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2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない(5)- 飲尿プレイ篇

前回の記事 「都市伝説」という言葉で片づけない(4)」 の続きです。

 

先日、

 

「オシッコを飲んだり飲ませたり、そういうのって SM ?」

 

みたいな質問を頂きました。

 

純粋に、スカトロプレイの類(たぐい)を 「SM」 の括(くく)りに入れてしまうのも、乱暴なような気がしますが、しかし、全く関わりがないわけでもない。

 

「M 性感」 的な風/俗では、小が絡むプレイは 「聖水」、大が絡むプレイは 「黄金」 と呼ばれていますし、「飴と鞭(むち)」 ではありませんが、受け手である M が、そのような性癖を持っている場合は、ご褒美(飴)として与える場合もあるでしょうし、罰(鞭)としてそのような責めを与える場合も、”ない” とは言えません。

しかし、いずれの場合も、糞尿に対する一種の 「フェティシズム」 が絡むと考えています。

 

考えてみれば、「飲尿プレイ(聖水プレイ)」 というものも、常人には理解し難い変態の世界です。

前々回の記事 「都市伝説」という言葉で片づけない(3)」 のところで、SM に絡む話をしたばかりですが、ちょっと SM とも毛色が違うので、独立した記事として、書いてみたいと思います。

 

なお、タイトルを 「スカトロプレイ」 としなかったのは、自分は 「糞便」 を扱ったプレイの経験がないためです。

ア/ナル調教などを望む方には致しますが、しかし自分は、基本 「臭いのは苦手」 です。(苦笑)

 

ということで、今回は 「飲尿プレイ」 に絡めた話。

 

***

 

二人は暗い松の木蔭(こかげ)へ来ていましたが、そう云いながらナオミはそっと立ち止まりました。
「譲治さん」
甘い、かすかな、訴えるようなその声の意味が私に分ると、私は無言で彼女の体を両手の中へ包みました。がぶりと一滴、潮水を呑(の)
んだ時のような、激しい強い唇を味わいながら、………

 

「飲尿プレイ」 と言って、谷崎潤一郎の 「痴人の愛」 のこのシーンを思い浮かべた方は、かなりの読書家と言えるかも知れません。(笑)

 

この記述の解釈については、諸説あるかもですが、

 

終列車で帰る青年達を駅まで送った帰り道。

海から吹く夏の風が涼しい夜道の、松の木陰です。

そういう場所に入るのは、着替えか用足しか青/姦が相場というもの。

このとき、ナオミは早く連中を帰したがっていましたし、二人は近所に住んでるのです。

状況的には、「用足し」 的な状況以外スッキリしません。

そして、「甘い、かすかな、訴えるようなその声」 の意味する所と、「彼女の体を両手の中に包む」 という表現。そして、「潮水」「激しい強い唇」 というワードが続きます。

 

ツンデレの傾向そのものなのですが、ツンデレは 「したくなる」 と、いきなり甘えだしてデレデレするのです。(笑)

そして、彼女の体を両腕で抱きしめるのではなく、「両手の中に包む」 という表現。

「激しい強い唇」 が、上の口ならば、両手で包むであろうものは頭ですが、頭ではなく 「体」 なのです。

全体重が掛かっているから、両手で包むものが 「体」 なのであり、両手で包めるものと言えば 「臀部」 なのです。(笑)

 

***

 

「痴人の愛」 では、「潮水」 はキーワードになっています。

最初の 「潮水」 は、ナオミが若いときに、泳ぎを教えたときに、ナオミに 「わざと突然手をつッ放して」 ナオミに飲ませた苦い潮水。このときの情景が、譲治がナオミの体に魅力を感じ始めるキッカケになります。

二回目の 「潮水」 は、海水浴の後で、ナオミの身体をたらいの中で洗う情景。

三回目の 「潮水」 は、ナオミと仲良くしている、熊谷というけむくじゃらな男から滴る 「潮水」 であり、そして最後の 「潮水」 が、このシーンなのです。

 

若いナオミのカラダに、どんどん魅せられていき、最後は、彼女の馬になりたいがゆえに 「四つん這い」 になった譲治。

 

「痴人の愛」 に直接的な性的描写は、ほとんどありませんが、譲治だけなく青年も含め、四人が一つの蚊帳の中に入り、そして、自由奔放に振る舞うナオミ。

 

「立て膝をして両脛(りょうはぎ)を八の字に蹈ん張っているナオミの足の、一方は浜田の鼻先に、一方は私(譲治)の鼻先」 にあり、そして 「熊谷はと云(い)うと、その八の字の間へ首を突っ込んで、悠々と敷島を吹かしている」 のです。

 

「敷島を吹く」 と言う意味は分かりませんが、しかし、「八の字の立膝の間」 と言えば、今で言えば 「M字開脚した股間」 に当たります。(笑)

そして、ナオミは言います。

 

   「どう? 譲治さん、この光景は?」


書けてない行間を読まないと、谷崎が表現したかった情景は、見えません。

 

しかし、また脱線してしまいました。

 

いつの間にか、「痴人の愛」 の解説になってしまったので、本文は次回に書きます。(^^;

2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない(4)- 複数プレイ篇

前回の記事 「都市伝説」という言葉で片づけない(3)」 の続きです。

 

今回は、複数プレイ に絡めた話をします。

 

自分がこのテーマで書いている内容は、いわゆる教科書には載っていないけれども、「巷(ちまた)」 では、いろいろと話題になっている話題であったり、あるいは、一般には 「変/態行為」 と思われている性/的行為について書いています。

自分は興味もないし、「全く関係ない」 あるいは 「不快だ」 と思われる方にとっては、読まれなくも生活には全く支障をきたしませんので、不快な思いをしてまで、読まれる必要はありません。

 

では、何故このような記事を書いているのかと申しますと、

 

まず、多くの人が、単なる 「都市伝説」 あるいは、虚構や妄想の類に過ぎないと認識していること。また、伝説ではないと信じている人達も、正しく理解していないことが多いためです。


多くの人は、セ/ックスで十分な満足を得られていなかったり、あるいは、自分の性に関して、いろいろな悩みがあったり、疑問を感じていたりします。

 

性癖や性向というものは、個人ごとに異なるものです。

 

ここで取り上げている内容に全く興味のない人も、自分は関係ないと思っている人も、全くの他人事で構わないので、こういった奴らは、何が楽しくて、そんなことをしているのか

それを理解するだけでも、「性の広がり」 を感じて貰えるんではないかと、思ったからです。


夫婦であっても、カップルであっても、性を共有する関係にありますが、人の 「価値観」 が、人によって異なるのと同じように、性癖や性向というものも、人によって異なります。

異なる者同士である以上、そこには当然のことながら、お互い 「して欲しいこと」 が隠されていたりするわけです。

 

ある人は、女性の下着に執着を持っているかも知れませんし、ある人は、女子高生の制服に執着を感じているかも知れません。

こういった 「フェチズム」 的なものは、他人に知られたら、「恥ずかしいこと」 ではありますが、しかし、他の人の家から下着を盗んで来たり、未成年の子に悪さをして、仕事や人生を棒に振るよりも、まだ、コスプレでもしたりして、家庭で満たしてあげたりした方が良いわけです。

 

大事なことは、夫婦やカップルで、お互いに 「性」 について話し合うこと。そして、頭から相手を否定するのではなく、お互いの希望に沿えるよう、前向きに検討する姿勢 です。

 

これは、「セ/ックスレス」 においても同様です。

いつまでも、「旦那からお誘いが来ない・・・」 と待つばかりでは、意味ありません。

恥ずかしくても、恥ずかしさを堪えて、話をしてみることが重要なのです。

 

長いこと一緒に暮らしていれば、知った者同士ですので、「夜の営み」 がマンネリになって、当たり前なのです。子供だって、同じ遊びばかりしてたら、次第に飽きてきます。

単調さに退屈しないためには、目標を持つのも良いことですし、新たな趣向を取り入れるという方法もあります。

 

***

 

夫婦交換(スワッピング) や相互鑑賞、あるいは、NTR(寝取り・寝取られ)といった行為も、普通の人に取っては、”異次元の世界” だと思いますが、これら 「複数プレイ」 の良さは、夫婦や恋人同士で行動を共にするということに尽きます。

そして、いつも二人だけのときは、第一人称の立場から、パートナのことを見ていますが、夫婦交換(スワッピング)や NTR の場合は、第三人称の立場から、パートナのことを見ることになるわけです。

要は、自分のパートナーを、別の視点、別の視線で見ることによって、二人だけのときとは違う パートナーの違う側面を観察できるのです。 

勿論、そこに 「嫉妬」 を感じる人もいるでしょう。しかし、その 「嫉妬」 ゆえに、自分のパートナーに対する愛を確認し、そして新たな執着を覚えるわけです。

 

自分の奥さんを寝取らせたり、単独男性を呼んで 「3P」 をしたりするのが好きな人もいますが、ここで大事な視点は、こういう人にとっては、呼ばれている男性は、”単なる道具” に過ぎないのです。あくまでも、他人によって気持ち良くなっている 「奥さん」 が主体なのです。

 

いろいろと、自分の知らないところで 「浮気」 をされるよりは、夫婦が一緒に行動して、常に一緒に「セ/ックス」 を楽しむ方が良い、という考え方もあるわけです。

他人が加わることで、当然、「性」 に関する話をする機会も多くなりますし、実際、こういう遊びをされている夫婦やカップルは、実に仲が良いです。

 

***

 

一見 「品行方正」 でも、どんどん 「セ/ックスレス」 が進行し、夫婦の意思の疎通が出来なくなる家庭もあれば、その一方で、一見 「ふしだら」 に見える関係でも、常に意思疎通が出来ていて仲睦まじく、そして、常に愛情を失わない夫婦も居るのです。

 

自分的に言わせて貰えば、「セ/ックス」 は 「ハレ」 の行為であり、一番プライベートなことですから、其処に 「ケ」 の代表格である 「社会通念」 を持ち込む必要はないのです。

「セックスレス」 が進行するのは、「セ/ックス」 がもはや 「ハレ」 でなくなり、「ケ」 に変化しているためです。

「複数プレイ」 という、一見 「品行不方正」 な場に参加する夫婦が、「セ/ックス」 だけでなく、”ときめく愛” をも維持出来るのは、「複数プレイ」 という 「ハレ」 の場において、「セ/ックス」 を楽しんでいるためです。

 

二人だけの世界で、次第に 『セ/ックス』 がなくなって行く生活と、

二人+αではあるけれども、常に二人(+α)の世界で 『セ/ックス』 を楽しめる生活。

あなたは、どちらを選びますか?

 

勿論、前者には、セ/ックスレスゆえに、それぞれが外で不倫や浮気をしているケースも含まれます。(笑)

2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない(3)- SM 篇

前記事 「『都市伝説』という言葉で片づけない(2)」 の続きです。

 

今回は、SM に絡めた話 です。

 

SM なんて代物も、理解出来ない人には、さっぱり理解出来ない世界でしょう。

 

イメージとしては、おどろおどろしく、縛られたり拘束されたりすることで自由を奪われた上、命令に従わさせられたり、「辱(はずかし)め」 を受けたり、あるいは、痛みとか苦しみを与えられたり、性の道具として扱われたり。

残酷や残忍なイメージしか残らないものも、あったりします。

代表的なものとしては、自分の経験では、伊藤晴雨が描いた 「江戸地獄絵」 のようなものがあります。

 

 

 

 

 

 

子供のとき、SM雑誌をめくってはドキドキし、アソコを硬くしていましたが、さすがにこの 「伊藤晴雨」 の絵だけは嫌いでした。

正義の味方に萌えている子供心に、この世界だけは受け入れ難かったのでしょう。

 

今見ると、さすが竹久夢二とお葉を取り合った伊藤晴雨だけあって、人の醜いところも快楽も、人の生と死と苦しみも含めて、全てが描かれている。不条理な現実を生きる人のエロティシズムが、性が見事に表現されているのです。

 

***

 

「SM 感」 と言うものは、多分、人それぞれなのだと思っています。

 

ひとつ前の 「『都市伝説』という言葉で片づけない(2)」 のところでは、"セ/ックスに常識はない" 的なことを書きましたが、SM にもスタンダード的な手法、伝統的な手法はあるものの、「これこそが 正しい」 という正解は、存在しません。

 

しかし、自分の 「SM 感」 からあまりにも乖離する行為を、自分が 「SM」 として認識するかはまた別の問題です。

SM においては、セ/ックスの介在の有無は関係ありません。

しかし一方的に自分の価値観を相手に押し付ける行為は、自分的には 「SM」 ではなく、一方的な 「虐待」 行為でしかなく、「SM」 と似てはいても、全く次元が異なる行為であると認識しています。 


”SM とはこうあるべき” みたいな暗黙の不文律的な空気は存在するんだけれども、SM に標準というものはありませんし、相互に納得ずくの行為をその人達が 「SM」 と呼んでいたとしても、セ/ックスと同じで、自分はその行為を否定する立場にはない。

ただ自分は、其れを 「SM とは見なさない」 と言うことなのです。

 

***

 

そういう意味で、「SM」 には絶対的な基準はありませんので、自分が捉えている世界、自分の価値観の中で、説明するしかないのですが、

 

SM には、少なくとも 「客観の視線」 と 「主観の視線」 があるのです。

そして、同じ 「客観の視線」 であっても、それに 「共感する視線」 と 「傍観する視線」 は違うということ。

実に不思議なのですが、この 「共感」 から離れて 「傍観」 の側に移動すると、それこそ自分が小さい時分に見た伊藤晴雨の絵のように、SM はときとして、実に怖い存在に見えたりするのです。

 

それは、何故か?

 

当事者はお互いに、其処に信用や信頼、あるいは、愛があることを確信しているのです。

それを前提に見れば、SM とは、愛を奏でる行為以外の何者でもないことは、実感出来るのです。これが 「共感」 の視点です。

しかし、その愛や信頼が見えないと、時として、その構図は大変怖い世界に見えてしまうのです。

これが 「傍観」 の視点です。

 

自分は良く 「愛奴」 に調教日誌を書かせるのですが、其処に愛のあることが見えている読者にとっては、ラブストーリーにしか読めない筈の文章であっても、其処に愛を読めない読者にとっては、それは単なる 「恐怖の虐待絵巻」 にしか写らないのです。

 

プロが演じるドラマや劇などのショーであれば、多少はおどろおどろしく、演出するような場合もあるでしょう。しかし、SM 自体に既にその二面性が、内在しているのです。

其処には、「痛みや苦痛に対する歓喜」 という、常識的には一体であると信じたくない不条理。ある意味、SM が持つ 「エロティシズム」 の向こうに、「生と死」 が写るのかも知れません。

 

***

 

しかし、当事者的な視点で言えば、

 

「鞭(むち)」 にもいろいろありますが、バラ鞭なんかは、さほど痛くはありませんし、ロウソクは、「熱い!」 とは言っても、火傷しない程度の 「低温ロウソク」 ですから、仏壇やケーキのロウソクのように、水ぶくれが出来るほど、熱いものでもありません。

また緊縛に用いられる 「麻縄」 は、小学校の運動会で使う綱引きの 「綱(つな)」 にカタチは似てはいますが、しかし縄は縄。

しかも 「ジュート」 ですので、実に柔らかく、ヤスリを素手で掴んだように手がヒリヒリする 「綱」 とは全くの代物です。

 

実際に SM に興じている当事者であっても、

多くの人は 「痛いのは嫌!」 と言います。

 

そして、自分は絶対に 「痛いのは無理」 であり、「鞭なんかで叩かれたら、絶対に蹴りが出る」 と思っていた人が、叩かれてみて思わず言ったのは、

 

   「鞭が、こんなに気持ち良いとは、知らなかった・・・」

 

というセリフでした。

中には、「青アザ」 が出来るまで鞭で叩かれることを好むツワモノの女性も居たりしますが、これは、キスマークと同じ原理です。

キスマークもそうですし、緊縛で付けられた 「縄目の痕」 も同じです。

何かの証(あかし)を欲しがる女性は少なくありませんが、それと同じで、その痕が残っている間は、ずっとそのプレイの時に、自分の時間を戻すことが出来、その余韻に浸ることが出来るのです。

 

では、何で痛みを快感に感じるのか?

 

それはいみじくも、上述の女性が言ったように、冷静な状態では 「思わず蹴り」 を出してしまうような、気丈な女性であっても、誰でもそうなのですが、興奮状態にあるときは、痛覚が鈍るようです。

正確な数値は忘れてしまいましたが、以前読んだ英語の論文では、127% あたりだったように記憶しています。

ひとつは、セ/ックスの快感も、神経的には痛覚で繋がっているそうです。

5つの感覚器のうち、ひとつが快感の伝達に使われたとしたら、痛みは残る4つで検出することになります。そうすると、冷静なときは100の刺激も、性的に高まっているときは、80にしか感じないことになります。脳が100と認識するのは、計算では、実際の刺激が125 の場合となります。

この仮説が正しいかどうかは、医学的に検証されない限り分かりません。しかし、経験則的に言えることは、性的に高まってくると、カラダは、性の快感と痛みを混同しやすくなると言うこと。

 

特に女性が、「脳イキ」 や 「中イキ」 といった 「オーガズム」 を経験する前は、女性の脳の前頭前野と呼ばれる部分が機能しなくなり、本人の記憶はうろ覚えとなり、理性的な判断が出来なくなるのです。

だからこそ、自分が理解する SM においては、女性をきちんと保護し、サポートするだけの気力も精神力も体力もですが、それ以上に誠意が求められるということです。

女性の立場から言えば、何かトラブルや事故があって、さっさと自分を置いて一人で居なくなってしまうような男には怖くて、自分を委ねることは出来ませんし、いくら命があっても足りません。(苦笑)

 

男性に求められるのは、冷静に女性を観察し、あるときは女性をリードし、あるときは女性をエスコートしながら、女性を極限の状態にまで追い込めることの出来る能力なのです。

 

ですので、SM において、女性のことなどは一切関知せず、自分の世界に浸り、単に自分のしたいことばかりをやっている男は、どんなに上手く縛れたとしても、製品や商品の出荷時に段ボール箱を縛る梱包機のようなもの。

 

「SM」 とは、心と身体の双方で取る、S と M との 「コミュニケーション」。

 

「SM」 においては、常にパートナーが居てナンボ。

「夫婦」 もそうですが、「SM」 は、「S」 と 「M」 が居て、コミュニケーションが成り立つからこそ、はじめて 「SM」 が成立するということです。

 

***

 

一見猟奇的に見える 「SM」 も、そのような 「愛」 の側面から理解して貰えると、まだ未経験の人であっても、「どういう世界」 であるのかが、理解しやすくなると思います。

 

2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない(2)- ア/ナルセックス篇

過去記事 「都市市伝説」という言葉で片づけない」 からの続きです。

 

ア/ナルセックスに絡めた話

 

獣の体位の話

 

セ/ックスは秘め事であるだけに、一般的なセ/ックスと言っても、何を以って一般的なのかを決めるのは難しいところです。

今でも記憶しているのは、昭和の高度成長期に読んだ 「婦人系の雑誌」 に、相談コーナーのようなコラムがあって、其処に掛かれた質問は、

「子供が逆子のようなのですが、これは ”獣の体位” でしたから、

 逆子になってしまったのでしょうか?」

みたいな質問だったと思います。

 

当時はまだ、”獣の体位” と言うのが何を意味するのか理解出来なかったのですが、何故か頭に引っ掛かっていて、理解出来たのは、別の機会に、昔は 「後背位は ”獣の体位” と呼ばれていて、昔は忌み嫌われていた」 という話を読んだときでした。

今では、「後背位」 という体位について、そんな認識をしている人はいないと思います。

 

”後背位で子供を身篭ると逆子が生まれる” なんて言うのは、もう迷信の類で、笑い話のひとつですが、しかし ”性癖” や ”性向” と言うものは、人により異なりますし、人はそもそも、自分で理解もしくは納得している範囲でしか受容できません。

 

セ/ックスに常識はない

 

”性” とは、そもそも、かなり個人的なものです。

 

「ア/ナルセックス」 を好む人にとっては、「ア/ナルセックス」 は一般的な行為でしょうし、「ア/ナルセックス」 に興味すらない人にとっては、何が良いのか全く理解の出来ない行為に写るでしょう。

SM も、理解出来ない人にとっては、全く理解出来ない行為と写るでしょうし、複数の夫婦やカップルで、相互に鑑賞したり、あるいがパートナーを交換したりするスワッピングにしても、同性に自分のパートナーと性/交させようとする NTR (寝取り・寝取られ) といった行為も同じです。

 

理解出来ない人にとっては、これらの行為は、その人の常識の外にある行為ということになりますが、しかし大事なことは、セ/ックスに関して言えば、人はセ/ックスに関する知識は共有していても、セ/ックスに関する 「常識」 と言うものは、持ち合わせていないということです。

それは、セ/ックスと言うものが、極めてその人個人のプライベートに関わるものだからです。

 

それゆえに、このような行為を受け容れる・受け容れないも、かなり個人的なこと、個人的な 「嗜好」 なのです。そして、無理なものは無理、嫌なものは嫌。個人の 「嗜好」 なわけですから、他人に強要されるべき問題ではないのです。

 

しかし現状は、個人で判断しようにも、判断に足る情報がないために、”理解出来ない” という状態で止まっていることに問題があるのです。

そして多くの場合、その無知は突如、自分が愛するパートナーからのお誘いという形で発現し、情報不足に当惑するのです。

 

台湾における性教育

 

学校における性教育で、「ア/ナルセックス」 の解説がなされたことが、台湾で問題になったことがあります。

 

「小学生に 『ア/ナルセックス』 を動画で解説!? 台湾の ”アブノーマル” な性教育に保護者が猛抗議! -日刊サイゾー」

 

 

そして、「子供に ”ア/ナルセックス” の方法を教える必要があるのか?」 と異常視する父兄と、「知識としては知っておくべきだ」 とする進歩派?とでも言うのでしょうか?(苦笑)

両者で議論が巻き起こったみたいなニュースを読んだことがあります。w

 

この問題については、教育制度も絡んできますので、なかなか、一朝一夕に議論が収まる筈もなく、なかなか難しい問題と言えますが、知識として知っていれば、そのような場に遭遇したとしても、気を付けるべきこととか、何故相手がそういう行為を自分に求めて来ているのか。

どのような内容を教えているのか、細かい内容は分かりませんが、しかし、少なくとも、全く知識としてないよりは、そういったパーソナルな問題を考える、素地は出来ていることになります。

 

また海外、特に中東から欧米に掛けては、「ア/ナルセックス」 を好む人達も少なくありません。

 

TeenVOUGUE におけるア/ナルセックス特集

 

アメリカの若者向けのファッション誌 「TeenVOGUE」 では、2018年の6月号に 「アナルセックス解説特集」が掲載されたそうですが、こちらも、ネット上では賛否両論が飛び交い、激しい論争に発展したそうです。

 

「Anal Sex: What you need to know」, Gigi Engle, May 16, 2018

 

日本における調査

 

日本での 「ア/ナルセックス」 は、江戸時代などでは、武家社会あるいは僧侶の世界においては、衆道 と呼ばれ、男同士の相互の結びつきや絆を強くするために、男色(今で言うBL)が行われていました。

現代の日本では、「ア/ナルセックス」 は、”アブノーマル” なものとして受け止められているためか、あまり多くの調査はありませんが、マスメディアによる調査には、以下のようなものがあります。

 

「経験者に聞いた“アナルセックスのあれこれ”『奥に入ると不思議な感覚』『二度としたくない』」

「20代OL500人に聞いたアブノーマルセックスの経験度」

 

これによると、前者では、「ア/ナルセックス」 の経験者は 56.4%、後者での経験者は 34%という数値が出ています。いずれもアンケートの対象は女性に限定しているようです。


「ア/ナルセックス」 に対する個人的見解

 

自分は、SM における 「アナル調教」 的な行為は出来ますし、今までにも何回か希望する人にはしたりもしていますが、しかし自分自身は、「ア/ナルセックス」 は好みませんし、しません。

逆に、「ア/ナルセックス」 を日常的に好む人達も知っておりますし、その女性は、「ア/ナル」 で何度も 「多重イキ」 させられたことにより、目覚めたと言っていました。

 

男性の場合、ア/ナルが感じるのは、前立腺で感じていると言われています。女性の場合、前立腺という器官はありませんが、膣の裏側(ア/ナル側)の同じような場所に感じるポイントを持っている人がいます。

自分の場合、実際に 「ア/ナルセックス」 を好むであろう女性は、触診で探し当てていますが、このような女性は、後背位を好む女性が多いように思います。

女性の膣とアナルは、実際には腸壁とか膣壁があるのでもっと複雑なのだと思いますが、感覚的には皮1枚隔てている程度ですので、膣の裏側(ア/ナル側)に感じるポイントがあると、そこは膣側からの刺激出来ますし、逆にア/ナル側からも刺激できるのです。

膣裏に感じるポイントがあるかないかは、個人差がありますので、ある人も居ますし、ない人も当然います。また、G スポットと似ていて、感じて紅潮してくると出てくる人も居ます。

 

膣の裏側にあるスポットは、其処を刺激してオーガズムに達したことのある女性に言わせると、Gスポットやポルチオなどの他の 「中イキ」 は膣が痙攣しているような感じがするのに対して、膣裏のスポットでイッたときは、骨盤が引っ張られるような感覚や鈍い痛みのようなものを感じると言います。

 

いずれにしても、「ア/ナルセックス」 を好む人は、男性であれ、女性であれ、このようにア/ナル側から刺激可能なスポットを持っている人が多いということ。

 

受け手側は、「ア/ナルセックス」 で 「オーガズム」 を感じている場合が多いこと。

 

では、ア/ナルに入れたがる男性は・・・と言うと、特にこれは海外の男性に多いようですが、女性の膣に入りきれない長さのある男性自身を持っている男性の場合は、膣の方では無理ですが、ア/ナルでは、男性自身全体が挿入されている感覚を味わうことが出来る場合もあれば、若い人の場合は、処/女膜を破らなくて済むといった理由や、妊娠のリスクがないという人もいます。

 

SM 的な要素が絡んでくると、やはり、「ア/ナルセックス」 は、本質は排泄器官であり女性に羞恥を与えることで、女性に対する加虐的な意識が高まるのかも知れませんが、言えることは、「ア/ナル好き」 な人は 「ア/ナル好き」 であると言うことです。(笑)

 

この辺りの感覚は、ア/ナル好きの男性に確認してみたいと思います。

2019/03/25

「都市伝説」という言葉で片づけない

現代の性教育と科学の最先端、そして現実の間には、乖離が存在しています。

そして、それをまた複雑にしているのが、AV の世界です。

 

① 潮/を吹く女性も居ますし、

② ア/ナルで多重イキをする人も居ます。

③ 縄イキも、脳イキも実際に存在しますし、

④ Gスポットもあれば、ポルチオで感じる中イキも存在します。

 

科学で証明出来ていないから、現実にそのような現象が存在しないわけではありません。

単に科学で、論理的に解明出来ていないだけなのです。

 

しかし、間違った知識や思い込みも存在します。

 

● 潮を吹いたからといって女性は、男性のような達成感(オーガズム)は感じませんし、

● ア/ナルも、誰しもが感じるわけではありません。

● ポルチオも、子宮口の中に男性自身が入っているわけではありません。

 

ましてや、AV の見過ぎなのか、

 

強力な電/マをいきなり押し付けられたり、高速でいきなり指をガシガシと、出し入れされたりなどしたら、普通は誰しも痛くて溜まりません。

 

AV は基本は、男の 「抜きネタ」 ですので、男の妄想が最大限満足するように作られています。

しかし、いろいろな制約もあります。

ドキュメンタリーではありませんから、編集もあれば、誇張もあります。

撮影だって、今は、時間との勝負です。

 

若い男性読者の方は、この記事を参考にしてみて下さい。

 

「絶対イッちゃう『デ/ンマ』って知ってる? 小島みなみちゃんも悶絶の最強デンマが気持ちよすぎ!!」

 

重要なポイントは、この AV 女優のインタビューの回答部分です:

 

こじみな「私は服の上から弱めの刺激であてるのが好きなので、そうそう壊れないのかな? パワーMAXでクリにあてると、クリがバカになっちゃいそうで怖いんですよ。それに弱め刺激でもすぐイケちゃうタイプなので、コンディション的に物足りないなって日でも徐々に強くしていけばイッちゃう」

 

これは、女性の愛撫においては 「普遍の法則」 と言っても良いのですが、大事なことは、本人が 「もっと強くてもいいのに・・・」 とか、「もっと早く動かしてくれてもいいのに・・・」 と感じるくらいの ”弱い刺激” から始めることなのです。

 

大切なことは、常に焦らすことなのです。(笑)

 

焦らすことで、女性は其処に神経を集中するのです。

なので、女性のハートを摑まえるには、優しく、触れるか触れないかの 「フェザータッチ」 で。 (笑)

興奮してきた、彼女の逆立った産毛の上を、撫であげるくらいでイイのです。ww

 

そして、常に 「レディーファースト」 です。(笑)

 

女性を一歩先に行かせて、焦らすのです。

「もっと強く!もっと激しくして!」 と女性に言わせたら、大したものですが、そこで女性に 「お預け」 することが出来たら、もう一人前。(笑) 

女性と交わるまでに何回 「お預け!」 をさせたかが、その男の格になるのです。(笑)

 

マラソンでもそうですが、何処でトップを追い越すか。

トップを追い越した途端に、自分は追われる身になるのです。

 

女性を追い越すのは、女性を思いっきり追い込んだあとです。

そこまで、女性の気持ちを高めておき、「スパート」 を掛けて女性を追い越すのは、勝負を掛けるときです。

其処で、若しかしたら、AV のワンシーンみたいな状況に、なることも、あるかも知れません。

 

***

 

女性が、男の陳腐(チープ?)な 「言葉責め」 に萎えたとか、

あまりにも手加減のない 「愛撫」 に冷めただとか、

下手にお尻を叩いたら、女性が頭に来て、逆に女性に頬を引っ叩かれたとか、

 

いろいろと 男 を DIS った話はありますが。

 

これは、女性の気持ちが着いて来れていないだけなのです。

逆に言えば、男の引き付け(惹き付け?)が弱く、女性をリードし切れていないのです。

女性に言わせれば、全てが彼女の期待を裏切っている状況なのです。

 

女性は、きちんと追い込んだら、素直になります。

 

自分(男)が 「ガツガツ」 と、自分の性欲を果たして、女性を 「置いてけぼり」 にしようとするから、いけないのです。

女性は、そういう 「自己中心的」 な男には敏感です。

 

何故なら、「自己中心的」 な男と 「浮気」 男は、いつ自分をほっぽらかして、居なくなるかも知れないからです。(笑)

「多頭飼い」 は、「浮気」 とは違いますので、勘違いのないように。(苦笑)

 

***

 

一般論で言えば、女性への愛撫は、ゆっくり目でソフトな方が良いんです。

女性は、それだけで、自分が大事にされていると感じるのです。

 

SM 系の場合は、またアプローチが違いますので、その辺は勘違いされないように。

自分の場合は、1週間前の 「オナ/禁」 指示のときから、相手の女性に対して(間接)愛撫を開始して、当日は、「ノーパン」 で来させることによって、既に 「前戯」 は完了しているわけなのです。(笑)

 

其処までの状態になっているからこそ、

 

ラブホの部屋に入って、靴を脱ぐ前に、自らスカートをめくらせて、

廊下から掃除スタッフの声の聞こえる玄関の壁に手をついて、お尻を突き出させる行為も、

女性には、興奮の渦となって、押し寄せてくるのです。(笑)

 

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江戸時代に、女が3歩下がって歩いたのは、男の争いに、自分の女を巻き込みたくないからです。

 

それぐらいの 「男気」 があって、女の前を歩くのなら否定はしませんが、

そうでない男は、「レディーファースト」 とせめて、和洋の 「テーブルマナー」 くらいは、身に付けて置きなさい。

 

一番嫌われるのは、其処で 「男女同権」 とか、「野暮」 なことを言い出す男です。(苦笑)

 

「レディーファースト」「テーブルマナー」 も社交のマナーです。

 

「法」 と 「マナー」 の区別もつかない連中は、「社交」 してはいけません。(笑)