2ntブログ
2017/05/13

距離感

SM で難しいと思うこと。そのひとつに 「距離感」 があります。

しかし、これはもしかしたら SM に限らないのかも知れません。

 

お互いに近過ぎるのも駄目なら、遠過ぎるのも良くない。

 

これは、天体の関係に良く似ています。

近過ぎると、お互いに引き合う力(引力)が強くなり、最後には衝突してしまいますし、遠過ぎると、遠心力のような力が働いて、どんどん離れて疎遠(そえん)になるばかり。

 

理想は、月と地球の関係のように 「付かず離れず」。

 

お互いがグルグルと一定の距離を保ちながら、いつまでも回っていられるのが理想なのですが、しかし、人は不完全な存在であるためか、なかなかそれが難しい。

愛は引力(いんりょく)であり、仕事とか家庭とか日常の社会生活は斥力(せきりょく)です。愛する気持ちが強くなれば強くなるほど、踏(ふ)ん張っていないと衝突してしまう。衝突は、社会的な日常生活の破綻(はたん)を意味します。

 

愛とは 「緊張」 です。

 

愛する気持ちが高まれば高まるほど、心は追い詰められ、身体の筋肉は硬直します。愛とはそもそも苦しい存在なのです。愛がない人生は空(むな)しい。だけど恋し愛するのは、その対極にあって、とても苦しいんです。

だから、恋愛に疲れた人達は、「恋愛はもういい」 となる。特に女性は心が入ってしまうときついんです。

セックスにおける 「オーガズム」 は、極度の緊張からの弛緩(しかん)するときに発生するそうですが、愛も積もり積もってくると、大きなストレスになります。人は不完全な存在なので、それだけの愛をしまっておくところはありません。

セックスでイクためには、極度の緊張が破れるまで、堪(こら)えないといけない。しかし、愛する気持ちをそこまで高めてしまうと、心が破けてしまい、その結果全てを失ってしまったりする。

 

動物としての人間にとって、愛とは、自己の生存欲求(自己愛)とは異なる、種の保存欲求に他なりません。セックスして自己の遺伝子を保存し、そして自己の遺伝子を継承する 「家族」 を守るために 「愛」 が存在するのです。

「激しい愛」 は、セックスを促(うなが)す衝動であり、そして、「穏(おだ)やかな愛」 は家族や社会といった群れに対する帰属意識なわけです。

 

身体の奥から、こみ上げてくるものに振り回されていいのは、ヌシと会っているときだけ。ヌシに自身の心と身体を委ねているときだけです。それ以外のときは、しっかりと自分の足で立ち、時間に追われ、家族に翻弄される。

お互いの距離感を意識しながら、きちんとスイッチのONとOFFを切り替える必要があるわけです。

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