2ntブログ
2019/02/19

LGBT のアウティング問題

同性の 「パートナーシップ制度」 を導入する、市区町村等地方自治体が徐々に増えています。

 

   「カミングアウトは誰の権利? 勝手な公表禁じる条例施行」

 

また、同性婚を認めない現在の法律に対して、違憲性を問う訴訟も地裁レベルではありますが、始まりつつあります。

 

   「日本初の同性婚訴訟。原告になったのはどんな人たち? 6組のカップルの横顔と思い」

 

既にお互いの性指向が合致しており、「通常の男女とカップルと同じように結婚生活を送りたい」 という願望は、自然な流れだと思っています。

同性同士であるがゆえ、そのカップルから子供が生まれないことを 「生産性」 といった阿呆な議員がおりましたが、それを言うならば、自ら子を望まない夫婦も、子供は欲しいけど子宝に恵まれない夫婦も、どちらも、非生産的夫婦ということになります。

同性婚であっても、どうしても子供が欲しい人達は、養子として、子供も迎え入れるかも知れません。

 

内縁状態で同居するだけなら簡単なのですが、現在の法律は、世帯を中心としているため、手術の立ち会いから始まり、人の死に至るまで、家族であるか否かで大きく異なります。

民法の改定を伴うだけに、法律的にも社会的にも、その影響範囲は大きいがゆえに、多分最高裁まで、裁判は進むと思いますが、今後の訴訟の行方を見守りたいと思います。

 

***

 

しかし、LGBT であることを本人が公表(カミングアウト)するのではなく、本人の意思に反して他の者が公表してしまう 「アウティング」 を、条例とは言え、法が禁止するのは如何なものでしょうか?

罰則規定がないことが、まだ救いではありますが、しかし、条例違反に問われれば、「民事訴訟」 の方では 「損害賠償」 が掛かってきます。

 

これは、「(東京都)国立市」 の条例ですが、「一橋大学アウティング事件」 がこの条例に大きく影響しているであろうことは、明らかです。確かに悲しい事件ではありましたが、アウティングした学生が、どのような心理状態・精神状態であったかが、重要だと思います。

 

男女の仲であっても、「告白」 とはなかなか難しい行為です。

 

蓋を開けてみて、お互いに好き同士であればプラスになりますが、一方的な好意であれば、良くてゼロ。 相手が自分のことを嫌いな場合は、マイナスに働きます。

 

例えば、ゲイが、全くその気のない同性のノンケに告白したとして、どうなるか。

友人関係と思っていたものの、突如それは、「性的志向」 であると告白されるのです。

 

それは、ある意味、自分がその友人の 「性的な対象」 とされていたことを意味します。

当然ながら、この一橋大生のように、「自分はその気はないので、お友達のままで・・・」 と答えるでしょう。

 

しかし、その友人は、友人として振る舞いながらも、やはり態度には出るわけです。

男女の仲でさえ、嫌いな相手に告白されて付き纏われたら、敬遠するでしょうし、逆であれば、敬遠されます。

 

ましてや、そういう告白経験や恋愛経験すらない LGBT の男が告白したわけですから、それまでに築かれるべき、恋愛における耐性や免疫が全然出来ていないわけです。

 

告白された方は、想定外のイレギュラーな状況だったわけですし、告白した方は、一般的な男女であれば、それまでに経験しているであろう 「恋愛の玉砕」 を経験していないわけです。

 

***

 

まあ、市の条例であり、市議会なので、其処まで深く考えている議員もいないでしょう。

この事件は、自分としては、どちらが悪いわけでもなく、「悲劇」 であったとしか思えません。

 

その 「アウティング」 に悪意や意地悪根性があったのか否か、それはわかりません。

しかし、どちらもが自分を貫いて、そして一方が玉砕し、一方が十字架を背負った。

 

あまりにもどちらも 「純心」 過ぎて、薄汚れた ”ゲス” のオヤジ的には、悲しい事件です。

 

***

 

自分的に思うのは、常に顔を合わせる環境にある人達の場合は、「告白」 が失敗したら、告白した方も、その人と疎遠になることを、覚悟する必要があると思っています。

疎遠になって、その相手から、絡んで来るようなら、それは 「友達関係」 を受け容れてくれているということ。

 

超 「日本的」 で、自分的には、凄く違和感があります。

 

最近の 「セクハラ」 や 「強制性/交等罪」 に絡み、明確に拒否をしていないケースにおいて、裁判では、「合意」 があったか、なかったが議論になります。

 

これに関しては、「最高裁が性犯罪の研修資料作成」 にもあるように、”被害者の心理” も十分考慮するように通達しています。

 

これは 「心理」 を理解すべきという点は、正しいと思う一方。

 

明確な 「拒否」 の意思表示がないままで、意思表示が出来ない人と、都合よく自分勝手に解釈する人のトラブルは、自分的には、生命に関わる、あるいは、脅迫的な環境にあるような 「強制性」 がない限りにおいては、あり得ないと思っています。基本は、

 

   「明らかに拒否すべきときは、拒否すべき」 

 

なのです。

 

自分は、日本において、こういうトラブルを抑止したいのであれば、法令で 「本当の嫌っ!」 を表現する 「セーフ・ワード」 を規定しておいたら、良いように思います。

 

そして、「告白」 においても、無理だと思ったら、それを言うわけです。

 

自分も若いときは、告白しては玉砕の連続です。

しかし、今思えば、玉砕して 「当たり前」 のアプローチでした。

それは何かと言えば、自分できちんと 「リスク」 を負っていないのです。

 

堪えきれなくなってする 「告白」 は、「射/精」 とほとんど変わらないのです。

   

***

 

自分が思うのは、LGBT の既成カップルに対する 「社会的偏見」 であったり、LGBT カップルにおいて 「結婚」 という社会的な認知が出来ないがゆえの 「生きづらさ」 が問題なのであって、それ以外は、その人の 「主観」 の問題だと思っています。

 

   「自分はその気にないのに…」

 

しかし、それを言ったら、世の中の 「夫婦生活」 が破綻しますwww

 

如何に、旦那としたくないのにもかかわらず、相手をせざるを得ない奥さんが、いるかということ。

裁判官の奥さんなんか、特にそう思っているはずです。(苦笑)

 

***

 

自分は、LGBT ではありませんが、「SM好き」 ゆえに、いろいろと相談に乗っています。

当然ながら、「守秘義務」 は守りますので、相談したいひとは、いつでもどうぞ。

2019/02/18

他人と比べないこと

こんなタイトルにすると、

 

   「多頭飼いのクセに、何を偉そうなことを!」 

とか

   「そもそも、オマエがそうさせているんじゃん!」

 

という読者の方の 「お叱りの声」 が聞こえてきそうです。(^^;

ごもっともなご意見ではあるのですが、まあ、「不快」 に感じるのであれば、そういう人のブログは読まない方が賢明です。(苦笑)

 

***

 

世の中には、一生のうち、まったく浮気をしない男性も、中にはいるかも知れません。

自分も、処/女を旦那に捧げて、浮気の経験すらない女性を何人も抱いた経験があります。

 

「女の喜び」 を知った方が幸せなのか、それとも知らない方が幸せなのか。

 

どちらが幸せなのかは、そのひと次第だと思っています。

 

SM における多頭飼いも、いろいろなバリエーションがあります。

ツワモノの多頭飼いは、多頭飼いを公言し、どんどん奴隷同士を引き合わせます。

自分の場合は、多頭飼いを公言してはいますが、不要な争いを避ける意味で、誰が奴隷かは基本は教えません。

 

しかし、女性の勘は鋭いもので、嗅覚を働かせては他の相手を洗い出したりします。

 

   「自分と話をしている時間、自分と会っている時間は、

   オマエとだけの時間・・・」

 

この言葉に嘘偽りはありません。

会えなくても、どれだけ、耐えられるか。ツライことは百も承知の助です。

 

しかし、世の中 「辛抱」 も大事ですし、辛抱できるようになったら、辛抱強くなることが大事。

そして、辛抱するために、きっと来るであろう 「未来の幸せ」 な時間を見つめるのです。

 

何回も言っていますが、何でも 「クレクレ」 は、あかんのです。

「無償の愛」 を求めるのであれば、それこそ、神に誓って結婚したパートナーに対して、アナタの愛を捧げ、そして、その 「愛」 を求めなさい。

 

自分が出来ることは、満たされない愛の狭間(はざま)、心の隙間を埋めるだけなのです。

一時しのぎの、単なる 「コーキング剤」 に過ぎません。

 

そして、自分が出来ること。

 

それは出来るだけ、アナタが幸せになるように、「思考」 のヒントをあげること。

 

人は、「頭」 では、自分は理解したつもりになりますが、しかし、実は理解していないことの方が多いのです。自分で体験しないと、本当の意味が理解できないのです。 

 

***

 

「多頭飼い」 で、ライバルがいると思うと、それだけでも、女性の本能はいきり立つことでしょう。

むしろ、その感情は、自分に相対しているときよりも、ひとりで堪えているときの方が多いはずです。

確かに苦しいでしょう。しかし、世の中に、他人を自分の思い通りに縛り付けることが出来る人で、マトモな人は、いません。居るとしたら、暴力と脅迫と恐怖で、他人をコントロールしようとする連中です。

 

最終的に、自分を獲得する女性がいるとするならば、それは絶対に 「離れない」 という本人の意思のもとに、居続ける女性です。

まるで 「賃貸借契約」 のようですが、「来る者は拒まず、去る者は追わず」 を謳っている以上は、不法であろうが、占拠されてしまうと、どうにもこうにも、対処のしようがありません。w

 

何度もブログに書いていますが、独占欲は執着であり、女性に独占欲が強いのは、太古の昔から、女性が生き延びるための知恵だった。そういう側面もあります。

しかし、今の女性は、社会の 「結婚制度」 を勘違いして、パートナーになれば、「独占権」 が獲得できるもの理解しています。

 

しかし、それは違います。

 

現に浮気しているのは、男だけではないことは、女性自身が知っています。

そもそも、浮気をするためには、ノンケであれば、浮気男と同数の浮気女を必要とするのです。この場合、「風俗」 は浮気にカウントしていません。

 

職権やお金を使って、幼気(いたいけ)のない独身女性をたぶらかす 「既婚男」 も、いるでしょう。

女を騙して、自分の性欲を満たす輩は、ゲスを自認する自分から見ても 「最低」 だと思います。

 

昔は 「テレクラ」 なんかもありましたし、天下の 「NTT」 が 「ダイヤルQ2」 と称して、風俗営業サポートをしていた時代もありました。(笑)

 

そんな時代に、M に芽生えた若い子が電話してきて、「縛ってほしい!」 という、その子の願望には全く応えることなく、「やり逃げ」 するような、そんな、「ゲス中のゲス」 も、世の中には居るのです。

まだ、ワセワセと 「オトナのおもちゃ屋」 で、出来上がった状態で売っている 「緊縛セット」 なるものを買ってきた、全く緊縛経験のないオヤジの方が、オトナの良識を感じます。(笑)

 

***

 

お酒(赤霧島)を飲みながら書いているので、話が長くなってしまいましたが、自分は、女性の願望を100%満たすことは、致しません。

 

女性の希望に添って、女性を100%気持ち良くしていたら、それこそ 「サービスのS」 になってしまいます。(苦笑)

しかし自分は、サービスの 「S」 ではなく、指揮者の 「S」 です。(笑)  

そして、「 多頭飼い」 の方針を持っていることは、きちんと公言しています。

 

***

 

そして、自分が今日、言いたいこと。

 

大事なのは、「今」 であり、そして 「二人の関係」 であり、「二人の時間」 である筈です。

そんなときに余所見して、他人を見て、「どうするんですか?」 と言うことです。

 

その裏には、「今のありのままの自分に、自信を持ちなさい・・・」 と言う意味が込められています。

 

自分に対する他人の評価によって、自分の価値を計ろうとしているから、自分の心が苦しくなるのです。

 

   「ありのままの自分」

 

それは、アナタの 「エゴ」 のことではなく、むしろ、エゴを取っ去った最後に残る 「アナタ自身」 のことを言っているのです。

 

自分自身を、きちんと見極めている境地の人が、こういうことを言っています。

 

   

 

   「デヴィ夫人の婚活論『人の彼氏を羨ましがる人は自分の幸せに気付けない』」

 

***

 

その人には、その人なりの人生があります。

 

自分の存在は、その人の人生の中で、その人を輝かせる単なる 「スパイス」 のひとつに過ぎません。

 

バナナジュースであれば、お店で売ってるバナジューと、おうちで作るバナジューの違いは、ほんの数滴の 「バニラエッセンス」 の存在だったりしますし、トーストの違いも、パンの耳の脇に入れた、包丁の有無だったりするのです。

 

   「一仕事の大切さ」

 

人生は、自分の感じ方、考え方次第で、天国にも地獄にもなります。

 

芥川龍之介の 「蜘蛛の糸」 ではありませんが、蜘蛛の糸の先を見ることは、ポジティ部な思考であることを意味し、蜘蛛の糸の下を見ることは、ネガティ部な思考を意味するのです。

 

何故、「蜘蛛の糸」 が切れたのか。

 

その 「摂理」 を考えてみるのも、悪くないと思います。

2019/02/17

家で気を付けるべきこと

女性と男性では、浮気や不倫は圧倒的に 「男性からバレることが多い・・・」 傾向にありますが、しかし、女性からバレてしまう場合も全くないわけではありません。

 

少なくとも一度、浮気や不倫がバレている女性の場合、離婚に至らずとも、旦那は 「そういう女」 として認識していますので、注意を怠らないか、あるいは、もう諦められているかのいずれかです。

後者の場合は、もう何でもやりたい放題し放題ですが、前者の場合であれば、やはり要注意。

 

そういう方にうってつけの記事がありました。

 

   「(浮気してる…?)男性が疑いたくなる彼女の“違和感”5つ」

 

この記事では、次の5つに絞っています。

 

① スマホの通知に敏感

② 離れる時間が増える

③ 知らない「友人」が登場する

④ セックスなどのスキンシップを避ける

⑤ いつ買ったのかわからないものが増える

 

こういう記事は、表面上それらしく書いてるだけで、実は身のない 「やっつけ」 的な記事が多いのですが、この記事は、確かに 「なるほど」 です。

 

恋する女は~♪ではありませんが、常に頭の中は彼氏のことでいっぱい。

 

① は(彼との)コミュニケーション欲求、② は(彼と)会いたい欲求、③ は(彼との話を)共感したい欲求。④ は、私は彼だけのもの欲求の裏返しであり、⑤ は(彼に)魅せたい欲求です。

 

この中で、特に気を付ける必要があるのが、① と ④ です。

このふたつは、出る人の場合は、あからさまに出ます。次に気をつける必要があるのは、③ くらいでしょうか。

② も ⑤ も気を付けるのに越したことはありませんが、② は、相手が同性の場合もありますし、⑤ は、常にオシャレな人もいれば、オシャレに無頓着な人もいますので、普段と何も変わらないようなら、何も問題はありません。

 

そして、「現代ならでは・・・」 でありますが、浮気や不倫がバレる可能性は、① と ④ では、圧倒的に ① からが多いということ。

 

もう中身を見られたら 「おしまい」 ということを、常に意識していなければなりません。

次に用心すべきなのは、クレジットカードの利用と、SUICA などの利用記録です。特に旦那が IT に詳しい人の場合は、しっかりしないとこういうところから足がついてしまいます。

 

都内であれば、新宿や池袋といったターミナル駅であれば、まだ良いのですが、くれぐれも、鶯谷などの場合は、気をつけるように。

 

どうしても取っておきたいデータは、グーグルなどのクラウドに保管するとか。

ブラウザも毎回履歴を消すように、する必要もありますが、逆にメールなどは全部消してしまうと、逆に怪しまれますので、ジャンクメールはそのままにしておきましょう。

 

あと、気を付ける必要があるのが、男性も女性もそうですが、お財布の中にレシートを入れるクセ。

また、スマホまでとは言わなくても、意外とお財布チェックをしている女性は多かったりします。

お金が急になくなっていたとしたら、何処かで使った証拠ですし、財布の中に入れているゴムや薬がなくなっていたとしたら、それはまさしく使った証拠。(苦笑)

 

厳密に言うと、キスマークや縄目の痕も要注意です。(笑)

 

もし、今でも旦那と一緒にお風呂に入っているような女性の場合は、普段から旦那に、「ここにアザがあるけど、どうしたの?」 とか言われてないかどうか、確認してみて下さい。

言われているようなら、かなり細かくチェックされているということ。

 

***

 

「二人で一緒に居た」 という証(あかし)が欲しい女性は結構いますが、そういうものは、自分の記憶の中にしっかりと焼き付けるべきです。

 

同じ社員同士の不倫では、「二人が怪しい」 と思われるキッカケは、例えば、財布がお揃いだとか、二人でお揃いのキーホルダーを付けているとか、SNS のサムネが一緒だとか、そういう所から次第に周囲にバレていく場合もあります。

 

とにかく、見つけられて困るものは、最初から持たないし、すぐに処分すること。

 

あとは、顔にすぐ出る人の場合は要注意。

事実を指摘されると、アタフタしているのが顔に出たり、あるいは、異常に怒るなど行動が見え見えの人も同様です。

こういう人は、常日頃から、消防訓練や避難訓練をすることをお勧めします。(笑)

 

なにごとも、

「備えよ常に」 です。(笑)

2019/02/17

支離滅裂

とあるブロ友さんの記事から、勝手に 「お題」 を頂戴。

とあるブロ友さんの記事の内容は、主に 「スピ系」 の人達の、支離滅裂な記事の話。

 

「スピリチュアル」 を否定はしませんし、この人はきちんと自分を 「内観」 して、「自分の言葉で書いるな」 と思われる人は、まだマトモです。

 

一時、早稲田の大槻教授がテレビ番組で、ありとあらゆる似非科学的なものを否定する番組がありましたが、世の中科学が100%ではありません。

アレはアレで、今で言うと 「林先生」 のようなもの。(苦笑)

 

大槻教授の場合、物理学の教授であるのにもかかわらず、「ニュートン力学」 の世界で話をするので、お茶の間では良くでも、逆に、「自然科学」 系出身の人であれば、特に、幽霊の存在を議論した番組においても、軽量問題や精度問題、あるいは、量子力学で言う不確定性原理などに絡めて、違和感を感じたりしたものです。

 

「ゼロ知識証明」 ではありませんが、「ないことは証明できません」 が、「ある」 ものは、その時は無理でも、時代の変遷と共に、証明出来たりする。

湯川秀樹氏、朝永振一郎氏らが、「素粒子理論」 でノーベル賞を取り、そして、カミオカンデで、自然発生した素粒子の検出に成功したことでノーベル賞をとった小柴昌俊氏。

ちなみに、朝永振一郎氏の家は、過去記事 「ライスチョコがお店から消えた理由」 に書いた、初めてバレンタインデーチョコを貰った本屋のすぐそばにありました。(←だからなんなの?苦笑)

 

***

 

「日本人の1/3が、日本語が理解できない」 という結果が、OECD の国際調査の結果に出たようです。

 

   「言ってはいけない!『日本人の3分の1は日本語が読めない』」

 

この調査の結果は、あまり深刻に考える必要はありません。

他の国なら、1/2なんて国が、ざらにいるのですから。

 

これは、読解力の問題です。

 

   「日本の生産性を引き下げている『文章を読めない人』」

   「『教科書が読めない』子どもたち 教育現場から見えた深刻な実情」

 

母国語である日本語でも、こんな調子ですから、幼少期からの 「英語教育」 なんかもってのほか。

なんてことも思いますが、しかし会話としての 「他国の言語」 は若いうちから触れておいた方が、理解は何十倍も速い。これも事実です。

 

***

 

自分は、迷っている人達は、自分の 「立ち位置」 がもう、解らなくなってしまっていて、必死で基軸を探そうとしている人達なんだと思っています。

 

自分的には、そういう人達は、自分でも、騙そうと思えば騙せと思います。

しかし、そういうことをしないのは、意義を感じないから。

「オレオレ詐欺」 にしても、自分が喰うのに精いっぱいだから、そして、誰かを犠牲にしても、自分が生き延びれば良いという思いがあるから。

そして、そういう 「生存本能」 に基づいて、「人の弱い気持ち」 を付く人達がいるからです。

 

ちなみに、某アメブロで、記事がまだ数えるだけなのに登録読者が山のようにいる連中は、だいたいが 「セミナー系」 です。

要は、そのセミナーを通して関わった人達の間で、相互に 「読者登録」 をしているからです。

 

そうでない人もいます。

自分が読者登録している、ダンスに絡めた 「ヘアドレッサー」 をされている女性は、確実に自分の子弟を育てあげ、そして善意のもと、どんどん着実にそのネットワークを国内に広めています。

 

最近記事を読んだ 「ピアノの先生」 も、とても真剣で、表面的な技術ではなく、心と身体と自分の波のようなものを書かれてたのが伺えて、個人的には、「そこで 『自分が込める力』 をもう一つ抜けばいいのに・・・」 などと、ツッコミそうになってしまいましたが、しかし、「ホンモノ」 の人だなと実感した、ひとりではあります。(笑)

 

あとは、自分のことを 「変人」 と呼んでいましたが、実に 「内観」 に長けている女性の方もおります。

自分は、その方の記事の中で、食と健康・病気の話になると、自分が理解できないのか、それはわかりませんが、「違和感」 を覚えることがあります。

しかし、その方の 「内観」 は、かなり共鳴できるところがある。読んでいると、本当に、エロは全くないのですが、自分の身体をその方に重ねたくなってしまうのです。(笑)

 

   「それは、記事に関係なく、

   誰にでもそういうこと感じているんでしょ!!」

 

というツッコミはなしです。(^^; 苦笑

 

***

 

この 「支離滅裂」 のお題をくれた方は、心の目で物事を見ているのでしょう。

 

視力の良い男は、まるで高解像度の 「スキャナ」 のように、通りすがりの女性を、下から上へ、あるいは、上から下へ瞬時にスキャンします。ww

自分も昔、若い頃は、「マサイ族」 ではありませんが、「2.0:2.0 系」 で、女性の肌のニキビの数まで数えられましたし、お化粧の重ねた回数まで、数えることが出来ました。w

 

しかし、視力の良い人には早く老眼があらわれます。

自分は、半ば近くでしたが、早い人は、40代のはじめぐらいから。

38歳くらいの 「勃/起不全」 の旦那?彼氏?に悩む女性もおりましたので、本当に早いと、もしかしたら、視力もその辺から 「下り坂」 なのかもしれません。

 

しかし、自分の場合は、視力が落ちて、「アバタもエクボ♪」

 

それから、「『人の良いところ』 を見ることが、如何に幸せに繋がるのか・・・」 ということを実感しましたし、今でも実感しています。 (^^;

 

***

 

自分が若いときは、「自分に得になることばかり」 を考えていました。

そして、株を高値で買い、安値で売ったことも何度もあります。

そして、伸びしろのある、安値で底値のものを、何回何十回何百回逃したことでしょう。

 

科学も計算もそうですが、実験結果を含め、「統計評価」 と検証のために、 しっかりと使われるべきもので、

 

   「STAP細胞は、ありま~す!」

 

の一言で誤魔化されるものであっては、いけないのです。

 

しかし、大事なことは、「信念」 であり、「信頼」 であり、「希望」。

 

そして 「愛」。

 

なので、「愛」 に飢えて飢えているひとは、「クレクレ!」 状態になり、そして、「自分の徳ばかりを考え」、そして、「不幸」 になっているのです。

 

   「支離滅裂!」

 

それは、おっしゃる通り。

 

***

 

自分は今、その人の 「身体」 も見ていますし、「心」 も見ていますし、そして常に、「科学(=理)」 も意識しています。

そして感じているのは、「エクスタシー」 という 「爆発」 です。

 

しかし、今の関心は、自分の 「エクスタシー」 ではなくて、他人の 「エクスタシー」 です。

やはり、「料理人」 でもあるせいか、いろいろな人に 「エクスタシー」 を味あわせたいという願望があります。w

 

自分の料理に痺れている客を見るのは、「自分の女」 が自分の前で 「ピクピク」 と身体を打ち震えさせてるさまと、大して変わらないのです。

だからなのか、「料理人」 の世界には、和洋中を問わず、「S系」 が多いです。

 

***

 

「言葉」 で騙されないために、"言葉" を学び、

素肌の 「感覚」 で騙されないためには、"肌" で感じ、

感情に流されないように 「理」 を学ぶ。

 

その究極にある 「快感」 は、

 

例の 「ワンコ」 でよれば、渋谷駅前で待ちに待った末に、自分の目の前に 「ヌシ」 が現れることであり、そして、また別の、とある 「ワンコ」 によれば、常にヌシと一緒に時間を共にして、一緒に逝くことです。

 

   「フランダースの犬」

 

しかし、ベルギーの首都の 「ブリュッセル」 だったか、「アントワープ」 にあったのは、「ネロとパトラッシュ」 と日本語で書かれた、見すぼらしい銅像。

 

どうも、あの童話は、「地元」 では語り継がれていないようです。

 

まあ、「コリアン」 の創作でないとは思いますが、やはり、「自分たちの祖先が無慈悲であった・・・」 とは、主権意識がある国民ならば、何処の国民も思いたくはないもの。

まあ、お隣さんも、「千年の恨」 の裏には、千年経っても、武力(肉体)的にも経済的にも精神的にも、独立できない事実は認識してるわけで。

最近のお隣国の政治家やマスメディアにおける 「明らかな嘘」 は、もしかした、隠れた 「SOS」 なのかも知れません。

 

が・・・

 

   「面倒臭い!」

 

***

 

みんな、何かを求めているのです。

 

自分のブロ友の刹那みたいのは、恰好良いです。

「吉永小百合」 みたいなのか経緯はわからんけど、教育過程を主席で卒業するらしいです。

 

ある意味、一番純真でマトモ。

 

昔、自分がしつこくも口説いていた 「ルナルナ」 ちゃんと会ったそうですが・・・

自分は「学問」 とかは、「MBA」 とかを除けば、本来は 「学びたい人」 のためにあるものだと思います。

一応年上なので、ネット上では 「尊敬語」 で話してはくれますが、自分はネット上では、「想念」 で繋がっていますので、いつか出会って、一緒に美味しいお酒が飲めるのを、すごく楽しみにしています。

 

***

 

北へ、北へ!

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

***

 

業務連絡

 

今の場所的に言えば、”北” と言えば、五反田・渋谷それに新宿歌舞伎町。

池袋とか、何とか大塚もあるでよ~♪

 

「顔は角でも、味はまろやか~♪」

 

 

チョビは、ねますww

2019/02/16

ライスチョコがお店から消えた理由

GODIVA が 「義理チョコやめよう」 と広告を出せば、

ビッグサンダーが義理チョコを応援する姿勢を取った、今年のバレンタイン商戦ですが、

最近は、どうもお菓子屋に行っても、駄菓子屋に行っても、ライスチョコを見かけません。

 

自分が、初めて女子に 「バレンタインチョコ」 を貰ったのは、小学校6年のとき。

それまでは、まだ 「バレンタインデー」 というものを知りませんでした。(苦笑)

 

学校も終わって、本屋で漫画を立ち読みしていると、知った顔の女子が 「だだだだだー」 と本屋に雪崩れ込んできて、1個の 「ライスチョコ」 を手渡されました。

何で、自分がチョコを貰うのか、その理由がわからない自分は、

 

   「これ、落ちてたの?」

 

と、思わず聞いてしまいました。(苦笑)

 

そして、「食べても大丈夫だよ」 と言うと、その大勢の女子は、また、「だだだだだー」 と消えていきました。

 

その本屋は自宅から離れた4丁目の本屋でしたから、多分、自宅に行き、「どうせ本屋で立ち読みでもしてるんでしょ・・・」 ということで、多分、いろいろと本屋を探し回ったのでしょう。

 

今思い返してみると、チョコそのものよりも、大勢の女子が 「ドタバタ」 と走って、自分を探してくれたこと、そして、本屋で女子に囲まれたことむしろ、にインパクトを覚えました。

 

 

そんな 「ライスチョコ」 ですが、最近はとんと見当たりません。

ネットで調べてみると、東チョコという会社が作っていたようですが、現在は、米菓やアラレの大手大黒屋と合併し、「東チョコ、大黒屋」 という社名になっているようです。

 

現在の、ライスチョコのライバルは、何と言っても、ココアを混ぜ込んだ発泡クッキーにチョコがコーティングされているブラックサンダー。

かたや、ライスチョコの要の具は、ライスパフです。

 

ライスパフは、火に掛けて高圧になっている窯の蓋を勢い良く開け、内圧を急に下げることによよって、膨らませます。

「ポン菓子」 とか 「爆弾アラレ」 とか、言いましたが、昔は、窯を持ってるおっちゃんが、近所を回り、お米をもっていくと、ポン菓子を作ってくれるサービスなんかがあったりしましたが、音は 「ポン菓子」 みたいな生易しいものではなく、もう、「ドッカン!」 みたいに、大砲を打つような炸裂音が鳴り響きます。

 

 

ちょっとのお米が、これだけのカサになりますが、しかし、ライスパフを作るということは、これだけの人の手間が掛かるということ。

しかし、ライバルのブラックサンダーの方はと言えば、やろうと思えば、製造ラインで作ることも可能。

 

人手に依存していた昭和の時代ならともかく、原価低減が必達目標の現在は、やはり、生産ラインの機械化は、重要なのでしょう。

時代の流れもありますが、合併していることもあり、利益率が悪ければ、「他のものを作れ・・・」 ということにも、なりまねません。

 

***

 

そんなわけで、「チョコに飢えている・・・」 というよりは、あの懐かしい 「ライスチョコ」 に飢えている中高年でありますが、

 

そんなところに現れたのが、「おじさまキラー女子♪」 

 

なんと、ライスチョコを手作りしてしまったそうです。

 

チョコの具の大半は、ライスパフで、大量のライスパフを、溶かしたチョコに絡めただけですので、原価も極めて安上がり。

ハート型のシリコンモールドに流し込んだり、こてこてとした飾りも不要。

しかし、そんなチョコで、「おじさま」 の覚えに適うのですから、「恐るべき」 選択眼です。

 

***

 

そんな 「おじさまキラー女子」 からいただいた 「手作りライスチョコ」 がコレ!(笑)

 

 

どうもご馳走さまでした♪

2019/02/14

鶯谷タイ人女性殺害事件の続報

過去記事 「SM と乱暴は違う(3)補足」 に書いた事件の続報ですが、

 

読みは完全にハズレてしまいました。(><;

 

   「【独自】『外国人女性殺そうと...』 逮捕の昭和大医学部生」

 

報道によると、

東京・台東区でタイ人の女性を殺害した疑いで逮捕された男が、逮捕前の調べに、「外国人女性を殺そうと思った」と話していたことが新たにわかった。

昭和大学医学部の四十宮直樹容疑者(20)は、2018年12月、台東区のホテルで、派遣型風俗店に勤務する当時19歳のタイ人の女性を殺害した疑いで逮捕され、逮捕後の取り調べでは、殺意を否認している。

しかし、四十宮容疑者は、逮捕前の任意の調べに対し、「外国人が風俗店に勤務していることや、時給が良いことが許せなく、殺そうと思った」などと話していたことが新たにわかった。

 

とのこと。これは完全に鬼畜です。

と言うか、「なんでソコ?」 にそんな怒りを覚えるのか、全く理解できません。

 

逮捕後の取り調べにおいて、殺意を否認したというのは、その間に弁護士の入れ知恵があったためでしょうか?

 

辻褄が合わないだけに、何かを隠しているのかも知れませんが、そんな見当違いの怒りを爆発させるのではなく、素直に息子を思いっきり爆発させれば良いのに・・・と思ってしまいます。

やはり、考えれば考えるほど、普通に息子を爆発できなかった何か。問題の存在を意識してしまいます。

 

***

 

しかし、パーソナリティ的には、選民意識的なものや、自分は正しいと思って見下すイメージがあります。

「自分はいつも正しい」 という思い込みがある人というのは、得てして、モラハラなどを起こしやすいものです。

それは自分は正しいので、自分の価値観が全てであると誤認してしまうためです。

その結果、弱い者の価値観を認めず、自分に従おうとさせたりします。

他人は全く異なる価値観を持っているという認識がなく、数学的に解はひとつと誤認しているのかも知れません。

 

もしくは、やはり 「性的サディズム障害」 みたいなものが、あったのでしょうか?

 

20歳ですから、まだ、幼稚なところがあっても致し方ないとは思いますが、殺人という手段を選択するのは、あまりにも非社会的ですし、そのために、あれだけの防犯カメラに囲まれている 「ラブホ」 を使うなんて言うのも、後先を考えていないというか、理解出来ません。

 

タイ女性殺害後、一人でホテルを出るつもりだったのかも知れませんが、通常は、一人が先に帰ったり、あるいは一人で外出する場合には、フロントは電話で相手に代わって貰い確認するといった運用が取られますし、部屋のドアの開閉が記録されるなど、ラブホには、事件や事故を防止の仕掛けが結構あるものです。

計画的に 「トルクレンチ」 を購入した割には、証拠隠滅と逃走が抜け落ちており、あまりにも、「非計画的」 で行き当たりばったり。

 

***

 

容疑者の心の闇が、明らかになるかどうかは分かりませんが、20歳なんてこれからなのに、なんでこうも大きく、人生の階段を踏み外してしまったのでしょう。

 

みなさんも、ご注意ください。

2019/02/14

幸せのお裾分け

大事なことは、其処なんだと思います。

 

多分、「幸せ」 をきちんと消化出来ていない人が、アップアップして、気持ちも 「いっぱいいっぱい」 になっちゃうのでしょう。

 

美味しいご馳走で、勢い良く食べ過ぎてしまったら、げっぷを吐かないとキツイわけですし、

美味しいご馳走は、きちんと消化して、自分の身にして、ウンコに出してナンボのもの。

 

生と死も、あらゆる物質も、幸せも人の気持ちも 循環しているんだと思います。

その循環が止まってしまうと、実は苦しい。


自分が他の方から 「幸せ」 を頂いたのなら、その幸せを他の人にも分けてあげないと いけないのです。

 

***

 

今ある生活も、今あるものを失くしたら、如何にその何の変哲もない生活が、幸せであったかを感じるわけです。

 

世の中、自分の好きなものばかりで、構成されているわけではありません。

自分の身の回りに、自分が嫌いなものもあるかも知れません。

 

しかし、自分!自分!で、常に自分中心で考えていると、その何の変哲もない生活も、嫌だ嫌だと思っている生活も、人は、それがなくなったときに初めて、実はその生活が、「幸せの塊」 であったかに気が付くのです。

 

だから大事なこと。

 

それは、自分が貰った 「幸せ」 は、自分で独り占めにしないで、他の人にも分け与えること。

 

そして、他の人にも笑顔になってもらうことです。

 

そして、そういう生活をしていれば、自分もまた、他の人から 「幸せのお裾分け」 をいただく場合もあるでしょうし、人も集まり、そして、どんどん 「幸せの輪」 が笑顔となって広がるのです。


浮気をして得た 「幸せ」 であったとしても、その幸せは独り占めすることなく、みんなに分けてあげること。

そして、あなたは、みんなの笑顔で、喜びに満たされるようになります。

 

***

 

ジョルジュ・バタイユが、氏の著作 「呪われた部分」 で大事だと言っていた、「ハレ」 と 「ケ」。

 

今の社会は、「ケ」 の塊で、蓄財に価値を見出す世界です。

これに対して、「ハレ」 とは 「祝祭」 のことであり、「蕩尽(とうじん)」 や文化芸術宗教なども含まれますが、「ケ」 で蓄えられた蓄財を放出する世界です。

 

SM は 「ハレ」 なら、「セ/ックス」 も 「ハレ」。

 

日々の 「ケ」 は、股に力を込めて堪えて、慎ましく蓄財に励むからこそ、

祝祭の 「ハレの日」 が輝くのです。

そしてまた、「ハレ」 で得た喜びを糧に主に感謝し、「ケ」 を生きる。

 

日々を天国にするのも地獄にするのも、アナタ次第。

誰が悪いワケでもなく、幸せになる鍵も、不幸せになる原因も、それは、アナタの心の中にあります。

2019/02/14

人形遊び

自分も

 

目の前にいる 女性を見つめ

その女性に 触れ

その女性と 戯れながら

 

実は

 

目に見えない 空気の流れや 時間の流れ

目に見えない 女の心を 感じている

 

そんな気がする

 

 

春さんは 本当に詩人だよね

まさしくその通り

2019/02/13

「奴隷」の心得(再掲載)

この記事は、以前のブログ 「とあるロープワーカーの覚書き」 に書いた記事の再掲載です。

(ちなみに、以前のブログは、全てではありませんが、コチラ の方にログがありますので、よろしかったら覗いてみてください。)

 

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SM におけるサディスト(S)とマゾヒスト(M)の関係は、「主従関係」 であり、所謂(いわゆる)通常の 「恋愛関係」 とは違うものであることは、以前にも何度か説明しました。

では、SM における、この 「主従関係」 をどのように説明したら良いのか。実は今までも、何回か説明をしているつもりなのですが、しかし、十分に説明仕切れていません。

今回は、奴隷の心得。M の行動や振る舞いといった視点から説明してみたいと思います。

 

まず、SM における 「主従関係」 の行動的な側面について、出来るだけ自分の中にあるイメージを言葉にしてみたいと思います。主従関係をきちんと理解出来れば、自ずと、奴隷があるべき姿を理解できるはずだからです。

この 「主従関係」 を直観的に例えるとしたら、今現在一番しっくりときている表現は、ダンスの 「パートナー」 みたいな感覚でしょうか。

 

SM と 「ダンス」 は似ている

 

社交ダンスなら社交ダンス、サルサならサルサという 「ダンスの道」 があります。SM の場合は、SM 自体が高尚なものではありませんし、「こうあらねばならない」 という規範的なものがあるわけでもないので、「道」 と呼ぶには、少しおこがましい感があります。

しかし、SM とダンスとは、実に似通っています。どちらも、男女がペアを組み、男女間の愛や喜びそして美を表現することに、何か関わりがあるからでしょうか?

どちらも同じ 「にほひ」 がするのです。(笑)

 

男女関係

ダンスにおける男性パートと女性パートの男女関係も、実に SM と似通っています。

 

踊りにおける男女のペア。もう、踊りにおいては、もう、何年も連れ添ってきており、踊りであれば、これ以上、お互いの呼吸が合う相手はいない申し分のないパートナーである。相手の癖も、手に取るように解かる。

男性も女性も、一緒に踊っている時間が楽しく、踊りそのものを楽しんでいる。

女性のパートナーも、男性パートナーの考え方を十分に尊重している。

男性は、女性のパートナーの呼吸を読み、音楽と踊りの流れを読み、そして、女性パートナーが最高に映えるように踊りをリードする。

女性は、男性のパートナーを十分に信頼しており、身体を預けるときは、躊躇なく身体を相手に預ける。

そして、どちらも、ダンスにおいては、常に前進するための努力は惜しまない。常に新しいことにチャレンジしており、常に張り詰めた緊張感みたいなものを持っている。

勿論、その陰では、人知れぬパートナー同士の苦悩も涙もある。

 

ダンスを SM に言い換えてみても、そのまま当てはまりそうなほど、酷似しています。

 

視線

また、ダンスの最中に意識する 「視線」 というのも、実に似通っています。

例えば、観客が居て、観客に対して 「見せるダンス」 に興じる人達は、「他人からどのように見えるか」 というように 「他人の視線」 を意識します。当然ですが、「見せる」 ために効果的な動き、言わば 「魅せる」 動きを取り入れたりもします。

しかし、基本的な関心や視線は、純粋にパートナーとのダンスを楽しむ人達と同様、お互いのパートナーそして自分達にあります。

 

そして、ダンスにおいては、進む方向を決めたり、進行を決定するのは、リードする男性の役目です。

女性は、男性のリードを信用して、心配したり不安な素振りを一切見せることなく、ただ自身の身をパートナーに委ね、伸び伸びと演技をするわけです。

そういう意味では、女性のパートは、見られている自分を意識することはあっても、自身の関心と視点は、常にダンスをリードする男性にあるのが基本です。

 

ダンスにおいては、「レディーファースト」 であることを理由に、女性が 「メイン」 と思われる方も多いかも知れません。しかし、レディーファーストは、女性が男性のエスコートに委ねるということです。

ダンスにおいても、女性パートは、男性のリードに 「従属」 するのが基本なのです。

 

リードとフォロー

では、「奴隷の心得」 と題しているのに何故、ここまで、SM とダンスとの類似性を説明してきたのかと言うと、ダンスのスピリットとも言える 「リードとフォロー」 を説明したかったからです。

 

ダンスの 「リードとフォロー」 は、「ダンスの感性」 程度にしか理解されなかったりしますが、それでは、踊りを綺麗に誤魔化しているだけ。単に、上辺(うわべ)を取り繕(つくろ)っているに過ぎません。

ダンスにおける 「リードとフォロー」 は、ダンスの技術ひとつひとつを、ひとつにまとめ上げる真髄であり、ペアが一体となるための、エネルギーの根源のようなものです。

スピードが乗り、パワフルでいて、しかし、しっかりとバランスもとれていて 「躍動感(やくどうかん)」 があふれるような踊りは、寸分違わずピタリと呼吸の合った男女の、絶妙な 「リードとフォロー」 があってこそ、生まれます。

 

女性に至っては、そこにはもう、思考はありません。「無心」 です。あるのは音楽と目の前のパートナーだけです。

「リードとフォロー」 は、SM の基本でもありますが、セックスにおいて、頭の中が既に真っ白になっており、何も考えられず、ただ男性のリードに心身を委ねている女性と状況的には全く同じなのです。この情景も、SM と驚くほど一致します。

 

奴隷の意味

 

SM プレイでは一般に、受け手側のことを、「奴隷」、「性奴隷」 や 「愛奴(あいど)」、あるいは、人ではなく、家畜やペット等の動物その他に例えて、「雌豚(めすぶた)」 や 「肉便器」 といった蔑称(べっしょう)で呼んだりするのが慣例ですが、これらは、SM プレイにおいて、「加虐性嗜好者」 側を 「支配者」 に、「被虐性嗜好者」 側を 「奴隷」 に見立てていることに由来します。

当然ながら、「支配者」 と 「奴隷」 との間には、固有の 「主従関係」 が成立しています。

 

奴隷とは

「支配者」 すなわち 「主(ぬし)」 と 「奴隷」 間の実質的な形態は、人それぞれ様々ですが、形式的には、「人格」 や 「人権」 を有しない者(自らの意思で放棄した者)として扱われ、支配者に対する 「絶対服従」 および 「性的な奉仕」 が義務付けられています。

また、支配者には、奴隷に対して懲罰や責め苦を与える 「懲戒権」 あるいは 「懲罰権」 と、奴隷を一方的に解除解約する 「解除権」 が与えられているのが一般的です。

 

「奴隷制時代」 のリアルな 「奴隷」 とは、形態的にも、かなり類似しているように見えるのですが、やはり、一番大きく異なる点としては、奴隷制時代の奴隷は、強制的に使役労働に就(つ)かされているのに対して、SM の奴隷の場合は、「自らの自由意思に基づいて(SM というロールプレイ上の)奴隷を選択している」 ことであり、本人の意に反して拉致監禁されているわけでもなければ、暴行や陵辱を受けているわけではありません。

 

被虐性嗜好者が、自分の意思に基づいて、特定の加虐性嗜好者の支配を受けたい。即ち、その支配者の奴隷となり、支配者の命令には絶対的な服従を誓い、性的な奉仕は勿論、精神的肉体的な責めを与えられても、文句は言いませんと言っているわけです。

もっと砕けた表現で言うとするならば、「わたしを主さまの(愛の)奴隷です。何でも言うことを聞きますので、わたしのことを好きにして下さい!」 と言っているに過ぎません。(笑)

 

しかし、現実としては、何をされても良いというのは稀です。「痛いのは無理!」 という M女 も少なからず居ますし、ガッツリと縄目を付けられては困る M女 も居ます。

M女 に、いくら被虐性向があると言っても、それぞれ、好みの趣向があったりしますし、自分が受け入れられない責めというのもあります。また、家庭生活あるいは社会生活を続けていく上で、特に留意して欲しい事項などもあったりします。

主たる S も、M女に恐怖感を感じさせてしまったり、実生活で問題を引き起こしてしまって、後が続かなくては、元も子もありませんので、SM プレイに際しては、現実的には、こういった事前確認をするのが通例です。

 

SM プレイに際しては、S は、M にとことん配慮します。これは、SM プレイで事故を防止するための鉄則みたいなものです。

吊りを伴わない緊縛であっても、縛る場所と締め付けを間違えると、うっ血したり、神経を痛めたりする場合がありますし、アナル調教にしても、後ろに使ったものを、うっかり前に使った時点で、女性は膀胱炎を起こします。

安全には当然、出来る限りの配慮はします。それは、主の役割でもあります。

 

しかし、たまに勘違いする人がいます。S は、M を甘やかしているわけではありません。

また、「S は、M女 を気持ち良くさせているのだから、M女に奉仕しているわけで、とどのつまり、S は M だ!」 みたいな、訳の分らない論理を平然と口にして、「ドヤ顔」 したりする人も、たまに見かけますが、こういう人は、SM を全く良く理解出来ていません。(笑)

「奉仕」 とは、他の人に自ら尽くし、自らを捧げることです。S は、M女 が良く出来た場合に、ご褒美をあげる以外は、基本は、手の平の上で、M女を転がして楽しんでいるのです。(笑)

 

奴隷に求められる姿勢

では、M 女はこうあるべき、みたいなものはあるのでしょうか。

 

M 女に最低限求められること。それは、SM プレイにおいては、主のことだけを見つめ、主の命令には逆らわないことです。奴隷にとって、主は絶対的な存在であり、主の命令には絶対服従が原則です。

人としての権利も人格をも捨て去っているのですから、プライドを持つことなど、到底許されるものではありません。

そして、主の言い付けを守り、主の命令に従うことでのみ、褒美(ほうび)が与えられる、すなわち、認められる存在なのです。

 

しかし、M 女とは言え、被虐性嗜好があるだけで、それ以外は、何の変哲もない普通の女子です。それぞれ個性もあります。素直な子もいれば、そうではない子も居ますし、控(ひか)えめで遠慮(えんりょ)がちな子も居れば、ワガママな子も居ます。

主と奴隷の関係になったからと言って、いきなり自分の人格を変えれるはずもありませんし、そもそも、SM プレイでは、自分の素(す)が出ますので、演技なんかしている余裕はありません。

出来るとすれば、普段の家庭生活や社会生活の中では押し殺されている、自分の欲求や願望を出せる 「別人格」 みたいなものを作り上げることくらいでしょうか。

 

そういう意味では、最初から、完成された M女、完成された奴隷というものは存在しません。誰もに 「始めて」 があるように、皆、調教を通じて自分の M 性を理解し、調教を受けて一歩一歩、求められる姿に近づいていくのです。

ですので、始めから出来なくても当たり前。しかし、それで開き直っていては 「M女の端(はし)くれ」 としても既に失格。出来ないながらも、自ら目指そうとする意識を持ち、努力することが重要なのです。

 

奴隷のイメージの一例

言葉で説明されても、奴隷のあるべき姿のイメージが良く掴めないという読者の方は、ペットを想像すると良いかも知れません。

 

ペットで、わんこを飼っている人であれば、わんこを見れば、解かるはずです。

ちなみに、躾け(しつけ)に失敗し、我儘(わがまま)で何でもやりたい放題。飼い主の言うことすら聞かず、手の付けようのないわんこや、自分を人間と思い込んでいる面倒なわんこは、失敗例です。(苦笑)

 

わんこは、飼い主が誰であるかを認識しています。そして、常に飼い主に注意を払っています。そして、自分の飼い主のことを常に気に留めています。

動物にもプライドがあるのかどうかは解かりませんが、自分を最下位の序列に置いているわんこであれば、家族に対して問題行動を取ることもなく、適切に振る舞います。

飼い主の命令に忠実かどうかは、調教の進捗の程度によりますが、上手く行けばご褒美がもらえますし、してはいけないことをしたら、叱(しか)られます。

 

ドッグランで、飼い主の指示に忠実に駆け抜けるわんこは誉められます。また、飼い主が忙しいときに、大人しく自分でひとり遊びをしてるわんこも、誉められますが、自分遊びに夢中になる余りに、飼い主の声にも気付かず、糸の切れた凧(たこ)状態になって走り回るわんこは叱られます。

 

奴隷に求められる用件

奴隷に求められている用件は、前述したとおりですが、再度整理してみると次のようになります:

① 主を絶対的な存在として認識し、主の命令に対して絶対的に服従すること

② 自らの人権や人格を自らの意思により放棄し、人としての尊厳のない奴隷、家畜、もしくは、これ等と同等の存在として、主に(性的に)奉仕すること

③ 主の命令に反したとき、ならびに、主が望む場合、いつでも、主による処罰を許容すること

④ 自らの意思では、主の元を離れ(られ)ないこと

 

こうやって、改めて眺めてみても、やはり 「性奴隷」 以外のナニモノでもなく、思わず 「鬼畜」 的な印象を受けてしまいます。(笑)

本来は、ここに前提条件として、「主と奴隷の双方が、良質かつ濃厚な SM プレイを希望しており、その目的を実現するために、奴隷は・・・」 という言葉が隠されています。

英文契約であれば、whereas で続く前提条件です。「海外の SM」 と 「日本の SM」 の差異については、機会があれば、また別途ご紹介したいと思いますが、では、何故隠しているのか?

 

ひとつは、「建前と本音」 ではありませんが、全てを書いてしまうと、SM の鬼畜感というか、オドロオドロしさが途端に薄れてしまい、健全になってしまうからでしょう。

SM は、加虐性嗜好者と被虐性嗜好者という、ある意味、変態同士の特殊な性的交遊ですので、健全化されてしまうと、SM そのものが持つ 「禁断の雰囲気」 が壊されてしまうこと。

しかし、一番の理由としては、やはり、M女には、「コスプレ」 のようなロールプレイ的な 「遊び」 としてではなく、切実なものとして受け止め、真剣に取り組んで貰いたいという思いが隠されているように思います。

 

SM が志向するもの

 

「高尚な心理学者」 からすれば、「SM」 とは、単なる 「加虐性嗜好者たる S と、被虐性嗜好者たる M によるロールプレイ」 と理解しているのかも知れません。

しかし、SM を愛好する者達は、SM を 「コスプレ」 のような 「単なるロールプレイ」 とは認識しておらず、常軌を逸しない範囲で、真剣に 「切った張った」 の 「心理戦」 を繰り広げているのです。

「表と裏」 に 「善と悪」 そして 「天使と悪魔」 の間で人の気持ちが揺らぎあい、そんな中、お互いが無意識の中で目指しているもの。それは、M の場合は、支配者に対する 「絶対的な信頼と服従」 によって導かれる 「自らのエゴからの解放」 と、それゆえに得られる、強烈なほどの 「性的快感」 と 「満足感」 と言ったところでしょうか。

S の場合は、奴隷を支配することによる 「自らのエゴの実現」 です。奴隷の支配自体は、目的でもあり手段でもありますが、最終的には、支配欲求と加虐性欲を満たしつつ、得られる 「性的快感」 と 「満足感」 ですが、これらはいずれも、個人レベルでのお話です。

 

では、これら S と M の異常な番い(つがい)同士は、何を求めているのか。

結局のところは、個々の個人を超えたところにある 「一体感」 であるように思っています。

ダンスで言うところの、絶妙なリードとフォローで、呼吸がピッタリと合い、スピードに乗り、パワフルでいて、安定感のある躍動感(やくどうかん)溢(あふ)れる踊りです。

 

ダンスの真髄であり精神性が、「リードとフォロー」 にあるのだとしたら、SM の真髄であり精神性も、リード役である S とフォロー役である M の 「責めと受け」 にあると言えましょう。

人権や人格といった社会通念や、自分を守るための権利意識やプライドといったものから、エゴや嫉妬といった感情的なものまで、何もかもを捨て去って、主に自身の身も心も全てを委ねる。緊張を以って、無心で主の責めの全てを受け止めるわけです。

女性のオーガズムは、緊張と弛緩(しかん)の繰り返し動作です。ドキドキから始まって身体が緊張し、緊張がピークを迎えイクと、女性は緊張から解放されて弛緩した状態となります。

 

「責めと受け」 は、主と奴隷の二人の 「掛け合い」 です。

M は、単に S の責めに身を委ねていれば良いわけではありません。責めを受け止める、つまり、何らかのリアクションを返す必要があるのです。

そして、「ボケ」 と 「ツッコミ」 ではありませんが、お互いが相手を理解し、S は M が持つスイッチを入れ、M は S が持つスイッチを入れ合うことが出来て初めて、ラリーとなるのです。

 

そして、このような状況下において、果たして M 女に、頭で考えている余裕はあるでしょうか?(笑)

そんな余裕はある筈がないからこそ、奴隷に求められる用件は、本人も意識する必要がありますし、普段から調教を通して、繰り返し仕込んで行く必要があるのです。

2019/02/12

SM と乱暴は違う(3)補足

前記事 「SM と乱暴は違う(3)」 の補足です。

 

昨日の事件のようですが、本日の早朝にこんなニュースがありました。

 

   「バスに同乗の女子高校生を特殊警棒で殴った男 逮捕」

 

バスの中で同乗していた女子高生の額を特殊警棒で殴ったとして、傷害の現行犯の容疑で逮捕された男は、24歳。丁度、前記事に書いていた事件の容疑者と年齢も近く、また、棒状のモノで額を殴るという犯行も似ていることから、思わず考え込んでしまいました。

 

もしかして、鶯谷で事件を起こした学生も、この事件の会社員もそうなのですが、最近の若者は普段から、何かあったときのために 「武器」 になり得るものを携行しているのでしょうか?

 

逆上して、武器を持ち出すというのも、まさしく、「キ〇ガイに刃物 」。

何とも不可思議な行動ですが、常に武器を携行するということは、殴り合いの喧嘩などしたことのない、昨今の若者は、そういう喧嘩を売られるようなトラブルを常に怖れているのかも知れません。

 

鶯谷の学生の場合も、もしかしたら、初めての風俗デビューだったのかも知れません。

医学部に入学するくらいの頭があるわけですから、ある程度起こり得るリスクを考慮して、イザというときのために、武器になる金属棒(トルクレンチ)を購入したのかも知れません。

そして実際に、ラブホに入ってみて、多分其処から嬢を呼んだのでしょう。

 

ホテルのフロントからの通報は、午後8時40分頃。

防犯カメラには、男性は午後6時半頃、女性は午後8時10分頃ホテルに入る様子が記録されていたという話もあります。

 

   「ホテルで悲鳴、女性重体 男子大学生も負傷」

 

女性が到着して30分。

まずはお金を払って、一緒にシャワーを浴びて、歯を磨いて、ヨードで口をうがいして。

そこで何が起きたのかは分かりませんが、初めてという緊張で勃たなかったのでしょうか。それとも、拙い日本語しか出来ないタイの嬢が、「アナタノチソチソ、チイサイネ・・・」 みたいなことでも言ってしまったのでしょうか。

 

自己防衛意識の強い男性は、被害者意識が強かったり、また、往々にして自尊心も強く、肉体的に傷付けられることばかりでなく、自分が否定されることやプライドが傷つけられることを、極端に怖れたりします。

顔で全てを判断できるわけではありませんが、しかし写真で見る限りこの医学生も、見た目は真面目そうで、どちらかと言えば、社交的ではなく、感情表現も下手なタイプに見受けられます。

 

***

 

これは、飲食店などでは良く見られる光景なのですが、店員に対して 「お客さまは神さま」 とばかりに横柄に振る舞う客と同じです。

普段目上の人に対しては、抑えている感情が、自分が見下している相手ということで、暴発してしまったのかも知れません。

これは、家庭などにおける DV やモラハラなども、構図は同じ。

 

いずれにせよ、一時の感情の激高で、暴力を振るうことが正当化できる筈もありません。

 

皆さんもお気を付け下さい。