2ntブログ
2017/03/30

奴隷が経験する岐路

M女が、そのまま奴隷であり続けられるか。それとも、野良に転じてしまうのか。

それは奴隷に目覚めた自分。その自分に対する甘え。

そして、主に対する「甘え」をどうコントロールするかに掛かっています。

 

「奴隷には、人格も人権もない・・・」

「主の命令は絶対・・・」

 

主と奴隷は、対等ではないのです。

頭では理解していても、その意味を理解していない。

自分の我を打ち消すことが出来ないのです。

 

プレイは、ハードルと同じ。次第に高いレベルに設定されていきます。

主の寵愛(ちょうあい)を受けているM女は、「私の嫌がることを主がするはずがない」 と思い込むようになります。

しかし、主が求めているのは、その嫌なことであったり、自分が拒否したくなる不安と対峙したときに、主を信用して、無我になって飛び込むことなのです。
遅かれ早かれ、自分を取るか、主に従うかの決断を迫(せま)られる世界。

自分がネガティブな状態になると、理性は悪魔になって囁(ささや)き始めます。

 

「もう無理っ!」

「前に言ってたことと全然違うじゃないっ!」

「自分のためにならないよ。そんな主、やめちゃいなっ・・・」

 

まあ、SM がアンダーグラウンドな世界ですので、これらの理性の声は、悪魔ではなく、天使かも知れませんが(苦笑)

SM における S と M の関係は、共生関係にあります。
しかし、支配関係にもあるという特殊な世界です。
相互の信頼は、必要条件です。しかし、安住を約束するものではありません。
甘える時間が欲しいのであれば、その分、自分の甘えを抑えることも重要なのです。
ご褒美が欲しいのであれば、尚更です。

SM は、ある意味、盆栽(ぼんさい)のようなもの。
天にまっすぐ伸びる枝をことごとく切り落とし、その中から選んだ鈍重(どんじゅう)な一本に全ての栄養を注(そそ)ぎ、肥大化させたり、矯正(きょうせい)して成長を妨(さまた)げたりする。植物の方には一切の選択肢はありません。
しかし、盆栽師の方は、無理やりやっているかと言うと、そうではありません。
その植物の特性を見切って、その植物の良さを引き出すことを考えながら、鋏(はさみ)を入れていく。そこには愛があります。

盆栽にも基本はありますが、しかし、そこにはゴールも、正解も、完成もありません。

 

SM も肉体的な部分から入るかも知れませんが、しかし、最終的に責め縛られている部分は 「心」 ですので、楽であるはずがありません。

 

「S はサービスの S」 と言った人がいます。これはある意味 「言い得て妙」 とも思いましたが、これを受けて、「S は M にサービスをしてるから、S は実は Mだっ」 みたいな論理展開をする人も出てきます。

確かに、行為だけを見れば、そう思われても仕方ありませんし、「オラオラ」 するのが、SM と誤認している人は、まずは 「サービスの S」 を理解すべきだと思います。

 

しかし実際は違います。

 

プレイが奴隷の安住の場になった途端(とたん)、「S はサービスの S」 に陥(おちい)ってしまうのです。

お店であれば、そこに対価が発生しますので、エゴイスティックなマゾであっても、ある程度は許容されるかも知れませんが、はっきり言ってこの状況は、S としては全然面白くない状況なのです。ですから、当然 S である主は愛奴と共に、また階段を一歩登ろうとします。

もっとプレイをハードにするかも知れませんし、心を揺(ゆ)さぶってくるかも知れません。

 

常に奴隷は、新たな目標が設定される度(たび)に、岐路(きろ)に立たされます。

しかし奴隷にとっての選択肢は、主を信じ、自分の恐怖心や不安に打ち勝って着いて行くだけなのです。

2017/03/23

女性がイクということ(4)

長年の経験で、必要に迫られて身に纏ってきた女性の鎧。それを脱がすことは、並大抵の努力では出来ません。

頭でいくら理詰めで説明してあげたところで、女性は納得したとしても、鎧を脱ぎません。

自分では分かっていても、頭では分かっていても 「脱げない・・・」 それが女性なのです。

 

ところが、前号の古事記の 「天岩戸(あまのいわと)」 ではありませんが、自分の気(注意)が逸(そ)れてしまう要因が重なると、女性は無防備になります。

天岩戸の逸話は、旧約聖書の創世記と同じく童話調です。

言葉はあるけど文字のない時代。人は先祖の言い伝えや、自分の家族のことをずっとこういう逸話で以(も)って、後世に語り告いで言ったのでしょう。

 

当時の鏡は、今で言うとサザビーズなんかで取引されるような、巨大なダイヤモンド。

天照大神は、女性の神様ですから、それだけの貢物を必要としたのでしょう。しかし、それだけではなく、他の神々、八百万(やおよろず)の神、の協力を得て 「どんちゃん騒ぎ」 を演出している。でも、それでもまだ必要十分ではありません。
岩戸から踏み出させるために、女性の嫉妬心を巧妙(こうみょう)に利用しています。そして、岩戸から一歩踏み出した途端(とたん)に退路(たいろ)を断っています。

 

神道における神は、旧約聖書における登場人物に近い性格を持っています。先祖なのか架空の人物なのかは解りませんが、言い伝えに残るほどの人。旧約聖書に出てくる人物、アダムとイブ、カインとアベルそしてノアやエイブラハム。そういう人と近い印象を受けます。

 

大事なことは 「女性の本質」 は、昔も今も変わらないということ。

 

天岩戸に隠れた女性。現代の言葉で言えば 「鎧を何重にも着飾ってしまった女性」 を、表に出すためには、第三者の助けを必要とするばかりでなく、用意周到でなければならないし、当然、オンナゴコロを理解していないといけない。

 

女性は、こういう 「女性の本質」 を突いて、自分の糧(かて)にしようとする 「あくどい連中」 に対する警戒感は解いてはいけません。男の本質を見極める目は、持っていなければいけないと言うこと。しかし 「警戒」 のし過ぎで、鎧の脱げない女になっても、意味ありません。

男性も、貴女の本質を見ていないかもだけど、女性も男の本質を見ていないのです。だから、お互い様。大切なのは、お互いが相手を思う気持ちです。

 

彼女のいない男性であれば、女性の心の成り立ちを理解すること。
そもそも、天照大神がひきこもる原因。まずは、そういうものを作ってはいけない、ということもありますし、そして、そういうシコリのある 「イケてる女性」 を本当に手中に収(おさ)めたいのであれば、それなりの覚悟。自分は玉砕しても良いくらいの覚悟と算段を決めてシコリを取り除いてあげてください。

要は、100%その女性と対峙(たいじ)しなさいということ。自分の勝手な思い込みではなく、しっかりとその女性を見て、受け止めてあげることが大事です。

***

身体に纏(まと)った鎧は脱げても、心の鎧をなかなか脱げない女性が増えています。

 

ありのままの自分に自信がもてない。あるいは、自分の心が傷付くことを怖れる気持ちは、男女の区別なく、誰にでもある感情でしょう。しかし、男女で比較すると、個人差はあるでしょうが、相対的に女性の方が不安を強く感じやすいわけです。また、これも個人差はあるでしょうが、女性はひとつのことになかなか集中しづらい傾向があります。

常にいろいろな不安が浮かんでは、その処理に翻弄(ほんろう)されているわけです。

 

不安に対抗するだけの安心を与える必要があるわけですが、それだけだと 「安全な人」 で終わってしまいます。女性とのお付き合いに至るまでも、そうですが、○ックスにおいてもそれは同じ。そこで、もうひとつ大切になるのが 「ドキドキ感」 です。

女性に興味や関心を持たせ、何かに集中させる・・・すなわち 「意識させる」 必要があるわけです。

天岩戸で、天照大神が関心を寄せたのは、アマノウズメの踊りによって引き起こされた八百万の神の笑いですが、意識したのは、鏡に映った自分の顔でした。

 

女性によって、心がブロックする要因はさまざまです。それを簡単に取り除く方法なんてあるわけがありません。

出来ることと言えば、その人をしっかりと見つめてあげること。そして自分がその人にとって、安心して寄り添える人になるのと同時に、雰囲気を作って、意識させることでドキドキさせ、気が逸(そ)れそうになったら集中させ、余計なことを考える余裕を与えないこと。

要は、女性がイクのを、物理的な刺激だけでなく、精神的心理的な側面からも、男性が手伝ってあげないといけないのです。

 

女性も女性で、「そんなに大変なんだ・・・」 と気落ちしてはいけません。(笑)

 

ク○トリスよりも、中の方の感度が高いということは、それだけ 「中イキ」 を経験しやすい体質であるとも言えるからです。
ただ一般的に言われていることは、ク○トリスの場合は物理的な刺激だけでもイクことの出来る人がいるのに対して、中イキは、女性にも 「イキたい!」 という意識と努力が求められるということ。要は、マグロのように寝転がって、寝たふりをしてるようでは、中ではイケないということです。

2017/03/21

女性がイクということ(3)

では、自分ではイケるのに、○ックスだとイケない女性は、なぜイケないのか?

 

女性の性器の内部構造は、おおまかには同じですが、細かく言うと、いろいろと違いが見られるように、女性器内での神経網の張り巡らせにも大きく個人差が見られることが、最近の研究で確認されています。

 

イキづらい人は、イキやすい人と比べると、ク○トリスの感度が相対的に弱く、膣の中で感じる比重が高くなっている場合を多く見かけます。

クリ○リスの発達を測る尺度として、その大きさなども、確かに参考にはなります。受容器の感度が高ければ、また、その容積が広ければ、当然感じやすいでしょう。

 

しかし、味覚も同様ですが、人は舌の味蕾(みらい)にある味覚細胞だけで食べ物を味わっているわけではありません。その証拠に、鼻が詰まっただけで、普段感じている 「豊かな味わい」 は感じ取ることが出来なくなります。

また、上顎にも味蕾はあります。喉越(のどご)しも食感のひとつですし、コクもそう。

 

人は、好きなものに対しては、あらゆる感覚を総動員できるように作られているのです。

 

それとは逆に、自分の不得手(ふえて)なもの。危険を察知した後は、無意識下ではありますが、自分でその不快を出来るだけ感じないように、身体は防御に入ります。

自分でする分にはイケるけど、どうしてもパートナーとの○ックスではイケないという人の大部分は、このように心がブロックしてしまっている場合が多いように思います。

 

自分ではイケるのに、パートナーとなると一緒にイケない女性は、どうしたら、イケるようになるのか?
答えは簡単。一言で言ってしまえば、この 「心のブロック」 を取り除くことです。
この 「心のブロック」 の仕掛け人は、理性(社会性)をつかさどる前頭前野に、不安をつかさどる扁桃核なので、この二人?を如何にして黙らせるか。
たっぷりとオキシトシンをドーピングすれば良いのです。

理屈では、ここまでは、とても簡単なのですが、ではどうしたら良いのか?

非合法的なアプローチとしては、通称 「エクスタシー」 と呼ばれる MDMA というドラッグがあります。これは、脳内でオキシトシンが大量に分泌されることが解っています。
しかし、薬によって実現出来たとしても、刑法に反する犯罪行為にあたりますし、そればかりではなく、薬の耐性によって、どんどん 「効(き)き」 は悪くなってきますから、はじめたら最後、出口はありません。

こんな非合法的なアプローチに手を染めることは、自らの人生を貶(おとし)めるようなもの。

なので、遊び半分でも、絶対にやっては駄目。


多くの人は 「自分ではイケるんだから、いつかはイケるようになるでしょ?」 と楽観的に捉えます。これは間違いではありません。可能性は残されていますので、自分の人生を悲観的に捉えるよりは、楽観的に捉えるほうがいいに決まってます(笑)

しかし、自分に都合の良い選択ばかりを選んでいて、それが出来るようになるなら、誰も苦労しません。(苦笑)
何故なら、自分が気持ち良くなることをブロックしているのは自分。自分を守る気持ちだからです。
社会生活の中で自分を守る気持ちが前頭前野に、そして不安という意識が常に扁桃体によって自分を守ろうとしています。
女性がオーガズムに到達するためには、そのセキュリティアラームを切らないといけないのですが、多くの女性は、それが怖くて出来ないわけです。

食欲と性欲は、相互に関係しています。そこに社会生活やその人の価値観あるいは理性といったものも介在してきます。そのひとつが拒食症や過食症です。
痛み(痛覚)と快感というものも、相互に関係しています。何故なら、人に限らず、動物には快感を感じる神経細胞は存在しないからです。

「○ックスでイキたいなら、まず自分の鎧(よろい)を脱ぎ捨てなさい。」

と言うことです。
言うのはとても簡単なことですが、しかし、実践となると、なかなか難しい(笑)

「○ックスにおいて、女性の鎧を脱がすのは、男性の役目だよ」 と言っているように思われて仕方がないのが、「古事記」 の 「天岩戸(あまのいわと)」 の逸話です。

まあ、最後に堅い話を持ち出して来て、偉そうな顔をして、話を終わらせようとするのは、オヤジの常套手段(じゅようとうしゅだん)ですが、言いたかったのは、誰かのサポートがないと、なかなか自分ひとりでは、難しいということ。

 

 

一度コツを掴むと、補助輪なしでも自然に自転車に乗れるようになるのと同じ感覚かな?などとも、思ったりします。

2017/03/19

女性がイクということ(2)

○ックスとホルモン

 

最近の脳科学の進歩で解ってきたことは、エクスタシーは脳で感じているということ。

特に女性の場合は、理性(社会性)をつかさどる前頭前野と、不安をつかさどる扁桃核が機能停止を起こします。

イクときの情景を 「頭の中が真っ白になる」 と表現する女性もいますが、脳の機能停止によって脳がホワイトアウトを起こしてる状態なわけです。

このとき、女性の脳内ではさまざまなホルモンが分泌されます。

そもそも、女性の性は、ホルモンと密接な関わり合いがあります。第二次性徴以降、月経を支配しているのも、これらのホルモンなら、更年期障害や閉経も、これらのホルモン。

30代半ばを過ぎて、40~50代に性欲が強くなってくるのも、これらのホルモンによる影響です。

 

ドキドキしたり、愛情を感じるのは、オキシトシン。

オキシトシンは、オーガズムで分泌が最高に達しますが、それ以降は急激に濃度が下がります。

オーガズムを迎えるからホルモンが分泌されるのか、あるいは、ホルモンの分泌によってオーガズムがもたされるのか。実はこの辺の細かいメカニズムは、まだ良く解っていません。

オキシトシンには、不安中枢である扁桃体の活動を弱める作用があります。オキシトシンの分泌によって、不安が抑制され、相手との信頼感が強くなる。

オキシトシンと同じく、オーガズムで分泌が最大になるホルモンに、プロラクチンというホルモンがありますが、こちらは、性欲を一時的に減退させる作用があります。

プロラクチンは、安らぎや安心。オーガズムのあと、1時間以上分泌され、ドーパミンの分泌を抑制します。

ドーパミンは、ムラムラしたり、性欲の根源みたいなもの。

プロラクチンは、男性の脳内でも分泌されてます。プロラクチンは男性では、性的な積極性や攻撃性を抑える効果があるので、自分などは、このプロラクチンの分泌が少ないのかも知れません。

 

ちなみに、女性は好きな男性とデートしていたり、イチャイチャしてる段階で、既にこのオキシトシンを分泌し始めています。

女性から良く聞くセリフの中に、「好きではない男性と○ックスなんか出来ない!」 というのがありますが、正確に言うと、「オキシトシンが分泌しない男とは出来ない」 と言っているだけで、それは、男性の言う 「そそらないヤツには、勃たない!」 と言っているのとあまり変わりない訳です。(苦笑)

 

では、女性をイかせるには、どうしたら良いのか?

 

世の中の男性は、特に若い男性は、物理的刺激に固執しがちですが、まず重要なことは、その認識をあらためることです。

多くの AV はフィクションです。また、多くの AV の顧客対象は 「男性」 ですので、男性の性的興奮を高めるように仕上がってます。なので、あの通りにしたからと言って、女性が喜ぶわけではないということ。

確かに、物理的にも優れているに越したことはありませんが、オーガズムは脳で感じているわけですから、要は、相手のホルモンを如何に分泌させるかが重要なわけです。

2017/03/18

女性がイクということ

自分で気持ちよくはなれるけど、実際の○ックスでは、イけたことがない。

 

最近は、そういう相談を受けることが多くなっています。

そういう女性は自分の経験に照らしあわせても、決して少なくないように思いますが、齢(よわい)を重ねているうちに、諦(あきら)めてしまうようです。


女性のアソコは、人によってさまざまです。女性に言わせれば、男性もさまざまと言うかも知れませんが、感度も感じ方もさまざま。角度も人によって大きく異なります。
既に原稿もろとも運営に削除されてしまいましたが、以前に、江戸時代の文献に基づいて 「女性の名器」 という記事を書いた際には、多くの女性から、「人によってそんなに違うんだ」 という声や、「勉強になる」 というコメントを戴きました。

公衆浴場などで、同性のアソコを見る機会があるとは言っても、男性のブツは萎(しな)びてますし、女性のブツは見えません。
学校の授業で取り上げられているのは、単なる生殖行為。巷(ちまた)に溢(あふ)れているには、主に男性の性欲をそそる AV産業の産物ばかり。
教科書に書いてないと、何も出来ない子供が増えている中で、教科書どころかマトモな指南書すらないのが、男女の○ックスです。
ある意味、日本の少子化は、起こるべくして起こった現象としか、言いようがありません。
社会全体で、妊娠・出産・育児を支援するのはとても大切なことです。しかし、条件が整わなければ産まないみたいなのは、所詮(しょせん)は単なるエゴに過ぎません。
他人の視線を気にする 「日本の文化」 に、性は忌(い)み嫌うものという概念が刷(す)り込まれてしまったからでしょう。

「女性の人権」 を守ることは大事です。

しかし、男と女は、遺伝子的にも構造的にも、そして精神的にも異なる存在です。選挙権や参政権あるいは社会保障など、社会における男女同権は当然のこと。だけども、生物学的な役割は異なるということ。
経済成長が鈍化した途端(とたん)、女性も社会を担う一員として労働力に数えられ、産めよ増やせよ(苦笑)
日本人に限った話ではありませんが、世間とは勝手なものです(苦笑)

昭和の高度成長期のように右肩上がりの経済であれば、家計は苦しくとも、自転車操業よろしく貧乏家族も頑張れましたが、未来の夢を見れない現代はというと、自分の感性を大切にする時代。
そういう意味で、世間の価値観に縛られず、個人が個を取り戻そうとしているのが、これからの現代なのかなあと。
トランプの保護政策を含め、新たなムーブメントは、ある意味、切羽詰(せっぱつ)まってる人達から、始まってると感じてる次第です。

そんな中で、女性も声を挙げ始めています。

「一度で良いから、○ックスでイってみたい!」

相談に乗れば、当たり前ではありますが、皆さん真面目で切実です。
自分を含めて、結婚相手との性生活に満足出来ていない家庭は多いと思います。
そもそも、政府を含めたセックスレスの統計自体が、したか・しないかです。
その質は、全く関係ありません。
質を考慮したら、統計以上に悲惨な値になる。それが今の日本の現状です。

でも、考えたら、教科書すらないのですから、当たり前。
教科書がなくても、学べる人は、ほんの一握り。多くの優等生は、教科書がないと駄目なんです。

しかし、その教科書で、そのメカニズムを科学的に明らかにしたところで、全く意味ありません(苦笑)

と言うことで、新たなアプローチをしてみることに。

この問題に真剣に悩んでいる夫婦やカップルさんのご相談に乗ります。
当然、男性や女性からの相談は、今まで通り受け付けています。

○ックスが人生の全てでは決してありません。それは真です。
しかし、食欲と並ぶ2大欲求であることも確かです。人間は生物である以上、本能に縛られて当たり前。
生存本能をストイックに否定したいひとは、手っ取り早く、さっさと水と食事を断ってください(苦笑)
人間は不完全な存在であるからこそ、完全を自分に求めれば「自己否定」を起こし、他人に求めれば、自分が傷付けられるのです。
自分の不完全も認め、相手の不完全も受け入れる。そしてその中で愛を育むこと。

平成の駆け込み寺、ただ今、開校いたします(笑)