2ntブログ
2016/02/17

「ツンデレ」 は、どうして 男性 にモテルのか? 2

では、どうして 「ツンデレ」 は、男性にモテルのか?

それは、狩猟時代の男性にまで遡ります。
獲物を掴まえるとき、石でも槍(やり)でもいいのですが、自分の力が及ばない遠方に、むやみやたらに投げるでしょうか?そんなことをしても、疲れるだけ。
獲物にもよるでしょうが、確実に獲物を仕留められる方を選びます。
どんなに 「欲しい獲物」 であったとしても、始めから当たらないのが解かっていたら、無駄な努力はしません。当然、次の獲物に有り付けるまでの間、出来るだけ体力を温存しようとします。

「ツンデレ」 は、そういう男性の 「太古の記憶」 を呼び覚ますのです。(笑)

「ツンツン」 と用心深い獲物は、男にとっては、遥か向こうの山の斜面に見える鹿のようなもの。追いかけてみたところで、追いつくものでもなければ、石を投げてみても、当たるはずもありません。
射程圏内にいる、まだこちらの存在には気がついていない 「鹿」 には狙いを定めても、向こうの山の斜面にいる鹿なんかには、誰も目もくれません。(苦笑)

一方の 「デレデレ」 は、もう庭で飼ってる鶏みたいなもの。

放っておいても、ずっとそこに居ますので、逃げ出したりすれば追いかけますが、「デレデレ」 と居続ける限りは、男は獲物としては認識しません。

「ツンデレ」 の場合は、「ツンツン」 の後、ふとした拍子に、「デレデレ」 と射程圏内に近づいてくる。本能をくすぐられて、それを 「獲物」 と誤認してしまった男性は、思わず後を追いかけたくなるわけです。(笑)
しかし、「デレデレ」 としてるからといっても、油断できないのが、この 「ツンデレ」。 ちょっと目を離している隙に、もう 「ツンツン」 と逃げ出します。
逃げようとするから、男はまた、本能的に追いかける。(笑)
下手をすると、それを見ている別の男も、自分の 「獲物」 と認識して追いかけたりしますから、もう大変。(笑)
男は気が休まる暇もなく、振り回されてるだけなのですが、傍からみると、男性にちやほやされていて、如何にもモテてるように見えてしまうのは、そういう訳です。(笑)


しかも、”天然” が入ってる 「真性ツンデレ」 の場合は、その 「ツンデレ」 を無意識にやってますし、そもそも、その子の関心がない男性が、どれだけたくさん群がろうと、本人は面倒なだけです。(苦笑)
自分の趣味でなければ、どんなに 「イケメン」 だろうが無関心。当然 「ツンツン」 しますので、そんな場面を同性に見られちゃったりすると、

「ねぇねぇ、今の○○子の態度見たぁ?何様のつもり?」

みたいな展開になっちゃったり、するわけです。(苦笑)

こういう子は、他人事には極めてクール。本来は、他人に気に入られようと、胡麻をするのが大変下手なのですが、しかし、自分の関心事になると、勝手にスイッチが入って 「デレデレ」 してしまうので、同性からは、どうしても媚(こび)を売っているように見えてしまう。

基本 「自分が楽しいこと」 は好きですが、「相手を楽しませてあげよう」 なんてサービス精神は全くありません。ましてや、自分の気持ちに反して、共感を示すなんて器用な真似はできません。なので、半ば強制的に、お互いの共感を重んじる ”つるむのが好きな女性” 連中からは、特に、疎(うと)んじられやすい存在となります。
しかしそれでも、「人は人、私は私」 で、そんなことは一切お構いなしなのが 「真性ツンデレ」 です。(笑)

なので、自身は、傍(はた)から見るほど、自分はもてているとも感じてはいません。(笑)


「ツンツン」 も、「デレデレ」 も、「ツンデレ」 も、それぞれの人の個性なので、如何ともしがたいもの。 しかし、男と女の問題を考える上で参考になるのは、その距離感です。

「デレデレ」 は、好きな人の一番身近に居る存在かも知れません。人には、情や理性がありますし、一番近くにいるということによる 「安心感」 もあるでしょう。
しかし、距離が近いゆえに、相手に重く感じられたり、あるいは、もう本能レベルでは、「釣った魚」。”獲物” とは思って貰えていない可能性もあるわけです。
釣りあげるまでが、「釣り」 の真骨頂。お互いに付き合うようになって、安心感で緊張が緩(ゆる)むこともあります。
そんなときに 「以前ほどの愛が感じられないっ」 とすねてみたところで、どうしようもありません。「もう、私のこと愛してないのね?」 と聞かれても、「そんなことないよ」 としか答えられません。(苦笑)
しかし、「デレデレ」 ちゃんの場合は、そこで寂しさを感じるのは毎度のことでしょう。
常に相手からのアプローチを待つのではなく、自分からアプローチして、一緒に楽しむ。そこからが、二人の世界の始まりなのです。
あまり追いすぎると、今度は、男は逃げてしまいます。追えば追うほど、逃げます。(笑)

逆に、そこで女性が別れようとしたり、あるいは、他の男性に気を寄せたりすると、男性にまだ心がある場合は、逃げないように必死で掴(つか)まえようとします。それが男心です。

そして、男性が本能的に 「狩猟モード」 に入るのは、その男性の射程圏内に捕獲可能な獲物が入ったときと、もうひとつは、その男性が捕獲した獲物が逃げたときや逃げそうなときです。
逃げても追いかけてこない場合は、よほど逃げ足が早くて、もう追いつかないと観念しているか、あるいは、逃げられても全然支障をきたさない場合のいずれかです。


「ツンツン」 の場合は、まあ、まだ人の噂に上っているうちが花。人一倍臆病(おくびょう)で、自分の身を守ることに長(た)けているのかも知れませんが、完璧な守りに打ち勝つだけの攻撃力を持ち合わせているひとは、そうそういません。(苦笑)
まあ、そういう 「ツンツン」 ちゃんを攻略できる人は、年齢差があって気持ちに余裕があったり、あるいは、意外と機転の利く人だったりしますが、兎に角、自尊心が人一倍強かったり、臆病だったりするので、余程、その鎧(よろい)の中身が美味しいものではない限りは、次第に、それを口説こうとする男性自体も減ってきます。
それでも、鎧の中の果実が、甘く熟していればいいのですが、猜疑心(さいぎしん)や虚栄心(きょえいしん)、あるいは、妬み(ねたみ)みたいな、「苦味」 や 「渋み」 が強くなってくると、薬効でもない限りは、誰も、もう手を触れようともしません。
孤高の存在になりたいのであれば、それでもいいのですが、高嶺の花も、咲いていてナンボ、見るひとあってナンボのものです。


「ツンデレ」 は、そういう意味においては、「ツンツン」 でも 「デレデレ」 でもなく、絶妙の距離感と言えます。でも、それはあくまでも、男と女の間で新鮮味が保たれる 「距離感」 というだけの話。(笑)
真性の 「ツンデレ」 は、自分の興味や関心がなくなると、いとも簡単に居なくなるので、まあ、お相手は、余程のひとでないと務(つと)まりません。

そういえば、浅野温子も、会ったことはありませんが、雰囲気的には、天然の 「ツンデレ」 系です。(笑)
魚住勉。好きじゃないけど、まあ、大したものです。
2016/02/16

「ツンデレ」 は、どうして 男性 にモテルのか?

最近は、「ツンデレ」 という言葉を聞かなくなって久しくなりましたが、今日は久し振りに 「私、ツンデレ って良く言われる~」 って方とお話しましたので、「ツンデレ」 をテーマに男ゴコロの話をしておきたいと思います(笑)

まず 「ツンデレ」 という言葉を知らないひとのために、意味を説明しておきます。
そもそも、この言葉が最初に用いられたのは、昭和が高度成長期に入る以前のこと。
この言葉を使っていたのは、団塊の世代の前半、それよりも上の年齢の人達。

今の 「角ハイ」 ではありませんが、ウイスキーのハイボールなんかが流行った頃の言葉です。
当時の青春メディアの代表格は映画。そして、何と言っても石原裕次郎。
東映・大映・日活といった邦画が全盛の時代に良くあった女性のひとつのパターンが、ツンツンしてたかと思ったら、デレデレしたりを繰り返すパターン。
この、「ツンツンデレデレ」 が短縮されて 「ツンデレ」 と呼ばれるようになったものです。
 
最近若い人達の間で使われている 「ツンデレ」 という言葉は、単にこの言葉がリバイバルされたもの。
若干意味合いは違うようで、「人前ではツンツンしているけれども、二人っきりになるとデレデレ」 みたいな定義になっているようですが、そんなの、こっそりと付き合ってるようなカップルだったら、当然、人目を気にしているので、みんなそうなっちゃいそうです。 (苦笑)

そもそも女心は、男性にとっては今も昔も、難解以外のナニモノでもありません。(笑)
そういう意味においては、当初の 「ツンデレ」 は、女心が態度や表情に強く出してしまうひとのこと。
異性を強く意識しつつも、異性を意識することに強い抵抗感を覚えるあまり、揺れ動く女心と、その行動や言動とのギャップ。
人前であろうが、二人で会っていようが一切お構いありません。(苦笑)
しかし、男はそんなこと、解かっていませんから、男性から見て、異性に対して ”ツンツン” していたかと思えば、急に ”デレデレ” しだす 「不思議ちゃん」 。(笑)
そんな女性のこと指して、あるいは、そういった進行パターンのことを当時は 「ツンデレ」 と言っていました。

昔は、待ち合わせするにしても、携帯電話なんかない時代です。
待ち合わせのときに、お互いに連絡を取り合うことなど、まず出来ませんから、待ち合わせの約束は勿論のこと、待ち合わせの場所や時間を間違えただけでも、大変なこと。

男: 「悪い悪い!ちょっと会議が長引いちゃって、待たせてごめんねっ!」
女: 「もぉ~、わたしと仕事とどっちが大事なのっ!」 (ツン)
男: 「いやぁ、本社のお偉いさんも来てる会議だったから、なかなか抜け出せなくて・・・」
女: 「そんなの前から分かってるんでしょ?そしたら、今日にしなくても良かったんじゃない!」 (ツン)
男: 「でもさぁ、今日は特別な日だろ?俺達付き合いだして、ちょうど1年ぢゃん!」
女: 「えっ、覚えてくれてたの?」 (驚き、顔色がかわる)
男: 「当たり前だよっ!忘れるわけないじゃん!」
女: 「何よぉ~。そんなキザなセリフで、女性を丸め込もうだなんて、女性を何だと思ってるの?最低ねっ!」 (ツン)
男: 「ほらっ、前から、これ欲しがってただろ?そらっ、プレゼント!笑」
女: 「えっ?本当に覚えていてくれたの?」 (戸惑い)
女: 「ん~~、それだったら、もぉ~、許してあげるっ!」 (デレ)
女: 「ねぇねぇ、何処いこっか?何食べたい?」 (デレ)
男: 「あっ、さっき来る途中で、蕎麦をかきこんで来ちゃった。実は今日の昼、忙しくて何も食べれなくてさぁ。」
女: 「何よっ、それ?もう知らないっ!」 (ツン)

まあ、こんな感じで、好きな男性には首ったけだけど、本音を言えず、素直になれない女性が、当初の 「ツンデレ」 パターン。
基本お嬢様タイプ。気位(きぐらい)と恥じらいの双方が強いゆえに、態度がコロコロ変わる 「不思議ちゃん」 が、当時の初期の 「ツンデレ」 でした。
しかし、「ツンデレ」 的には、犬系のツンデレ。このくらいは、まだタチの良いツンデレ初級 (笑)

松雪 (松雪泰子) の、「白鳥麗子でございます!」 も、男性優位から女性優位に変わってはいますが、基本は、同じ流れです。(笑)
話は変わりますが、これなんかは、今見ると 「彦麻呂」 のイケメンぶりが最高です (笑)

「白鳥麗子でございます! 1-1」


このあと、しばらくすると、ネコ系の 「ツンデレ」 が出現します。

こうなると、男心と女心を知っていても解からない 「気分屋的」 な要素が多分に入ってきます。これは、ある意味、”天然” の 「ツンデレ」。
自分が好きなものには、興味を示すものの、自分が興味のないものに対しては、一切関心を示しません。もう、まさしく 「猫」 です。
ここまで来ると元が ”天然” ですから、基準は、同性には分かる 「女心」 でも 「男心」 でもありません。基準はあくまでも 「自分」 です。

特徴は、やはり 「猫」 と一緒。 自分の興味を引くことには、纏わり付きますが、自分の興味のないことには、一切 「興味」 を示さず、「クール」 な反応を示します。
このタイプは、異性であれ同性であれ、基本、あまり他人にふりまわされるタイプではありません。

その典型例が 「ふ~ん」 です。そもそも、関心がない。(苦笑)
関心がないから、そっけないし、特に怒りや感情をむき出しにするわけでもない。
でも、構ってほしいみたいなときは、もうひとりで勝手に 「ニマニマ」 してます。自分で勝手にスイッチを入れちゃってる・・・みたいな感覚。
こういうひとの場合、周囲の目を意識して、特に愛想を振り撒いてるわけでもないんです。

「あいつは、マジで ”ツンデレ” だよな~っ」 みたいなのは、例えば女優で言うと、桃井かおりとか、大竹しのぶ。
このクラスになると、もう、同性の人が見ていても、どうしてなのか、そのひとの感情の起伏や行動を理解することができません。(苦笑)

しかも、この 「猫系」 の天然の 「ツンデレ」 の場合、何故か、そのような女性に翻弄されている男性が少なくなかったりする。(苦笑)
さほど美人でもなかったりする場合、同性の女性から見ても、「何でこんな女に、これだけの男がチヤホヤするんだろう?」  と悩む・・・みたいなのが、ホンモノの 「ツンデレ」 です。(笑)


今、この歳になって言えることは、この 「ツンデレ」 は、ある意味 「天賦の才」。”天然” の猫です。
男の場合、「紐(ひも)」 というのは ”甲斐性なし” と見られがちですが、しかし、これはやろうと思って、そうそう簡単に出来るものでもありません。(苦笑)
「女の紐」 みたいにも言われたりもしますが、要は、自分では働かず、女性に養って貰ってたり、囲われている状態にある遊び人的男性のこと。
ただでさえ、男にとっては難解な女心。その女心を射止めて余りあるわけですから、これもある意味 「天賦の才」。 男性版の 「ツンデレ」 のようなもの。


次回は、その 「ツンデレ」 に振り回される男心・・・というよりは、男性の本能について、説明したいと思います。
2016/02/09

セックスレスを考える

SNS などでいろいろな人と話をしていると、意外と深刻に感じるのが 「セックスレス問題」。
「子供を出産して以来、夜の営みがない」 みたいな ”酷いケース” もちらほら見かけます。
出産授乳時は、女性も母性本能が強くなるので、全く性欲を感じなくなる・・・というのが通説。
なので、その時期に断られたことを誤解されたとか、あるいは、それが後を引いてレスになったのかみたいな話と思いきや、出産を機会に女性の体形が変わったことを理由に、旦那が興味を示さなくなった・・・みたいな話だったり、キッカケはさまざま。

そういう自分は・・・というと確かに、「隣のにこやかな奥さんには欲情しますが、自分の女房には全く欲情しません」(苦笑)


自分の場合、愛も冷めてしまえば、女房が何処の誰と恋愛しようが浮気をしようが、ぜんぜん気になりません。むしろ、何処の馬の骨とやろうと構わないので、自分にすることには干渉せず、家の仕事など、やるべきことはきちんとやって、家の雰囲気を楽しくしてもらいたい。

口も一切利かない。そんな冷戦のような 「家庭内別居」 は精神衛生上も良くありませんし、そもそも、同居が苦痛なら、結婚を続ける意味もありません。
ここまでくるともう、感情がこじれてしまっていて、セックスどころか、もう相手に触れたくもない。(苦笑)
破綻あるいは破局間近といったところでしょうか?
結婚であれば終末期。天体であれば、白色矮星みたいな状況です。(苦笑)

旦那には感謝してはいるし、家族としての愛情はある。そこまで関係は悪化していないけれども、もう、旦那のことを恋愛やセックスの対象として見ることは出来ない。母であり妻としては、今後も尽くすけれども、女としては無理。そういう女性も少なからずいます。

この場合、結婚や家庭生活は維持されます。
家族愛、家族としての情はあるけれども、男女に芽生える恋愛のドキドキ感は、もうない。
でも、夫婦間で冷戦を繰り広げる訳でもなく、お互いに同居が苦にならないのであれば、良性の腫瘍みたいなもの。腫瘍がないに越したことはありませんが、ある意味、これは及第点と言えます。

セックスレスも、もうこのレベルまで来ていたら、救いようはありません。放っておくしかない。(苦笑)
「性の問題」 も、性欲が既に枯れているひとは、そのまま家庭内で 「出家」 すればいいし、自分で気持ち良くなって、それで十分なひとは、それでいい。
しかし、まだ愛や性で満足したい。ドキドキ感が欲しいという人達はどうしたらいいのでしょうか?
セックスレスが1年以上続けば、それは離婚における正等な事由として認められます。しかし、新婚でもない限り、セックスレスの問題だけで離婚を選ぶひとは、まずいないでしょう。そうなると、残るは家庭の外で自由に恋愛する以外に手段はありません。
ここで、不倫や浮気に罪悪感を覚える人は、無理して不倫や浮気に興じる必要はありません。
しかし、だからと言って、その状況を作り出していることを他人(ひと)のせいにするのもお門違い。他人の権利を侵害する行為は、良いことではありません。しかし、犯罪行為ではないのです。
自分自身の人生を充実を考える上で、浮気や不倫を、選択肢のひとつとして考えるか否かは、どちらも 「個人の自由」。(笑)
最終的に決断しているのは、そのひと自身なのです。
「自由」 には常に 「責任」 が伴います。ただそれだけのことです。(笑)


では、そこまで至ってない場合。そういう場合は、所謂(いわゆる) 「マンネリ」 と言われる状況かも知れません。
自分の同棲や新婚時代を振り返ってみても、やはり、確かにセックスの関係は、時間と共に減っていたように思います。
「釣った魚に餌はやらない」 的な思いは自分には全くないものの、「いつでもできる」 という安心感は確かにありました。同棲のときよりも、むしろ、結婚してその傾向は顕著だったような気がします。
一緒に休みの日に買い物に行ったりしても、ついつい、自分の好みの人や、スタイルの良い人を見かけたりすると、目は無意識にそっちのほうにいってしまいます。(苦笑)
あと、自分の反省点としては、一緒に暮らしていることで起こる 「感情的なすれちがい」 みたいなものが意外と多かったかも知れないということ。

生物学的には、「クーリッジ効果」 と呼ばれるものがあるそうです。これは、性的なパートナーがずっと同じである場合、月日が経つに連れて性交渉の回数が次第に減っていくものの、新しいパートナーと出会うと性的欲求が回復するというもの。
これは、哺乳類のオスに顕著に見られる現象らしいのですが、オスほどではないものの、メスにもやはり、クーリッジ効果は確認されているそうです。(笑) [*1]

あとは心理学要因として、「希少性の原理」 というものの関わりもあるそうです。これは、人は、いつでも手に入るものには価値を感じなくなるというもの。
付き合いが長くなったり、同棲していたりして、「やろうと思えば、いつでも出来る」 状態に安心してしまう結果、無意識に価値を感じなくなってしまっているというものです。 [*2]

「クーリッジ効果」 なんてのは、つい最近まで全く知りませんでしたが、哺乳類でそのような傾向が観察されるのであれば、人間に同じ傾向が見られても、ある意味当たり前のことなのかも知れません。

しかし、このレベルの人達は、まだ救済可能なひとたち。

この場合は、やはり如何にして 「マンネリ」 を乗り越えるか?
そのためには、お互いが如何にして、相手に対する理解を深めていくか、そして、如何に二人だけの 「楽しい時間」 を演出するか・・・が大切になってきます。
一番重要なのは、二人にとって 「楽しい時間」 でなければならないということ。

男: 「また会いたいね!」
女: 「うん!」

でなければ、いけない訳です(笑)
そうなれば自然と、「次はいつにしようか?」 という話になるはず。
同棲や結婚していても、それは一緒。「いつでもできる」 と思ってるから、マンネリ化もすれば、相手の状況や事情も考えず、無理強(むりじ)いをしたり、あるいは、空振りに終わったりするわけです。(> <)


男性目線で言えば、仕事に追われているときは、もう常に頭の中は仕事のことでいっぱい。男性の場合は、「仕事尽(づ)くめで、睡眠時間を確保するだけで精一杯!」 という人も少なくないでしょう。
慢性的に睡眠不足で、疲れも溜まっていれば、平日はもちろんのこと、休日も寝ていたくなります。ただでさえ、セックスは体力を消耗します。疲れきっているときは、その消耗もきついのですが、それ以上に厳しいのは、セックスすることで目が覚めてしまい、寝付くまでに時間が掛かったりすること。これは、苦痛以外のナニモノでもありません。

女性は女性で、体調や気分が優れない場合もあるでしょう。毎日、顔を合わせているせいか、会話にしても、いつも、心ここにあらず。自分のことをあまり気にしてくれないことに苛立ちを感じる場合もあるかも知れません。

次のデートの予定を組むときは、お互いに自分の手帳を見て、いろいろと調整したりするものです。
一緒に暮らしていて現在は、常に身近な存在であるかも知れませんが、そのときのことを思い起こしてみて下さい。

また、お互いに喧嘩したりしていないことも大事。

家庭内に問題を抱えていて、家庭の雰囲気が重かったり、あるいは、夫婦の関係がギスギスしているような場合は、心も当然離れています。
セックスのときだけ仲良くする・・・なんて器用な真似は、誰しも簡単に出来ることではないので、当然ながら、そういう心のしこりを抱えている場合は、スキンシップの回数自体も減っていきます。

そこに ”明らかな問題” がある場合は致し方ありませんが、所詮、夫婦といっても元は他人。ひとつの屋根の下で暮らしている以上は、お互いに何らかの不平不満は持っているものです。
セックスする・しないを、夫婦間の懲罰やトレードの材料にしたり、あるいは、「 ”どうでもいい小さな問題” であっても、相手がその問題を解消してくれない限りは、自分は一歩も譲らない!」 みたいな頑(かたく)なな態度を取り続けることは、確実に夫婦間のスキンシップの回数を減らし、最悪の場合、意図していなかったにもかかわらず、夫婦の関係を回復不能な状況に追い込む場合もあります。

大事なのは、二人で協力しあって、如何にして、楽しい雰囲気を作っていくか。
お互いが、わだかまりを捨てて、許しあって、心を通わす機会を作っていくことが出来るかどうかが、とても重要になってきます。

男も女も意地をはらず、お互いの歩み寄りがとても大事。


男性が女性の生理を学び、女性が男性の生理を学ぶのも、本来はとても重要なことです。
「性」 は本来、汚いものでも、悪いものでもありません。犯罪でもなければ、罪悪でもありません。
世の中には一部、性的なものを忌み嫌う人達もいますが、それは、お金が諸悪の根源だと言って嫌っているのと同じこと。「嫌う」 ことは、そのひとの自由ですが、だからと言って、他人を排除する権利があるわけでも、誹謗中傷が許されるわけでもありません。
お金が絡んだ犯罪は、世の中にたくさんあるかも知れませんが、「お金」 が悪いのではなくて、それを使うひとが悪かっただけの話。
「性」 に絡んだ犯罪も世の中には多いかも知れませんが、「性」 の問題も、「性」 が悪いのではなくて、悪いのはあくまでも、その犯罪を犯したひとが悪いだけです。


夫婦に限らず、人と人の間に良好な関係を築き、そしてまた、これを維持するためには会話が重要です。これについては皆さん、どなたも異論ないはず。
しかし、男と女の間では、この会話すら難しくなる場合も少なくありません。
そもそも、女性本来の会話は、相手に共感を求めることを目的とする、感情いっぱいで非論理的な会話。逆に、男性の方はと言えば、結論を先に聞き、要件や要点を絞った簡潔かつ論理的な会話です。そもそも男性は、他人の話を聞くことからして上手くはないのです (苦笑)

男が女を理解し、女を受け入れることは、女が男を理解し、男を受け入れることと同じくらい難しいこと。男は男で、男の生理が当たり前と思っているし、女は女で、女の生理が当たり前。序(つい)でに言うと、女心も当たり前と思っているのです。
だから、女性同士でそのことを話し、確認しあっては、「男は何でそんな簡単なことが解からないの?」 となる。(笑)
そもそも、遺伝子からして、その構造は全く違うし、生物学的には、その肉体的な機能も役割も全く異なるのです。

家庭は、人の活動の起点です。

家庭とは、家族全員の疲れを癒し、安心して休むことが出来て、そして、にこやかな談笑と食事で、明日への活力を養う場です。教育やらその他は、オプションです。

主婦のひとは、あるときは妻、あるときは母、また、あるときは嫁と、兎角、公私の区別がつかなくなりがちです。自分ひとりになったり、友達と会ったりする 「自分の時間」 を持っているひとは少なくないとは思いますが、そこに旦那さんとの ”二人だけの時間” を意識的に設けているひとは、果たして、どれくらいいるでしょうか?

主婦という仕事を終えて、店じまいをし、タイムカードを押したら、自分の時間です。
私服に着替えて、閉店間際から店で待つカレシと、いそいそと出かけて行く子もいれば、客のいなくなった店でまったり(ぐったり?)として、同僚と談笑を楽しむ子もいます(笑)

女性に関して言えば、まずは、主婦業と自分の私的な時間の区別を、周りのひとにも分かるように、アピールすること。
表に 「営業中」、裏に 「準備中」 と書いてある札をひっくり返すのでも構いませんし、エプロンの着脱や、結わえた髪を下ろすことでも構いません。
重要なのは、まず自分でそのサインを決めて、そしてそのサインの意味を、家族全員に理解させること。

そして、自分の時間になったら、お化粧をして、自分のお気に入りの服を着てみるのも善し。
たまにはオンナを剥(む)き出しにしてみるのも良いことです。
本当に、家で家事に追われているようならば、せめて 「お出掛け」 のときだけでも、周りのひとが困惑するぐらいに、自分を切り替えてみるのも悪くありません。(笑)


[*1] クーリッジ効果 (Wikipedia)
[*2] エッチが面倒くさい。彼への愛が冷めたせい?(R25)
2016/02/04

割れ鍋に綴じ蓋

「割れ鍋に綴じ蓋(とじぶた)」。これが結婚を含めた 「男と女」 の理想的な関係と言えます。

ちなみに、「綴じ蓋(とじぶた)」 は、「閉じ蓋」 ではありません(苦笑)
ヒビや欠けあるいは割れた部分を補修した蓋(ふた)のこと。
最近は、見かけることも少なくなりましたが、金継ぎ(きんつなぎ)などは有名です。これらは基本として漆(うるし)を使用します。

若い時分に、異性に対して、自分の理想形を追い求めることは悪いことではありません。
しかし、いくら自分の 「理想」 を相手に抱いたとしても、相手は、それに答えてくれるわけではありません。
相手に対する 「期待」 も一緒。自分の血を分けた 「子供」 ですら、自分の思い通りにはなりません。ましてや 「旦那」 を含めて、血のつながりも何もない 「赤の他人」 が自分の思い通りにならないのは、あたりまえなわけです(笑)

パートナーを自分の思うように変えよう・・・・なんて言うのはエゴ (笑)
結局は、自分が折れるか、あるいは、どちらかが割れるまでとことんぶつけ合う以外に解決策はありません。

「割れ鍋に綴じ蓋」 とは、ある意味、自分が割れたり欠けたりすることを怖れていては、一生、手に入れることのできないもの。
そういう意味で、心底馴染みあった、お互いに居心地の良い理想的な関係と言えます。


結局は、結婚もそうですが、求めるべきは理想形ではなく、お互いが居心地の良い関係。
向上心も、自分自身を高めようとする分には構いませんが、そもそも、他人に求めた段階で、それは欲にすぎません。

以前、浅野温子の旦那と一緒に飲んだことがあります。
当時は有名なコピーライターで糸井重里なんかと並んで騒がれたことはありますが、しかし、ヘラヘラしてて、アタリは良いのかも知れませんが、貸した CD は返してくれないし、結構いい加減なひと (苦笑)
自分としては 「尊敬に値する人間」 ではありませんが、今思えば、浅野温子のような強烈な個性に対しては、そのような人でないとダメなんだろう・・・ということ。

シャイなイケメンと結婚するのが、デブスの子だったとしても、それは、彼女が目には見えない彼氏のハートの傷を理解して癒してあげることに成功したから。


ビジュアルに囚われてい過ぎるひとを見かけると、思わず 「このひと大丈夫かな?」 とも思ってしまいますが、ビジュアルに限定はしませんが、自分のことを棚にあげて、高い要求を突きつけているわけですから、「出会い」 がなくて当たり前(笑)
そうこうしているうちに経年劣化は進みます(笑)

しかし、食材に例えるなら、きちんとした保存保管により 「熟成」 するのも事実。
けれども、熟成したものも売れ残り放置しておけば、当然ですが腐敗します。

「割れ鍋に綴じ蓋」 は、ある意味 「家庭の象徴」 とも言える 「鍋料理」 を連想させます。
大事なのは、きちんとお湯なり汁(つゆ)を溜め込むことが出来、家族が和気藹々(わきあいあい)とした団欒(だんらん)を過ごせるということ。

割れたり、欠けたり、ヒビが入ったら修理をすればいい。

不足してる部分があれば、汁が漏れないように、継げばいいんです。

どんなに嘆いたり、相手を非難したところで、割れや欠けが治るわけではありません。
ヒビが入っても放置していれば、それだけ、欠ける可能性が高まるだけです。
蓋があわない部分は、その出っ張りをなくさない限りは、半永久的に蓋と鍋は合わさりません。
ぶつかり合わない工夫の余地があるならば、それに越したことはありませんが、どうしてもぶつかってしまうなら、どちらかが欠けるまでは、仕方のないこと。
欠けたまま放置していれば、当然、お湯なり汁は漏れるので、そもそもの、鍋の役割を果たせません(笑)


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2016/01/13

「割り切り」 の大切さ

会話の中では、こと恋愛話になると、日常的に使っている 「割り切り」 という言葉。自分も今まで至極平然と使っていましたが、では 「”割り切り” って何?」 と考え出すと、なかなか適当な言葉が見つかりません。

自分なりに考えてみると、「心が暴走するのを抑(おさ)える何か」 であるような気がします。
心のスイッチをきちんと切り替えられる状態。
スイッチが、「カチッ!カチッ!」 ときちんと切り替わって、接触不良なんかを起こしていない状態です。

「一度心が入ってしまうと止まらなくなってしまう・・・。」
「寝ても冷めても、そのひとのことが思い浮かんでしまって、頭から離れない・・・。」
「心の持って行き場が分からず、心がどうしようもなく苦しい・・・。」

まあ、それは女性の 「恋心」 です。
相手に恋人が居ようと居まいと、結婚して居ようと居まいと、あるいは、相手は自分のことを全く知らない人であっても、はたまた芸能人であっても、そんなことは関係ありません。
自分の思いが 「片思い」 であろうと 「両思い」 であろうと、そんなことはお構いなし。火がついたら終わりです(笑)

心は、現状よりも高い位置を目指そうと思いあぐね、葛藤(かっとう)します。
ある意味、辛(つら)い時間ではありますが、燃え盛っている恋心の火は、女性の象徴のようなもの。多くの女性はこの 「トキメキ」 を求めます。
この 「トキメキ」 という言葉も、日常的に何気なく使ってるせいか、解かった気になっていますが、自分の言葉で説明しようとすると、なかなか難しい(笑)
「好き!」 というハートのスイッチが既に入ってしまっていて、心に燈(とも)る火がチリチリと燃えあがる状態・・・と言ったら良いのでしょうか?

この 「トキメキ」 という名の 「火」 も、「ロウソクの火」 のように制御できているうちは、安定しているので、切なくも美しく甘美なのですが、カーテンなどに引火してしまうと、もう、そんなに悠長(ゆうちょう)な思いに浸っているわけにもいきません。火事です(苦笑)


「割り切り」 とは、ある意味 「諦(あきら)め」 に近い感覚です。
感情や欲望をそのまま解き放てば、止め処もなく、相手を欲したくなります。
現実問題として、その関係を出来るだけ維持しようと、心を整理すること。そしてその葛藤が 「割り切り」 です。

「大人の恋愛」 であっても、「トキメキ」 を求める女性は少なくありません。
しかし、一途な恋愛しか経験したことのない多くの人達、特に女性は、ここで苦悩します。
心の暴走は、家庭の生活に影響を及ぼします。家事や仕事も手につかなくなりますので、最悪露見します。これは肉体関係のある・なしは、関係ありません。
既に旦那に 「トキメキ」 を感じなくなった家庭の主婦などは、「プラトニックなら、浮気じゃないよね!」 みたいな軽いノリで、手を出したりしますが、そういう場合も含めて、最初に現れる難関であり、ボスキャラが、この 「割り切り」 の壁です。


ここで多くのひとに認識して貰いたいこと。大事なのは、「大人の恋愛」 に対する ”恋愛感” です。

自分を含めて、家庭がある人との場合、やはり重要なのは、「家庭が一番、恋愛は二番」 であり、「大人の恋愛」 は、家庭に不足している分を補うものであるということ。
当然、その事実は、家族には秘密にし、絶対にばれないようにする必要があります。昔から言われていますが、「自分の墓場まで持って行く・・・」 くらいの覚悟が前提。
何回も言いますが、
「ばれるくらいなら、はじめからするな。」
「ばれるようなドジや無神経なやつとか、問い詰められると、簡単に非を認めてしまうようなヘタレとは、付き合うな!」
ということです。

そして、もうひとつ大切なのが 「割り切り」 です。

不倫などの 「大人の恋愛」 は、そもそもが、大人の理由・大人の諸事情による恋愛。堂々と大勢の前で威張れる恋愛ではないのです。人目を気にして隠れてする恋であり、忍びあう恋。
「トキメキ」 に火を付けて、大爆発を起こして終わるような 「太く短い」 若者的な恋は、20代ならまだしも、「大人」 を自称するなら、ちょっと幼稚ですし、そもそも、粋(いき)じゃありません(笑)

お互いに時間を割(さ)いて、限られた時間の中で、愛し合うわけですから、忍び逢い偲(しの)びあう気持ちが大切です。
お互いを大切に思いあうからこそ、長く付き添いたい。
自分も、長寿記録達成が人生の目標ではありませんので、人生は 「太く短く派」 です。しかし、こと 「大人の恋愛」 にかけては、「細く長く派」 です。

「割り切り」 とは、相手のことを思い、そして、二人の関係を大切に思い、相手に感謝し、自分の心を制すること。「腹八分目」 であり、「足(た)るを知る」 ということです。

「割り切り」 という調整弁が付けば、もう、「トキメキ」 に引火して大爆発を起こすようなことはありません。あとは 「弁」 を調整して、普段は弱火でトロトロ煮込むもよし。お互いが出会えるときは、強火にすればいいだけです。
「割り切り」 の如何(いかん)によって、「大人の恋愛」 は、家庭に惨事(さんじ)を招く原因にもなれば、家庭を明るくする 「灯火(ともしび)」 にもなるのです。


家族には、明かせない関係ではあるものの、自分の人生においては、長い期間一緒に寄り添い、支えあい、家族同様、欠かすことのできない 「掛け替え」 のない存在となること。

それが 「大人の恋愛」 の理想です。


「割り切り」 は、物事にそれほど執着しないさまのことを言います。
本来は、「仕事上の関係だと割り切りが肝心」 のように使いますが、「割り切ったお付き合い」 という場合は、特に出会い系などで使われる場合は、”(お金で)割り切ったお付き合い(=援助交際・売春)” という意味で使われていますので、間違って、誤解されるようなことのないように。。。