2ntブログ
2016/02/09

セックスレスを考える

SNS などでいろいろな人と話をしていると、意外と深刻に感じるのが 「セックスレス問題」。
「子供を出産して以来、夜の営みがない」 みたいな ”酷いケース” もちらほら見かけます。
出産授乳時は、女性も母性本能が強くなるので、全く性欲を感じなくなる・・・というのが通説。
なので、その時期に断られたことを誤解されたとか、あるいは、それが後を引いてレスになったのかみたいな話と思いきや、出産を機会に女性の体形が変わったことを理由に、旦那が興味を示さなくなった・・・みたいな話だったり、キッカケはさまざま。

そういう自分は・・・というと確かに、「隣のにこやかな奥さんには欲情しますが、自分の女房には全く欲情しません」(苦笑)


自分の場合、愛も冷めてしまえば、女房が何処の誰と恋愛しようが浮気をしようが、ぜんぜん気になりません。むしろ、何処の馬の骨とやろうと構わないので、自分にすることには干渉せず、家の仕事など、やるべきことはきちんとやって、家の雰囲気を楽しくしてもらいたい。

口も一切利かない。そんな冷戦のような 「家庭内別居」 は精神衛生上も良くありませんし、そもそも、同居が苦痛なら、結婚を続ける意味もありません。
ここまでくるともう、感情がこじれてしまっていて、セックスどころか、もう相手に触れたくもない。(苦笑)
破綻あるいは破局間近といったところでしょうか?
結婚であれば終末期。天体であれば、白色矮星みたいな状況です。(苦笑)

旦那には感謝してはいるし、家族としての愛情はある。そこまで関係は悪化していないけれども、もう、旦那のことを恋愛やセックスの対象として見ることは出来ない。母であり妻としては、今後も尽くすけれども、女としては無理。そういう女性も少なからずいます。

この場合、結婚や家庭生活は維持されます。
家族愛、家族としての情はあるけれども、男女に芽生える恋愛のドキドキ感は、もうない。
でも、夫婦間で冷戦を繰り広げる訳でもなく、お互いに同居が苦にならないのであれば、良性の腫瘍みたいなもの。腫瘍がないに越したことはありませんが、ある意味、これは及第点と言えます。

セックスレスも、もうこのレベルまで来ていたら、救いようはありません。放っておくしかない。(苦笑)
「性の問題」 も、性欲が既に枯れているひとは、そのまま家庭内で 「出家」 すればいいし、自分で気持ち良くなって、それで十分なひとは、それでいい。
しかし、まだ愛や性で満足したい。ドキドキ感が欲しいという人達はどうしたらいいのでしょうか?
セックスレスが1年以上続けば、それは離婚における正等な事由として認められます。しかし、新婚でもない限り、セックスレスの問題だけで離婚を選ぶひとは、まずいないでしょう。そうなると、残るは家庭の外で自由に恋愛する以外に手段はありません。
ここで、不倫や浮気に罪悪感を覚える人は、無理して不倫や浮気に興じる必要はありません。
しかし、だからと言って、その状況を作り出していることを他人(ひと)のせいにするのもお門違い。他人の権利を侵害する行為は、良いことではありません。しかし、犯罪行為ではないのです。
自分自身の人生を充実を考える上で、浮気や不倫を、選択肢のひとつとして考えるか否かは、どちらも 「個人の自由」。(笑)
最終的に決断しているのは、そのひと自身なのです。
「自由」 には常に 「責任」 が伴います。ただそれだけのことです。(笑)


では、そこまで至ってない場合。そういう場合は、所謂(いわゆる) 「マンネリ」 と言われる状況かも知れません。
自分の同棲や新婚時代を振り返ってみても、やはり、確かにセックスの関係は、時間と共に減っていたように思います。
「釣った魚に餌はやらない」 的な思いは自分には全くないものの、「いつでもできる」 という安心感は確かにありました。同棲のときよりも、むしろ、結婚してその傾向は顕著だったような気がします。
一緒に休みの日に買い物に行ったりしても、ついつい、自分の好みの人や、スタイルの良い人を見かけたりすると、目は無意識にそっちのほうにいってしまいます。(苦笑)
あと、自分の反省点としては、一緒に暮らしていることで起こる 「感情的なすれちがい」 みたいなものが意外と多かったかも知れないということ。

生物学的には、「クーリッジ効果」 と呼ばれるものがあるそうです。これは、性的なパートナーがずっと同じである場合、月日が経つに連れて性交渉の回数が次第に減っていくものの、新しいパートナーと出会うと性的欲求が回復するというもの。
これは、哺乳類のオスに顕著に見られる現象らしいのですが、オスほどではないものの、メスにもやはり、クーリッジ効果は確認されているそうです。(笑) [*1]

あとは心理学要因として、「希少性の原理」 というものの関わりもあるそうです。これは、人は、いつでも手に入るものには価値を感じなくなるというもの。
付き合いが長くなったり、同棲していたりして、「やろうと思えば、いつでも出来る」 状態に安心してしまう結果、無意識に価値を感じなくなってしまっているというものです。 [*2]

「クーリッジ効果」 なんてのは、つい最近まで全く知りませんでしたが、哺乳類でそのような傾向が観察されるのであれば、人間に同じ傾向が見られても、ある意味当たり前のことなのかも知れません。

しかし、このレベルの人達は、まだ救済可能なひとたち。

この場合は、やはり如何にして 「マンネリ」 を乗り越えるか?
そのためには、お互いが如何にして、相手に対する理解を深めていくか、そして、如何に二人だけの 「楽しい時間」 を演出するか・・・が大切になってきます。
一番重要なのは、二人にとって 「楽しい時間」 でなければならないということ。

男: 「また会いたいね!」
女: 「うん!」

でなければ、いけない訳です(笑)
そうなれば自然と、「次はいつにしようか?」 という話になるはず。
同棲や結婚していても、それは一緒。「いつでもできる」 と思ってるから、マンネリ化もすれば、相手の状況や事情も考えず、無理強(むりじ)いをしたり、あるいは、空振りに終わったりするわけです。(> <)


男性目線で言えば、仕事に追われているときは、もう常に頭の中は仕事のことでいっぱい。男性の場合は、「仕事尽(づ)くめで、睡眠時間を確保するだけで精一杯!」 という人も少なくないでしょう。
慢性的に睡眠不足で、疲れも溜まっていれば、平日はもちろんのこと、休日も寝ていたくなります。ただでさえ、セックスは体力を消耗します。疲れきっているときは、その消耗もきついのですが、それ以上に厳しいのは、セックスすることで目が覚めてしまい、寝付くまでに時間が掛かったりすること。これは、苦痛以外のナニモノでもありません。

女性は女性で、体調や気分が優れない場合もあるでしょう。毎日、顔を合わせているせいか、会話にしても、いつも、心ここにあらず。自分のことをあまり気にしてくれないことに苛立ちを感じる場合もあるかも知れません。

次のデートの予定を組むときは、お互いに自分の手帳を見て、いろいろと調整したりするものです。
一緒に暮らしていて現在は、常に身近な存在であるかも知れませんが、そのときのことを思い起こしてみて下さい。

また、お互いに喧嘩したりしていないことも大事。

家庭内に問題を抱えていて、家庭の雰囲気が重かったり、あるいは、夫婦の関係がギスギスしているような場合は、心も当然離れています。
セックスのときだけ仲良くする・・・なんて器用な真似は、誰しも簡単に出来ることではないので、当然ながら、そういう心のしこりを抱えている場合は、スキンシップの回数自体も減っていきます。

そこに ”明らかな問題” がある場合は致し方ありませんが、所詮、夫婦といっても元は他人。ひとつの屋根の下で暮らしている以上は、お互いに何らかの不平不満は持っているものです。
セックスする・しないを、夫婦間の懲罰やトレードの材料にしたり、あるいは、「 ”どうでもいい小さな問題” であっても、相手がその問題を解消してくれない限りは、自分は一歩も譲らない!」 みたいな頑(かたく)なな態度を取り続けることは、確実に夫婦間のスキンシップの回数を減らし、最悪の場合、意図していなかったにもかかわらず、夫婦の関係を回復不能な状況に追い込む場合もあります。

大事なのは、二人で協力しあって、如何にして、楽しい雰囲気を作っていくか。
お互いが、わだかまりを捨てて、許しあって、心を通わす機会を作っていくことが出来るかどうかが、とても重要になってきます。

男も女も意地をはらず、お互いの歩み寄りがとても大事。


男性が女性の生理を学び、女性が男性の生理を学ぶのも、本来はとても重要なことです。
「性」 は本来、汚いものでも、悪いものでもありません。犯罪でもなければ、罪悪でもありません。
世の中には一部、性的なものを忌み嫌う人達もいますが、それは、お金が諸悪の根源だと言って嫌っているのと同じこと。「嫌う」 ことは、そのひとの自由ですが、だからと言って、他人を排除する権利があるわけでも、誹謗中傷が許されるわけでもありません。
お金が絡んだ犯罪は、世の中にたくさんあるかも知れませんが、「お金」 が悪いのではなくて、それを使うひとが悪かっただけの話。
「性」 に絡んだ犯罪も世の中には多いかも知れませんが、「性」 の問題も、「性」 が悪いのではなくて、悪いのはあくまでも、その犯罪を犯したひとが悪いだけです。


夫婦に限らず、人と人の間に良好な関係を築き、そしてまた、これを維持するためには会話が重要です。これについては皆さん、どなたも異論ないはず。
しかし、男と女の間では、この会話すら難しくなる場合も少なくありません。
そもそも、女性本来の会話は、相手に共感を求めることを目的とする、感情いっぱいで非論理的な会話。逆に、男性の方はと言えば、結論を先に聞き、要件や要点を絞った簡潔かつ論理的な会話です。そもそも男性は、他人の話を聞くことからして上手くはないのです (苦笑)

男が女を理解し、女を受け入れることは、女が男を理解し、男を受け入れることと同じくらい難しいこと。男は男で、男の生理が当たり前と思っているし、女は女で、女の生理が当たり前。序(つい)でに言うと、女心も当たり前と思っているのです。
だから、女性同士でそのことを話し、確認しあっては、「男は何でそんな簡単なことが解からないの?」 となる。(笑)
そもそも、遺伝子からして、その構造は全く違うし、生物学的には、その肉体的な機能も役割も全く異なるのです。

家庭は、人の活動の起点です。

家庭とは、家族全員の疲れを癒し、安心して休むことが出来て、そして、にこやかな談笑と食事で、明日への活力を養う場です。教育やらその他は、オプションです。

主婦のひとは、あるときは妻、あるときは母、また、あるときは嫁と、兎角、公私の区別がつかなくなりがちです。自分ひとりになったり、友達と会ったりする 「自分の時間」 を持っているひとは少なくないとは思いますが、そこに旦那さんとの ”二人だけの時間” を意識的に設けているひとは、果たして、どれくらいいるでしょうか?

主婦という仕事を終えて、店じまいをし、タイムカードを押したら、自分の時間です。
私服に着替えて、閉店間際から店で待つカレシと、いそいそと出かけて行く子もいれば、客のいなくなった店でまったり(ぐったり?)として、同僚と談笑を楽しむ子もいます(笑)

女性に関して言えば、まずは、主婦業と自分の私的な時間の区別を、周りのひとにも分かるように、アピールすること。
表に 「営業中」、裏に 「準備中」 と書いてある札をひっくり返すのでも構いませんし、エプロンの着脱や、結わえた髪を下ろすことでも構いません。
重要なのは、まず自分でそのサインを決めて、そしてそのサインの意味を、家族全員に理解させること。

そして、自分の時間になったら、お化粧をして、自分のお気に入りの服を着てみるのも善し。
たまにはオンナを剥(む)き出しにしてみるのも良いことです。
本当に、家で家事に追われているようならば、せめて 「お出掛け」 のときだけでも、周りのひとが困惑するぐらいに、自分を切り替えてみるのも悪くありません。(笑)


[*1] クーリッジ効果 (Wikipedia)
[*2] エッチが面倒くさい。彼への愛が冷めたせい?(R25)

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