幸せのお裾分け
大事なことは、其処なんだと思います。
多分、「幸せ」 をきちんと消化出来ていない人が、アップアップして、気持ちも 「いっぱいいっぱい」 になっちゃうのでしょう。
美味しいご馳走で、勢い良く食べ過ぎてしまったら、げっぷを吐かないとキツイわけですし、
美味しいご馳走は、きちんと消化して、自分の身にして、ウンコに出してナンボのもの。
生と死も、あらゆる物質も、幸せも人の気持ちも 循環しているんだと思います。
その循環が止まってしまうと、実は苦しい。
自分が他の方から 「幸せ」 を頂いたのなら、その幸せを他の人にも分けてあげないと いけないのです。
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今ある生活も、今あるものを失くしたら、如何にその何の変哲もない生活が、幸せであったかを感じるわけです。
世の中、自分の好きなものばかりで、構成されているわけではありません。
自分の身の回りに、自分が嫌いなものもあるかも知れません。
しかし、自分!自分!で、常に自分中心で考えていると、その何の変哲もない生活も、嫌だ嫌だと思っている生活も、人は、それがなくなったときに初めて、実はその生活が、「幸せの塊」 であったかに気が付くのです。
だから大事なこと。
それは、自分が貰った 「幸せ」 は、自分で独り占めにしないで、他の人にも分け与えること。
そして、他の人にも笑顔になってもらうことです。
そして、そういう生活をしていれば、自分もまた、他の人から 「幸せのお裾分け」 をいただく場合もあるでしょうし、人も集まり、そして、どんどん 「幸せの輪」 が笑顔となって広がるのです。
浮気をして得た 「幸せ」 であったとしても、その幸せは独り占めすることなく、みんなに分けてあげること。
そして、あなたは、みんなの笑顔で、喜びに満たされるようになります。
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ジョルジュ・バタイユが、氏の著作 「呪われた部分」 で大事だと言っていた、「ハレ」 と 「ケ」。
今の社会は、「ケ」 の塊で、蓄財に価値を見出す世界です。
これに対して、「ハレ」 とは 「祝祭」 のことであり、「蕩尽(とうじん)」 や文化芸術宗教なども含まれますが、「ケ」 で蓄えられた蓄財を放出する世界です。
SM は 「ハレ」 なら、「セ/ックス」 も 「ハレ」。
日々の 「ケ」 は、股に力を込めて堪えて、慎ましく蓄財に励むからこそ、
祝祭の 「ハレの日」 が輝くのです。
そしてまた、「ハレ」 で得た喜びを糧に主に感謝し、「ケ」 を生きる。
日々を天国にするのも地獄にするのも、アナタ次第。
誰が悪いワケでもなく、幸せになる鍵も、不幸せになる原因も、それは、アナタの心の中にあります。
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