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2017/08/08

セックスレスの対処法

前回の 「とあるセックスレス相談」 からのつづきです。

 

セックスレスではないからと言って、全てが順風満帆(じゅんぷうまんぱん)ではありません。

中には、当人はどのように認識しているのか分かりませんが、「交尾」 というよりはむしろ 「排泄行為」 に近いと言ってもいい、貧しい家庭なんかも未だに存在するようです。

同様に、セックスレス家庭であっても、その理由はさまざまでしょう。一方の 「したくない」 という意思を相方が尊重しているだけ、まだマシとも言えます。また、中には、したいと思っていても、健康的な理由で出来ない人達もいるかも知れません。

 

また、セックスレスの家庭であっても、夫婦のどちらか一方が拒否するパターンも多いようです。原因が、疲れであったり、性/交痛あるいは勃/起不全など、健康上の問題であるならば、まだ医学的なアプローチからの対応策もありそうなもんですが、既に夫婦のどちらか一方の心が離れてしまっている場合もあり、中には、性欲はあるけれども、旦那には触れられたくもないので、自ら拒(こば)んで 「セックスレス」 なんていう自分本位な家庭もあったりします。


まあ、「嫌なものは嫌!」 と断られてしまうのであれば、夫婦といえども、強要はできません。
しかし、正当な理由もなく、夫婦の間の性交渉を拒否することは、法的には離婚事由としても認められていることから、長期間セックスレスであるにもかかわらず、法的に、夫婦としての貞操権を主張できるかについては、その理由やどちらが拒んでいるかによって、微妙になってきます。

 

専門家に相談してみる


日本の場合、「セックスカウンセラー」 のような、夫婦の性生活上の問題を相談できるような場所は、一般的ではありません。
セックスレスには、夫婦の間の 「感情のもつれ」 といった心理要素も強く関わってきます。もちろん、修復可能な関係も多いでしょうし、より良い関係にしていくためにも、お互いのコミュニケーション、あるいは、セックスに対する認識を深めていく必要があるような場合もあるかも知れません。
夫婦の問題は、男と女双方の問題です。なので本来は、男性視線と女性視線の双方から、問題を解(と)いていかないといけないのですが、そういった相談者は身近には居ないのが普通ですし、また、相談者がいたとしても、同性の肩をもってばかりの人の場合、耳には心地良いかも知れませんが、多くの場合、良い結果は生みません。

夫婦の問題、特に性交渉に関わる問題は 「秘め事」 と呼ばれるだけに、夫婦で解決するものという認識が強すぎるのです。

当然、まずは夫婦が向かい合って真剣に話し合うことが基本です。妻から夫に求めることは 「恥ずかしい」 などと言って、夫からお呼びが掛かるのをただひたすら待っているだけ…などは論外です。

しかし、自分達だけでは、どうしても解決できない場合、専門家などに相談してみるのも、ひとつのアプローチだと思います。

心理的身体的な問題の場合は、真面目なところでは 「日本性科学会」 という学会が主宰(しゅさい)する カウンセリングサービス などが利用可能ですし、クリニック 等で対応しているところもあるようです。

 

性生活の多様性について考えてみる

 

しかし、人の性生活は実に多様です。ですので、全てが医学的なアプローチにおいて、最適解に近付くかというと疑問が残ります。

「はじめての不倫学 『社会問題』 として考える」(光文社) の著者である坂爪真吾氏は、「既婚者の2割が不倫?ハマらないためにはスワッピングと婚外セックスだ!」 の記事において、婚外関係が存在することを前提とした、性的関係の多様性について議論しています。

 

 

セックスレスの解消手段として、「離婚」 は法的にも正当なアプローチではありますが、しかし、離婚は最もコストが掛かりますし、リスクも高いので、あくまでも最終手段です。
そして、現実的に多く取られている実質的な解消手段は、一時的な 「浮気」 であったり、「不倫」 であったりするわけです。実際のところ、既婚者である場合は、離婚を前提とせず、家庭生活は家庭生活で守っていくことを前提に 「浮気」 や 「不倫」 をしている場合が大半でしょう。

 

ちなみに、この記事においては、「不倫」 は 「婚外恋愛」 であるとし、ある程度気持ちを割り切れている関係を 「婚外セックス」 と呼んで区別しています。

この考え方は、「性」 というものを覆(おお)い隠してしまうのではなく、オープンに議論していることに意義を感じています。

そもそも、江戸時代の武家においては、女性の不義不貞は死罪獄門であったのにもかかわらず、「駆け落ち」 はなくならなかったわけですし、性の売買は、世界最古の商売とまで言われているのです。

 

社会的に理想とされる 「夫婦像」 に縛られ、「浮気」 や 「不倫」 は、忌(い)み嫌われる行為であり、性欲を抑えるのが美徳であると、本気で信じているのであれば、それはその人の価値観ですので、否定するつもりはありません。

それでも、きちんと義務を履行(りこう)しているのであれば、まだ立派ですが、しかし、そのような人は、セックスレスに陥(おちい)った場合は大抵(たいてい)、まるで自分も苦しんでいるのだから、貴方も苦しみなさい…的に、自分の価値観をパートナーに対しても押し付けてきます。

まあ、婚姻制度を維持するために必要とされる社会的理念でもあるだけに、正当な価値観とは認められますが、しかし、まったく義務を履行していないなどの実情によっては、「離婚」 も認められるのが現代の婚姻制度です。

 

しかし、本来であれば、自分が夫婦におけるセックスのパートナーとしての役割を放棄するのであれば、それと同時に、パートナーに対する 「貞操権」 をも放棄すべきなのです。
一方的な 「貞操権」 の放棄を厭(いと)わない人もいるでしょうし、双方で 「貞操権」 の放棄を承諾する夫婦もいるでしょう。
面倒臭いのは、貞操観念なく、一方的に自身に課(か)せられた 「貞操義務」 を果たさないパートナーであり、そして、自身の役割は果たさずに、嫉妬や独占欲あるいはその他の感情で、相手の行動を束縛しようとするパートナーである場合でしょう。

「不倫は悪い!」 という世間あるいはマスコミの風潮が未だに続いていますが、「浮気」 や 「不倫」 といった不貞行為は、あくまでも 「権利の侵害」 であって、「犯罪行為」 ではありません。

ひと昔前であれば、「歳の差婚」 などで、若い女性を妻にめとった老齢の男性であれば、妻の浮気を公認したり、あるいは、その逆で、病弱な妻をめとった夫に対しては、妻自らが夫に対して、浮気を公認するなど、夫婦がお互いを思いやり、「貞操権」 を放棄したりしたものです。

そんな夫婦の内情もいざ知らず、婚姻関係にあるというだけで、「浮気」 や 「不倫」 を叩くマスメディアもマスメディアなら、他人の 「浮気」 や 「不倫」 に敵対的な人達も野暮というもの。
100の家庭があったら、100通りの夫婦の関係があるわけです。

セックスレスの解消も、夫婦間の性交渉を、継続すべくお互いが修復することを望むのか、それとも、そうでないのか。
そうでない場合は、夫婦間で 「性」 をどう割り切るかです。
婚姻関係にある以上、法的には相互に 「貞操権」 そして 「貞操義務」 が生じますが、あくまでも、これは民事における紛争解決の話であって、その権利を行使する・しないはまた別の話。これは裏を返すと、人には、それ以上の自由が与えられているということを意味するのです。

 

大事なのは、可能な限り、まず二人で自分達が許容できるモデルがあるかないかを話し合ってみることです。もちろん、端(はな)から話に乗ってくれない場合も、多いかも知れません。

しかし、話にすら乗ってくれないようなのであれば、話を聞いてくれないパートナーのせいにしても、仕方ありません。あとは自分で 「自分の人生」 を決めるだけなのです。

 

セックスレスのメカニズム

 

夫婦のセックスレスは、アンケートによると、夫婦間に確執がある場合を除くと、「疲れてる」 とか 「面倒くさい」 と言った回答を多く見かけますが、これは、致し方ないところもあるのです。

女性は旦那を見ても 「ときめかない」 と言いますし、男性は女房を見ても 「勃たない」 と言いますが、要はお互いに慣れてくるし、飽(あ)きてもくるわけです。

性欲はあるものの、セックスに至るだけの衝動がないわけです。一説によると、これには恋愛ホルモンと呼ばれるフェニルエチルアミン(PEA)と呼ばれる物質が関わっており、この効果は、3ヶ月ないし半年から3~4年で生成されなくなるということです。
まあ、確かに新婚あるいはお付き合いを始めた当時の勢いで、何十年も過ごしていたら、身体がいくつあっても足りませんし、今現在、生きている気もしません。(苦笑)

それ以降は、如何にして、夫婦間のセックスが習慣化されているか。また、日常的である必要はありませんが、セックスに居たるまでには、お互いのスキンシップやコミュニケーションの良好さも大変重要であることは言うまでもありません。

 

セックスレスに効果のある具体的なアプローチ
 

では、そんな夫婦において、どうやったら女性にはときめきを、男性には勃/起を取り戻すことができるのか?それは、どうやったら、二人の体内で、フェニルエチルアミンを生成させるのかと同義なわけです。

この答えのひとつが、(競走)馬の世界の言葉で言うと 「当て馬」 というやつです。日本語俗語辞書 によると、次のような説明があります。

”当て馬とは本来、馬の種付けの際、その気にならない雌馬を興奮させるためだけにあてがわれる牡馬のことである。当て馬は雌馬を興奮させ、その気にさせたところで種馬である牡馬へバトンタッチとなる。…”

そして、この原理を応用しているのが、冒頭の坂爪真吾氏との対談記事にもあった 「スワッピング」 です。スワッピングは、「NTR(寝取られ・寝取らせ)考」 の記事のところでも簡単に説明していますが、日本語で言うと 「夫婦交換」 と呼ばれるものです。


しかしまあ、効果はあるかも知れませんが、普通の一般的なご家庭のご夫婦からすると 「スワッピング」 も 「NTR(寝取られ・寝取らせ)」 もハードルが高すぎるというのは否(いな)めません。

次回は、この 「スワッピング」 について解説したいと思います。

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