2ntブログ
2017/09/03

「性☆交痛」 を感じる場合の対処

 

いままでいろいろと性愛に関する相談に乗ってきて、いろいろと聞いた言葉のひとつに 「性☆交痛」 というキーワードがありました。


とある40~50代の夫婦の場合、「性☆交痛」 をキッカケにレスになったとのこと。いろいろと試してみたけどダメだった、と伺(うかが)った記憶があります。

とある40代の女性の場合は、カレシとの 「セ☆クス」 で痛みを感じたり、あるいは、行為のあと多量の出血があるので怖くて、おそるおそる動くので集中できないという方もいました。
これらの女性に対しては、あまり激しく動かないようにしつつ、ゆっくりと拡張工事を施(ほどこ)した結果、それ以降は 「性☆交痛」 を感じなかったり、後者の方は、出血も見られなくなったとのことですが、いずれも、膣内に癒着(ゆちゃく)箇所があったのだろうと推測しています。(当然ではありますが、性☆交後多量の出血があり、婦人科系の疾患を心配される方は、病院での診断をお薦めします)。

「性☆交痛」 の原因は、いろいろとあると思いますが、いずれにせよ、女性のアソコは、赤ちゃんが通るくらいの拡張性と柔軟性は兼ね備えていますので、要因は複合的だと思っていますが、大きくは 「癒着」 を除けば、「潤(うるお)い不足」 と男性側の 「乱暴な動き」 です。

では、どのように対処したら良いのでしょうか?

 

 

(1) 前戯の時間をしっかりと取り、きちんと愛撫する

当たり前の話ですが、女性を十分に濡らすためにも、省略することなく時間をかけて、しっかりと前戯をしましょう。女性にとっては、アソコをはめる行為が 「セ☆クス」 ではありません。
女性の身体は、女性がその気になりさえすれば、全身が性感帯です。二人で雰囲気を高めていくことが重要。その意味では、会話も大切ですが、そのときは相手を白けさせないように注意しましょう。(苦笑)
激しすぎず、どちらかと言えばゆっくりと、触れるか触れないかくらいのタッチで、”清潔” にした手や指で、触れてみてあげて下さい。
アソコにも、ゆっくりと指を入れて、指の腹で、膣壁を確認するように動かします。大事なのは、指を出し入れすることはさほど重要ではないということです。むしろ乱暴な出し入れは、アソコを傷付けますので、それなら、しないほうが、まだマシです。

 

若い男性に多い(らしい)のが、AV 物真似派。AV で言う 「手☆マン」 で重要なのは、出し入れではなく、勢いによる振動です。乱暴に、ただ力任(ちからまか)せに出し入れされたら痛いだけ。

AV はそもそも 「演技」 で、実効性なんかよりも、ビジュアル効果 ”命” の世界ですので、間違った 「やり方」 を真似しないように。(苦笑)

 

前戯で一番大切なのは、女性が 「自分は大事にされている」 と思わせることです。それには、しっかりと時間をかけて、ゆっくりと丁寧に半分じらすくらいのつもりで、可愛がってあげる。ここでどれだけ、女性を気持ち良くさせるかが、大切です。

男性のアソコが 「馬並み」 であるならばともかく、その辺に何処にでもある 「並のチン○」 あるいはそれ以下であるならなおさら、前戯はさぼってはいけません。(苦笑)

自分が気持ち良くなる前に、「相手を気持ち良くしてあげよう!」 という気持ちがなければ、そんなのは、ひとの 「セ☆クス」 ではなく、交尾に過ぎないということを、お忘れなく。

 

 

(2) 潤いが足らない場合は、ローションを使用する

 

どうしても潤いが不足していると思われる場合は、潤滑剤入りのゴムを使用したり、ローションの使用をお薦めします。ローションを男性自身に塗って挿入するかたちになりますが、ローションは、薄すぎても流れ落ちるのが早いですし、濃すぎても上手く塗れません。

「性☆交痛」 を感じるのが、入り口のほうではなく、奥のほうである場合は、注射器タイプのケースにゼリーが入っている 「ウェットトラスト」 がお薦めです。

膣の奥に注入するかたちになりますので、男性自身に塗って使用する場合より、奥のほうの潤いは改善すると思います。

 

まずは、本数が少ない安価なもので、使用感を試してみることをお薦めします。

 


量が多くなると、1本あたりの単価は安くなりますので、お気に召した場合は、まとめ買いがお徳です。

 

 

 

 

(3) 乱暴に動かない

 

しっかり前戯をして、ローションを使っても痛みがある場合で、特に婦人科で診てもらって問題がない場合、男性自身もしくは男性の入れ方に問題がある可能性があります。

 

まず、大きいイチモツをお持ちの方。主婦のこだまさんの著書で、 扶桑社より出版されている 「夫のちんぽが入らない」 は有名ですが、大きすぎると入りません。(^^;)

 

 

江戸時代に書かれた月岡雪鼎(1726~1786)の艶本(つやぼん) 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 では、大きいのは 「胴返(どうかえし)」 と呼ばれ、「 稀(まれ)の道具にして名作なれ共、玉門を選らみ並の女はうけがたし 」 と書かれています。

 

「稀(まれ)な名器であることには違いないけれど、一般の女性ではまず受けれないので、相手を選ぶ必要がある。」

ということです。大きければ大きいほど良いと思っている男性も多いかと思いますが、当然ですが、限度はあるということです。

 

大きいのと同様、長いひとも気をつける必要があります。

十分な長さがあれば、奥に当たらないことはありませんので、その点は短小よりは良いと言えますが、長いイチモツのひとの場合は、アソコが細いほど女性が痛がるということを忘れてはいけません。

女性のアソコの奥 「ボルチオ」 に対する気持ちの良い刺激は、「摩擦」 ではなく、触れた状態で 「突付く」 感覚です。

長いイチモツのひとが、勢いをつけて突付くと、細ければ細いほど、気持ち良いのではなく、痛いのです。要は、大きなストロークは不要であり、押し付けるくらいの感覚でいいのです。

 

まずは、自分自身のモノを見極めるということ。

 

逆に自分自身のイチモツが短小だと思うひとは、出来るだけ深い挿入感のある、対面座位や屈曲位など、体位を研究してみて下さい。

 

 

男性自身の挿入に際しても、勢い付ける必要は全くありません。

相手の潤いに、自身のイチモツを馴染(なじ)ませるように、ゆっくりと少しずつ出し入れしていきます。

女性のコンディション等によっては、一番奥に到達したと感じるまでに、かなりの時間を要する場合もあります。

 

***

 

「性☆交痛」 を感じる場合の ”参考” にでもなれば、幸いです。

2017/08/18

セックスレスの対処法(2)

「セックスレスの対処法」 からの続きです。

前回の記事 「『スワッピング』 の遊び方」 は、「はじめての不倫学 『社会問題』 として考える」(光文社) の著者である坂爪真吾氏との対談記事 「既婚者の2割が不倫?ハマらないためにはスワッピングと婚外セックスだ!」 を受けて書いたものですが、あらためて考えてみると、「スワッピング」 は、マンネリ夫婦の救済には役立つことはあっても、既婚者の2割が不倫に走ることに対する抑止手段には、なり得ないように思えてなりません。

というのも、そもそも、「スワッピング」 できるほど、「性」 に対してオープンで、パートナーが自分以外の人とすることに対して寛容であり、かつ、夫婦がお互いに関心を寄せているのであれば、「不倫」 とか 「社会的規範」 といった観念を既に超越した生き方をしているはずです。(笑)

「オープンマリッジ」 や 「ポリアモリー」 などにしてもそうです。ここの議論は、カップルの形態的に捉(とら)えすぎてしまっています。
これらの考え方は、精神的にも性的にも、社会やパートナーを束縛しないし、また自分も束縛されないという 「自由な生き方」 そして 「自分の生き方」 という視点が中心にあります。
日本人のように、他人の目を常に気にしていたり、「何々はこうあるべきだ」 みたいな固定観念からぬけられない生活とは、ある意味 「対極」 にある生き方なわけです。それを表面的に 「形態」 だけを真似たところで、単なる 「猿真似」 にすぎません。

***

何故、こんなに巷(ちまた)に不倫があふれているのか?

それは簡単です。自論(「不倫ブームと人口動態 - 『40代以上が8割』 の時代」)で恐縮ではありますが、30代後半から40代後半50代前半という 「女性がしたくなる時期」 に、日本の人口の山を構成している 「団塊ジュニア」 世代が差し掛かっているからです。
それぞれの年代で、浮気や不倫をしている人の比率は、昔も今も、あんまり変わらないのではないでしょうか?
40代で浮気や不倫していた人もそうですし、性を横臥(おうが)していた人達の一部が、50代になっても続けているだけなのです。現在、「団塊ジュニア」 の世代のピークは、40代前半に差し掛かっています。人口比率的には、日本の人口の60%以上が40歳以上なのです。
なので、不倫カップルの絶対数が増えている…というだけのことです。ですので、あと10年から20年もすれば、日本の大人の8割は40歳以上。団塊ジュニア世代の裾野(すその)部分も、この発情期を過ぎれば、日本の人口は、枯れたジジイにババアだらけになりますので、当然ですが、今よりもずっと、不倫カップルの絶対数は激減。
まあ、その頃は、ジジイにババアのプラトニックラブ全盛で、ジジイとババアの 「添い寝」 が、「不倫バッシング」 を浴びているかも知れません。(苦笑)

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こんな話があります。正確な出典はもうわからなくなってしまったのですが、とある養老施設で、入居している老人に 「人生の後悔」 についてアンケートを取ってみたところ、実際に何らかの行動を起こして後悔したという人は、17%とか、2割未満で、7~8割の大多数のひとは、やろうと思った、あるいは、したかったのにしなかったことに対して後悔しているそうです。
しかし、これは別に、浮気や不倫のアンケートではありませんので安心してください。単に、あとで後悔しないために、自分の人生も大事にして、今を一生懸命に生きてください、ということです。(笑)

***

では、「セックスレス」 には、どのように対処したら良いのか?

しかし、まあ、この命題も愚問(ぐもん)です。夫婦あるいはカップルで、レスで悩んでいる人もいるでしょうが、レスではなくて、セックスのある夫婦であっても、それが男性からの一方的な行為だったりして、女性の方は楽しくも気持ち良いわけでもなく、単なる苦痛にすぎないと悩んでいる女性も多く存在するのです。
それに、ともすると、日本の 「少子高齢化」 は、日本人の 「セックスレス」 が原因…と思われがちですが、海外の統計と比較してみても、セックスの回数と出生数には、なんの関係もないことが統計的に示されています。要は、日本の 「少子化」 と、現在の日本の 「セックスレス化」 の間には、なんの因果関係もないということ。

むしろ、今も昔も、セックスレスの人は勿論(もちろん)ですが、夫婦もしくはカップルの夜の営みに満足できていない人達の一部が、全くパートナーのいない人をも巻き込んで、浮気や不倫に走っていると考えるほうが自然です。

***

 

相模ゴム工業が、2013年に日本全国で調査した報告 「ニッポンのセックス」 によると、質にも満足しているのか単に回数に満足しているのか、「満足とする」 内容や意味合いは不明ではありますが、「性生活に満足である」 と答えた人は、46%から56%で、約二人に一人は満足している結果になっています。

既婚者の55%は、「セックスレスである」 と認識しており、男性の75%が 「もっとセックスをしたい」 と感じているにもかかわらず、半数の人は何に満足しているのかさっぱり分かりませんが、男女で 「今現在、浮気相手がいる」 とする人が、男性で26.9%、女性で16.3%を含めての話です。(笑)

 

セックスで一番大事なのは、「満足」 なのです。

 

「愛」 も 「性」 も本来 「不自由」 なものです。「愛し合う」 ことは、どちらか一方の気持ちだけでは、成り立ちませんし、「愛」 は時間と共に移(うつ)ろうもの。

「愛」 も 「性」 も相手に強制できるものでない以上、現代の婚姻という 「社会制度」 をもってしても、「愛」 にしろ 「性」 にしろ、家庭と完全に括(くく)り付けることは出来ていません。

 

人の三大欲求は、「食欲」 と 「睡眠欲」 と 「性欲」 とされています。

現代の日本においては、贅沢さえ言わなければ、人の生存に直接かかわる 「衣・食・住」 については、憲法で謳(うた)われている 「生存権」 として認められてます。

しかし、「性」 については、婚姻に絡めて 「貞操(ていそう)権」 という考え方は存在するものの、社会で保証される筋合いのものではなく、それは単に民事上の紛争解決のためのもの。昔も今も本来は、本人もしくは当事者間で決める 「自由」 なものなのです。

 

大事なことは、「恋」 も 「愛」 も 「性」 も、役所が面倒を見てくれるものではないということ。

「セックスレス」 は、自分だけでなく、パートナーの事情にも影響を受けるでしょう。しかし、「セックスレス」 になったとして、あなたはどうしますか?

それ以降の 「あなたの行動」 は、誰の責任でもなく、あなた自身の意思によるものなのです。

ウチの旦那は夜の方が弱くって…と、家庭でのセックスレスを旦那のせいにするのは構いません。これも本当の原因は、旦那に個別に理由を聞いてみないと分からなかったりするもんですが(苦笑)、まあ、百歩譲って本当に旦那が悪かったにせよ、それ以降の自身のセックスレスの継続は、誰のせいでもなく、あなた自身が決めているということです。

 

自分でして、本人の気持ちが紛(まぎ)れるなら、それでもいいですし、アイドルに走ってドキドキしたり、趣味やスポーツて気が紛れるなら、それでも OKです。

「社会的規範」 や 「世間の目」 を気にする人や、気にするべき人は、社会や世間の目に縛られて下さい。(笑)

 

「人は、完璧になるために生まれてきたわけではなくて、幸せになるために生まれてきたんです。」

 

セックスレスの対処法も、他人の意見や他人の視点ではなく、「自分の価値観」 で、自分が幸せになることを考えてみて下さい。”あなた” という人間のボディを運転しているのは、”あなた” 自身であり、運転している処は ”あなたの人生” なのです。(笑)

2017/08/12

「スワッピング」 の遊び方

「セックスレスの対処法」 のつづきです。

 

前回の記事の続きとして、今回は、「スワッピング」 について書く予定ですが、「スワッピング」 と言うと、かなりマニアックで 「変態チック」 な印象をお持ちの方も多いと思いますので、もし、拒絶感を感じる方は、 コチラコチラ もしくは コチラ に飛んで下さい。

 

スワッピングとは?

 

「スワッピング」 は、日本語で 「夫婦交換」 とも言いますが、英語では、「スインギング(Swinging)」。スワッピング愛好者のことは、「スウィンガー(Swinger)」 と言います。

広い意味では、夫婦に限定されず、カップルなども含まれます。

遊び方は、さまざまです。初心者の場合は、実際にパートナーを交換するまでには至らない範囲で、同じひとつの部屋でお互いのプレイを見たり、見せ合ったりする 「相互鑑賞」 からスタートする場合もありますし、パートナーを交換し、性愛を楽しむものの、自分がパートナーには見られたくないと、頑(かたく)なに同室でのプレイを拒否する人も、当然ではありますが、おります。

同室の場合は、「相互鑑賞」 で、お互いに見ているだけでは飽き足らず、手を出して触りだしたりして、乱交状態になってしまったりする場合も、もちろんありますが、基本は、「パートナーの交換」 です。

 

用語

 

経験者など、知ってる者同士の場合は、「同室/別室」 や、「ノーチェンジ(チェンジなし)/チェンジあり」 あるいは 「ノータッチ(タッチなし)/タッチあり」 といった条件で、希望するプレイやプレイの条件などを調整します。

この条件は、ある意味、最低条件のようなものです。条件を満たせなかったからと言って相手に 「強要」 するということは、良識ある人であれば、まずないとは思います。しかし、当然ではありますが、参加者は白けます。

逆に、その場において、カップル両方の同意が取り付けられるのであれば、変更も可能ではありますが、但し、別室における個別の交渉は、後々カップル同士の想定が異なってしまうことで、後々、揉(も)め事の種になり兼ねませんので、注意が必要です。

 

心得

 

「スワッピング」 は、その行為自体は、一般の感覚から言ったら 「破廉恥(はれんち)度」 も高いかも知れませんが、それゆえに、参加する夫婦(カップル)間の信頼はもちろんですが、夫婦(カップル)同士の相互の信頼もとても大切になってきます。

 

ですので、スワップ相手となる夫婦やカップルを選ぶ場合も、女性が選択し、男性同士が交渉するというのが一般的です。ですので、女性の選択から洩(も)れてしまえば 「交渉」 もなにもないわけですが、しかし、交渉において、男性同士できちんとした信頼関係が築けない場合も、実際のプレイには至りません。

 

まあ、「セックスの態様」 としては、「スワッピング」 は、二組の夫婦もしくはカップルが、同室もしくは別室で、単純にいやらしいことをしているだけなのですが、夫婦にもカップルにも、いろいろな人がいますので、「どこまで素直に相手を受け入れられるか」 という視点に立つと、そのバリエーションは、かなり多様を極めます。

と言うのも、当たり前と言っては当たり前なのですが、夫婦あるいはカップル同士の価値観がある程度は合わないと、セックスどころか、その場に一緒に居ること自体も苦痛になり兼ねないためです。

なので、大切なのは、その辺のバーやスナックでも同じですが、やはり、性能(性的能力の意)がよほど優れていない限りは 「社交性」 です。

 

女性は女性で、容姿ばかりを重視し、男性は男性で、自分の自慢話ばかりをするカップルと波長が合う人は、(相手に受け入れられるかは別として(苦笑))それはそれで構いませんし、碌(ろく)にマナーも何もなっちゃいないけど、なんでもアリアリの 「憎めない夫婦」 も居たりするわけです。(笑)

 

自分は若い時分、そういう場に 「アルバイト料」 を貰って 「単独さん」 として、縛りに行ったりしていただけなので、自分自身は、「スウィンガー」 ではありません。

しかし、そういう 「場」 を改めて振り返ってみると、自分を可愛がってくれた先輩(注:性的にではない)もそうでしたが、皆さんどの 「ご夫婦」 も仲が良かったな~と、つくづく感じ入るわけです。(苦笑)

 

「スウィンガー」 のカップルは、SM などの愛好者などと同じく、同じ趣味を楽しむパートナー同士と言った感じで、寄り添っているように感じます。しかし、その趣向は、いろいろと多岐(たき)に渡っているように思います。

いろいろな人達

趣味趣向に個人の嗜好は人それぞれ。

ある人は、美人あるいはスタイルの良い奥さんを、わざわざ人に見せびらかして楽しんでるようです。
しかしその頃は、ただ見せびらかせて 「自慢したい」 のだろうと思っていたけど、今あらためて考えてみると、それは、自分が実感するだけでは 「不足」 を覚えているのか、自分の感覚に 「不安」 を感じてるのか。そんな風にもとれますし、飲み屋で、気の置ける友と、美味しい酒や肴(さかな)を共に楽しみたい感覚に近い感覚。あるいは、自分が直接感じるだけではもの足らず、人と同じ感覚をシェアして、自分の喜びを倍増させようとでもしているような気もしてきます。

 

かと思えば、明らかに嫉妬心のような感覚を出してくる人もいます。「自分から誘っておきながら…」 と最初はそういう人に戸惑いましたが、まるで嫉妬心を性的なエネルギーに転化でもしようとしているような感じもするのですが、そういう人は、自分のパートナーの痴態にすごく興味を持っていたりします。

多分、家に帰ってから、スワッピングをネタに、ネチネチとお二人でするのが、きっと楽しいのかも知れません。(笑)

 

「羞恥プレイ」 ではありませんが、みんなの前で、奥さんの痴態を晒(さら)すことで、羞恥責めを楽しむ人もいますし、奥さんは奥さんで、露出して楽しんでるような人もいます。

 

たいしたことない体験談

 

ホスト役の先輩とは、SM 絡みで面識はあったものの、相手のカップルさんとは、毎回初対面。(汗)

先輩夫婦と相手のカップルさんとは、いずれの場合も、何回か会っているような感じでしたので、自分を除くご夫婦連中は、和気藹々(わきあいあい)。

エロネタトークで盛り上がっていたりする場合もありましたし、普通の家庭話ばかりをしていた場合もあったような気がしますが、いずれも雰囲気は 「ホームパーティ」 感覚だったように記憶しています。

 

まあ当時、自分はまだ学生でしたし、参加される方は当たり前ですが自分よりは皆年上でしたし、縛るのがメインと言うことで 「アルバイト料」 なんかも貰ってましたので、美味しいおつまみやお酒なんかもご馳走にはなったものの、それ以外は、食べたあとのお皿を流し台に運んだり、そこでアソコを先輩の奥さんに弄(いじ)られたり、お手伝いさん兼余興(よきょう)みたいな立場でした。

ある意味、自分にとって 「黒歴史」 ではありましたが、しかし、今思えば 「普通の夫婦」 ですし、むしろ、仲が良いという意味においては、「普通でない夫婦」 だったように記憶しています。

 

感覚的には、二人でゴルフを楽しんでるご夫婦にも近いところがあるかも知れません。

二人で共通の趣味を持ち、それについて話をするコミュニティがある。その中で、女性はティーグラウンドで短いスカートから脚を露出し、お尻を突き出している様子を廻りの人は、黙って息をこらえて見守っていたりするわけです。クラブハウスに戻ってビールやお酒でも入れば、えげつなくない程度に 「オトナの話」 も混じったりするわけです。(笑)

 

「スウィンガー」 の場合は、ちょうど、この趣味が 「エロ」 であり、「夫婦交換」 になるわけです。

 

スワッピングの核心部分

 

最近思うのは、「夫婦の視線」 です。

 

いつも、夫婦が二人でいると、自分(第一人称)と相手(第二人称)になって、常にお互いが見つめ合っている状態にあるわけです。お互いが相手のことを 「好き」 なときはそれで構わないのですが、ある程度慣(な)れてくると、相手の粗(あら)も目に付くようになるわけです。

しかし共通の趣味があったり、二人で一緒に楽しんでいるときは、夫婦はお互いに寄り添い、そして結果的に、二人で同じ方向を向いているわけです。

そこに夫婦以外の人達がいて、夫婦以外の人がそこに参加することで、夫婦の視線が変わるわけです。

 

「夫婦交換」 の場合、いつも自分の相手と認識している第二人称である 「パートナー」 の行為を、第三者の視点から見るわけです。

そこにいるのは、パートナーを 「見る自分」 とパートナーから 「見られる自分」 です。そして同じように、パートナーも自分から見られ、そして自分を見ているのです。

そして、「夫婦交換」 に、ひとつの不文律(ふぶんりつ)があるとすれば、「夫婦交換」 でチェンジの対象になるのは、夫と妻ではなくて、相手になるカップルであると言うことです。

 

スワッピング再考。最高?

 

「スワッピング」 と言うと、「変態同士の異常(アブノーマル)な世界」 という印象があるかも知れませんし、そんな話は、AV(アダルトビデオ)か、エロ小説だけの 「フィクション」 だと思ってる人も少なくないと思います。

 

しかし、内情を知っている自分からすると、夫婦同士は仲が良いですし、セックスレスになることもなく、あるいは、レスを乗り越えてもなお、夫婦で楽しんでいる大変羨(うらや)ましい関係に思えるのです。

 

SM もそうですが、リアルな世界では 「社会的規範」 がありますので、「私は SM に興味がありま~す!」 とか、「私はスウィンガーで~す!」 などとは言えません。(苦笑)

しかし、これらはあくまでも 「社会的規範」 に縛られているのではなく、セックスあるいは 「性」 というものが、「秘(ひ)め事(ごと)」 であり、「恥ずかしい」 という気持ちがあるからに過ぎないのです。

 

宗教によっては、戒律(かいりつ)によって禁じられていたりしますが、少なくとも日本においては、法律でも禁止はされていないのです。

日本のように無宗教者あるいは無信仰者が多いのであれば、本来は禁止されることのない行為であるにもかかわらず、周囲の目を気にするあまり、自分で自分を縛ってしまっているのが 「現代の日本」 なのです。

 

終わりに

 

セックスレスで悩まれていて、夫婦でも興味があるかもだけど、どうしたらいいかわからない。そういう 「迷えるご夫婦・カップル」 がいらっしゃるようであれば、”エロ真面目”に 「アドバイス」 致します。

その場合は、まず、アメーバのアカウントを取得されて、メッセージなり、トークなりでご相談をお寄せ下さい。

2017/08/08

セックスレスの対処法

前回の 「とあるセックスレス相談」 からのつづきです。

 

セックスレスではないからと言って、全てが順風満帆(じゅんぷうまんぱん)ではありません。

中には、当人はどのように認識しているのか分かりませんが、「交尾」 というよりはむしろ 「排泄行為」 に近いと言ってもいい、貧しい家庭なんかも未だに存在するようです。

同様に、セックスレス家庭であっても、その理由はさまざまでしょう。一方の 「したくない」 という意思を相方が尊重しているだけ、まだマシとも言えます。また、中には、したいと思っていても、健康的な理由で出来ない人達もいるかも知れません。

 

また、セックスレスの家庭であっても、夫婦のどちらか一方が拒否するパターンも多いようです。原因が、疲れであったり、性/交痛あるいは勃/起不全など、健康上の問題であるならば、まだ医学的なアプローチからの対応策もありそうなもんですが、既に夫婦のどちらか一方の心が離れてしまっている場合もあり、中には、性欲はあるけれども、旦那には触れられたくもないので、自ら拒(こば)んで 「セックスレス」 なんていう自分本位な家庭もあったりします。


まあ、「嫌なものは嫌!」 と断られてしまうのであれば、夫婦といえども、強要はできません。
しかし、正当な理由もなく、夫婦の間の性交渉を拒否することは、法的には離婚事由としても認められていることから、長期間セックスレスであるにもかかわらず、法的に、夫婦としての貞操権を主張できるかについては、その理由やどちらが拒んでいるかによって、微妙になってきます。

 

専門家に相談してみる


日本の場合、「セックスカウンセラー」 のような、夫婦の性生活上の問題を相談できるような場所は、一般的ではありません。
セックスレスには、夫婦の間の 「感情のもつれ」 といった心理要素も強く関わってきます。もちろん、修復可能な関係も多いでしょうし、より良い関係にしていくためにも、お互いのコミュニケーション、あるいは、セックスに対する認識を深めていく必要があるような場合もあるかも知れません。
夫婦の問題は、男と女双方の問題です。なので本来は、男性視線と女性視線の双方から、問題を解(と)いていかないといけないのですが、そういった相談者は身近には居ないのが普通ですし、また、相談者がいたとしても、同性の肩をもってばかりの人の場合、耳には心地良いかも知れませんが、多くの場合、良い結果は生みません。

夫婦の問題、特に性交渉に関わる問題は 「秘め事」 と呼ばれるだけに、夫婦で解決するものという認識が強すぎるのです。

当然、まずは夫婦が向かい合って真剣に話し合うことが基本です。妻から夫に求めることは 「恥ずかしい」 などと言って、夫からお呼びが掛かるのをただひたすら待っているだけ…などは論外です。

しかし、自分達だけでは、どうしても解決できない場合、専門家などに相談してみるのも、ひとつのアプローチだと思います。

心理的身体的な問題の場合は、真面目なところでは 「日本性科学会」 という学会が主宰(しゅさい)する カウンセリングサービス などが利用可能ですし、クリニック 等で対応しているところもあるようです。

 

性生活の多様性について考えてみる

 

しかし、人の性生活は実に多様です。ですので、全てが医学的なアプローチにおいて、最適解に近付くかというと疑問が残ります。

「はじめての不倫学 『社会問題』 として考える」(光文社) の著者である坂爪真吾氏は、「既婚者の2割が不倫?ハマらないためにはスワッピングと婚外セックスだ!」 の記事において、婚外関係が存在することを前提とした、性的関係の多様性について議論しています。

 

 

セックスレスの解消手段として、「離婚」 は法的にも正当なアプローチではありますが、しかし、離婚は最もコストが掛かりますし、リスクも高いので、あくまでも最終手段です。
そして、現実的に多く取られている実質的な解消手段は、一時的な 「浮気」 であったり、「不倫」 であったりするわけです。実際のところ、既婚者である場合は、離婚を前提とせず、家庭生活は家庭生活で守っていくことを前提に 「浮気」 や 「不倫」 をしている場合が大半でしょう。

 

ちなみに、この記事においては、「不倫」 は 「婚外恋愛」 であるとし、ある程度気持ちを割り切れている関係を 「婚外セックス」 と呼んで区別しています。

この考え方は、「性」 というものを覆(おお)い隠してしまうのではなく、オープンに議論していることに意義を感じています。

そもそも、江戸時代の武家においては、女性の不義不貞は死罪獄門であったのにもかかわらず、「駆け落ち」 はなくならなかったわけですし、性の売買は、世界最古の商売とまで言われているのです。

 

社会的に理想とされる 「夫婦像」 に縛られ、「浮気」 や 「不倫」 は、忌(い)み嫌われる行為であり、性欲を抑えるのが美徳であると、本気で信じているのであれば、それはその人の価値観ですので、否定するつもりはありません。

それでも、きちんと義務を履行(りこう)しているのであれば、まだ立派ですが、しかし、そのような人は、セックスレスに陥(おちい)った場合は大抵(たいてい)、まるで自分も苦しんでいるのだから、貴方も苦しみなさい…的に、自分の価値観をパートナーに対しても押し付けてきます。

まあ、婚姻制度を維持するために必要とされる社会的理念でもあるだけに、正当な価値観とは認められますが、しかし、まったく義務を履行していないなどの実情によっては、「離婚」 も認められるのが現代の婚姻制度です。

 

しかし、本来であれば、自分が夫婦におけるセックスのパートナーとしての役割を放棄するのであれば、それと同時に、パートナーに対する 「貞操権」 をも放棄すべきなのです。
一方的な 「貞操権」 の放棄を厭(いと)わない人もいるでしょうし、双方で 「貞操権」 の放棄を承諾する夫婦もいるでしょう。
面倒臭いのは、貞操観念なく、一方的に自身に課(か)せられた 「貞操義務」 を果たさないパートナーであり、そして、自身の役割は果たさずに、嫉妬や独占欲あるいはその他の感情で、相手の行動を束縛しようとするパートナーである場合でしょう。

「不倫は悪い!」 という世間あるいはマスコミの風潮が未だに続いていますが、「浮気」 や 「不倫」 といった不貞行為は、あくまでも 「権利の侵害」 であって、「犯罪行為」 ではありません。

ひと昔前であれば、「歳の差婚」 などで、若い女性を妻にめとった老齢の男性であれば、妻の浮気を公認したり、あるいは、その逆で、病弱な妻をめとった夫に対しては、妻自らが夫に対して、浮気を公認するなど、夫婦がお互いを思いやり、「貞操権」 を放棄したりしたものです。

そんな夫婦の内情もいざ知らず、婚姻関係にあるというだけで、「浮気」 や 「不倫」 を叩くマスメディアもマスメディアなら、他人の 「浮気」 や 「不倫」 に敵対的な人達も野暮というもの。
100の家庭があったら、100通りの夫婦の関係があるわけです。

セックスレスの解消も、夫婦間の性交渉を、継続すべくお互いが修復することを望むのか、それとも、そうでないのか。
そうでない場合は、夫婦間で 「性」 をどう割り切るかです。
婚姻関係にある以上、法的には相互に 「貞操権」 そして 「貞操義務」 が生じますが、あくまでも、これは民事における紛争解決の話であって、その権利を行使する・しないはまた別の話。これは裏を返すと、人には、それ以上の自由が与えられているということを意味するのです。

 

大事なのは、可能な限り、まず二人で自分達が許容できるモデルがあるかないかを話し合ってみることです。もちろん、端(はな)から話に乗ってくれない場合も、多いかも知れません。

しかし、話にすら乗ってくれないようなのであれば、話を聞いてくれないパートナーのせいにしても、仕方ありません。あとは自分で 「自分の人生」 を決めるだけなのです。

 

セックスレスのメカニズム

 

夫婦のセックスレスは、アンケートによると、夫婦間に確執がある場合を除くと、「疲れてる」 とか 「面倒くさい」 と言った回答を多く見かけますが、これは、致し方ないところもあるのです。

女性は旦那を見ても 「ときめかない」 と言いますし、男性は女房を見ても 「勃たない」 と言いますが、要はお互いに慣れてくるし、飽(あ)きてもくるわけです。

性欲はあるものの、セックスに至るだけの衝動がないわけです。一説によると、これには恋愛ホルモンと呼ばれるフェニルエチルアミン(PEA)と呼ばれる物質が関わっており、この効果は、3ヶ月ないし半年から3~4年で生成されなくなるということです。
まあ、確かに新婚あるいはお付き合いを始めた当時の勢いで、何十年も過ごしていたら、身体がいくつあっても足りませんし、今現在、生きている気もしません。(苦笑)

それ以降は、如何にして、夫婦間のセックスが習慣化されているか。また、日常的である必要はありませんが、セックスに居たるまでには、お互いのスキンシップやコミュニケーションの良好さも大変重要であることは言うまでもありません。

 

セックスレスに効果のある具体的なアプローチ
 

では、そんな夫婦において、どうやったら女性にはときめきを、男性には勃/起を取り戻すことができるのか?それは、どうやったら、二人の体内で、フェニルエチルアミンを生成させるのかと同義なわけです。

この答えのひとつが、(競走)馬の世界の言葉で言うと 「当て馬」 というやつです。日本語俗語辞書 によると、次のような説明があります。

”当て馬とは本来、馬の種付けの際、その気にならない雌馬を興奮させるためだけにあてがわれる牡馬のことである。当て馬は雌馬を興奮させ、その気にさせたところで種馬である牡馬へバトンタッチとなる。…”

そして、この原理を応用しているのが、冒頭の坂爪真吾氏との対談記事にもあった 「スワッピング」 です。スワッピングは、「NTR(寝取られ・寝取らせ)考」 の記事のところでも簡単に説明していますが、日本語で言うと 「夫婦交換」 と呼ばれるものです。


しかしまあ、効果はあるかも知れませんが、普通の一般的なご家庭のご夫婦からすると 「スワッピング」 も 「NTR(寝取られ・寝取らせ)」 もハードルが高すぎるというのは否(いな)めません。

次回は、この 「スワッピング」 について解説したいと思います。

2017/08/01

セッ☆クスの相性

「セッ☆クスの相性」 のことを、「カラダの相性」 とも言ったりしますが、詰まるとこ、これは何でしょう?

確かに、その人に限って感じたりする 「特別感」 を否定するつもりはありませんし、「相性」 の存在自体を否定するつもりもありません。

しかし、いろいろな人の発言を聞くに連れ、あまりにも安易に 「相性」 で片付けてしまっていることに、違和感を覚えてしまうのです。

 

まず、自分の感覚のみでもって、「相性」 を語る方。

確かに、それまでに経験した男性のアソコが短かくて、奥に当たる感覚を経験したことのない女性にしてみれば、奥に届く程度に長さのある男性であれば、紛れもなく「カラダの相性」 が良いように感じるかも知れません。しかし、それはその女性にだけ言えることではなく、他の女性にも言えることなのです。(苦笑)

そもそも、「相性」 と言うものは、自分だけで感じる一方的な感覚ではないということ。必要条件ではあっても、十分条件ではないのです。

 

確かに、物理的な 「相性」 というものは存在します。

 

 

最近、「夫のち○ぽが入らない」 という本が何かと話題にのぼっていますが、これはアソコが太すぎる旦那をもった主婦が書いた苦労話です。まあ、短小の男性にはまったく無関係なお話と言えますが、大きすぎても苦労が耐えなかったという告白です。

 

まあ、男性は何故かアソコは 「大きければ大きいほどいい」 と勘違いしているようですが、江戸時代の艶本 「閨中紀聞(けいちゅうきぶん) 枕文庫(まくらぶんこ)」 淫乱斎主人 作、白水渙人 画 文政5(1822)年 によると、男性の逸物(いちもつ)を、最上から、上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)、そして、胴返し等ランク分けしていたりしますが、大きい逸物である胴返しは、評価の別枠になっています。

 

 

また、月岡雪鼎(1726~1786)の 「艶道日夜女宝記(びどうにちやにょほうき)」 によると、

 

(どうがえし)ハ-稀の道具にして名作なれ共、玉門を選らみ並の女はうけがたし。

 

という記述があります。要は、”逸物” ではあるかも知れないけれども、普通の女性では受けられず、相手を選ぶ…と言っているわけです。まさしく、これは 「夫のち○ぽが入らない」 ケースであり、相性がとても重要だったケース。長いのも同様です。

 

(ちょう)ハ-長くして竿のごとし。思いの儘(まま)に行えば、玉門を貫ぬき病を求む。 ”

 

とあります。アソコが長い男性の場合は、力任(ちからまか)せなセッ☆クスは、場合によっては相方が痛みを覚えます。ボル☆チオに対する刺激は、摩擦(まさつ)ではなく、圧迫(あっぱく)ですので、勢いをつける必要はまったくないのです。逆に、勢いをつけた場合、女性は痛みしか感じていなかったりします。

正しい刺激方法は、頬(ほ)っぺたに指をつけて、プニュプニュと押す感覚。これで十分なのです。

 

そんなこともつゆ知らず、大きいから、長いから、と自分に自信を持つことは良いことですが、しかし、きちんと女性のことを見てあげれていないと、その男性は、その女性にとっては単なる 「独り善(ひとりよ)がり」。まさしく 「痛い存在」 以外の何者でもないわけです。

 

また、女性のアソコが 「緩(ゆる)い」 などと品評する男性も結構見受けられます。確かに10代から20代前半の女性は、まだアソコも十分に発達していませんので、「締(し)まり」 の良し悪しは、基本、骨盤底筋その他の性器周辺の筋肉の発達度合いによります。

しかし、20代後半から30代にかけて、女性の身体は良く言えば、より柔らかに、悪く言えば垂れてきます。そうなると、確かに20代前半の筋肉パンパンの張りや締まりは、なくなってきます。しかし、それと共に、複雑な筋肉の動きをするようになってきますし、イクときは膣全体で締め付け、子宮口も降りてくるような、複雑な動きをするようになってくるのです。

 

女性の身体は年齢と共に変化します。30代前半から半ばに掛かると、女性を気持ち良くすることが出来ない男性は、この締め付けを経験できないわけです。

そういう男性は当然、これらの女性の方からは良く思われないでしょうし、また、自分も気持ち良くないので、まだ上手い下手も良く分かっていない若い女性の方に向かってしまうのかも知れません。

「これも相性だ!」 と言われてしまえば、それまでです。

 

しかし、自分は何の努力もせずに、全てを 「相性」 の一言で片付けてしまうのは、あまりにも情けなさ過ぎます。

早い男性であれば、ゴムを二重に付ければ、時間は倍になりますし、早い男性も短い男性も、自覚しているのであれば、もっと相手を気持ち良くさせてあげれるように、他の男性以上に愛撫が上手くなればいいわけです。

また、自分の逸物が、他の男性より長いのに、何で自分はすぐ女性と別れてしまうんだろう…と思ってる人がいたとしたら、多分、独り善がりで自分だけ気持ち良いセッ☆クスをしているからなのでしょう。

そういう人は、折角いいものを持っているのですから、自分なりに相手のことを意識して、優しく動けるようにならなければいけません。

 

男女の 「セッ☆クスの相性」 あるいは 「カラダの相性」 を語るのであれば、自分の立ち位置を認識し、そして、一通りの努力を払ってからにするべきでしょう。

そして、何よりも重要なことは、独り善がりであってはいけないということです。

男性は、入れて腰を振って出すのがセッ☆クスですが、女性の場合は、イチャイチャするのも、甘えるのも、いやらしい話をするのも、恥ずかしくなるのも、焦(じ)らすのでさえも、みんなセッ☆クスなのです。

AV を真似(まね)たところで、意味ありません。

大事なのは、女性を正面から受け止めてあげて、自分に委ねさせること。

それだけの安心感を女性に与えることに成功したのなら、あとは、女性をしっかりと見つめてあげて、女性が気持ちよくなるように、どんどんリードしてあげて下さい。

 

多分、本当の 「相性」 とは、心の繋がりであり、以心伝心(いしんでんしん)でお互いが高まりあい、そして、お互いが自然に、今まで経験したことがないぐらい自分を解放出来たとき、そんな、お互いの呼吸があうことを 「相性」 が良いと言うのではないでしょうか。

 

料理もセッ☆クスも、人間の基本的な生活要素に絡む行為であり、誰にも出来ることであるだけに、「自分は出来る」 と思いがちですが、分かってない人が多すぎです。

料理もセッ☆クスも、自分以外の人間とのキャッチボール。単に 「栄養学」 だけで、食べ物を作ってる人達は 「餌」 を作ってるだけなんです。料理もセッ☆クスも、相手を嗜好を理解して、そして相手を喜ばせてナンボ。人は、カラダにイイから、食事をするんではないんです。

 

「相性」 の良い人の存在を否定するつもりは、毛頭ありませんが、全てを 「相性」 のせいにせず、自分が努力するという視点が大事だと思う、この頃です。