努めよ常に (3)
「努めよ常に (2)」 の記事の続き。いよいよ最終回です…
4.奴に力と書いて努 - SM奴隷編
(1) 家では、とことん踏ん張る
「踏ん張る」 とは、股とかお腹とか、下半身に力を入れて、「ふんっ!」 と力を込めること。要は、踏ん張って壊れるなということ。
「壊れるな・・・」 と言う意味は、「気を抜くな・・・」 という意味でもあり、また、「役割を果たせ・・・」 と言う意味でもありますが、そればかりではありません。
家では、(主たる)自分とのことで 「うろたえるな・・・」 と言う意味でもあります。
男と女が離れてるとき。昔であれば手紙や電話、現在は、それに加えてメールやSNSのチャットと言ったところでしょうか。しかし今も昔も、会えないときの揉め事ほど、収集がつかないものは、ありません。
「妻」、「母」 または 「嫁」 であるときに、家の外のことで壊れてしまって、泣いたり、物思いに耽ったり、落ち込んだり、あるいは、うつつを抜かしたりするのも、いけませんが、苛々したり、怒ったりも禁物なのです。家では100%、「家内」 でなければいけないのです。
家にいるときは、常に、踏ん張って堪(こら)えてナンボ。
だから、「努めよ常に」 なわけです。
ドーーーーーン (←姫、コレ借りたよ?苦笑)
(2) 会ったときに壊れる
そして、もっと言えば、壊れるのは、会っているときだけ。
壊れるの意味は、相手に委ねる の意味もありますし、相手に感情を発露する という意味合いもあります。
全ての思いや、気持ちを吐き出すのは、会っているときだけで良い のです。
そうでないときは、せいぜいガス抜き程度にとどめておく。
(3) 旦那はその逆
ちなみに、常に相対している、自分の伴侶(パートナー)に対しては、この逆です。
顔を合わせているとき、あなたが壊れてはいけません。壊れないように、股に力を入れて踏ん張らないといけません。これが 妻の努め。
そして、その代わりに、「夜の営み」 を求められた際には、演技の方に力を入れて、思いっきり脱力すれば良いのです。こちらの方は、妻の務め。
もちろん、ラブラブな夫婦 の場合は、その限りではありません。
営みの方でも、いっぱい気持ち良くなって、踏ん張って下さい。(笑)
余談.緊張と弛緩、メリとハリの話
(1) ウンコの話
子供が好きな ウンコ に例えると、人前で ウンコ をしたくなっても、人前で ウンコ が洩れそうな素振りは見せず、(洩らさないように)踏ん張りなさいと言うこと。そして、脂汗を垂らしながらも、何とかトイレに駆け込み、ドアの鍵をきちんと閉めて、ズボンやパンツを脱ぎ、そして、トイレットペーパーの有無も確認して、準備万端整ったと思ったら、人知れず壊れる場所と、壊れてもいい状態が整ったわけですから、思いっきり股に力を入れて、便器に全てを委ねなさい、と言っているわけです。
男女の逢瀬も、セックスも、そして家庭の生活も全て同じ。大事なのは、オンとオフ、メリとハリを付けることなのです。
(2) 自分に対する甘えをなくす
家庭では、常に顔を合わせている気安さからか、それとも、身近な存在という甘えからか、つい相手に頼りたくなってしまいます。本来大変なときに、家族の助けを求めること自体は、決して悪いことではありません。良くないのは、相手に対する気安さから、自分の中に生じる 「甘えの気持ち」 です。
不倫にしろ、婚外恋愛にしろ、多少とも 「疚(やま)しさ」 があるのであれば、その気持ちを払拭するために、「頑張ろう」 と股に力を入れて、家族に努めることが出来るはずです。
罪の意識があるのであれば、それをプラスに活用する。そして、家庭の生活で、多少辛いことがあっても、それを吐き出すのは、家の中ではなく、逢瀬のときに吐き出すのです。
大事なのは、自分に対する甘えを断ち切るときと、甘えて良いときを、明確に白黒区別すること。
(3) 家庭の位置付け
家は、安全で安心な食と睡眠を提供し、家族で共有する場所です。しかし、「性」 は本来 「秘め事」 であり、家の中で共有するというよりは、男女の間の特殊な二者関係なのです。
なので、性教育などは別ですが、家には基本、「性」 は持ち込まない。
恋愛対象がご主人であれ彼氏であれ、男と女の感情は本来は、家では大っぴらには、出してはいけないのです。
「痴話喧嘩を子供の前でするな」 と言うのも、ある意味そういうわけですから、ましてや、不倫や婚外恋愛における色恋の感情などは、絶対に家に持ち帰ってはいけないわけです。
不倫や婚外恋愛なんてのは、人目を忍んでナンボなのです。
家に帰って思い出したとしても、のろける気持ちであろうと、苛立つ思いであろうと、ぐっと忍び、股に力を入れて、堪(こら)えるわけです。
(4) お母さんは家の中の太陽
大黒柱は、お父さんかも知れませんが、お母さんは、家の中心にある太陽なのです。
お母さんが元気で、ニコニコと笑顔を絶やさなければ、ご主人も子供も家族は皆元気良く、出掛けて行きます。家を実質回しているのは、お母さんなのです。
お母さんは、家族が安心して食べ、安心して寝れる環境を維持しているのです。
しかし、家事は毎日の仕事。そして、家事に見返りは求められません。このために、多くの主婦が自己犠牲のように感じ、悩み苦しむのです。
不倫や婚外恋愛が、もし、あなたの生活の活力になるのであれば、自分ばかりが美味しい思いをするのではなく、あなたは、あなたが得たその恩恵を、少しでも多く、家族に還元するべきなのです。
その活力を家の中で、太陽を燃やすエネルギーとして使うべきなのです。
5.思いっきり壊れるということ
「思いっきり壊れる」 とは、自分の感情を発露し、欲望を剥き出しにし、プライドも何もかも捨てて、自分を相手に委ねることです。
そして、相手に甘えるのです。甘えるという行為は、自分に甘え、自分のプライドを守るために、相手を攻撃するのと正反対の行為で、相手に降伏し、白旗を揚げ、相手に対して敵意がないことを示し、相手に服従を誓う行為です。
動物であれば、お腹を見せる行為です。
これは、ある意味、相手が自分を受け容れてくれなかった場合は、殺されたとしても致し方のない状態なのです。
くすぐったくて笑いが洩れるという生理現象も、相手が自分に触れる刺激による緊張と、脳が相手を受け容れていることに伴う弛緩。そのの差異によって生じる、脳の混乱だと言われています。
そして、女性のオーガズムと言うのも、極度の緊張状態からの弛緩により生じる痙攣(けいれん)であると言われています。
無意識ではあるものの、くすぐったくて漏れる笑いも、甘えるという行為も、そして、オーガズムにしても、どれも、相手を必要とする行為です。そして、意識は相手を許容していても、身体の細胞レベルでは、刺激は危険の兆候として認識され、オーガズムに至っては、自分の死さえも許容しているのです。
壊れた自分を見せれる相手に対しては、自分が壊れても支障を来たさない場所で、自分が壊れても問題が起きない状態・条件下で、思いっきり壊れる。
まさしく、ジョルジュ・バタイユが説いたハレの日であり、浪費であり、蕩尽であり祝祭。「日常」 とは正反対にある 「非日常」 の行為に当たるわけです。
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女性は日常においては、踏ん張るために股に力を込め、非日常においては、壊れるために、股に力を入れるわけです。
「努めよ常に」
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