前記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(4)」 の続きです。
前記事では、強い刺激でもたらされる 「快感」 は、セ☆クスで得られる 「オーガズム」 とは、似てはいますが、性質が異なることを説明しました。
人の身体は、自分が望んでスルのと、そうでなくてスルのとでは、こうも大きく異なるもんなんでしょうか?
今回は、女性の身体の神秘。
「セ☆クス」 でイケるようになるために、女性が乗り越えなければならない、心の中の葛藤(かっとう)について、説明します。
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身体はイケてるのに、快感を感じないのは何故か?
「中イキ」 は難しいと言われていますが、実際に自分で経験してみて、”肉体的には十分にイケてる” 女性は、少なくありません。
アソコも痙攣(けいれん)しており、普段は女性に 「動かせ!」 と言ったところで自分では動かせない部分の筋肉が、グッと締め付けてきますし、子宮も降りてきます。
人によっては、そのタイミングに併せて、どっと発汗したり、呼吸や心拍数が上昇したり、いろいろです。
肉体的には、少なくとも、女性自身は 「オーガズム」 でイケているのです。
しかし、その実感がないようなのです。
イク実感とは、とある人は 「頭の中が真っ白になる」 という人もいますし、「スパーク」 と表現する人もいます。
「オーガズム」 を 「ふわふわ感」 と表現する人がいますが、これは、まだ前段の状態です。気持ち良い 「エクスタシー」 状態ではありますが、「オーガズム」 には至っていません。
では、何故、女性は イク実感が湧かないのか?
それはまるで、自分を守るかのように、脳が快感をブロックしている・・・としか、表現できないのですが、身体はイケていても、脳が報酬を与えてくれないのです。
女性が 「セ☆クス」 でイケるようになることを、前回の記事では 「自転車の練習」 に例えましたが、実際は、「頭の中のスイッチ」 の切り替えるような感覚です。
一度きちんとイケると、何も怖れることなく自信を持って、スイッチを切り替えることが出来るのですが、「オーガズム」 を経験していないので、まだ怖いのです。
補助輪なし自転車に乗れていない状態では、どうしても、自転車ごと転ぶのが怖い・・・。だから、補助輪なしで、自転車に乗れない・・・、みたいな感覚です。
自分でイクのと、「セ☆クス」 でイクのは、同じ行為ではなく、「補助輪つき自転車」 と 「補助輪なし自転車」 くらい違いがあるものであることを、まずきちんと認識して下さい。
そして、女性が、「イク!」 という快感を味わうために必要なのは、「心の壁」 という幾つかの 「関門」 を乗り越える必要があるということ。
そして、そのためには、「集中」 と 「リラックス」 が求められます。
補助輪なし自転車を運転するためには、それなりに集中すべきことがあります。しかし、運転するに際しては、ガチガチになっていてはダメで、身体はリラックスしていなければなりません。それと同じです。
関門はいくつあるのか?
最近の医学会では、fMRI (磁気共鳴機能画像法)を用いた脳の研究が、大流行ですが、性科学の分野では、女性が 「オーガズム」 を迎える際には、前頭前野と扁桃体の双方が機能停止することが解っています。
前頭前野は、主に善悪やモラルなど、社会性志向を司(つかさど)るところ。扁桃体は、恐怖などの感情を司る器官です。
これは、女性が原始時代から生き延びるのに、一番重要だったパーツかも知れません。
女性の社会性は、群れの中で、いち早く危険を察知し、身を守ったり、あるいは、食物を採集する上でも大事であったはずです。子供を常に抱える女性は、人一倍 「安全」 に気を配る必要があったのです。
「危険には近付かない」 - 人の頭の中で、恐怖や不安を統制しているのが、この 「扁桃体」 です。
では、女性が 「オーガズム」 に至る 「関門」 は、幾つあるのか?
もったいぶっても仕方ありませんので、最初に答えを言ってしまいます。関門は、2つあります。一つ目は、前頭前野の切り替え。そして、二つ目は、扁桃体の切り替えです。
「理屈っぽくて、分かるようで、分からない・・・」 と、女性から、お叱(しか)りを受けてしまいそうですが、「オーガズム」 を迎え易くするために、自分でも、この二つを意識して準備しなさい、ということ。
要は、初めて見る食べ物だから、あるいは、見た目がグロテスクだからといって、嫌々あるいは恐る恐る食べようとするのではなく、「美味しいんだ!」 と思って食べなさいということです。(笑)
「オーガズム(絶頂)」 とは、食事で言えば、「美味しい!」 と感じることです。しかし、嫌々あるいは恐る恐る食べていては、美味しいものであっても、美味しく感じるわけがありません。
(1) 第一関門は、「打ち寄せる波」 に対する 「集中」
意識を集中して、「お買い物」 や 「お弁当」 あるいは 「お家の戸締り」 などの、日常生活における 「雑念」 を取っ払うだけではダメなようで、「欲」 や 「好奇心」 も出してはいけないようなのです。
多分、女性の 「欲張り思考」 は、前頭前野によるもの。
そして、第一関門で求められる 「集中」 とは、まさしく 「前頭前野」 を止めるための心の準備に他なりません。
(2) 第二関門は、恐怖との 「対峙」 と 「克服」
そしてもうひとつが、恐怖の克服です。
女性はオーガズムのピークに近くなると、日本人の場合であれば、「いやいや」 をして首を振ったり、「もういい!」 とか 「もうイヤ!」 とか、「もう無理!」 とか言いますが、男性諸君は、ここで止(や)めてしまっては、いけません。
これは、初回だけではなく、毎度のことですので、多分、感覚的には怖いのでしょう。(^^;)
貧しい 「オーガズム」 しか感じない男性としては、何とも言えません。
しかし、女性もこのときのことは、記憶にありませんし、会話もまず成り立たないので、女性の心の中のことは、誰も主観的には確認のしようがありません。
まあ、酒好きのオヤジが想像するには、このときの女性の脳内には、「恋愛ホルモン」 とか 「快楽ホルモン」 と呼ばれる 「性ホルモン」 がダダ漏れなわけですから、ウイスキーと焼酎と日本酒を、たくさん飲んだ翌日の感覚でしょうか?(笑)
お酒の場合は、先にハイになって、その後に 「二日酔い」 などの 「悪寒(おかん)」 が来ますが、女性の 「オーガズム」 の場合は、先に悪寒が来て、その後に 「オーガズム」 が来るようです。(笑)
それでは、そのふたつの 「関門」 について、女性の心の中の 「葛藤」 について、見ていきましょう。
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女性はむら気(き)?
女性は、好きな男に跨(またが)って、腰を振っている最中でも、集中が途切れると、
「今晩のおかず、何にしよう?」
などと考えてしまう生き物です。
「あれ?家のカギ、閉めて出てきたっけな?」
とか、常にアレやコレやを考えている生き物の意識を空っぽにさせて、気持ち良くなることに 「集中」 させるのは、並大抵のことでは出来ません。(^^;)
快感の波
実際に、気持ち良くなるところまでであれば、多くの女性が経験していると思います。
そして、女性はよく、「快感が波のように打ち寄せてくる・・・」 といった表現を使いますが、その感覚を経験している女性は、少なくないと思われます。しかし、ここで女性の意識が、
「あっ、イケるかも!」
とか
「イキたいっ、イキたいっ」
とか
「あともう少しだっ!」
とか考え出した途端、そういった自分の 「意識」 というか、「我」 というか、そういった 「欲」 が出て来ると、その 「波」 というか 「うねり」 のようなものが跡形もなく、「さ~っ」 と引いてしまうというか、消え去ってしまうらしいのです。
無念無想
例えるなら、女性に快感の 「波」 が来るのは、座禅を組んでいて 「無念無想」 の境地に入っているときであり、「あっ、イケるかも?」 と思うのは、多分座禅で言うところの 「邪念」。
座禅では、あの 「パシン!」 と叩かれる木の棒を 「警策(きょうさく・けいさく)」 と言い、叩かれることを 「警策を戴く」 と言うらしいのですが、まさしく、女性が 「快感の波」 の襲来に対して、女性の 「無念無想」 が壊れた途端、「波」 が跡形もなく消えていく・・・というのは、まるでこの 「警策」 を受けたかのような衝撃を覚えます。
まあ、男には知る由(よし)もありませんが、女性は普段から、それだけ落ち着かないというか、アレやコレやを考えているということであり、また、一言で 「集中」 とは言っても、なかなか難易度の高い 「集中」 が求められている、ということです。
波が来ているのを感じつつ、波を見て見ぬフリをしなければならないのです。
欲張ってもいけないし、頭が冴えていてもいけない。
女性は、男性の前に全てを曝(さら)け出して、一切の思考を停止し、そして、男性に対して自分の全てを委ねられない限りは、イケないのです。
あまりにも、古典的な男女像に見えますが、しかし、この現代であっても、自分の目の前にいる男性に屈服し、男性の全てを受け入れて、それで、無心でいられない限りは、女性には、「女の幸せ」 あるいは 「女の至福」 と呼ばれる 「最高の快楽」 は手に入らないのです。
女性のオーガズムを妨げる最後のブロックは 「心の中」
女性のオーガズム。「中イキ」 に必要とされる、「リラックス」 と 「集中」。しかし、そこに求められているものは、「無我無想」 の境地なのです。
時代劇ではありませんが、「ジタバタしねえで、観念しやがれ!」 みたいな感覚です。
「無我無想」 を保つだけの 「集中力」 と併せて、観念して 「ガクッ」 と肩を落とすような 「脱力」 の両方が求められているのです。
英語の「オーガズム」 をフランス語では 「アクメ(Acme)」 と呼びますが、「小さな死 (La petit mort)」 といった表現もあるそうです。
女性が、「快感の波」 を感じるようになるためには、集中が求められますが、これは 「セ☆クス」 のお相手を受け入れて、何も考えず、全てを委ねる・・・ 「無」 の感覚です。
自分の好奇心や感情さえもが、「オーガズム」 の敵なのです。
もし、女性が感じている 「快感の波」 を、「ドラゴンボール」 の 「かめはめ波」 に例(たと)えるとしたら、あの悟空の踏ん張りこそが、女性の集中に該当するわけです。
しかし、そのときには、「ベジータ」 がどうのこうのとか、「しゃらくせー」 みたいな、そういうことを一切、頭で考えてはいけないのです。
そうすると、だんだん 「かめはめ波」 のように、女性が感じる 「快感の波」 が大きくなってくる。(笑)
ただ何も考えずに、「きもちいい~♪」 という状態に身を委ねればいいのです。
男女同権だとか、男女雇用機会均等法とか、旦那がぜんぜん家事をしないとか、そういうものは 「セ☆クス」 には馴染まないのです。「セ☆クス」 における男女関係は、旧態依然の 「男と女」 の姿なのです。
なので、当然ではありますが、社会で舐められないように身に付けた、女性の 「プライド」 という名の 「鎧(よろい)」 もまた、無用の長物。そういった諸々のモノを脱ぎ捨てて、ただ単に 「男と女」 になることこそが重要なのです。
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随分と長文になってしまったので、第二の関門については、次回に説明することにします。