2ntブログ
2016/08/25

「つまらない男」 は、女が変える

世の中、「つまらない男」 ばかり・・・と嘆(なげ)いている女性も、少なくないようです。

 

外国下着のようなオシャレな下着を身に付けて来ていて、テンションがノリノリになっているにもかかわらず、下着には全く目もくれない男を嘆(なげ)く女性は、この世に少なくありません。

と言うか、妙齢(みょうれい)の女性であれば、誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。

 

出会った男性に、質の高いエスコートを期待すればするほど、「また、ハズレくじ・・・」 みたいな雰囲気になってしまう気持ちも解からなくはありませんが、女性を楽しませることの出きる男性は、やはり、それなりの需要もありますし、そうそう、その辺に転がっているわけではありません。

 

普通の男女の出会いでも、SM でも同じですが、相手にばかり、何かを求めるひとは、いつまでたっても、離合集散(りごうしゅうさん)を繰り返すばかりです。

他人にばかり求めて、自分は何の努力もせず、結果を全て 「他人のせい」 にしているひとには、何の進歩もあり得ません。

大事なのは、自分が変われば、自分の器も広がり、その結果、相手のポジションも自(おの)ずと変わる、ということです。

 

もし、自分の相手が、女性の下着の類には全(まった)く関心を寄せず、ガツガツと盛(さか)るタイプの男性であったなら、それを嘆(なげ)き、交換するという手もありますが、自分で躾けるという選択も残されているということ。

 

こういう男性は、ワンコで言えば、餌を目の前にして 「おあずけっ」 が出来ない馬鹿犬です。

そういうワンコは、徹底的に躾(しつ)けなおすしか、ありません。

 

女性の言うことを聞かず、がっつくワンコであれば、もう縛ってしまうしかありません。

そんな高度な縛りは必要ないので、手を縛りあげるだけでも、十分でしょう。男性の自由を奪って、そこから、女心について講義をしてあげることです。

 

下着の良さ、エロチシズムを理解していない男性に対しては、まず、それを十分と理解させないといけない。チラリとスカートをたくし上げて、見せてあげても良いかも知れません。

男性の多くは、視覚で興奮しますので、たっぷりと観察させてあげて、自分が観て欲しいポイントをしっかりと教え込んで、言って欲しい言葉を相手の口から言わせることです。

 

「なんか下着を履いてると、生身よりエロいと思わない?」

 

「ゆっくりと脱がされると、焦らされてるようで、こんなになっちゃうの!ほらっ、こんなに!見て!」

 

下着のエロチシズムを理解させて、あとは、「きちんと口に出して誉めなさい」 ということを解からせる。

 

***

 

「そんな恥ずかしいこと、できないっ!」

 

多くの女性から、そういう返事が返ってきそうですが、その程度の改善努力も出来ないのであれば、もう、諦(あきら)めるしかありません。

あまりにも男性的な、入れて、腰を振って、出すだけの、即物的なセックスを許容するか、あるいは、ナショナルジオグラフィ のテレビ番組 「ザ・カリスマドッグトレーナー (Dog Whisperer)」 に出てくる 「シーザー・ミラン (Cesar Millan)」 のような調教師に馬鹿犬を預けるか、さもなくば、返品して外食する以外に手はありません。

 

男性の要望を一方的に受け入れるばかりではなく、自分の気持ちを相手に伝えるのも大切です。しかし、それでも解からない場合は、手取り足取り教える。

見本を見せるわけではありませんが、自分が主導権を握って、本人に経験させたりすることで、自分が期待することを旨く相手に伝えるというのも、コミュニケーションをとる上ではとても重要です。

 

女性が、その男性のことを 「つまらない男」 だと思ったら、不満ばかりを溜(た)め込むのではなく、自分が、その男を変えるというアプローチもあるんだよ・・・ってことです。

2016/07/06

縁の大切さ

ネット時代の 「縁」

 

某 SNS をやっていて感じること。

そして最近、ネットの絡みで話をしてて、ちょくちょく話題に上る言葉が、この 「縁」 と言う言葉。

 

SNS は、無機的なロジックの集まりに過ぎない筈なのですが、そこにいる利用者達の 「縁」 を介在しているような、そんな不思議な感覚を覚えることがあります。

縁がない人とは、良くも悪くも、繋(つな)がらない。会話もありません。

ところが、縁のある人とは、関係が途絶(とだ)えても、あるところでバッタリと出くわしたり、普段は何の絡みもないのに、何故かリストの何処かに残っていたり。

人との 「縁」 とは不思議なもんです。

 

特にネットの時代に突入してからは、参加する人も多様化して、JUNET やパソコン通信といった一部の人達が使えていた時代とは、明らかに様相が変わってきています。

年齢も学歴も職歴も多種多様。住んでる場所といった制約も受けない SNS の世界は、それだけ現実の世界の 「物理的制約」 から解放されている世界です。

 

そこでは、現実と仮想の世界を区別することもなく、「ありのまま」 を楽しんでいる人もいれば、仮想の世界に限定して楽しんでいる人もいます。その中には、仮想という非現実の世界であるからこそ、現実とは全く異なる姿をして楽しんでいる人達もいます。

 

規定の範囲内であれば、楽しみ方は、人それぞれです。

 

「縁」 とは?

 

「縁」 とは、もとは仏教用語で、インドのサンスクリット語では Pratyaya。「えん」 とか 「えにし」 と読みます。そもそも、仏教では、原因と結果、因果(いんが)において、結果を生じさせる直接的な原因である 「因」 に対して、間接的に働く原因を 「縁」 と呼びます。

「縁」 とは、直接的な原因である 「因」 を助成して結果を生じさせるに至るまでの条件であったり、事情であったり。そういった間接的な原因、「巡(めぐ)り合わせ」 のようなもの。

 

しかし、誰もが、このような原始仏教的な哲学レベルで、言葉を認識しているわけではありません。正しい用法なのか、それとも誤っているのかは分かり兼ねますが、日本では、この言葉が定着して 「ご縁」 みたいな使われ方をします。英語にしてしまうと 「運命 (fate)」 とか、「宿縁(karma)」 みたいな表現になってしまいますが、イメージで言うと、前以(まえも)って出会うように仕向けられているかのような、人と人との 「出会い」 や、「結びつき」、あるいは、「巡り合わせ」 のようなもの。

 

ある人があるとき、何気なく口にした言葉が、それを聞いた人の行動や人生に大きな影響を及ぼしたりする。それなりの年齢に達して、「今ある自分」 というものを振り返ると、そういう記憶も少なからずあったりするものです。

 

「縁」 の捉え方と関わり方

 

自分のことを振り返ると、若い時分は、自己中心的なところが強かったからでしょうか。

何らかのかたちで自分が関与した結果、周囲の人間同士が仲良くなったりすると、何か 「自分が利用されている」 ようで、気分が良くなかったものです。

しかし、よくよく考えてみると、人は皆少なからず、誰かに影響を及ぼし、そして誰かに影響を及ぼされながら生きているのです。

ある意味、社会には、これだけの人が溢(あふ)れているのに、誰にも影響を及ぼしていないのなら、人との接触の密度が、それだけ希薄なわけですから、それも悲しいことだし、誰にも影響を及ぼされていないのなら、それも悲しいことなわけです。

都会の雑踏(ざっとう)ですれ違う多くの人達と同様、居ても居なくても変わらない人しか、自分の周りに存在しないのであれば、それは、自分以外に人がいないようなアリゾナの荒野の砂漠に、ただ一人佇(たたず)んでいるのと、あまり変わらない。

 

自分が触媒(しょくばい)としての働きをするというのも、何かの 「縁」。

そのときの触媒としての自分の存在がなければ、もしかしたら、その人達が出会うことも、なかったかも知れない。

そういう発想に目覚めたとき、自分には、縁を導いてくれた人、縁を介在してくれた人に対する感謝の気持ちも忘れてはいけない・・・そういう風に考えるようになりました。

 

逆に言うと、その大切な縁に関わった人を蔑(ないがし)ろにすることは、自分が大切に思うその縁自体をも、汚(けが)してしまうということ。

縁があるからといって、必ずしも全てがハッピーエンドとなるわけではありませんので、その自分が大切に思う縁に関わった人達を悲しませたり、傷付けてしまったり、あるいは、その逆もあるかも知れません。

しかし、例え感情的なシコリが残ったとしても、自分の中の 「感謝の気持ち」 を忘れてはいけません。

 

「縁」 の作用

 

「縁」 によって人の何が変わるか?

 

「縁」 が生じると、当然そこには人と人とのコミュニケーションが生じます。そして、その人とのコミュニケーションを通して、それが 「恋愛」 や 「友情」 に発展したり、「ビジネス」 に結びついたり、あるいは、それが元で 「トラブル」 が生じたり。様々です。

多くの場合、双方もしくはどちらか片方が好意を持っている場合、そこでは、何かしらの価値観の共有が起こります。

 

しかし人間、この 「価値観」 というのが、なかなか、厄介な代物なのです。

 

「価値観」 とか 「考え方」 というものは、自分の行動を司(つかさど)る個性の本質みたいなものですから、自分にとっては至極(しごく)当たり前なもの、普遍(ふへん)的なものとして認識しています。しかし実際は、人が異なれば価値観も異なって当たり前。それほど違うのが、人の 「価値観」 であり、人の 「考え方」 なのです。

そもそも、個々の人の価値観は、一朝一夕(いっちょういったん)で出来上がったものではありません。

その人の属する地域社会や世代に共通の価値観もあれば、親や家族と共有している価値観もある。当然、自分の趣味や趣向を通して付き合いのある人達と共有しているコミュニティの価値観もあれば、性差により異なる価値観、その人固有の価値観もあります。

そして、その価値観は、時間と共に刻々と変化しています。

 

ある意味、「他人との付き合い」 とは、詰まるところ、異なる価値観が出会い、そして、お互いの価値観を尊重しあい、かつ、共通の価値観に触れることと言っても過言ではありません。

価値観が異なるがゆえに、そこにエゴのぶつかり合いが生じるわけです。

 

***

 

次回は、纏めきれるかは解かりませんが、人の 「価値観」 について、整理して考えてみたいと思います。

 

2016/05/17

セックスレスと不倫の実態

そもそも、セックスレスと不倫って何か相関関係的なものは、あるんでしょうか?

 

セックスレスで不倫している人もいれば、セックスレスでないにもかかわらず不倫している人もいます。

 

先に自論を言ってしまうと、

 

最近は、日本で急速に進む 「少子化」 に絡めて、何かと日本人の 「セックスレスの増加」 が社会問題として取り上げられますが、しかし、「セックスレス」 という用語自体、セックスの 「質」 ではなく、セックスの回数しか見ていない、無機的な社会的指標に過ぎません。

経済で言えば、「日経インデックス」 みたいなもの。

 

好きな人と、身も心もとろけるくらい求め合うセックスも、1回は1回。

気持ち良くはないけど、半ば義務的に付き合ってるセックスも、1回は1回。

一方的に、入れられたと思ったら、すぐ出されて終わりの 「生物学的生殖」 も、1回は1回です。

 

一方の 「不倫」 は・・・と言うと、セックスも関わりはなくはないけれども、求めているものは、心の満足感や安心感、それから充足感といった 「質」 です。

 

ですので、セックスレスと不倫は、何らかの因果関係はあるとは思いますが、社会的には、「風が吹くと桶屋が儲かる」 みたいな性格のもの。

このため、何らかの相関関係があって、「セックスレスが改善されたから、不倫が減る」 とか、そういう短絡的な関係ではない、と観ています。

 

 

セックスレスに関わる要因

 

セックスレスになる要因は、いろいろあると思います。

既に結婚や交際が破綻している場合もありますし、性的に機能しない場合もあるのかも知れませんが、それ以外にもいろいろあります。

 

自分の精神的な状態も大きく関係してると思います。自分のことで精一杯なとき。溺れかけているような状態のときは、精神的にも余裕がありませんから、多分アドレナリンは出まくり。

はっきり言ってそれどころではありません。

体調が優れないときには、なかなかその気になれないのは、誰しも一緒でしょう。

病気でどこかが痛かったりすれば、その程度にもよりますが、セックスにはなかなか集中できないでしょうし、慢性的な睡眠不足に陥(おちい)っているような場合は、とにかく寝たい。

肉体的な疲労は、適度な疲労であれば健全。性欲も高まりますが、慢性的な疲労で、疲れがどっぷりと溜まっているような場合は、やはり休息を優先したくなる。

家庭環境的には、子供がいたりすると、いろいろと割り込みが入りやすくなります。

乳幼児の場合は、どうしてもそちらが優先されてしまうでしょう。子供が大きくなって多感なお年頃ともなると、子供が寝静まるのをただひたすら待ち続ける家庭も少なくないかも知れません。

また、夫婦の諍(いさか)いが多いと、当然ですが、夫婦間の蟠(わだかま)りも多くなります。

女性は、ただでさえ、妻・母・嫁など役割も多く、その使い分けに振り回されて、女としての自分を見失いがちになりますし、夫婦間に蟠りがあったりすると、男と女の方の関係も 「ぎくしゃく」 してしまって当たり前です。

 

これに加えて、女性には 「生理」 の期間もあります。

 

こうやって、ちょっと考えてみただけでも、結構、いろいろなハードルがあるものです。(^^;)

 

常に機会を見計らっているというのも、大変なものです。

 

タイミングを見計らっているだけで、待ちくたびれてしまいますし、仕舞いにはどうでも良くなってきそうです。

それでも、他に何らかのスキンシップがあるならば、またそれがキッカケになるのかも知れませんが、そういったものがない場合、一度切れてしまうと、なかなか再生するキッカケをつかむのも難しいもの。

 

何かの記事で見かけたことがあるのですが、男性は、何回も女性にお伺いをたてるものの、毎回拒絶される。そうしてるうちに、だんだんと、プライドも傷つけられてきて、セックスレスになる場合もあるそうです。

体調が優れないなら、致し方ないところもあるとは思うのですが、自分中心に考えて、自分が絶好調のときだけ 「追いで」 みたいなことをして、調子にのっていると、いざ、自分が欲しいときに相手にしてもらえなくなる。

SM を愛好してる人間から言わせて貰えば、セックスを 「餌」 に使うのは構いませんが、「罰」 に使うのは良くありません。

結局は、結婚相手に対して思いやりがあるかどうか。大事なのはその辺です。

 

以前、幾つだったか、その方の年齢は忘れてしまいましたが、50代でしょうか、それとも、もう60代だったでしょうか。しかし、未だに夫婦間で仲も良く、普通に夜の営みもあるという方がいたので、話を聞いたのですが、このときに感じたのは、いっしょにお風呂に入る習慣があったこと。

単に毎回一緒に入るというだけの、何気ない習慣ではありますが、それが常にスキンシップを継続する要因に思えてなりませんでした。

 

相手に対する思いやりを忘れず、スキンシップのある生活習慣を築くこと。それがセックスレスに対する特効薬のような気がしてなりません。

 

 

セックスの質を考える

 

セックスは、単に性的欲求を満たす行為ではありません。

セックスは、性的欲求と同時に、心を満たす行為です。

セックスは、性的欲求と同時に、不足している何かを満たす行為です。

理屈ではない安心感。

それは、お互いが向かい合って、見つめ合い、求め合い・・・

そして、お互いがいたわり合うことで始めて生まれるものです。

 

男性が単に一方的に入れて出すだけの性交なんて、言ってしまえば、女性の肉体を借りた自慰のようなもの。

夫婦の価値感は多様ですので、押し付けるつもりはありませんが、しかし、生殖に必要最低限の行為なんていうのは、もはや 「セックス」 ではなく、動物のしているのと同じ、単なる 「生殖行為」。

 

性的な快感だけであれば、簡単に満足できます。

自慰は、謂(い)わば応急処置のようなもの。対症療法です。(笑)

しかし、それだけでは、満足出来なかったりします。心が虚(むな)しく感じたりする。

自慰だから、満足できず虚しく感じたりするのか?

そんなことはないでしょう。

女性であれば、セックスして、身体を重ねあっていても、心が寂しくなった経験のひとつやふたはある筈です。それは、「単なる肉体関係」 にある人だったかも知れませんし、あるいは、「カレシ」 や 「旦那さん」 だったかも知れない。

 

不倫をする女性も、その多くは、性的欲求もあると思いますが、それ以上に 「心」 であったり、「自分が不足に感じる何か」 を満たしたくて、外に出ているのではないでしょうか?

 

家庭では満たされないから、外に求める。

 

まあ、食事であれば、ごく当たり前、日常的なことです。

 

しかし、「旦那さん」 が求めているにもかかわらず、感情的なもつれ等の理由から、「夜の営み」 を断り、自ら 「セックスレス」 の状況を作っておいて、その一方で、自分は外で 「不倫」 を享受するなんていうのは、ちょっと考えてしまいます。

とは言うものの、強引かつ突然に、半ば無理矢理に求められる 「夜の営み」 が苦痛で苦痛で仕方がないと涙で訴える、そんな DV に近いケースもあったりします。

 

ですので、セックスレスであるかないか。

あるいは、月にセックスを何回しているか。

 

それ自体は、参考にはなるかも知れませんが、必ずしも 「幸せ」 のバロメータにはならないのではないか、と思ってます。

 

 

セックスレスと不倫の実態

 

では、現在、セックスレスと不倫の現状はどのようになっているのでしょうか?

 

セックスレスの実態

 

2011年の厚生労働省による調査によると、夫婦によるセックスが、1年以上ない夫婦は、40.8%。その内訳は、1年から10年が 22.7%、11年以上は14.3% です。

調査対象は、16 歳から 49歳ですので、未だにお盛んな自分が調査対象に含まれていないのは、なんとも釈然としませんが、女の花は 35歳から 55歳。そんな魅力あふれる世代のなんと、4割の夫婦が1年以上もセックスレス というのは、驚くべき数値であると言えます。

しかし、この数値は、あくまでも夫婦や自分のパートナーとのセックスです。

 

では、それ以外の人とはセックスしていないのでしょうか?

 

「性欲」 は、「人間の三大欲求」 のひとつ。これは、「第一次欲求」、あるいは、「生理的欲求」 とも呼ばれますが、人として生命を維持し、その種を保存していく上で必要とされる、最も基本的な欲求のひとつな訳です。

欲の皮が突っ張ってる連中の 「金銭欲」 や 「名誉欲」 みたいな 「薄汚い欲望」 とは違います。その証拠に、これらの 「欲求」 には限度があります

際限なく欲しがる 「欲深さ」 とは異なる、「動物に本来備わっている欲求」 と言っても良いかも知れません。

 

不倫の実態

 

さすがに厚生労働省の調査では、その性欲の捌け口までは追跡調査していないようですが、2013年に 47都道府県の20歳から60歳までの男女延べ14,100人を対象に実施された相模ゴム工業株式会社による大規模な調査 「ニッポンのセックス」 によると、

結婚相手・交際相手がいる人で、それ以外の人とセックスがない人の割合は、男性で 73.1%、女性で 83.7%。このアンケートの設問によると、現時点での状況と思われますが、実に、21.3% の人が浮気中と回答しています。

 

実は、こういうアンケートは、その評価が大変難しいので、この数値をそのまま信用することは出来ません。何故ならば、セックスに関するアンケートに回答する時点で、セックスにポジティブな人達とネガティブな人達を選別してしまっている可能性があるためです。

ちなみに、この相模ゴムの調査によると、セックスレスであると認識しているのは、既婚者の 55.2% という結果になっています。設問においてセックスレスの定義が明確に規定されているか。その辺は微妙なのですが、日本性科学会の定義によると、セックスレスは、1ヶ月以上性交渉がない状態 のことを言うそうです。この定義に厚生労働省の調査を換算すると、セックスレスの割合は、49.8% になるということ。

この値からみると、多少の数値の乖離は見られますが、

  • 夫婦やカップルの、5割はセックスレス(1ヶ月以上セックスをしていない)
  • 夫婦やカップルの、2割(男性 26.9% 女性 16.3%)は現在浮気中

ということになります。

もっと興味深いのは、「セックスフレンド、浮気相手とは何処で知り合いましたか?」 という設問。オリジナルの集計結果を再編集していますが、こんな感じ。

 

 同じ学校・同じ会社 31.7% (10.3 + 21.4)
 友人・友人の紹介 30.3% (13.9 + 16.4)
 クラブ・ディスコ・キャバクラ・合コン・飲み屋 14.3%
 風俗店 4.6%
 SNS・ソーシャルゲーム 5.6% (4.4  + 1.2)
 出会い系サイト 6.4

 

リアルな出会いによる不倫・浮気は、風俗店の利用を除くと、全体の 76.3% であるのに対して、出会い系を含めたネットによる出会いは、全体の 12.0% に過ぎないこと。出会い系を排除すれば、全体の 5.6% 程度に過ぎません。

世の中の不倫の大半は、今でもリアルな出会いが中心。

同じ会社・同じ学校・友人や友人の紹介で、全体の 62.0 % が占められているのです。

風俗店の利用は 4.6%、風営法の絡むお酒の世界で 14.3%。両方をあわせても 18.9 %に過ぎません。

 

この統計を見る限り、不倫や浮気相手とは SNS を通じて連絡を取り合ってるかも知れませんが、出会いはリアルが全体の 3/4 を占めており、ネットにおける出会いは 12.0% 。SNS やソーシャルゲームといった直接的な出会いを目的としていない範囲に限定すれば、たったの 5.6% に過ぎません。

 

SNS とかで知り合って、それがキッカケとなって不倫するようになった人達よりも、仕事上で知り合って不倫する人達の方が、4 倍も多い・・・ということになります。

まあ、実際の労働者人口と SNS などのサービスを積極的に使用している人の数を比べれば、その差は歴然としていますので、そんなものかも知れません。

しかし、セックスレスの家庭が 50% で、現在、不倫をしている人達は全体の 20%。

そして、そのうちの 3/4 はリアルな出会いで発生している・・・というのは、大変興味深い結果と言えます。

 

2015年9月の 「女性セブン」 で紹介された 「既婚者の女性300人 『不倫』 アンケート」 に基づき書かれている "まとめ記事" 「妻の浮気実態調査まとめ 【不倫相手・デート頻度・交際期間等】」 もなかなか参考になります。(笑)

 

この記事によると、

 

結婚後、夫以外(アイドルや芸能人を除く)に対して恋愛感情をもったことのある女性は、全体の 34.4%、そして、全体の 20% の人が、浮気や不倫を経験しているということ。

そして、その浮気相手(複数いる場合は、最近お付き合いした人)の内訳は、次のようになっています。

 

 自分の職場

 48.3 %
 夫の職場 1.7 %
 友人・知人の夫 5.0 %
 学生時代の友人・知人 5.0 %
 元カレ 15.0 %
 子供絡みの関係者 0 %
 配達、工事 0 %
 出会い系 15.0 %
 その他 10.0%

 

この調査の母数は 300人ですが、仕事関係が、50%、友人など交流のある人との絡みが 25%、SNS などのネット系は全て出会い系に回答が集約されているのかは不明ですが、それが 15% という結果になっています。

やはりここでもリアルな出会いが、全体の 75% を占めていて、ネットは 15.0% 程度に過ぎないというのは、面白い結果です。

ここで面白いのは、元カレが 15.0 %を占めるというところ。

 

もうひとつ面白いのが、現在浮気中の男女比です。男性は 26.9 %、女性は 16.3 % で、浮気をしている人自体は女性よりも男性の方が多い ことになります。しかし、この調査は、今までに浮気をしたことがある人を聞いているのではありません。現在しているかどうかです。

この調査では、都道府県、性差、世代で偏(かたよ)りが生じないように、男女同数で一定量の母数が確保できるようにスクリーニングされています(1都道府県 300名 性世代均等割付)

しかし、男性だけでは浮気できません。(笑)

 

これは、何を意味しているかというと、全体の 16.3% にあたる女性が、全体の 26.9 % にあたる男性を支えているという現実です。

つまり、浮気男の数は浮気女の数よりも絶対的に多いのですが、こなしている人数、経験した人数については、女性の方が多い ということ。

 

イギリスで、不倫経験のある男女 4000人を対象にしたアンケート調査によると、不倫相手の経験人数は、男性は平均で 1.8 人であるのに対して、女性の平均は、2.3人という結果が出ています。

The UK Adultery Survey 2012 - Female Cheaters More Promiscuous Than Men!

国民性の違いなどはあるかも知れませんが、同じ傾向が出ていることは大変興味深い。

 

自分は多頭飼いであることを自認し公言していますが、複数の男性に触手を伸ばしている女性も少なくない・・・というよりは、このデータからは、女性の方が男性よりも 「お盛ん」 であることを表しています。(笑)

 

しかし、こういう風に書くと、「やりまん女」 と女性を罵(ののし)りたがる 「僻(ひが)み男」 が喜んでしまいそうですが、自分のゴールが見えなくなっていて、とっかえひっかえしている女性も一部にはいるものの、そのような女性は、やはり統計的にみた場合は極少数ですので、統計値を底上げするほどのインパクトはありません。

では、何故女性の方が多いかと言えば、女性を最低限の満足すら与えることの出来ない男性が、一定数存在するからでしょう。

 

***

 

残念ながら、これらの統計値から、セックスレスであるから不倫が増えるということは説明できませんでした。

家庭では、セックスレスでないのにもかかわらず、不倫している人もいます。

面白いのは、相模ゴム工業の調査 「セックスが少ないと答えた方に対して、『もっとセックスをしたいと思いますか?』」 という設問です。

女性では、「思う」 と答えるのは、20代で、約6割(59.7%)ですが、40代になると4割弱(37.5%)に落ち込みます。

セックスが少ないと答えているにもかかわらず、もっとセックスをしたいとは思わない女性がコンスタントに増える一方で、男性は、40代をピークにそれ以降は若干衰えは見えるものの、7割から8割の男性は 「思う」 と回答しています。

この設問は、「非公式らしき他の資料」 を見ると、既婚者または交際相手がいると答えた 11,368人に聞いた 「あなたはご自身のセックスの回数をどう思いますか?」 という設問の回答を受けているようです。

ちなみに回答の選択肢は、多いと思う、まあ多いと思う、普通だと思う、少ないと思う、非常に少ないと思うの5段階評価。

要は、「正規のパートナー」 との性交回数と期待度を確認しているようです。

ちょっと面白いので、キャプチャー画像を添付しておきます。(笑)

 

 

既婚・交際相手がいる人の 約6割 が、セックスの回数を少ないと思っている。

 

既婚・交際相手がいる 11,368人のうち、セックスが少ないと感じている 6,703人に聞きました。もっとセックスをしたいと思いますか?

 

セックスの回数が少ないと思っている人の 約半数 がもっとしたいと思っている。

 

そのうち 男性の方が圧倒的 に 「もっとしたい」 と思っている。     ((((;゚Д゚)))))))

 

女性は30代からセックスをしたいと思わなくなる。  ????

 

このプロジェクトの会議には、女性社員は参加していなかったのでしょうか?(苦笑)

社員一同 「男根」 に被せることしか関心を持っていませんので、どうも皆さん 「男目線」 になってしまっているようです。

 

セックスをしたくない理由。男女間で微妙な差異はありますが、① 面倒くさい、② 性欲がない、③ 仕事や家事などが忙しく疲れている、というのが男女共圧倒的な理由になっています。

あとは、年代があがる毎に、④ 年齢的にもう良い、という回答が増加します。

 

しかし、この回答、女性に関して言えば、授乳期における性欲の消失を除けば、① ただ入れて出すだけのセックスは、全然気持ち良くもなんともないので 「面倒くさい」、② 旦那・パートナーにはときめきを感じない、③ 旦那・パートナーが家事を全然手伝ってくれないばかりか、家事の大変さを全然理解してくれないので、肉体的にも精神的にも忙しく疲れている・・・ということではないのでしょうか?

 

セックスが少ないと答えた 30代の女性では、52.5%、40代の女性では、62.5% がセックスをしたくないと答えています。

しかし、セックス自体もうしたくない、というわけではなくて、旦那やパートナーとは、セックスしたくない のです。(笑)

 

既に家庭生活が崩壊寸前であることを連想させる回答。結婚(交際)相手に愛がない(全く愛を感じないの意か?)という回答や、結婚(交際)相手とのセックスに飽きている(飽きるほどセックスしたの意?)と答えた人はいずれも 10%以下です。

 

既婚者においては、セックスレスが先か、不倫が先かは実に微妙なところです。

30代は、男性も女性も一番社会に家庭に翻弄される時期です。

日常の家庭生活のわだかまりなんかも出てくる頃でしょう。

 

「不倫」 だけを取り出して、叩いたところで、不倫を前提に結婚するひとなんか、そうそういるわけでもありません。

 

皆さんの結婚生活・恋愛の位置付けを確認して、今後の生活を、より豊かにするために、あるいは、自分の不倫の正当化は出来ないまでも、「自分だけじゃない」 ことを確認するために、統計を参考にしてみるのも面白いかと思います。

2016/05/11

不倫のススメ (2)

「不倫中の30代女性 『社内で ”午前中不倫” が流行っています。』」

 

ドラマの 「昼顔」 も知りませんし、最近の不倫は、亀山早苗さんの著書 「妻たちのお菓子な恋」 に擬(なぞら)えて、”おやつ型不倫” って言うんですか?

・・・と思いきや、この記事の出所は 「週間女性 PRIME」。出版社は、「妻たちのお菓子な恋」 と同じ 「主婦の友社」 ではありませんか。テレビの番宣(番組宣伝)のようなもの。(苦笑)

 

主婦の浮気を煽(あお)るとは、まさしく 「主婦の友社」 ではありますが、「旦那の敵社」 とも言えそう。しかし、不倫を謳歌(おうか)している自分的には、「主婦の友社」 を批難することは、即(すなわ)ち、「天(てん)に唾(つば)を吐く」 ようなものですから、ここはひとまず共闘して、自分のことを 「主婦の友」 と呼ぶことにします。(笑)

 

 

この本では、不倫主婦 66人の修羅場と失敗を綴(つづ)っているそうです。

 

普通の ”不倫” は 「男女の関係が対等」 であるだけに、お互いの認識の違いや、思いに温度差が生じると、途端に破滅へと繋がりやすくなります。

 

不倫は甘いものですが、調子に乗ると、思わぬ落とし穴が待っているもの。

既婚者の場合の不倫は、あくまでも、自分の結婚相手では満たされないもの。その一部分を補(おぎな)ってくれる存在として 「割り切れない」 と、自分の気持ちを相手に入れ込んでしまったり、あるいは、家族を省(かえり)みなくなってしまったりと、破滅に向かって突き進んでしまいがちです。

 

世の中は無常(むじょう)であり、人は弱い存在であることを知り、この世に永遠なるものは存在しない。

そんな中で、一時ではあるかも知れないけれども、そこに自分を支えてくれて、お互いに愛を交歓できる人がいる。

しかし、出会いがあれば、別れもあります。

お互いに、相手に対して感謝の気持ちを持ち、お互いの置かれた立場を尊重できる・・・そういう 「大人の考え」 が出来ない人には、向いていない恋愛とも言えます。

 

不倫ですから、当然、許されない恋。お互いに忍ぶことが出来なければ、続かない恋です。

 

不倫の一方が、独身者の場合は尚更(なおさら)です。

 

独身者の多くは、結婚に憧(あこが)れていたりします。また、家庭を共にする男女関係と、一時の逢瀬(おうせ)を楽しむ男女関係の決定的な違い。家庭を共にするということは、苦痛や悩みの共有でもあることを理解出来ていなかったりします。

既婚者と未婚者の決定的な違いは、この 「結婚感」 にあると言っても過言ではありません。

その盲点を突いて、結婚を匂わせて、独身者と不倫するような既婚者は最低。ゲスの極みです。

この場合は、相手も心が浮付いた 「浮気」 ではなく、「本気」 であるだけに、思い通りに進まない場合、関係は極めて不安定になり、拗(こじ)れやすくなります。

 

また、自分自身、過去に実際に経験していますが、一方が、独身者であっても、離婚経験者だから、その辺は十分に解かっているだろう・・・と勝手に思い込むのは禁物です。

一時の逢瀬が楽しいからと言って、家庭を共にしたから、その幸福度が倍増するかと言うと、そうとは限りません。しかし、それをその相手が十分に認識しているかというと、当たり前ではありますが、人それぞれ。盲目的に結婚を期待している人なども、中にはいたりするわけです。

男女の思惑に温度差があると、当然、そこには軋轢(あつれき)が生じます。

最初にお互いが話し合っていたとしても、付き合いが進むにつれて、実態がかい離していく場合も多々あります。

 

不倫が難しいのは、男女の距離感をどれだけ維持できるかによると言っても過言ではありません。

しかし、人の感情は移(うつ)ろいやすいもの。好きになり過ぎてもいけないし、かと言って、どちらかの気持ちが離れてしまったら、それはもう終局以外の何物でもありません。

 

恋愛の鎖が切れて、恋の矢印が一方通行になったとき、相手を思いやる気持ち。そこに 「愛」 があるかどうか。そこに相手に対する 「感謝」 の気持ち。あるいは、自分の 「怒り」 や 「不平」 を抑えようとする気持ちが働くか否かによって、不倫は、人生の甘くて切ない思い出にもなり得るし、また、壮絶な修羅場にもなり得るのです。

 

この本は、軽いタイトルに仕上げてはあるのもの、それは不倫に興味のあるひと、もしくは、現在不倫している人達に本書を読ませるための策であって、この本の狙いは、不倫の修羅場や失敗談を載せているという点では、「不倫に対する警告」 的な意味合いもあるのかも知れません。

 

不倫に限らず、恋愛は、双方の合意によって始まり、双方の合意によって終わりますが、その賞味期限は、あくまでもお互いが見つめ合っている間に限定されます。

賞味期限が過ぎた後は、恋の空回り。恋の一方通行があるのみ。

割り切れない 「恋心」 を割り切る意思と、相手のことを思いやる気持ちがないと、それこそ、「可愛さ余って憎さ百倍」。

 

どんなに祝福を受けた結婚であっても、血みどろの離婚劇を迎える場合があるわけですから、不倫に至っては、それ以上の破壊力を秘めていることを、お互いに認識しておく必要があるわけです。

簡単に自分のエゴを押し通そうとする人にとっては、多分、不倫は実りよりも、弊害のほうが大きい恋愛であること。それを認識するという意味でも、この本にある実例は、不倫に興味をもっている人や、実際に不倫をしている人達にとって、良い教材になるのではないかと思っています。

 

***

 

過去の記事にも何回か書いていますが、巷(ちまた)の不倫は、SM のカップルと比べるとトラブルになる危険がいっぱい。

SM の場合は、その関係の継続を含め、全ては主の裁量次第。おかしな輩もいないわけではありませんが、人によって差異はあるものの、S と M という枠組み自体はある程度固定的です。

これに対して、巷の不倫の場合は、人が変わればそのバリエーションも大きく異なります。また不倫の認識も、不倫相手に対する期待する思いも、人それぞれ。

どちらの場合も、別れに際しては、「お互いの納得」 が必要であることには変わりありません。しかし、SM の場合、S は一方的に関係を断ち切ることが許されています。

M は、全てを S に委(ゆだ)ね、S はそれをしっかりと受け止めるのが SM。

当然、「判断」 も S に委ねられますので、M はそれを受け入れるしかありません。

その関係に 「愛」 があれば、どちらの 「苦しみ」 も一緒です。

しかし、別れに際してのトラブルは、SM では少ないものの、巷の不倫の場合は複雑化する場合も少なくありません。

 

不倫は、「割り切って」 している人もいれば、軽い気持ちで始めたにもかかわらず、ガッツリとのめり込んでしまう人もいます。

自分を取り繕(つくろ)う余り、綺麗事ばかり言う人もいれば、本音が言えない人もいるでしょう。また、自分勝手に 「この人はこうだ!」 と思い込んでる人も、いたりするかも知れません。

そもそも、相手も自分と同じように認識し、自分と同じように考えていると思っているのであれば、それこそナンセンスです。

 性格も、考え方も認識も違うからこそ、相手をより理解しようと、相手の心を見つめる必要があるのです。

 

不倫に勤(いそ)しんでいる人達は、少なくとも、この本に紹介されているような修羅場や失敗を避ける意味で、一度はカップルで、この本に目を通しておいたほうがいいかも知れません。 

2016/03/06

中折れくんをどう扱うか?

知っているひとは知っている、通称 「中折れ」。

勃起はするのですが、男性器の硬さを維持できず、膣(ちつ)への挿入が困難になったり、あるいは、射精がないにもかかわらず、性交の途中で、膣内で十分な勃起状態の維持が困難になることを言います。

 

中折れは、勃起不全なのか?

それとも、インポテンツ?

用語の違いから、原因やメカニズムに至るまで、その辺は全く詳しくないので、ネットで調べてみましたが、中途半端なコラムよりは、Wikipedia の 「勃起不全」 の説明が包括的に書かれていたような感を受けます。

 

自分の場合は幸いにも、未(いま)だに現役。スギちゃん並みにワイルドに活動してはいますが、しかし、齢(よわい)も五十路(いそじ)。当然ではありますけれども、流石(さすが)に三十路(みそじ)の時分と比べれば、勢いも硬さも衰えてきています。(苦笑)

当時は、それこそオールナイトで 「抜かず3~4発」 なんてことも出来ましたけど、さすがに今は無理。

未だに、一回に平均3時間くらいの時間はかけますが、6時間程度のフリータイムで、2発が体力的にも限界です。しかも、当日よりは翌日の方が、体力的な消耗がきつい。(苦笑)

飲みすぎたりしない限りは、未(いま)だに、実用には十分耐えられる状態にはあるものの、しかし自分も、そういう意味では、いつ 「中折れ」 を経験してもおかしくない年齢にあります。

 

 

某 SNS で相談に乗った範囲では、「中折れ」 相談で一番若かったのは 30代後半。相談者は、その人の彼女だったと思いますが、その男性は、「ストレス」 や 「心意性」 によるものだとして、”青い薬” の摂取は拒んでいるとのこと。

 

自分が知っているもうひとりの男性は、某 SNS で仲良くしている主婦(ここでは仮に Y子としておきます)の彼氏(注: 旦那ではない)。齢は四十路(よそじ)半ばか、もうちょっと上。

その彼氏も既婚者らしいのですが、既にその家庭の夫婦生活は破綻しており、愛は全くないという状況。二人はネットで知り合って、付き合い始めて、もう長いらしいのですが、その主婦Y子曰(いわ)く、

 

「あいつは、もう弱くなってダメだわっ。薬飲まないんなら 『別れる』 って言っといた。」

 

(えっ?それだけの理由で切られちゃうんだ・・・)

女性おそるべし・・・

 

しかし、その彼氏は、その彼女と別れたくない一心で、薬を入手し、薬を飲んでチャレンジしてみたところ、「問題ない状態」 以上に回復したらしい。(笑)

その後、また話をする機会があったので聞いてみたところ、

 

「あいつ、あれから自信持ち始めちゃってっ。(苦笑) どうだと言わんばかりに、調子に乗ってばかりだから、やっぱり、あいつは切るわっ!」

 

(~_~;)

 

まあ、もう何年来の腐れ縁。

結局 Y子は、今でも、その彼氏とも付き合っているようではあります・・・。(苦笑)

 

 

男の扱いもなかなか難しいもの。

 

自己中心的な男は、何を言ったところで、”自分” にしか興味がなく、他人の話は聞いていないので何も通じません。話すだけ時間の無駄。(苦笑)

まあ、これは自己中に見られる固有の現象で、特に男性に限った話というものでもないのですが、女ごころを理解していない男性の無神経さと、デリカシーの無さも兼ね備えていたるすると、「男はなんでいつもこうなの?」 となる。(苦笑)

 

しかし元来、男はナイーブなもの。

 

話を聞くと、結構多くのひとが、自分の 「中折れ」 を疲労や精神的な要因と断定し、その後セックスレスに突入している感じがしています。

男の 「つまらないプライド」 による副作用は、数えるとキリがないかも知れませんが、但し、動物の牙や角、タテガミではありませんが、「アソコの大きさ」 をコンプレックスに感じている人も世の中には少なくありません。

無意識ではあっても、そのような人にとっては、「男が勃たない!」 というのは、男の孤剣(こけん)にも関わる一大事であるわけです。

 

だから、女性が気を使えば使うほど、男性は 「うしろめたく」、逆に 「プレッシャー」 を感じる可能性は大いにあります。

それに、男性は、追われると逃げ、逃げるものは追いたくなる習性があります。

男性を傷つけないように、気を使っているつもりが、逆に男性には 「性的交渉の要求」 というプレッシャーを与えてしまう。

 

 

相手を傷つけないようにすることも大事ですが、そこを意識するあまりに、腫れ物(はれもの)扱いをするのは逆効果です。

 先ほどの Y子の例ではありませんが、ドライでなければいけません。

そして、もうひとつは、その本人のショックを打ち消すほどのモチベーションを与えること。

 

お疲れ気味。中折れ気味で、なんとなく釈然としない男。

 

Y子は、単刀直入に、彼氏に対して ”青い錠剤” の摂取を要求しています。そればかりでなく、間髪入れずに、相手の退路を塞いでいます。”飲まないなら別れる宣言” です。(笑)

彼氏は、そこで明らかに意思表示をしないと彼女を失う状況に置かれてしまっているのです。

 

「薬を飲まないと、Y子が逃げちゃう!」

 

彼氏がそのように思ったかどうかは、本人に確認してみたわけでもないので、解かりません。しかし、その彼氏の場合は、咄嗟(とっさ)に 「逃がしてはいかん!」 みたいな感じで 「狩猟モード」 のスイッチが作動したのでしょう。

結果、その彼氏は、Y子の ”飲まないなら別れる宣言” に対して、飲むことをその場で約束し、みごと 「お付き合い」 の回復に成功してるわけです。

 

”飲まないなら別れる” という結論の前に、「中折れは誰にでもあるのよ」、「きっと疲れてるのよ」、「今は良い薬があるの」 などなど、いろいろと棘(トゲ)のない言葉を山のように並べられたところで、そこに 「論理的な説得性」 があるわけでもないので、男にとっては 「ネチネチと説教する上司」 とあまり変わりません。

むしろ、その間、頭(こうべ)を垂れていなければならない分、精神的には苦痛でしょうし、気遣いが感じられれば感じられるほど、本人には 「無言のプレッシャー」 になってしまう可能性もあるわけです。また、防衛本能の強い男性に対しては、自分を弁護するのに都合のいい理由を与えてしまうキッカケともなりかねません。

 

 

そう考えると、Y子のアプローチは、皆さんも最初読まれたときには 「なんだ?この女性?」 と思われたかもしれませんが、彼女は実際に、彼氏に ”青い薬” を飲ませることにも成功してるし、なかなか、アプローチも理に適っている訳です。笑

誰にでも、とれるアプローチではないかも知れません。少なくとも Y子の場合は、彼氏は 「Y子と別れたくない」 という強い意志があったのは事実です。笑

 

実際に夫婦関係であれば、「今更・・・」 みたいな感もあるかも知れません。「わざわざお金をだしてまでしたくない・・・」 みたいな状態にまで、関係が冷え込んでいたら、困難かも知れません。

 

しかし、それでも女性側が不満なら、「じゃあ、回復しなかったときは、外に彼氏を作るけどいい?」 と家庭外セックスの公認を求めてもいいかも知れません。

そういう提案をするだけで、逃げる獲物を追いかける 「狩猟モード」 に突入する男性も、中にはいると思います。笑

 

 

あと、この記事を見ている中折れ気味の男性諸君へ。

 

まず、いくら悩んでも、いくら凹んでも、治るもんじゃないんじゃないの?

「心頭滅却すれば火もまた涼し」 と言えるくらいの精神力があるならまだしも、「気合い」 で治せる自信がないなら、悩まずにさっさと病院に行けば?

神経細胞の破壊が原因だと思うなら、ミチコバールでも処方してもらえばいいけど、あんなの中身は単なるビタミン剤だから、プラシーボ効果以上はあまり期待できないぞ?笑

病院に行ったところで、どうせ、血液マーカーが出るわけでも、超音波エコーなんかで原因が確認できるわけでもない。投薬に問題がないかどうかを確認するだけ。

昔の人であれば、中折れするようになったら、いくら性欲があってもすることができない以上、耐えるしかなかったわけだけど、今は、良い薬があるんだから、処方してもらえるなら、さっさと試してみたら?・・・と言いたい。

薬を使わないのに越したことはないけどさ、薬使わずにヘタレてるのと、薬使ってでも硬くなってるのなら、硬いほうが使い甲斐あるだろ?

糖尿とか高血圧とかで、処方すらしてもらえなくなった後にね、「使いたいっ」 って言ってもさ、「後の祭り」 なんだし。それに

 

その薬を誰に使うのかは、本人の自由なんだから www 笑