2ntブログ
2016/02/04

割れ鍋に綴じ蓋

「割れ鍋に綴じ蓋(とじぶた)」。これが結婚を含めた 「男と女」 の理想的な関係と言えます。

ちなみに、「綴じ蓋(とじぶた)」 は、「閉じ蓋」 ではありません(苦笑)
ヒビや欠けあるいは割れた部分を補修した蓋(ふた)のこと。
最近は、見かけることも少なくなりましたが、金継ぎ(きんつなぎ)などは有名です。これらは基本として漆(うるし)を使用します。

若い時分に、異性に対して、自分の理想形を追い求めることは悪いことではありません。
しかし、いくら自分の 「理想」 を相手に抱いたとしても、相手は、それに答えてくれるわけではありません。
相手に対する 「期待」 も一緒。自分の血を分けた 「子供」 ですら、自分の思い通りにはなりません。ましてや 「旦那」 を含めて、血のつながりも何もない 「赤の他人」 が自分の思い通りにならないのは、あたりまえなわけです(笑)

パートナーを自分の思うように変えよう・・・・なんて言うのはエゴ (笑)
結局は、自分が折れるか、あるいは、どちらかが割れるまでとことんぶつけ合う以外に解決策はありません。

「割れ鍋に綴じ蓋」 とは、ある意味、自分が割れたり欠けたりすることを怖れていては、一生、手に入れることのできないもの。
そういう意味で、心底馴染みあった、お互いに居心地の良い理想的な関係と言えます。


結局は、結婚もそうですが、求めるべきは理想形ではなく、お互いが居心地の良い関係。
向上心も、自分自身を高めようとする分には構いませんが、そもそも、他人に求めた段階で、それは欲にすぎません。

以前、浅野温子の旦那と一緒に飲んだことがあります。
当時は有名なコピーライターで糸井重里なんかと並んで騒がれたことはありますが、しかし、ヘラヘラしてて、アタリは良いのかも知れませんが、貸した CD は返してくれないし、結構いい加減なひと (苦笑)
自分としては 「尊敬に値する人間」 ではありませんが、今思えば、浅野温子のような強烈な個性に対しては、そのような人でないとダメなんだろう・・・ということ。

シャイなイケメンと結婚するのが、デブスの子だったとしても、それは、彼女が目には見えない彼氏のハートの傷を理解して癒してあげることに成功したから。


ビジュアルに囚われてい過ぎるひとを見かけると、思わず 「このひと大丈夫かな?」 とも思ってしまいますが、ビジュアルに限定はしませんが、自分のことを棚にあげて、高い要求を突きつけているわけですから、「出会い」 がなくて当たり前(笑)
そうこうしているうちに経年劣化は進みます(笑)

しかし、食材に例えるなら、きちんとした保存保管により 「熟成」 するのも事実。
けれども、熟成したものも売れ残り放置しておけば、当然ですが腐敗します。

「割れ鍋に綴じ蓋」 は、ある意味 「家庭の象徴」 とも言える 「鍋料理」 を連想させます。
大事なのは、きちんとお湯なり汁(つゆ)を溜め込むことが出来、家族が和気藹々(わきあいあい)とした団欒(だんらん)を過ごせるということ。

割れたり、欠けたり、ヒビが入ったら修理をすればいい。

不足してる部分があれば、汁が漏れないように、継げばいいんです。

どんなに嘆いたり、相手を非難したところで、割れや欠けが治るわけではありません。
ヒビが入っても放置していれば、それだけ、欠ける可能性が高まるだけです。
蓋があわない部分は、その出っ張りをなくさない限りは、半永久的に蓋と鍋は合わさりません。
ぶつかり合わない工夫の余地があるならば、それに越したことはありませんが、どうしてもぶつかってしまうなら、どちらかが欠けるまでは、仕方のないこと。
欠けたまま放置していれば、当然、お湯なり汁は漏れるので、そもそもの、鍋の役割を果たせません(笑)


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