2ntブログ
2016/06/10

不倫は文化?

有名なタレント?である石田純一が言った迷セリフですが、調べてみると、石田氏本人は言ったことを否定している様子。

「石田純一は 『不倫は文化』 とは言ってなかった」 によると、事の真相は、不倫交際をマスコミから非難された石田氏が、

 

「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」

 

と反論したことが、「不倫は文化」 と短縮されたらしいのですが、しかし、当時このフレーズは、風の如く世間に知れ渡り、一世を風靡(ふうび)しました。(笑)

 

確かに実在する不倫から生まれた文学小説もあれば、不倫の愛が背景にあった描かれた名画もあるかも知れません。

しかし、文化が生まれる下地は、「不倫」 にあるのではなく、不倫も 「愛」 であるからに他なりません。

それに 「文化」 というものは、誇れるものであり、高尚なものです。

なので、「不倫は文化」 ではありえません。(苦笑)

 

時間の変遷と共に、人々の感性や考え方が変わり、そこに芸術性が見出されることによって、文化として昇華されていくものは、確かにあるかも知れません。

当時はお下劣な浮世絵の春画も、今となっては、当時の性風俗を伝承する記録であり、絵画であるわけですが、その時代はと言えば、「文化(カルチャー)」 ではなく、「サブカルチャー」 以外のナニモノでもありません。

 

寿司も、天麩羅(てんぷら)も、発祥(はっしょう)は屋台のたべもの。

当時は、高尚なものではありません。

それが、今のレベルまで昇されたのは、ある意味、職人の向上心と、それをこよなく愛したお客があったからこそです。

 

浮世絵の春画をデフォルメと言うひともいますが、そうなのかな?(笑)

 

昭和の緊縛も、これからは、どんどん高尚なものとして、流派が生まれてくるんでしょうか?

 

芸人という職業だけでなく、テレビに露出する職業そのものが、ひと昔前までは、「恥ずかしい商売」 として認識されていましたが、最近では、そういう偏見もなくなってきています。

 

時代と共に価値感はかわります。

 

「不倫は文化」 では有り得ないとは思っていますが、ひとつの 「愛のカタチ」 として、それを許容する 「平成の大衆文化」 は今も形成されつつあると思っています。

しかし、他人を傷つけないこと。

それが、いつの時代であっても、最低限の流儀です。

 

人生。精一杯、「今」 を楽しむことが重要。

野暮(やぼ)でなく、粋(いき)に生きたいもんです。