2ntブログ
2018/01/09

多頭飼いの実際

前記事 「多頭問題 (2)」 の続きです。

 

 

個飼いと共飼い

 

「多頭飼い」 には、「個飼(こが)い」 と 「共飼(ともが)い」 があります。

「個飼い」 とは、一頭ずつ引き離し、別々の檻(おり)に入れて飼う飼い方であるのに対して、「共飼い」 とは、複数頭を一緒の檻に入れて飼う方法です。

 

「共飼い」 で気を付けることは、動物や熱帯魚でも一緒ですが、一緒の檻(おり)や水槽に入れる場合は、お互いの相性に気を付けないと、喧嘩したり、あるいは、「共食(ともぐ)い」 をしたりして、食べられたりしてしまうことです。

 

そもそも、一緒に飼おうとするのは、飼う側の都合もあったりしますが、ひとつの群れとして仲良く纏まってくれのを期待してのこと。

人で言うなら、夫婦と舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との同居と同じです。

仲良く、ひとつの群れとして纏まってくれると良いのですが、動物や熱帯魚などと同様、喧嘩や諍(いさか)いが耐えない場合は、やはり 「個飼い」 にしないと、日々の生活自体やっていけません。(泣)

仲良く出来ない場合は、夫婦であれ、嫁姑であれ、行き着く先は 「別居」 です。

 

***

 

ちなみに、以前にも書きましたが、自分の場合は 「個飼い」 が基本。

たまに、「共飼い」 を基本とするツワモノの方をお見掛けしたりしますが、自分の場合、「共飼い」 するのは稀(まれ)な方ですので、そのような方からすれば、偉そうに 「多頭飼い」 を語る資格は、自分には、ないかも知れません。


基本 「個飼い」 であっても、「多頭飼い」 と言うだけで、何かといろいろ揉(も)めたりするのに、「共飼い」 が基本な人は、どんな人であれ、ひとつの檻(おり)に放り込んでしまうわけですから、器(うつわ)がでかいと言うのか、はたまた、大雑把(おおざっぱ)なだけなのか。

その辺は分かりませんが、しかし、単純明快ではあります。失敗にもめげることもなく、マメな人でなければ、出来ることではありません。

 

多頭飼いのお手本

そんな 「多頭飼い」 ですが、特に 「共飼い」 に関して大変勉強になるのが、既にご存知の方も多いと思いますが、米国のナショナルジオグラフィックチャンネルで、「シーザー・ミラン」 というドッグトレーナーが出てくる 「ザ・カリスマドッグトレーナー」 というテレビ番組です。

 

 

(1) 仲良く皆で楽しむのが基本

 

中には、複数の女性を侍(はべ)らせて単に、「いい気になりたい」 だけの人も、いるかも知れませんが、「多頭飼い」、特に 「共飼い」 は、参加者全員が一堂に会して、そこで皆で楽しむのが基本となります。

自分だけ 「いい気」 になるだけなら、「セ☆クス」 ではなく、それは人の身体を道具とした、単なる 「マ☆ス☆タ☆ベ☆ー☆シ☆ョ☆ン」。SM ではなく、単なる苛(いじ)めや嬲(なぶ)りに過ぎません。

 

参加者同士を競(きそ)わせたりする場合はあるかも知れません。しかし、参加者を脱落させるために 「多頭飼い」 するわけでも、参加者同士を争そわせたくて 「多頭飼い」 するわけでもないということです。

知らない同士であったとしても、始めに会ったときよりは、帰りの際に少しでも打ち解けあって、仲良くなっていれば良いわけです。


(2) 規律と報酬の重要性

 

どんな手であろうと、きちんと飼い慣らされているのであれば、奴隷は付いて来ますし、きちんと序列を納得させることさえ出来れば、不要な争いは起こりません。

 

「秒速で1億円稼ぐ男」 とか言われた 「与沢翼」 が、6P したとか何とか言っているそうですが、まあ、たくさんお金が貰えるのであれば、実労は、通常の拘束時間の1/5 で済むわけなので、特段、気持ち良くないにしても、誰も文句のひとつ言わず、付いていくわけです。(苦笑)

 

逆に序列がはっきりしていないと、マウンティングや群れの中で争いが起こるかも知れませんし、その奴隷の求めているものが与えられなかったりすると、逃げられてしまったり、二度と相手にされなくなってしまったりするわけです。

 

報酬とは何も 「お金」 ばかりではありません。要は 「飴」 のことです。

 

きちんと、感謝の気持ちを伝えることも報酬のひとつですが、やはり、それぞれの参加者の立ち位置や熟練の度合いあるいは段階に応じて、相手が欲しがっている 「飴」 をきちんと認識し、それぞれにきちんと 「飴」 を用意する必要がある、ということです。

 

与沢氏のような場合であれば、自分以外に4人の女子を連れて来たであろう子には、一人当たり幾らみたいなコミッションが支払われているかも知れないわけですし、そこで抜け駆けされないように、支払いはその子を通して行われているかも知れません。

2018/01/08

「脳イキ」 の話

 

髪の毛を引っ張っても、首の後ろを摘んでもイク

 

過去の記事では、女性のオーガズムに関連して、「中イキ」 以外にも、「縄イキ」 や 「脳イキ」 について説明しましたが、しかし、それらを読んだとしても実際のところ、大半の方は 「半信半疑」 なのではないでしょうか。

 

そういう自分も、実際にそのような現象を、自分の目で確認するまでは、信じていませんでしたし、何てセンスの悪いネーミングなんだと思っていました。

しかし、「縄酔い」 から 「縄イキ」 を経験した愛奴が、「指の股」 や乳首を弄(いじ)る程度でイクようになってしまい、ふと本人が呟(つぶ)いた 「まるで脳がイッているみたい・・・」 という言葉に、ある意味、目から鱗が落ちるような衝撃を受けたことは、以前の記事にも書いた通りです。

 

「縄酔いと縄イキ(4)」

 

最近は、その愛奴も、髪の毛を引っ張っても、首の後ろを摘んでもイクようになってしまいました。(笑)

 

        「そんなはず、あるかっ!」

 

と罵声を浴びてしまいそうですが、しかし、嘘でも演技でもなくて、本当なんです。

そんな事実説明を補強するために、どう裏付けしたら良いのか悩んでいたところ、TED でこんな動画を見つけました。

 

歯磨きでイク

 

「TED日本語 - メアリー・ローチ: あなたの知らないオーガズムに関する 10 の真実」

 

 

「メアリー・ローチ(Mary Roach)」 は、「セックスと科学のイケない関係」 などの著書で知られてい

る、米国の科学ジャーナリストです。

 

 

そして、このプレゼンの第2章 「2. You don't need genitals.(性☆器はいらない)」 [1:15/16:37] のところで、他人に眉毛を撫でられてイッてしまう人の話 [1:25/16:37] や、「ひざオーガズム」 の話 [1:43/16:37]、そして、歯を磨く度にイッてしまう女性の話 [1:51/16:37] など、性☆器以外のいろいろな部分でイッてしまう 「脳イキ」 する人のことを紹介しています。

 

下半身麻痺でもイク

 

これらは、「幻のオルガスム」 と呼ばれているそうですが、脊髄損傷などで下半身が不随になっても、生殖器への刺激が脊髄を回避して、直接、脳に届いていることは科学的にも証明されているらしいのです。

 

「性科学研究者 『身体への接触なしでもオーガズムは可能』 (1)」

「性科学研究者 『身体への接触なしでもオーガズムは可能』 (2)」

「Exploring the Mind-Body Orgasm」


この記事に登場する 「ビバリー・ウィップル(Beverly Whipple)」 氏、および、「バリー・コムサリュック(Barry Komisaruk)」 氏はいずれも、米国ニュージャージー州の 「ラトガーズ大学」 の教授で、「オルガスムの科学(Science of Orgasm)」 の著者です。

 

 

 

 

オーガズムを司る神経は、この場合、「迷走神経」 を経由しているそうです。

従来は、迷走神経は骨盤領域にまでは達していないと考えられていたそうですが、実際は、子宮や子宮頸部(しきゅうけいぶ)、そして、不確定なのかも分かりませんが、膣辺りまで達しており、これらの領域の刺激が迷走神経によって運ばれ、腹部を通り横隔膜を経由して、胸腔(きょうくう)を通り、脊髄の外側を伝って首を通り、脳に伝わっているそうです。

 

そして、あと、この記事から分かる事実は、子宮・子宮頸部・膣・ク☆リが、それぞれ異なる神経経路を介して脊髄に繋がっているということ。そして、オーガズムは、口・手・乳首・肛門などあらゆる部分からも導けることが科学的に検証できているということです。

 

このニュースは、不幸にして障害を抱えてしまった方々にとっては、朗報と言えます。

 

但し、これらの研究では、具体的にどのようにすれば、脳でイケるようになるかまでは、解明出来ているわけではありません。

あくまでも、「脳イキ」 と呼ばれている現象が、科学的にも、生理学的に立証されているということだけです。

 

イケるようになる

 

ちなみに、うちの愛奴は、主に指の股を触られると、感じてしまうそうなのですが、自分で触っても何ともないようなのです。

自分が恋する、好きな男性であれば、痴漢されてみたい女性も、全く知らない男性に触られると 「イラッ」 としてムカつくのと同じ感覚なのでしょうか?

 

ちなみに、「中イキ」 出来るようになった別の愛奴は、カレシとのときも 「中イキ」 出来るようになったそうです。

 

「中イキ」 も 「脳イキ」 も、一度イケるようにさえなれば、二度目は簡単ですが、それまでが結構大変です。

やはり大事なのは、自分で本当に 「イキたい!」 と強く望み、求めること。そして、物怖(ものお)じしない 「勇気」 と、最後は 「集中力」 です。

 

誰でも開発できるものではありません。

ゴルフでも、下手に素人に教わったり、我流(がりゅう)で変な癖を付けるよりは、最初から 「レッスンプロ」 に教わりなさいと言われたりしますが、それと同じです。

 

そして教わるからには、自分を相手に委(ゆだ)ね、教わったことをひとつひとつ素直に受け止めることです。

2018/01/06

多頭問題 (2)

前記事 「多頭問題」 の続きです。

 

まずは復習から。

 

多頭飼いとは?

 

SM の世界における 「多頭飼い」 とは、「主」 が、複数の 「奴隷」 なり 「ペット」 を調教することを言います。

「多頭飼い」 と言う場合、複数の 「奴隷」 を一緒の場で調教する 「複数プレイ」 を指す場合もありますが、一般的には、交際相手をひとりの奴隷に限定せずに、同時期に複数の奴隷を相手にすることを公言している人のことを指します。

 

「多頭飼い」 は、二股三股とは違う

 

ちなみに、ひとりに限定しているフリをして、その実は、二股や三股交際しているような人は、「多頭飼い」 とは言いません。

大事なことは、ご新規の女性に対して 「多頭飼い」 であることを事前に宣言して、きちんとその女性が 「多頭飼い」 であることを認識した上での 「お付き合い」 であるという点です。

相手の女性からしてみれば、当たり前なのですが、「多頭」 よりは、「単頭」 の方が良いに決まってます。

 

「多頭飼い」 は嫌われる?!

 

「多頭飼い」 問題は、好きな男を独占したい女性から見ると、気に障(さわ)る厄介な存在でもあるため、M女の間でも、度々(たびたび)話題に上りますし、「多頭」 を嫌う女性も少なくありません。

 

ある意味、「多頭飼い」 を公言する人の場合は、「嫌われる」 のを半分覚悟した上で、口説いているわけです。

相手の女性に 「耳障(みみざわ)り」 の良い 「甘い言葉」 ばかりを囁(ささ)いて、口説き落としているのとは訳が違います。

 

「多頭」 を飼うゲスに、女を騙す畜生

 

自分的に言わせて貰うとするならば、女性を騙(だま)してまで 「やってやろう」 なんて気持ちは更々ありません。自分も SM を嗜(たしな)む 「ゲス野郎」 ではありますが、この世の中は、そんな 「ゲス野郎」 が 「ゲス」 と感じる 「畜生野郎」 もたくさん居たりするもんです。

 

自分を嘘で塗り固めて虚飾を飾る連中もそうなら、女性を騙してとにかく 「やろう」 とする連中もそう。酷いのになると、事前に取り決めた約束を一切反故にしたりします。

ある意味、二重の意味で、「やられてしまう」 わけですから、ムカついて当たり前ですが、それにも増して 「ゲス」 なのは、「薬」 とかそういうのを利用してまで、「やろう」 とする連中です。

こういう 「畜生野郎」 は、容姿や学歴、勤め先などは一切関係なく、何処にでも存在するので、注意が必要です。

 

女性は何故 「独占」 したがるのか?

 

双方がいずれも独身者同士であって、将来 「結婚」 する可能性も含めて、恋人としての座を担保しておきたい・・・というのであれば、「相手を独占したい」 という女性の意識も、まだ理解できます。

しかし、双方、もしくは、どちらか一方が既婚者である場合には、少なくとも、事実上、相手を独占することなど出来ないわけです。

そうであるにも拘(かか)わらず、多くの既婚女性は、自分の既婚事実を棚にあげ、相手が妻帯者であろうが、その事実は無視して、「独占」 を求めようとします。

 

「好き!」 という感情が芽生えれば、どうしてもそこには 「嫉妬」 の影が押し寄せてきます。

そんな 「好き」 な男性に跨(またが)って腰を振っていたとしても、気乗りがしなかったりすると、ふと 「今晩のおかず、何にしよう?」 みたいに、余計なことを考えてしまって、集中するのが苦手な 「女性」 のことですから、「目障り」 なものは出来るだけ排除したい、という気持ちは分かります。

 

では、既婚者同士の場合、何故、相手に配偶者が居ても気にならないのか。それは、「お互い様」 みたいなものもあるかとは思いますが、独身の女性と異なり、一緒に生活はしていても、もう配偶者には 「ときめかない」 という家庭の現実を、既に自分が身を以って経験しているからなのかも知れません。

 

SM では、何故 「多頭飼い」 が許容されるのか?

 

そもそも、「一夫一婦制」 という制度自体、女性や子供の暮らしを安定させると共に、社会秩序の安定を確保することが狙いであって、女性の 「独占欲」 を肯定するものでも、女性を満足させるためのものでもありません。しかし、法律的には何の 「貞操義務」 すらも関わらない 「恋人同士」 であっても、「浮気はいけない」 という不文律が何故か存在していたりします。

 

SM というのは、そもそもは、サディスト(加虐的性向者)やマゾヒスト(被虐的性向者)といった、当時は 「変態性欲」 とも呼ばれ、性と欲にまみれ、その時代のタブーを背負ってきた人生の 「裏街道」。ある意味 「社会通念」 を超えた世界です。

ですから、SM では、「男女一対一」 という構図すらも、必然ではないのです。

 

「何はOKで、何はダメか」、事前に 「プレイ」 の内容と範囲を調整するのと一緒で、「多頭飼い」 という属性も、「責め手」 もしくは 「縛り手」 の事前説明に対して、「受け手」 が許容できるかどうか、それだけの話なのです。

 

「SM の S はサービスの S である」 という言葉は、自己中心的、自分本位的になりやすいサディストを排除する意味においては、ある意味大変、的を射た表現だと思っています。

しかし、「主」 たるサディストは、何も、その女性を気持ち良くしてあげるために 「サービス」 しているわけではないのです。

 

最初から許容できなければ、関わらなければいいだけの話ですし、自分は対応できるかと思ったら許容してみれば良い話。それで駄目だったら、離れて行けば良いだけの話です。

「緊縛」 や 「拘束」、「鞭打ち」 や 「スパンキング」、あるいは、「ロウソク責め」 や 「言葉責め」 といったプレイの内容と同様、自分が許容出来るか、出来ないかだけの話であって、自分が 「多頭」 相手が無理だったからと言って、他の人に 「やめておきなさい・・・」 などと言う代物では、そもそもないのです。(苦笑)

ですので、先程も説明したように、SM とは現実の 「社会通念」 や 「社会規範」 からは外れた 「ハレ」 の世界であるにも拘わらず、その世界に 「社会通念」 を持ち込もうとしていること自体が、そもそも 「野暮」 であり、「ワガママ」 なのです。

 

「多頭飼い」 をどのように割り切るか?

 

「独占欲」 でも 「嫉妬」 でも構いませんが、「多頭飼い」 の 「主」 に対して、「私だけを奴隷として可愛がって下さい」 と言いたい人は、プロの女王様や縄師に対しても、同じことを言ってみて下さい。(笑)

実際にどのような返事が返ってくるのかは、分かりませんが、少なくとも、その期間の収入に見合った保証をすることが、第一の条件となることでしょう。

 

少なくとも、SM倶楽部における 「女王様」 と 「M男性」 の関係は、お店的には、サービスを提供する 「店員」 と 「お客」 の関係にありますが、SM 的には、「主」 と 「奴隷」 の 「主従関係」 にあるわけです。

逆に言うと、「プロと客」 の関係ではありませんが、それだけの 「割り切り」 を以って接すれば、「嫉妬」 といった生温(なまぬる)い気持ちは吹っ飛ぶでしょうし、「ハレ」 は 「ハレ」 で楽しんで、楽しみ終わったら、「ケ」 である 「日常」 に戻れるはずです。

 

「多頭」 と 「単頭」 は、同列では語れない

 

そもそも、「多頭飼い」 と 「単頭飼い」 を同列に並べて話をしても、意味ありません。
その理由は、前回の記事にも書きましたが、「単頭飼い」 を自称している人の中には、一対一で純粋に 「変態チック」 な 「恋愛」 を楽しんでいる人もいるかも知れませんが、その場合でも、それは単に、時間的な制約であったり経済的な制約によるものかも知れませんし、あまりにもお互いの相性が良過ぎて、他の人を探す気にもなれないといった特殊事情があるのかも知れません。

 

 

そしてそれ以上に多いのは、初心者であったり、裏でこそこそと二股三股を掛けようとする連中、そして、自分のことにしか頭にない、甲斐性のない人達です。

 

「単頭飼い」 や 「多頭飼い」 というのは、現状で、何人いるかという話ではありません。

自分の場合でも、「多頭飼い」 とは言いつつも、0頭のときもあれば、1頭のときもありました。

自称 「多頭飼い」 と言うことも、理屈の上では可能ですが、「多頭飼い」 は嫌われる場合も少なくありませんので、「多頭飼い」 を自称しても、何のメリットもありません。(苦笑)

 

では、「単頭飼い」 の場合はどうでしょう?

「単頭飼い」 であることは、現在、単頭で調教している人を除けば、「多頭嫌い」 に対しては 「売り」 になるかも知れませんが、問題は、現時点で 「飼育」 にあぶれている者にしか、使えない手であるということです。

では、今 「奴隷」 がいない理由は何なのか。

そもそも、S を自称していたとしても、自己中心的だったりして、一向にお相手が現れない人かも知れませんし、折角お相手が現れても、プレイが、独り善(よ)がりであったり、あるいは、女性の扱いが乱暴だったり、技術が稚拙(ちせつ)過ぎて、1回で逃げられてしまっているかも知れません。
 

***

 

実際に複数を飼育している 「多頭飼い」 は、女性に取っては、気に障る存在かも知れません。しかし、逆に言えば、多少の出入りはあるかも知れませんが、それだけ需要のある存在であるということです。

 

「多頭飼い」 がいいのか、「単頭飼い」 がいいのか。

M女たちの悩みは今日も尽きません。(苦笑)

2018/01/04

天国と地獄

お寺で 「婚活支援」 をしているお坊さんのお話です。

 

「お葬式」 でしか縁がないので 「葬式仏教」 などという言葉が定着して久しくなります。昔は、町の寺子屋代わりであったり、近隣の人の相談の場であったりしたそうですし、戦時中の疎開(そかい)先の寺社などは、疎開してきた学童などを受け容れていたそうです。

昭和の高度成長期辺りでも、まだ、お寺が幼稚園を経営していたり、書道教室を開いたり、町の公民館的な存在だったところもありましたが、古くから、「坊主丸儲け」 などと言われるように、欲に駆られる僧侶もいましたし、「エロ坊主」 などという言葉もあるように、若くして未亡人になった女性に手を出したり、立派な僧侶も居れば、自分のようなゲスの僧侶も居たりと、ある意味、人々の生活の中に、まだ 「お寺」 というもの残っていたものです。

 

最近では、「葬式仏教」 のイメージを払拭(ふっしょく)しようとしているのでしょうか。新たな活動を手掛ける人達も出て来ているようです。

このお寺では、2010年辺りから、婚活支援に乗り出したそうです。

 

「お寺婚活発起人の僧侶 『40代が一番選んでる』 と分析」

 

社会として、需要があるわけですから、それは大変良いことだと思います。

内容的には、男性は、若い子と結婚したがり、女性は、頑(かたく)ななまでに妥協しない。

このお坊さんの言う、「人は一人で正しく生きられるほど立派じゃない」 といった言葉や、「人を数字で見るのではなく、まずは出会いなさい」 という言葉などは、まさしくその通り。なるほどなと関心してします。

 

そして最後に、このお坊さんの 「天国と地獄」 の逸話が、「目から鱗(うろこ)」 で、秀逸です。

 

 

テーブルとか椅子とか言ってるので、もともとが仏教の小噺ではないのか、それとも、現在風に脚色し直したものなのかはわかりませんが、緊縛好きには、「椅子に縄で縛られた・・・」 みたいな表現も、嬉しくなってしまいます。(^^)/

 

数十人が座る長テーブルに大変なご馳走が並び、皆が座っているんです。ただし、人々は椅子に縄でぐるぐるに縛られていて、手には、長いフォークを持たされているんですね。で、フォークが長すぎて、料理をさせても自分の口に運ぶことができなない。目の前にご馳走があるのに食べられない。これほどの地獄はありません。足元に幸せは落ちているのに、満たされない、飢えている状態です。

 

極楽もほとんど同じ状況です。料理を前にして、椅子にぐるぐる巻きに縛られている。手には長すぎるフォーク。しかし何が違うかと言えば、まず、隣の人、向かいの席の人に、自分のフォークで料理を食べさせてあげるんです。そうすると相手が食べさせてくれる。

 

まず、隣の人に与える。周囲の人の幸せを願う。自分の幸せを最初に願うか、他者の幸せを願うか、この違いが、地獄の生き方と極楽の生き方の違いです。ちょっとした差が大きな差になる。結婚や恋愛も、最初に相手の幸せを願う心を持つか持たないかで大きく変わってくるのです。

 

「エロ師」 的に言わせて貰えば、「セ☆クス」 も同じです。

 

自分が気持ち良くなるための 「性行為」 は、例え男女が抱き合っていたとしても、心は通っていないのなら、相手の身体を使った単なる 「マ☆ス☆タ☆ベ☆ー☆シ☆ョ☆ン」。

「オ☆ナ」 に過ぎません。お互いが相手を気持ち良くしたいという気持ちがあって、はじめて 「セ☆クス」 と言えるわけです。

 

そのためには、自分が欲しいものや、自分が好んで受け容れられるものだけを選り好みするのではなく、お互いに相手を受け容れるのが大切だと思います。

 

***

 

自分というものを捨ててまで、結婚する必然性はないと思います。そんな結婚は、お互いが不幸になるだけです。

しかし、今ある 「自分らしさ」 を大切に思うということは、そもそも自助努力を放棄している状態ですし、相手よりも、自分を愛している状況ですから、「恋愛」 の体(てい)をなしていません。

 

「社会的規範」 に照らし合わせて、あるいは、社会の中で自信を失っている人に対しては、「自分らしさ」 を失わないように言いますが、個人対個人の関係において、「素(す)」 の自分を出せるか、あるいは、素の自分を受け容れて貰えるかどうかは重要かも知れませんが、「自分らしさ」 を主張するなんていうのは、「ワガママ」 であり 「甘え」 以外の何物でもありません。

 

自らの 「理想」 を求めて努力することは悪いことではありません。しかし、他人に 「理想」 を求めるなどと言うのは、「現実」 を見ていない証拠。

自己中の人ではありませんが、そういう人は、お付き合いしていたとしても、自分しか見ていないのです。

大切なことは、自分の目の前にいる 「相手」 を見るということです。

 

このお坊さんも言っているように、「結婚したくない人」 に無理やり、結婚を薦めるつもりはありませんが、少なくとも、「結婚したい」 と考えている人に対しては、もう少し、頑な気持ちを緩めても良いような気がします。

人を選ぶにあたって、数字や条件に捉われ過ぎている人は、結局は、自分のことしか頭にないわけです。

 

たとえ、その結婚が失敗して、「あんな結婚はするんじゃなかった!」 と思ったとしても、「結婚したい」 と思いつつ、生涯結婚出来ないよりはマシです。

「してしまった後悔」 を選ぶのか、それとも、「しなかった後悔」 を選ぶのか。

それは本人の選択次第です。

2018/01/03

複数プレイ

 

新年明けましておめでとうございます。

今年も、「エロキャラ100%」 ♪

 

「中イキトレーナー」 から 「中イキマイスター」 を目指して、今年も 「エロ真面目」 に、「エロ一筋」 を貫(つらぬ)く所存です。只今受講生募集中♪^^

本年も、よろしくお願い致します。


***

 

新年の質問

 

実は、新年のあいさつで、とある女性の方から、同性の視線から、「どうして、あんなに主さまのことが好きなのに、一緒に 『複数プレイ』 出来て、しかも、主さまが他の女性としてるところを見れるんだろう・・・」 というような質問を戴きました。

自分だったら、「同性に裸を見られるのは恥ずかしい」 し、「楽しめない」 あるいは 「集中できない」 というような趣旨だったと思います。

 

複数プレイは、恥ずかしい

 

(1) 恥ずかしい

 

慣れもあると思いますが、「恥ずかしい」 という意識は次第に薄れます。

「複数プレイ」 などと言うと、まるで、「セ☆クス依存症」 の連中がやること、みたいな気がしてしまいますが、実際、何回も回を重ねていると、それすらも、ある意味 「ありきたりの日常」 のような感覚に陥(おちい)ってしまいます。

 

(2) 集中できない

 

「集中できない」 というのは、ある意味正しいご意見だと思います。

第二者だけではなく、第三者もいるわけですから、どうしても気が散ります。

二人であっても、すぐ気が散ってしまうのが女性です。男の腰に跨(またが)って腰を振りながらも、集中できないと 「今晩のおかず何にしよう?」 などと考えたりするのが女性です。

「複数プレイ」 は逆に、自分で集中しようとしないと、イケない環境なのです。

 

3P の意義

 

女性が 「セ☆クス」 の最中に 「波」 を感じて、「あっ、イケるかも?」 と思った途端に、波が引く経験は多くの女性が経験していると思いますが、女性の視線というのは不思議なもので、こういうときには、「イってはダメ!」 と言うと、逆に集中するのです。

「複数プレイ」 も、ある意味同じで、「自ら集中しようと努めない限りは、集中できない 『逆』 の環境」 を用意しているわけです。

日本の女性は、特に 「受け身」 の女性が多いこともありますが、「セ☆クス」 もそうですし、「オーガズム」 もそうですが、これらは男性が与えるものではなくて、自ら、得ようと努力するべきものなのです。

 

自分の快楽を望むか、相手の快楽を望むか

 

「複数プレイ」 は、ある意味、SM と同じくらいに 「禁断」 で 「非日常的」 な空間を提供します。

そして、パートナー同士で参加している場合、自分の 「嫉妬心」 よりも、相手のことを 「気持ち良くしてあげよう!」 という気持ちが勝らないと出来ないプレイなのです。

 

「複数プレイ」 で 「3P」 の場合、「FMF」 は、女性(F: Female)二人男性(M: Male)一人を、「MMF」 は、男性二人女性一人を表しますが、自分の場合は(男色はありませんが)、いずれのバリエーションも可能です。

 

女性の心の奥底に隠されているファンタジー

 

同性にも異性にも口外したりはしませんが、複数の男性に 「されてみたい!」 という、隠された 「ファンタジー(妄想)」 を持つ女性は少なくありません。

しかしそこには、女性特有の 「ロジック」 が隠れています。一方の男性は、自分が心を許している 「愛する男性」 であり、もう一方の男性も、自分が安心できる男性であることが、条件となっています。

昔で言うと、「ジュリー」 と 「西条秀樹」 の二人なら・・・とか、今風に言うと、「嵐」 の誰々と誰々みたいな感じ(違うか?)なので、いい加減なもんですが (苦笑)、まあ、男性で一緒に絡みたいという方がいらっしゃるようでしたら、ご連絡お待ちしております。(^^)/

 

ちなみに、自分の場合は、他の男性の 「男☆根」 も、肉質のリアルな 「ディルドー」 くらいにしか認識していません。www

 

調教としての 「複数プレイ」

 

愛奴に対して、SM 的に 「複数プレイ」 を導入している狙いは、ひとつには、同性同士の性向(性的指向)を見極めるのがひとつ。当然そこには、その人の中に確立されている 「既成概念」 を破る意味もあります。

そして、ふたつ目の理由としては、「嫉妬」 のコントロールがあげられます。

「嫉妬」 は、強すぎても、弱すぎても、いけません。

嫉妬心が強い場合は、それを抑え込むことを学ぶ場であり、そして、嫉妬心が弱い、あるいは、自分の感情を出せない人の場合には、自分を出すことを学ぶ場なのです。

 

要は、SM 的には、これも 「調教」 の一環なのです。

 

その場を楽しく過ごすも、つまらなく過ごすも、自分自身なのです。

愛奴にとっては、それは 「修行」 の場であり、「鞭(むち)」 なのです。

ですので、「鞭=複数プレイ」 のあとには 「飴」 を与える意味で、二人で会う時間を設けるようにしています。

 

一方 「ゲスト」 として参加される方にとっては、「複数プレイ」 は 「非日常」 であり、「飴」 なのです。

特に、男性とお付き合いすると、「心」 が入り過ぎてしまう女性にとっては、「複数プレイ」 は、自分の 「恋心」 を揺(ゆ)さぶらずに、純粋に 「性」 を謳歌(おうか)できる環境なのです。

 

「マンネリ対策」 としての 「複数プレイ」

 

そして、もうひとつの大きな理由は、「マンネリ対策」 です。

夫婦で SM を楽しんでいるカップルであっても、夫婦間に 「マンネリ」 は、訪れます。

 

どうしても、「1対1」 の関係だと、パターンが決まりきってくるのです。

しかし、それはある意味当然です。相手の 「ツボ」 は熟知しているわけですから、どうしても、最小エネルギーで、最大効率を求めようとしてしまうのです。

 

ある意味、「夫婦」 の鬼門はここにあります。

「いつでも食べれると思うと、どうしても、感謝の気持ちが湧かなくなる」 のです。

「3P」 のような 「複数プレイ」 もそうですし、ある意味、「スワッピング(夫婦☆交換)」 もそうですが、これは、ちょうど食事にトッピングや、かけるスパイス、あるいは、ドレッシングを変える感覚です。

 

夫婦で SM をしている 「奥さん」 が言ったのは、

夫婦の間で 「性的」 な時間が減ってきているけど、もし、何処からか女性を探してきて、それで、夫婦の間で 「性的な時間」 を持てるならば、私は、「夫を独占する」 ことよりは、二人で 「性的な時間」 を共有する方を選ぶ。

と言ったことです。

 

彼女にとっては、もう、夫以外の選択肢はないのです。

このセリフは、一般の 「社会通念」 に従って、単に 「幸せな家庭」 や 「リア充」 を演じようとしている、「自己顕示欲100%」 の女子のセリフではなく、SM を通じて、あらゆる世界を経験してきた女性のセリフだからこそ 「重み」 があるのです。

 

彼女にも、「独占欲」 はあるでしょう。

旦那のことが嫌いだったり、もう 「愛」 がなくなっているのであれば、既に 「外食」 をしているはずです。

だからこそ、このセリフは、自分に取っては、今でも、すごく重みのある言葉になっています。

 

自分にとっての SM ・ 「複数プレイ」 とは?

 

普通の方が、この記事を読んだら、「こいつらは、とんでもないド変態だ!」 と思うかも知れません。しかし、自分的に見ると、全然そうは感じないのです。

何故なら、自分達は、

 

(1) 相手を気持ち良くするためには、道具の利用も含めて、手段を選ばず、

(2) 法や相手の意思は尊重しますが、「既成概念」 には捉われず、

(3) 自分の心の中にある 「嫉妬心」 や 「性欲」 は、きちんと 「理性」 でコントロールしつつも、

 

相手を思いっきり、気持ち良くさせて、自分も思いっきり気持ち良くなる。

 

最大限、「性」 を解放し、「セ☆クス」 そして、「人同士の接触」 を楽しんでいるからです。

少なくとも、女性の気持ちを顧(かえり)みることなく、男性が陥(おちい)りやすい、男性の一方的な 「セ☆クス」 を相手に強(し)いるようなことはありませんし、自分が気持ち良くなる以上に、相手を気持ち良くさせています。

 

「道具」 を使うことで、「知性」 を発達させたと言われている 「ヒト」 が、「セ☆クス」 において、道具を使わないことを威張っても仕方ないんです。

大事なことは、まずは相手をイカせることです。大切なのは、「道具」 の使用うんぬんではなくて、どんな手段を使っても、「相手を気持ち良くしたい!」 という気持ちなんです。

 

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「SMプレイ」 は、世間一般のものではありませんし、ましてや、「3P」 や 「複数プレイ」 は、「変態」 による 「異常」 な世界と思われるかも知れませんが、見方によっては、どちらが 「性」 に対して 「自然体」 であるかを感じ取って戴けると、大変嬉しく思います♪

 

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最後になりましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。