多頭問題 (2)
前記事 「多頭問題」 の続きです。
まずは復習から。
多頭飼いとは?
SM の世界における 「多頭飼い」 とは、「主」 が、複数の 「奴隷」 なり 「ペット」 を調教することを言います。
「多頭飼い」 と言う場合、複数の 「奴隷」 を一緒の場で調教する 「複数プレイ」 を指す場合もありますが、一般的には、交際相手をひとりの奴隷に限定せずに、同時期に複数の奴隷を相手にすることを公言している人のことを指します。
「多頭飼い」 は、二股三股とは違う
ちなみに、ひとりに限定しているフリをして、その実は、二股や三股交際しているような人は、「多頭飼い」 とは言いません。
大事なことは、ご新規の女性に対して 「多頭飼い」 であることを事前に宣言して、きちんとその女性が 「多頭飼い」 であることを認識した上での 「お付き合い」 であるという点です。
相手の女性からしてみれば、当たり前なのですが、「多頭」 よりは、「単頭」 の方が良いに決まってます。
「多頭飼い」 は嫌われる?!
「多頭飼い」 問題は、好きな男を独占したい女性から見ると、気に障(さわ)る厄介な存在でもあるため、M女の間でも、度々(たびたび)話題に上りますし、「多頭」 を嫌う女性も少なくありません。
ある意味、「多頭飼い」 を公言する人の場合は、「嫌われる」 のを半分覚悟した上で、口説いているわけです。
相手の女性に 「耳障(みみざわ)り」 の良い 「甘い言葉」 ばかりを囁(ささ)いて、口説き落としているのとは訳が違います。
「多頭」 を飼うゲスに、女を騙す畜生
自分的に言わせて貰うとするならば、女性を騙(だま)してまで 「やってやろう」 なんて気持ちは更々ありません。自分も SM を嗜(たしな)む 「ゲス野郎」 ではありますが、この世の中は、そんな 「ゲス野郎」 が 「ゲス」 と感じる 「畜生野郎」 もたくさん居たりするもんです。
自分を嘘で塗り固めて虚飾を飾る連中もそうなら、女性を騙してとにかく 「やろう」 とする連中もそう。酷いのになると、事前に取り決めた約束を一切反故にしたりします。
ある意味、二重の意味で、「やられてしまう」 わけですから、ムカついて当たり前ですが、それにも増して 「ゲス」 なのは、「薬」 とかそういうのを利用してまで、「やろう」 とする連中です。
こういう 「畜生野郎」 は、容姿や学歴、勤め先などは一切関係なく、何処にでも存在するので、注意が必要です。
女性は何故 「独占」 したがるのか?
双方がいずれも独身者同士であって、将来 「結婚」 する可能性も含めて、恋人としての座を担保しておきたい・・・というのであれば、「相手を独占したい」 という女性の意識も、まだ理解できます。
しかし、双方、もしくは、どちらか一方が既婚者である場合には、少なくとも、事実上、相手を独占することなど出来ないわけです。
そうであるにも拘(かか)わらず、多くの既婚女性は、自分の既婚事実を棚にあげ、相手が妻帯者であろうが、その事実は無視して、「独占」 を求めようとします。
「好き!」 という感情が芽生えれば、どうしてもそこには 「嫉妬」 の影が押し寄せてきます。
そんな 「好き」 な男性に跨(またが)って腰を振っていたとしても、気乗りがしなかったりすると、ふと 「今晩のおかず、何にしよう?」 みたいに、余計なことを考えてしまって、集中するのが苦手な 「女性」 のことですから、「目障り」 なものは出来るだけ排除したい、という気持ちは分かります。
では、既婚者同士の場合、何故、相手に配偶者が居ても気にならないのか。それは、「お互い様」 みたいなものもあるかとは思いますが、独身の女性と異なり、一緒に生活はしていても、もう配偶者には 「ときめかない」 という家庭の現実を、既に自分が身を以って経験しているからなのかも知れません。
SM では、何故 「多頭飼い」 が許容されるのか?
そもそも、「一夫一婦制」 という制度自体、女性や子供の暮らしを安定させると共に、社会秩序の安定を確保することが狙いであって、女性の 「独占欲」 を肯定するものでも、女性を満足させるためのものでもありません。しかし、法律的には何の 「貞操義務」 すらも関わらない 「恋人同士」 であっても、「浮気はいけない」 という不文律が何故か存在していたりします。
SM というのは、そもそもは、サディスト(加虐的性向者)やマゾヒスト(被虐的性向者)といった、当時は 「変態性欲」 とも呼ばれ、性と欲にまみれ、その時代のタブーを背負ってきた人生の 「裏街道」。ある意味 「社会通念」 を超えた世界です。
ですから、SM では、「男女一対一」 という構図すらも、必然ではないのです。
「何はOKで、何はダメか」、事前に 「プレイ」 の内容と範囲を調整するのと一緒で、「多頭飼い」 という属性も、「責め手」 もしくは 「縛り手」 の事前説明に対して、「受け手」 が許容できるかどうか、それだけの話なのです。
「SM の S はサービスの S である」 という言葉は、自己中心的、自分本位的になりやすいサディストを排除する意味においては、ある意味大変、的を射た表現だと思っています。
しかし、「主」 たるサディストは、何も、その女性を気持ち良くしてあげるために 「サービス」 しているわけではないのです。
最初から許容できなければ、関わらなければいいだけの話ですし、自分は対応できるかと思ったら許容してみれば良い話。それで駄目だったら、離れて行けば良いだけの話です。
「緊縛」 や 「拘束」、「鞭打ち」 や 「スパンキング」、あるいは、「ロウソク責め」 や 「言葉責め」 といったプレイの内容と同様、自分が許容出来るか、出来ないかだけの話であって、自分が 「多頭」 相手が無理だったからと言って、他の人に 「やめておきなさい・・・」 などと言う代物では、そもそもないのです。(苦笑)
ですので、先程も説明したように、SM とは現実の 「社会通念」 や 「社会規範」 からは外れた 「ハレ」 の世界であるにも拘わらず、その世界に 「社会通念」 を持ち込もうとしていること自体が、そもそも 「野暮」 であり、「ワガママ」 なのです。
「多頭飼い」 をどのように割り切るか?
「独占欲」 でも 「嫉妬」 でも構いませんが、「多頭飼い」 の 「主」 に対して、「私だけを奴隷として可愛がって下さい」 と言いたい人は、プロの女王様や縄師に対しても、同じことを言ってみて下さい。(笑)
実際にどのような返事が返ってくるのかは、分かりませんが、少なくとも、その期間の収入に見合った保証をすることが、第一の条件となることでしょう。
少なくとも、SM倶楽部における 「女王様」 と 「M男性」 の関係は、お店的には、サービスを提供する 「店員」 と 「お客」 の関係にありますが、SM 的には、「主」 と 「奴隷」 の 「主従関係」 にあるわけです。
逆に言うと、「プロと客」 の関係ではありませんが、それだけの 「割り切り」 を以って接すれば、「嫉妬」 といった生温(なまぬる)い気持ちは吹っ飛ぶでしょうし、「ハレ」 は 「ハレ」 で楽しんで、楽しみ終わったら、「ケ」 である 「日常」 に戻れるはずです。
「多頭」 と 「単頭」 は、同列では語れない
そもそも、「多頭飼い」 と 「単頭飼い」 を同列に並べて話をしても、意味ありません。
その理由は、前回の記事にも書きましたが、「単頭飼い」 を自称している人の中には、一対一で純粋に 「変態チック」 な 「恋愛」 を楽しんでいる人もいるかも知れませんが、その場合でも、それは単に、時間的な制約であったり経済的な制約によるものかも知れませんし、あまりにもお互いの相性が良過ぎて、他の人を探す気にもなれないといった特殊事情があるのかも知れません。
そしてそれ以上に多いのは、初心者であったり、裏でこそこそと二股三股を掛けようとする連中、そして、自分のことにしか頭にない、甲斐性のない人達です。
「単頭飼い」 や 「多頭飼い」 というのは、現状で、何人いるかという話ではありません。
自分の場合でも、「多頭飼い」 とは言いつつも、0頭のときもあれば、1頭のときもありました。
自称 「多頭飼い」 と言うことも、理屈の上では可能ですが、「多頭飼い」 は嫌われる場合も少なくありませんので、「多頭飼い」 を自称しても、何のメリットもありません。(苦笑)
では、「単頭飼い」 の場合はどうでしょう?
「単頭飼い」 であることは、現在、単頭で調教している人を除けば、「多頭嫌い」 に対しては 「売り」 になるかも知れませんが、問題は、現時点で 「飼育」 にあぶれている者にしか、使えない手であるということです。
では、今 「奴隷」 がいない理由は何なのか。
そもそも、S を自称していたとしても、自己中心的だったりして、一向にお相手が現れない人かも知れませんし、折角お相手が現れても、プレイが、独り善(よ)がりであったり、あるいは、女性の扱いが乱暴だったり、技術が稚拙(ちせつ)過ぎて、1回で逃げられてしまっているかも知れません。
***
実際に複数を飼育している 「多頭飼い」 は、女性に取っては、気に障る存在かも知れません。しかし、逆に言えば、多少の出入りはあるかも知れませんが、それだけ需要のある存在であるということです。
「多頭飼い」 がいいのか、「単頭飼い」 がいいのか。
M女たちの悩みは今日も尽きません。(苦笑)
コメント