「甘える」 ことと 「甘え」 の違い(4)
本来、女性は、自分が最大限 「甘える」 ことの出来る男性を見つけ、自分を捧(ささ)げ、相手と同化することによって交わり、そして身篭(みごも)った後は、自分の子供に対して 「無常の愛」 を注ぐ。そういう動物です。 「『甘える』 ことと 『甘え』 の違い(3)」
「動物なんて表現、失礼な・・・」 と思われるかも知れませんが、これは、人によって個体差はあるものの、女性は 「プロラクチン」 という性ホルモンの分泌によって、否応(いやおう)なく 「母性本能」 のスイッチが入ってしまうという、「動物の本能」 という意味。
女性は、「母性本能」 によって、子供に 「無常の愛」 を注ぐよう、突き動かされ、そして、その女性の情動が、子供に伝えられていきます。
しかし、愛情の表現や子供を扱う手段は、自らの経験や知見あるいは価値観に基づくものであり、文化的社会的な色彩が濃く表れたものとなります。
子供は、乳児期に母親等特定の人と 「基本的な信頼関係」 を築き、そこで非言語的に喜怒哀楽といった情動を学んでいきます。
乳児は、母親が自分から離れていくという体験を通して、自分と母親は異なる存在であることを知ります。そして、自我が目覚(めざ)めてくるに連れて、母親と他者を区別するようになり、「人見知り」 するようになるわけです。そして、「第三者の目」 を意識するようになる。
そして、「甘える」 ことが許される関係と、「甘え」 が許されない関係を学び、また、「甘える」 ことが出来る関係にあっても、そこに、「第三者の立場」 にある人が絡んだり、「第三者の視点」 が持ち込まれると、「甘え」 が通じなくなる、といったことを学んでいきます。
こうして、「愛」 や 「甘え」 の拒否や許容のほか、「甘え」 の反対語である 「自立」 や、「第三者の視線」 を学び、そして、日本人の場合は 「恥ずかしい」 という 「羞恥心」 を学び、やがて、他者との 「基本的な信頼の確立」 を学んでいきます。
母親を通じて、社会の基本である 「愛」 や 「人との係わり合い」 を学んでいくわけです。
乳児と母親の間で、情緒的な深い結び付きである 「アタッチメント(愛着)」 を形成するという概念は、発達心理学において、ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)が提唱した 「アタッチメント理論(愛着理論 Attachment Theory)」 として知られていますが、これがその後の、子供の性格や自我の形成、あるいは、将来の恋愛関係にも大きく影響する、とも言われたりしています。
この理論では、まず乳児は 「愛着」 の対象である母親を、自分を守る 「安全な避難場所」 として認識します。自分が最後に逃げ込む場所であり、泣きつく先です。心の拠り所(よりどころ)でもあります。そして、次第に 「安全な避難場所」 を、外界で活動していくための 「安全基地」 として利用し始めます。そして徐々に、「安全基地から離れたくない」 という 「恐怖心」 や 「不安」 に打ち勝って、自らの愛着対象を増やし、自立していくというモデルを用いています。
乳幼児が、常に持って離さない 「ぬいぐるみ」 は、どんなに汚くても、どんなに臭くても、その子の 「愛着」 なのです。なので 「汚いから!」 と言って勝手に捨てたり、強要はしないように。(苦笑)
自分の価値観を押し付けず、徐々に距離を置かせるようにしてあげてください。w
親離れ、あるいは、親から独立するということは、自分で新たな 「安全な避難場所」 を作るということであり、そして、真の 「自立」 とは、最終的に自分の中に 「安全な避難場所」 が獲得できるということなのです。
「甘える」 という気持ちや行為自体は悪くありません。
しかし、「安全地帯から離れたくない」 という 「恐怖心」 や 「不安」 と対峙することなく、対峙した振りをして、逃げ帰ってくるのは 「甘え」 です。自分の思い通りにいかないのが、世の常。
その困難に対して、正面から立ち向かった上でも弱音なのか、そうでないかによって、「甘える」 ことの許される 「甘え」 か、そうでないかが決まるのです。
最近の世の中で 「おかしな論理」 を見掛けますが、「他人に迷惑を掛けること」 が即ち 「甘え」 ではありません。
そういう人に限って、自分一人では立てていなかったりするのです。
自分一人で立つ 「辛(つら)さ」 を理解している人は、「甘え」 は許容しませんが、「甘える」 ことは許容します。
(つづく)