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2017/06/18

コンドームの話(2)

 

「コンドームの話」 のつづき

 

「既婚者であれば、コンドームは、女性が買うのが当たり前」 と言うのは、昭和の世代であれば、結婚して女性が主婦として家庭に入っていたことも大きいかも知れません。

というのも、スーパーや薬局では、何箱も入ってセットで 「大安売り」 してますが、男性はなかなかその時間に帰ってくることが出来ません。

家の家計を預かってる主婦であれば、家計の節約も 「内助(ないじょ)の功(こう)」。在庫があったかどうかを思い出して、安いタイミングで買い、無駄な出費を減らしたいというのが主婦の本音です。

 

しかし、これにはわけもありました。要はこの場合、奥さんが旦那の 「コンドーム」 の在庫を管理しているわけです。

旦那が浮気しようとして、こっそりとゴムをくすねようものなら、女性は敏感に反応します。女性の記憶力を舐めてはいけません。女性の記憶力は、下手をするとテープレコーダでも隠し持っているのではないかと思われるぐらい、何年の何月何日かも含めて、どうでもいい昔のことを細かく記憶していたりするのです。

旦那の 「財布」 は、レシートチェックも含めて、女性の嫉妬心を抑え、女性の独占欲を満たすために、定期的に確認するアイテムのひとつでありましたが、旦那の財布や定期入れに未使用のコンドームでも入っていた日には、旦那は無意識であれ半(なか)ば 「浮気宣言」 をしているようなもの。しかし、当時の賢い奥さま方は、何知らぬ顔をして 「容疑者」 を泳がしていたものです。(笑)

というもの、使用した形跡が見られなければ、何も起こらないわけですが、しかし、奥さまの捜査は続きます。しかし、ずっと入れてあったはずのゴムがなくなっていたり、別のゴムに入れ替わっていると、もう逮捕状の請求目前になってしまうわけです。

 

以前であれば、「コンドーム」 は、男の浮気がバレるひとつだったわけです。

 

 

これは、自分が若いときの 「彼女」 から、し組まれたこともありました。当時は、女性もイザというときのためにコンドームを持っていたりしたもんでしたが、「わたしからのプレゼント」 とか称して、その子の持っていた 「ゴム」 が自分の財布の中にセットされるわけです。

不思議に思って 「何で?」 と聞くと、「自分はもう○○ちゃんだけだから、持ってる必要ない」 みたいに言うわけです。

これに気を良くしてしまうと、もう彼女の思う壺なわけです。次に彼女と会ったときに、同じゴムが入ってれば問題は起きないのですが、違うゴムが入っていたりすると、もう質問責めの嵐なわけです。(苦笑)

 

中には、印をつけるために、袋の角の隅を三角に折ったり、切れ込みを入れたりとかも、あったのだとか。
当時もラブホであれば、コンドームを置いてるところもありましたが、そのときに使用するのであればまだしも、そういったゴムを未使用分としてお財布に補給する行為は、ある意味大変リスキーだったわけであります。(笑)

 

(つづく)

2017/06/18

コンドームの話

 

最近は、男性がコンドームを買うのが、一般的なのでしょうか?

まあ、女性が、コンドームを買うのを 「恥ずかしい」 と思うことは、十分理解できます。

しかし、昭和の高度成長期。特に結婚している場合は、女性がコンドームを用意するのが、一般的でした。

 

何故かと言えば、当時は 「家族計画」 みたいな標語でしたが、それ以前は、国の 「産めよ増やせよ」 の号令のもと、10人兄弟なんか当たり前の世界。

戦後、妊娠中絶が合法化されたものの、避妊(ひにん)にも、オギノ式やペッサリーなど、いろいろな方法もあってか、「コンドーム」 は避妊率が高いものの、しかし、必ずしも 「コンドーム」 がメジャーな避妊法でなかったということもあります。

 

特に農村部では、普及が遅れたとのこと。今も同じですが、薬局で取り扱ってはいるものの、そもそも当時は、何処で扱っているかも解らない人も多いし、今も変わりませんが、女性がコンドームを買うのは 「恥ずかしい」 わけです。(笑)

なので、当時は 「コンドーム」 の利用を促進するために、町内会かなんかの回覧で、コンドームが回覧されてきて、取った数の分の料金を入れるみたいな 「愛の小箱」 運動みたいなのが、あったとのこと。

 

自分が子供のときは、薬局に 「コンドーム」 の自動販売機があったのを記憶しています。

まあ、当時は、「自販機」 全盛期なんで、それこそ、都内であっても、ハンバーガーの自販機も、「エロ本」 の自販機もありましたし、「てんぷら蕎麦」 なんかの自販機もありました。

学校で、性教育なんかもありましたし、当時も、カッパブックスとか、若者向けの豆本、今で言う 「ムック本」 みたいなのもあって、自販機で 「コンドーム」 を買って、使う相手もいないのに、装着の練習をした記憶があります。70年代くらいでしょうか。

 

当時の状況を調べてみると、「コンドーム」 による避妊効果もあってか、農村地域でも、妊娠率が半分以下に低下したようです。そういう意味では、当時の政策である 「家族計画」 は成功したのかも知れません。

自分の親は、団塊の世代より上の 「裕次郎世代」 ですが、団塊の世代においては、「コンドーム」 の利用はそれ以上に普及していたわけです。

 

今現在、アラフォーの 「団塊ジュニア」 世代をピークにして、急激に進む日本の人口減少。これは、「社会が経済成長することで、出生率が減る」 などと言われていますが、なんてことはありません。避妊の理由は、いろいろですが、要は、「コンドームの利用が普及」 して、「家族計画」 が行過ぎてしまったのが原因です。

 

当時は、結婚している女性が 「避妊」 のために、「コンドーム」 を求めたわけです。逆に言うと、それまでは、男女の愛の交接においては、女性は、常に 「妊娠」 というリスクを負っていたということです。

ですので、「コンドーム」 の着用をお願いするのは、女性の方からでした。

当時の 「薬局」 の営業時間は、今の 「ドラッグストア」 のように、遅い時間まで開いていませんし、当時も 「コンドームの自販機」 はありましたが、それよりは、薬局で 「コンドーム」 を纏(まと)め買いすると 「安かった」、ということもあったと思います。

 

なので、当時は、せっかくの機会を失わないよう、自分は自分で 「コンドーム」 を隠しもってはいたものの(当時は女性も、隠し持ってる子が多かったですがww)、結婚すると、「コンドーム」 を買うのは 「女性」 という認識でした。

 

(つづく)

2017/06/16

尻フェチ、脚フェチ、巨乳フェチ

とある 「おしゃべり部屋」 で 「フェチ談義」 になったときのお話。

 

ちなみに、ここでの 「フェチ」 とは、フェティシズムの略で、本来は性的な対象でないモノや、身体の一部分に対して、性的な魅力を感じてしまったりすることではありますが、「下着泥棒」 のように 「病的」 なものではなく、どちらかというと 「何にセックスアピールを感じるか?」 的なもの。

 

ここで展開した 「持論」 の 「自論」 とは、

 

「背の高い男には、『巨乳フェチ(巨乳好き)』 が多く、背の低い男には、『尻フェチ・脚フェチ』 が多い」

 

というもの。

 

ちょうど、このときに一緒のお部屋でお話をしていた 「Wくん」 は、身長187cmの巨漢。ためしに、この持論を振ってみたところ、「はい、巨乳好きです。何で解ったのですか?」 というお返事が。(笑)

 

自分の経験則では、身長が175cm を超える巨漢の男性の場合、かなりの確率で 「巨乳好き」 とか 「ポチャ好き」 がいるように、そして逆に、身長が 160cm台以下の背の低い男性の場合は、尻フェチとか、脚フェチが多いように感じています。


そこで、あみだした自分の 「持論」 とは、

異性の 「性」 に目覚めた年齢にもよるかも知れませんが、背の低い男は、女性のお尻や脚に目が行きやすく、逆に、大勢いる中でも、自分の頭や顔がぽっこりと出てしまうような、背の高い男は、かなり高い位置から、下を見下ろしており、女性の頭とか肩くらいしか見えないというもの。要は、背の高い男には、胸の大きい女性や、ポチャの女性が目立つわけで、どうしても、目がそこに行ってしまう・・・というもの。

そして、そうこうしているうちに、どんどん、性嗜好が確立されていく・・・みたいな 「説」 を披露したところ、女性から、鋭い視線で質問が・・・

 

「あの巨乳好きで有名なナイナイの岡村は?」  ((((;゚Д゚)))))))

 

確かに、す・・・するどい、ご指摘 (^^;)

国会の答弁も、もっと、これくらいシャープに斬り込んで貰いたいもんですが。

 

まあ、岡村くんの場合は、背が低いというコンプレックスもあるのかも知れませんし、「榊原郁恵(さかきばらいくえ)」「アグネス・ラム」 あるいは 「宮崎美子(みやざきよしこ)」 の強烈な洗礼を受けた影響かも知れません。

 

  

 

が、しかし、彼の場合は、やはり精神的に 「男になりきれていない」 というか、無条件に女性に受け入れて貰いたい・・・みたいな、女性に対する 「甘え意識」 というか 「授乳願望」 が、「巨乳好き」 的行動に走らせているように思います。

 

***

 

自分の場合は・・・と言うと、常に、前から数えて何番目みたいな子供時代を過ごしていたので、やはり、女性を見ると、足元からお尻そして腰から背中と、下から効率良く?女性をスキャンするクセがついてしまっています。

また、お尻好きなこともあってか、女性のチェックは圧倒的に 「うしろ姿」 が多いので、それもまた 「女性の胸」 に対する執着が低い、ひとつの要因になっているのかも知れません。

 

ちなみに、そんな自分は今、こんなペアダンスにはまってます。(笑)

 

 

取り留(と)めのない話になってしまいましたが

 

某 SNS の 「おしゃべり部屋」 なんかでお話をしていますと、メディアによるステレオタイプ的な 「巨乳好き」 とか 「痩せ信仰」 に反して、「微乳好き」 や 「貧乳好き」 あるいは 「ポチャ好き」 の男性もそれなりに存在しています。

 

もし、この自論が正しいと思えるのであれば、「ポチャの人」 は、できるだけ 「背の高い男」 にアプローチしてみるのも良いかも知れません。

2017/03/23

女性がイクということ(4)

長年の経験で、必要に迫られて身に纏ってきた女性の鎧。それを脱がすことは、並大抵の努力では出来ません。

頭でいくら理詰めで説明してあげたところで、女性は納得したとしても、鎧を脱ぎません。

自分では分かっていても、頭では分かっていても 「脱げない・・・」 それが女性なのです。

 

ところが、前号の古事記の 「天岩戸(あまのいわと)」 ではありませんが、自分の気(注意)が逸(そ)れてしまう要因が重なると、女性は無防備になります。

天岩戸の逸話は、旧約聖書の創世記と同じく童話調です。

言葉はあるけど文字のない時代。人は先祖の言い伝えや、自分の家族のことをずっとこういう逸話で以(も)って、後世に語り告いで言ったのでしょう。

 

当時の鏡は、今で言うとサザビーズなんかで取引されるような、巨大なダイヤモンド。

天照大神は、女性の神様ですから、それだけの貢物を必要としたのでしょう。しかし、それだけではなく、他の神々、八百万(やおよろず)の神、の協力を得て 「どんちゃん騒ぎ」 を演出している。でも、それでもまだ必要十分ではありません。
岩戸から踏み出させるために、女性の嫉妬心を巧妙(こうみょう)に利用しています。そして、岩戸から一歩踏み出した途端(とたん)に退路(たいろ)を断っています。

 

神道における神は、旧約聖書における登場人物に近い性格を持っています。先祖なのか架空の人物なのかは解りませんが、言い伝えに残るほどの人。旧約聖書に出てくる人物、アダムとイブ、カインとアベルそしてノアやエイブラハム。そういう人と近い印象を受けます。

 

大事なことは 「女性の本質」 は、昔も今も変わらないということ。

 

天岩戸に隠れた女性。現代の言葉で言えば 「鎧を何重にも着飾ってしまった女性」 を、表に出すためには、第三者の助けを必要とするばかりでなく、用意周到でなければならないし、当然、オンナゴコロを理解していないといけない。

 

女性は、こういう 「女性の本質」 を突いて、自分の糧(かて)にしようとする 「あくどい連中」 に対する警戒感は解いてはいけません。男の本質を見極める目は、持っていなければいけないと言うこと。しかし 「警戒」 のし過ぎで、鎧の脱げない女になっても、意味ありません。

男性も、貴女の本質を見ていないかもだけど、女性も男の本質を見ていないのです。だから、お互い様。大切なのは、お互いが相手を思う気持ちです。

 

彼女のいない男性であれば、女性の心の成り立ちを理解すること。
そもそも、天照大神がひきこもる原因。まずは、そういうものを作ってはいけない、ということもありますし、そして、そういうシコリのある 「イケてる女性」 を本当に手中に収(おさ)めたいのであれば、それなりの覚悟。自分は玉砕しても良いくらいの覚悟と算段を決めてシコリを取り除いてあげてください。

要は、100%その女性と対峙(たいじ)しなさいということ。自分の勝手な思い込みではなく、しっかりとその女性を見て、受け止めてあげることが大事です。

***

身体に纏(まと)った鎧は脱げても、心の鎧をなかなか脱げない女性が増えています。

 

ありのままの自分に自信がもてない。あるいは、自分の心が傷付くことを怖れる気持ちは、男女の区別なく、誰にでもある感情でしょう。しかし、男女で比較すると、個人差はあるでしょうが、相対的に女性の方が不安を強く感じやすいわけです。また、これも個人差はあるでしょうが、女性はひとつのことになかなか集中しづらい傾向があります。

常にいろいろな不安が浮かんでは、その処理に翻弄(ほんろう)されているわけです。

 

不安に対抗するだけの安心を与える必要があるわけですが、それだけだと 「安全な人」 で終わってしまいます。女性とのお付き合いに至るまでも、そうですが、○ックスにおいてもそれは同じ。そこで、もうひとつ大切になるのが 「ドキドキ感」 です。

女性に興味や関心を持たせ、何かに集中させる・・・すなわち 「意識させる」 必要があるわけです。

天岩戸で、天照大神が関心を寄せたのは、アマノウズメの踊りによって引き起こされた八百万の神の笑いですが、意識したのは、鏡に映った自分の顔でした。

 

女性によって、心がブロックする要因はさまざまです。それを簡単に取り除く方法なんてあるわけがありません。

出来ることと言えば、その人をしっかりと見つめてあげること。そして自分がその人にとって、安心して寄り添える人になるのと同時に、雰囲気を作って、意識させることでドキドキさせ、気が逸(そ)れそうになったら集中させ、余計なことを考える余裕を与えないこと。

要は、女性がイクのを、物理的な刺激だけでなく、精神的心理的な側面からも、男性が手伝ってあげないといけないのです。

 

女性も女性で、「そんなに大変なんだ・・・」 と気落ちしてはいけません。(笑)

 

ク○トリスよりも、中の方の感度が高いということは、それだけ 「中イキ」 を経験しやすい体質であるとも言えるからです。
ただ一般的に言われていることは、ク○トリスの場合は物理的な刺激だけでもイクことの出来る人がいるのに対して、中イキは、女性にも 「イキたい!」 という意識と努力が求められるということ。要は、マグロのように寝転がって、寝たふりをしてるようでは、中ではイケないということです。

2017/03/21

女性がイクということ(3)

では、自分ではイケるのに、○ックスだとイケない女性は、なぜイケないのか?

 

女性の性器の内部構造は、おおまかには同じですが、細かく言うと、いろいろと違いが見られるように、女性器内での神経網の張り巡らせにも大きく個人差が見られることが、最近の研究で確認されています。

 

イキづらい人は、イキやすい人と比べると、ク○トリスの感度が相対的に弱く、膣の中で感じる比重が高くなっている場合を多く見かけます。

クリ○リスの発達を測る尺度として、その大きさなども、確かに参考にはなります。受容器の感度が高ければ、また、その容積が広ければ、当然感じやすいでしょう。

 

しかし、味覚も同様ですが、人は舌の味蕾(みらい)にある味覚細胞だけで食べ物を味わっているわけではありません。その証拠に、鼻が詰まっただけで、普段感じている 「豊かな味わい」 は感じ取ることが出来なくなります。

また、上顎にも味蕾はあります。喉越(のどご)しも食感のひとつですし、コクもそう。

 

人は、好きなものに対しては、あらゆる感覚を総動員できるように作られているのです。

 

それとは逆に、自分の不得手(ふえて)なもの。危険を察知した後は、無意識下ではありますが、自分でその不快を出来るだけ感じないように、身体は防御に入ります。

自分でする分にはイケるけど、どうしてもパートナーとの○ックスではイケないという人の大部分は、このように心がブロックしてしまっている場合が多いように思います。

 

自分ではイケるのに、パートナーとなると一緒にイケない女性は、どうしたら、イケるようになるのか?
答えは簡単。一言で言ってしまえば、この 「心のブロック」 を取り除くことです。
この 「心のブロック」 の仕掛け人は、理性(社会性)をつかさどる前頭前野に、不安をつかさどる扁桃核なので、この二人?を如何にして黙らせるか。
たっぷりとオキシトシンをドーピングすれば良いのです。

理屈では、ここまでは、とても簡単なのですが、ではどうしたら良いのか?

非合法的なアプローチとしては、通称 「エクスタシー」 と呼ばれる MDMA というドラッグがあります。これは、脳内でオキシトシンが大量に分泌されることが解っています。
しかし、薬によって実現出来たとしても、刑法に反する犯罪行為にあたりますし、そればかりではなく、薬の耐性によって、どんどん 「効(き)き」 は悪くなってきますから、はじめたら最後、出口はありません。

こんな非合法的なアプローチに手を染めることは、自らの人生を貶(おとし)めるようなもの。

なので、遊び半分でも、絶対にやっては駄目。


多くの人は 「自分ではイケるんだから、いつかはイケるようになるでしょ?」 と楽観的に捉えます。これは間違いではありません。可能性は残されていますので、自分の人生を悲観的に捉えるよりは、楽観的に捉えるほうがいいに決まってます(笑)

しかし、自分に都合の良い選択ばかりを選んでいて、それが出来るようになるなら、誰も苦労しません。(苦笑)
何故なら、自分が気持ち良くなることをブロックしているのは自分。自分を守る気持ちだからです。
社会生活の中で自分を守る気持ちが前頭前野に、そして不安という意識が常に扁桃体によって自分を守ろうとしています。
女性がオーガズムに到達するためには、そのセキュリティアラームを切らないといけないのですが、多くの女性は、それが怖くて出来ないわけです。

食欲と性欲は、相互に関係しています。そこに社会生活やその人の価値観あるいは理性といったものも介在してきます。そのひとつが拒食症や過食症です。
痛み(痛覚)と快感というものも、相互に関係しています。何故なら、人に限らず、動物には快感を感じる神経細胞は存在しないからです。

「○ックスでイキたいなら、まず自分の鎧(よろい)を脱ぎ捨てなさい。」

と言うことです。
言うのはとても簡単なことですが、しかし、実践となると、なかなか難しい(笑)

「○ックスにおいて、女性の鎧を脱がすのは、男性の役目だよ」 と言っているように思われて仕方がないのが、「古事記」 の 「天岩戸(あまのいわと)」 の逸話です。

まあ、最後に堅い話を持ち出して来て、偉そうな顔をして、話を終わらせようとするのは、オヤジの常套手段(じゅようとうしゅだん)ですが、言いたかったのは、誰かのサポートがないと、なかなか自分ひとりでは、難しいということ。

 

 

一度コツを掴むと、補助輪なしでも自然に自転車に乗れるようになるのと同じ感覚かな?などとも、思ったりします。