えば、仕事に追われているときは、もう常に頭の中は仕事のことでいっぱい。男性の場合は、「仕事尽(づ)くめで、睡眠時間を確保するだけで精一杯!」 という人も少なくないでしょう。
慢性的に睡眠不足で、疲れも溜まっていれば、平日はもちろんのこと、休日も寝ていたくなります。ただでさえ、セックスは体力を消耗します。疲れきっているときは、その消耗もきついのですが、それ以上に厳しいのは、セックスすることで目が覚めてしまい、寝付くまでに時間が掛かったりすること。これは、苦痛以外のナニモノでもありません。

女性は女性で、体調や気分が優れない場合もあるでしょう。毎日、顔を合わせているせいか、会話にしても、いつも、心ここにあらず。自分のことをあまり気にしてくれないことに苛立ちを感じる場合もあるかも知れません。

次のデートの予定を組むときは、お互いに自分の手帳を見て、いろいろと調整したりするものです。
一緒に暮らしていて現在は、常に身近な存在であるかも知れませんが、そのときのことを思い起こしてみて下さい。

また、お互いに喧嘩したりしていないことも大事。

家庭内に問題を抱えていて、家庭の雰囲気が重かったり、あるいは、夫婦の関係がギスギスしているような場合は、心も当然離れています。
セックスのときだけ仲良くする・・・なんて器用な真似は、誰しも簡単に出来ることではないので、当然ながら、そういう心のしこりを抱えている場合は、スキンシップの回数自体も減っていきます。

そこに ”明らかな問題” がある場合は致し方ありませんが、所詮、夫婦といっても元は他人。ひとつの屋根の下で暮らしている以上は、お互いに何らかの不平不満は持っているものです。
セックスする・しないを、夫婦間の懲罰やトレードの材料にしたり、あるいは、「 ”どうでもいい小さな問題” であっても、相手がその問題を解消してくれない限りは、自分は一歩も譲らない!」 みたいな頑(かたく)なな態度を取り続けることは、確実に夫婦間のスキンシップの回数を減らし、最悪の場合、意図していなかったにもかかわらず、夫婦の関係を回復不能な状況に追い込む場合もあります。

大事なのは、二人で協力しあって、如何にして、楽しい雰囲気を作っていくか。
お互いが、わだかまりを捨てて、許しあって、心を通わす機会を作っていくことが出来るかどうかが、とても重要になってきます。

男も女も意地をはらず、お互いの歩み寄りがとても大事。


男性が女性の生理を学び、女性が男性の生理を学ぶのも、本来はとても重要なことです。
「性」 は本来、汚いものでも、悪いものでもありません。犯罪でもなければ、罪悪でもありません。
世の中には一部、性的なものを忌み嫌う人達もいますが、それは、お金が諸悪の根源だと言って嫌っているのと同じこと。「嫌う」 ことは、そのひとの自由ですが、だからと言って、他人を排除する権利があるわけでも、誹謗中傷が許されるわけでもありません。
お金が絡んだ犯罪は、世の中にたくさんあるかも知れませんが、「お金」 が悪いのではなくて、それを使うひとが悪かっただけの話。
「性」 に絡んだ犯罪も世の中には多いかも知れませんが、「性」 の問題も、「性」 が悪いのではなくて、悪いのはあくまでも、その犯罪を犯したひとが悪いだけです。


夫婦に限らず、人と人の間に良好な関係を築き、そしてまた、これを維持するためには会話が重要です。これについては皆さん、どなたも異論ないはず。
しかし、男と女の間では、この会話すら難しくなる場合も少なくありません。
そもそも、女性本来の会話は、相手に共感を求めることを目的とする、感情いっぱいで非論理的な会話。逆に、男性の方はと言えば、結論を先に聞き、要件や要点を絞った簡潔かつ論理的な会話です。そもそも男性は、他人の話を聞くことからして上手くはないのです (苦笑)

男が女を理解し、女を受け入れることは、女が男を理解し、男を受け入れることと同じくらい難しいこと。男は男で、男の生理が当たり前と思っているし、女は女で、女の生理が当たり前。序(つい)でに言うと、女心も当たり前と思っているのです。
だから、女性同士でそのことを話し、確認しあっては、「男は何でそんな簡単なことが解からないの?」 となる。(笑)
そもそも、遺伝子からして、その構造は全く違うし、生物学的には、その肉体的な機能も役割も全く異なるのです。

家庭は、人の活動の起点です。

家庭とは、家族全員の疲れを癒し、安心して休むことが出来て、そして、にこやかな談笑と食事で、明日への活力を養う場です。教育やらその他は、オプションです。

主婦のひとは、あるときは妻、あるときは母、また、あるときは嫁と、兎角、公私の区別がつかなくなりがちです。自分ひとりになったり、友達と会ったりする 「自分の時間」 を持っているひとは少なくないとは思いますが、そこに旦那さんとの ”二人だけの時間” を意識的に設けているひとは、果たして、どれくらいいるでしょうか?

主婦という仕事を終えて、店じまいをし、タイムカードを押したら、自分の時間です。
私服に着替えて、閉店間際から店で待つカレシと、いそいそと出かけて行く子もいれば、客のいなくなった店でまったり(ぐったり?)として、同僚と談笑を楽しむ子もいます(笑)

女性に関して言えば、まずは、主婦業と自分の私的な時間の区別を、周りのひとにも分かるように、アピールすること。
表に 「営業中」、裏に 「準備中」 と書いてある札をひっくり返すのでも構いませんし、エプロンの着脱や、結わえた髪を下ろすことでも構いません。
重要なのは、まず自分でそのサインを決めて、そしてそのサインの意味を、家族全員に理解させること。

そして、自分の時間になったら、お化粧をして、自分のお気に入りの服を着てみるのも善し。
たまにはオンナを剥(む)き出しにしてみるのも良いことです。
本当に、家で家事に追われているようならば、せめて 「お出掛け」 のときだけでも、周りのひとが困惑するぐらいに、自分を切り替えてみるのも悪くありません。(笑)


[*1] クーリッジ効果 (Wikipedia)
[*2] エッチが面倒くさい。彼への愛が冷めたせい?(R25)