良い 「セ☆クス」 と、悪い 「セ☆クス」
久し振りに、「セ☆クス」 や 「エロ」 絡みで納得のいく、「対談記事」 を読みました。(笑)
「幸せなセ☆クスは 『与えあう』、不幸せなセ☆クスは 『要求する』」
まあ、社会学者の 「宮台真司」 氏なので、安心できます。
彼がデビューした20数年前は、正論を吐きつつも、論理の多用が多く、新進気鋭というよりは、それ以上に尖(とんが)がっていましたが、もう、還暦前ですから、当然といったところなのでしょうか。
この対談は、どうやら、宮台氏と AV監督の二村ヒトシ氏の、お二人の共著である 「どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント」 の出版記念イベントを取材したもののようです。
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根底にあるのは、ジョルジュ・バタイユの思想
この本の構成は、実際にまだ、本を読んでいないので分かりませんが、宮台氏が、この対談で述べている
「性愛は、社会の 『外』。法(決まり)の外に出て自由になるために性愛がある ・・・」
という部分は、この記事の中では言及していないものの、ジョルジュ・バタイユ による、「エロスの哲学」 とも言える 「普遍経済的」 思想のことを表しています。
これは、以前、自分の過去の記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(7)」 ほか、幾つかの記事のところでも触れましたが、どういうものかと言うと、”近代の合理的な資本主義的な 「社会システム」 から排除されている、「蕩尽(とうじん)」、「祝祭」、「宗教」、「エロス」 や 「芸術」 といった 「ハレ」 にこそ、人の 「享楽」 や 「悦び」 といった、人の人生の 「豊かさ」 が隠れている” というものです。
「蕩尽(とうじん)」 と言うのは、最近はあまり聞かない言葉ですが、日常生活の社会的活動で貯め込んだものを、一気に消費することを言います。
昔の会社で言えば、会社がお金を出して従業員が行ったりした 「慰安旅行」 のようなものであったり、家族全員で行く 「家族旅行」 みたいなもんでしょうか?
女性の好きな、「何とか記念日」 における贅沢もそうですし、以前、「自分に対するご褒美」 みたいなのも一時期流行りましたが、これも 「ハレ」 であり、自分に買い与えるのは、「蕩尽」 と言えます。
「日本の SM」 で特徴的なのが 「羞恥心」 ですが、これは 「社会」 において、「禁」 を犯したときに感じる感情です。
「性愛」 は 「エ☆ロス」 であるので、「恥ずかしい!」 と思う気持ちは決して悪いことではありませんが、しかし、「ハレ」 であるにも拘わらず、「セ☆クス」 のときに、恥ずかしがってばかりいては、いけないと言うこと。むしろ、「ハレ」 である以上は、「お祭り」 と同様、普段抑圧されているものが解放されなければいけないわけです。
「SM」 もそうですが、「エ☆ロ」 は、悪いことではないけれども、「タブー」 であり続けなければいけないということです。
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社会の 「外」 に出ると生きやすくなる
そして、この宮台氏らの対談で、「目から鱗」 だったのが、
「結婚がゴールであるような恋愛は社会の中でして、でも情熱やセ☆クスの動機づけは社会の外にある ・・・」
としている部分です。そして今、多くのひとは、その辺の訳が、分からなくなっているんだろうと、宮台氏は述べています。
社会の中で恋愛をするには、人目を気にしないといけない。世間から祝福されるような恋愛や結婚の相手と、いやらしいセックスをするのは違和感がある。なんだか興奮しない。だからセックスレスになってしまう……。
確かに、世界的に見ても、日本人ほど 「他人の目」 を意識する人種は他にはいません。
また 「少子化」 は、どの国においても、経済や文化の発展に応じて進んでいるものの、日本人の 「セ☆クスレス」 の比率の高さは異常です。
宮台氏の仮説には、なかなかの説得力があります。
良いセ☆クスは 「贈与」、悪いセ☆クスは 「交換」
そして、もうひとつの 「目から鱗」 は、相手に与える(奉納する) 「贈与」 としての 「セ☆クス」 と、見返りを求める 「等価交換」 としての 「セ☆クス」 について、論理的に説明出来ているところです。
これは、女性に多いかも知れません。多くの女性は全く意識していない可能性がありますし、手玉に取っているつもりかも知れませんが、遊び半分の甘えからであったとしても、「セ☆クス」 に 「条件」 を付けたり、「対価」 を求める言動に、男性は冷めるのです。
頭の回転が鈍かったり、空気の読めない男性がどのように感じるかは知りません。
ちなみに、正確に言うと、「お金で買える女性」 にそのように言われたとしても、何も感じませんし、「お金で処理しよう」 と認識している女性に、そのように言われたとしても、何も感じません。(苦笑)
女性が甘えたい場合は、事後に甘えることをお薦め致します ♪
ここで重要なことは、やはり、「ジョルジュ・バタイユ」 に行き着くのですが、「対価を求める行為」 すなわち 「交換」 は、表の 「経済活動」 に帰着するものであり、「ハレ」 を代表する 「蕩尽」、「祝祭」、「宗教」 などは 「贈与」 で成り立っているということです。
宮台氏らは、決して、見返りを求める 「セ☆クス」 の代表格とも言える 「売☆春」 が悪いと言っているわけではありません。
世の中に一番古くからある職業のトップが 「売☆春」 と言われています。二番目に古い職業は 「王」 だと言った人が居ましたが。ww
あくまでも、「セ☆クス」 には、「良いセ☆クス」 と 「悪いセ☆クス」 がある、という位置付けです。
「ジョルジュ・バタイユ」 風に言うと、「良いセ☆クス」 とは、「ハレ」 の行動であるのに対して、「悪いセ☆クス」 の方は、「ケ」 すなわち 日常的な活動、ということになりますが、そのココロは、やはり、「してくれたから、お返として 『する』 のではなく、お互い相手に対して奉仕(贈与)しなさい。」 と言うことなんだと思います。
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自分は、複数の奴隷ちゃん相手に SM などに興じてる非道な 「はぐれクリスチャン(JWではない)」 ですが、こういう落とし所になると、主イエスが自ら弟子の足を洗い、言った言葉:
「主であり、師でもあるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネによる福音書 13:14)
を引用したくなってしまうのですが、実際にキリスト教会に行って、今でもこの通りに 「主イエス」 の言いつけを守って、足を洗っている教会には、一度もお目にかかったことがありません。(苦笑)
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宮台氏が、秀逸なのは、このあとに 「良いセ☆クス」 と 「悪いセ☆クス」 を説明するために、今、流行の 「セクハラ」 の話を持ち出してきているところです。
彼の解釈によると、「セクハラ」 とは、「日常社会の中での 『力関係』 を利用して、『社会の外』 の営みである 『性関係』 に利用しようとする行為だから、ダサい」 と 「一刀両断」 しているところです。
今まで、ここまで焦点がずれずに、「セクハラ」 の本質を言い表している説明に、出会ったことがありません。
ちなみに、彼らは、対談の中では、以下の映画について、論評しています。
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そこのみにて光輝く (河出文庫) Amazon |
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ちなみに、この記事の後半は、コチラです。(笑)
「自分の性体験を話してドン引きする男なら、すぐに切りなさい」
宮台氏お薦めの、男の選び方が書かれています。
女の心を自分の心に映し出せる力──G・H・ミードの「役割取得」──の有無を判別する簡単な方法。女が「複数プレイをしたことがある」とか「バイブを使ったことがある」と言うと引く男がいるから、それを切ればいい。まともな男なら、複数プレイやバイブで女が「何を」体験したのかに関心を寄せる。それで9割の男を切れる。簡単でしょ?
興味のある方は、是非、記事をまず読まれてみて下さい。
そして、宮台氏の論説に興味の沸いた方は、是非、この本を読まれてみて下さい。
まずは、近所の書店で探してみて、あったらお店で買う。
自分のご近所の小売店を大事にしてあげて下さい。
なかった場合だけで結構ですから、そのときは、下のリンクをクリックお願いします。(笑)
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