2ntブログ
2016/01/04

「大人のおもちゃ」 の話

SM 調教は調教である以上、「パブロフの犬」 ではありませんが、「飴と鞭(むち)」 を多用します。
飴はもちろん 「快楽」、鞭は当然 「責め」 ですが、M 女の場合は、責めも 「快楽」 ですし、快楽も度を越すと 「責め」 になるので、その辺のさじ加減は微妙です(笑)

SM では、責め具として、大人のおもちゃ系を良く使用します。

ひと昔前までは、「こけし」 や 「芋茎(ずいき)」 が使われていました。ずいきは随喜(ずいき)とも書きますが、こちらは 「芋茎」 を使用した 「張り形(はりがた)」 のこと。
「芋茎(ずいき)」 は、「ずいき芋」と称する 「里芋」 や 「八ツ頭(やつがしら)」 などの茎を干したものを言います。もともと、これらは食用ですが、この茎を男根状に束たり編んだものを 「肥後(ひご)ずいき」 と言い、水やお湯で戻したものを 「張り形」 (今で言うとディルド) として使います。
これらは、江戸時代より使用されていた日本の伝統的な 「大人のおもちゃ」 。
ずいきは、そう長くはもたない(使えない)らしいのですが、その良さは、芋茎のネバネバから得られる 「かゆみ」 がたまらないらしく、今でも生産されていると聞いています。

昭和の高度成長期以降の代表的な大人のおもちゃは、何と言っても、「電動バイブ」。
男根状をしたバイブレータのことですが、これは、男根状のものが、振動するだけのものもあれば、振動しつつ複雑に旋回したり、ベアリングのようなものが回転したり、クリを刺激する専用の当て口が付いてるハイブリッドなものまでさまざまです。
この頃に補助具的なものとして開発されたのが 「ロータ」 です。「電動マッサージ器(電マ)」 も本来はその名の通り、身体のコリやシビレを和(やわ)らげる器具ですが、最近では、大人のおもちゃとして専用のものもいろいろ開発されているようです。

大人のおもちゃ系は、使う相手によっても、使う目的によっても、好みや加減が違うので、いつも悩みます。

まず理解しておく必要があるのは、例えば 「電マ」 ひとつを取ってみても、おもちゃで与えられる ”気持ち良さ” と、生身の身体から得られる ”気もち良さ” は違う種類の ”気持ち良さ” であるということ。
男性であれば、風俗店へ行って、すらりと延びた細い指でおざなりではなく丁寧に 「竿」 をしごかれるのと、それこそ、テンガをはめ込まれて、電マを押し当てられるのを想像すれば、女性が言っている 刺激の違いや ”気持ち良さ” の違いを理解できるでしょう。

次に大切なのは、強ければ強いほど良いというものではないということ。
強い刺激は、いきなり与えると 「痛み」 に感じます。「責め」 に使うのであれば、それでも良いのですが、それでも長時間与え続けるには適していません。

女性の場合は、当たる(当てる)場所や、当て方も重要です。
人によって、クリでの感じ方と膣(ちつ)での感じ方 (場合によっては 「後ろの穴」 での感じ方は) はそれぞれ違います。
また、オナなんかで自分で使う場合と、他の誰かに使われる場合とでは、使われる状況にもよりますが、人が介在する分、感覚は大きく異なります。
自分が好きな相手、気の許した相手であれば、「人に見られてる」 あるいは 「人に弄(いじ)られている」 みたいな 「羞恥(しゅうち)心」 の高まりも相(あい)まって、自分で使うときよりも、より刺激的に感じるはずです。


SM では、いろいろと道具を多用します。縄や拘束具(目隠しやギャグボール、手かせ、足かせ等)といったものから、ロウソクやシリンジなど趣向によって多岐に渡ります。
電マやローター、バイブといった電動おもちゃも、そういった 「道具のひとつ」 に過ぎません。

自分が女性を逝かせられないから、「おもちゃ」 を使ってるのではありません (笑)

女性を逝かせるだけなら、指一本でも十分です。
ほとんどの女性は、あおむけの状態で弄(いじ)ってあげれば、次第に脚を大きく開き、ブリッジするように腰を浮かせて、アソコを押し付けるようにして逝きます。
ひとによって 「逝き方」 はさまざまですが、股を 「ギュッ」 と閉じるようにして逝く女性も居れば、最後まで強くアソコを押し付けてくる女性も居ますし、「ピュッ ピュッ」 と潮を噴く女性もいます。
彼氏や旦那さんの前では一度も見せたことないであろう 「痴態」 を味わえるのは、男冥利の一言に尽きます。

「AV の見すぎ~!笑」

と嘲笑されそうですが、女性であれば、それは、単にそういう経験をしていないだけ。男性ならば、AV に感化され、見よう見まねで、やってはみたものの、うまく出来なかっただけです。

AV はもちろん演技ですから、単に動きを真似ても無理です。
肉体的物理的な刺激だけで逝かせてるのではありません。お互いの心がしっかりと入っていて、女性の気持ちの入れ方・追い込み方を解かってるひとなら、多分、誰にでもできます。

この辺は SM でも、ひとによって違いが出る部分かも知れませんが、普通に逝かせたあと、それで終わらずに、「これでもかっ!」 と責めて、ギャーギャー言わせたいから、「おもちゃ」 を使ってるだけです(笑)
自分の場合は、 「責め」 では 「おもちゃ」 を使っていますが、「ご褒美」 には、心を込めて 「自分の息子」 を使用しています。

心を込めて、愛することで、相手の心を満たしてあげて、最後に心を縛るんです (笑)

その辺は誤解のなきよう (笑)

2016/01/03

男の 「賢者タイム」 の扱い方

男性は、射精をした途端、急に 「我に返る」 ような状態になります。
巷(ちまた)では、「賢者タイム」 などと呼ばれていますが、それまでは、エロで頭の中がいっぱいだったものが一瞬で晴れ渡るような、「頭がさえわたる」 感覚です。
人によっては、急に眠気を催(もよお)したり、脱力感に襲われたりと、いろいろあるようですが、特徴は、エロいものを見ても反応しなくなるということ。
瞬間的に性欲がなくなり、エロに興味を失う感覚です。

確かに自分自身を振り返って見ても、精通初期の頃の 「賢者タイム」 のインパクトには、振り回された記憶があります。
それまで欲情を搔き立てられていた 「エロ本」 も、途端に 「薄汚い存在」 になります。ひどい場合は、隣で寝ている女性に対しても、「不潔な存在」 に感じたりすることもあります。
もちろん、そういった場合は、性的行為に没頭していた自分に対しても、自己嫌悪的な感覚に襲われます。

この男性の厄介な 「賢者タイム」 の存在も、太古の昔は、自分達の生命を守る上で、とても重要な役割を果たしていたものと思われます。
木から降りて、地で二足歩行していた人間は、外敵に襲われやすい状況にあります。
道具を駆使して、外敵から身を守る能力を身につけていたとしても、性行為の最中は、自由を奪われます。
男性としては、女性をその気にして交尾をし、射精をしたら、真っ先に我に戻って、外敵と対峙し、必要に応じて反撃をしないと、いけないわけです。
というよりは、むしろ、外敵に即応できなかった人類の祖先は、外敵の餌食となり、子孫そのものを増やせなかった可能性の方が大きいわけです。

そんな煩(わずら)わしそうな 「賢者タイム」。
しかし、この 「賢者タイム」 の存在は如何ともし難いものなのでしょうか?
自分の経験に照らし合わせるなら、男性に対しては 「努力次第で乗り越えられる」 と答えます。

精通を経験したばかりの少年とか、初体験間もない若者であれば、経験も浅いので、まだ解からなくもありません。しかし普通は、成長して経験を積んでいくにつれて、女性に対する扱いも洗練されていくもの。
どんな女性であれ、縁があって一夜を共にする、あるいは、裸になってお互いに触れ合うわけですから、その時間を 「楽しいひととき」 にするためにも、女性とイチャイチャして、楽しむのが普通。
要は、ちょっとした女性に対する 「配慮」 であり 「思いやり」。
そう認識していました。
それが当たり前と考えていましたし、今でも、それは変わりありません。

しかし今まで 「常識」 みたいに考えていたことが、そうではないと認識したのは、何人かの女性から相談を受けたのがキッカケでした。

ある女性は、いい大人の男性であるにもかかわらず 「賢者タイムだから仕方がない」 みたいに開き直られた後、パソコンをいじり出したり、入りたくないシャワーを浴びろと強要されたり。
別の女性に至っては、事を済ました後、爆睡してしまった男性を待って椅子に座っていたところ、急に目を覚ました男性に 「何をしている?何で帰らないのか?」 みたいなことを言われて当惑した・・・みたな話を聞くに連れ、「今時、こんなに ”デリカシー” のない男がいるんだ」 と、正直驚きを隠せませんでした。

「賢者タイム」 の存在は、言わば 「本能」 の一種みたいなものですから、それは理性でカバーすればいいだけです。
本能だけで、女性を抱いていると 「賢者タイム」 のパラドックスにはまってしまいます。
だから、女性はハートで 「愛おしい」 と思って抱く必要があるのです。
そうすれば、脱力感に襲われたとしても、女性を抱き寄せ、動かせれる範囲で、頭を撫でたり、背中をさすったり、あるいは、背後から包み込むように抱いてあげて、乳首をいじったり、背中や首筋にキスをしたり、脚を絡めあったりすることも出来ます。
眠気に襲われていたとしても、ギュッ と抱きしめて、耳元で甘い言葉をささやくことは出来るわけです。
こういう風に書くと、なんか大袈裟ですが、要は、ちょっとした女性に対する 「配慮」 であり 「思いやり」。
「何でそんな簡単なことが出来ないんだ?」 というのが、率直な感想です。

まあ、それを言い出すとキリがなくて、いろいろな人の話を聞いていると、自分では常識と思っていたことが、そうでもなかったりすることは、良くあること。
世の中には、いろいろなひとがいます。
しかし、そんな調子だと、このひとたちは 「抜かず何発」 みたいなことすら経験したことないのかな・・・などと、逆に可哀相に思えてきたりします。

などと偉そうに言ってはいますが・・・・

かなり昔の話ですが、仕事も逼迫(ひっぱく)している中、何とか時間を捻出して、女性と会う時間を作ったときのこと。
コトが終わって一服しているときに、仕事のことが山のように、頭に浮かんで来た経験があります。
気になって、女性がシャワーを浴びている最中に職場に電話してみると、とんでもない対処が成されていたことが解かって、電話口でいろいろと状況を確認して指示するはめに。

しかし、それに気付いた女性の口からポロッと出た一言に 「はっ」 とした記憶があります。

「わたしといるときは、わたしだけを見てほしい・・・」

今でも鮮明に覚えています。

仕事の割り込みは、全く気に留めない女性もいます。でも、怒りや不快な感情を顔に出すわけでもなく、ただただ 「願い」 を切実に告げるその女性の一言に、「女ごころの深遠」 を見たような気がしています。

大事なのは、女性に対する 「配慮」 と 「思いやり」 そして 「心遣い(こころづかい)」 です。

2016/01/01

不倫のススメ

となる団体が、老人の介護福祉施設に入居している老人にアンケートを取ったところ、「現在後悔していることは何か」 という設問に対して、一番多かった答えは、「何かをしたかったけど、諦めて(あきらめて)しまったこと」 という答えが一番多かったそうです。

「何かをしたい」、「何かに挑戦したい」 と思っていたけれども、何かの理由で諦めてしまい、実行に移せなかったことを悔やむケースの方が、実際に何かをしたことによる後悔よりも多いということです。

人生の夢と不倫を同格に扱うつもりは毛頭ありません。
しかし、不倫の末、その相手の駆け落ちし、父親からは縁を切られ・・・みたいな破廉恥(はれんち)の限りを尽くしたにもかかわらず、今は大勢のひとに説教をしている 「瀬戸内寂聴」 さんなんかを見ていると、破天荒ではあるけれども、このひとは人間そのものを愛してるな・・・と思えるような人間味。人としての 「暖かさ」 を感じますし、この人の人生に 「後悔」 という文字はないだろうな・・・と思えるような 「豪快さ」 を感じるから不思議です。

誰もが、この人のように生きれるわけではありませんが、ひとつ言えることは、自分の人生の選択を 「他人のせい」 にはして欲しくないということ。
不倫は良くないことではありますが、しかし、だからといって、自分の欲求不満を、旦那のせいにしたり、家族のせいにしてはほしくありません。

自分が今まで尽くしてきた家族です。「自分は家族の犠牲になった・・・」 などと被害妄想を抱いて、今まで尽くしてきた愛すべき家族との関係を拗らせる(こじらせる)くらいなら、まだ、家族や友人にばれないように、外で 「食事」 をしてきて、家族に今まで以上に良い妻そして良い母であってくれた方がマシというもの。

夫で満たされないもの。不足するものは、極論を言えば、外で食べればいいんです。
逆に背徳感や 「自分の勇気のなさ」 で、行動に移せないのであれば、それは 「自分のせい」 として諦めて(あきらめて)下さい。
自分の人生なんですから、「他人のせい」 にするのはやめて、自分で考えて、自分で選択し、行動すればいいんです。それが自立です。

でも、「不倫」 にもルールがあります。

多くの人は、離婚して結婚するというプロセスを踏めないから、「不倫」 になるのです。
また 「不倫」 を経験する多くのひとは、そもそも離婚を前提としては、考えていなかった筈。
「大人の恋愛」 で一番重要なことは 「家族を巻き込まないこと」 です。
家族を傷付けることはもとより、家族に悪影響を及ぼすようなら、早く足を洗うこと。
ばれるくらいなら、最初からしない方がマシなのです。

良くあるのは、「プラトニックラブなら、まだ良いわ!」 みたいな感じで安易に仲良くなったものの、ガッツリと自分の心が入ってしまい、結局は自分の生活が、その恋愛に大きく影響されてしまうというもの。
ガッツリと自分の心が入っちゃっていますから、当然会いたくなる。会ったら当然セックスもしたくなります(笑)

ここで女性の方も、しっかりと 「割り切り」 が出来れば良いのですが、女性が、「旦那の満たしてくれないもの」 を求めるのではなく、相手に 「旦那の替わり」 を求めるようになってしまうと、家族の方は 「おざなり」 になり、家庭内にも次第に 「不倫の悪影響」 が出てくるようになります。
ここまで来ると、女性の心は不安定になりますし、そもそもは大事にしようとしていた 「家族」 の崩壊の危機。しかし、これでは本末転倒。
お薦めできない 「不倫」 の典型です。

「不倫」 の関係が、既婚者同士の場合は、大抵はどちらも、多かれ少なかれ、「もう結婚はコリゴリ」 と思っていますので、駆け落ちしようとか、お互い離婚して結婚しようみたいな流れになるのは稀(まれ)ですが、既婚者と独身者の場合は、また違う感情が入ってきます。
独身者の場合は、特に 「結婚願望」 はなかったとしても、「恋愛の最終ゴールは ”結婚”」 と思っているひとが少なくありません。
相手方の既婚者の方は、家庭を壊そうとまでは考えていないひとが大半ですので、独身者側には一層の 「割り切り」 が、既婚者側には一層の 「配慮」 が求められます。

この場合、既婚者側が、きちんと関係を調整できればいいのですが、それが出来ない場合は、泥沼になりやすいばかりでなく、独身者側の考え方が 「幼稚(ようち)」 な場合は、仕返しではありませんが、家族に暴露されるみたいなトラブルに見舞われるケースもなくはないので、慎重な対応が求められます。

望ましい 「不倫」 があるとすれば、それはお互いが精神的に自立しており、お互いが相手の家庭を思いやり、双方が家庭を巻き込まないように注意していること。
お互いに 「一番」 は家庭であり、相手は 「二番」。不倫相手に望むのは、家庭で満たされないものを補う(おぎなう)に留めるということを、きちんと認識していることです。

SM における主従関係の場合は、S の 「主」 側にその辺りの舵取りも委ねられます。
SM も現実には多くの場合 「不倫」 を内包していますが、トラブルが少ないのは、「主従関係」 という、現実の社会には存在しない特有の世界・特有の枠組みがあるために、意識の切り替えがしやすい。要は、割り切りやすいためです。

しかし、通常の不倫関係の場合は、お互いが対等であるだけに、双方の思惑にすれ違いがあったりすると、もめる原因ともなりかねません。
これからの時代は、「割り切り」 を意識する意味でも、最近流行りの 「セックスフレンド」 という表現ではありませんが、「お互いに慰め合い(なぐさめあい)もする ”仲の良いお友達”」 みたいな接し方も、もしかしたら、アリかも知れません。
2016/01/01

勧める不倫と勧めない不倫

不倫は、しなくて越したことに間違いはありません。
しかし、それは行動上の話だけではなくて、心の中の願望を含めて・・・の話です。

まず、若い世代に多いのは、恋人やパートナーの浮気に直面して、してしまったりする 「仕返しの浮気」 です。「目には目を、歯には歯を」 と言ったところでしょうか。
自分が心を寄せる相手による裏切り。「それを許して、自分の心の中のわだかまりを何とかしたい!」。その思いは大変結構なことなのですが、「自分がされて嫌だったこと」 を敢えてするのは、自分がそのレベルにまで堕ちることを意味します。
自分なりに相手を選んだとは言え、そもそも自分の心が入っていませんから、後味はさほど美味しくなかったことでしょう。
せいぜい、自分が惨め(みじめ)になって、自己嫌悪みたいな気持ちが沸いてくるのがオチです。
それよりは、何故相手が浮気をしたのか。また、自分がどのような行動を取ったら、相手は自分により夢中になるかを考えた方が建設的と言えます。
なので、このような 「浮気」 はお薦めしません。

現在の恋人や結婚相手とは、もうトキメキがない。そんな動機から、不倫や浮気に走る場合も少なくありません。

お付き合いしている時間も長くなってきたり、一緒に住んでいたりすると、相手の良いところばかりではなく、悪いところも見えてきます。
一緒に住んでいる場合は、いつでも会えるという安心感も手伝って、会話もいい加減になってきたり、セックスもおざなりになってきたりもします。
でも、こういった場合でも、まずはパートナー同士での話し合いが基本です。
お互いに考え方も習慣も違います。まずは、自分でじっくり考えてみて、それでも難しかったら、お互いで問題を共有してみることが肝要です。

しかし、結婚をして、一緒に暮らす生活も長くなってくると、いろいろなしがらみも出てきます。
子供がいる場合は、自分達のことばかりでなく、子供のことも考えなければなりません。
女性であれば、妻・嫁であると同時に、母になります。
夫婦一緒にいることが苦痛になっているならば、「別居」 もひとつの選択肢ですが、離婚することで多くの問題が解決するのであれば、それも選択肢のひとつでしょう。
しかし、旦那には感謝をしているし、家族として愛している。離婚するまでには至らないような、「それなりに円満」 な家庭も少なくありません。

家計が苦しいなら、奥さんはパート勤めに出たりするでしょう。家事や子供の世話も一生懸命こなしている筈です。しかしこうした 「妻」・「嫁」 そして 「母」 としての役割に振り回されて、女としての部分を疎か(おろそか)にされてくると、その欠落をどう充足するかが問題になってきます。
前のコラムにも書きましたが、男性は視覚で欲情するので、自分で処理するのも簡単なのですが、女性の場合は、心も身体も満たされたいという願望が根底にあります。

問題解決の基本は、やはりそれを二人の問題としてパートナーと共有することです。
しかし、言うのは簡単ですが、ここで 「男の性」 と 「女の性」 の違いが、問題解決のための会話を疎外するのです。
本来は、お互いが相手の性を理解した上で、相手を尊重する姿勢こそが大切なのですが、日常生活の中で培われてきた習慣は、そう簡単に変えれるものではありません。

どのような経緯でこのような状況になったのか・・・ということはありますが、ここまでくると 「不倫」 は 「ひとつの選択肢」 かな・・・と思える場合も少なくありません。

2016/01/01

不倫と浮気

浮気や不倫といった行為は、自慢できるような威張れた行為かというと、そうではありません。社会的には後ろめたい行為です。ですので 「ない」 に越したことはありません。それが理想です。

どちらも露見すると、「別れる」・「別れない(別れたくない)」 みたいな論争に発展します。
相手にばれるくらいなら、はじめからしないほうがマシというもの。人を傷つけることは、良くありませんし、ましてや 「浮気や不倫」 を別れる材料としてと使おう・・・なんてことこそ、「人の気持ちを弄ぶ(もてあそぶ)、人にも劣る卑劣な行為」 と言えます。

しかし、不倫や浮気をひとつの恋愛行為としてみた場合、未婚者同士の場合は、当事者間の単なる ”縄張り意識” の侵害に過ぎません。また、既婚者が絡む場合であっても、あくまでも、当事者間の権利を侵害する 「不法行為(不貞行為)」 であって、 「犯罪行為」 ではありません。
ですので、当事者が怒るのは当然ですが、他人にとやかく説教を喰らう筋合いのものではないということ。

浮気や不倫は、どちらも恋愛のひとつの形態と言えますが、そこに至る道のりはさまざまです。
既婚を隠した人と付き合ってしまったことで、本人の意志とは関係なく、そのような状況に陥ってしまう場合もあるでしょうし、既に家庭ではセックスレスであったり、あるいは事実上家庭が崩壊しているといったことに起因して、外に愛を求めたり、お互いに納得尽くめでお付き合いしているような場合もあるでしょう。

とは言え、不和による言い分は、それぞれどちらにも言い分があるもの。どちらか一方の言い分が正しいわけでありません。
ですので、すべてを鵜呑み(うのみ)にして、一方に肩入れをするのも野暮なら、法による規定があるからと、浮気や不倫が如何に悪いかを掘り下げていくのも、野暮というもの。
それが、不倫や浮気の難しさです。

では、不倫と浮気。違いはあるのか?

法律的には、どちらも 「不貞行為」 ということになるので、俗語です。不倫とは、「人の道に反した行為」 という意味。一方の浮気は、「(男女間でうつろう)浮付いた気持ち」 を意味します。
浮気の場合は、「浮気ではなく本気」 みたいに、心の入り方の程度を表すのに使われたりすることもあります。
一般的には、「つまみ食い」 程度の軽い気持ちで手を出した、あるいは関係したみたいな場合は 「浮気」。当事者のどちらか一方に既婚者がいて、ガッツリと心が入っていたり、継続的に会ってたりする場合は 「不倫」 みたいなニュアンスで使われて使われています。