2ntブログ
2019/02/12

SM と乱暴は違う(3)

過去記事 「出会いにおいて、気を付けるべきこと」 の後半部分に書いた「鶯谷風俗嬢傷害事件」。

翌日、被害者の風俗嬢は病院で亡くなったので、正確には 「鶯谷風俗嬢傷害致死事件」 ですが、ようやく、その続報が公表されました。

 

   「女性殺害容疑で医大生逮捕『たたき過ぎて』 殺意は否認」

 

驚いたことに、犯人は20歳の 「医大生(昭和大学医学部)」 とのこと。

棒を使って強くたたき過ぎて女性が亡くなった。殺すつもりはなかった。

 

と供述しているようですが、容疑者が 「棒」 と称しているものは実際はなんと、トルクレンチ。

しかも、実際に購入したのは、大学を出てから鶯谷に向かったとされる、その途中の雑貨店とのこと。

 

「そもそも何の目的で、買ったのでしょう?」 という疑問も湧きますが、当人がそれを 「棒」 と呼んでいるのも腑に落ちません。

 

全く以って不可解です。

 

ひとつ前の 「SM と乱暴は違う(2)」 のところに書いた某俳優もそうですが、箱アリの風俗であればまだ安心出来ますが、無店舗型の場合は、お嬢さま方はくれぐれも、お気を付けて下さい。

 

***

 

未だに一番、腑に落ちないのが、外形的(見た目)には、ラブホの一室で、風俗嬢とその客の間で起こった事件であるのにも関わらず、当初の報道では、「警視庁は2人の間に何らかのトラブルがあったとみて調べています。」 とあります。

 

この意味が、理解できません。

 

これは、警察発表を受けての記事でしょうから、捜査関係者の発言を受けての記事なはずですが、どういう意味なのでしょうか?

2人に面識があるかどうかは分からないが、現場においてトラブルになったから、このような事件になったという、単なる捜査関係者の(甘い)読みであったのなら、まあ良いのですが。(苦笑)

 

嬢が所属していた風俗店には、当然、捜査員が事情聴取に行っている筈ですので、そこで 「指名」 がなかったとか、初めての客だったという供述が取れれば、怨恨とか痴情のもつれとか、そういう線ではない、という意味で言ったのであれば、意味はわかりますが、しかし早計でした。(^^;

 

***

 

事前に 「凶器」 を準備して、「現場」 に行っているわけです。

「一見の客」 で、あったのであれば、あらかじめ、凶行を計画していたとしか、考えられません。

 

修理工であるならまだしも、医学生が 「トルクレンチ」

 

 

自転車修理には不要な道具ですし、もしかしたら、本人はこの道具の呼び名さえも、知らなかったのかも知れません。

「計画的」 であったとしか、言いようがあり得ませんが、本人は供述で、殺意は否認しているとのこと。


ここまで、続報がずれたのは、本人は事件直後、5階の窓から飛び降りたため、その治療に時間を要し、なかなか、尋問が出来なかったためでしょう。

 

***

 

「殺/すつもりはなかった」 けど、相手が死ぬほど殴っていたわけで。

 

単に叩きたいのであれば、100均 のすりこ木程度でも良かったでしょうに。

すりこ木も 「棒」 ですし。

あの辺の 「ラブホ」 なら、フロントにサービスで、無料の 「うまか棒」 が置かれていたりします。

 

***

 

一見、「性的サディズム障害(要は精神的疾患とされる加虐癖)」 にも見えますが、自分的には、「SM 性癖」 ではないように感じます。

また、「サイコパス」 的なものでもない。「サイコパス」 的なグロであれば、医学部における解剖学実習の方がまだ欲求を満たせるはずです。

 

本人が供述するとおり、殺意がなかったのだとすれば、あのトルクレンチで 「ガン!」 と叩いて、相手を失神でもさせて、本懐でも遂げたかったのでしょうか?

 

あるとすれば、レイプ願望か、自分のセ/ックスをバカにされるのが嫌だったかのどちらかですが、通常、風俗店では、大きくても小さくても、「相手の持ち物を評価しない」 というのが、昔からの常識です。

「小さい」 と言われれば、お客は傷つきますし、「大きい」 と言われれば、お客が調子に乗るためです。(苦笑)

 

「売春婦」 に対し、こみあげる 「怒り」 を覚えるタイプであれば、通常であれば、「殺意」 は認めるでしょう。まあ、「弁護士」 の入れ知恵が介在しているかも知れませんが。

何せ、かなりお金の掛かる医学部ですので、当然ではありますが、優秀な弁護士は 「親心」 として、付けている筈です。

 

良くあるのは、お付き合いしたものの、別れ際に女性が吐いた 「捨てセリフ」 で傷つくタイプ。

若い頃の恋愛に限りませんが、恋愛中は、天にも昇る気持ち良さがありますが、難しいのは 「別れ際」。そこで 「けちょんけちょん」 に貶(けな)されて、心に傷が付くのは、女性ばかりでなく、男性も同じ。

 

そういった 「トラウマ」 からの憎しみが処理しきれなくて、という可能性もありますが、最初から性的な行為に自身がなく、寝ている女性が理想という人種も居ます。

「女性を薬で眠らせて」 みたいな卑劣な連中も、基本的には、その類(たぐい)です。

 

「女性を制圧したい」 みたいな、S 的な本能は強いものの、女性を受け止められない人種です。

コミュニケーション能力が不足している場合もありますし、性的な能力が不足している場合もありますが、二十歳と言えば、駆け出しですから、どちらも不十分で当たり前。

その年齢で、いくら回数を誇る男が居たとしても、それは単に 「オラオラ」 が、上手く女性の壺に当たっただけに過ぎません。

 

この容疑者というか、事実上の犯人は、供述を拒んでいるようですが、

 

頭は悪くない筈なので、弁護士の指示をきちんと守っているのでしょう。

 

***

 

容疑者も被害者も、20歳そこそこで、これからが人生。

若くて、これからの人生だっただけに、何とも後味の悪い、割り切れなさが残ります。

2019/02/11

感謝すること

最近、「婚活系」 のブログとかを良く見掛けます。

 

読んでみると、大半は、相手の粗探しや駄目出しばかり。

ブログで愚痴るのは構いませんし、その人の自由だとは思います。

しかしまだ、二股や三股を掛けて、「どっちにしよう!」 と迷っているような女子の方が、洋服選びをしてるみたいで好感が持てたりします。

 

こういう毒吐きブログを読むたびに思うこと。

自分にとって最良の人を選びたいという気持ちや思いは分かりますし、それは悪くはないのですが、しかしそのためか、人の悪いところばかりに、目が向いてしまっているような気がするのです。

 

大切なことは、その人の悪いところではなく、良いところを見るようにすること。

 

完全な人、完璧な人なんて、この世には居ないのですから、悪いところを探し始めたら、もうキリがありません。

逆の視点を身に着ければ、それこそ、どの人もその人なりの良いところはあるものなのです。

 

***

 

それは自分の愛奴にしても同じ。

 

愛奴はキョロキョロと周りを見渡しては、私よりも若いとか、私よりも美人だとか、私よりもスタイルが良いとか、その愛奴なりの価値観で、いろいろと比較をしては、「勝ったとか負けたとか」、一喜一憂でもしているのでしょうか。

 

しかし、自分にとっては、年齢も、容姿も、センスの良し悪しも、単なるその人の特徴としてしか認識していません。

自分が見ているものは、その愛奴の心です。

 

では、心のキレイなものを選んでいるのか?

そうでもありません。

そもそも、ドSですから、涙を流し、そして、「もがき苦しむ」 様を見ては喜び、そして楽しんでいるのです。(笑)

 

単なる 「自称ドS」 の連中は、全ての枝をへし折り、全ての葉や花を刈り取りって、自分だけが快感に浸ろうとしますが、自分の場合は、どちらかというと、「盆栽」 に近い感覚。

幹に傷を付けたり、大胆にも刈り取るものは刈り取りますが、それは、そこに大きなコブを作るため。大事な芽は、折れないように気を付けながらも、徐々に力を掛けては、曲げて行きます。

何処をどういじるかは、素材ごとに異なります。

 

なので、自分が手塩に掛ける以上、どんな盆栽も愛しいのです。

 

主は、少なくとも自分の場合は、会っているときは、その愛奴のことしか見ていないのにもかかわらず、愛奴の方は、常に周囲を見回しては、怯えているのです。

今までは日の光を浴びることが出来なかった枝が、自分の言いつけをきちんと守り、無用な恐怖心から解放され、そしてスクスクと伸びると、こちらも喜びを感じます。

何故なら、その瞬間に、自分は愛奴にとっての真の主 「光」 となるからです。

自分にとって SM とは、愛奴の心に軌跡を描く 「盆栽」 です。

 

***

 

人は、「幸せになりたい」 と思ったら、常に自分の気持ちを 「感謝」 に転化することを覚えること。

 

「幸せ」 というのは、その人の心の 「貸借対照表(バランスシート)」。

「執着」 や 「怨恨(えんこん)」 は、「負債」 です。

そして、「感謝」 は 「純資産」。

 

「借方」 からは、同じ 「資産」 として、全く同じように見えたとしても、

「貸方」 の中では、付ける項目の意味は、全然正反対なのです。

それが、「幸福」 と 「不幸」 の境目。

 

***

 

人が死ぬとき、それは、その人の人生の 「総決算」 のときなのです。

人が死ぬときは、生物としての肉体の力は衰えますが、それは、魂が 「総決算」 作業を通して、負債を売却し、何とか純資産に繰り上げようとするから。

 

要は、その人の 「執着」 と 「怨恨」 を全て消化しようとしているのです。

そして、消化した結果が、「感謝」 に転化されるのです。

出来るだけ多く 「感謝」 に転化するためには、出来るだけ多く、「執着」 を捨て、「怨恨」 を 赦さなければならないのです。

 

人の 「総決算」 の 「単位」 は、自分でも良く理解出来ていません。

 

しかしそれが、残した 「お金」 の額でもありませんし、賞状や感謝状の枚数とか勲章の有り無しでないことは確かです。どれだけ、裕福な生活をしたかでもありませんし、どれだけ美味しい思いをしたかでもありません。

 

***

 

多分、どれだけ 「感動」 し、どれだけ 「痺れたか・・・」 なのだと思います。

 

音楽もそうですし、サーフィンもそうですし、料理もセックスもそうなのですが、どれだけ心地良い波に乗ったか。

 

人間の 「喜怒哀楽」 が、人と人との魂が、如何に共鳴するか。

 

ワンコが、広い所で走り回って興奮して、ワクワクが止められなくなる、まさしく、その感覚です。

 

ワンコの尻尾は、男のチソチソと同じです。

振り出したら、もう、ヨダレも尻尾のフリフリも、止まりません。www

2019/02/10

栗とリス祭り - 栗の花のニオイと精液の話

某ブロ友さんと、ブログのサムネールを豚に変えては、みんなでワイワイ 「豚祭り」

 

   「みんなで豚になれば、怖くないっ!」

 

「豚コレラ」 騒ぎも、これで収束してくれることを祈ります。(ブヒブヒッ)

豚は、「ハレの日」 に食べられる 「美味しい料理」 にも、使われます。

代表的なのがコレ!

 

「満漢全席」 にも登場する 「珠盤献宰」。通称 「子豚の丸焼き」 です。

コレは実際に自分が食べたもの。

 

 

皮がパリパリで味も濃厚♪ 北京ダックの比ではありません。(笑)

 

***

 

そして、「豚祭り」 も終焉。次回は 「栗とリス祭り」 ということになりました。

男の場合、川崎の金山神社には 「かなまら祭り」 などもありますので、「亀と竿祭り」 にして貰えると助かるのですが、仕方ないか。

 

ちなみに、「金山神社」 に奉納されているのがコチラ。

 

 

***

 

と言うことで、「栗とリス祭り」 に備えて、ちょっと事前調査してみることに。

 

栗とリス。大きい方が良いか、小さい方が良いか聞いたら、小さい方って言うんで

 

   「小栗旬?」

 

 

と 「オヤジギャグ」 を噛ませたら、滑ってしまいました。(^^;

 

***

 

仕方なく、調査続行。

 

リスとすぐに思いつくのは、「JAバンク」 の 「リス」 ♪

あとは、あの CM に出ていた女優も好きでしたし、

松下奈緒っていうのか・・・

あとは、あの楽曲も好きでした ♪

 

〽 ちょちょちょきん、ちょちょちょきん、ちょきんちょきん、ちょちょちょきん♪

 

 

しかし、それぐらいしか思い浮かばず、仕方なく、栗の方へ。

 

栗 → 栗の花 となれば、次はアレしかありません。(笑)

 

そんなかんなで、いろいろ調べてみると、まずは

 

   「『栗の花の匂い物質は精液と同じくスペルミンが原因』はデマ」

 

という記事が。

 

胡散臭い 「まとめ系記事」 かと思いきや、中身はすごく濃厚。

 

ここまで来ると、内容の真偽を確かめるだけの専門知識を持ち合わせていません。

 

分かるのは、ベンゼン環に臭気アミンくらいのもの。

エステルの芳香は、鶏肉の腐敗したときにかおる、あの甘い良い香りです。

しかし、こんな真面目な記事の中にも、女性のアソコの臭いニオイは、「細菌で分泌物が分解してできたトリメチルアミンの臭い」 だとか、エロも織り交ぜてあります。

 

書いてるのは、オヤジか? と思いきや、そのすぐあとに 

 

   「両方、アミンだねえ。可愛いフリしてあの子わりとやるもんだね、と。」

 

みたいな、「オヤジギャグ」 が。(苦笑)

若い子はわからないでしょ?

 

昔、「アミン」 という女性二人組の歌手がいました。そのヒット曲が 「待つわ」

 

 

ちなみに、昔のちょびわるオヤジが意識していたのは、「電撃ネットワーク」。

お決まりの音楽にのって、危険だったり奇抜なパフォーマンスを繰り広げる

パフォーマンス集団です。♪

 

 

***

 

そして、栗の花の臭気は 「スペルミン」 由来ではないと言うことが分かりましたが、

そもそも、「スペルミン」 とは何か、調べて行くと、本日付けのこんな記事が。

 

   「精液を医学的に調べたら『宝の山』だった」

 

なんと今の時代、精液の検査キットなるものが販売されているようです。

その名も、「BUDDY CHECK」。

そして、アマゾンでも購入出来るのだとか。

 

 

特定の項目のみであれば、もっと安くなるようです。

 

 

 

 

妊活中の方は、是非活用してみて下さい。♪

 

そして、極めつけは、精液は精子よりも精漿と呼ばれる透明な液体に、いろいろな成分が含まれているらしいのです。

 

亜鉛濃度は、血中の亜鉛濃度の170倍

男性ホルモンであるテストステロンは、血中の男性ホルモンの5倍

 

また、クレアチンを精液に添加すると、精子の動きが活発になり、持久力も増すそうです。


男性ホルモンは、お酒を飲まない人よりも、お酒を飲む人の方が高く、またブリーフよりもボクサーパンツを着用している人の方が、高いそうです。

 

あとは、表題の 「スペルミン」 は、何とアンチエイジング効果もあるのだとか。

 

分子が大きく、皮膚からの吸収が困難なコラーゲンを顔に塗りたくるよりは、顔に精液を発射されて、塗り込んだ方が、お肌には良いのでしょうか?(笑)

 

***

 

これからの、研究の進展を期待したいところです。

2019/02/10

素直になること

休まる暇がないからでしょうか?

なかなかオトナになると、素直になることが難しくなります。

 

大事なのは、職場や家庭で身に着けている鎧を脱いで、素直な素の自分に戻ること。

 

若い頃は、

デートのときに着ていく服は、鼻歌交じりに選ぶ、自分を楽しくする服。

仕事に行くときに着ていく服は、弱音を見せないための戦闘服。

 

しかし、女性も家庭の生活に追われると、

生活に追われる自分を守る防御服を着込む結果、

何処で力を抜いていいのかが、解らなくなっちゃうのかも知れません。

 

気の強い女性は、弱い自分を晒したくない。

常に守りに入っているから、鎧や戦闘服や防御服の脱ぎ方を忘れてしまい

おとなしい女性は、自分の中に溜まったものを吐き出す場所が分からなくなり

どちらも、いっぱいいっぱいになってしまうのです。

 

***

 

一、主の前では、奴隷は人以下の存在。

だから、飾り立てる必要は何もない。

鼻歌交じりで楽しくなるような服でも着て、

ありのままの、素直な自分で来ればいい。

 

(自分の場合は、ノーパソ指定が多いので、下着選びも不要。

暖かくなればワンピース1枚で。寒い冬場はコート1枚でも可。w)

 

一、主は絶対的な存在だからこそ、主の命令も絶対。

だから、何も考えず、素直に命令に従えばいい。

従わないのは自由だが、その場合は 「お仕置き」 が待つのみ。

 

一、主は、自分のことを守ってくれる - そう信じて

鎧も戦闘服も、そして防御服も脱ぎなさい。

 

一、奴隷は人以下の存在だからこそ、

主の前では 「自尊心」 も無用の長物。

 

一、主の命令は絶対。

だからこそ、自分のキレイなところばかりでなく、

命令とあらば、自分の汚いところも

羞恥を乗り越えて、恥ずかしいところも

全て 「ありのまま」 を見せること。

 

***

 

主と会える日は、「ハレの日」 です。

普段お化粧をしない人は、お化粧をして。普段オシャレをしない人は、オシャレして。

普段お化粧をする人は、お化粧を落としてさっぱりして。

普段とは違う自分になるのです。

 

お祭りは、何をしても良い日。

本当の自分に戻って、祝い楽しむ日。

鎧や戦闘服や防御服を脱いで、自由になる日であり、素直な自分になる日なのです。

 

そして、主に祈りと感謝を捧げる日。

 

しかし、家に一度戻ったら、あるいは、職場に行ったら、

きちんと鎧や戦闘服や防御服を着込んで、

弱音を吐かず、感情を顔には出さないで、ただただ堪える。

毎日の生活は 「ケ」、蓄財する日々です。

だからこそ、お客さまには笑顔を絶やさず、一日一日をただひたすらに乗り越えるのです。

 

***

 

主から頂いたものは、家族や自分の身の回りの人にも分けてあげなさい。

人は、食べて飲んでばかりでは、生きらえることは出来ません。

食べて飲んだ分、排泄するからこそ、また、食べて飲むことが出来るのです。

 

自分が気持ち良い思いをしたなら、今度は、家族や自分の身の回りの人を気持ち良くしてあげなさい。気持ち良いのを自分で独占すると、心が歪みます。

 

そして、常に家庭では、朗らかでいること。

明るくて笑顔の絶えない 「お母さん」 は、その一家のバロメータ。

それが、家族みんなの活力になります。

 

奴隷にとっては、家庭も職場も仕事の場であり、蓄財の場。

休息の場、蕩尽の場は、主の前だけです。

仕事だと思って、感情を顔に出さず、股に力を込めて、笑顔で誠意を尽くしなさい。

 

家庭では、相手に期待をせず、良い子を演じるのでもなく、単に、貞淑な妻、

良き母、出来た嫁、そして、必要に応じて娼婦を演じなさい。

自分の血の分けた家族ですら、自分の思い通りにはならないのですから、ましてや

他人が自分の思う通りにいかなくて、当たり前。

 

家庭は人間になる 「修行の場」 だと思って、踏ん張り、親として妻として嫁として

すべきことを淡々とこなしなさい。

 

風俗嬢とて、お客として次回来て貰えなければ、指名料も入りません。

嫌な客でも、喜ぶ客は、ぶそくる客よりはマシと言うもの。

嫌な客には、好かれるようにして、自分がその客を諭し、そして、仕込みなさい。

 

***

 

そして、毎日の生活で溜まりに溜まったものは、

キレイなものも、汚いものも、全てを主の前で吐き出して、素の自分に戻りなさい。

2019/02/09

弱き者よ、汝の名は「人」なり

日本の性は元来、夜這いに始まり、実に 「大らか」 であったと言われています。

昭和の時代も、子供に母乳を与えるために、赤子を抱える女性などは、平気で乳房を露出していたものです。昭和でさえ、そんな感じですから、ましてやそれ以前はもっと寛容。そのためか、江戸時代などでは、女性の乳房は、男性の性欲の対象ではなかったと言われています。

また、江戸時代までは、男同士が交わる 「男色」 も、当時は男同士の絆を深めるために重要であったと言われ、僧侶や武士貴族などの 「男色」 行為は、「衆道」 と言われています。

 

そんな 「性」 に寛容な 「日本文化」 に触れ、幕府や政府に文句を言ったのが、海外からキリスト教を普及するために日本に来ていたバテレンと呼ばれた宣教師などです。

しかし、幕府が浮世絵などを取り締まったりしたのは、単純に風紀の乱れを抑制する必要があったからです。

 

一夫一婦制も、制度化されたのは明治になってから。「キリスト教」 に端を発していますが、これは、「持つ者」 と 「持たざる者」 の差を出来るだけなくし社会を安定化しようとする、為政者の単なる施策に過ぎません。

要は、外圧を理由に、為政者がキリスト教を利用しただけなのです。

 

為政者にしてみれば、女性のことで揉めて、喧嘩になったり、事件になったり、裁判になったり。こういうゴシップは、今の時代の週刊誌やワイドショーも同じですが、多くの人が関心を寄せるので、瓦版などにより多くの人に知れ渡りますし、歌舞伎の演目になったりと、とにかく目障りだったに違いありません。

 

しかし現実は、明治になっても、妾(めかけ)を作って事実上の一夫多妻制を続ける人も居ましたが、それは、早くに旦那をなくした後家(今で言う寡婦)など、残された家族の生活の面倒を見るという一面もあったりしましたし、昭和になっても、夜這いであったり、盆踊りなどにおける乱/交など、古くから伝わる風習が残っている地方もあったそうです。

そもそも、日本における 「キリスト教」 の比率は、1%ちょっとですから、そんな政治力はありません。

 

***

 

そんな 「セ/ックス」 に非寛容な 「キリスト教」 ですが、旧約聖書などを読むと、祖先の代表とされる 「アダムとイブ」 は、神との約束を破り、エデンの園を追われ、その子供である 「カインとアベル」 では、兄が弟を嫉妬で殺してしまいます。 

性が乱れていることにより、神に滅ぼされたとされる 「ソドム」 や 「ゴモラ」 といった街から逃げることが許されたロトの家族も、妻は神の言いつけを破ったので塩の像になってしまい、娘は子供を産むためにロトを酒で眠らせて、アソコにまたがるなど、まあ、やりたい放題。(苦笑)

 

イエス・キリストも、「聖書の記述は全て正しい」 とは言っていますが、彼自身は、浮気がバレて石打ちの刑にあう女性を助けていますし、マグダラのマリアも、元は 「売春婦」 であったと言われています。

むしろ、イエスの死後、「セ/ックス・カルト」 的な集団生活をしていた教会が追い落とされたり、そういった流れで、旧約聖書的な考え方が強くなってきたような印象を受けています。

イエス・キリスト自体は、皆でお酒(ワイン)を飲んでワイワイが好きだったひとです。

 

多くの 「クリスチャン」 が賛同するかどうかは別ですが、自分の認識としては、イエスは、人は弱い者として認識しており、罪の意識を持つ人に対しては寛容である反面、昨今のセクハラやパワハラではありませんが、権力を持つ人による、持たない人に対するイジメや職権乱用には厳しかったと認識しています。

 

***

 

そんな 「キリスト教」 の中でも、ローマ時代から続くのが 「カトリック」 ですが、こんなニュースが。

 

   「枢機卿の『告白』と元修道女の『証言』」

   「カトリック教会は「性犯罪組織」か」

 

これは、海外の話ですが、日本でも同じような話が、出ています。

 

   「日本でも起きていたカトリック神父の性虐待 実名告発の衝撃」

 

「マジか?」 と思いたくなるような、ショッキングな話ではあります。

 

「性は悪いこと」 とまでは言わなくても、「罪深い」 みたいなことを説教しておきながら、自分は悪くない!崇高だ!みたいな顔をしつつ、裏では悪事に浸ってた聖職者(生殖者?)が山のように居るわけですから。(苦笑)

 

だからと言って、自分は 「カトリック」 を叩くつもりもありません。

それは、「カトリック」 の人が考えれば良いこと。

 

自分の言いたいことは、坊主であれ、神父とか牧師であれ、政治家であれ、そもそも人は皆、不完全で弱い存在であり、完璧な人はいないということ。

 

しかし、男色はあるわ、修道女を性的奴隷のように扱ったりとか、修道女を斡旋するとか、やりたい放題の江戸時代とさほど変わりありません。(^^;)

 

***

 

自分も、性的行為的には、こういったゲスと、さほど変わりません。しかし、自分と大きく異なる点もあります。それは、自分は教会という場であったり、権威を笠に着たり、あるいは、職権を乱用して、こういうことをしたことは一度もないということ。

 

しかし・・・

 

「してはいけない・・・」 と言われると、逆にしたくなるのが、人間なのでしょうか?(苦笑)

 

みなさん、不倫なんか、してはいけません・・・よっ (笑)

ガハハハハー (笑)

2019/02/09

SM と乱暴は違う(2)

前記事 「SM と乱暴は違う」 からの続きです。

 

俳優の新井浩文の続報記事が止まりません。

 

   「夏帆も気絶した!? 新井浩文容疑者の「緊縛&首絞め」性癖に戦慄走る!」

 

こういう輩がいるから、SM というものが世間に間違って理解され、そして、SM を間違って認識する、パートナーの出来ない飢えた狼たちを冗長させるのです。

 

2月8日発売の 「フライデー」 の記事によると、

知人女性によれば、新井容疑者は酔っぱらうと、自分の性癖をペラペラとしゃべり出すそうで、『付き合うオンナの条件は、性格じゃなくてまず見た目がタイプかどうか。そこから、どこまでウチのセックスについて来られるかがキモになってくる』と語っていたそうです。さらに、お気に入りのプレイについても『とりあえずオンナを縛る。縛って動けなくしたり、首を絞めて気絶させるのもイイ』と告白。最初は性癖を明かさないでおいて、徐々に出して、そのプレイについて来られるかが交際継続の分かれ道になると、得意げに明かしていたとか」(週刊誌記者)

とのこと。

 

まあ、ナルシストで自己中心的で。役者としては才能があったのでしょう。

しかし、相手の気持ちというものが全く見えていません。

女性をモノとして扱うことに快感を感じていたのか。

彼の行動は 「サディスティック」 であると言えるかも知れませんが、社会性逸脱している段階で、「性的サディズム障害」 と言われる、言わば病気。 

もしかしたら、反社会性パーソナリティ障害だとか、自己愛性パーソナリティ障害といったものも、併せ持っているかも知れません。

 

何回も言いますが、SM において大切なことは信用と信頼です。

ゲスはゲスで構いませんが、ゲスなりに、信用をきちんと確立することの出来るコミュニケーションが求められますし、信頼されるだけの技術をきちんと習得していることも、どちらも大事なのです。

 

心だけでもなければ、技術だけでもない。

 

「心技一体」 です。

 

***

 

自分は、彼とは 「付き合うオンナの条件」 も正反対なら、「アプローチ」 も正反対。

そして、彼の場合、女性のは多分 「恐怖」 とか 「命の危険」 を感じて去っていくのでしょう。

それで正解だと思います。

心の繋がりもないようであれば、「飴と鞭」 ではなく、「鞭に鞭」 なわけですから、ワンコの調教ですら、成り立ちません。(苦笑)

 

典型的な一方的 「自己満足型 SM」。

 

極端な例ではありますが、まだ 「愛」 があれば、「安倍定(あべさだ)」 ではありませんが、そこには相互に、快楽が生まれるのです。

 

***

 

まあ、「飴に飴」 ばかりをねだる 「欲しがり」 も困りものなら、「鞭に鞭」 ばかりも困りものです。(苦笑)

 

SM の世界も、ピンからキリまで。

 

「多頭飼い」 ではなく 「一頭飼い」 だからと安心される方も、少なくないと思われますが、「一頭だけ」 と言って何股も掛ける、事実上需要のある 「自称一頭飼い」 も居れば、事実上需要がない故に、「一頭飼い」 になりたい輩もたくさん居ます。(笑)

 

可もなく不可もなくなら、まだ良いのですが。

 

この俳優のようなタイプには、くれぐれも気をつけて下さい。

2019/02/08

男らしさと女らしさと LGBT

最近は、LGBT といった 「性の多様性」 を考慮して、「男らしさ」 とか 「女らしさ」 みたいな表現は良くないみたいな風潮にありますが・・・。

 

それは、自分的な理解では、特に日本の社会においては、単なるステレオグラム的な 「押し付け」 を嫌がっているだけなんだと思っています。

 

それと、「男らしさ」 や 「女らしさ」 は別です。多分。

 

男性脳で、男指向の女性は、多分 「男らしさ」 を指向するかも知れないし、その逆もあります。

大事なのは多分、社会が 「多様性」 を受け容れろということ。

 

LGBT であれば、今までも、自分自身と社会のズレにずっと悩んで来てる筈です。

そういう人であれば、偏見もいっぱい経験してきたことでしょう。

偏見のある人もいれば、理解してくれる人もいる。

 

だけど、LGBT の存在を認めることと、自分がゲイを受け容れることは全く次元が異なる話です。

 

悲劇ではありますが、友人に 「ゲイ」 であることをカミングアウトした大学生の男子が、その友人に受け容れて貰えず、最終的にその男性が、周囲の人に 「ゲイ」 であることを公表されたことを苦にして、自殺してしまった事件がありました。

 

人と人との距離感の問題は、本当に難しい問題です。

 

何故なら、女子が好きな男子に告白して、公表されて・・・なんていうのは、日常茶飯事だからです。

悪いけど、ストーカーも、好意を寄せてるからこそ、付きまとっているのです。

とある人の 「好意」 を、必ずしもその相手が 「善意」 と受け取ってくれると限らないのです。

 

自分の秘密を暴露して、告白した男子が 「ゲイ」 であったことが公表されてしまったことは悲劇ですが、一方で、友人に性的な対象として好意を寄せられることに抵抗感を感じていた、告白を受けた 「彼氏」 もつらかったのだと思います。

それは、すなわち、常に自分の近くに付きまとう、ストーカー的な恐怖であり、違和感です。

 

自分も昔、若い頃、そういう系の 「バーテンダー」 に、にじり寄られた経験がありますが・・・(苦笑)

 

やはり、気持ち良いもんではありません・・・ (^^;

 

自分はむしろ常に女性を狙っている 「ドS」 の攻めサイドなわけですが、正直に言えば、それを狙っているオカマというのは、何か、自分の隙を付かれているような気がして、自分的にも許容できないのです。

 

むしろ、カミングアウトでもして、お小遣いでもくれて、しこってくれ・・・と言われたら、それくらいのことは、サービスしてあげます。(笑)

 

しかし、「オカマ」 は、女心があるだけに、ハートだったり、甘いシチュエーションを欲しがるから、厄介なのですwww

 

***

 

「オカマ」 が差別用語?

 

英語圏では 「ゲイ」 だし、日本では 「オカマ」 です。(苦笑)

 

言葉の端に、偏見があるかないかで、差別があるかないかが決まるのです。

 

ある意味、「ゲイ」 を理解しようとしている人が、100回 「オカマ」 と言おうとも、LGBT の当人たちは 「偏見」 とは思わない筈。

逆に、そういう 「言葉の枠」 で自分達を正当化して、その枠内で 「偏見」 を交えたレトリックで、LGBT を非難するのが 「マスゴミ」 です。

 

***

 

男性脳の女性は、バイになる傾向がありますし、そういう女性は、レズの世界では通常は 「タチ」 になります。

「タチ」 はどちらかと言えば、ぶっきらぼうで、ワンコタイプ。

逆に 「ネコ」 はそのままに 「猫」 の意味で、恩を恩とも思わず気分で漂流する 「ニャンコ」 タイプ。

 

単なる 「メル友」 だけの関係でしたが、昔、「ネコ」 とメル友になってしばらく後に。

知らないひとから、来たメールが 「おまえはだれだ。」 という、絵文字も何もない、ぶっきらぼうなメール。

 

文章の最後には、何故か必ず句読点 「。」 が付いています。ww

 

   「ソウイウ、オマエコソ、ダレダ。」

 

みたいなやり取りをして、最終的には、どうやら、そのメールを寄越したのは、そのネコの友 「ダチ」 だったことが判明。(^^; 苦笑

 

それからしつこくメールでやり取りをしてるうちに、その子も懐柔してしまいましたが、当時は自営だったこともあり、東京まで出掛ける時間もなく。(苦笑)

 

また、話が脱線してしまいまスタww

 

***

 

要は、「男の容姿」 をしているからとか、「男の性別」 だから 「男らしく」 とか、逆に、「女の容姿」 とか、「女の性別」 だから 「女らしさ」 を強要するな・・・ということであって。

 

男性脳の女性は、「男らしさ」 を、逆に、女性脳の男性は、「女らしさ」 を志向することは自然であって、それを社会的に強要するなということだと、自分は理解しています。

 

言ってしまえば、日本人の一番 「悪い癖」。

 

みんなと同じでないとあかん、と思っているのです。

 

お隣の韓国も昨今は特に面倒ですが、日本も結構別の意味で面倒です。ww

 

***

 

公衆浴場で子供が女風呂に入る件。

 

   「男の子が女湯に入れるのは何歳まで?銭湯でのルール&マナーとは」

 

こういう質問は、実に野暮というもの。(苦笑)

 

自分も実は、中学1年のときだったか、怪我をして、利き手を縫い合わせたことがありました。

そして、実家の青山に行ったときに、風呂が不調で仕方なく、銭湯に行くことに。

 

しかし、利き手が使えない自分は、母親に 「女湯」 に入るように言われます。

 

もう、中学生ですから、皮も完全に剥けてますし、(家政婦は)ミタこともない裸の女性を見れば、興奮もします。(苦笑)

 

結果、自分では鎮めることも出来ず、仕方なく、竿を股に挟むのですがww

 

おふくろに 「そんなことは、する必要ない」 と言われまスタ。www 苦笑

 

確かに時代が違うということも、あるのかも知れませんが。

 

その当時は、厨房の自分が、「女湯」 に入っていても、誰とて女性は気にしません。

 

女湯に入ってる女性は、それこそ高校生とか、ピチピチから、しわしわまで。

 

誰も、胸どころか、オマ〇ンコすら、隠しませんでした。

 

まるで自分(男)は居ない存在であり、見えない存在として扱われている。

 

今思えば、女風呂で堂々と振る舞う女性は、老いも若きも実に 「粋」 です www

 

胸は 「釣鐘型」 から、「垂れ乳型」 までww

 

ちなみに、下の方は、みんな 「ぼうぼう」 で中身は勿論見えやしませんw

 

やはり、凛した背筋に乳、そしてうなじ。w

 

脚と腰ですwww

 

悪いけど、あのときのこと。思い出して見ても、どう考えてもあの場では、自分の方が 「マイノリティー」 なのです。

 

それも、自分では制御できずに、アソコが大きくなってきてしまうわけでw

 

アレは、自分的には加虐ではなく、被虐的な 「快感」 ですwww

 

日本もなんか、杓子定規というか、凄く息苦しくなって来ているような気がします。

 

***

 

日本は、昭和の 「エロオヤジ世代」 に戻る必要はありませんが、あらためて、もっと 「性」 に寛容になっても良いと思います。

 

そうないと、国力も維持出来ませんし、生産性も維持できないこともあります。

 

麻生氏の失言ばかりをいじっていても、何も未来はありません。

 

大事なことは、「相手の気持ちを尊重する」 こと。

 

それだけだと思います。

2019/02/07

SM と乱暴は違う

出演作品は全然見ていないのですが・・・

 

   「新井浩文容疑者は“本番強要”の常習犯か 暴かれた異様な性癖」

 

俳優の新井浩文の強制性/交事件に絡んで、次々といろいろと他の悪行だの、性癖が暴露され始めておりますが、変態的で、サディスティックな側面も見え隠れするものの、こういった行為を SM 的と言われるのは大変心外。

 

何故なら、SM とは、そもそも、趣向や 「NGプレイ」 なども含め、双方が合意の上で行う行為であるということ。

もちろん、女性が気持ち良くなって 「嫌っ、嫌ぁ~っ!」 等と叫び続けることは良くあることですが、しかし、基本本人が嫌がることは、しない決まりなので、通常であれば、例えば 「納豆!」 みたいに、全く関係のない 「セーフ・ワード」 を決めたりするのが一般的です。

 

本番強要の ”常習犯” であるとして取材を受けたデリヘル嬢の証言が本当であったかどうかは、確認しようもありませんが、しかし、風俗嬢であるからといって、本番強要しても良いわけでもなく、この人は、日頃から、女性を蔑視しており、お酒のせいもあるかも知れませんが、エステのマッサージ師に対しても同様の蔑視があったために、行動に移してしまったのではないかと、見ております。

 

たまに、風俗を異常に毛嫌いする男が居たりします。自分の場合は逆に全く偏見もないというか、ソ/ープランドでもお嬢と仲良くなってしまい、嬢たちの忘年会に誘われてしまうくらいですので、こういう人達の、まるで怒ったような感情が良く理解できません。

 

自分より上であったり、自分と同等はともかく、自分より下とか、もっともっと下とか。

そういう風に自分より下の者をあえて作らなないと、自分の存在が確認出来ない人なのでしょうか?

 

まあ、お隣のお国は、マトモな人も少なくありませんが、弱い者に強く当たるような、心の狭い男も多いので。あっ、しかし、それは日本も同じかっ。(^^; 苦笑

演技が上手かったということで、大変残念ではありますが。(←見てないクセにw)

まあ、自分的に残念なのは、小出恵介の方ですが、やはり、俳優で有名になろうが、政治家だろうが、大企業に勤めていようが、当たり前ですが、犯罪はあきまへん。

 

***

 

SM プレイは、

 

別に相手の女性を脅迫して、女性に奴隷宣言をさせてるわけでもなければ、加虐にしても性/交にしても、本人の意思に反し、強制的にしているわけでもありません。

当たり前ではありますが、騙して女性を部屋に連れ込んだりもしません。

みんな相手が自ら望んで、していることなのです。

 

もちろん、誰でも出来ることではありません。

 

相手の羞恥を引き出すように、言葉で責め、

相手の呼吸のタイミングを見計らい、刺激を与えます。

相手の興奮の度合いに応じて、相手が 「痛いっ!」 と思う一歩手前まで、当然刺激も強くしていきます。

 

SM で生計を立てている方々も同じだと思いますが、

もちろん、経験も重要ですが、それ以上に相手を観察していますし、機械的な仕事ではないので、心も重ねています。

 

例えば、乳首に対する刺激も、興奮して高まっているときは、瞬間的に少し強めに摘みますが、いきなりそんな刺激は痛いだけ。

始めは優しく、指の腹で触れるように揉みしだきます。

 

既に亡くなられた 「浜幸」 に教わったのですが、通常は、

 

手の平を手前(自分の方)に向け、指の背を乳房にあてるように、人差し指と中指で乳首を軽く挟み、挟んだ乳首に親指の腹を当て、円を描くように刺激します。

 

100人が100人、これを気に入るかは分かりませんが、好きな人がいるのも事実です。(笑)

 

以前書いた記事 「乳は性感帯ではない?」 で参照した記事では、女医が 「乳房は脂の塊」 と言っておりましたが、脂の塊でも神経は通っているでしょうし、全体を包むように刺激されれば、女性はまた違った喜び方をします。(笑)

 

***

 

力ずくで抑え込むと避妊具も付けずに・・・とか、超巨大な電動マッサージ器を取り出して陰部をグリグリ・・・とか、他紙によると、乳首がもげるぐらい強く噛まれた・・・だとか。

 

超巨大な電マなんて、それで女が喜ぶとでも思っているのでしょうか?(苦笑)

自分の世界に入りやすいので、演技は上手いのかもですが・・・

それで女性が気持ち善がると思っているのであれば、自己陶酔も良いところ。

 

イメージ通りに自分では上手く出来た?つもりでも、女性は正直。

 

気持ち良くない男には、女性は付いてきません。(笑)

 

ホンモノとニセモノの違いが、こういうところに現れます。

 

ホンモノの SM は、実に心地良く、気持ち良いものなのですw

2019/02/06

妄想くんの果てしなき NTR 願望

今までにも、何回か 「NTR」 について、書いてきました。

 

「NTR」 は、比較的新しいジャンルではありますが、「寝取り・寝取られ」 の略号です。また、自分自らが主導する 「寝取らせ」 も、この 「NTR」 に含まれるようです。 

 

そして、この 「NTR」 のいうジャンルが、ここのところ、同人誌配信プラットフォーム 「FANZA」 において一位になっているようなのです。

 

   「急増する「美少女になりたいおじさん」たち……受肉の背景にある男の娘や女体化エロの存在意義」

 

ちなみに、1位が 「寝取り・寝取られ」 で、2位が 「人妻」、3位が 「催眠」。

4位は、「女装・男の娘」 で、5位が、「熟女」 とのこと。

 

 

***

 

では、この 「NTR」 の醍醐味とはいったい何なのか?

 

まあ、相手は誰でも良くて、女性とやれればいいと思っている人を別にすれば、自分は、ひとつの 「ロールプレイ」 なのではないかと思っています。

 

寝取られる男あるいは寝取らせる男と寝取る男に、寝取られる女。

 

主従における複数プレイなんかもありますが、しかし、主従は基本、主と奴隷の2者の関係が基本ですが、「NTR」 の場合は、三角関係が基本にあるわけです。

 

そして、役は、それぞれですが、一番の核心は、この 「寝取られる男」 あるいは 「寝取らせる男」 の存在が重要になります。

この寝取られ役もしくは寝取らせ役がいないと 「NTR」 は成立しないのです。

 

単なる 「寝取り」 であれば、自分のように既婚の主婦を愛奴にしているような 「ゲス男」 の場合は、常に寝取っている立場にありますし、愛奴の旦那は、「寝取られ」 ている状況にあるわけですが、しかし、これは 「NTR」 とは言いません。

 

「NTR」 の場合、この 「寝取られた男」 が、寝取られた状況に対して、苦しみや嫉妬と共に、得たいの知れぬ何らかの快楽を感じてくれないと成立しないのです。

 

自分の友人の 「NTR」 実践者は、「寝取らせ」 の方ですが、彼は、「寝取られ」 は 「M性」 で、「寝取らせ」 は 「S性」 であると言っていました。

 

なるほど。

 

「S性」 が高じてくると、他人/棒も、バ/イブや電/マあるいはロ/ーターと言ったおとなのお/もちゃのように、女性を気持ち良くさせるための単なる道具、に過ぎなくなってくるというわけです。

 

逆に、「寝取られ」 は、自分に見せる顔とは明らかに違う顔をみせる女性に、そしてその痴態に興奮を覚えるのでしょう。嫉妬や怒りといった強い感情やもどかしさが、逆に複雑にその 「寝取られ男」 の性欲を刺激するのかも知れません。

 

ある意味、これは 「愛」 の裏返しとも言えることでしょう。

何故なら、愛がなければ、このような激情は生まれません。

 

***

 

「NTR」 には、その場に立ち会いたい人と、こっそり隠れて覗きたい人がいます。あとから、報告やビデオなどを通して、自分でする人も、後者に分類されます。

 

その場に立ち会いたい人の多くは、自分が緊縛された状態で、無理やり見せつけられることに興奮を覚えるようですが、現実にそのような状況を作り上げるのは、容易ではありません。

何故なら、「寝取られ男」 にとっては、寝取られる女性は誰でも良いわけではなく、自分の愛する女性でなければならないのです。

 

そして当然ながら、「寝取られる男」 にとっては、「寝取る男」 は信頼できる人でなければいけませんし、「寝取られる女性」 は、ある程度本気で 「寝取る男」 に好意を寄せていなければなりません。

 

もちろん、このような状況は、そう簡単に成立しないからこそ、外形的には、

 

   「他/人棒」 ≒ 「NTR」

 

と考える風潮が出てくることは致し方ありません。 

 

***

 

そういう意味においては、トランプのポーカーではありませんが、設定する難易度によって役を作るなんてことも出来るかも知れません。(苦笑)

 

では、どんな 「NTR」 が 「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」 たり得るのか?

 

ちなみに、「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」 とは、ポーカーで一番難しくて、役が高いとされる組み合わせです。

 

やはり美味しいのは、奥さんだけは知らされていないものの、ご主人が全て知っているパターンでしょうか?(笑)

 

この場合、現場の状況を報告や映像や音声で届けられるのも楽しいでしょうし、現場を押し入れやクロークの隙間から覗くのでも構いません。最近は、リモートで操作できるカメラなども売っています。

 

本人たちしか知り得ないことを、自分が知り得る喜びみたいなものもあるのでしょうか?(苦笑)

何処か、江戸川乱歩の 「屋根裏の散歩者」 的なエロチシズムを感じますが、それはやはり覗き的要素があるからでしょう。

自分が恋焦がれる女性の痴態を見聞きして嫉妬しそして悶える様は、何処か淡くて切ない 「片思い」 的な要素も感じます。

 

直接的な 「性/交」 で得る肉体的快感ではなく、心理的精神的な刺激によって、脳内物質がダダ漏れ状態にでもなるのでしょうか?

 

こういうご主人は、多分、ずっと奥さんのことを見ていると思いますし、きっと奥さんのことを愛し続けると思いますし、もし妄想が妄想でなくなったら、奥さんが気持ち良くなることに、もっともっと関心を寄せるに違いありません。(笑)

 

歳の差婚等で、もう勃たなくなったご主人の中には、まだ若くて 「したい盛り」 の奥さんに対して、外で男と遊ぶのを公認している、世の中には、そんな出来た御仁も居るようです。

相手を自分に縛りつけるのではなく、むしろ、相手の幸せを第一に考えることの大切さと難しさ。

簡単なことではありませんが、自分が相手を束縛することで自らの独占欲を満たし満足するよりも、自分の好きな相手が快楽に身を震わせるところを見たり聞いたりして満足する男の方が、ずっと貴重だし、愛が深いと思います。

 

では、究極の 「NTR」 とは何か?

 

ちなみに、タイトルにもありますが、現在相談を受けている 「寝取られ願望」 のある妄想くんの場合は、「その現場における立ち合い」 と言っていました。

 

***

 

ご主人の現場の立ち会いがなぜ究極なのか。

 

「寝取らせ」 の場合はまた異なりますが、男性も女性もどちらもが 「寝取られ」 であるためには、男女双方が受け身になり、「寝取り男」 主導でなければならないわけです。

そして、この場合、「寝取られ男」 がクライアントとなりますので、情報は全てご主人には筒抜けですが、一方の奥さんはそのことを知らされていません。

 

「寝取られる男」 と 「寝取られる女」 の間に合意が形成されていれば全く問題はないのですが、それでは、「NTR」 というよりは、「ス/ワッピング」 や 「乱/交」 あるいは 「輪/姦」 といった、複数プレイ的要素が強くなってしまうわけです。

もしかしたら、それで十分であるという人については、パートナーにカミングアウトでもして、合意のもと、一緒に遊べば良いだけの話です。

 

しかし、「寝取られる男」 と 「寝取られる女」 の間に合意が出来ていない場合、ずっと 「NTR」 の事実を自分のパートナーに対して秘密に出来るのであれば、まだ構わないのですが、このシチュエーションは、女性にとっては、旦那に現場を見られるという、心理的にも大変困難な場面にならざるを得ないわけです。

 

そんな状態において、旦那に見せつけることを喜ぶ女性なんて、現実の世界には、まず居りませんし、カミングアウトしたとしても、ドッキリカメラではありませんが、女性だけが知らされていなかったという現実は、それまで自分が信じていたはずの旦那や彼氏といった、自分が心を許した人達による騙し打ちとして映りますので、女性が大変な人間不信に陥りかねないということです。

 

なので、「寝取られ男」 は 「女性」 に対して、「NTR」 の真相は、決して明かしてはいけないことなのです。

究極の願望としてあったとしても、実現してしまったら、人としては終わり。

全てをきちんと説明して、何とか女性の理解を得たとしても、そこから先は、二人合意の上での単なる 「乱/交」 に過ぎません。

 

だから究極なのです。

 

では、全員がその状況を知っており、「寝取られ男」 もその場に立ち会いたい場合は、どうしたら良いのか?

 

そのためには、当たり前ですが、奥さんにでも彼女にでも、自分の性癖を打ち明けて、奥さんや彼女の同意を得なければいけません。

勿論、奥さんや彼女に断られる可能性はありますが、現実で立ち会うためには、其処は避けては通れない部分と言えます。

 

***

 

「NTR」 であろうが、「SM」 であろうが、常に相手のことを考えないといけません。

 

そして、相手が許容出来ないであろう、痛みや苦しみ。心が傷付くようなことは、当然避ける必要があるということです。

 

「寝取らせ」 の場合の 「NTR」 は、寝取らせる男性が、采配と責任の双方を負うので、特に問題はないのですが、「寝取られ」 の場合の 「NTR」 においては、「寝取る」 側の男には、其処までの配慮が求められると言うこと。

 

単発の場合は、そこまで大きな問題に発展することもないとは思いますが、単に奥さんを口説き落として、寝取ることが出来れば、それで十分というわけではないことを、知っておいたほうが良いでしょう。

2019/02/06

とあるコメ

本日、こんなコメントを頂きました。

 

無題

あんた、本当にヤリたいだけの男と変わんないと思ってるんですか?心を見ていてそういう事が言えるんですか。男として。多頭飼いの主として。
縄であんた何縛ってんの。

ZONE

2019-02-06 00:01:08

 

 

外部の方のようですが、よほど 「ムカついた」 のでしょう。(苦笑)

 

この方の世界観があるとしたら、それは否定しません。

この世界も、いろいろな人がいますし、いろいろな期待と絶望が渦巻く世界ですから。

 

しかし、ひとつ言えることは、

 

社会の枠に従ってでしか、「調教」 は出来ないということ。

 

物理的には可能ですが、そのときは、法の裁きを受けざるを得ません。

 

言わば、これこそが 「自己責任」。

 

他人に責任を転嫁する、昨今の 「自己責任」 とは意味が違います。

 

「縄」 は、あくまでも 「メタファー」。

 

人の心は、縄で縛っているようで、実は、「心」 で縛っているのです。

 

***

 

   「あんたは、縛りきれてないし、飼いきれていない!」

 

そういうコメントであるなら、おっしゃる通り。(苦笑)

 

自分も、女性の 「嫉妬心」 を、縛り込むには、まだまだ未熟なのは、百も承知の助。

 

そういう方は、春さんのところにでも、行かれたら如何ですか?

 

 

春兜京@harutokyou 

■女性に教わること■ もうええかげん気づきなさいよ 考えてみ アンタが幸せ目指したら 世の中変わる気せえへんか? 平和とはそう言うことやと 女性たちに教えてもらいました https://t.co/exzKExYyqk

2019年02月05日 06:55

 

***

 

実を言うと、自分の昔の愛奴が、春バーに行ったり、あとは喜多さんのお世話になっております。

 

自分的に言わせて貰えば、

 

他の男と 「セ/ックス」 しようが、全然気にはしませんが、

 

愛奴が別の縄師。しかもプロの縄師の門を叩いたこのときばかりは、さすがにショックでした。苦笑 (^^;

 

***

 

彼女的には、どういう心情だったのでしょうか?

 

自分は、単なる 「女心」 という観念で、断定はしません。

 

何故なら、女性もいろいろなタイプがいますし、心に抱えるものは、それこそ人それぞれ。

 

この世界は、人それぞれ、違うからこそ。

 

絡まった縄を解いて欲しい女と、それを冷静に解く男。

 

それが単に外形的には、

 

縄に縛られた女と、女を縛る男。

 

繋がりは、ココロのシンクロ。

 

***

 

突き放すのも 「愛」 なら、

 

受け留めるのも 「愛」。

 

だけど、ヌシの言いつけを守らないのは、奴隷ではなく、

 

奴隷でなければ、自分の 「管理責任」 もないということ。

 

「奴隷」 であり続けたいのであれば、

 

主の命令であるならば、

 

堪えるときは堪え、忍ぶときは忍び、そして

 

弾けるときは、弾ける。

 

***

 

それで、自分の枠から逃げた 「猫」 がどう暮らそうが、悪いけど、それは関知しようもありません。

 

   「飼いきれてない!」

 

そう言われれば、そのとおり。(爆笑)

 

しかし、一休さんとて、屏風から出てこない虎は、縛れないのです。(笑)

 

自分も、奴隷の条件を守れない奴隷は、申し訳ありませんが、お隣の国同様、飼えません。www

 

韓流的な妄想社会がお好きなら、そちらにどうぞw

 

***

 

ZONE さん・・・

 

SM の世界はね、「闇」 が多いこともありますが、普通は面識のないお相手に対しては、お互いにね、「敬意」 を表して会話する世界です。

 

いきなり、「あんた」 なんてことは言いませんww

 

ガチンコトークしたいのであれば、どうぞ、仮の垢でも作って、メッセージ下さい。

 

あなたの言い分は、お聞きしますので。

 

いつでも、お越し下さい