死の意味
自分は、「スピリチュアル」 ”命” !
な人間ではありませんが・・・
理系人間としては、「量子力学」
あとは、どう足掻いても、感情は論理には勝てない 「コンピュータ・サイエンス」 などに接していると、
自分よりも、「メタ」 な存在を意識したりします。
いわゆる 「類推」 というやつです。
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人の死。
メカニカルにも、細胞学的にも、その 「物体」 は、存在しなくなります。
しかし、
昆虫は、「変体」 ([注] 変態ではない) します。
多分、ちょっと成長 ([注] 性徴ではない) の遅い ”同僚” から見れば、目の前で動かなくなって、「空っぽ」 の存在になっているはず。
しかし、同僚が見ているものは、あくまでも 「抜け殻」 なわけです。
不思議なのは、無機物と有機物の 「エントロピー」 の差異です。
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ヒトの死も、物理的には 「無」 に帰しますが、しかし、仏教的には、「色即是空」。
”色” とは、物理的に言えば 「光子(フォトン)」 であり、それは実体のないもの。
波の一種なわけです。
自分は、「エクスタシー」 も、有機体同士の、一種の 「フォトン」 だと思っています。
そして、「思い返す」 という行動の裏に、何があるか?
そこには、”色” から派生した ”愛” があります。
”愛” も ”憎” も、「リンク」 です。
ネガティブか、ポジティブかの程度の違いです。
重くなって 「負荷」 が掛かれば、ネガティブにもなりますし、そうでなければ、ポジティブになるわけです。
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そこの境界は、何処にあるのか?
江戸時代の人たちは、それを 「粋」 とか、「野暮」 で表現しました。
そのときの境界線のイメージは、”三途の川” だったのかも知れません。
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昭和の哲学者は、「ヒエラルキー」 と表現していましたが、同じ "hierarchy" でも、今の時代は英語的に 「ハイアラーキー」 と呼びます。
ひとつ次元があがると、ひとつ下の世界の 「概念」 が 「実体」 となる。
そして、その多次元の中で、モノゴト が構成される。
「コンピュータ・サイエンス」 の世界では、「メタ・タワー」 などと呼ばれましたが、確かに、それは、数学の延長である世界で 「実証」 されているわけです。
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そして、「コンピュータ・サイエンス」 と 「仏教」 を重ねあわせて言えば、
「縁」 とは、「リンク」 のことであり、
「悪縁」 とは、その 「リンク」 が悪さをしている状態のこと。
「固執」 という状況自体が、リンクの存在を、あからさまに表現しています。
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しかし、思い返して、気持ち良くなること自体は、問題ないのです。
「固執」 が、ネガティブに繋がっていること。
そもそも、「固執」 という言葉自体が、ネガティブですw
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大事なことは、常に 「縁」 は、プラスにしようと思う気持ち。
ゴーンさんの眉毛は、「巨人の星」 みたいで、浦山しいですが・・・
このお方は、お金に換算した 「自分の評価」 しか興味がないようですw
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大切なことは、
「自分のことを ”強く”、しかも、”ポジティブ” に思っているひとが、どれだけいるか。」
そのΣが、霊性になった 「そのひと」 に、快感になって通じるのです。
なので、隠し通すべきことは 「墓場」 まで・・・
と言いますが、本来なら、其処まできちんとやらないといけません。
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良くあるのは、亡くなるまで 「女房を愛している」 フリを通していたお父さんw
亡くなって、全部 「家族にばれた」 なんてことが、ちょくちょくありますw
せっかく、それまで頑張っていたのにw
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「思ってくれるひとがいる」
それこそが、物体ではなく、
光だと思います。
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