愛のコリーダ
ひとつ前の記事 「美しさの基準」 に引き続き、R&B (リズム&ブルース)絡みのネタ。
「愛のコリーダ」 は、今は亡き大島渚監督が手掛けた映画作品。
大島渚監督は、あの 「朝まで生テレビ」 にレギュラー出演していては、ちょっと他の人とは違うところで 「ぷんぷん」 していた、あの御老体(ごろうたい)です。(笑)
ストーリー的には、不貞関係にあった男を絞め殺し、局部を切り取って大事に保管するという、実際にあった猟奇(りょうき)殺人事件である 「阿部定(あべさだ)事件」 を扱ったもの。
それまでの 「日本のポルノ」 を越える 「ハードコア作品」 ということでも騒がれていましたが、しかし、それよりも何よりも、当時、その 「渋さ」 で持て囃(はや)されていた 「藤竜也」 の主演というのが、一大センセーショナルでした。
そして楽曲的には、プロデューサの大御所である 「クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)」 が手掛けたアルバム 「デュード(Dude)」 に挿入されている 「愛のコリーダ」 が大ヒットします。
このアルバムは、「愛のコリーダ」 以外にも、才能溢(あふ)れるものの、恵まれなかった 「ジェームズ・イングラム(James Ingram)」 の 「ジャスト・ワンス(Just Once)」 や アルバム名にもなっている 「デュード(Dude)」 そして、「パティ・オースティン(Patti Austin)」 が歌う「ラズマタズ(Razzmatazz)」 など名曲揃いのアルバム。
ちょうど80年代初頭。R&B はこれ以降90年代に掛けて、全盛を極めていきます。
その後、「愛のコリーダ」は、昨今(さっこん)の 「ろくでなし子」 ではありませんが、出版物がわいせつ文書にあたるということで、猥褻(わいせつ)か、猥褻でないかが法廷で争われることとなります。最終的には最高裁で無罪を勝ち取りますが、兎に角(とにかく)、話題を欠かすことのなかった作品。それが 「愛のコリーダ」 です。
が、しかし、映画を見てきた人に言わせると、「何か良く解らなかった・・・」 という人が大部分。
世間で騒がれるだけ騒がれたものの、男女の情欲が深く絡んでおり、猟奇的、そして、実話に基づく作品ということもあってか、簡単に感情移入できないもどかしい作品として、受け止められてしまったのかも知れません。
ちなみに 「阿部定事件」 は、その後、役所広司と黒木瞳が演じ、一世を風靡(ふうび)した、渡辺淳一の 「失楽園」 のモチーフともなっています。
*** 【以下、グロ注意】
前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本筋の 「阿部定事件」。
この映画で取り上げられた 「阿部定(あべさだ)事件」 が起きたのは、1936年(昭和11年)。日本がまだ、太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入する前の時代です。
当時の日本は、まだ姦通罪が残る時代です(廃止は昭和22年)。
「阿部定事件」 が起きたとき、あの瀬戸内寂聴さんは、徳島の女学校二年生。ちなみに、瀬戸内寂聴さんが結婚した後、夫の教え子と駆け落ちをしたのも、まだ姦通罪が廃止になる前の昭和21年のときです。
当時、「阿部定(あべ・さだ)」 は、中野の料亭に女中として勤めており、そこの店主である石田吉蔵(いしだ・きちぞう)と不倫関係に。そして、密会の末の駆け落ち(かけおち)。
そして、二人で宿を転々としては、情事を重ねます。
最初は、首を絞めながら情交すると気持ち良い。そんなことをお互いに試しながら、ふざけあっているうちに、定(さだ)の気持ちがどんどん石田に募(つの)っていく。
そんな中、定(さだ)の気持ちの中に嫉妬(しっと)が芽生えてきたのでしょうか。石田を独占したい欲求から、石田を絞殺し、そして定(さだ)が一番執着している石田の局部を切り取ったというもの。
定(さだ)は逮捕の後、精神鑑定を受け、残忍性淫乱症(サディズム)と節片(せっぺん)淫乱症(フェチズム)と診断されています。しかし、本人は、それまでの自分の芸妓(げいぎ)そして娼妓(しょうぎ)(注:現在の娼婦)としての男性遍歴から、それは石田ただ一人に対して行った行為であるとして、それを否定しています。
本人は、逮捕時に石田の殺害理由を、石田とは結婚できないので、彼を殺せば他のどんな女性も彼に触ることが出来ないから・・・といった趣旨の自供をしています。
また、「まるで重荷が私の肩から持ち上げられたように、石田を殺したあと、私はとても楽になった」 とも供述しています。
そして、石田に対しては、それまでに経験した男性の誰にもまして、女性の扱いが旨く、性技に長(た)けていたと証言しています。
石田の遺体(いたい)が横たわる現場には、血で、「定、吉二人キリ」 と書かれ、石田の左腕には 「定」 との文字が刻まれ、そして、3日後の逮捕に至るまで、定(さだ)は、石田の下着を纏(まと)い、切り取った局部は紙に巻いて、逮捕時まで、肌身から離さず持ち歩いていたといいます。
また、定(さだ)は、釈放(しゃくほう)後の晩年に、
「そうね、人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからというのは一人…」
という言葉を残しています。
殺したことを後悔もしていないし、そもそも、自分もそのとき死ぬつもりだった、といった言葉も、坂口安吾の対談などに残されています。
(つづく)