2ntブログ
2016/11/25

踊るセックス - キゾンバ(3) :ベッドの上でのキゾンバ

さて、随分とブログを放置してしまいました。

その間にも、某女性読者は 「スタジオ」 に通い、踊り始めています。

 

「ちょびも、追いでよ。習いなよ~♪」

 

習いたいのは山々ですが、まずは習うよりは感じたい。

世の中全て 「教えて貰わないと出来ない」 ものばかりではありません。まずは見よう見真似でやってみるのも悪いことではありません。

やってみて 「上手くなりたい!」 と思ってから習っても、遅くはありません。

「キゾンバ」 も、まずは習うより、自分の身体で音楽と踊りを感じたい。

 

***

 

そんなオヤジは、ただいま 「キゾンバ」 の踊りをベッドの上で練習中です。(笑)

 

ちなみに 「音楽」 はありません。リズムの基本は、自分が心地好くなるテンポとスピード。

時には 「キゾンバ」 でたまにある 「プロモーションビデオ」 ではありませんが、奴隷ちゃんに目隠しをして、思考を放棄させ、ただ、自分の声と手によるリードに従うことを求めます。

つぶやく声もそうなら、奴隷ちゃんの頭や乳房、また、ある時は腰やお尻もコントロールの対象です。

 

奴隷ちゃんには、二人の交接部分…つまり挿入部分に神経を集中させます(笑)

 

そして、手や声でリードして、出したり入れたりの動作をゆっくりと行わせる。最初は先の部分だけ。女性は、何も考える必要はありません。ただリードに合わせて付いて来るだけ。

一番太い 「雁(かり)」 の部分が、その大きさを主張するように、ゆっくりと出たり入ったりする感覚をまず味わわせます。そして、たまに静止させて 「焦(じ)らし」 を入れる。この間、女性の神経は全てアソコに集中しています。

 

しかし、全神経をアソコに集中させつつも、一度(ひとたび)身体の何処(どこ)かに手が触れれば、 「リード」 を受け損なわないようにと、常に全身の触感を緊張させます。

なので、腰に手を触れれば、腰に神経の集中が移る。そして、その緊張は、愛撫か指示かが分かるまで続きます。指示なら、またその指示に従って身体を動かそうとする。しかし愛撫だとそうはいきません。

背筋を 「つーっ」 と触れるか触れないかの感覚で撫(な)であげるたりすると、リードかと思って神経を研ぎ澄まし、緊張していた女性の身体は不意(ふい)をつかれ、その快感を全て受け取ってしまうのです。

自分が意識出来ていない刺激に放浪される感覚は、目隠しと同等かもしくはそれ以上です。

 

一定のテンポで動かしていて、次第に気持ちが高ぶってくると、女性はもっと気持ち良くなりたくなり、気が逸(はや)って自分で動こうとします。焦らされれば、焦らされたで、もどかしくなり、自分で奥の方にまで入れようとする。

理性が活動を停止し、次第に貪欲な女性の我(が)や性(さが)といったものが顔を出してきて、暴走を始めそうになると、思いっきりお尻を 「ペシンっ」。

 

「S たる主に奉仕しているのにもかかわらず、自分が気持ち良くなってどうするの?」

 

オーケストラと一緒。きちんと指揮者を見ていない奏者には、お仕置きです(笑)

 

手の平(ひら)では、やはり、「キゾンバ」 よろしく腰使いを指示します。身体の上下動は手の平全体でリードしますが、腰を入れるときは、腰に当てた手の平の小指側にローリングするようにして自分の方に引き寄せます。そして、小指側側面で押さえるのは、腰を入れるサインになります。

 

S の男性からすれば、自分の思うがままに、女性を操(あやつ)る快感が堪(たま)りません。そもそも、自分が気持ち良くなるように女性をリードしているわけですから、気持ち良くないわけがありません。(笑)

女性は、もう完全に ”男が気持ち良くなるため” の 「道具」 です。

本来この表現は、女性が最も忌(い)み嫌う言葉。しかし、愛し合う男女においては、「我(われ)を忘れて相手に尽くしたい!」 というのが女心です。

 

M の女性からすれば、自分のお気に入りの男性に支配され、自分を相手に完全に委(ゆだ)ねられてる時点で、もう理性は眠り、思考は停止しています。

 

主に奉仕している自分。

そして、男性に好きなように使われている自分。

 

それを思っただけで、身体の奥底から熱いものが込み上げて来て止らない。高まりが抑えられない。

自分がどんどん気持ち良くなって、自分で腰を勝手に振り出すと叱(しか)られるし、イキそうになっても、主から 「イク許可」 が貰えなければ、勝手にイってはいけない。しかし、主の命令には忠実でなければいけない。

 

この状況下で、女性は例えるなら 「圧力鍋」 状態に追い込まれていきます。もう 「シュルシュル」 と音を立てて、ガス抜き用の分銅(ふんどう)が廻っている状態。

ここまで来たら、あとは呼吸のあうタイミングを見計らって、ガッツリとイかせる。

ガス抜き用の分銅を外して、ガスを抜くのと同じ。女性は自分に溜まったストレスを一挙に放出して、オーガズムを迎えます。

 

***

 

旧約聖書には、『神は、アダムの肋骨を取り出し、肋骨からイブを作った』 と、あります。女性の理性が吹き飛び、男性の理性のみが支配するこの時間こそが、二人が一つになる 「聖なる時間」。

「羞恥心」 が芽生えたのも、そもそもは、神が採って食べてはいけないという 「禁断の木の実」 を食べたから。だからこそ、その 「羞恥心」 を乗り越えて始めて、本来約束されていたはずの 「エデンの園」 に入れるわけです。(笑)

 

***

 

「キゾンバ」 の踊りは、さすがに人前ですので、実際にここまで恍惚となることはないでしょうし、有り得ません。しかし、踊りを見ている人達に対して、そのイメージを沸かせてナンボ。見ている者を恍惚としてこその 「キゾンバ」 でしょう。

 

やはり、採点者に対するアピール視線が抜けきれていない、今の日本の 「キゾンバ」 は、普及への尽力は立派であると思いますが、素人の目ながらにも、柔道で勝ってガッツポーズを取る外国人選手さながらに見えてしまうのは、自分だけでしょうか?

 

柔道における 「礼」 は、柔道に限らず日本の武道のスピリット。「葉隠(はがくれ)」 ではありませんが、「生に対する固執」 あるいは 「個の欲や情」 といったものを一切かなぐり捨てて、「無心」 で勝負に臨(のぞ)む 「武士道精神」 の表れでもあります。

それと同じで、ラテンの場合は、「愛とセックスと情熱」 がスピリット。特にストリートダンスに近い 「キゾンバ」 の場合、踊り自体は、形に嵌(はま)らない柔軟さと自由さがあるだけに、その精神性がとても重要に思えてなりません。

 

 

日本のキゾンバ

 

 

 

インドのキゾンバ

 

 

ドバイのキゾンバ

 

 

本場のキゾンバ

 

 

 

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