2ntブログ
2017/10/12

ローションプレイの楽しみ方

何回か修正を試みましたが、表示できないようですので、本文につきましては コチラ を参照ください。あと、記事の内容に応じて、よろしかったら、ポチを戴けると励みになります(笑)

2017/10/09

男の 「短小」 について

前記事の 「男の早☆漏について」 に引き続き、男性自身の 「短小」 について書いてみたいと思います。

 

「セ☆クス」 において、男性自身のサイズと耐久時間は、とても重要な要素であることには違いありません。しかし、「セ☆クス」 は、そういった各種要素の総合得点で判断されます。

そして、「セ☆クス」 は、夫婦生活においても重要な要素のひとつではありますが、しかし、「結婚」 に際しては、「セ☆クス」 自体が単なる評価項目のひとつに過ぎないのです。

 

結婚相手を 「セ☆クスの相性」 だけで決めないように、人は最終的に 「心の繋がり」 であったり、雰囲気であったり、信頼感であったり、いろいろな要素を勘案して、自分のパートナーを決めているのです。

そして、それは多分、「学歴」 や 「社会的地位」 や 「財産」 などを得点化して男性を評価する 「玉の輿」 系女子にしても同じ。そういう女性は、男性を測る 「判断基準」 が分からない。だからこそ、目に見える 「証(あか)し」 が欲しいだけです。

 

しかし、人生難しいのは、そうやってベストを選んだつもりなのに、「満たされていない部分」 が、目につくことです。
それでも、「金銭欲」 や 「名誉欲」 とかそういった 「欲」 は、無限でキリがないので、「足るを知る」 べきものであり、諦(あきら)めもつくのですが、「食欲」 や 「性欲」 そして 「睡眠欲」 といった「人の生理的欲求」 は、どうにも止りません。

 

 

では、「短小」 をどう克服したら良いのか?

 

まず、開き直って下さい。人並みのサイズであっても、もしくは恵まれたサイズであるからといって、その道具を生かしきれているわけではありませんし、「セ☆クスが上手い!」 という評価を貰えるわけではありません。

 

しかし、だからと言って、調子に乗ってはいけません。(苦笑)

 

自分の強みを生かすこと。そして、自分の欠点を補うことです。

 

何よりも重要なのは、他人が楽しめて、自分も心地よい 「自分の流れ」 を発見することです。

 

参考になるのがこの記事です。

 

「私が出会ったダサいチ☆コ !! 親指ドヤ男・靴下クン・真珠野郎に連続12時間挿入男も」

 

この記事では、散々ディスられてはいますが、しかし、知っていて開き直ってるのか、はたまた、自己中なのか、それとも、今までに関わった全ての女性が、彼に気を遣ったのかは分かりませんが、いずれにしてもこれは、本人は自覚がないということです。


この話を聞くと、思わず、「マイケル富岡」 を連想してしまいます。

 

彼自身がどうなのかは知りませんが、要は、家に女性を招いては、料理を振る舞い、甘い言葉のひとつやふたつでも囁(ささや)いて、時間がきたらバイバイを繰り返し、何人の女性とデート出来るかを競ったとか。

確かに、甘いマスクのイケメンなら、「短小でもいいわ」 という女性はいるそうですし、ましてや、彼の場合は紳士的でもありますから、そういった人をディスる人は、そうそういないでしょう。
 

こういう振る舞いの出来る男子で、なおかつ、前戯が誰よりも上手い!なんてことにでもなれば、それはそれで、下手にサイズだけある連中は、簡単に追い越すことが出来ます。

 

***

 

女性は気にしてないフリをしていますが、実際のところは、結構気にしていたりします。

 

「『こんな小さい人っているの?』 残念ながら実在する”短小チ●コ”と向き合おう」

「男の沽券に関わるチ○コの大小問題を、バイブに置き換えて考えました!」

 

しかし、そんなネガティブな考えを覆(くつがえ)すだけのものがあれば、男性を 「セ☆クス」 の対象としてではなく、「愛」 の対象として捉える女性にとっては、取るに足らない欠点としか、写らないと思います。

何よりも、女性は、自分のために努力してくれる男性に弱いのです。

2017/10/08

男の 「早☆漏」 について

何故か、表示出来なくなってしまいます。

大した内容ではないので、大変恐縮ではありますが、お読み戴ける方は、

誠に申し訳ありませんが、コチラ まで、よろしくお願い致します。

 

また、記事非表示等により、イイねやコメントが無効になられた読者の方には、ここに重ねてお詫び申し上げます。

2017/10/05

いつかはセ☆クスでイケるようになる?(6)

前記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(5)」 の続きです。

 

前回の記事では、女性が 「セ☆クス」 でイクためには、乗り越えるべき 「関門」 が幾つかあるということ。そして、一つ目の関門である 「意識の集中」 について説明しました。

 

 

女性の 「集中」 は、「セ☆クス」 でイケるようになるための第一歩。

集中できないと、女性はあれこれと、いろいろなことを考えたりしますし、気力も続きません。

途中で堪(こら)えきれなくなってしまうのです。

 

気持ち良くなり、その快感が次第に波打ってきたら、只々(ただただ)その快感に身を委(ゆだ)ねる。しかし、「集中」 していますので、このときの女性は、心も身体も緊張していきます。

「オーガズム」 は、医学的に見ると、極度な緊張から解放され、弛緩(しかん)する現象だと言われています。

集中して、気を抜かない。そして、力も抜かない。何も考えず、只、快感に身を委ねて、「イク」 ことに集中しているうちに、その波は次第に 「うねり」 に変化してきます。

 

しかし、この状態は、まだ山登りで言う八合目に過ぎません。自身で 「オーガズム」 を感じるのは、まだもう少し先です。

実はそこからの斜面が急で、そこにもうひとつの難関が待ち受けているのです。

 

 

恐怖との 「対峙」 と 「克服」

 

二つ目の関門は 「恐怖」 との戦いです。

 

女性は、そのまま続けていると、今度は、身体の中に打ち寄せてくる波が大波になってくるので、これ以上になると、自分がどうなってしまうのか怖くなる、と言います。


このときの女性は、意識も朦朧(もうろう)としていますので、そのときのことはあまり本人の記憶には残っていませんが、女性は、首を横に振って 「いやいや」 をしたり、「もうイヤ!」 とか、「もうダメ!」 あるいは 「もう無理!」 みたいに言ったりします。

 

男性を信用していなかったり、男性に委ねきれていない女性。あるいは、男の言うことを聞かない女性は、ここで勝手にやめてしまったりします。

 

また、女性に従順な優しい系の男性は、女性のギブアップだと勘違いして、動きを止めてしまったり、あるいは、この状態が女性の 「オーガズム」 であると勘違いして、一緒にイこうとする男性がいますが、これはどちらも間違い。

 

実は、その先にこそ、女性の 「オーガズム」 が待ち構えているのです。

 

 

嫌よ嫌よも好きのうち

 

「嫌よ嫌よも好きのうち」 という女心を詠(うた)った言葉がありますが、信じてはいけない 「女性のイヤイヤ!」 の 「ラスボス」 が、コレです。

今まで味わったことがない感覚なので、女性は怖いのですが、しかし、男性は、このときの女性の 「イヤイヤ」 ばかりは、すんなり受け入れてはいけません。

何故なら、その先にこそ、男性のソレよりは10倍も100倍も大きいと言われる、女性の 「オーガズム」 が待っているのです。

 

このとき、男性は冷静でなければなりません。女性が急な身体の変調を訴えているのか、それとも、迫(せま)り来る 「大波」 が怖くて 「イヤイヤ!」 なのかをきちんと見極められなければいけません。

この時点では、もう何を言っても、まず相手にはほとんど聞こえていません。しかし、記憶に残らない状態にあるとは言え、ここで、女性を頑張らせ、奮(ふる)い立たせないといけないのです。
 

女性の 「集中」 と 「緊張」 を維持するように、身体を補助したり、愛撫を加えてあげて下さい。そして、恐怖から逃げないように、むしろ煽(あお)り、追い込んであげて下さい。

もう、このときの女性は、フェロモンのシャワーを浴びて、出口の見えな甘く切ない本能の中で、悶(もだ)え苦しんでいる 「オンナ」 に過ぎません。残っているのは、ぼんやりとした、かすかな意識と恐怖心のみです。

女性は必死に逃げ場を探しますが、自身を波に委ねて、波に呑まれるか、波に身を投じるかするまで続きます。

 

女性は、この恐怖と対峙して、それを乗り越えて始めて 「セ☆クス」 でイクことが出来るのです。

 

 

男性の対応
 

女性から、「もうダメ!」 とか 「いやいや」 のサインが出たら、小刻みに早く動かすのではなく、同じリズムで大きく動くように心掛けます。

 

ピストン運動による抜き差しは、女性にとってはさほど重要ではありません。

むしろ身体全体の揺(ゆ)れであったり、押し付ける圧迫の強さみたいな刺激の方が大切であるように感じます。

 

男性が気を付けることは、ここで気を抜かないことです。

一度ガッツリとイカせて、女性に 「中イキ」 を経験させてしまえば、あとは、女性は何時でもイケるようになるのです。

折角(せっかく)ここまで持って来たのに、「女性と一緒にイキたい!」 などという 「欲」 を出しては、全ての努力が無駄になり兼ねません。

 

「イヤイヤ」 をしなくなり、放心状態であろうとも、そのまま動きを止めないで下さい。

 

そして、その動作を続けていると、女性が急に、まるで雷に撃たれたり、あるいは、電気が走ったかのように、瞬間的に急にピンと背筋を伸ばし、顎(あご)をあげるように、頭を後ろに反(そ)らしたりします。

 

「頭が白くなった!・・・」 とか、「スパーク」 と表現する人もいます。

これが初めての 「中イキ」 現象。

今までの経験上、これが女性が初めて 「イク」 ときに見られるサインです。


女性から極めて聞き取りのしづらいのが、この現象です。

このときの状況を、本人に確認しても、その感覚は薄っすらとは覚えているようなのですが、しかし、女性は 「中イキ」 の最中は全く自身の記憶が飛んでしまうらしいのです。


そして、緊張のピークで 「オーガズム」 を経て、女性は、急速に弛緩します。

 

「イケた」 後は、タコのように身体が弛緩し、しなだれかかって来ますので、しっかりと受け止めてあげて下さい。

 

 

「セ☆クス」 でイケるようになった後は?

 

初回は、不意を突かれるためか、いきなり雷に打たれた・・・みたいなリアクションを見せますが、二度目以降は、一度経験しているためか、自分で 「イク」 タイミングを自分で表現出来るようになり、身体を震わせて痙攣(けいれん)したりするようになります。

 

女性の 「中イキ」 を 「補助輪なしの自転車」 に例える人がいますが、これは正しい表現です。一度イケるようになった女性は、それ以降はすいすいとイケるようになります。(笑)

自転車ほど簡単ではないのが難点ですが、しかし、コツさえ掴(つか)めば、誰でも乗れるようになるのです。


そして、一度 「セ☆クス」 でイケるようになれば、その人とばかりではなく、他の人であってもイケるようになります。

余談ですが、昔、SM では、慣れた調教師の方に、自分の女房の調教を依頼する人なども居たりしました。今となっては確認のしようもありませんが、もしかしたら 「当て馬」 ではありませんが、女性の開発を依頼する・・・的な意味合いがあったのかも知れません。

 

 

 

編集後記

 

なかなか難しいことに、男性は女性の 「オーガズム」 を自分の身体で感じることは出来ませんし、女性は女性で 「イク」 最中は全く自身の記憶が飛んでしまうのです。

この現象は、以前の記事にも書いていますが、既に医学的には立証されていて、女性がオーガズムを迎えるときは、理性を司(つかさ)どる前頭前野と、恐怖を司る扁桃体が機能を停止するためです。

 

なので、医師であろうが、女性であろうが、自分がイクところをビデオ撮影でもしていない限りは、なかなか客観的に把握できません。

女性は、自分の様子を男性からの伝聞と自分の微(かす)かな記憶に頼るしかなく、男性は男性で、女性の脳の中で、まさに今起こっている現象は、女性の口から発せられる言葉と女性の振る舞いから察するしかないのです。

記憶にあるうちは、「今にもイキそう・・・」 なところまでは、来ているのかも知れませんが、しかし、しっかりと記憶にある以上は、「まだ、イケてない」 証拠。(苦笑)

 

イケるようになった女性は、それこそ、20回も30回も、こちらが数えるのを放棄したくなるほどイケるようになりますし、女性はやはり貪欲な生き物です。(笑)

黙って勝手にイッたりもしますので、正確な数は数えようがありません。

 

そして、皆が口を揃えて言うのは、

 

「クリでイク 『外イキ』 と比べると、比べ物にならないほど、何10倍も気持ちイイ!」

 

ということです。

 

「中イキ」 を知らないのは、それこそ羽田沖で獲(と)れた、梅雨(つゆ)時の穴子の 「煮穴子」 の味、あるいは、ふぐの白子の味を知らないようなものです。

そんな味、知らなくても、世の中には、他にもいっぱい美味しいものはありますんで、それはそれで構わないのですが、ここで素直に 「食べてみたい・・・」 と思う女性は、まだ 「中イキ」 出来る可能性がありますし、「そんなのいらねー」 という人は、当然可能性は低くなります。

 

折角、女性に生まれたからには、一度はガッツリとイキたいものです。(笑)

皆さんのナイトライフの参考にでもなれば、光栄です。

2017/10/04

いつかはセ☆クスでイケるようになる?(5)

前記事 「いつかはセ☆クスでイケるようになる?(4)」 の続きです。

 

前記事では、強い刺激でもたらされる 「快感」 は、セ☆クスで得られる 「オーガズム」 とは、似てはいますが、性質が異なることを説明しました。

人の身体は、自分が望んでスルのと、そうでなくてスルのとでは、こうも大きく異なるもんなんでしょうか?

 

今回は、女性の身体の神秘。

「セ☆クス」 でイケるようになるために、女性が乗り越えなければならない、心の中の葛藤(かっとう)について、説明します。

 

***

 

身体はイケてるのに、快感を感じないのは何故か?

 

「中イキ」 は難しいと言われていますが、実際に自分で経験してみて、”肉体的には十分にイケてる” 女性は、少なくありません。

アソコも痙攣(けいれん)しており、普段は女性に 「動かせ!」 と言ったところで自分では動かせない部分の筋肉が、グッと締め付けてきますし、子宮も降りてきます。

人によっては、そのタイミングに併せて、どっと発汗したり、呼吸や心拍数が上昇したり、いろいろです。

 

肉体的には、少なくとも、女性自身は 「オーガズム」 でイケているのです。

しかし、その実感がないようなのです。

 

イク実感とは、とある人は 「頭の中が真っ白になる」 という人もいますし、「スパーク」 と表現する人もいます。

「オーガズム」 を 「ふわふわ感」 と表現する人がいますが、これは、まだ前段の状態です。気持ち良い 「エクスタシー」 状態ではありますが、「オーガズム」 には至っていません。

 

では、何故、女性は イク実感が湧かないのか?

それはまるで、自分を守るかのように、脳が快感をブロックしている・・・としか、表現できないのですが、身体はイケていても、脳が報酬を与えてくれないのです。

女性が 「セ☆クス」 でイケるようになることを、前回の記事では 「自転車の練習」 に例えましたが、実際は、「頭の中のスイッチ」 の切り替えるような感覚です。
一度きちんとイケると、何も怖れることなく自信を持って、スイッチを切り替えることが出来るのですが、「オーガズム」 を経験していないので、まだ怖いのです。

補助輪なし自転車に乗れていない状態では、どうしても、自転車ごと転ぶのが怖い・・・。だから、補助輪なしで、自転車に乗れない・・・、みたいな感覚です。

自分でイクのと、「セ☆クス」 でイクのは、同じ行為ではなく、「補助輪つき自転車」 と 「補助輪なし自転車」 くらい違いがあるものであることを、まずきちんと認識して下さい。
そして、女性が、「イク!」 という快感を味わうために必要なのは、「心の壁」 という幾つかの 「関門」 を乗り越える必要があるということ。

そして、そのためには、「集中」 と 「リラックス」 が求められます。

補助輪なし自転車を運転するためには、それなりに集中すべきことがあります。しかし、運転するに際しては、ガチガチになっていてはダメで、身体はリラックスしていなければなりません。それと同じです。

 

関門はいくつあるのか?

 

最近の医学会では、fMRI (磁気共鳴機能画像法)を用いた脳の研究が、大流行ですが、性科学の分野では、女性が 「オーガズム」 を迎える際には、前頭前野と扁桃体の双方が機能停止することが解っています。

前頭前野は、主に善悪やモラルなど、社会性志向を司(つかさど)るところ。扁桃体は、恐怖などの感情を司る器官です。

 

これは、女性が原始時代から生き延びるのに、一番重要だったパーツかも知れません。

 

女性の社会性は、群れの中で、いち早く危険を察知し、身を守ったり、あるいは、食物を採集する上でも大事であったはずです。子供を常に抱える女性は、人一倍 「安全」 に気を配る必要があったのです。

「危険には近付かない」 - 人の頭の中で、恐怖や不安を統制しているのが、この 「扁桃体」 です。

 

では、女性が 「オーガズム」 に至る 「関門」 は、幾つあるのか?

 

もったいぶっても仕方ありませんので、最初に答えを言ってしまいます。関門は、2つあります。一つ目は、前頭前野の切り替え。そして、二つ目は、扁桃体の切り替えです。

 

「理屈っぽくて、分かるようで、分からない・・・」 と、女性から、お叱(しか)りを受けてしまいそうですが、「オーガズム」 を迎え易くするために、自分でも、この二つを意識して準備しなさい、ということ。

要は、初めて見る食べ物だから、あるいは、見た目がグロテスクだからといって、嫌々あるいは恐る恐る食べようとするのではなく、「美味しいんだ!」 と思って食べなさいということです。(笑)

「オーガズム(絶頂)」 とは、食事で言えば、「美味しい!」 と感じることです。しかし、嫌々あるいは恐る恐る食べていては、美味しいものであっても、美味しく感じるわけがありません。

 

(1) 第一関門は、「打ち寄せる波」 に対する 「集中」

 

意識を集中して、「お買い物」 や 「お弁当」 あるいは 「お家の戸締り」 などの、日常生活における 「雑念」 を取っ払うだけではダメなようで、「欲」 や 「好奇心」 も出してはいけないようなのです。

 

多分、女性の 「欲張り思考」 は、前頭前野によるもの。
 

そして、第一関門で求められる 「集中」 とは、まさしく 「前頭前野」 を止めるための心の準備に他なりません。

 

(2) 第二関門は、恐怖との 「対峙」 と 「克服」

 

そしてもうひとつが、恐怖の克服です。

 

女性はオーガズムのピークに近くなると、日本人の場合であれば、「いやいや」 をして首を振ったり、「もういい!」 とか 「もうイヤ!」 とか、「もう無理!」 とか言いますが、男性諸君は、ここで止(や)めてしまっては、いけません。

 

これは、初回だけではなく、毎度のことですので、多分、感覚的には怖いのでしょう。(^^;)

貧しい 「オーガズム」 しか感じない男性としては、何とも言えません。

しかし、女性もこのときのことは、記憶にありませんし、会話もまず成り立たないので、女性の心の中のことは、誰も主観的には確認のしようがありません。

 

まあ、酒好きのオヤジが想像するには、このときの女性の脳内には、「恋愛ホルモン」 とか 「快楽ホルモン」 と呼ばれる 「性ホルモン」 がダダ漏れなわけですから、ウイスキーと焼酎と日本酒を、たくさん飲んだ翌日の感覚でしょうか?(笑)

お酒の場合は、先にハイになって、その後に 「二日酔い」 などの 「悪寒(おかん)」 が来ますが、女性の 「オーガズム」 の場合は、先に悪寒が来て、その後に 「オーガズム」 が来るようです。(笑)

 

それでは、そのふたつの 「関門」 について、女性の心の中の 「葛藤」 について、見ていきましょう。

 

***

 

女性はむら気(き)?

 

女性は、好きな男に跨(またが)って、腰を振っている最中でも、集中が途切れると、

 

        「今晩のおかず、何にしよう?」

 

などと考えてしまう生き物です。

 

        「あれ?家のカギ、閉めて出てきたっけな?」

 

とか、常にアレやコレやを考えている生き物の意識を空っぽにさせて、気持ち良くなることに 「集中」 させるのは、並大抵のことでは出来ません。(^^;)

 

快感の波

 

実際に、気持ち良くなるところまでであれば、多くの女性が経験していると思います。

そして、女性はよく、「快感が波のように打ち寄せてくる・・・」 といった表現を使いますが、その感覚を経験している女性は、少なくないと思われます。しかし、ここで女性の意識が、

 

        「あっ、イケるかも!」

 

とか

 

        「イキたいっ、イキたいっ」

 

とか

 

        「あともう少しだっ!」

 

とか考え出した途端、そういった自分の 「意識」 というか、「我」 というか、そういった 「欲」 が出て来ると、その 「波」 というか 「うねり」 のようなものが跡形もなく、「さ~っ」 と引いてしまうというか、消え去ってしまうらしいのです。

 

無念無想

 

 

例えるなら、女性に快感の 「波」 が来るのは、座禅を組んでいて 「無念無想」 の境地に入っているときであり、「あっ、イケるかも?」 と思うのは、多分座禅で言うところの 「邪念」。

座禅では、あの 「パシン!」 と叩かれる木の棒を 「警策(きょうさく・けいさく)」 と言い、叩かれることを 「警策を戴く」 と言うらしいのですが、まさしく、女性が 「快感の波」 の襲来に対して、女性の 「無念無想」 が壊れた途端、「波」 が跡形もなく消えていく・・・というのは、まるでこの 「警策」 を受けたかのような衝撃を覚えます。

 

まあ、男には知る由(よし)もありませんが、女性は普段から、それだけ落ち着かないというか、アレやコレやを考えているということであり、また、一言で 「集中」 とは言っても、なかなか難易度の高い 「集中」 が求められている、ということです。

 

波が来ているのを感じつつ、波を見て見ぬフリをしなければならないのです。

欲張ってもいけないし、頭が冴えていてもいけない。

女性は、男性の前に全てを曝(さら)け出して、一切の思考を停止し、そして、男性に対して自分の全てを委ねられない限りは、イケないのです。

 

あまりにも、古典的な男女像に見えますが、しかし、この現代であっても、自分の目の前にいる男性に屈服し、男性の全てを受け入れて、それで、無心でいられない限りは、女性には、「女の幸せ」 あるいは 「女の至福」 と呼ばれる 「最高の快楽」 は手に入らないのです。

 

女性のオーガズムを妨げる最後のブロックは 「心の中」

 

女性のオーガズム。「中イキ」 に必要とされる、「リラックス」 と 「集中」。しかし、そこに求められているものは、「無我無想」 の境地なのです。

時代劇ではありませんが、「ジタバタしねえで、観念しやがれ!」 みたいな感覚です。

 

「無我無想」 を保つだけの 「集中力」 と併せて、観念して 「ガクッ」 と肩を落とすような 「脱力」 の両方が求められているのです。

 

英語の「オーガズム」 をフランス語では 「アクメ(Acme)」 と呼びますが、「小さな死 (La petit mort)」 といった表現もあるそうです。

 

女性が、「快感の波」 を感じるようになるためには、集中が求められますが、これは 「セ☆クス」 のお相手を受け入れて、何も考えず、全てを委ねる・・・ 「無」 の感覚です。

自分の好奇心や感情さえもが、「オーガズム」 の敵なのです。

 

もし、女性が感じている 「快感の波」 を、「ドラゴンボール」 の 「かめはめ波」 に例(たと)えるとしたら、あの悟空の踏ん張りこそが、女性の集中に該当するわけです。

しかし、そのときには、「ベジータ」 がどうのこうのとか、「しゃらくせー」 みたいな、そういうことを一切、頭で考えてはいけないのです。

そうすると、だんだん 「かめはめ波」 のように、女性が感じる 「快感の波」 が大きくなってくる。(笑)

 

ただ何も考えずに、「きもちいい~♪」 という状態に身を委ねればいいのです。

 

男女同権だとか、男女雇用機会均等法とか、旦那がぜんぜん家事をしないとか、そういうものは 「セ☆クス」 には馴染まないのです。「セ☆クス」 における男女関係は、旧態依然の 「男と女」 の姿なのです。

なので、当然ではありますが、社会で舐められないように身に付けた、女性の 「プライド」 という名の 「鎧(よろい)」 もまた、無用の長物。そういった諸々のモノを脱ぎ捨てて、ただ単に 「男と女」 になることこそが重要なのです。

 

***

 

随分と長文になってしまったので、第二の関門については、次回に説明することにします。