2ntブログ
2017/09/29

セックスの楽しみ方を広げる

「セックスレスの対処法(3)」 の続きです。

 

前回の記事では、「セックスレス」 の解消には、「セックス」 や 「セックスレス」 などのほか、性や男女の恋愛についていろいろと話あるいは相談できるプライベートな相手、出来ればカップルの相談相手がいると良いことを説明しました。

 

要は、シモネタ話の出来る友人もしくはカップルです。

 

何でも話せる親しい友人でなくても構いません。親しい友人であっても、性に閉鎖的であったり、お互いに見栄を張ったり、虚栄心の強い人では意味がないためです。

あまりにクソ真面目過ぎても意味ありません。

「うちの家庭はもっと酷いわよ?」 的に共感しあったところで解決の糸口にはなりませんし、「趣味とかで発散したら?」 などと社交辞令を返されて終わりになってしまいます。

 

どのような人に相談したら良いのか?

 

昔であれば、行き付けのスナックなどには、一人や二人、男女の色事は任せて!みたいな人がいたものですが、とは言え、近隣で下手に噂話のネタになってしまうのも困り者。やはり、きちんと秘密を守れる人ではないと・・・という警戒感が働きますが、あまり、大上段に構えなくても良いと思います。あまり堅苦しく考えなくても良いのでは・・・という意味です。(笑)

 

人と人とは、打ち解けあえない同士であれば、話せなくて当たり前。

要は、シモネタトークをタブーだと思わずに、「オトナのY談」 を楽める友人を作れば良いのです。

そして、大事なことは、夫婦もしくはカップルで、一緒の時間を楽しむということ。

そういう会話をしているうちに、相手側の男性の視線が、自分の妻を舐めるように見ていたり、相手側の女性がそれとなく自分の旦那に好意を示していたりする。そういう相手の何気ない仕草に嫉妬を感じる人もいるかも知れませんし、あるいは、相手側からの質問に対して、自分のパートナーが返す、自分が予想だにしなかった突拍子もない返事に、自分のパートナーに対して新鮮さを感じたり、あるいは、自分が今まで認識していなかったパートナーの別の側面に関心が湧(わ)くかも知れません。

 

マンネリ化した夫婦にカップルは、常にお互いを見ているから疲れてくるのです。

そして、当初は、お互いが好きあってお互いを見つめていたはずなのに、気が付くとお互いが相手の欠点を探していたり、喧嘩するために見つめていたりします。

そして、当初は二人仲良く同じ方向に歩いていたはずなのに、いつの間にか、仲の良さをアピールするための社交的なポーズになってしまっていたりします。

 

大事なのは、二人が同じ方向を向いて楽しむことであり、また、ときには反抗して、ときには一歩離れてみて、自分のパートナーの 「有り難味(ありがたみ)」 を再認識することなのです。

そのために、夫婦もカップルも、二人で基本に立ち戻ってみて、集団の中で男性は男になり、女性は女に戻ってみる。

ちょうど若い頃に 「グループ交際」 をする感覚です。

 

但し、ここで気を付けなければいけないのは、流石に本気になられてはいけませんし、本気になられた末に、噂を立てられたり、話が拗(こじ)れたり、泥沼化するようでは身も蓋もないので、出来れば、距離感を確保できる社交性のある相手が望ましいということです。

 

***

 

夫婦もしくはカップル同士で、趣味を共有するのも良いかも知れません。

一緒に、ゴルフやテニスを楽しむのも良いですし、ペアダンスを楽しむのも良いでしょう。

 

ゴルフもテニスも、そしてペアダンスも、穿(うが)った見方をすれば、自分の女性を飾り立て、皆の目に晒しているようなものです。

そして当然ではありますが、女性も 「見られること」 を意識しています。(笑)

 

そんな意識がない人であっても、ティーグラウンドで、お尻を向けてスタンスを決める女性ゴルファーのお尻や脚には自然と目が行ってしまいますし、グリーンでボールを置いたり、取ったりする女性のスカートや股間には、あからさまに見ないまでも、どうしても目が行ってしまいます。テニスもしかり。(苦笑)

ペアダンスに至っては、ダンスの内容にもよりますが、女性の胸は当たりますし、脚も触れあいます。

 

但し、いずれにおいても、実際に勤(いそ)しんでいる人達はプレイに一生懸命・・・と言うか、集中していますし、誰しも、そのような不純な理由で始めているわけではありませんので、露骨な表現は当然ながら嫌われますので、注意が必要です。(苦笑)

 

***

 

「セックスレス」 は、夫婦のセックスが、ある意味、性が二人に閉じてしまって閉塞(へいそく)している、あるいは、マンネリに陥(おちい)っている状況です。

そして、「セックスレス」 を打開する鍵は、お互いがパートナーを性的側面から刺激しあう機会を持つことにありそうです。

 

セックスは、「秘め事」 とも言います。ですので確かに、大っぴらに語るものではありません。

しかし、「秘め事」 であるゆえに他の人の 「秘め事」 に対する関心は、尽きません。

本来は、その関心を夫婦もしくはカップルで共有することが大事だと思っています。

 

そして、セックスで大事なこととは、最終的には、自分よりも相手を気持ち良くしてあげたいという気持ちです。大切なのは、相手に対する 「思い遣り」 の気持ちと 「心遣い」 なのです。

夫婦あるいはカップルにおける閉塞感を如何にして解消するか。あるいは、「マンネリ」 を如何にして防ぐか。それを、まだお互いが好き合っているうちに、話し合うことも重要なのかもしれません。

 

***

 

夫婦やカップルの閉塞感の解消には、経験則的には、如何に外からの性的な風を取り入れるかにありそうです。そしてお互いがパートナーの性向に関心を持つということ。

 

二人で、AVなんかを鑑賞するのも最初は良いかも知れません。

 

若い時分に、既に結婚している先輩の家に遊びに行ったときに、何故か奥さんがいるところで一度、先輩が所有するエロビデオを見せられたことがありました。

当時は 「裏ビデオ」 と呼ばれていたもので、無修正のノーカットものでしたが、そのときにその奥さんが思わず漏らした 「なんか自分のものが見られているようで、恥ずかしい~」 というセリフに、思わず萌えてしまった経験があります。(^^;)

 

どういう状況で、このような展開になったのかは、もう既に忘れてしまいましたが、これなどは、夫婦の AV 鑑賞に、他の人が参加したようなケースです。(苦笑)

 

また、以前お話をした 「スワッピング」 では、初心者の場合は通常、「相互鑑賞」 からスタートするのが一般的ですが、これは、AV ではなく、生のプレイが見えるという意味では、映画と舞台ほどの違いがあります。

 

夫と妻が、相対している状態は、わたしとあなたの関係です。

これに対して、他の人がそこに加わると、夫婦はお互いに同じ方向を見ることになります。言わば、私たちの状態。そして、以前お話をした 「スワッピング」 の場合は、夫婦がパートナーを交換することで、自分の配偶者を第三者の視点から見ることになります。

性という同じ趣味を他の人達と一緒に夫婦二人で楽しんでいるのが、「スウィンガー」 と呼ばれる 「スワッピング」 好きの人達です。 

 

「スウィンガー」 や、「SM マニア」 を単に 「変態!」 と一言で片付けるのは、とても簡単なことです。

しかし、「スウィンガー」 の人達も、単にそれぞれが他の異性と交わりたいだけなら、何も夫婦あるいはカップルで一緒に会わなくても良いわけです。

実際に経験してみると、大勢で集まるのは、現実問題として、それなりに手間が掛かります。日程ひとつ調整するのも手間ですし、二組で利用可能な宿泊施設というのも限られています。

彼等にとっては、セックスという行為が第一義ではなく、夫婦揃ってすることに意義があるわけです。

 

もちろん、こういう選択をするカップルであっても、誰しも最初はあります。

どちらからともなく始まるなんてことはなくて、夫婦もしくはカップルのどちらかが興味を持っていて、二人で話し合うところから始まります。

 

***

 

セックスは、こうあらねばならない・・・というものは存在しません。

あるとすれば、夫婦あるいはカップルであれ、強制はいけませんと言うぐらいです。

もっと理想を言えば、セックスを取引材料にする夫婦やカップルはいずれ破綻しますよ・・・とか、自分本位で、自分だけが気持ち良くなるセックスなんて、セックスではなくて、単なる交尾ですよ・・・とか、いろいろありますが、大事なことは、どうせなら義務としてではなく、二人の 「秘め事」 として、二人でセックスを楽しみ、お互いが相手を気持ち良くしてあげて、そして、二人でセックスの楽しみを広げていって下さい、ということです。

2017/09/27

セックスレスの対処法(3)

セックスレスの夫婦やカップルが、どうやってまた再び二人のための時間を回復させたらいいのか。

特に、体調不良や健康上の問題であったり、どちらかの気持ちが既に冷めてしまっている場合、なかなか難しいところがあります。しかし、まずは二人で話をするところから、解決の糸口を探す以外にありません。

このとき大事なことは、セックスという行為があるかどうかよりも、ハグやボディタッチといった、肌を触れ合わせる意思と、二人だけの時間があるかどうかです。

以前、「セックスレスの対処法」「セックスレスの対処法(2)」 の記事を書きましたが、読み返してみると、どうも消化不良感が否(いな)めません。

夫婦もしくはカップルで、定期的なセックスすらないのに、「スワッピングしてみるか?」 とか、「ハプバーとか SM バーに行って見るか?」 なんて提言できるはずもありませんし、例えその通りに言えたところで、100% 「変態!」 と罵(ののし)られて終わりになるはずです。(苦笑)

 

セックスレスには、どんな場合があるか?

 

では、セックスレスは、実際には、どんな理由あるいは状況から起こるのでしょう?

自分が某 SNS で今まで、いろいろな人と話をした範囲では、次のようないろいろなケースについてお話を聞くことが出来ました。

 

それまでは性欲を感じたことはなく、セックスには全く興味が湧(わ)かなかった女性が、結婚して三十路(みそじ)を過ぎて一転、性欲を感じる場合などもありますが、それでも、性欲そのものがわかず、セックス自体好きでないという人は、一定数居ります。


性欲はあるけれども、セックス自体が好きでないという人もいます。今まで、セックスに良い思い出がなかったり、気持ち良いセックスを経験したことがなく、セックスを負担としか感じていない人達です。
圧倒的に女性に多いと思われますが、夫の行為が、入れて腰を振って果てて終わりみたいな場合は、確かに女性にとっては、試練以外のナニモノでもありません。
女性は早くコトを済ませたくて、気持ち良くなったフリをしているものの、中には、ホントに嫌で嫌で仕方なくて、陰では涙を流している女性も居たりします。
しかも、こういった状況は、動物としての交尾以下であっても、行為を伴う以上、現在の日本の統計においては、セックスレスには数えられていません。
早く 「日本の性」 も、”顧客満足度” と同様、「セックスの質」 を議論する社会水準に近付いて貰いたいと思います。

話がちょっと横道に逸(そ)れてしまいましたが、それ以外にも、セックスレスの内情はいろいろです。

結婚して子供が出来て、授乳期に入ると、女性は完全に性欲が消えます。また、母性愛が強い女性の場合は、旦那よりも子供の育児が優先になります。

これは、良く知られている現象ですが、しかし、そういった時期に妻にセックスを断わられたことが傷となって、男性がアプローチしなくなるケースなどもあります。

また、一定数見かけるのは、男性にも女性にも見られますが、出産後は、自分のパートナーをセックスの対象としての 「異性」 として見られなくなる人達がいます。家族という認識から、近親相姦に対する憎悪的な感情に苛(さいな)まれるのか、詳しいところまでは聞いていませんが、そういう人達は、決まって 「もう、家族だから・・・」 といった言い回しをします。
出産の立会いで、ショッキングなシーンを見てから・・・という男性もいますし、子供が生まれた後は、妻を 「女性」 ではなく、「母」 としてしか見れない・・・という男性も居ります。

そして、一番多いのは、「時間がない!」 とか 「疲れている!」 に代表される人達ですが、これらの人達のレスの原因は、ずばり、夫婦もしくはカップルの間の 「マンネリ」 と言えます。

お互いに好き合っている、常に会えない同士であれば、時間がなくても、疲れを押し切ってでも、お互いに時間を作って会っていたりしたはずです。

しかし、結婚あるいは同棲したことによって、ずっと身近にいる存在となり、いつでも出来る存在になってしまった結果、今度はうまくセーブしないと、お互い自分の身がもたなくなるわけです。

また、常に身近な存在であるために、疲れていたりすると、今日ではなくて明日でもいいや・・・という感覚になるわけです。

そして、次第に 「マンネリ」 化し、男女間のコミュニケーションも雑になっているのです。

 

夫婦もしくはカップルの間での 「気持ちの行き違い」 や、感情面でのシコリがあったりする場合もあります。
「マンネリ」 ゆえに、相手に対する 「思いやり」 もいい加減になるわけです。

 

セックスレス解消への道

 

夫婦やカップルが、セックスレスの解消を望む場合、最低限、夫婦もしくはカップルの双方が、セックスレスを解消したいと望んでいること。そして、二人の時間を確保しようという姿勢がみられることが大前提となります。
そもそも、仕事に追われている人であれば、自分で時間を作ろうと思わない限りは、出来るはずもありません。
 

では、どうしたら良いのか?

日本の場合、カウンセラーなんていうのは、なかなか、馴染みがありませんし、カウンセラーだからといって、手放しでお任せというわけには行きません。
相談者の耳に心地良い言葉しか使わないカウンセラーも少なくありませんし、主たる相談者の話や意見ばかりを聞いて、パートナーの意見に耳を貸そうとしないカウンセラーなどもおります。こういったカウンセラーの場合は、結局のところ問題は解決せず、単なる相談に多額のお金を費やすことになり兼ねません。

とは言っても、自称カウンセラーは、もっと心配です。

では、どうしたら、いいのか。

 

まずは、夫婦で 「セックスレス」 について話を切り出せない・・・という夫婦も少なくありません。

大切なことは、まず、問題意識を抱えている人が、きちんと相手に自分の本心を伝えること。そして、それを聞いたパートナーが、その問題に真摯に向かい合い、そして、自分の認識を包み隠さず話すということです。

 

しかし、まだこの時点では、問題を指摘された方には、自分を守り、問題から逃げようとする人も少なくありません。

 

大事なのは、お互いの 「気遣い」 と 「思い遣り」 です。

セックスレスは、被害者と加害者の関係ではありません。

「鬱(うつ)」 は今では ”心の風邪” などと呼ばれたりしますが、「セックスレス」 も夫婦やカップルの風邪のようなもの。

自慢する代物ではありませんが、卑下する代物でもありません。

 

そして、「セックスレス」 を解消したいというのも、パートナーがある者としては、自然な気持ちです。

 

本当は、そういう話を相談し、そして、いろいろと男女の恋愛について相談できるプライベートな相手、出来ればカップルの相談相手がいるのが一番望ましいのです。

2017/09/26

信用と裏切り(2)

「信用と裏切り」 の続き。

 

しかし、「信用していたのに、裏切られた・・・」 とか、「騙(だま)された」 という反意語が出てくる場合は、だいたいが 「恋愛」 とか 「お金」 とか 「友達関係」 とか、欲に絡んでいる場合が多い。

比較的 「距離感」 の近い人間関係以外では、あまり聞くことのない言葉です。

 

そして、身近であるが故に、自分が信じ切っているが故に、「自分もそうなんだから、相手もそうなんだろう・・・」 という 「思い込み」 が働きます。

 

自分が相手にとことん尽くす代わりに、相手も、自分が期待するものを100%与えてくれる存在だと思い込んでしまう。

 

同じ世界に生きていても、世界の見え方は異なりますし、言葉で認識する枠組みも微妙に異なります。昆虫と人間では、目で見ている世界も大きく異なりますし、同じ人間でも、色覚異常などがあるように、色が全く同じように見えてるかどうかは、確認出来ないわけです。

 

「嗜好」 も 「価値観」 も 「考え」 も、みんな異なります。

「緑色」 と 「オレンジ色」 みたいな、日本人にとっては 「奇異」 な組み合わせも、インド人にとっては、「美しい」 組み合わせ。

最近の緊迫した東アジアの社会情勢でも、日本人の論理で 「戦争はおきない」 と説く、”したり顔” の評論家を見かけますが、アメリカは、自らの危機に際しては、個人ですら、「銃」 で自分の身を守るのが基本であり常識の国です。

 

***

 

「信用」 と言う言葉に対しての 「裏切り」

 

それは、多くの場合、自分の理想や、自分の認識など、自分が嵌(は)めた 「枠」 から、現実が乖離したときに使う言葉です。

 

ある意味、不倫や浮気も、された方からすれば、「裏切り」 です。(^^;)

 

そこには、それなりの認識の違いが存在します。

 

人はみんな 「価値観」 は異なっていますので、100%擦り合わせるのは、当然不可能。

しかし、それを可能な限り、縮めようとする努力であり、最新の相手を知ろうとする手段が、「コミュニケーション」 なわけです。

 

***

 

「恋愛」 のゴールを、「結婚」 と認識している独身の人達にとっては、うんざりとする話かも知れませんが、「結婚」 とは、単なる 「他人」 から 「家族」 になるプロセスです。
 

独身時代の家族と言えば、例外はあるのもの、ほとんどが血縁関係です。

しかし、結婚して家族となって、なんでもが 「アリアリ」 となってしまっているのが家族。

毎日顔を合わせているので、一番知っているようでいて、その 「実の心」 が見えていなかったりするのが家族。

身近であるが故に、本来お互いに 「拒否されること」 を嫌う関係が家族。

 

「結婚」 とは、価値観の違う男女が、新しい 「家庭」 を築く行為です。そして、多くの人は、家族という 「身近」 な存在となってからが、人間関係が難しいことを知るのです。

ある意味、恋愛時代と違って、当たり前です。

 

「心を通(かよ)わせる他人」 の関係が良いのか、それとも、「心が冷め切った家族」 の関係が良いのか?

その答えは、単なる 「損得」 で結論が出るものでもありませんし、多分正解はありません。

人間の本能と、社会理念に突き動かされて、するのが 「結婚」。

 

しかし、その 「結婚」 を幸せなものにするか、しないかは、当人次第です。

不完全な人間のすることですから、完璧な 「結婚」 というものも存在しませんし、100%幸せな結婚なんていうのも存在しません。

 

人の幸せと結婚は別物です。

 

幸せであるために大事なこと。それは、① 人のせいにしないこと、② 人に期待しないことです。そして、出来得れば、他人の過ちを許し、他人に感謝の気持ちを忘れないことです。

 

そのためには、まずは肉体的にも精神的にも、自分の足できちんと立つこと。

常に 「家族」 という集団で、物事を考えるのではなく、家庭の中であっても、個人の視点を忘れないことです。家族という言葉が、カップルに変わっても同様です。

 

子供に対する躾けは大切です。しかし、子供であれ、一個人としてその子の 「価値観」 は尊重する必要があります。そして、きちんとコミュニケーションを図ること。

一方的に 「愛してる」 というのが、コミュニケーションではありません。コミュニケーションとは、言葉の 「キャッチボール」 です。

真摯に相手の言葉に耳を傾けて、きちんと言葉を返すのが、コミュニケーションです。

 

***

 

「結婚」 とは、「恋愛」 の 「ゴール」 ではなく、「恋愛」 に続く新たな 「ステージ」 に過ぎません。

「結婚」 とは、自分が幸せになるための 「スタート地点」 なのです。

世の中いろいろな 「結婚」 がありますが、人間である以上、一度は経験しておいて、悪いもんではないと思います。(苦笑)

 

他人のブログを読んで、ちょっと思っていることを書いてみました。

 

人はそれぞれ。生きている年代やステージによって、人の悩みもまたそれぞれです。

「恋愛」 で心を痛めている人や、「結婚」 生活に疲れている人は、早く自分の心の傷を癒(いや)して、次のチャレンジに向けて、英気を養って下さい。(笑)

2017/09/23

信用と裏切り

信用とは何でしょうか?

 

信用していたのに、裏切られた・・・

もう、これ以上傷付きたくない・・・

 

誰しも経験していることです。


信用とは、自分の気持ちの中で、誰かに頼ること、誰かに期待することです。

信用自体は悪いことではありません。

信用された人間は、きっとその信用に応えるべく、一生懸命努力することでしょう。

 

しかし、人には100%完璧な人はいません。人の心も身体も、強いときは驚くほど強いのですが、弱いときにはとても弱いものです。

信用する方も、信用される方も、弱い人間なのです。

 

信用する方も、「信じている」 という言葉の裏で、相手に甘えていたり、頼っていたり、一人でこっそりと楽をしていたりする場合もあります。もしかしたら、自分の 「期待」 が高じて、自分ひとりの 「思い込み」 になっているかも知れません。

 

人の気持ちも、思いも、愛も、うつろいやすいものです。

なので、信じていたからといって、必ずしも、その期待は 「成就(じょうじゅ)」 するものではありません。その信じる内容の 「程度問題」 によるのです。

 

信用していたのに、裏切られたりすると、まあ確かに人間凹(へこ)みますし、寂しい気持ちにもなります。

世の中、自分の思い通りになんかなりませんし、ましてや、人を自分の思う通りにしようなんて、血を分けた自分の子供ですら、困難を極めるのですから、ましてや他人なんて、自分の思い通りに出来るはずもありません。

 

しかし、信じていたのに裏切られて、涙するあなたに手を差し伸べる人はいます。

手を差し伸べられたら、その手を取って、自分の足でもう一度立ってみて下さい。

 

人は不思議なもので、しがみつこうとすると、振り払われ、凭(もた)れ掛(か)かろうとすると避(よ)けられますが、自分の足で立とうとする人には、手を差し伸べてくれたりします。

 

そして、立ち上がったら、信用していたのに裏切られた人のせいにするのではなく、寄り掛かりすぎたのではないかと、自分を反省してみて下さい。

もしくは、相手に寄り掛かる前に、寄り掛かってもいいか聞いてみて下さい。もし、相手に自分が寄り掛かるだけの体力がないのであれば、出来るだけ自分の足で立つ努力をしてみて下さい。

 

人は自分の守りに入ると、ネガティブになります。

逆に、自分はあるがままの自然体で、自分も他人もどちらも大事にして、他人に何かをしてあげていると、自然とポジティブになってきます。

 

お互いが、相手を 「気持ち良く」 してあげようという気持ちをもって、気持ち良かったら相手に感謝する関係こそが、良い人間関係を築く秘訣(ひけつ)です。(笑)

 

これは、夫婦や恋人同士、あるいは、セックスや SM でもそうですし、お店とお客の関係においても同様です。

2017/09/18

「粋」 な男女関係とは?

最近流行りの 「ゲス不倫」 ・・・

 

しかし、そもそも、相手や自分あるいは双方に配偶者が存在する 「不倫」 という関係にあるにもかかわらず、相手を独占しようと感情を剥(む)き出しにしたり、あるいは、折れてしまう人達がちらほらいます。

 

不倫の当事者達は、配偶者に対して貞操義務があるにもかかわらず、権利を侵害しているくらいなんですから、そんな相手が浮気しないとは限らないわけです。

むしろ、相手に首ったけでもない限りは、浮気する確率の方が高いと言っても過言ではありませんし、そんな相手をずっと独占できるはずもありません。

 

嫉妬深い男性もたまには見かけますが、往々にして、心がはまってしまうのは女性です。

そして、「いけない恋」 であり、「禁断の恋」 だからこそ、背徳感もあって余計にはまるのです。

そして、女性の熱愛には必ずと言って付いて来るもの、それが 「嫉妬」 であり 「独占欲」 です。

 

独占欲は無用の長物

 

独占欲は、確かに動物の乳児期においては 「生存本能」 のひとつとして、大切かも知れません。栄養が十分でない場合は、当然のことながら、乳の出も良くないでしょう。

そんな食料不足の環境下では、兄弟を押しのけてでも、乳を独占するくらいのバイタリティが、生き延びる上で重要であったかも知れません。

 

また、人間もそうですが、子育て期間が長い霊長類のような動物の場合は、外敵から身を守るために、オスによる保護を必要としますし、群れの生活においても、順位が高いことは、それだけ質の良い食事にありつけるだけでなく、交尾の回数の増加にも繋がったでしょう。また、群れの中の順位が高いことで、「忖度(そんたく)」 ではありませんが、それだけ多くの仲間の支援を得られた可能性があります。

 

本来、動物としては意味のあった 「独占欲」 ですが、それは 「嫉妬」 という不快感が刺激となって、「闘争」 を引き起こすもので、一匹のメスをめぐってのオス同士の争いも、縄張りをめぐってのオス同士の争いも本質は同じです。

 

女性も、「独占欲」 があるからこそ、男性の挙動(きょどう)に敏感となり、その男性に別の女の影を察知すると 「嫉妬心」 という不快感が込み上げてくるわけです。

しかし、「独占欲」 は、「性欲」 や 「食欲」 あるいは 「睡眠欲」 といった 「三大欲求」 と呼ばれる生理的な欲求とは異なり、際限がない反面、「愛」 がなくなれば、自然と消失する類のものです。

 

では、その独占欲とは何でしょう?

ある人は、なくなると不安を感じるタイプの、一種の 「固執(こしゅう)」 であり、「執着」 であるといいます。

 

そもそも 「恋愛」 とは、どちらか一方の気持ちだけで、成立するものではありませんし、人の心は、うつろいやすいもの。ましてや、心は 「証(あか)し」 で、縛れる類(たぐい)のものでもありません。

 

粋(いき)とは?

 

九鬼周造の著書に 「いきの構造」 という有名な本がありますが、これによると、「粋」 とは、「媚態」 と 「意気地(いくじ)」 と 「諦(あきら)め」 の三つの要素から成(な)る 「緊張感」 のようなものとのこと。

 

 

要は、どれが抜けていてもいけないし、バランスが取れていないといけない。

 

「媚態」 は 「エロ」 であり 「色気」。

「意気地」 は 「心の芯の強さ」 や 「踏(ふ)ん張り」 みたいな感覚。

そして 「諦め」 とは、”固執しない” こと。

 

それが 「垢抜(あかぬ)けしたさま」 に映るのでしょう。


彼自身の言葉を借りると、「手放(てばな)す、委(ゆだ)ねる、固執(こしゅう)しない、押しつけない、それが<いき>なのだ」 と書いています。

 

粋な男女関係

 

粋な男女の関係。

 

どんなに恋(こ)い焦(こ)がれる恋愛を経験しても、それが自分の思い通りにならなかったからと言って、相手のせいにしたり、「黒歴史」 化しているようでは、恋愛なんかしない方がまだマシというもの。

人との出会いがあれば、人との別れもあるように、永遠に続く 「恋愛」 なんてこの世にはありません。

 

恋愛は最後に、相手に対する 「感謝の気持ち」 や、良い 「思い出」 に昇華できるようになって、はじめて 「オトナの恋愛」 と言えるのです。

 

お付き合いし始めのときは、相手の良いところを、褒(ほ)めまくっていたのにもかかわらず、上手くいかなくなった途端に、相手の悪いところを並べまくっているようでは、まだまだ子供。

中には、致命的とも言えるような問題が、起きたりすることもありますが、しかし、「100%完璧な人」 なんてこの世にはおりません。(苦笑)

自分が必要としているそのときに、必要とされる人が現れただけであって、そのお相手の人を同じ視点で比較したところで、何も意味はないのです。

 

どんなカップルであれ、「恋愛」 関係真っ只中にある男女が美しいのは、そのお二人が 「今」 を一生懸命に楽しんでいるからです。でも、それはある意味当たり前の話。

 

「粋(いき)」 な関係とは、格好付けることではありません。それは野暮を通り越して 「気障(きざ)」 というもの。
むしろ、「粋」 というものは、「野暮(やぼ)」 に近いところにあると言います。

「粋」 な男女関係とは、やはりそこに求められるものは、相手を 「思いやる心」 であり、自分の気持ちや期待には逆行していたとしても、自分よりも相手を優先して、相手を受け入れる 「諦(あきら)めの気持ち」。そして、「勇気」 や 「頑張り」、そして、「意地」 と 「踏ん張り」 と言えるのかも知れません。

 

男女のお付き合いにおける美学

 

いつも思うこと。

 

それは、何処まで女性の気持ちを 「いっぱいいっぱい」 にしないで、ロングラン出来るか。

長ければ長いに越したことはありません。しかしそれは人間の寿命と同じで、ただダラダラと長ければ良いかと言うと、そういうもんでもありません。

ある程度の緊張感は、保たないといけませんし、常に相手の気持ちを揺(ゆ)さぶることも大切です。そうしないと、マンネリになってしまいます。

 

しかし相手によっては、その人のことを考えて、あえて距離をとったり、考える時間を与えたりする場合もあります。

「縁」 にもいろいろとありますし、人との 「出会い」 もいろいろです。

 

感じ方も、考え方も、価値観も、人それぞれです。求めているものも違ったりします。

 

受け入れる人もいれば、頑(かたく)なに拒(こば)む人もいます。
 

通りすがりのような刹那的な 「出会い」 もあれば、劇的な 「巡り合い」 もあります。

 

「粋」 な男女の関係とは、そういった 「一期一会」 を大事にして、誠心誠意尽くすこと。

そして、相手のことを思いやり、そして、もし別れのときが来たとしても、「立つ鳥跡(あと)を濁(にご)さず」 ではありませんが、名残惜(なごりお)しさを堪(こら)える、潔(いさぎよ)さも大事です。

 

自分の元を去ろうとする相手に未練は感じても、そこまで追い込まれた相手の胸のうちを思いやることこそが 「粋」 です。

傷付く自分を守ろうと、相手を罵(のの)ったり、捨て台詞(すてぜりふ)を吐いたり、未練がましいのは、野暮(やぼ)というもの。

 

SM における S の美学

 

特に SM においては、奴隷の場合、自らの意思においては、関係を解消できなかったりするのが一般的ですが、それはあくまでも、初心に戻って思い止(とど)まらせるのが目的であって、もう、これ以上は気持ち的にも無理な女性を、縛りつけるためのものではありません。

「奴隷契約」 は、SM のエッセンスであり、合意している内容が守れなくなった時点で、「紙切れ」 となるものなのです。

 

縄は、きつ過ぎてもいけないし、緩くても逆に危険な場合があります。

 

女性の心が折れてしまった後で、未練がましく縒(よ)りを戻そうとあれこれ腐心(ふしん)するのは、「覆水(ふくすい)盆(ぼん)に返らず」 ではありませんが野暮。

格好つけても始まりませんが、不倫もそうですが、SM なんてのも、本来は外道のすることな訳ですから、そこで 「粋(いき)」 を求めずして何処で求めるのか?

 

とは言っても、それはそれぞれの人の 「美学」 によりますので、他人に強要できる代物ではありませんが、SM において 「主(ヌシ)」 を気取るのであれば、せめてそのくらいの気概(きがい)というか、「男気(おとこぎ)」 を見せて貰いたいもんです。