2ntブログ
2019/02/19

LGBT のアウティング問題

同性の 「パートナーシップ制度」 を導入する、市区町村等地方自治体が徐々に増えています。

 

   「カミングアウトは誰の権利? 勝手な公表禁じる条例施行」

 

また、同性婚を認めない現在の法律に対して、違憲性を問う訴訟も地裁レベルではありますが、始まりつつあります。

 

   「日本初の同性婚訴訟。原告になったのはどんな人たち? 6組のカップルの横顔と思い」

 

既にお互いの性指向が合致しており、「通常の男女とカップルと同じように結婚生活を送りたい」 という願望は、自然な流れだと思っています。

同性同士であるがゆえ、そのカップルから子供が生まれないことを 「生産性」 といった阿呆な議員がおりましたが、それを言うならば、自ら子を望まない夫婦も、子供は欲しいけど子宝に恵まれない夫婦も、どちらも、非生産的夫婦ということになります。

同性婚であっても、どうしても子供が欲しい人達は、養子として、子供も迎え入れるかも知れません。

 

内縁状態で同居するだけなら簡単なのですが、現在の法律は、世帯を中心としているため、手術の立ち会いから始まり、人の死に至るまで、家族であるか否かで大きく異なります。

民法の改定を伴うだけに、法律的にも社会的にも、その影響範囲は大きいがゆえに、多分最高裁まで、裁判は進むと思いますが、今後の訴訟の行方を見守りたいと思います。

 

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しかし、LGBT であることを本人が公表(カミングアウト)するのではなく、本人の意思に反して他の者が公表してしまう 「アウティング」 を、条例とは言え、法が禁止するのは如何なものでしょうか?

罰則規定がないことが、まだ救いではありますが、しかし、条例違反に問われれば、「民事訴訟」 の方では 「損害賠償」 が掛かってきます。

 

これは、「(東京都)国立市」 の条例ですが、「一橋大学アウティング事件」 がこの条例に大きく影響しているであろうことは、明らかです。確かに悲しい事件ではありましたが、アウティングした学生が、どのような心理状態・精神状態であったかが、重要だと思います。

 

男女の仲であっても、「告白」 とはなかなか難しい行為です。

 

蓋を開けてみて、お互いに好き同士であればプラスになりますが、一方的な好意であれば、良くてゼロ。 相手が自分のことを嫌いな場合は、マイナスに働きます。

 

例えば、ゲイが、全くその気のない同性のノンケに告白したとして、どうなるか。

友人関係と思っていたものの、突如それは、「性的志向」 であると告白されるのです。

 

それは、ある意味、自分がその友人の 「性的な対象」 とされていたことを意味します。

当然ながら、この一橋大生のように、「自分はその気はないので、お友達のままで・・・」 と答えるでしょう。

 

しかし、その友人は、友人として振る舞いながらも、やはり態度には出るわけです。

男女の仲でさえ、嫌いな相手に告白されて付き纏われたら、敬遠するでしょうし、逆であれば、敬遠されます。

 

ましてや、そういう告白経験や恋愛経験すらない LGBT の男が告白したわけですから、それまでに築かれるべき、恋愛における耐性や免疫が全然出来ていないわけです。

 

告白された方は、想定外のイレギュラーな状況だったわけですし、告白した方は、一般的な男女であれば、それまでに経験しているであろう 「恋愛の玉砕」 を経験していないわけです。

 

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まあ、市の条例であり、市議会なので、其処まで深く考えている議員もいないでしょう。

この事件は、自分としては、どちらが悪いわけでもなく、「悲劇」 であったとしか思えません。

 

その 「アウティング」 に悪意や意地悪根性があったのか否か、それはわかりません。

しかし、どちらもが自分を貫いて、そして一方が玉砕し、一方が十字架を背負った。

 

あまりにもどちらも 「純心」 過ぎて、薄汚れた ”ゲス” のオヤジ的には、悲しい事件です。

 

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自分的に思うのは、常に顔を合わせる環境にある人達の場合は、「告白」 が失敗したら、告白した方も、その人と疎遠になることを、覚悟する必要があると思っています。

疎遠になって、その相手から、絡んで来るようなら、それは 「友達関係」 を受け容れてくれているということ。

 

超 「日本的」 で、自分的には、凄く違和感があります。

 

最近の 「セクハラ」 や 「強制性/交等罪」 に絡み、明確に拒否をしていないケースにおいて、裁判では、「合意」 があったか、なかったが議論になります。

 

これに関しては、「最高裁が性犯罪の研修資料作成」 にもあるように、”被害者の心理” も十分考慮するように通達しています。

 

これは 「心理」 を理解すべきという点は、正しいと思う一方。

 

明確な 「拒否」 の意思表示がないままで、意思表示が出来ない人と、都合よく自分勝手に解釈する人のトラブルは、自分的には、生命に関わる、あるいは、脅迫的な環境にあるような 「強制性」 がない限りにおいては、あり得ないと思っています。基本は、

 

   「明らかに拒否すべきときは、拒否すべき」 

 

なのです。

 

自分は、日本において、こういうトラブルを抑止したいのであれば、法令で 「本当の嫌っ!」 を表現する 「セーフ・ワード」 を規定しておいたら、良いように思います。

 

そして、「告白」 においても、無理だと思ったら、それを言うわけです。

 

自分も若いときは、告白しては玉砕の連続です。

しかし、今思えば、玉砕して 「当たり前」 のアプローチでした。

それは何かと言えば、自分できちんと 「リスク」 を負っていないのです。

 

堪えきれなくなってする 「告白」 は、「射/精」 とほとんど変わらないのです。

   

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自分が思うのは、LGBT の既成カップルに対する 「社会的偏見」 であったり、LGBT カップルにおいて 「結婚」 という社会的な認知が出来ないがゆえの 「生きづらさ」 が問題なのであって、それ以外は、その人の 「主観」 の問題だと思っています。

 

   「自分はその気にないのに…」

 

しかし、それを言ったら、世の中の 「夫婦生活」 が破綻しますwww

 

如何に、旦那としたくないのにもかかわらず、相手をせざるを得ない奥さんが、いるかということ。

裁判官の奥さんなんか、特にそう思っているはずです。(苦笑)

 

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自分は、LGBT ではありませんが、「SM好き」 ゆえに、いろいろと相談に乗っています。

当然ながら、「守秘義務」 は守りますので、相談したいひとは、いつでもどうぞ。

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