2ntブログ
2017/11/12

自分の 「セ☆クスライフ」 を考える (3)

前記事 「自分の 『セ☆クスライフ』 を考える」、および、「自分の 『セ☆クスライフ』 を考える (2)」 の続編です。

 

大好きな相手に対して、「良かれ」 と思ってついた小さな嘘が、予期していなかった大きさのシコリになったりします。

しかしそれでも、多くの家庭では、「恋愛」 の熱は冷め、マンネリに陥(おちい)って、「セ☆クスレス」 であったとしても、正確に言えば 「情」 なのでしょうが、家族としての 「愛」 は残っていたりします。

 

        「旦那には、感謝はしているし、家族としては愛しているけど、

        もうときめかない・・・」

 

それが、ある程度長年暮らしてきた女性の 「本音」 なのでしょう。

女性はやはり、常に好きな人に見られていたくて、気にして貰いたくて、常に 「ときめいていたい」 動物なのです。

もしかしたら、夫婦も、男と女の側面と、友達としての側面が強ければ、関係ももっと長続きするのかも知れません。しかし多くの場合、男性は女性にとって一番厄介な 「大きな息子」 となり、女性は男性にとって母親の代理的存在となってしまい、「オンナ」 が封印されてしまうのでしょうか。

残念ながら、自分も家内に対しては、全然ときめきません。(苦笑)

 

だからと言って 「不倫」 したり、「浮気」 をして良い理由とはなりません。
しかし、現在の性生活に不満があったとしても、性生活のためだけに 「現在の生活」 を壊すほど、家庭が荒れているわけでもなく、大人げないと考える人も多いでしょう。
子供もまだ成人していないとなれば、当然、離婚は子供の心も傷付けることになります。

 

個人主義の性格が強い社会では、自分が 「好き」 でなくなれば、「離婚」 というアプローチを取るでしょう。日本においても今や、「これ以上、結婚生活を続けるのが無理!」 という状態であれば、躊躇(ちゅうちょ)なく離婚を選択する時代です。

しかし、多くの場合、不満はあっても、そこまで拗(こじ)れてはいなかったりします。そういう家庭では、あまり大事(おおごと)にはしたくないわけです。出来れば、パートナーに知られず、パートナーを不要に傷付けることなく、自分の欲求を満たしたいわけです。

 

既に家庭において、性生活が忘れられた存在となっていれば、尚更でしょう。

 

自分さえ我慢すればいい・・・みたいな、自分を家庭の犠牲にするような考え方は、お薦めできません。

法律では、配偶者には貞操義務が生じますが、性的に相手を満足させる義務は残念ながらありません。法律とは紛争を解決するための枠組みであって、各自の幸せを保証するものではないのです。

性の満足や悦(よろこ)びは、他人から与えられるものではなく、自分から得ようとするものであり、本来であれば、パートナーと一緒に築きあげるものです。

大事なのは、自分が自分の人生をどう生きたいか・・・。

「鳥かご」 の扉は、開いているのです。「鳥かご」 の扉から出るのも出ないのも、あなたの自由なのです。

 

本当は、そういう話をきちんと自分のパートナーと出来るのが、一番望ましいのです。

しかし、話し合いが出来ないのであれば、あとは、自分で決めるしかありません。

ある意味それは、誰にも相談出来ない、あるいは、相談出来る人の居ない、自分ひとりでの 「人生の決断」 かも知れません。

 

旦那が浮気をした仕返しに、自分も浮気をしてみた・・・みたいな女性もいますし、現実から逃避するために不倫しているような人もいれば、既に事実上夫婦生活が破綻している状況で、自由に不倫を楽しんでいる人もいます。

相手を誑(たぶら)かしている人もいれば、真摯かつ誠実に相手と向き合っている人達もいます。

 

それぞれの家庭によって、問題も状況も異なります。

浮気や不倫相手を騙(だま)したりすることは、良くありませんし、あまりにも、自分に都合の良過ぎる関係も長くは続きません。

しかし、どういう状況なら良くて、どういう状況ならダメみたいなことは、そうそう簡単には言えません。

 

走り出したら止りません。だからこそ、走り出す前に、あるいは、立ち止まったときに 「自分は何を求めているのか?」 を少しじっくりと考えてみても良いように思います。

 

 

今までの恋人、何人?

「恋人がひとり、恋人がふたり、恋人が三人、恋人が四人・・・・ zzzzzz」

 

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