2ntブログ
2017/05/17

美しさの基準

「美」 とは、そもそも、何なんでしょう(笑)

 

「美」 とは、そそるものであり、萌えるもの。そして自分が適(かな)わない崇高(すうこう)なもの。「美」 とは、自分の感性に訴えかけて、そして、自分が痺(しび)れるもの。

 

料理もそうだし音楽もそう。視覚系なら、小説もそうだし、踊りやショー。そして映画・映像といったビジュアルもそう。感性を痺れさせるもの。それが 「美」。

 

基本的には 「フェチ」 から派生しているものだと思ってます。臭いもあれば、声もある。

 

全ては、エロティシズムが根源です。

 

そして、自分の内なるものを表現したい。

 

表現したい者が発信する主張に対するレスポンス。きっと、その評価が、ある一定レベルを超えること。それなりに 「そそる」 ことの普遍性が得られることが 「美」 と言える条件なんだと思います。

ある意味、個人レベルの 「価値観」 から、社会的・時代的な 「価値観」 への昇華(しょうか)です。そこで、社会的通念との衝突が起きる。その結果、現代では、性やセックスとは一線を画した部分が 「美術」 として 「偉そうな顔」 をしている訳であります(苦笑)

 

エロ(痴性)と知性の融合こそが 「美術」。

 

大切なのは、それを産み出した人達の感性であり、そして、その感性に刺激されて、もっと深化させようとする人達の思いです。

 

美術は、そもそも、評価されようとして、賞を取って 「偉くなってやろう・・・」 という名誉欲から来るものではないということ。「伝統」 とやらを伝える人達は、その人達で、その 「美」 を深化させればいい。

「クラシックバレエ」 にしても、「社交ダンス」 にしても、「クラシック音楽」 にしても、あるいは、日本で言えば、「歌舞伎」 にしても、「能」 や 「雅楽」 にしてもです。

 

今は、若い連中に流行りの ヒップホップにラップ。

 

日本人は、日本風にアレンジして、その道を志(こころざ)す人は、その信念を貫(つらぬ)けばいいと思います。

しかし、やはり本流からすれば、英語圏(けん)等 「リエゾン」 の言語圏の人達が、日本語風の 「撥音(はつおん)」 をするところが 「粋(いき)」 なんであって、あとは、やはり、今ある現状から、逃(のが)れたくても逃れられない苦しみ。絶望と、そして成り上がりたい感。

 

ちなみに、「ラップ」 と最初に呼ばれた曲は、「ラッパーズ・ディライト (Rapper's Delight)」。

 

 

この曲を歌う 「シュガーヒル・ギャング(Sugarhill Gang)」 は、もともとは、ピザ屋の店員。鼻歌よろしく、既成曲に自分達のセリフを乗せて、ノリまくってたのを、スカウトされて、1989年にリリースして大ヒットになったわけです。

 

 

自分は、80年代から90年代に掛けて、R&B (リズム&ブルース)全盛期を楽しんだ口ですが、仕事でワシントンDC に出張したときなどには、ゴミバケツを寄せ集めては夜中に一人、ドラムセションにふける黒人の兄ちゃんにビビリながらも、その音には響き酔いしれていた記憶があります。

 

美意識の根源は、自分です。

 

当時の彼女とデートの最中、伊勢崎町の商店街で、まだデビュー前の 「ゆず」 と出会い、その音の良さに 「タイ米」 ならぬ 「大枚」 のチップを弾(はず)んでしまい、彼女から駄目出しを喰らった記憶もあります。

ジャズバーに行き、自分の困ったリクエストに対しても、誠意でもって応えてくれるプレイヤーの気持ち、それも嬉しい。

自分にとっては、「ゆず」 であれ誰であれ、心地良い曲を、自分達二人のために歌ってくれたことが何よりも嬉しい。

 

「美」 の根源とは、自分の快感を、他者に伝える気持ち。そして、「発信者」 と 「受信者」 の共感が生む 「快感の連鎖」 だと思ってます。

 

***

 

SM の 「緊縛」 も単に 「縛る」 だけなら、それは単なる 「技術」 の世界。

しかし、「受け手」 の女性と 「縛り手」 の心が溶け合って、醸(かも)しだすものは、女性の美。

その女性にあった、女性のエロを搾(しぼ)り出そうとする 「縛り手」 の作品だと思ってます。

未だに自分でも判断できないのが、「女性」 に焦点をあてるべきか、「縛り」 に焦点を当てるべきか。

 

やはり 「縄は美しい」。

 

「受け手」 の女性と 「縛り手」 そして、それをキャプチャーする 「カメラマン」 のハーモニーこそが、日本の SM の芸術を昇華しつつある、と思ってます。

 

***

 

何を言いたかったかと言うと、「美」 の意識の根源は 「自分にある」 ということです。

「美」 は多様であるからこそ、違ってると思うなら、自分で避けて、自分の道を行けばいい。

DIS りたくなる気持ちは解ります。だけれども、それは、自分が新しいステップにチャレンジする力に使わなければいけないということ。

 

自分は、芸術学的な学問を学んだことはありませんが、自分の肌で感じるところ、「美」 とは、自分の快感であり、自分の美意識を、社会的な基準でマッピングする行為なんだと思ってます。

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