「粋」 な男女関係とは?
最近流行りの 「ゲス不倫」 ・・・
しかし、そもそも、相手や自分あるいは双方に配偶者が存在する 「不倫」 という関係にあるにもかかわらず、相手を独占しようと感情を剥(む)き出しにしたり、あるいは、折れてしまう人達がちらほらいます。
不倫の当事者達は、配偶者に対して貞操義務があるにもかかわらず、権利を侵害しているくらいなんですから、そんな相手が浮気しないとは限らないわけです。
むしろ、相手に首ったけでもない限りは、浮気する確率の方が高いと言っても過言ではありませんし、そんな相手をずっと独占できるはずもありません。
嫉妬深い男性もたまには見かけますが、往々にして、心がはまってしまうのは女性です。
そして、「いけない恋」 であり、「禁断の恋」 だからこそ、背徳感もあって余計にはまるのです。
そして、女性の熱愛には必ずと言って付いて来るもの、それが 「嫉妬」 であり 「独占欲」 です。
独占欲は無用の長物
独占欲は、確かに動物の乳児期においては 「生存本能」 のひとつとして、大切かも知れません。栄養が十分でない場合は、当然のことながら、乳の出も良くないでしょう。
そんな食料不足の環境下では、兄弟を押しのけてでも、乳を独占するくらいのバイタリティが、生き延びる上で重要であったかも知れません。
また、人間もそうですが、子育て期間が長い霊長類のような動物の場合は、外敵から身を守るために、オスによる保護を必要としますし、群れの生活においても、順位が高いことは、それだけ質の良い食事にありつけるだけでなく、交尾の回数の増加にも繋がったでしょう。また、群れの中の順位が高いことで、「忖度(そんたく)」 ではありませんが、それだけ多くの仲間の支援を得られた可能性があります。
本来、動物としては意味のあった 「独占欲」 ですが、それは 「嫉妬」 という不快感が刺激となって、「闘争」 を引き起こすもので、一匹のメスをめぐってのオス同士の争いも、縄張りをめぐってのオス同士の争いも本質は同じです。
女性も、「独占欲」 があるからこそ、男性の挙動(きょどう)に敏感となり、その男性に別の女の影を察知すると 「嫉妬心」 という不快感が込み上げてくるわけです。
しかし、「独占欲」 は、「性欲」 や 「食欲」 あるいは 「睡眠欲」 といった 「三大欲求」 と呼ばれる生理的な欲求とは異なり、際限がない反面、「愛」 がなくなれば、自然と消失する類のものです。
では、その独占欲とは何でしょう?
ある人は、なくなると不安を感じるタイプの、一種の 「固執(こしゅう)」 であり、「執着」 であるといいます。
そもそも 「恋愛」 とは、どちらか一方の気持ちだけで、成立するものではありませんし、人の心は、うつろいやすいもの。ましてや、心は 「証(あか)し」 で、縛れる類(たぐい)のものでもありません。
粋(いき)とは?
九鬼周造の著書に 「いきの構造」 という有名な本がありますが、これによると、「粋」 とは、「媚態」 と 「意気地(いくじ)」 と 「諦(あきら)め」 の三つの要素から成(な)る 「緊張感」 のようなものとのこと。
要は、どれが抜けていてもいけないし、バランスが取れていないといけない。
「媚態」 は 「エロ」 であり 「色気」。
「意気地」 は 「心の芯の強さ」 や 「踏(ふ)ん張り」 みたいな感覚。
そして 「諦め」 とは、”固執しない” こと。
それが 「垢抜(あかぬ)けしたさま」 に映るのでしょう。
彼自身の言葉を借りると、「手放(てばな)す、委(ゆだ)ねる、固執(こしゅう)しない、押しつけない、それが<いき>なのだ」 と書いています。
粋な男女関係
粋な男女の関係。
どんなに恋(こ)い焦(こ)がれる恋愛を経験しても、それが自分の思い通りにならなかったからと言って、相手のせいにしたり、「黒歴史」 化しているようでは、恋愛なんかしない方がまだマシというもの。
人との出会いがあれば、人との別れもあるように、永遠に続く 「恋愛」 なんてこの世にはありません。
恋愛は最後に、相手に対する 「感謝の気持ち」 や、良い 「思い出」 に昇華できるようになって、はじめて 「オトナの恋愛」 と言えるのです。
お付き合いし始めのときは、相手の良いところを、褒(ほ)めまくっていたのにもかかわらず、上手くいかなくなった途端に、相手の悪いところを並べまくっているようでは、まだまだ子供。
中には、致命的とも言えるような問題が、起きたりすることもありますが、しかし、「100%完璧な人」 なんてこの世にはおりません。(苦笑)
自分が必要としているそのときに、必要とされる人が現れただけであって、そのお相手の人を同じ視点で比較したところで、何も意味はないのです。
どんなカップルであれ、「恋愛」 関係真っ只中にある男女が美しいのは、そのお二人が 「今」 を一生懸命に楽しんでいるからです。でも、それはある意味当たり前の話。
「粋(いき)」 な関係とは、格好付けることではありません。それは野暮を通り越して 「気障(きざ)」 というもの。
むしろ、「粋」 というものは、「野暮(やぼ)」 に近いところにあると言います。
「粋」 な男女関係とは、やはりそこに求められるものは、相手を 「思いやる心」 であり、自分の気持ちや期待には逆行していたとしても、自分よりも相手を優先して、相手を受け入れる 「諦(あきら)めの気持ち」。そして、「勇気」 や 「頑張り」、そして、「意地」 と 「踏ん張り」 と言えるのかも知れません。
男女のお付き合いにおける美学
いつも思うこと。
それは、何処まで女性の気持ちを 「いっぱいいっぱい」 にしないで、ロングラン出来るか。
長ければ長いに越したことはありません。しかしそれは人間の寿命と同じで、ただダラダラと長ければ良いかと言うと、そういうもんでもありません。
ある程度の緊張感は、保たないといけませんし、常に相手の気持ちを揺(ゆ)さぶることも大切です。そうしないと、マンネリになってしまいます。
しかし相手によっては、その人のことを考えて、あえて距離をとったり、考える時間を与えたりする場合もあります。
「縁」 にもいろいろとありますし、人との 「出会い」 もいろいろです。
感じ方も、考え方も、価値観も、人それぞれです。求めているものも違ったりします。
受け入れる人もいれば、頑(かたく)なに拒(こば)む人もいます。
通りすがりのような刹那的な 「出会い」 もあれば、劇的な 「巡り合い」 もあります。
「粋」 な男女の関係とは、そういった 「一期一会」 を大事にして、誠心誠意尽くすこと。
そして、相手のことを思いやり、そして、もし別れのときが来たとしても、「立つ鳥跡(あと)を濁(にご)さず」 ではありませんが、名残惜(なごりお)しさを堪(こら)える、潔(いさぎよ)さも大事です。
自分の元を去ろうとする相手に未練は感じても、そこまで追い込まれた相手の胸のうちを思いやることこそが 「粋」 です。
傷付く自分を守ろうと、相手を罵(のの)ったり、捨て台詞(すてぜりふ)を吐いたり、未練がましいのは、野暮(やぼ)というもの。
SM における S の美学
特に SM においては、奴隷の場合、自らの意思においては、関係を解消できなかったりするのが一般的ですが、それはあくまでも、初心に戻って思い止(とど)まらせるのが目的であって、もう、これ以上は気持ち的にも無理な女性を、縛りつけるためのものではありません。
「奴隷契約」 は、SM のエッセンスであり、合意している内容が守れなくなった時点で、「紙切れ」 となるものなのです。
縄は、きつ過ぎてもいけないし、緩くても逆に危険な場合があります。
女性の心が折れてしまった後で、未練がましく縒(よ)りを戻そうとあれこれ腐心(ふしん)するのは、「覆水(ふくすい)盆(ぼん)に返らず」 ではありませんが野暮。
格好つけても始まりませんが、不倫もそうですが、SM なんてのも、本来は外道のすることな訳ですから、そこで 「粋(いき)」 を求めずして何処で求めるのか?
とは言っても、それはそれぞれの人の 「美学」 によりますので、他人に強要できる代物ではありませんが、SM において 「主(ヌシ)」 を気取るのであれば、せめてそのくらいの気概(きがい)というか、「男気(おとこぎ)」 を見せて貰いたいもんです。
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