2ntブログ
2017/11/10

自分の 「セ☆クスライフ」 を考える

自分が求めている 「セ☆クス」 は何なのか?

 

自分が求めているものを知る

 

今現在の 「セ☆クス」 に不満を感じている人は多いかも知れませんが、しかし、自分が求めているものを具体的に意識している人は少ないと思います。

満たされていない人の多くは、「どうしたら良いのか分からない・・・」 というのが本音かも知れませんが、ただ漫然(まんぜん)とハプニングが起こるのを期待しているだけ。

しかし、自分は何が満たされたいのか。それをはっきりさせずに、ただ待っているだけでは、自分で何がしらの行動を起こさない限りは、何も変わりません。

 

自分が求める 「セ☆クス」 を考える

 

単に心の隙間を埋めたいだけなのか。

濃厚なセ☆クスを楽しみたいのか。

それとも、セ☆クスでイケるようになりたいのか。

 

探し求めるものも、探し方も人それぞれです。そして最終的には、セ☆クスを続けるのも、セ☆クスを諦(あきら)め卒業するのも、その人次第です。「現役」 か 「リタイア」 かを決めるのは自分自身なのです。

 

四十路も半ば、あるいは、五十路を迎えて、自ら 「もう、お婆ちゃんだ」 という気持ちが強くなってしまったのか、それとも、世間の 「いい歳して・・・」 みたいな声を聞いてしまったのか。

セ☆クスを卒業し、歌を詠(よ)み、寺社を巡(めぐ)り、自らを老人の座に置いてしまう女性もいれば、五十路を過ぎても、セ☆クスでイクことで 「女の悦(よろこ)び」 を感じるまでは、死んでも死にきれないとばかりに励(はげ)む女性もいます。

 

自分などは、「セ☆クス」 出来なくなってから、そういう生活を送ればいいのに・・・と考えてしまいます。出来るときに、出来ることをする。出来なくなってから、「そのときに、しておけば良かった・・・」 と後悔したところで始まりません。

「婚外恋愛」 などの 「プラトニック」 な恋愛は、極端なことを言えば、ジジイやババアになってからでも遅くありません。

 

中には、性欲を感じなかったり、「セ☆クス」 という行為自体が好きでない人もいるかも知れません。そういう人の場合は、それまでに経験している 「セ☆クス」 という行為自体が貧しかったりする場合もありますが、もう 「懲り懲り(こりごり)」 という人に対して、無理強(むりじ)いしても仕方ありません。

「セ☆クス」 ばかりが人生ではありませんので、どういうライフスタイルを選ぼうが、その人の自由。その人がイキイキしていれば、それでいいんです。

 

たかがセ☆クス、されどセ☆クス

 

しかし、性欲は、食欲と睡眠欲に並ぶ、人の生理的な欲求のひとつですので、人生の中で性生活を重要視する人がいても、何も不思議なことではありません。

 

あるとき二十代の女性から、「セ☆クスではまだイケないけど、セ☆クスは気持ち良いから、いつかイケるようになるよね?」 と問われたことがあります。そのときは 「そうだねっ」 としか答えられませんでしたが、そのくらいの年代のときに、同じような経験を持つ女性は少なくないでしょう。

 

しかし、多くの女性がいつかイケる将来に希望を抱(いだ)きつつも、なかなか叶えられていないというのが現実です。

 

「セ☆クス」 でイクばかりが人生ではありません。

 

いろいろと彷徨(さまよ)って、多くの男性と経験したからと言って、イケるようになるわけではありませんし、相手の男性に気持ちがガッツリと入ってるからといって、イケるわけでもありません。

清水の舞台から飛び降りたくらいのつもりで冒険したからと言って、ハズレくじを引く場合も少なくありません。

 

何かを求める旅

 

しかし、何故彷徨うかと言えば、行動を起こさない限りは、何も現実は変わらないからです。

「セ☆クス」 に限った話ではありませんが、人生は、上手く行くかも分かりませんし、上手く行く保証もありません。

しかし、未来は現在の延長線上にしかありません。

 

人生は、「関心」 があってこそ初めて 「見逃し(みのがし)」 が生じるのです。関心がない場合は、「見逃し」 ではなく、単なる 「素通り」 です。(苦笑)

自分で意識出来ていないと、「機会」 を 「見逃し」 てしまうのではなく、「素通り」 してしまうのです。

そもそも、探しているものが漠然(ばくぜん)としており、それをただ漫然(まんぜん)と探しても、見つかるはずもありません。

 

***

 

女性もいろいろです。不倫や肉体関係には至らないように、男性と距離感を保ちながらも、自分は、デートのときのワクワク感だけを楽しもうとする自分本位な女性もいれば、事前に1回きりと決めているようなアバンチュール型の女性や、次から次へと流れて行く女性もいます。

いろいろな女性がいます。しかし、個々の人を見ると、ずっと同じことを繰り返しています。

 

単に心の隙間を埋めたいだけなら、男を弄(もてあそ)んでワクワクしていれば良いですし、どうしても抑え切れない衝動を一時的に満足させるだけなら、一夜限りのアバンチュールでも十分でしょうし、誰かが隣にいるだけで満足ならば、乗り換えればいいだけです。

自分の場合は、と言えば、こういった女性はお断りですけど、しかし、それが本当に自分の欲しいものとは違う場合には、アプローチを変えてみても、いいんではないでしょうか?

 

自分の思い込みに凝り固まって、同じような人にばかり、思いを寄せていませんか?

 

もしくは、その頑(かたく)なな自分の心が、自分自身を縛りつけていませんか?

 

自分は何の努力も払わないで、嘆(なげ)いてばかりいませんか?

 

自分に対する有意義な助言を、聞き流してしまったり、自ら排除してしまっていませんか?

 

そんな人は、ふと立ち止まってみて、肩の力を抜いてみるのも良いかも知れません。

 

「旅は道連れ、世は情け」 ではありませんが、自分のことばかりを考えるのではなく、相手の気持ちを理解してあげることも重要です。何かの縁を感じるのであれば、遠回りだと思っても、敢(あ)えて 「偶然の悪戯(イタズラ)」 に身を委ねてみたりするのも良いかも知れません。

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