「ツンデレ」 は、どうして 男性 にモテルのか? 2
では、どうして 「ツンデレ」 は、男性にモテルのか?
それは、狩猟時代の男性にまで遡ります。
獲物を掴まえるとき、石でも槍(やり)でもいいのですが、自分の力が及ばない遠方に、むやみやたらに投げるでしょうか?そんなことをしても、疲れるだけ。
獲物にもよるでしょうが、確実に獲物を仕留められる方を選びます。
どんなに 「欲しい獲物」 であったとしても、始めから当たらないのが解かっていたら、無駄な努力はしません。当然、次の獲物に有り付けるまでの間、出来るだけ体力を温存しようとします。
「ツンデレ」 は、そういう男性の 「太古の記憶」 を呼び覚ますのです。(笑)
「ツンツン」 と用心深い獲物は、男にとっては、遥か向こうの山の斜面に見える鹿のようなもの。追いかけてみたところで、追いつくものでもなければ、石を投げてみても、当たるはずもありません。
射程圏内にいる、まだこちらの存在には気がついていない 「鹿」 には狙いを定めても、向こうの山の斜面にいる鹿なんかには、誰も目もくれません。(苦笑)
一方の 「デレデレ」 は、もう庭で飼ってる鶏みたいなもの。
放っておいても、ずっとそこに居ますので、逃げ出したりすれば追いかけますが、「デレデレ」 と居続ける限りは、男は獲物としては認識しません。
「ツンデレ」 の場合は、「ツンツン」 の後、ふとした拍子に、「デレデレ」 と射程圏内に近づいてくる。本能をくすぐられて、それを 「獲物」 と誤認してしまった男性は、思わず後を追いかけたくなるわけです。(笑)
しかし、「デレデレ」 としてるからといっても、油断できないのが、この 「ツンデレ」。 ちょっと目を離している隙に、もう 「ツンツン」 と逃げ出します。
逃げようとするから、男はまた、本能的に追いかける。(笑)
下手をすると、それを見ている別の男も、自分の 「獲物」 と認識して追いかけたりしますから、もう大変。(笑)
男は気が休まる暇もなく、振り回されてるだけなのですが、傍からみると、男性にちやほやされていて、如何にもモテてるように見えてしまうのは、そういう訳です。(笑)
しかも、”天然” が入ってる 「真性ツンデレ」 の場合は、その 「ツンデレ」 を無意識にやってますし、そもそも、その子の関心がない男性が、どれだけたくさん群がろうと、本人は面倒なだけです。(苦笑)
自分の趣味でなければ、どんなに 「イケメン」 だろうが無関心。当然 「ツンツン」 しますので、そんな場面を同性に見られちゃったりすると、
「ねぇねぇ、今の○○子の態度見たぁ?何様のつもり?」
みたいな展開になっちゃったり、するわけです。(苦笑)
こういう子は、他人事には極めてクール。本来は、他人に気に入られようと、胡麻をするのが大変下手なのですが、しかし、自分の関心事になると、勝手にスイッチが入って 「デレデレ」 してしまうので、同性からは、どうしても媚(こび)を売っているように見えてしまう。
基本 「自分が楽しいこと」 は好きですが、「相手を楽しませてあげよう」 なんてサービス精神は全くありません。ましてや、自分の気持ちに反して、共感を示すなんて器用な真似はできません。なので、半ば強制的に、お互いの共感を重んじる ”つるむのが好きな女性” 連中からは、特に、疎(うと)んじられやすい存在となります。
しかしそれでも、「人は人、私は私」 で、そんなことは一切お構いなしなのが 「真性ツンデレ」 です。(笑)
なので、自身は、傍(はた)から見るほど、自分はもてているとも感じてはいません。(笑)
「ツンツン」 も、「デレデレ」 も、「ツンデレ」 も、それぞれの人の個性なので、如何ともしがたいもの。 しかし、男と女の問題を考える上で参考になるのは、その距離感です。
「デレデレ」 は、好きな人の一番身近に居る存在かも知れません。人には、情や理性がありますし、一番近くにいるということによる 「安心感」 もあるでしょう。
しかし、距離が近いゆえに、相手に重く感じられたり、あるいは、もう本能レベルでは、「釣った魚」。”獲物” とは思って貰えていない可能性もあるわけです。
釣りあげるまでが、「釣り」 の真骨頂。お互いに付き合うようになって、安心感で緊張が緩(ゆる)むこともあります。
そんなときに 「以前ほどの愛が感じられないっ」 とすねてみたところで、どうしようもありません。「もう、私のこと愛してないのね?」 と聞かれても、「そんなことないよ」 としか答えられません。(苦笑)
しかし、「デレデレ」 ちゃんの場合は、そこで寂しさを感じるのは毎度のことでしょう。
常に相手からのアプローチを待つのではなく、自分からアプローチして、一緒に楽しむ。そこからが、二人の世界の始まりなのです。
あまり追いすぎると、今度は、男は逃げてしまいます。追えば追うほど、逃げます。(笑)
逆に、そこで女性が別れようとしたり、あるいは、他の男性に気を寄せたりすると、男性にまだ心がある場合は、逃げないように必死で掴(つか)まえようとします。それが男心です。
そして、男性が本能的に 「狩猟モード」 に入るのは、その男性の射程圏内に捕獲可能な獲物が入ったときと、もうひとつは、その男性が捕獲した獲物が逃げたときや逃げそうなときです。
逃げても追いかけてこない場合は、よほど逃げ足が早くて、もう追いつかないと観念しているか、あるいは、逃げられても全然支障をきたさない場合のいずれかです。
「ツンツン」 の場合は、まあ、まだ人の噂に上っているうちが花。人一倍臆病(おくびょう)で、自分の身を守ることに長(た)けているのかも知れませんが、完璧な守りに打ち勝つだけの攻撃力を持ち合わせているひとは、そうそういません。(苦笑)
まあ、そういう 「ツンツン」 ちゃんを攻略できる人は、年齢差があって気持ちに余裕があったり、あるいは、意外と機転の利く人だったりしますが、兎に角、自尊心が人一倍強かったり、臆病だったりするので、余程、その鎧(よろい)の中身が美味しいものではない限りは、次第に、それを口説こうとする男性自体も減ってきます。
それでも、鎧の中の果実が、甘く熟していればいいのですが、猜疑心(さいぎしん)や虚栄心(きょえいしん)、あるいは、妬み(ねたみ)みたいな、「苦味」 や 「渋み」 が強くなってくると、薬効でもない限りは、誰も、もう手を触れようともしません。
孤高の存在になりたいのであれば、それでもいいのですが、高嶺の花も、咲いていてナンボ、見るひとあってナンボのものです。
「ツンデレ」 は、そういう意味においては、「ツンツン」 でも 「デレデレ」 でもなく、絶妙の距離感と言えます。でも、それはあくまでも、男と女の間で新鮮味が保たれる 「距離感」 というだけの話。(笑)
真性の 「ツンデレ」 は、自分の興味や関心がなくなると、いとも簡単に居なくなるので、まあ、お相手は、余程のひとでないと務(つと)まりません。
そういえば、浅野温子も、会ったことはありませんが、雰囲気的には、天然の 「ツンデレ」 系です。(笑)
魚住勉。好きじゃないけど、まあ、大したものです。
それは、狩猟時代の男性にまで遡ります。
獲物を掴まえるとき、石でも槍(やり)でもいいのですが、自分の力が及ばない遠方に、むやみやたらに投げるでしょうか?そんなことをしても、疲れるだけ。
獲物にもよるでしょうが、確実に獲物を仕留められる方を選びます。
どんなに 「欲しい獲物」 であったとしても、始めから当たらないのが解かっていたら、無駄な努力はしません。当然、次の獲物に有り付けるまでの間、出来るだけ体力を温存しようとします。
「ツンデレ」 は、そういう男性の 「太古の記憶」 を呼び覚ますのです。(笑)
「ツンツン」 と用心深い獲物は、男にとっては、遥か向こうの山の斜面に見える鹿のようなもの。追いかけてみたところで、追いつくものでもなければ、石を投げてみても、当たるはずもありません。
射程圏内にいる、まだこちらの存在には気がついていない 「鹿」 には狙いを定めても、向こうの山の斜面にいる鹿なんかには、誰も目もくれません。(苦笑)
一方の 「デレデレ」 は、もう庭で飼ってる鶏みたいなもの。
放っておいても、ずっとそこに居ますので、逃げ出したりすれば追いかけますが、「デレデレ」 と居続ける限りは、男は獲物としては認識しません。
「ツンデレ」 の場合は、「ツンツン」 の後、ふとした拍子に、「デレデレ」 と射程圏内に近づいてくる。本能をくすぐられて、それを 「獲物」 と誤認してしまった男性は、思わず後を追いかけたくなるわけです。(笑)
しかし、「デレデレ」 としてるからといっても、油断できないのが、この 「ツンデレ」。 ちょっと目を離している隙に、もう 「ツンツン」 と逃げ出します。
逃げようとするから、男はまた、本能的に追いかける。(笑)
下手をすると、それを見ている別の男も、自分の 「獲物」 と認識して追いかけたりしますから、もう大変。(笑)
男は気が休まる暇もなく、振り回されてるだけなのですが、傍からみると、男性にちやほやされていて、如何にもモテてるように見えてしまうのは、そういう訳です。(笑)
しかも、”天然” が入ってる 「真性ツンデレ」 の場合は、その 「ツンデレ」 を無意識にやってますし、そもそも、その子の関心がない男性が、どれだけたくさん群がろうと、本人は面倒なだけです。(苦笑)
自分の趣味でなければ、どんなに 「イケメン」 だろうが無関心。当然 「ツンツン」 しますので、そんな場面を同性に見られちゃったりすると、
「ねぇねぇ、今の○○子の態度見たぁ?何様のつもり?」
みたいな展開になっちゃったり、するわけです。(苦笑)
こういう子は、他人事には極めてクール。本来は、他人に気に入られようと、胡麻をするのが大変下手なのですが、しかし、自分の関心事になると、勝手にスイッチが入って 「デレデレ」 してしまうので、同性からは、どうしても媚(こび)を売っているように見えてしまう。
基本 「自分が楽しいこと」 は好きですが、「相手を楽しませてあげよう」 なんてサービス精神は全くありません。ましてや、自分の気持ちに反して、共感を示すなんて器用な真似はできません。なので、半ば強制的に、お互いの共感を重んじる ”つるむのが好きな女性” 連中からは、特に、疎(うと)んじられやすい存在となります。
しかしそれでも、「人は人、私は私」 で、そんなことは一切お構いなしなのが 「真性ツンデレ」 です。(笑)
なので、自身は、傍(はた)から見るほど、自分はもてているとも感じてはいません。(笑)
「ツンツン」 も、「デレデレ」 も、「ツンデレ」 も、それぞれの人の個性なので、如何ともしがたいもの。 しかし、男と女の問題を考える上で参考になるのは、その距離感です。
「デレデレ」 は、好きな人の一番身近に居る存在かも知れません。人には、情や理性がありますし、一番近くにいるということによる 「安心感」 もあるでしょう。
しかし、距離が近いゆえに、相手に重く感じられたり、あるいは、もう本能レベルでは、「釣った魚」。”獲物” とは思って貰えていない可能性もあるわけです。
釣りあげるまでが、「釣り」 の真骨頂。お互いに付き合うようになって、安心感で緊張が緩(ゆる)むこともあります。
そんなときに 「以前ほどの愛が感じられないっ」 とすねてみたところで、どうしようもありません。「もう、私のこと愛してないのね?」 と聞かれても、「そんなことないよ」 としか答えられません。(苦笑)
しかし、「デレデレ」 ちゃんの場合は、そこで寂しさを感じるのは毎度のことでしょう。
常に相手からのアプローチを待つのではなく、自分からアプローチして、一緒に楽しむ。そこからが、二人の世界の始まりなのです。
あまり追いすぎると、今度は、男は逃げてしまいます。追えば追うほど、逃げます。(笑)
逆に、そこで女性が別れようとしたり、あるいは、他の男性に気を寄せたりすると、男性にまだ心がある場合は、逃げないように必死で掴(つか)まえようとします。それが男心です。
そして、男性が本能的に 「狩猟モード」 に入るのは、その男性の射程圏内に捕獲可能な獲物が入ったときと、もうひとつは、その男性が捕獲した獲物が逃げたときや逃げそうなときです。
逃げても追いかけてこない場合は、よほど逃げ足が早くて、もう追いつかないと観念しているか、あるいは、逃げられても全然支障をきたさない場合のいずれかです。
「ツンツン」 の場合は、まあ、まだ人の噂に上っているうちが花。人一倍臆病(おくびょう)で、自分の身を守ることに長(た)けているのかも知れませんが、完璧な守りに打ち勝つだけの攻撃力を持ち合わせているひとは、そうそういません。(苦笑)
まあ、そういう 「ツンツン」 ちゃんを攻略できる人は、年齢差があって気持ちに余裕があったり、あるいは、意外と機転の利く人だったりしますが、兎に角、自尊心が人一倍強かったり、臆病だったりするので、余程、その鎧(よろい)の中身が美味しいものではない限りは、次第に、それを口説こうとする男性自体も減ってきます。
それでも、鎧の中の果実が、甘く熟していればいいのですが、猜疑心(さいぎしん)や虚栄心(きょえいしん)、あるいは、妬み(ねたみ)みたいな、「苦味」 や 「渋み」 が強くなってくると、薬効でもない限りは、誰も、もう手を触れようともしません。
孤高の存在になりたいのであれば、それでもいいのですが、高嶺の花も、咲いていてナンボ、見るひとあってナンボのものです。
「ツンデレ」 は、そういう意味においては、「ツンツン」 でも 「デレデレ」 でもなく、絶妙の距離感と言えます。でも、それはあくまでも、男と女の間で新鮮味が保たれる 「距離感」 というだけの話。(笑)
真性の 「ツンデレ」 は、自分の興味や関心がなくなると、いとも簡単に居なくなるので、まあ、お相手は、余程のひとでないと務(つと)まりません。
そういえば、浅野温子も、会ったことはありませんが、雰囲気的には、天然の 「ツンデレ」 系です。(笑)
魚住勉。好きじゃないけど、まあ、大したものです。